ラストスタリオン   作:水月一人

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ただ謝りたかっただけなんだ

 ヴィンチ村から帝都に戻るにあたってソフィアの去就が問題となった。彼女は死んだと思われているわけだが、公式には行方不明と発表されていたので、実は生きていましたと言うのは問題ない。

 

 だが、どうして行方不明となっていたのか、その理由を包み隠さず発表するわけにはいかず、じゃあどのくらいまで公表すべきかと考えるくらいなら、いっそこのままメアリーとして生きて行くほうがマシに思えた。

 

 しかし、それでも皇帝はソフィアの生還を公表すべきだと主張した。それくらい、真祖ソフィアの帰還が帝国人に与える影響が大きいからだ。何しろ彼女はこの世界最古の神人で、全ての帝国人の母親みたいな存在だった。300年前と比べて大分数を減らしてしまい、活力を失いつつある今の神人たちを元気づけるには、非常に効果的だろう。

 

 それに、帝国に復帰したばかりのヘルメスの後ろ盾にもなるという思惑もあった。ソフィアは記憶を失ってから、ずっとヘルメスに匿われていたわけだが、もしも彼らが彼女を勇者の娘だと勘違いし保護していなければ、帝国は間違って大事な真祖様を殺してしまっていたかも知れない……と言う筋書きだ。

 

 あとは、300年間ずっと記憶を失っていたソフィアが突然記憶を取り戻したのは、レオナルドのお陰とでも言っておけば大体問題ないだろう。実際、ヘルメス戦争が始まってから、メアリーは彼に保護されていたのだから説得力もあるというものだ。

 

 他の細かいことは帝都に戻ってから帝国の中枢で決めることにして……そしていざ真祖の帰還が告示されると、心配していたような混乱は殆ど無くて、彼女は単純に帝都の民に受け入れられた。間もなくこの発表は五大国へも知らされ、帝国は全土を通しての祝賀ムードに包まれるのだった。

 

 真祖を長年保護していたヘルメス卿は皇帝から表彰を受け、勲章を授与されることになった。この短期間で二度目の栄誉と、終戦への期待もあって、アイザックの帝都での人気は今やうなぎ登りである。

 

 ヘルメス卿再任前に行なった大盤振る舞いの影響も未だ健在であり、彼の帝都滞在はとても楽しいものになっているようだった。連日連夜、帝都の重鎮たちから引っ張りだこにあって、彼は嬉しい悲鳴を上げていた。ほんの少し前まで、不倶戴天の敵として帝国を毛嫌いしていたとは思えないほどだった。

 

 真祖ソフィアが帝都に戻ったからには帝位を返上すべきという議論も起こりかけたが、それは当の本人の面倒くさいの一言であっという間に立ち消えになった。皇居は現在の皇帝が住んでいるため、ソフィアは当面迎賓館で暮らすことになり、鳳のいる部屋のすぐ隣に引っ越してきた。真祖とひとつ屋根の下と言えば凄そうに聞こえるが、言ってしまえばいつも通りである。

 

 そんなこんなで帝都暮らしも長くなり、連日のパーティーやらなんやでこのままじゃ太っちまうと嘆いていたところ、今度は迎賓館でソフィアの帰還パーティーをやることになった。またカイン卿を筆頭に帝都中からお偉方がやって来ると聞いて、ルーシーがヴィンチ村へ帰りたいと言うので送っていった所、今後はこういう公の場にも慣れて貰わねばならないと、レオナルドに逆に連れ戻されていた。

 

 そんなわけで図らずもかつての勇者パーティーの一員であるレオナルドの訪問を受けて、帝都はまた色めきだった。ちょうど同じ頃、海路を通じてセト国入りしていた勇者領の使節団も帝都へ到着し、これ以上、祝賀行事が続いては財政が破綻してしまうと官吏が嘆き、歓迎の式典はかなり省略されたが、代わりに迎賓館でのパーティーは否が応でも豪勢になった。

 

 迎賓館では朝から職員がドタバタと忙しそうに走り回り、勇者である鳳のところへは引っ切り無しに色んな人が挨拶に訪れた。その一人ひとりに丁寧に応対し、いよいよ始まったパーティーで更に大勢の人々に囲まれて、とりとめのない世間話に相槌を打っていると、気がつけば日付が変わって外は雄大な星空が広がっていた。

 

