ラストスタリオン   作:水月一人

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ヘルメスの後継者たち

 帝国南西ヘルメス領。樫の大木がそびえ立つ丘から見下ろせば、かつてヴェルサイユと呼ばれた華美な宮殿は既に無く、代わりにそこには新たな仮設庁舎が建てられていた。こじんまりとしたそれは、いつか新たな庁舎が建てられるまでの繋ぎであり、差し当たって数十名の文官たちが詰めるためのものでしかなかった。ヘルメス戦争によって瓦礫の山にされた居城の再建がこうして始まったのである。

 

 同じく、戦争によって無残に壊されてしまった城下町の復興も始まり、それは丘を越えた反対側にあるフェニックスの街を拡張する、という形で行われていた。それまでの城下町は、ヘルメス卿の居城を起点として放射状に伸びていたのだが、その伝統を捨て、フェニックスの街を城下町にしたのである。

 

 元々、フェニックスの方が街の規模として大きかったことと、先の戦争のように、城下町を城壁として利用しては、復興に膨大な金と時間が掛かりすぎるという反省からだった。考えてもみれば守るべき人民を盾にしているようでは、攻められた時点で負けに等しい。現に、壮麗華美を極めたヴェルサイユ宮殿はなく、バラック小屋が立ち並ぶフェニックスの街の方がこうして残っているのだから、城の防衛思想自体が間違いだったと言わざるを得ないだろう。

 

 新ヘルメス体勢ではその反省を踏まえて、平時は今までの場所に作った官庁街で政治を行うが、戦時はここからほど近い要害の地に城を建てて防衛に当たる、という方法を取ることにした。

 

 これでは敵に安々とフェニックスの街を奪われてしまうことになるが、代わりに本陣である要害城を落とさない限りは、いつでも奪還の可能性があり、敵は街への駐留を余儀なくされるというわけである。壊されるくらいならいっそ渡してしまえという発想だが、これが案外理にかなっているのは日本の城を見ていれば分かるだろう。日本には城壁に囲まれた街や村は殆ど存在しないのだ。

 

 要害城の候補地の選定にあたっては、新しくヘルメス軍の総司令官に就任したヴァルトシュタインが行うことになった。思い返せば、かつてのヴェルサイユを陥落させた帝国の将軍こそが、このヴァルトシュタインであったのだから、なんとも皮肉な話であるが、そのヘルメスを相手に勝利したヴェルサイユ攻防戦、勇者領でのボヘミア砦防衛戦や、結果的に魔王討伐戦となった河川敷での戦いを経て、今やこの世界でも押しも押されぬ名将と知れた彼であるから、誰からも文句は上がらなかった。寧ろ、引く手あまたであったこの男を引き抜いて来た新ヘルメス卿の手腕こそ湛えるべきものだと、称賛されているほどである。

 

 さて、その新ヘルメス卿こと勇者・鳳白であるが……

 

 仮設庁舎のすぐ前から、勇者領まで続く街道が、樫の木の丘を縫うように伸びていた。そんな街道を通って、数頭の騎馬軍団がフェニックスの街へ向けて颯爽と進んでいた。先頭にはヴァルトシュタインの副官として名を上げたテリーが旗手を務め、そんな彼に付き従うように数頭の騎馬が左右に展開し後を追いかけている。そんな騎馬たちに囲まれる位置にヴァルトシュタインの跨る白馬が続き、そしてその白馬の隣に、どことなくのんきな雰囲気を醸し出しつつも、ガッシリとした馬体の馬に乗った鳳がいた。

 

 風は凪ぎ、複数の騎馬の蹄の音だけが辺りに響く。

 

 フェニックスの街の人々は、街道からそんな騎馬軍団がやって来ることに気がつくと、すぐにたった今までやっていた仕事を中断して往来へと駆けつけた。そんな慌ただしい雰囲気に釣られて、物見遊山の人々があちこちから集まってきて、いつの間にか往来は人でごった返した。

 

 やがて人々が押し合いへし合いする中、騎馬軍団が街のゲートに辿り着くと、どこからともなく歓声が上がり、街は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。揉みくちゃにされながら、若い女が鳳の名前を叫んで手を振った。新ヘルメス卿の人気は、今やうなぎ登りだったのである。

 

 間もなく、騒ぎを聞きつけた憲兵隊が街のあちこちから駆けつけて、ヘルメス卿をひと目見ようと往来に飛び出す人々の取り締まりに当たった。憲兵隊たちの道を開けろという怒号が辺りを飛び交う。鳳たちはそんな人々でごった返す中に降り立つと、さして気にもとめた風もなく、悠々と歩き始めた。このところ、街へ来る度に同じことが起こるから、もう慣れっこになっていたのだ。

 

 鳳は表情一つ変えること無く、ただまっすぐに前を見て歩いていた。一生懸命手を振っている町の人に、軽く手を振り返すくらいすればいいのに、彼はむっつりとした表情を崩すこと無く、人々の歓声を無視して突き進んでいく。

 

