ラストスタリオン   作:水月一人

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生命の軽重

 真祖ソフィアの帰還を祝うパーティーの最中、アイザックが刺されたと聞いた鳳は、慌ただしく駆けていく人々の後を追った。アイザックもパーティーに出席していたはずだから、てっきり迎賓館の中だと思っていたのだが、意外にも彼が刺された現場は迎賓館の外であった。門をくぐるとすぐ、それは見つかった。

 

 迎賓館の周りは皇居にも近い一等地だから、大きな屋敷が集中しているのだが、普段は閑静なその高級住宅街の一角に、やたら憲兵が集まっている家があった。そのすぐ側の何もない道端に、水が撒かれたような痕跡があったから、おそらくそこが現場だろう。アイザックはそこで刺され、目の前にあった家に運び込まれたのだ。

 

 近寄っていくと家の前で、ペルメルとディオゲネスが憲兵に止められていた。彼らが素性を明かすと、すぐに通してくれたが、その際に聞いたアイザックの容態は芳しくないもののようだった。

 

 屋敷の使用人に案内されて歩いていくと、廊下が血でベタベタになっており、血の足跡がどこまでも続いていた。神人二人の手前、口には出せなかったが、こんなに出血していたらもう助からないんじゃないかと思っていたら……案の定と言うべきか、なんてこったと嘆くべきか、部屋に入ってすぐにアイザックの変わり果てた姿が飛び込んできた。

 

「アイザック様!」

 

 神人二人が殺到するかのように駆け寄っていく。医者が彼らを止めようとしたが、すぐに諦めてその場を譲った。体を抱き上げても、アイザックはどんな反応も見せず、だらりと垂れ下がった腕が地面を叩いた。顔は真っ青で、とても人間のしていい顔色ではなかった。こりゃ手遅れだと思って医者の方を見たら、彼は黙って首を振った。

 

「鳳様、リザレクションをお願いします!」

 

 呆然としながらアイザックを抱えていたペルメルが、その時、ハッと気づいたように鳳に向かって叫んだ。リザレクションは神人を復活させる魔法だから、人間のアイザックには効かないだろうと思ったが、縋り付くような彼の目を見ていたら断ることも出来ず、鳳は求められるままに呪文を唱えた。

 

 しかし、言うまでもなく、鳳が呪文を唱えても、アイザックはうんともすんとも反応しなかった。失敗を受け入れられない彼らに、もう一度と求められて、鳳は何度もリザレクションを唱えたが……いくらやってもアイザックが復活することはなく、やがて諦めた二人はその場に力なく崩れ落ちた。

 

 医者は二人からアイザックを引き剥がすと、家の使用人らと共に亡骸を寝台へと戻した。何があったのか聞こうとした時、廊下から誰かが入ってきて、見ればヴァルトシュタインとギヨームが、憲兵隊長らしき人と連れだって来たようだった。鳳は彼らに軽く会釈すると、

 

「何があったか聞いてもいいですか?」

 

 鳳が尋ねると、憲兵隊長はまだ捜査中だから、本来なら関係者でも話せないのだがと前置きしてから、

 

「ヘルメス卿は、最初パーティー会場に居たようですが、そこで最近知り合った帝都の貴族と再会し、意気投合して家へ遊びに行ったようなのです。そして貴族の家でしこたま接待を受けた彼は、気分の良いまま酔い醒ましにと言って送迎を断り、迎賓館まで歩いて帰ろうとしたようです。問題の貴族の家は、本当にすぐそこ、目と鼻の先だったので、大丈夫だと思ったのでしょうね。まあ、普通は大丈夫なのですが……」

「そこで刺されたと?」

「ええ」

 

 鳳はため息を吐いた。アイザックとは帝国貴族への挨拶回りのときに、一緒にこの街を歩いたことがあった。だからこの街の治安に問題がないことは鳳自身もよく分かっていた。なのに、こんな一瞬の隙に刺されるなんて、普通なら考えられない。

 

「……アイザックはずっと狙われていたってことですか。ヘルメスと帝国が仲直りすることが気に食わない過激派とかが紛れ込んでいたんでしょうかね」

「いえ、そんなことはありません。刺されたのは、ただ運が悪かったとしか……」

 

