ラストスタリオン   作:水月一人

196 / 384
ギヨームの懸念

 軽やかなピアノの伴奏と共に子供たちのソプラノボイスが風にのって流れてきた。

 

 うっとりするような歌声に、道行く人々は目を閉じて聞き惚れていたが、ギヨームは逆に顔をしかめた。何故ならその内容がいわゆるキリスト教の賛美歌だったからだ。初めて聞いたときにも何となく似てると思ってはいたが、まさか本当にそうだったとは……この世界に来てから数年間、一度も聞いたこともなかったのに、一体どこから紛れ込んだのだろうか?

 

 いや、そんなのはとっくに見当がついていた。ある日、鳳が連れてきた羽の生えた胡散臭い連中だ。以前、ボヘミアでも見たことがあったが、まるで天使みたいな羽を持つおかしな連中が、キリスト教を広めて回っているのだ。

 

 いくらなんでも、こんな偶然があって良いのだろうか?

 

 相変わらず忙しそうにしている鳳を捕まえることが出来ず、確認は取れていないが、ギヨームはなんだか嫌な予感がして仕方がなかった。最近の鳳はやはりどう考えてもおかしい。それはジャンヌを避けているからだと思っていたが、どうもそれだけじゃないのではないか……

 

 別に、キリスト教にアレルギーがあるわけじゃない。そもそも、アイルランドから海を渡ってきた彼の家族はカトリックだったし、家を出てからも新教の連中と付き合いがあった。彼自身は神を信じていた……とは言い切れないが、別段それを否定するつもりもない。

 

 そう言うことではなく、今までこっちの世界でキリストのキの字も聞いたことがなかったのに、天使みたいな連中が現れたと思ったら、急にそれが広まり始めたという事実がおかしいと言っているのだ。

 

 もちろん、単なる偶然ということもありうるだろうが、あの勘の鋭い鳳が、それに気づいていないのだろうか……?

 

「あ……こんにちは」

「よう」

 

 そんなことを考えながら、いつものようにギルド酒場の扉を開けようとしたら、丁度中から小柄な少女が飛び出してきた。少し赤みがかった焦げ茶色のボブカットに、いわゆるお仕着せと呼ばれるメイド服を着ている、ルナの使用人のアリスである。ギヨームが脇に寄ると、彼女はペコリとお辞儀をしてから去っていった。小走りでいつも忙しそうにしているのは、実際に忙しいからだろう。彼女は現在、鳳の使いっぱしりをやっているようだった。

 

 帝都でアイザックを殺してしまった主人のルナを助けるために、必死になって鳳に縋り付いてきた少女である。あの時は、主人のおまけくらいにしか思っていなかったが……別に嫉妬しているわけではないが、今は自分たちが鳳に避けられ、そんな彼女が重用されて存在感を増しているのだから、人生とは分からないものである。

 

 彼女が酒場から出てきたのは、恐らく冒険者ギルドに用事があったからだろう。鳳は最近ギルドに用事が出来ると、自分で直接来るのではなくアリスを寄越すようになった。これまでは用も無いのにギルドに来ては、よくミーティアとくっちゃべっていたのに、今じゃまるで近寄る気配がない。

 

 まあ、今や伝説の勇者でヘルメス卿の彼が来ようものなら、騒ぎになってしまうだろうから、そうならないよう配慮してるという可能性はある。

 

 だが、漠然とであるが、鳳は彼女のことが好きなんじゃないかと……ジャンヌを振ったのはそのせいなんじゃないかと思っていたのだが、ここ最近避けられて元気を失くしている二人の姿を見ていると、流石にちょっとおかしいんじゃないかと、彼は思うようになってきた。

 

 一応、フェニックスの街にギルドが復活してから、一度も来なかったというわけじゃないらしい。ミーティアが言うには営業時間外に一度だけ、こっそりとやってきたことがあるそうだ。その時はルナの赤ん坊が生まれたばかりでベビーシッターを雇いたいと相談に来たらしいのだが……

 

 小腹がすいたと言う彼に、余っていた料理を出してやったら、どうも異様に空腹だったらしく、ものすごい勢いで平らげてしまった。まだ物足りなそうにしていたので、それならと酒場の材料を使って料理してやると、ものすごい勢いで次から次へと食べるから、気を良くしてどんどん作っていたのだが……気がつけば何時間も、とても一人の人間が食べる量とは思えないほど食べていたから、深夜だし、そろそろ止めたらどうかと諭したら、彼は深刻そうな顔をして帰っていったようである。

