ラストスタリオン   作:水月一人

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第五章・ハーレム王に俺はなる!
平面世界の神視点


 我々は縦横高さ三つの空間軸と、一つの時間軸を持つ4次元時空に生きている。大抵の人がその事自体は、知識としても直感的にも知っているだろうが、具体的にどうして空間と時間が統合されているのか、その理由をちゃんと説明できる人は少ないかも知れない。

 

 しかしまあ、それはアインシュタインの特殊相対性理論を紐解けば、高校数学程度の知識があればわりと理解できると思うので、ここでは割愛する。長い物理学の歴史の中でも別格に美しい理論の一つであることは間違いないから、下手糞な説明を受けるよりも、巷にごまんと存在する解説本の一つや二つを読んだほうがずっと良いだろう。だからここではとにかく、我々の世界が3つの空間軸と1つの時間軸で表される、四次元時空の中にあるということだけを知っていればそれでいい。

 

 さて、我々はそうした4次元時空の中で日々暮らしているわけだが、宇宙も同じ4次元時空の中に存在するのかと言えば、どうやらそれは違うらしい。不思議なことに、なんと宇宙には11次元もの時空(10次元の空間と1次元の時間)が存在し、我々はそのほんの一部を認識しているに過ぎないようなのだ。

 

 どうしてそんなことが分かるのか? と言われると、実ははっきりとその存在が判明しているわけではないのだが……20世紀以降、科学技術が進んできたら、宇宙が4次元よりも多くの次元を持っていると考えたほうが都合がいい、と考えられるような傍証がチラホラと見つかってきたからだ。

 

 その先駆けとなったのが電磁気力と重力の統合理論であるカルツァ=クライン理論である。電磁気力と重力の統合は非常に難しい問題で、終生それに取り組み続けたアインシュタインでさえ解決出来なかった。それが、テオドール・カルツァに言わせれば5次元以上の時空でなら統一することが可能だというのだ。

 

 しかし、5次元時空なんてわけのわからないものを持ち出してきて、それにどんな意味があるの? と言われると、ちょっと説明が難しいのであるが……物理学では、それらの力を統合することが非常に重要なことなのだ。

 

 宇宙はビッグバン……つまり一つの点から始まったと考えられているから、遡ればこの宇宙に存在する全ての粒子が(力も)、一つに統合されなければおかしいはずだ。重力も電磁気力も(強い力も弱い力も)最初はみんな同じものだった。しかし4次元時空で考えていても、どうもそれらは上手く結びつかないのである。

 

 ところが、カルツァのように5次元以上の時空が存在すると考えれば、それが上手く行きそうなのだ。だから、余剰次元の理論は始めこそただの数学的なお遊びと思われていたが、次第に受け入れられていった。

 

 そしてついに、宇宙が10次元のヒモで出来ていると考える超弦理論が誕生したのである。この名前を聞けば、ああ、あのノーベル賞を取った奴ねと、高次元に半信半疑だった人も受け入れてくれるのではなかろうか……

 

 因みにこの超弦理論であるが、21世紀の現在でも、優れた理論ではあるが万物の理論にはなっていない。それもこれも、結局5次元以上の時空間なんて、本当にあるかどうか誰にも確認が出来ないからだ。何故なら、我々は4次元時空に生きていて、そこから逸脱する空間を認識することは不可能だからだ。

 

 面倒くさいからこの際、時間のことは忘れて、3次元空間と4次元空間のことを考えてみよう。

 

 我々は3次元空間と言われれば直感的に理解できるが、4次元空間と言われても、それがどんなものであるかを想像することが出来ない。縦、横、高さは分かるが、4次元軸の方向ってどっちなんだ? 空間がどんな風に広がっているのか、頭の中で想像することさえ出来ないだろう。なのに、それがあることを前提とした理論など、なかなか受け入れられないではないか。

 

 だが、それでもこの宇宙は10次元あるということで大勢が決まりつつあるようだ。恐らく今後、これが覆ることはないだろう。我々は、我々が認識できる4次元時空の他に、更に6つの次元があることを知りながら、それを認識することが出来ずにずっと生きていくわけである。なんだか喉に魚の骨が刺さったような、すっきりしない感じである。

 

 ……しかし、我々は確かに4次元の方角を認識することは出来ないが、理解することは出来る。物事が複雑で理解出来ない時は、いちど単純化して考えればいい。

 