 夜風にあたると言ってバルコニーへ出て、星空をぼんやりと眺めつつ、朝から晩まであれだけ忙しかったというのに、何一つ記憶に残っていないことに呆然としていると、同じく夜風にあたると言って逃げてきたソフィアと鉢合わせになった。

 

「よう」

「あなたもここに居たのね」

「お疲れみたいだな」

「こんなことになるなら、正体を明かすんじゃなかったわ。大森林で行くあてもなく彷徨ってた頃のほうが、ずっと楽しかった」

 

 それはメアリーの時の記憶だろうか。ちゃんと、あの時のことも覚えているんだな……と思いつつ、鳳は彼女から視線を外して眼下に広がる帝都の夜景を見つめた。と言っても、宝石箱をひっくり返したような100万ドルの夜景などどこにもない。帝都の夜はひっそりと静まり返っていて、どの家からも明かりが漏れていなかった。ここには電気が無いからだ。

 

 鳳はそんな真っ暗な帝都の景色を見つつ、夜風に吹かれながら、ふと思い立ったことを聞いてみた。

 

「……そう言えば、P99の中には地球で量子化した人間のパーソナルデータが残されていたんだよな?」

「ええ」

「その人達を復活させて、俺たちが居なくなった後に何があったのかを聞くことは出来なかったのか?」

 

 するとエミリアは首を振って、

 

「それが無理だったのよ。『神の揺り籠』の中に残されていたのは、神人の遺伝情報だけで、記憶の方は残されていなかった。ただ、記憶というのはその気になれば、いくらでも作り出すことが出来るから、私は神人の身体に、ダミーの記憶を乗せて復活させていただけ。でも、それじゃ記憶と身体が完全には一致しないから、知識までは取り戻せなかったわけ」

「……そうか」

 

 道理で、この世界はテクノロジーが低いわけである。痩せても枯れても21世紀の人間が大量に復活していたら、こんなことにはなっていないはずだ。しかし、元AIであるソフィアならそのための知識を与えることも出来そうなものだが……その点を指摘すると、彼女はバツが悪そうにそっぽを向きながら、

 

「えーっと、その……私は元々、サーバー上にいたわけよ。そこでなら、世界中のあらゆる文献を読み漁って、様々な知識を瞬時に得ることが出来たでしょう。けど、私がこの世界で目覚めた時、私の身体は生身のものになっていたのよ」

「……つまり、生身の身体では、並の人間と同じってわけか?」

「言い方が気に食わないけど、そうよ。私がゲームをやっていた時は、個性を身につけるのが最優先事項であって、知識を蓄えるのは二の次だった。っていうか、あなたも現代人なら分かるでしょう? 検索技術が発展していてその都度調べられるなら、知識を暗記することなんて殆ど無意味よ」

「まあ、そうだなあ。その検索のための取っ掛かりにはなるから、まったく意味がないことはないけど、隅々まで丸暗記する必要はないな……」

 

 つまりソフィアは思ったよりもポンコツというわけだ。そう言えば大森林でも、食べられる草のことを教えてやったら、妙に感心していたけれど、地頭があるなら記憶喪失でもあんな風にはならない。彼女は本当に、何も知らないのだ。

 

 そう思うと、こいつは本当にメアリーなんだなと思う反面、その赤い瞳と醸し出すニヒルな雰囲気はまったくの別物で、ゲームの中の灼眼のソフィアそのものだった。鳳は、どっちが本当の彼女なのかわからなくなり、思ったままを口にした。

 

「なあ、お前の中で、メアリーはどうなったんだ……消えちゃったのか?」

 

 するとソフィアは鳳の顔を覗き込むようにしてから首を振って、

 

「メアリーは私よ、何も変わらないわ。ちゃんと、あなたと旅をした記憶だってあるもの」

「そうか……そうは言うが、雰囲気が変わってしまってまるで別人みたいだ」

「人間ってそう言うものでしょう。子供の頃は無邪気だけど、大人になるとどんどんすり減ってくる。あなただって、何も悩まずに無邪気でいられた頃はあったはずだわ」

「そう……だな……」

 

 例えば、言葉の通じない転校生のために、必死に折り鶴を折って見せたり。それが勘違いだと分かっても、一つのゲームが共通の話題になったり。鳳にだって、放課後先生に見つからないように、みんなで隠れてワイワイやっていた経験くらいあるのだ。

 

 どこで踏み違えてしまったんだろうか……? 何が悪かったのだろうか……? そんなのは、決まっていた。中学一年の最後の春休み。鳳が学校という場所に所属していた最後の時期。あの時、ああしていたら、こうしていたらと夢想して鬱に入ったことは一度や二度ではない。きっとこの後悔は一生つきまとうんだろう。