 ところが憲兵隊長は慌ててそれを否定した。偶然と言うからには、通り魔的な事件に巻き込まれてしまったのかと思いきや、

 

「いえ、それも違います。恐らくは怨恨の線で間違いないでしょう」

「何故、そう言い切れるんですか?」

「それはもう犯人が捕まっていますから」

 

 憲兵隊長の寝耳に水な言葉に、それまで放心状態だった神人二人が飛び上がった。

 

「犯人が捕まっているだって!? どこにいるんだ!」

 

 その時、部屋のドアがゆっくりと開いて、外から小柄な少女が入ってきた。いわゆるメイド服のようなエプロンドレスを着ていて、大きな目が不安そうに周囲の大人たちをキョロキョロと見上げている。年の頃は鳳より、一つ二つ年下と言った感じで、多分、ルーシーと同年代だろう。神人ではなく、どこにでもいる可愛らしい人間の少女といった雰囲気だったが、ただ一つ目を引いたのは、恐らく白かったであろう彼女の前掛けのエプロンが、今は真っ赤に染まっていることだった。

 

「お前がやったのかぁぁーーっっ!!」

 

 それを見た瞬間、怒りに駆られた神人二人が有無を言わさず飛びかかっていった。鳳が慌てて片方を押し止め、もう一方はヴァルトシュタインとギヨームと憲兵隊長の三人でどうにか食い止めた。よほど頭にきているのか、ものすごい力で、少しでも気を抜いたら振りほどかれそうだった。憲兵隊長はそんな二人に向かって、顔を真っ赤にしながら、

 

「待て待て待て! この子は犯人じゃない! 犯人は別室に捕らえてある!!」

「なにぃ!? じゃあ、こいつは何なんだ!!」

「この子は犯人の使用人ってだけですよ!」

「一族郎党皆殺しに決まってるだろうが! 使用人であっても許してやるつもりはない。どけ! 手向かえばおまえも切り捨てるぞ!」

「いい加減にしろっ!!」

 

 憲兵隊長の代わりに鳳が大声で怒鳴り返すと、神人二人はグッと声を飲み込んだ。どうやら命の恩人であることを忘れていたわけじゃないらしい。鳳はとにかくこの場を収めようと、努めて冷静な口調で二人を窘めた。

 

「まずは落ち着け。ヘルメス卿が殺された今、これはもう国際問題なんだぞ。感情だけで突っ走って、事態をややこしくしないでくれよ」

 

 鳳の言葉を聞いた二人は、小さくアッと声を漏らした後、すぐに大人しくなった。二人ともヘルメス卿のサポート役として長く仕えているわけだから、そういう政治的な感覚はちゃんと残されていたようだった。

 

 ギリギリと奥歯を噛み締めながら立ち尽くす二人の脇をすり抜けるようにして、少女が縋り付くように鳳に迫ってくる。

 

「あ、あの……おね、おね、おね、お願いします! どうか、どうか、お嬢様のことを助けてください! 勇者様!」

 

 二人を抑えたことで頼りになると思ったのか、それとも勇者と言っているからには、鳳の正体に気づいていたからだろうか。しかし、そんなことを頼まれても彼にはどうしようもないので、

 

「いや、それを決めるのは俺じゃないから……」

「でも! 私たちにはもう頼れる人がいないんです! あなたにも見捨てられたらもう私たちは生きていけません。だから、どうか……どうか、後生ですからっ!!」

 

 メイドは涙をボロボロ流しながら縋り付いてくる。犬猫を拾うわけでは無いのだから任せろとは言えず、鳳は困ったなと思いつつ、

 

「とにかく、まずは犯人を交えて話を聞かなきゃ。憲兵隊長さん、犯人に会うことは出来ますか?」

「ええ、実はそのつもりで、こちらのお二人を呼びに来たつもりだったのですが……こんなに興奮されるのであれば、ちょっと時間を置いたほうが良かったでしょうかね」

 

 憲兵隊長は今すぐの面会に慎重になってしまったようだった。そう言われた二人は憮然としながら、

 

