ラストスタリオン   作:水月一人

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ホザンナ

 戦争によって完膚無きまでに荒廃しきっていたヘルメス領も、勇者・鳳を暫定統治者として迎え、ヴァルトシュタインと千利休という人材を得て、ついに落ち着きを取り戻し始めた。こうなれば、元々他国よりも勇者領との結びつきが強い、ヘルメスの景気が上向きになるのも時間の問題であった。

 

 ヘルメス卿に就任した鳳はまず手始めに、首都であるフェニックスの街の再開発を行っていたのであるが、領内景気の上昇を受けて、いつの間にか勇者領からの投機マネーが入ってくるようになっていた。区画整理をして商業の誘致が始まると、これから帝国で商売したい勇者領の商人たちがこぞって進出して土地を奪い合い、そして建設ラッシュが始まった。もう暫くすれば、領内は勇者領からの投資で潤い出すことだろう。

 

 とは言え、戦争から回復しはじめたばかりの領内に、勇者領からの安い商品が大量に入ってきてしまっては、ようやく自立しだした農民たちが太刀打ちできない。いくら国内が潤っても、領民のやる気を削ぐような形にしては元も子もないので、鳳はインフレ抑制のために関税を掛け、市場を監視して回っていたのだが……

 

 捨てる神あれば拾う神ありとでも言うべきだろうか、好景気に潤う商人の影で、バブル景気からふるい落とされた弱者もまた、巷に溢れていたのである。

 

 と言っても、鳳は最初、すぐにはそれが分からなかった。彼にしてみれば見慣れた光景だったから、意識に登らなかったというのが正しいだろう。ある日、彼が街を視察していると、新たに商売を始めた商店主が、みすぼらしい身なりの子どもを追いかけていたのだ。

 

 恐らく万引きでもしたのだろう。気まぐれに助けてやろうとした彼は、しかしそこで、ふと気がついた。よく見れば、追いかけられている子供の他にも、広場にはボロを纏った子供が大勢いたのである。

 

 もしやと思い、慌てて庁舎に戻った彼は、アリスに命じて街の様子を調べてこさせた。いかにも使用人といった風体の彼女に、街の人々は明け透けに答えてくれた。街の開発が進み、景気が良くなってくるにつれて、フェニックスの街に浮浪児たちが集まってきていたのだ。

 

 ありがちな話だが、浮浪者は田舎には住んでいない。田舎にいても食い物にありつけないので、みんな都会に出てくるからだ。案の定、子供たちの出自を調査してみたら、それはヘルメスのあちこちから集まっていた孤児だった。

 

 改革で領内は徐々に景気がよくなっていたが、それは都市部だけで、やはり人の少ない田舎はまだまだ厳しかった。飢饉が続けば弱者から切り捨てられていくのは世の常で、景気回復の恩恵に預かれていない田舎では口減らし行われているようだった。季節はもうすっかり冬で、夏場にろくな冬支度も出来なかった彼らは、そうするより他なかったのだろう。

 

 幸いにも、鳳が貴族たちに義務付けた楽市楽座がセーフティネットとなり、口減らしにあった子供たちはまず市場に集まっていた。しかし田舎は物資にも限界があるので、彼らは風のうわさを頼りに、どんどん都会に向かったようである。

 

 だが、都会に出てきたからといってそれだけで子供たちが助かるわけもなく、彼らはまたこの街で食料を求めて、過当競争を繰り広げていた。領内に溢れている孤児はこれが全てではなく、時間が経てば更に各地から集ってくるのは間違いないだろう。

 

 これらの孤児が都会で逞しく育ってくれるならまだ良いのだが、そもそも口減らしに遭うような子供というのは、家に居ても何の仕事も出来ないような子供ということである。嬰児ならば殺されていたが、そうでないから捨てられた。

 

 体力のある子は他の子から奪ってでも生き残るだろうが、現代で言えばまだ就学前の子供たちが、このまま生きていけるわけがない。今はまだ勇者領からきた裕福な商人たちが施してくれているお陰でなんとかなってるようだが、このまま孤児が増え続ければ、いずれ誰も気にしなくなるだろう。