 

 後から考えてもその様子はおかしかったが、ともあれ、あんなに喜んで食べてくれるなら作りがいがあると、ミーティアはまた彼がやって来るのを待っていたそうだ。だが、それ以来、鳳は一度もギルドに現れず、代わりに用事がある時はアリスを寄越すようになったらしい。

 

「いらっしゃいませー! って、なーんだ、ギヨーム君か。何しに来たの?」

 

 アリスと入れ替わりに酒場に入ると、ルーシーの愛想のいい声が聞こえてきた。彼女は入ってきたのがギヨームだと分かると、露骨に態度を改めた。愛想は良くても歓迎してるとは思えない言葉に憮然としながら、

 

「ここは客を選ぶような店なのか」

「そんなことないよ。でも、ギヨーム君て、いつ来ても何も注文しないじゃない。お酒飲めないし」

「飲めなくても料理は食べられるだろうが」

「じゃあご注文はなんですか?」

「あー……水?」

 

 ルーシーが冷たい視線を送ってくる。ギヨームはコホンと咳払いをしてから、

 

「ところで、さっき鳳のとこのメイドとすれ違ったぞ。あいつ何しに来たんだ?」

「メイドちゃん? いつもどおり鳳くんのお使いだよ。孤児院で必要なものがあるからって、冒険者ギルドに相談しにきたみたいだね。用があるなら直接来るなり、なんなら呼び出してくれてもいいのにね。ミーさんが可哀想だよ」

 

 ルーシーがぶつくさ言っている。ギヨームも概ね同意見だったが、ジャンヌのこともあるから黙っていた。彼は話題を変えるように、

 

「それにしても孤児院か……あいつ、一体どうしちゃったんだろうな」

「どうって?」

「鳳が冷たいやつだとは言わないが、ああいうことに熱心なタイプでもなかっただろう。俺たちを避けてまで、それがやりたいことだったのか」

「そうだねえ……多分、そんなことないだろうけど」

「それから翼人だっけ? 急に妙なやつらと付き合い始めたり、弱者を救えとか言い出したり……あいつ、やっぱちょっとおかしくなってんじゃないか……?」

 

 ギヨームは、当然ルーシーも同意するだろうと思っていたが、ところがルーシーは少し考えるような素振り見せてから、彼の意見とは反対に、

 

「うーん……確かに鳳くんって、こういうことは敬遠しがちなタイプだけど、領主の仕事って考えると、それほどおかしくないんじゃない?」

「なに?」

「弱者救済って、つまり領民の生活を良くしようってことでしょう? それに、孤児院が出来て、正直私は助かっているから悪口なんて言えないんだよね」

 

 ギヨームは彼女が突然変なことを言い出したことに面食らった。助かっているとはどういう意味かと尋ねてみると、彼女は少し落胆するように表情を曇らせながら、

 

「……実は、ここに帰ってきてから、昔の仲間がよく尋ねてくるようになったんだ。鳳くんのパーティーに居たってことで、出世したねって祝福してくれて、だから最初はみんな、冒険の話を聞きに来たんだと思って、嬉しくって何でも答えてたんだけど……そのうち、タカりに来てるんだなってわかってきたんだよ。ヘルメス卿と友達なんだから、私のことお金持ちだと思ってるみたいなんだよね」

「あ~……」

「昔お世話になった人たちだし、私も立場が逆だったら同じことしてたかも知れないから、それは別にいいんだけど……お金なんかないって言っても中々信じてくれなくてさ、で、そんな時、私に子供を預けてそのままドロンしちゃう人が出てきてね?」

「は、はあ!?」

 

 ギヨームは素っ頓狂な声を上げた。ルーシーは苦笑しながら、

 

「ほら、私って娼婦の娘でしょう。だから、周りに恵まれない子供ってのが多かったんだよね。自分自身も似たようなものだったし。お母さんが仕事してる間は、そんな子供たちが寄り集まって遊んでたんだけど……その、昔の仲間が置いてっちゃったんだよ。そういう感覚っていうか。当たり前みたいに。私に子供を預けた方が幸せだって思ったんだろうね」

 

 そう言う商売をしていると、いくら気をつけていても、出来る時は出来てしまう。現代みたいに避妊技術が進んでいたり、人工中絶のような方法もないから、仕方なく出産するという選択を取る女性も多い。そうして生まれてきた子がその後どう育つかと言えば、蛙の子は蛙じゃないが、やはり似たような人生を送りやすいだろう。

