ラストスタリオン   作:水月一人

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派閥争い

 鳳は本当におかしくなっていないのか? そんなギヨームの疑念はともかく、彼がヘルメス卿に就任してからの領内景気は、どんどん上向いていた。

 

 戦争によって荒廃したヘルメス領内は、飢饉の直撃も受けて危機的状況にあったが、楽市楽座の制定や関所撤廃の流通改革によって人との物の移動を促し、また口減らしにあった子供たちのために孤児院を作ることによって、ようやく領内は以前の落ち着きを取り戻しつつあった。

 

 しかし孤児院のお陰である程度の子供を救えはしたが、国全体はまだまだそうとは言い切れなかった。確かに勇者領からの投資によって、首都であるフェニックスは好景気に沸いていたが、地方はその恩恵を受けられず経済が停滞していたのだ。

 

 関所を撤廃したことも裏目に出た。フェニックスに行けば仕事があると分かれば、人はみんな首都を目指し、そのせいで地方から人がどんどん流出していってしまったのだ。農奴社会のこの国では、領民は土地土地の領主の物であるから、現状では鳳は地方領主からその財産を奪ってしまったことになる。このままでは、春を迎えても人手が足らず、また今年の二の舞になってしまうだろう。鳳も、無駄に地方領主から恨まれるから、早急に手を打たなければならなかった。

 

 さて、この状況で取れる対策は何があるだろうか。普通に考えて、人がフェニックスのある西部に集まろうとするなら、それを繋ぎ止めるためにも、東部の開発を行うのが、雇用も生み出せて手っ取り早いだろう。

 

 ヘルメスは国土のほぼ全てが肥沃な平野という土地柄に恵まれていたが、それでも昔から人口が西部に偏っていた。それは他の帝国領と戦争をしていたからだが、和平がなった今はそんなことを気にする必要はない。積極的に東部に進出していくべきである。

 

 そのためには、何は無くとも道の整備を行わなければならないだろう。

 

 そうして改めて領内の道路事情を調べてみると、そこには思いのほか多くの問題が隠されていたようだった。

 

【挿絵表示】

 

 まず、ヘルメス領はほぼ全土が平野部だと言うのに、道の整備がまったくなっていなかったのだ。それは長年、帝国と戦い続けていたせいで、もし歩きやすい道があれば、敵にも利用されてしまうから、敢えて帝国に近づくほど道の整備がされていなかったというわけである。

 

 領内には、隣村へ向かうだけの狭い道しか存在せず、一応軍用路のような広い道もあるにはあったが、それは比較的仲が良かったオルフェウス領へと続いており、帝都やセトに続く北部は、道と言うには曖昧なものしかなかった。どれもこれも、平野なのに山道みたいに捩じ曲っているのだ。恐らく、何度も作っては壊されたため、そうなってしまったのだろう。

 

 だから、これらの道をもっとわかりやすいように整備するだけでも、良い景気刺激策になるはずだった。フェニックスには今、勇者領からの投資が舞い込んでいるが、これらの道が出来れば、それを通って帝都までの村々にも金や物資が流れていくようになるかも知れない。

 

 また、帝都と勇者領を直接繋ぐ道は、現在海路しか存在しないが、陸路という選択肢が出来ればそちらを好む商人や旅人も現れるだろう。ヘルメス中央北部には、ボヘミアやセト、帝都と接している巨大な湖もあり、湖岸には水上交易の拠点になる街もあるので、そちらへの道も整備すればより選択の幅も広がる。

 

 これらのインフラ整備が始まれば、今はフェニックスに出稼ぎに来ている領民たちも、春になれば地元へ帰っていくはずである。なんやかんや、人は住み慣れた土地が一番なのだ。予算は現在フェニックスの街から入ってくる税収で何とか賄えそうであり、これなら地方領主たちも文句ないのではないか。

 

 また、道が整備され新たな流通網が構築されれば、帝国の玄関口であるフェニックスの街は、さらなる税収アップが期待できるはずだ。鳳は将来入ってくるであろう、その資金をも予算に組み込んで、さらに大規模な事業計画を立てた。