 

 繰り返すがフェニックスはヘルメスの玄関口なので、その街が浮浪児の死体で溢れかえったりしたら目も当てられない。だから早急に対策が必要なのだが……すぐには何も思いつかなかった。

 

 利休に言わせれば、戦乱の世の中で子供たちが犠牲になるのもまた自然の摂理だった。でなければ鎌倉仏教なんかが広まるわけもないので、その辺は割りとドライのようである。貴族たちに孤児の保護を強く求めることも出来るだろうが、ただ上から目線で命じるだけでは無駄な恨みを買いかねない。鳳はそのうち権力を譲渡するつもりなのだから、やりっ放しで投げ出すわけにもいかないだろう。

 

 どこかに唸るくらい金を持っている篤志家がいれば話は早いが、多分、レオナルドもこんなことには興味を持っていないだろう。ルーシーは元々娼婦の娘で、そういった子供たちのネットワークを持っているようだから、彼女に相談するのは悪くないが……ジャンヌのことをグチグチ言われそうで、あまり気が乗らなかった。

 

 いや、そもそも、犠牲になっているのは子供たちだけではない。普通ににっちもさっちも行かなくなって、首をくくっている大人だってごまんと居るだろう。病気で寝たきりの老人たちだって口減らしの対象だ。彼らも保護してやらねば、不公平というものだろう……

 

 そう考えた時、鳳はふと思い出した。

 

「そう言えば……」

 

 以前、そういう老人たちを世話している人物に会ったことがある。ボヘミアの南部は勇者領の姥捨山になっていて、終末医療に見放された老人たちが、ホスピス代わりに診療所でアヘンを吸いながら死んでいく村があったはずだ。

 

 確かそこに住む翼人の名前を取って、カナンの村と言ったはずだ。あそこには旅の道連れで仲良くなったポポル爺さんが眠っている。これも何かの縁だし、墓参りがてら彼に相談しにいくのも悪くないかも知れない。

 

 鳳はそう考えるや、善は急げと勇者領へと向かうことにした。

 

*********************************

 

 鳳のタウンポータルの魔法は、タウンという冠詞がついているだけあって、人の集落と認定されている場所でなければ繋がらない。例えば、P99の置かれていた迷宮は街ではないから飛べないが、たとえそれが大森林のど真ん中であっても、ガルガンチュアの村は集落だから自由に飛べた。

 

 それ式に言えばカナンの村も同じだから、もっと頻繁に遊びに行っててもよかったはずだが、鳳は今回試すことで初めていけることに気づいたくらいだった。帝国、フェニックス、ヴィンチ村、ニューアムステルダム、大森林……今まで色んな街に飛んだが、どうしてカナンの村に一度も寄ろうとしなかったのだろうか。ポポル爺さんのことを忘れたわけでもないのに、不思議だなと思いつつ、彼はポータルを潜って村へと出た。

 

 久しぶりに訪れた村は、まるで別の村に来てしまったと錯覚してしまうくらい様変わりしていた。あの時、一面に咲き誇っていた白いお花畑はどこにも見当たらず、村は茶色い地面と草木で覆われていた。

 

 もちろん、ケシを育てなくなったわけではなく、要するにシーズンオフだからこうなっているわけだが、普通なら冬のほうが雪化粧で白くなりそうなものなのに、逆に青々とした草原が広がっているのだからなんとも皮肉な話である。

 

 村は相変わらずしんと静まり返っており、たまに家畜の鳴き声が聞こえてくるくらいで、人の気配はほとんどしなかった。爺さんの葬式には大勢の人が駆けつけたのだから、全く人が居ないわけではないのだろうが、外を出歩けるほど元気な人が居ないということだろうか。なにしろここは終末医療の村なのだ。

 

 しかしそれなら、食料のための畑の管理は誰がやっているのだろうか……? カナンの人徳で、近隣の村から集まってくるのかなと思いつつ、鳳は村を横切って丘の上の診療所へと向かった。