 例えば、3次元空間に暮らしている我々が4次元空間を認識できないように、2次元空間に住む住人は3次元空間を認識することが出来ないはずだ。だからまず、我々も2次元空間の住人の気持ちに立って考えてみれば、自ずとその先のこともわかるというものだろう。

 

 フラットランドに住む三角氏は二次元の住人だ。

 

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 フラットランドには高さは無くて、縦と横、二つの空間軸しか持っていない。画用紙を思い浮かべて貰えばそれで間違いない。三角氏は、そのまっ平らな画用紙(フラットランド)の中をウロウロしている人間だ。

 

 すると、遠くの方から四角氏がやってきた。三角氏と四角氏は竹馬の友だが、すぐ近くまでやってきても、ふたりはお互いのことがわからない。フラットランドの住人同士がお互いにどう見えるのかと言うと、それはただの線だから近寄っただけでは誰が誰だか分からないからだ。

 

 だからフラットランドの住人同士が相手のことを知るには、相手に触れてその形を確かめねばならない。三角氏は四角氏の体に触れながらぐるりと彼の周りを一周し、そこに4つの角があることを知って『これは四角氏だな』とわかる。四角氏も同じように三角氏の体に触れて『これは三角氏だ』と判断し、二人はようやくお互いが友達同士だということを認識する。非常に迂遠だが、フラットランドではこのようなコミュニケーションが普通なのだ。

 

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 そんなフラットランドに、ある日、三次元の世界から球体氏が遊びに来た。

 

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 球体氏は、縦と横しかないフラットランドを『上下に』通過しようとする。たまたまそれを目の前で見てしまった三角氏には、彼のことがどう見えるだろうか。

 

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 球体氏がフラットランドに触れた瞬間、三角氏にはどこからともなく点が現れたように見えるだろう。球体氏の体が更にフラットランドを通過していくと、最初は点に見えていた彼の体は、徐々に大きな円に変わっていき、その円は球体氏がフラットランドを通り過ぎる丁度中間点で最大になり、続いて徐々に小さくなり、最後は点になって消えてしまうだろう。

 

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 このように、二次元の住人には、三次元の住人が、大きさが変わったり、出たり消えたりする不思議な物体に見えるはずなのだ。

 

 ともあれ、三角氏は三次元の住人の出現に驚いて、『お前は誰だ?』と問いかけた。すると球体氏は『自分は球体だ』と言う。三角氏は球体というものが理解できずに、『円か?』と尋ねる。球体氏は『円は自分の一部である』と答える。

 

 ちんぷんかんぷんの三角氏に球体氏は言う。『自分はこの世界に全てを晒すことが出来ない、だから自分の体の一部分しか見えないのだ』と。それでも納得がいかない三角氏が、『おまえはどこから来たのか?』と問いかけると、球体氏は『上の方から来た』と答える。しかし、三角氏には『上』という方角が分からない。

 

 『上というのは縦と横、どっちだ?』三角氏にしてみれば不思議なことかも知れないが、そう問われても球体氏にとって上は上でしかない。『上は上だ』『それじゃわからない。右と左どっちだ?』『右でも左でもない』『北か、東か?』

 

 そんな具合に噛み合わない会話を続けた後、ついに焦れったくなった球体氏は癇癪を起こす。『上ってのはこっちの方だよ』球体氏は三角氏の体を引っ張って、フラットランドの外へと飛び出してしまった。

 

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 三角氏はフラットランドから飛び出すことによって、初めて球体氏がどんな形をしているのかが分かった。

 

『君はそんな形をしていたのか』

 

 そして彼は三次元の方向から、今まで暮らしていたフラットランドを俯瞰することが出来た。そこには友達の四角氏や、家族や仲間たちが大勢暮らしているが、彼がいつも見ている光景とは明らかに違った。

 

『人間の体の中身が見える』

 

 いつもはただの線しか見えないのに、今はその線にくくられた体の中身が丸見えだ。三角氏は、三次元に飛び出すことによって、自分の体の中も丸見えになっていることに気づいて落ち着かなくなった。

 

『君からは何もかも見えていたのか』

 

 やがて、フラットランドに戻ってきた三角氏は球体氏と別れて家に帰り、エキサイティングだった三次元の旅を思い返す。この世界は二次元に閉じているのではなく、その外側には三次元の世界が広がっているのだ。彼は家族や親しい友だちにそのことを教えたくなった。しかし、彼がいくら説明しても、誰も彼の言葉を信じてくれない。