 

「ほら、これ」

 

 鳳がそんなことを考えていると、目の前にいる彼女が焦れったそうに、手にしたポーチから何かを取り出した。ぼんやりしていた彼が視線を合わせてみたら、そこにあったのは一羽の折り鶴だった。

 

「……え?」

「ずっとしまっておくって言ったじゃない」

 

 それはあの城の封印の中で、彼女にあげたものだった。まだ自分が何者かも分からなかった時、城の中で千代紙を拾って、試しに折ってみたものだった。その折り鶴が指し示す先にはメアリーがいて、鳳は彼女の姿を見て、まるでエミリアの生き写しだと思ったのだ。

 

 こんなもの、まだ持っていたのか……

 

 鳳はそれを見るなり、こんなものを後生大事にしまっていなくても、またいつでも折ってやるのにと言おうとした。だが、声にしようとしても何故か言葉は出てこなくって、代わりにホロリと涙が溢れてきた。

 

「……あれ? 変だな……感傷的にでもなっているのかな」

 

 なんでだろうと思いつつ、瞼をゴシゴシとやっていると、そんな彼の姿を真剣な表情で見つめながらソフィアが言った。

 

「ねえ、ツクモ……」

「ん?」

「あのゲームの最後の日。あなたは私を呼び出したけど……もしもあの時、私があそこに現れていたら、あなたは何を言うつもりだったの?」

 

 彼女はきっと、愛の告白や、リアルで会おうと言われると思っていたのだろう。だが、それは違うのだ。

 

「俺はただ……謝りたかっただけなんだ」

「……謝る?」

 

 鳳は頷いた。

 

「お前のことを、あの下らない連中に紹介してしまったことを……謝ろうとしたんだ。そんなこと、お前に言っても仕方なかったのに」

「そっか……」

「うん」

 

 するとまた涙が溢れてきて、どうしようもなくなったのだけれど、彼は今度はその涙を拭うこと無く、流れるままに任せていた。ソフィアはそんな彼の目を暫くじっと見つめたあと、またポーチの中に折り鶴をしまってから代わりにハンカチを取り出して、彼の流れる涙を拭った。そして手を伸ばし、乱れてしまった彼の前髪を整えると、湿っぽくなったハンカチをしまい、

 

「もう、大事なものを手放しちゃ駄目よ?」

 

 彼女はそう言ってから、踵を返して去っていった。鳳はそんな彼女の背中を目で追いかけながら、誰にともなく呟いた。

 

「そんなの、無理だよ」

 

 大事なものを手に入れたくても、彼にはもうあまり時間は残されていなかった。自分がいつ自分じゃなくなってしまうか分からないならば、大事なものは寧ろ遠ざけて置かねばならなかった。

 

 どうしてこう、ままならないんだろう。自分が何か悪いことをしたんだろうか。彼にとって人生は、いつも過酷で理不尽なものだった。

 

 父親は、そんな彼のことを守ろうとしていたんだろうか。ソフィアを作り出した彼の執念に、鳳は救われていたのかも知れない。幼馴染を失ったショックを和らげる役には立っていた。でもそのせいで、事態が複雑にもなっていた。結局、四柱の神とは何なんだ? このエミリアってのは、どこから出てきたのだろうか……

 

「ここにいたのね、白ちゃん」

 

 バルコニーの手摺にもたれて、またぼんやり考え事をしていると、迎賓館の中からジャンヌがやってきた。パーティーが始まってから一度も会話をしていなかったが、どうやら抜け出してくるのに相当苦労していたらしい。鳳もジャンヌも周囲から勇者と呼ばれているのだが、鳳は怖がられているのに対して、ジャンヌの方は何故か人気があった。やはり顔なのだろうか。

 

 ジャンヌは鳳の隣までやってくると、いつもなら他愛もない話を始めるくせに、今日はやたら落ち着きがなくソワソワしているだけで何も喋らなかった。鳳の顔をチラチラ見て何か言いかけては、言葉を飲み込んでいるといった感じだった。もしかして、さっきちょっと泣いたから、それが顔に出ているのだろうか。だとしたら格好悪いなと思っていたら、彼女は全然別の事を口にした。

 

「メアリーちゃん……ううん、ソフィアから聞いたわ。あなたに、いま何が起こっているのかって」

「……聞いたって、何を?」

「魔王化のことよ」

「あいつ、なんで勝手に……」

「どうして黙っていたのよ?」

 