 

 畑とは違い、カナンの診療所は以前に来た時のままだった。建物に近づくと、プンと阿片の匂いが漂ってきて、それだけで酔ってしまいそうだった。トントンと扉をノックすると、暫くして中から看護師らしき女性が出てきて、また以前のように鳳の顔をじろりと一瞥してから、

 

「先生! お客さんです」

 

 と言って、返事も聞かずにさっさと部屋の奥へと引っ込んでしまった。

 

 診療所の中は相変わらず阿片窟になっているらしくて、モクモクと煙が充満していてなんとも言えない空気を醸し出していた。その匂いというか、覚醒物質がじわーっと脳内に浸透して来るような感覚は、なんとも久しぶりだった。

 

 実は鳳はヘルメス卿に就任して以来、一度も薬物に手を出していなかった。それは暫定とは言え国のトップになったから……というわけではなく、単に魔王討伐の際にMP回復のために、廃人になりかけるくらい無理矢理クスリをキメていたせいで嫌になってしまったのだ。

 

 クスリに手を出すのはそりゃ気持ちいいからで、義務感でキメても何も面白くはない。それに鳳のMPは今や人類最大を誇り、そのせいか耐性がついてしまって、ちょっとやそっとでは効かなくなっていた。それでも無理矢理キメようとすれば、副作用ばかりが目立って仕方がないから、魔王討伐の後、また死んで体がリセットされたのを機に、クスリを断っていたのである。

 

 思えばここでポポル爺さんと阿片を回し飲みしていた頃が一番楽しかった……あの頃は何の力も持ち合わせちゃいなかったが、お陰でずっと気楽だった。今は責任に振り回され、振り上げた拳の行き先にばかり気を使っている……

 

 などと感慨にふけっていると、奥の方からカナンが現れた。

 

「おや……あなたとは以前、お会いしましたね。確か……」

 

 久しぶりに会ったカナンはやはり天使のようだった。天使のように可愛らしいとか美しいとかそういうわけではなくて、とにかくその背中に生えている翼が、西洋絵画に出てくるような天使を思わせるのだ。だが、彼に言わせれば自分たちはそんな大層なものではないらしく、新大陸には翼人が結構いるそうだ。

 

 マニやルーシーみたいに、獣人との混血が存在するわけだから、彼らもそういった独自の進化を遂げたのだろうか。人間と何をかけ合わせたらこんな風になるのかなと思いつつ、鳳はぺこりとお辞儀すると、

 

「こないだはどうも。俺はポポル爺さんと一緒に来た者ですけど……」

「ああ! そうでしたそうでした。その節はどうも。今日はどうしましたか? またあの時みたいに、阿片を分けて欲しくてきたんでしょうか?」

 

 カナンは人の顔を見るなりそういった。そりゃ、以前の自分の姿を思い返せば、そう言われても仕方ないのであるが……そんなに物欲しそうな顔をしていたのだろうか。鳳は苦笑いしながら、

 

「いえ、今日はそうではなくて……えーっと、ポポル爺さんの墓参りに」

 

 ついでに村のことを聞こうと思っていたのだが、いきなりそんなこと言われても困るだろうと、鳳はまずは遠回しに爺さんのことを言ってみた。カナンはその言葉を聞くと嬉しそうにうんうんと頷いて、

 

「それは殊勝な心がけですね。きっとポポルも喜んでいるでしょう。案内して差し上げますから、少々お待ち下さい」

 

 彼は上機嫌でそう言うと、診療所の奥に向かって少し声を張り上げて、

 

「アスタルテ! お客さんをお墓に連れていきますから、少しここをお任せします!」

 

 カナンがそう言うと、暫くしてから奥の部屋からすっと看護師の女性が現れて、無表情に頷いてまたさっさと引っ込んだ。看護師というのは、病人と接する機会が多いせいか、みんな柔和で優しそうなイメージがあるが、彼女はそういった愛想とは一切無縁のようである。珍しいタイプだなと思いつつ、鳳はカナンに連れられて村の墓地へと向かった。