 

 ルーシー自身も、まさにそうして生まれてきたから、彼女らのことを悪くは言えなかった。特に彼女は獣人のクォーターという珍しさから娼婦仲間に可愛がられ、学校まで通わせて貰っていたから尚更だった。

 

「そんで、面倒見てって預けられちゃったんだけど、断れなくってさ…多分、待っててももう引き取りには来ないだろうし、どうしたらいいんだろうって困ってたら、丁度その時、鳳くんが孤児院を作るって言い出してね。助かっちゃんだよ」

「……そうだったのか」

「預けたからってそれで縁が切れたわけじゃないから、それからもちょくちょく孤児院に様子見に行ってるんだけど、神父さんや他の先生達もみんな親切で、特に怪しいとか感じたことはないなあ」

「そうかい。悪かったよ」

 

 ギヨームは、まるで陰口を本人に聞かれてしまったような気分になって肩を竦めた。世話になってるなら、彼女に何を言っても無駄だろうなと思っていると、ルーシーはそんなギヨームの目を覗き込みながら、

 

「ギヨーム君は何がそんなに気に入らないの?」

「気に入らないっつーか……」

 

 彼は胸の内に渦巻くもやもやしたものの正体がいまいち掴めず、少し迷いながらそれを口にした。

 

「もしかすると、放浪者とそうでない者の価値観の違いかも知れない。知ってるか? あいつらが孤児に刷り込んでるのは、元々は俺達の世界の宗教だったんだぜ。そこでは翼の生えた天使ってのが現れて、いつか訪れる破滅から人類を救うことになってるんだよ。その姿が奴らに似すぎていて……こんな偶然ってあるのかね。俺はどうもそれが引っ掛かるんだ」

「言ってることが事実なら、確かにちょっと気になるけど」

 

 彼は言葉にしたことで決意が沸いてきたと言った感じに、

 

「……俺、やっぱり一度あいつと直接会って、話してみるわ。もしかすると、おかしな連中に何か謀られてるのかも知れない。そうでもなきゃ、ジャンヌはともかく、俺たちまでこんなに避けることはないだろう?」

「そ、そうだねえ……うーん、そうかも知れない。実は私もちょっと、スカーサハ先生に妙なこと吹き込まれてね」

「スカーサハに?」

「うん。それも気になるから、私も一緒に行くよ。ちょっと待っててくれる?」

 

 ところが、ルーシーがそう言って、エプロンを脱ごうとした時だった。すぐ近くの席にいた人が、突然、不愉快そうに声を上げた。

 

「それであなた方がスッキリしたところで、ヘルメス卿になんの得があるんですか?」

 

 その声に振り返ると、不機嫌そうな顔をした女性がギヨームのことを睨みつけていた。知り合いかと思いきや、まるで面識のない女性にいきなり睨みつけられて面食らっていると、彼女は二人の顔をジロジロと交互に見ながら、

 

「あなた達が、真に彼の仲間だと言うなら、まず対等であらねばならないんじゃないですか。なのにあなた達は彼に答えを求めるばかりで、何も提供しようとしない。あなた達が持ち込む苦情で、彼を更に困らせるだけでしょう」

「なんだお前は、いきなり他人の話に首を突っ込んで来やがって、失礼なやつだな。関係ないお前にそんなこと言われる筋合いねえよ」

 

 突然背後からそんな言葉を浴びせられたギヨームは、内心ドキリとしながらも、持ち前の鼻っ柱の強さでそう言い返した。しかし女性はまるで臆することなくキッと彼を睨み返すと、

 

「関係なくありませんよ。私はベル神父と共に、カナンの村から呼ばれて来た者です。さっきから黙って聞いてれば、私の仲間のことをまるで不審者みたいに言って、失礼なのはどっちですか」

「な、なに?」

 

 まさか関係者がいるとは思いもよらず、ギヨームは動揺した。彼女が誰であるかに気づいたルーシーが、怒られる直前の子供みたいに顔を強張らせている。それを見てギヨームも思い出した。確かカナンの村を尋ねた時、最初に阿片窟のドアから出てきた看護師だ。彼女は不愉快そうな顔を隠さず、寧ろ挑むようにこう続けた。

 

