ラストスタリオン   作:水月一人

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帝都に最も近い辺境の地

 ロバート派のクレームから数日後、ヘルメス領内に一つの広報がなされた。かねてからの孤児問題を解決するために、クレア・プリムローズが私財を投げ売ってでも孤児院を建てようとしていると言うことに対し、ヘルメス卿が表彰するという内容であった。

 

 あの日彼女からの相談を受けた鳳は、その後すぐに領内の孤児状況を調査したところ、やはりというべきか、殆どの貴族が自分の領地から孤児を追い出す中でも、子供を保護して守ろうとする真面目な領主もいたのである。

 

 鳳は感激するだけではなく、すぐにどこの誰であるかを調べ、クレアと共に表彰した。そして彼らに褒賞と資金援助を約束すると同時に、領内向けの基金を設立することにした。基金は具体的な目的はなく、『もし彼らの善意に賛同するなら寄付を』という曖昧な内容であったが、すぐにかなりの寄付が集まった。要するに、身に覚えがある連中が、慌てて取り繕ろうとしたのだろう。

 

 鳳はこの資金を元手に新たな孤児院をクレアの領地に建てることにした。生活が苦しい領民はやはり地方に多かったから、全ての恵まれない子供を救おうとするなら東にも大きな物を作らねばならない。クレアの領地はいくらでも土地が余っていたから、建設予定地としてうってつけだった。

 

 ついでに、その資材を運ぶという名目で、彼はヘルメス領を東西に貫き北東部へ至る大街道の整備を強行することにした。それはロバートのクレームを無視するということでもあり、西部貴族は慌てて抗議の声を上げたが、ところがそれは庶民の不満の声によってかき消された。先の表彰により、貴族たちが孤児を助けるのではなく追い出していたことがバレてしまったのである。

 

 その結果、それまで正統な王位継承者として庶民の支持を受けていたロバートの牙城が崩れ始めた。分かりやすく弱者救済を謳うクレアに対して、ロバートの方は獣人差別をし、領民を見殺しにするような政策ばかり支持している。そして今回の孤児騒動が決め手となり、庶民はロバートに失望し、領内の人気は完全に二分された。

 

 これに焦りを感じた彼は慌てて寄付を行ったが、今更すぎて誰にも評価はされなかった。ロバートは次第に孤立感を深めつつあり、後継者争いは新たな段階へと入ろうとしていた。

 

********************************

 

「……本当に、この場所でよろしいのですか?」

 

 地平線の向こうまで続く原野を前にして、利休は感嘆の息を漏らした。行政官として孤児院建設予定地の視察に来たのだが、連れてこられたその場所が余りにも広大だったからだ。彼の暮らしていた堺の町なら20~30個は入りそうなその敷地には、数軒の民家がポツンポツンと見つかるくらいで他には何も見当たらなかった。

 

 確かに樹木が生い茂るだけで道もないような僻地ではあったが、険阻な地形でもなく鬱蒼と茂る密林でもない。逆に言えばいくらでも焼き畑が行え、その気になれば食うものには困らないであろう場所だった。

 

「ええ、ここでよろしくてよ」

「神父様は子供たちの教育のために畑もやりたいとおっしゃってましたが」

「それも聞いていますわ。周辺の家に協力するよう命じておきますから、好きにお使いなさい」

 

 クレアは何でも無いようにケロリと言い放った。簡単に言っているが、これだけの土地を好きに開拓していいと言っているのだ。孤児院どころか街を作ってもお釣りが来るような場所だった。こんな場所があるというのに、何故この国の領民は腹を空かせているのだろうか……利休は理解に苦しんだ。

 

 するとクレアは彼の隣でだらしなくうんこ座りしながら、

 

「ここは国境のすぐ近くじゃない? 開拓しても、向こう側からいつ野盗がやって来るか分からないのよ。追い返すために兵士を置けば、向こう側にも兵士が現れる。帝国が入植者を送りつけてくることもあって、小競り合いじゃ済まないような事態が過去に何度も起きてね、いつの間にか人が居なくなっちゃったのよ」