「見くびらないでくれ。勇者様に言われた通り、これは国家存亡の危機なのだ。さっきはつい取り乱してしまったが、もうあんなことは絶対にしない。こっちのディオゲネスもだ」

「ああ、私も誓おう」

 

 神人二人が誓う。最初は憲兵隊長も疑心暗鬼と言った感じで、じっと二人を見つめていたが、やがて諦めたようにため息を吐くと、

 

「なら、案内しましょう。実は、少々特殊な事情がありまして、犯人を牢屋に入れることが出来なかったので困っていたのですよ」

「どういうことです?」

「見れば分かりますよ……まあ、詳しい話は、それからで」

 

 そう言って憲兵隊長は思わせぶりに肩を竦めてから鳳たちを連れて部屋を出た。

 

************************************

 

 アイザックが運び込まれた家は、ヘルメスに縁もゆかりもない貴族で、単に家の目の前で彼が刺されたものだから、家族が善意であげてくれただけのようだった。主人はパーティーに出席していて、鳳たちにちょっと遅れて帰ってきたのだが、血まみれになった自分の家の惨状を見て引きつった笑みを浮かべていた。

 

 気落ちしている神人二人に代わって、そんな気の毒な主人に頭を下げてから、犯人を閉じ込めてあるという部屋へ向かうと、部屋の前には憲兵隊の歩哨が立っていて、やってきた隊長に敬礼した。鳳はそんな憲兵たちに目礼を返し、ペルメルとディオゲネスに絶対に取り乱すなよと釘を刺してから、いよいよ扉を開けた。すると部屋の中には綺麗なナイトガウンを羽織った美しい神人の女性が立っていた。

 

 まさかこの人が? と一瞬思ったが、入ってきた憲兵隊長を見て恭しくお辞儀をしたところを見ると、どうやらこの家の奥方らしい。すると、犯人が逃げないように、彼女が見張ってくれていたのだろうか。神人とは言え、人を殺したばかりの相手と一緒にいるなんて大した度胸だなと感心したが、実際には彼女がそこにいた理由は別にあった。

 

「えーっと、犯人はどこに?」

 

 憲兵隊長がキョロキョロと部屋の中を見回しながら尋ねると、奥方はそっと部屋の隅の方を指差した。丁度、ソファの影になってて隠れて見えない場所だった。多分、外から覗き込まれないようにとの配慮だろう。仕方なく鳳たちが部屋の中に踏み込んでソファの裏を覗き込むと……そこに思いもよらぬ人物が座っていた。

 

 神人の年齢を言っても意味がないかも知れないが、そこにいたのは見た目はとても若い金髪の女性で、耳は長く先っぽが少し垂れ下がっていた。透き通るガラスのような青い目をしていて、まるで作り物のように美しかった。有り体に言えば、どこにでもいる神人の女性のようだったが……ただし、彼女には決定的な違いがあったのだ。

 

 彼女は部屋の隅でうずくまるように、体育座りの要領で膝を立てて座っていた。だが、その手は膝を抱えるのではなく、彼女の大きくなったお腹を抱えていたのだ。彼女は神人で、そして妊婦だった。

 

 鳳たちが近づいてくると、彼女は我が子を守る母のように体を丸めて自分のお腹を抱きしめた。きっと元々は綺麗な白のローブだったのだろうが、身なりは薄汚れていて、返り血を浴びて真っ赤になっていた。乱れた前髪の隙間から覗く瞳が、まるで猛禽類のように鋭く光り、鳳の顔を捕らえ、彼はその迫力に押されて思わず退いてしまいそうになった。

 

 何者も我が子には近づけさせない。その瞳がそう強く主張していた。

 

「おまえは……ルナ・デューイか!?」

 

 鳳がその迫力に負けて尻込みしていると、彼のすぐ後ろに続いていた神人二人がどちらともなくそんな声をあげた。

 

「知ってるのか?」

「は、はい……彼女はヘルメスの貴族で……その、勇者様も会ったことがあるはずです。あなたを召喚したあの日、宮殿にいましたから」

「あの日、宮殿にって……ああっ!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、鳳の頭の中で走馬灯のようにあの日の光景が駆け巡った。