 鳳はその言葉に沈黙で返した。出来れば解決の目処が立つまで黙っていたかったのだが……それを見越して、ソフィアがばらしてしまったようだ。元々、ゲームの時から二人は仲が良かったし、メアリーの時もべったりだったから、黙っているのが気が引けたのだろう……いや、それよりも、もっと直接的な理由もあったのかも知れない。鳳は、寧ろそっちの方を疑っていた。

 

 鳳は、ジャンヌの目を探るように見ながら、

 

「ジャンヌ……おまえ、どこまで知っていたんだ?」

「だから、ソフィアに聞くまで何も知らなかったって言ってるんじゃない」

「そうじゃなくって、俺とエミリアのことや、ソフィアがAIだったってことだ」

 

 鳳の言葉にジャンヌは一瞬、虚を突かれたように固まった。その反応だけで図星だということが分かる。彼女は、最初から知っていたのだ。

 

「……開発初期、ソフィアはまだ完全なAIじゃなくてサポート要員が付けられたと言っていた。考えられるのはギルドの創設者で初期メンバーのおまえしかいない。そういやあ、お前たちって仲良かったもんな。それは同性同士だからだと思ってたけど……お前は、俺とエミリアの関係を知っていたんだろう? そして、彼女が死んでいたことも」

「………………」

 

 ジャンヌは長い沈黙の後に頷いた。

 

「どうして言わなかったんだ。何がヒントになるか、わからなかったのに」

「言えば、あなたが傷つくのは分かりきっていたわ。それをソフィアが望んでいるとは思えなかったから」

「……そうか。でも今更だろう」

「何度も言おうとは思ったのよ。でも、踏ん切りがつかなかったの。あなたにとって、エミリアがどれくらい大事だったかは、周りの人から聞かされていたわ。それに……あなたがメアリーちゃんを見る目を見てれば、私にだって分かったから」

 

 鳳はため息を吐いた。確かに、未練がましくいつまでもエミリアのことを想っていたのは自分だ。なのに彼女を責めるわけにはいかない。ソフィアに全てを聞かされた今でさえ、まだこんなに苦しいというのに……

 

「ソフィアには……ちゃんと、想いを伝えたの?」

 

 鳳が黙っているとジャンヌが問いかけてきた。

 

「ソフィアに? 俺が? どうして」

「ゲームの最終日、あなたが呼び出したんじゃない」

 

 鳳はポカンと口を開いた。ソフィアに続いてまた同じことを聞かれるとは……よっぽど、あの時の自分は思いつめていたに違いない。彼は自嘲気味に笑うと、

 

「告白なんかしないよ。あいつはエミリアじゃなかったんだ……いや、例えあの時、あの場所に、本物のエミリアが来たとしても、するつもりはなかった。俺は結局、ゲームに逃げていただけなんだ。エミリアに拘っていたのも、彼女が好きだったってだけじゃなく……きっと自分が情けなかったからじゃないのか。今はもう、別にそんなことしようとは思わないよ」

 

 鳳は早口にそう告げてから、更に、ジャンヌの少し不安そうな顔に向かって言った。

 

「だから……今日をもってパーティーを解散しよう」

「……え!?」

 

 彼女の両目が見開かれる。

 

「お陰で、俺も大分持ち直したよ。エミリアのことは吹っ切れた。真実を知った今、こうして落ち着いていられるのも、みんなのお陰だ。だから、これ以上はもう、俺一人の問題だ。魔王になろうとしているのは俺一人なんだから」

「ちょ、ちょっと待って! ギヨームやルーシーにも言わないで、どうして一人で解決しようとするの。仲間なんだから、もっと私たちのことも頼ってよ」

 

 鳳は首を振った。

 

「仲間だから、言えないことだってあるだろう」

 

 その言葉に、ジャンヌは声を詰まらせた。別に鳳には責めるつもりは無かったのであるが、結果的にそうなってしまった。ソフィアはずっとエミリアのふりをしていたのだし、ジャンヌはその事を知りながら鳳とパーティーを組んでいた。

 

 でも、そのお陰で鳳は何とか自分を取り戻せたのだ。だから、彼女らをもう巻き込みたくないという気持ちは本物だった。

 

「多分だけど……お前たちに渡した共有経験値は、俺の力を底上げしている可能性がある。ソフィアは神人を作りすぎたせいで史上最強の魔王になっちまったわけだろう。もしパーティーとしての強さが、俺の魔王としての強さになるなら、これ以上、お前たちを巻き込むわけにはいかない」