 

 墓地は高台にある診療所からすぐの崖下にあって、葬式の時に一度来ていたから、案内されなくても普通に辿り着けた。ただ、ここでは毎日のように誰かが死んでいくから、墓石の数は下手な霊園よりもありそうだった。だからなんとなくやってきても、爺さんの墓には一生たどり着けなかっただろう。

 

 鳳はカナンに案内されてポポルじいさんの墓石の前に立つと、既視感のようなものを感じた。墓には特に名前が刻まれていたりはしなかったのだが、とにかくその石の形状や墓の位置から、確かに最近ここに爺さんを埋めたなということを、心の奥底で覚えていたようだった。

 

 あの時、爺さんは火葬もされずに棺桶に入れられたまま葬られていたから、きっと今でもこの墓の下には、彼の死体が眠っていることだろう。もちろん、体組織はとっくに分解されて骨だけになっているのだろうが、それでも火葬とは違い魂はそのまま眠っているような気分になるから、なんとも不思議な感じがした。

 

 しかし、ここにある墓の全てが土葬だとすると、疫病とか大丈夫なのだろうか……などとどうでも良いことを考えつつ、鳳は墓の前で目を閉じて手を合わせた。

 

 彼は別にどんな宗教も信仰してはなかったし、ポポル爺さんもそうだったろうが、ぼんやりと墓を眺めて突っ立っているよりは、こういう場所では信じてもいない神様に祈っていた方が無難であろう。

 

 鳳は目を閉じると、聞く人が聞けば五回くらい聖戦を起こし兼ねない、実にいい加減な神の祈りを捧げた。

 

 一方、その背後ではカナンが両手のひらをクロスさせて、いかにも天使みたいな素振りで祈りを捧げていた。それがあまりにもハマっていたものだから、とても同じ人間とは思えなかった。

 

「聖なるかな聖なるかな聖なるかな……万軍の神よ、主よ、天と地はあなたの栄光に満ちています。ボザンナ。いと高き所にボザンナ」

 

 その祈りの言葉は手慣れていて、本当に彼は天使のようだった。さっきから天使天使と、語彙が貧困で呆れてしまうが、他に形容のしようがないくらい、やはり翼人のその姿は西洋美術の世界の天使にそっくりだったのである。

 

 鳳は祈りの言葉を背後に聞き、感嘆の息を漏らしながら、そう言えば爺さんの葬式のときにも、カナンはこうして祈りの言葉を捧げていたなと思い出していた。あの時は爺さんが死んでしまったショックで何とも思わなかったが、もしかするとカナンは医者であるまえに聖職者なのかも知れない……と考えた時、彼はふと違和感を覚えた。

 

「神よ、この者をお許しください。慈悲深き主よ、彼らに安息をお与えください。アーメン」

 

 そう言えば、あの時も今も、彼は神に祈りを捧げていたが……彼の言う主とは一体誰のことなんだろう?

 

 鳳がそんな疑問を持った瞬間だった。その答えは明確にカナンのその口から告げられた。

 

「主イエス・キリストよ、栄光の王よ。全ての死者の魂を、地獄の罪と深淵よりお救いください。かつてあなたが、アブラハムとその子孫に約束したように」

 

 鳳は飲み込もうとしていた唾液が気管に入り込んで、思わずむせ返った。

 

「なっ!? え!? ちょっ……げほげほごほごほ!!」

「大丈夫ですか?」

 

 祈りの言葉を呟いていたカナンは、突然咳き込んだ鳳の背中を擦りながら言った。鳳は大丈夫と手を振って返し、息が落ち着くのを待ってから、

 

「カナン先生……あなた、もしかしてキリスト教徒だったの?」

 

 するとカナンは目をパチクリさせながら、

 

「ええ、そうですけど。それが何か?」

 

 まるで当然のように彼はそう返すのだった。

 


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