 

 アイザックに召喚されて宮殿の地下で目覚めた鳳たちは、城の兵士に連れられて行った謁見の間で、生まれてはじめて神人を見た。そのあまりの美しさに見惚れていると、アイザックから、お前たちが種馬となってジャンジャンバリバリセックスしろと言われて、仲間たちで色めきだったのだ。

 

 結局、鳳は誰からも相手にされなかったわけだが、仲間たちはなんとか彼女の気を引こうと必死にアピールをしていた……

 

 彼女はあの時の神人女性……という事はつまり、彼女が今抱えているお腹の中には、仲間のうち誰かの子供がいるわけだ。

 

 彼女の鋭い眼光が鳳の背後にいる神人たちをも突き刺した。さっきまであんなに殺すと息巻いていた二人は、その目に射すくめられるかのように大人しくなった。

 

 その後、憲兵隊長から詳しい経緯を聞かされた。

 

 彼女の名前はルナ・デューイ、ヘルメスの没落貴族の娘で、お家再興の野望を託されてアイザックの居城へやってきた神人女性だった。彼女はそこでアイザックから、勇者とセックスすれば神人を産めるかも知れないと唆され、それを信じた彼女は勇者と交わり妊娠をした。

 

 神人は妊娠すること自体が非常に稀なので彼女の一族は大いに喜んだが、ヘルメス戦争が勃発すると事態は一変し、彼女は命を狙われることとなる。アイザック12世が即位すると11世に与した者たちは粛清に遭い、勇者と交わった女性は悉くが誅殺された。新ヘルメス卿にとって、勇者の血筋というものは厄介な存在でしかなかったのだ。

 

 ルナはお腹の子供を助けたい一心で宮殿を逃げ出すが、立場を失いたくない一族に裏切られ、残ったのは使用人のアリス一人だけだった。こうして主従はヘルメス中を逃げ回り続けたのであるが、ついに進軍してきた帝国軍に捕まってしまう。

 

 そして彼女は拘束されて、帝都へ連れてこられたのであるが……

 

 ところがその後、アイザック12世は勇者軍に敗れて権威失墜し、更に魔王の登場で戦争がなし崩しに終わってしまうと、彼女は追われる必要が無くなってしまったのである。

 

 そもそも、帝国が勇者の子孫を根絶やしにしようとしていたのは、彼らが魔王になる危険があったからで、初めから勇者の仲間の子供は関係ない。こうしてルナは突然無罪放免になるが、彼女にはもう帰る家がなくなっており、主従は帝都で露頭に迷ってしまう……

 

 と、そんな時、彼女の耳にアイザックの噂話が入ってきたのである。

 

 帝都入りしたアイザックは、かつての宿敵相手に大盤振る舞いを見せてブイブイいわせていた。更には、あれだけ憎んでいた皇帝に頭を下げて爵位を取り戻すと、今度は真祖ソフィアを保護していたという手柄を上げて、帝都での人気はうなぎ登りだった。

 

 あいつがホラを吹きこんだせいで、自分は身重の体を抱えてこんなことになっているのに……許せない!

 

 否応なく怒りがこみ上げてきた彼女は、どうにかして迎賓館の中にいるアイザックを殺してやろうと、往来をうろついていた。無論、普通なら憲兵隊が警戒してる中でそんなこと不可能だったのだが……

 

 神のいたずらとでも呼ぼうか、そんな時、お供も連れずにふらふらと、アイザックが往来へ出てきてしまったのである。そして彼女は彼を刺殺した。

 

「警戒中の憲兵隊の目の前ですから、その後すぐに彼女は拘束されました。被害者を刺した後、放心状態で逃げる様子もなかったので、こちらのお宅のご厚意に甘えて監禁していました。何しろ……妊婦でしたから」

 

 憲兵隊長は部屋の入り口付近で鳳たちの背中に向かって話していた。彼の位置からはきっと犯人の姿は見えないだろうが、これ以上刺激したくないという配慮だろう。鳳たちが遠慮なく覗き込んでいる彼女は、まるで借りてきた猫のように部屋の隅にうずくまり、こちらを憎しみの篭もった目で睨みつけていた。この世界に神はいない。そんな目だ。