 

 現在、ヘルメスと勇者領を繋ぐ街道はフェニックスの街に繋がる一本しかない。鳳はこれに加えてもう一本、大森林を通り抜けるルートを作れないかと考えたのだ。

 

 と言うのも、ヘルメスはつい最近オークキングの襲撃を受けたわけだが、不幸中の幸いとでも言うべきか、その時のオークの大移動のおかげで森の木々がなぎ倒されており、今なら道を作るのが比較的容易なのだ。おまけに、オークは川辺に沿って移動していたから、道路と同時に水路の整備も可能である。

 

 これらの流域は現在、ガルガンチュアの部族が支配しており、鳳がところどころに作った避難村には、冒険者ギルドの職員になったレイヴンが駐在しているはずだった。代替わりし、マニが族長になった今、彼らは人間社会と積極的に関わっていこうと方針転換しているので、必ず協力してくれるだろう。

 

 問題は、こんな魔物だらけの道を誰が通りたがるかと言う話だが、元からある街道もまったく安全というわけではなく、既にトカゲ商人が利用しているという実績もあるから、まったく使われないということはないはずだ。というか、こちらのほうが獣人からの護衛を受けやすく、水路は重たい物資を運ぶのに有利である。

 

 そして最大の利点は、この河川が勇者領の首都であるニューアムステルダムに通じていることであり、例えば新大陸から運んできた物資を、そのまま港で積み替えてヘルメスを目指すことが出来るわけだから、手広い商売を行っている大商人ほどこちらのルートを選びたがるだろう。

 

 熱帯雨林である大森林は放っておけば、一年もすればまた人を阻む草木で覆われてしまうだろう。そうなる前にさっさと道を作ってしまう必要がある。

 

 今がチャンスなのだ。

 

 だから鳳は予算が足りず国債を発行してでも、絶対着工すべきだと考えていた。ところが、こうして彼が大森林の街道整備を発表してみると、思わぬところから横槍が入った。鳳がいつかその権力を譲渡するかも知れない、ロバートが反対したのである。

 

「勇者殿がおっしゃることは理解できますが、だが承服しかねますな」

 

 鳳は彼を説得するため庁舎へと招いた。この事業は非常に大事で、ちゃんと話し合ってその意味を理解すれば、きっと賛成してくれると思ったからだ。ところが呼び出された彼は自分の腰巾着……いわゆるロバート派の貴族をこれでもかと侍らせながら現れた。鳳の執務室に入り切らないから、仕方ないので練兵場の施設を借りたくらいである。

 

 恐らく、自分はこれだけ多くの者を従えているのだと誇示するためだろうが、余りにも数が多すぎて圧迫面接みたいになっていた。彼はヘルメス戦争で失態を演じたことで爵位を剥奪されたわけだが、元々はこの国の王権を持つ正統な後継者であり、対する鳳は勇者と言えどもどこの馬の骨ともわからない出自、早くその地位を明け渡せと言いたいのだろう。

 

 まあ、言ったところで、帝国と勇者領をバックに持つ鳳に何をすることも出来ないし、いくら人数を連れてこようが威圧にもならないわけだが……鳳は、ロバートの反対は事業への無理解が原因だと甘く考えていたが、どうやら見込み違いだったようである。彼らは最初から鳳のやることに反対するつもりで集まっていたのだ。

 

 多分、何を言っても聞く耳持たないなと思いながら、とりあえず彼らの言い分を聞くことにした。

 

「勇者殿が言う街道を作るということは、獣人を領内に入れると言うことだろう。それはこれまでこの国や帝国のやり方に反する。帝国のどこを見れば、獣人が暮らす集落が存在するというのか。我々の祖先は、人間と獣人の領域を明確に分けてきた。それは奴らが野蛮で、人の言うことをまるで理解しないからだ」

「いや、ロバートさん、獣人にも個性があって、人によって違うんだ。確かに獣人は総じて理解力に乏しいが、中には人の言うことをちゃんと聞ける賢い連中もいる。こういう連中を仲介役にすれば、獣人は本当に良い労働力になるんだ。現に勇者領では、人と獣人が協力して暮らしている集落がいくつもあるじゃないか」