「みんな別に、経験値が欲しいからあなたとパーティーを組んでいたわけじゃないわ。だから、それを決めるのは、みんなと話し合ってからでも遅くないじゃない」

「結論はもう決まってるんだ」

「どうして!?」

「俺は、自分がおかしくなっていくところを、みんなに見られたくないんだよ」

 

 そんな鳳の言葉に、ジャンヌは声が詰まった。その気持ちは、鳳じゃなくても良く分かった。オルフェウス卿カリギュラは、とても善良な皇帝になるはずだった。ところが、就任直後に罹った、たった一度の熱病のせいで彼の性格は捻じ曲がり、史上最悪の皇帝になってしまった。そんな彼がようやく理性を取り戻した時、それは自分の死が間近に迫っている時だったという。

 

 300年前の勇者は、仲間であるレオナルドの言うことも聞かずに、手当り次第、とっかえひっかえ女を抱きまくっていた。結局それが原因で喧嘩別れになってしまったと、あの老人は悔いていた。勇者の身に何が起きているのか、彼は最後まで気づけなかったのだ。

 

 もしも、鳳がおかしくなってしまった時、彼を止められるのは事情を知っている自分たちしかいない。だが……もしかすると、このまま彼と一緒にいたら、それも叶わなくなるかも知れない。

 

 オークの群れはまるで催眠術にでもかかっているかのように、ひたすら北上し続けていた。それがオークキングが退治された瞬間、泡を食ったように逃げ出したのだ。

 

 つまり、鳳がおかしくなった時、彼のパーティーメンバーである自分たちも一緒におかしくなるという可能性があるかも知れない。だから鳳は、ここでパーティーを解散しようと言っているのだ。

 

 彼は一人で死ぬ気なのだ。

 

「それでも! 私はあなたと一緒にいたいの!」

 

 堪らずジャンヌは叫んだ。大粒の涙が溢れてきて、せっかくの化粧が台無しになった。だが今の彼女にそんなことを気にしている余裕はなかった。どんなことをしても、絶対に鳳を一人にしてはいけないと、ただそれだけが頭の中を支配していた。

 

 しかし、鳳は首を振って、

 

「お前はお前の人生を歩め。せっかく、永遠の命を手に入れたんだから」

「あなたのいない世界で、永遠の命なんてあってもしょうがないじゃない! だったらあなたと一緒に死んだほうがマシよ」

「死ぬ……とは限らないんだよ。それは寧ろベターな未来で、最悪の場合は、二人揃って化け物になって、世界を滅ぼしてしまうかも知れないんだ。そうならないためにも、俺たちは別々の道を行ったほうがいい」

「そんなの嫌よ、あなたと離れ離れになるのなら、世界なんて滅んでしまえばいいんだわ」

「そんなわけに行くか。どうしてそんなに頑ななんだ」

「それは……私が、あなたのことが好きだからよっ! 本当に、女性として、あなたのことが好きだからっ!!」

 

 ジャンヌが叫び……そして鳳の顔は辛そうに歪んでいた。興奮する彼女にはもう、そんな彼の表情は見えていなかった。ただジャンヌは、自分の気持ちを伝えるなら今しかないと、追い詰められた獣のように、必死にその言葉を口にした。

 

「本当に……本当に……ずっと前から好きだったのよ。ソフィアのサポートをしていた時から……一人の女性を真剣に愛するあなたのことを、とても好ましく思っていたの。でも私は男だったから、エミリアのことで苦しんでいるあなたを癒やすことも、振り向かせることも出来ないって、そう思って諦めていた。でも! こうして本物の女性になった今なら、あなたを好きになってもいいんじゃないかって……ねえ? どうしても、あなたと一緒にいることは出来ないのかしら。私にもチャンスはないのかしら!?」

 

 しかし、鳳は怒鳴りつけるように叫んだ。

 

「やめろ! 俺のことをそんな目で見るな! 気持ち悪いんだよっ!!」

 

 ズン……っと鋼鉄の棒を叩きつけられたかのように、本当に、ジャンヌの身体がくの字に曲がった。物理的に攻撃されたわけじゃなくて、ただ、鳳のその拒絶の言葉が、彼女の精神を一瞬にして叩き折ったのだ。

 

 鳳は、まるで親の仇でも見るような、憎悪のこもった目でジャンヌを睨みつけながら、

 