 

 鳳たちは、そんな視線から逃れて、ソファから離れた。

 

「何故、主人を止めなかったんだ」

 

 神人の片割れがため息交じりに言うと、犯人の使用人の少女は、

 

「止めようとはしました……でも……でも、体が動かなくて……私には、どうしてもお嬢様を止められることは出来ませんでした」

 

 彼女はシクシクと声を上げて泣き出した。本当なら制止するのが使用人の務めだったかも知れないが、その時の彼女は、主人に声を掛けることすら出来なかったのだ。

 

 鳳は、そりゃそうだろうと思った。もちろん、口には出さないが、自分が彼女と同じ立場にあったら、復讐を果たそうとしている主人を止めることは出来なかったのではないか……?

 

 ルナ・デューイには、アイザックを殺す権利がある。何しろ、全てデタラメだったのだから。なのに彼女は今でも自分のお腹の中の子供を守ろうとしているのだ。そしてそれは、鳳のかつての仲間の子供なのだ。

 

 300年前、ソフィアが呼んだのは鳳だけだったのだから、本当なら彼らはこの世界に呼ばれる必要はなかったはずだ。なのに今回、鳳に巻き込まれて異世界に召喚され、そして彼らは命を散らした……

 

 鳳は、彼らに一緒に逃げようと言ったのだが、彼らは子供が生まれるからと言って聞かなかった。そんな彼らの忘れ形見を、このまま知らぬふりして、見捨ててしまっても良いのだろうか。

 

 鳳は部屋の隅にうずくまる彼女の前に歩み寄ると、その憎悪の煮えたぎった視線が真正面にくるように、腰を下ろしてじっと彼女の瞳を覗き込んだ。

 

「君のお腹の子は、多分、神人じゃない。全部アイザックの嘘だったんだ。産んだところで、君の立場が劇的に改善されることはないだろう。もしかしたら、子供を産んだ後、君は処刑されるかも知れない。それでも産みたいのか?」

 

 そんな鳳の言葉を合図に、堰を切ったように彼女の目からボロボロと大粒の涙が溢れ出した。感情の高ぶりを表すかのように、肩がブルブルと震えている。しかし、それでも彼女は一度も視線を逸らすことはなく、挑むように鳳の目を睨みつけながら、コクリと頷いた。そこに嘘は無さそうだった。

 

 鳳はその返事を受け取ると、また立ち上がって背後を振り返った。部屋に詰めかけた人々が不安そうに彼の姿を見つめている。鳳はまずはペルメルとディオゲネスに向かって、

 

「……俺は、彼女のことを助けたい。協力してくれないか?」

「正気ですか!?」

「彼女を一方的に断罪することは出来ないだろう。お前たちも、今はもう、そう思ってるんじゃないか?」

 

 ディオゲネスは腕組みをすると、無言のまま目を瞑った。相棒のペルメルは苦々しげに表情を曇らせてから、

 

「しかし、いくら事情があっても、ヘルメス卿を殺した犯人を野放しにしては、国内に示しがつきませんよ。これから予想される混乱を収めるためにも、可哀想でも彼女には死んでもらったほうがいい」

 

 その言葉にメイドのアリスが飛び出していって、彼らの前で両手を広げて仁王立ちしてみせた。小柄な彼女がそんなことをしても意味は無かったが、小動物みたいに小刻みに震える身体を見たら、その決意のほどは分かった。

 

 鳳はそんな彼女の意思を受け継ぐように、

 

「それでも、俺は助けたいんだ。なんなら、また彼女たちを連れて大森林に逃げ込んでも良い。それくらいは見逃してくれないか?」

「しかし……」

 

 鳳たちがそんなやり取りをしていると、それを傍で見ていたヴァルトシュタインが、恐る恐るといった感じに手を上げながら割り込んできた。

 

「あー、お取り込み中のところ悪いんだけどよ? 彼女の刑罰なんか気にしてる場合じゃないと思うんだがな」

「なに!?」

 

 ヴァルトシュタインは睨みつけてくるペルメルの視線を涼しげに交わしながら、

 