「……もったいないことですね」

「もったいなくても命には変えられないから、こんな活用されない土地がそこら中にゴロゴロあるのよ。多分、帝国側も似たようなもんね。領土を守るための戦争でその領土が使えなくなり、貴族を生かすために奴隷が犠牲になるから人口だって増えない。何が神人よ。神聖帝国が聞いて呆れるわ」

 

 愚痴っぽいが、その口調はやけに乾いてサバサバしていた。鳳の前では品を作っているが、普段の彼女は案外そうでもないようだった。ペルメルが指摘していたように、彼女は鳳のことを本気で狙っていたのだ。

 

 実を言えば、ヘルメス戦争の最中、彼女は難民とともに勇者領に避難していたのだ。

 

 戦争が始まった時、彼女はこんな国境の領地なんて近づけるわけもなく、いつも通り首都の城下町で暮らしていた。ヘルメス卿の遠縁であるから宮殿にも呼ばれ、アイザックが呼び出した勇者も紹介された。ついでに言えば、隠れてつまみ食いもした。

 

 他の女と違い子供が出来なくて残念に思っていたが、まさかあの勇者たちが偽物だったなんて……その後アイザックの居城ヴェルサイユが落とされてしまったら、彼女はもうどこにも行き場がなかった。

 

 今回は本気でヤバかった。

 

 領地は何度も帝国軍に蹂躙され、少ない領民は飢饉が起きるのが分かっていながら、ずっと兵役に取られていた。それも最初はヘルメス軍、続いて帝国軍として勇者領にまで遠征させられたのだから、たまったものじゃないだろう。彼女はそれを命じるだけで、彼らに何も報いてやることが出来なかった。

 

 領民はきっと彼女を恨んでいるだろう。だから彼女も今回ばかりは駄目だろうと、自分の代でプリムローズ家も終わりだと覚悟していたのだが……そしたら突然、本物の勇者が現れて帝国と和平してしまうのだから、世の中わからないものである……

 

 ともあれ、避難生活は決して楽ではなかったが、無益でもなかった。ヘルメス卿の親戚とバレたらただじゃ済まないから、彼女は家族と共に身分を偽って勇者領に潜伏していたのだが、お陰で庶民の生活というものを肌で感じることが出来た。

 

 最初はアルマ国に居たのだが、ヴァルトシュタインが挙兵するとここも駄目だと悟り、ニューアムステルダムへ逃げ延びた。攻め込んできたのがロバートだと知ると、徴兵に応じてやろうかと思うくらい腹を立てたが、彼女に出来ることはやはり何もなかった。

 

 帝国軍に攻め込まれているはずなのに、ニューアムステルダムはまるで対岸の火事であるかのように何事もなかった。彼女は避難先の街を毎日散策して回ったが、ヴェルサイユも大きな城下町だったが、勇者領の首都は規模が違った。建物は大きく、何よりも人口が桁違い過ぎる。しかもこの街に住む人々は、誰一人として奴隷ではないというのだ。一体、どうしたらそんな国が作れるのだろうか……? 彼女には理解が出来なかった。

 

 だから勉強した。ニューアムステルダムには大きな書店があり、お金さえ払えば誰でも本を手に入れられるのだ。彼女はその書店で勇者領の歴史本を買いあさり、かつて勇者がどのように国を作り上げたのかを学んだ。更に、それを研究している学者の本や、放浪者と呼ばれる異世界の技術を持ち込んだ人の本も読んだ。そう言えば、偽勇者たちも放浪者だったなと思い出し、睦言など交わしてないで、もっと色んなことを聞けばよかったと後悔した。

 

 そうこうしているうちにロバートが失脚し、帝国軍は勇者領から追い散らされた。一時は首都に迫る勢いだった帝国軍だったが、その敗戦を機に勢いは弱まり、今度は逆に侵攻を受けるのだから盛者必衰とは良く言ったものである。

 