 普通なら、『なんだあの野郎、スカしやがって』と腹を立てそうなところだが、そんな彼の釣れない態度も、若い女たちからするとクールに見えるらしいから、人間心理とは不思議なものである。勢いに乗っている時は何をしても好意的に取られるということだろうか。

 

 と、その時、往来から一人の女性が彼の前に飛び出してきた。金髪碧眼に抜群のプロポーションをした神人……ジャンヌである。彼女は鳳の前におずおずと飛び出すと、眉根を八の字に曲げて、どこか懇願するような表情で一言二言告げた。その言葉は小さすぎて、きっと鳳にしか聞き取れなかっただろう。

 

 しかし、鳳はそんな彼女のことがまるで見えていないかのように涼しい顔でその横を通り過ぎると、また何事も無かったようにむっつりとした表情で往来をまっすぐに歩いていった。その態度があまりにも素っ気なさ過ぎて、思わず町の人達は、二人が今まで会ったこともない、他人同士であると錯覚しそうなくらいだった。

 

 だが、ジャンヌは鳳と同じく勇者としての実績がある冒険者であり、街の人々も彼女が鳳のパーティーの一員として、先の魔王討伐戦に参加していたことを知っていた。ギスギスとした雰囲気が、一瞬、辺りを支配する。そんな時、

 

「この人でなしのバカ領主ー!」

 

 去りゆく鳳の背中に、そんな声が浴びせられ、それを見ていた見物人たちの肝を冷やした。一体、どこの命知らずだと振り返れば、人垣の中でひときわ目立つ格好をしたウェイトレス姿の少女が、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら鳳に向かって罵声を浴びせている。これまた勇者パーティーの一員、ルーシーである。彼女はジャンヌのことを無視して去っていった鳳のことを糾弾しているのである。

 

 だが、鳳はそんな彼女の声すらも聞こえないと言った感じで、一切後ろを振り返ること無く、そのまま街の中へと消えていった。怒ったルーシーがその背中を追いかけようとすると、すかさずヴァルトシュタインの部下たちが駆け寄ってきて彼女の進路を妨害する。

 

 ルーシーは兵士たちをも押しのけて鳳に迫ろうとしたが、そんな彼女のことを背後から伸びる小さな手が制した。

 

「おい、もう止めろよ」

「止めないでよ、ギヨーム君! 今日こそは一言言ってやらなきゃ気がすまないよっ」

 

 ルーシーはそう言い捨てて更に追いかけようとするが、ギヨームはそんな彼女の腕を今度は強引に引っ張って人垣へと引き戻した。その姿を見て、事態の収集を図ろうと近づいてきていた兵士が申し訳無さそうに頭を下げてから、元の隊列へと戻っていく。

 

 彼女はそんな背中をプンプン怒りながら見送りつつ、

 

「どうして邪魔するのよ?」

「どうもこうもねえだろ」

「鳳くんのジャンヌさんを無視するあの態度、許せないと思わないの?」

 

 ギヨームはその言葉を聞いて、ため息交じりに、

 

「男女のことは仕方ないだろうが。男と女が別れてまで、いつまでもグズグズ一緒に居るほうが、よほど健全じゃないだろうよ」

「そうかな? だからって話すらしないなんて、行き過ぎじゃない」

 

 ギヨームは、彼もそう思っていたが口には出さずに、

 

「……それは人によるんじゃねえの。あいつはそういうのが上手く出来ないタイプだったんだろう。それにしても……ジャンヌのやつも、どうして先走るような真似をしちまったんだろうか。鳳がそんなこと望んでないのは分かっていただろうに……」

 

 するとルーシーはまるで恋する乙女のようにしたり顔で、

 

「分かっていても我慢できないのが恋なのよ」

「……あほらし。それでパーティーがバラバラになってちゃしょうがねえだろうが」

「ふんっ……」

 

 ギヨームが血も涙もない言葉で切って捨てると、ルーシーは唇を尖らせて不満げにぷいと横を向いてしまった。彼はそんな彼女を宥める言葉を持っておらず、またそのつもりもサラサラ無く、黙っていつもみたいに肩を竦めてみせた。

 

 視界の片隅には相変わらず鳳に振られてしょぼくれているジャンヌの姿が映っていて、そんな彼女のことを遠巻きに見ている見物人の目が、自分に向けられているわけでもないのに痛かった。

 

 ギヨームは色恋沙汰のせいでパーティーがバラバラになったと言ったが……もし、彼女が鳳に女性として見て欲しいなんて言い出さなければ、今頃自分たちのパーティーは何をやっていただろうか。どっちにしろ、パーティー解散は避けられなかったのではなかろうか。

 

 曲がりなりにも魔王が倒され、戦争も終結して平和が訪れた。相変わらず大森林には魔族がうろついているようではあるが、人間の世界はもはや自分たちのような荒くれ者の冒険者が出るような幕はない、政治家たちによる第二ラウンドが始まっているのだ。その政治の世界で、ギヨームは自分が何の役にも立たないことを重々承知していた。

 

 鳳がヘルメス卿として辣腕を振るう中で、自分たちは間違いなく足手まといにしかならなかっただろう。だからジャンヌのことがあってもなくても、遅かれ早かれ、彼がパーティー解散を言い出すのも時間の問題だったんじゃないか。