「やめてくれよ……好きだなんて……気安く言うんじゃないよ。それじゃ、俺とお前の友情が嘘になるじゃないか。俺にとって、お前はゲームの中のアバターでしかなくて、本物のお前は、マッチョのおじさんだったんだ。でも、俺はそのマッチョのおじさんが好きだったんだよ。大事な友だちで、頼れる相棒だったんだ……なのに……それなのに、お前のことを女として見てしまったら、全部嘘になっちまうじゃないか!!」

 

 ジャンヌは全身の血の気が引いていくような気がした。どうして立っていられるのか分からないほど、信じられないくらい体に力が入らなかった。息をすることも出来ず、彼女はその場に立ち尽くしていた。

 

「おまえのことを女として見ることなんて、絶対に無理だ。もし、間違ってお前のことを抱いてしまったらと思うと……俺はもう死んだほうがマシだ」

 

 鳳はそんなジャンヌの横をすり抜けるように通り過ぎていった。そしてもう二度と、背後を振り返ることなく、彼はそのままバルコニーから出ていった。バタンと背後で扉が閉まる音が鳴って、その風圧に吹き飛ばされるかのように、ぱたりとジャンヌはその場に崩れ落ちた。

 

***********************************

 

 鳳は後ろ手にドアを乱暴に閉めると、迎賓館の赤絨毯の廊下へと逃げるように駆け込んだ。特に激しい運動したわけでもないのに、息は乱れて汗をびっしょりかいていた。そのくせ、もしもこの場に誰かが居たら幽霊でも見たんじゃないかと驚くくらい、顔面は蒼白だった。彼は気を落ち着かせるように深呼吸すると、頬が赤らむまでパンパンと平手で叩いてから、パーティー会場へ向けて足を運んだ。

 

 気持ち悪い……なんて言葉はもちろん嘘だ。ああでも言わない限り、ジャンヌは絶対納得しないだろう。だが、もし彼女を抱いてしまったら死にたくなると言うのは本当だった。

 

 魔王化が始まったら、自分の意思に関係なく、そういうことが起こりうるのだ。例えそれが、ジャンヌ自らが望んだことだとしても、彼にはそれが許せなかった。ジャンヌは……彼は、本当に大事な大事な、友達なのだ。女になったからって、鳳のその感情は、異性に向けるものには変化しなかった。

 

 踏み出す足はこんなに重いと言うのに、迎賓館の廊下は信じられないほど柔らかくて、どんな足音も立てなかった。それが苛立ちを助長して、まるで断頭台にでも上っているような気分だった。パーティー会場へ戻っても、まともに受け答え出来るんだろうか。やはりこのまま自分の部屋へと戻ったほうが良いのではないか。そんな風に、少し弱気になり始めた時だった。

 

 その時、向かう先のパーティー会場がにわかに騒がしくなった。盛り上がってるとかそういう感じではなく、何か緊急事態が起きて慌てているようだった。鳳は部屋に帰りかけていた足を止めて会場の様子を窺った。

 

 するとその会場からバタバタと何人かが飛び出してきて、慌ただしそうにどこかへ走っていった。その内の何人かは見たことがあり……確かアイザックのお供の神人二人じゃないかと思っていたら、続けて会場から出てきたギヨームが鳳の姿を見つけるなり駆け寄ってきて、

 

「おい、鳳! こんなところに居たのか。今探しに行こうとしてたとこだ」

「何かあったのか?」

「何かあったなんてもんじゃねえ。アイザックが刺されたらしいんだ!」

「……はあ? アイザックが??」

 

 もしかして、仲間に何かあったんじゃないかと、嫌な予感がしていた鳳は、アイザックと聞いて少しホッとしていた。と同時に、刺されたという尋常じゃない事実と、つい最近、彼の好感度上昇のために奔走したというのに、何でそんなことになるの? とわけが分からなくなった。とにかく、今は彼の容態を確かめるべく、現場へ急ぐべきだろう。鳳はギヨームと共に走り出した。

 

 この時はまだ事態を楽観視していた。何しろ鳳は、死にそうな目に遭ったり、死にかけたり、実際に死んでしまったりしていたから、ちょっとやそっと刺された程度で、人間がどうこうなるとは思わなかったのだ。

 

 しかし、そんなわけはない。人は結構簡単に死ぬのだ。鳳たちが困惑しながら現場へと向かっている最中、アイザックは生死の境を彷徨っていた。そして彼らが到着した時には……もう、彼は事切れた後だった。

 


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