 

『お前は三次元が存在するというが、それならその三次元の方角とはどっちだ』

『それは上だ、上なんだ!』

 

 ……これは19世紀の詩人アボットによる『フラットランド』という小説のあらすじなのだが、我々には理解し難い高次元というものを説明するのにうってつけだから、よく引き合いに出されている。

 

 我々、3次元空間の住人が4次元空間というものを想像する時は、この気の毒な三角氏と同じように考えればいい。我々も三角氏同様、人間の外っ面しか見えていない。もし、4次元存在が我々の前に現れたとしたら、球体氏が可変する円に見えたように、時間によってウネウネと形を変える、ヘンテコなオブジェクトとして現れるだろう。それが全体的にどういう形をしているかは、3次元空間に囚われている我々には認識することは出来ない。

 

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 ところが4次元にぴょんと飛び出せば、それがどんな形をしているかが理解できるようになる。そして我々は、今まで自分が暮らしていた3次元の世界を見てびっくりする。『人間の中身が見えるぞ』と。それは内臓の詰まった人体標本のようなものが見えるのではなく、人体を構成する全ての分子がひと目で分かるような、そういう状態だろう。我々を構成する全ての分子一つ一つが、ミクロの部分で4次元と繋がっているのだ。

 

 しかし、こうして四次元のことを直感的に理解出来た我々も、またいつもの三次元に空間に戻ってきた瞬間にそのことがわからなくなってしまう。四次元の方角ってのはどっちだ? それはあたかも三角氏が『上だよ上!』と言ったように、四次元の方だとしか言いようがない……我々はついさっき四次元があることを理解したはずなのに、それを口で説明することが出来ないのだ。

 

 さて……長々と説明してきたが、どうして突然、四次元空間なんてものについて話し始めたのかと言えば、つい最近、余剰次元を扱っているアニメを見たからだ。なんてタイトルかは割愛するが……ある日、お兄様が高次元の方からやってくるウイルスだかなんだかに攻撃される、そんな内容だ。

 

 お兄様とその仲間たちは天性の直感でその攻撃を交わすのだけど、敵がどこから攻撃してくるのかまでは分からない。このままじゃジリ貧だ。次第に焦りが募ってくる。と、その時、仲間の眼鏡が『あっちです!』と言いだす。すると、眼鏡が指差した方に、どこかのスキマ妖怪が作り出したような穴が開いていて、そこから怪電波みたいなのがドバーッと飛び出してくるのである。

 

 この、スキマを通ってやってくる怪電波が高次元からの攻撃というわけだが、フラットランドの話を聞いた今、これはおかしいことが分かるだろうか。

 

 3次元に飛び出した三角氏に、フラットランドの住人の中身が見えたように、3次元空間を俯瞰して見ている余剰次元の住人からは、我々3次元生物の中身が見えるのだ。だったらスキマなんか通さずに、直接体の中を狙ったほうが効率が良いだろう。

 

 フラットランドに戻って考えてみよう。こう一方的な状況下で、あなたが球体氏だったら、三角氏のことをどうやって攻撃するだろうか。例えば、虫眼鏡を持ってきてフラットランドの三角氏の頭の中目掛けて太陽光線を集めてみたらどうだろう。きっと三角氏は自分が誰に攻撃されたのかも、どうやって攻撃されたかも気づかずに絶命するはずだ。高次元からの攻撃とはこういう理不尽なものなのだ。

 

 そんなわけで、余剰次元から攻撃されたら、この世界に空間のスキマが開くというのは間違った表現である。とは言え、私はスキマが悪いと言いたいわけではない。見えない力を口で説明されるよりも、映像として何かそれっぽいものを見せた方が説得力があるのだから、演出上こうするより仕方なかったのだろう。もしも私が監督でも、悩んだ末にやはり同じような手法を選ぶはずだ。だから私はスキマを批判するつもりはサラサラ無い。

 

 じゃあ、何がいいたいのかと言えば、この物語の主人公たちは……鳳やジャンヌたちは、こういう理不尽な力を、日常的に受けているということである。

 

 そして、もしも我々が住む四次元宇宙の外側に『神』が在るのだとしたら、いかにその力が一方的で絶大であるか……そのことを、ほんの少しでも分かっていただければ、幸いである。

 


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