 まあ、戦争の勝敗など彼女にはどうすることも出来ないから気にしていなかったが、その頃から聞こえ出した勇者の噂は気になっていた。居るというのに全く姿を見せない勇者に対し、彼女はもしかしてアイザックの時のように、箔をつけるために連邦議会が嘘を流しているのかなと思っていたのだ。

 

 だから、その勇者がまさか魔王を倒して、あれよあれよと言う間に帝国との和平交渉までまとめてしまうとは夢にも思わなかった。一度は諦めた領地も返ってきて、彼女の家族はヘルメスへ帰れるようになった。

 

 ヘルメスへ帰った彼女はそれまで殆ど顧みることがなかった領地へ行ってみた。領内の道という道は進軍によって荒らされ、彼女が拠点にしようとしていた要所の村は、軍の接収を受けてひっそりと静まり返っていた。村人たちの姿は見えず、仮に見えてもきっと彼女はひどく恨まれているだろうと思っていた。

 

 ところが、しばらくして村の中から人々が出てくると、彼女は思わぬ歓迎を受けた。また帝国軍がやってきたのだと思って隠れていたようだが、来たのが領主のクレアだと知ると、村人たちはこれで自分たちは救われると喜び始めた。戦争中、一度も領地を顧みなかった彼女のことを、領民はまだ盲目的に崇拝していたのだ。

 

 彼らはアイザックが死ぬと今度はロバートに期待し、彼がこの国を導いてくれると信じ切っていた。一度はそのロバートが国を売ろうとしていたのだが、そんなことはお構い無しで、彼らにとって大事なことはただ血筋だけなのだ。クレアにしたって、こうして恨まれたりせず尊敬され続けているのは、たったそれだけが理由なのだ。

 

 勇者領の庶民と、自分の領民の違いはなんだ? 彼女はそのことに生まれてはじめて疑問を抱いた。

 

 今、領内は麻のように乱れ、民は飢え苦しんでいる。なのに彼らは自らの力で立ち上がろうとせず、お飾りの領主が助けてくれると信じ切っているのだ。戦争の間中、ふんぞり返っていただけのロバートが彼らを導けるとは到底思えない。ならば誰が彼らを救えると言うのだろうか。

 

 新しくヘルメス卿としてやって来る勇者も、どこの馬の骨とも知れなかった。魔王を倒したと言うくらいだから戦闘力はあるのだろうが、得てしてそういう輩はオツムが弱いものである。おまけに彼は、ロバートを後継者に据えようとしているそうだった。あれだけ失態を演じた男に、国の舵取りなんてさせてたまるか! だから彼女はもうひとりの後継候補として、勇者を籠絡するつもりで近づいたのだ。

 

 しかし、そしてやって来た勇者は彼女が想像していたものとは全然違った。彼は貴族たちが手を拱いている間に、まるで見てきたかのように次々と対策を打ち、苦しんでいる多くの領民を救った。領内の風通しを良くして、外部から人を招致し、勇者領からの投資を呼び込んだりして、滞っていた経済が回るようにした。

 

 軍政改革にも乗り出し、貴族から自然と軍事費を徴収し、兵士が畑を耕すような仕組みも作り出した。そして今まで活用されなかった土地を利用するため道の整備を行い、極めつけは誰も手がつけられず、見て見ぬ振りをしていた孤児まで救おうとしているのだ。しかもそれが意外と上手く行ってるのだから、認めざるを得ないだろう。

 

 どうやら彼は放浪者であるとも聞く。彼の部下の神人から聞いた話だが、前の世界では人の上に君臨するため、帝王学を学んでいたそうである。なのに何故、権力の座から降りようとするのだろうか。

 

 彼女は最初はその権力を奪取するために彼に近づこうとしていたが、今は逆にどうにかして彼にその地位に留まって欲しいと思っていた。

 

 そしてあわよくば、自分が正妻の座につくのだ。

 