 

 彼はそれを悔しいと思うと同時に、自分がまるで戦乱を望んでいるかのように思えて情けなくなった。これじゃ世が乱れていた方が、自分も活躍できるのにと言ってるようなものではないか。

 

「いや……案外もう、戦闘でも役に立てるかどうか」

 

 ギヨームは誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いた。それは風に乗って、たまたまルーシーの耳に届いたが、彼女はその呟きをはっきり聞き取っていながらも、何も言わず、黙って往来を突き進むヘルメス卿の列をじっと睨みつけていた。

 

***********************************

 

 アイザック11世が死亡してから2ヶ月が経過していた。その間、戦乱の続いたヘルメス国は首都をフェニックスに移し、勇者・鳳による執権政治が行われていた。本来、勇者とは言え血縁でもない彼に大国の実権を委ねるのはあり得ない事であり、特につい最近まで敵として相対していた他の五大国は警戒感を露わにしていたが、戦争終結ムードが一転して領主の死という不幸を突きつけられ、動揺しきっていたヘルメス領内を落ち着かせるためには致し方ない措置だった。

 

 それに執権という言葉通り、彼は厳密にはヘルメスの国主に就任したわけではなく、あくまで暫定的な措置であった。現在、ヘルメスは厳密には国主が不在で、二人の候補者がその後継を巡り争っている最中であり、それが決まるまでの一時しのぎというわけである。

 

 その後継者の一人は、ロバート・アイザック・ニュートン12世。

 

 死亡した11世の叔父で、ヘルメス戦争中に帝国により任命された正式なヘルメス領第十二代当主であった。しかし周知の通り、彼は就任後に勇者領侵攻を試みて失敗、11世により侯爵位を再度奪い返されたという経緯があった。そのため特に勇者領から警戒されており、もしも彼が後継者になるならばヘルメスとの国交断絶も辞さないと、連邦議会から牽制されている。

 

 しかし、勇者領へ触手を伸ばしたという過去があっても、彼自身は実は野心家というわけではなく、単にお調子者でヘルメス内の左派に担がれているというのが現実だった。

 

 因みに、勇者派の総本山であるヘルメスにおいて、左派とは帝国守旧派のことである。だが神人が多いというわけではなく、どちらかと言えば神人の力を利用して人間を支配しようと考えている人間がその主体だった。

 

 ヘルメスは勇者派であるが帝国の一部でもあるから、元々の体制は帝国と同じく農奴制を採用しており、国内の貴族が自分たちの荘園を統治し、税金を収めるというやり方をしていた。しかしそれと同時に共和制を敷く勇者領の影響も強く、農民に自立心が強いという傾向もあった。そのため、戦争が起きるや否や難民が大量発生したわけで、貴族からしてみれば自分たちの財産である農民たちにそんなことはして欲しくないという思惑があった。

 

 そんなわけで、ヘルメスの帝国への帰属は寧ろウェルカムというのがこのロバート派であり、彼らは親帝国の色を隠そうともしておらず、また勇者領侵略の失敗を誤魔化す意味もあって、勇者領を遠ざけ五大国との結びつきを強くしようとするきらいがあった。

 

 アイザック11世の置き土産として、ヘルメスと五大国が国交正常化した暁には、彼は真っ先にカイン卿への接近を図り、今回の爵位継承戦では大国の力を背景に領内の有力貴族の票をまとめており、現状ではライバルに一歩差をつけている。

 

 ただし、元々勇者派が多数を占める領内で、あまりにカイン卿に加担する姿勢を逆に危険視する向きもあり、今ひとつ決め手は欠いていた。

 

 その対抗馬である、もうひとりの後継者候補は、クレア・プリムローズ。

 

 数代前のヘルメス卿が側室に産ませた家の出身で、女系であるためこれまで継承権がなかった。

 

 しかし代々美男美女に恵まれ、優秀な政治家を排出するため、思ったよりも知名度が高く、特に庶民からはロバートよりもこちらを押す声が多かった。残念ながら嫡出子に恵まれず、今代も女性当主なために、男子相続を重んじる保守派からも期待されておらず、肝心の貴族の支持基盤が弱いという弱点があった。

 

 そんなクレアは起死回生の秘策として勇者・鳳との結婚を画策しているようだが、今のところまるで相手にされていない。思想的にはリベラルで、勇者領と帝国の融和を目指しているが、経済的な繋がりのためにやや勇者領寄りである。

 

 以上、鳳は領内の反応を見ながらどちらかに権力を譲るつもりでいた。しかし、問題点の多い二人よりも、領民の期待はいつしか勇者に傾いていた。領内に未だ戦争の爪痕が残る状況下で、領民を顧みずに権力争いを演じる二人よりも、他国からの支援を取り付けつつ堅実な領内経営を行う鳳のほうが、よほど領主に向いていると思われていたのだ。

 

 季節は冬の真っ只中。世界は平和になっても、未だ勇者を中心に回っているようだった。

 


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