「そうやってすぐ怒るなよ、神人さんよ。主人が死んじまって興奮しているのは分かるが……その主人の後釜はどうするんだ? つい先日、勇者領は和平の使者をこの帝都に送ってきたところだ。それはヘルメス卿が帝都での地位を改善したから、それを当てにしていたわけだが、到着してみたらそのヘルメス卿が死んでいたんじゃ、彼らもどうしていいかわからなくなるぞ」

 

 それは鋭い意見だった。部屋の中にいた人々の間からどよめきが起こる。ヴァルトシュタインはさらに続けて、

 

「11世が死んだから、やっぱり12世に戻すのか? しかし、それじゃ今度は勇者領が黙っちゃいないぞ。つい最近、勇者領に侵攻してきたのは、その12世だからな。彼がヘルメス卿に返り咲くというなら、和平交渉は無しにという事になりかねん」

 

 そうだった。12世は帝国の傀儡だったのだ。彼を操っていたオルフェウス卿はもういないが、元々、オルフェウス卿も12世の自尊心を擽ることで彼を利用していたのだ。そんな彼が権力を取り戻したら、自分を正当化することしかしないだろう。するとヘルメスと勇者領の関係が壊れて、帝国と勇者領も和平を結べなくなる。もっと最悪なのは、過激派が彼を利用してまた戦争を始めることだった。

 

「アイザックに子供はいないのか?」

「残念ながら、アイザック様はまだお若い方でしたから……」

「この際12世じゃなきゃ誰でもいい、誰かいないのか?」

「非常に古くに分かれた傍流がありますが、後継者に恵まれず、現在の当主は女性なのですよ。領民の支持を得られるかどうか……」

「……やっぱり、この世界もそんなこと気にするの?」

 

 ヘルメス人のテリーを見ていて思ったことだが、まだ中近代並みのこの世界で、血筋というのはとても重要なのだ。ヘルメスには現在、11世と12世の派閥があり、仮にその女系傍流を領主につけても、派閥間で争い始める可能性が高かった。それを抑え込むには、主流である11世の派閥から、ヘルメス卿の血脈に連なる誰かを立てなければならないが、ペルメルに言わせるとそんな都合のいい人物はいないらしい。

 

 こうして彼らが後継者問題に頭を悩ませている時だった。一人だけ会話に加わらず、じっと腕組みをしながら何かを考えていたディオゲネスが、唐突に言った。

 

「一つだけ、丸く収まる方法があります」

 

 誰の意見も無くなり、沈黙が場を支配していた時だった。彼の声はよく響いた。鳳は勢い込んで尋ねた。

 

「そんな方法があるのか?」

「ええ、勇者様。あなたがヘルメスの領主になるんです」

「……はあ!?」

 

 寝耳に水な言葉に、その場の全員が素っ頓狂な声を上げた。まるで王位を簒奪するような話に、憲兵隊長に至っては聞かなきゃ良かったといった顔をしている。

 

「馬鹿なことを言うな! そんなことしたら戦争になるぞ?」

 

 ペルメルが嗜めるも、ディオゲネスは首を振って、

 

「いや、絶対にそうはならない。ヘルメスは元々、勇者派の総本山。勇者様が領主になるというなら、抵抗なく受け入れてくれる領民の方が多いだろう。それに、勇者様はなんと言っても、我々の守護精霊から洗礼を受けている。それはヘルメスの地を治める正統な理由になる」

「あ! そうか!」

 

 その言葉に、今度はペルメルまでもが希望に満ちた表情で声を上げた。守護精霊の洗礼とは、迷宮でヘルメス・トリスメギストスに出会ったことだろうか? 確かにあの邂逅の後に鳳は勇者の力に目覚めたというか取り戻したわけだが、そのお陰で今とんでもなく苦労しているのだ。

 

 と言うか、絶対に無理だ。自分の理性が後どのくらい持つかわからないというのに、国がどうとか言ってる場合じゃない……鳳がそう思って、どうにか断ろうと口を開けると、それを制するかのようにディオゲネスが詰め寄ってきた。

 