「勇者領はそうかも知れないが、今でも帝国に現れる獣人は家畜泥棒をしたり畑を荒らしたりする不埒者ばかりだ」

「それは元々獣人を排除しているせいで、流れ者しかやってこないからだろう?」

「いいや違う。奴らはいくら教育しても人と協調することを知らず、何の役にもたたないのだ。何せ今でもジャングルで獲物を狩り、裸で暮らしているような野蛮人だからな。勇者殿は分かっていないようだからはっきり言ってやるが、我々はこのような連中に、我らが領土を踏み荒らされたくはない」

「うーん……」

 

 鳳は押し黙った。それは差別じゃないのか? と言いたいところだが、言っても無駄なことが分かっているからだ。

 

 この世界ではそもそも差別という概念がない。例えば大航海時代、黒人を鎖に繋いで海を渡ることに誰が疑問を抱いただろうか。

 

 この世界の神人からしてみれば人間は奴隷であり、その人間からしてみれば獣人は魔物と変わりがない。実際、獣人も魔物もリュカオンから派生しているのだから、そう取られても仕方ないところはあった。概ね彼らは創造性に欠け、怒ると話が通じなくなる。そんな連中と付き合ってる、勇者領の方がちょっと変わっていると言わざるを得ないのだ。

 

 だが、知っての通り、その獣人が魔族の進出を抑え、ネウロイに封じ込めているのも事実だった。そしてそれは、魔王の登場で、簡単に決壊する防波堤に過ぎないことも。だからこそ、これからは大森林の獣人社会とも、人間は付き合っていかなければならないのだが……

 

「失礼だが、貴殿はこの国のことが何も分かっていない。外からやってきたから仕方ないのだろうが、いずれその座を明け渡すというのであれば、今までのやり方を変えるようなことはしないでもらいたい。前例を覆すようなことをすれば、我々は各国の物笑いの種になるだろう。帝国に復帰したとは言え、彼らはまだ我々を警戒しているはずだ。ずっと戦ってきたのだから当然だろう。帝国が未だに我らを屈服させる機会を窺っている可能性がある以上、異質なことをしては下手に彼らに口実を与えるだけではないか。だから私は断固として反対する。私の領内に、獣人を近づけさせるようなことは絶対してくれるな」

 

 正直、獣人びいきの鳳からすれば腹立たしい限りだったが、ロバートの言うことも一理はある。自分はいずれ居なくなる身、なのに後任のことを考えずに勝手なことをしては混乱を招くだけだろう。

 

 鳳が何も言い返せず憮然としていると、今までロバートの後ろにいた腰巾着の一人おずおずと手を挙げて、

 

「畏れながら、勇者様に申し上げます。ヘルメス北部の道を開発するというのも、出来ればおやめくださいませんか?」

「……なに?」

「皇帝とも懇意である勇者様は、帝国との風通しを良くしたいとお考えでしょうが……我々はつい最近、その帝国から侵攻を受けた身です。なのに、帝国軍が通りやすくなるように道を整備するなど、とても正気の沙汰とは思えないのです」

「いや今更、帝国がこの国を侵略するなんてことはない。俺は他の3大国の領主に確認したし、帝国は勇者領とも仲良くしたがっているんだ、それは間違いない。第一、その帝国と組んでこの国を支配していたのは、あんたらの大将であるロバートさんじゃないか。それこそ筋が通らないのでは?」

「12世は我々を守るために仕方なく帝国に従ったまで……本心では彼らの暴虐に憤っていたはずです。そうですよね? 12世?」

「もちろんだ!」

 

 ロバートはふんぞり返って宣言する。鳳はなんだかきな臭いと思いながらも、彼らの言い分にも耳を傾けざるを得なかった。

 

 ここに集まっているのは、曲がりなりにも現在この国を支配している貴族たちなのだ。その彼らが、そんなことをしてくれるなと言うなら、暫定ヘルメス卿でしかない鳳は従うしかない……