「失礼ついでに言わせて貰いますが、あなた達は勇者パーティーなんて呼ばれて尊敬されていますけど、彼が魔王と刺し違えていた時、あなた達はどこにいたんですか。何故、彼一人だけが犠牲になったのですか。今だってそうです。私には彼は一人で苦しんでいるように見えますが、あなた達には何がどう見えているのですか。付き合いが長いから気安いのかも知れませんが、今彼に必要なのは苦言ではなくサポートなのではないですか。妙な連中と付き合ってるですって……? その妙な連中に頼って、あなた達を頼らなかったことを恥じるならともかく、彼の頭がおかしくなったなんてよく言えましたね。そんなことで次また魔王が現れた時、彼についていけるのですか。遠くでぼんやり眺めているのが関の山なんじゃないですか。それとも、敵が強いから何とかしてくれと、彼に苦情でも言いに行きますか」

 

 何も言い返せずに黙りこくっている二人に対し、女性は言いたいことを言って満足したのか、涼し気な表情でナプキンで口を拭いつつ立ち上がり、

 

「お食事は大変おいしゅうございました」

 

 でも、もう二度とここへ来ないだろうとでも言いたげに、彼女は少し多めの代金をテーブルに叩きつけて去っていった。ルーシーは慌ててそれを返そうとして追いかけたが、その背中から発する不機嫌のオーラに気圧されて声を掛けることも出来なかった。

 

 両開きのドアを押し開けて彼女がギルドから出ていくと、酒場は水を打ったような静けさに包まれていた。どうやら彼女の剣幕に驚いた他の客から、いつの間にか注目を浴びていたようだった。

 

 ギヨームが不機嫌そうにギロリと周囲を睨みつけると、それを合図にするかのように、ガヤガヤとした喧騒がまた店内に戻ってきた。彼は椅子にふんぞり返るように背中をもたれると、チッと悔しそうに舌打ちをしてみせた。

 

 何一つ言い返せなかった。ほぼ全て彼女の言うとおりだった。特に堪えたのは、

 

「あの戦場で俺がどこに居たかって……?」

 

 それが一番言われたくないことだった。彼は自分の力不足を悟り、邪魔にならないように自ら戦場を離れたのだ。仲間がそれこそ必死になっている姿を遠目にしながら、鳳が空高く舞い上がり爆死したのをぼんやりと見上げていたのだ。

 

 何故、彼の隣に居られなかったのか。今だってそうだ。さっきの女の言う通り、確かに、今彼に必要なのは、苦情ではなく頼りになる仲間じゃないか……

 

 ギヨームは自分の不甲斐なさが悔しくて、どんどん深みにはまっていくような気分だった。ルーシーはそんな彼の気持ちを慮ってか、少々自虐的な口調で、

 

「……アイタタ~って感じだねえ。悔しいけど、あの人の言うとおりだよ。そもそも、私は孤児院があって助かってるくせに、苦情を言いにいくような立場じゃないよね。確かに鳳くんの性格からして、弱者救済なんて上から目線なこと言いそうもないけど、それはヘルメス卿って立場が言わせてるんじゃないかな。立場が変われば、人は言うことも変わるよ。私だって中身は何も変わってないのに、みんなからタカられたり、子供押し付けられたりするようになっちゃったからね。アハハハハ」

「悪かったよ」

 

 ギヨームは彼女から視線を外すと、ため息を吐いた。別に誰かの悪口を言いたかったわけじゃないのだが、結果的にそうなってしまった。悔しいのはルーシーも同じなのだ。そんな彼女に気を使わせて、いつまでも不貞腐れてはいられまい。

 

 しかし、ギヨームはただ、鳳の様子がおかしいんじゃないか……? と思っただけなのだが、本当に気にしすぎだったのだろうか。確かに、ヘルメス卿の行動としてなら、今のところ彼は何もおかしなことはしていない。そして政治の世界で自分たちが役に立たないことも知っている。

 

 どうして自分を頼ってくれないのか? という嫉妬心が、彼に対する不信感を抱かせているのだろうか。鳳がジャンヌを避けているから、このところ疎遠になっているが、彼自身は何も変わってないのなら、このままでいいんじゃないか……

 

「くそ……」

 

 ギヨームは首を振った。立場がそうするとか、やってることは正しいとか、確かに状況は間違ってない。だが、鳳の様子自体がおかしいのは紛れもない事実だろう。でも、なんでそう思うのか、それがわからない。

 

 ギヨームはそれでも消えないモヤモヤしたものを胸の内に抱えながら、運ばれてきた水をちびちび舐めていた。それが形となって現れるのは、もう暫くあとのことだった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。