「勇者様の手腕はこの帝都で幾度も拝見させていただきました。今は亡きアイザック様と比べても、あなたの方がよほど領主としての才覚に恵まれていると感服いたしておりました。あなたは人の上に立たれるべきお方です。どうか助けると思って、我が主となってください」

「右に同じです。鳳様に生命を助けられて以来、いつかご恩返しをと思っておりました。どうかこれからは、この生命をあなたのために使わせてください」

「アホ抜かせ! 俺はやらんぞ。他にやらなきゃならないことがあるんだ」

 

 鳳が必死に拒否しようとすると、ヴァルトシュタインが面白がって乗ってくる。

 

「そりゃ、面白そうだ。お前がヘルメス卿になるっていうなら、俺が軍を率いてやってもいいぞ。和平がなれば、勇者軍はどうせ解散だからな」

「人員に不足があれば冒険者ギルドを使え。ちょうど今、帝都にはレオがいる。それに今なら、お前のために馳せ参じる冒険者なんて、いくらでもいるだろう」

 

 そしてギヨームは冒険者ギルドの統括について、もう皮算用を初めたようだった。彼は当たり前のようについてくるつもりのようだが、本当は鳳はパーティーを解散しようと思っていたのだ。

 

 だから何とか断ろうと思うのだが……逆に、ヘルメス卿になれば、自然とパーティーを解散出来るのでは? と、つい魔が差してしまった時だった。

 

 彼の前にずいっと小柄な少女が接近してきて、

 

「お、お願いします、勇者様。どうかお嬢様をお助けください!」

 

 小柄な彼女の大きな目が、必死に鳳のことを見上げている。きっとこんな場違いな場所で怖い思いをしているのだろう。その身体は小刻みに震えていて、今にも倒れそうだった。そうまでしても、この少女は主人を助けてやりたいのだ。

 

 今はソファの影に隠れて見えない、ルナ・デューイ……彼女のあの目はとても絶望している人の目ではなかった。何が何でも赤ん坊を生み育てる、そんな決意を秘めていた。

 

 思えばつい最近、大森林の中では同じ母親が、生まれたばかりの自分の子供を殺している場面に遭遇したばかりだった。命を冒涜するその行為を非難したいわけじゃない。鳳なんて、試験管の中で受精して、代理母から生まれてきたのだ。そして幼馴染の彼女は自ら命を断った……同じ生命だと言うのに、どうしてこうも違うのだろうか。

 

 鳳はため息を吐いた。

 

「わかったよ」

 

 その返事に、神人二人の顔がパーッと明るくなった。ついさっき、彼らの全てと言ってもいい、主人のアイザックが殺されたばかりだと言うのに……

 

「ただし、ヘルメスが落ち着くまでの、あくまで代理だ。今、下手に権力を手放してしまったら、和平もならなければヘルメスは大混乱に陥るだろう。だから一次的に俺が預かる。だが、落ち着いたら必ず後継者を探して、そいつに爵位を譲る。俺には、どうしてもやらなきゃいけないことがあるから。それでいいな?」

 

 鳳の言葉に、神人二人は少し残念そうにため息を漏らしたが、すぐに取り直したように喜びの声を上げた。ヴァルトシュタインも、ギヨームも、たまたま居合わせた憲兵隊長や家主の奥方も笑顔を向ける。そしてメイド少女のアリスはぺたんとその場に腰を抜かした。

 

 仲間が死んでから、半年くらいが経過していた。ルナのお腹の大きさからして、臨月まであと2~3ヶ月といったところだろうか。それくらいなら、多分、まだ自分の理性も持つだろう。その間に、ヘルメスの問題を片付けて、魔王化を阻止する方法も同時並行で見つけなければならない。

 

 そんな器用な真似、本当に出来るんだろうか……?

 

 だが、やるしかないだろう。どうせ、最初から何も分かっちゃいないのだから……

 

 鳳は不安に駆られながらも、新たな世界に一歩踏み出す決意を固めた。和平を成し、ヘルメスを安定させ、仲間の子を取り上げたら、自分は潔くこの世から去ろう。そう胸に秘めて。

 

(第四章・了)

 


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