 

 しかし、それを受け入れてしまったら、自分の思い描いていた景気回復のプランが崩れてしまうのも事実だった。他に代案があるならまだしも、ただ止めてくれと言われて、はいそうですかと受け入れるわけにもいかないだろう。領内には相変わらず、明日の食料にも事欠く人々が溢れているのだ。

 

 鳳は、なんだか面倒なことになっちゃったなと思いつつも、何とか彼らにも受け入れてもらわねばと頭を悩ませた。どのくらいなら譲歩出来るだろうか……

 

 だが、その時だった。

 

 話し合いをしていた部屋のドアがバタンと開かれ、突如、外から凛とした女性の声が飛び込んできた。

 

「異議あり! 私たちはヘルメス卿に賛成します! 帝国に近い北部こそ開発が必要なことは、この国に住む者であるなら誰でも実感している事実です。景気回復を急がなくてはこの国は持ちません。ここにいる全員が賛成してます! あなた方はまるで国の総意みたいに、ヘルメス卿に勝手なことをするなと言っていますが、あなた方こそ勝手じゃないですか!」

 

 部屋の外には、ロバートが連れてきた腰巾着の数に勝るとも劣らない人数が詰めかけていた。ロバートはそれを見て、露骨に顔を歪めてちっと舌打ちした。その先頭に立っていたのはクレア・プリムローズ。現在、ロバートと共に鳳の後任の座を争っている二大派閥の主だった。

 

 クレアは、まるでハリウッドスターみたいにきらびやかな衣装をきて、ストレートの長く美しい金髪を靡かせつつ、颯爽と部屋の中へと歩み寄った。

 

「ロバート派の連中が大挙してヘルメス卿の元へと向かったと聞き及んだので、嫌な予感がしたのですが……来てみて正解でしたね。まさかこんな卑劣な手で私たちの妨害をしようとは……」

「なんのことかな?」

 

 ロバートは何かしらばっくれるように、ふんと鼻息を鳴らして顔を逸らした。その態度が意味深で、鳳がどういうことかと眉を顰めていると、クレアはそんな鳳に微笑を向けながら、分かりやすく説明してくれた。

 

「ヘルメスの北東部とは、私のプリムローズ家に連なる者の支配地域なのです。この連中は、私たちの地域が力をつけるのを嫌がってるんですよ」

「馬鹿なことを申すな! 初代ヘルメス卿に連なる重臣たる我々が、そんなおまえらみたいに、みみっちい真似をするわけないじゃないか」

「なら大森林の街道整備に反対するのは何故ですか? 勇者領との密接な関係を維持するなら、道を増やすのは道理でしょう」

「それでは獣人が領内に紛れ込んでしまう」

「今だって大森林に壁があるわけじゃありません。入ってくる時は入ってきますよ。あなた方は色々理由をつけていますが、どれもこれも道を作らない理由にはなってない。もしかして、単に新たな経路が出来ることで、富が分散されることを恐れているのではないですか?」

「そんなことはない! 見くびるなよ、若造が!」

 

 ロバート派の誰かの野次が飛ぶと、その瞬間、双方から違う違わない嘘をつけ嘘をつくなの大合唱が始まった。クレア派が糾弾し、ロバート派が怒鳴り返す。見たところ、前者が改革派で、後者が守旧派といったところだろうか……

 

 鳳はその怒鳴り合いに辟易しながら、双方の言い分を黙って聞いていた。ロバートが街道整備に反対した時は一体どうしたものかと思ったが、どうやら彼らは本気でそれを嫌がっているわけじゃないらしい。クレアが言う通り、富が分散し、クレア派が力をつけることを恐れているのだ。

 

 どうして彼が突然鳳に注文をつけ始めたのか……要するに、邪魔な鳳が居なくなった後を見据えて、ロバート派とクレア派の綱引きが始まっていたのだ。まさか、民衆の暮らしを顧みず、そんな政争に明け暮れているとは夢にも思わず、鳳は情けないやら腹立たしいやらで、本当にこいつらに後を任せても平気なのかと、この時初めて思った。

 


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