 しかし、これが中々上手く行かない。彼はクレアがどんなに女の武器を駆使して秋波を送っても、一向に靡く気配が無かった。彼女は自分がそれなりにイケてる方だと思っていた。実際に、今でも多くの有力貴族の子息からモーションを掛けられ、偽勇者たちもメロメロだった。

 

 セックスも上手いはずだ。男を喜ばす方法ならいくらでも知っている。だから一度でも抱いて貰えれば、必ず落とす自信があるのだが……その一度の機会が与えられず、ずるずると後継者争いが続いていた。

 

 どうして自分に興味を持ってくれないんだろうか? もしかして、女に興味が無いのだろうか? 自信がないのだろうか? 照れてるだけだろうか? 少なくとも童貞であることは間違いなさそうだが……

 

 クレアがそんな下世話なことを考えていると、視察を終えた利休がにこやかに近づいてきて言った。

 

「これだけの土地を提供していただけるなら、ヘルメス卿もお喜びになられるでしょう。あなたに大変良くして貰えたと、私の方からもお伝えしておきますよ」

「あら本当? あなた、いい人ね」

「あなたのおっしゃる通りなら、野盗の徘徊が気になるところですが……戦争も終わり、ヴァルトシュタイン閣下の軍も領内を巡回しているので、子供たちが来る頃には大分落ち着いているはずでしょう。ここは辺境とは言え帝都に最も近い土地、街道の整備が終われば見違えるようになるでしょう」

「そうなるといいわね」

 

 クレアは嬉しそうに頷きながら、ふと思い出したかのように、

 

「そう言えば、あなたはヘルメス卿に請われていらした方でしたわね。もし、彼がその地位を譲り渡したあと、あなたはどうするつもりかしら?」

「私でございますか? 自宅もありますから、帝都へ帰るつもりですよ。ヘルメス卿とは、元々領内が落ち着くまでという約束でしたので」

「そう……どうして人から必要とされる人ほど、簡単にその地位を明け渡そうとするのかしら」

 

 すると利休は日本人特有の薄っすらとした笑みを浮かべつつ、

 

「あなたにそう言ってもらえることは光栄ですが、私にもやりたいことがございますので」

「それって何? 今の地位より大事なものなの?」

「そうですね……単に私の人生を、ありのまま過ごしたいというだけでしょうか」

 

 クレアが首を捻っていると、彼はまた外国人には理解できないアルカイックスマイルを浮かべながら、

 

「あなたが気にしてらっしゃるのはヘルメス卿のことでしょう。なら、彼を思い浮かべてみてください……正しく権力を用いる者ほど、自らを犠牲にするものなのです。権力がただ民衆を救うためにのみ行使されるものであるなら、そこに私利私欲が混じることは厳に慎まねばなりません。自分が間違っていたら腹を切り、いくら大事な仲間が失敗しても泣いて馬謖を斬る厳格さが必要です。それが我々の理想とする為政者の姿なのです。民を救うことが至上の喜びであるならともかく、そうでない人が、いつまでそんなことを続けられましょうか。故に、正しいものは去り、私利私欲を求めるものが権力の座に就くのです」

「……それじゃあなたはロバートの方が権力者に向いていると思うの?」

 

 クレアが訝しげにそう聞くと、利休は相変わらず表情を動かさずに、

 

「本人の向き不向きという問題であれば、その通りでしょう。少なくとも、彼は自分のすることに迷いはありません。間違っていてもへっちゃらです。ですが、それが国のトップであれば、民は堪ったものじゃありません。だから我々が正しいものを選ぶのです。そうして選ばれた人が、あのヘルメス卿なのではないですか。それが本人にとって幸せかどうかは関係なく」

「そういうことね……」

「ヘルメス卿は、何かご自身でやりたいことがあるようです。ですがヘルメスがこの通りですから、ご自分を犠牲にして、領民に尽くしてくださっているのでしょう。だから私も彼に協力して差し上げようと、自然とそう思えるのです」

 

 クレアは感嘆の息を漏らした。流石にあのヘルメス卿が招いただけあって、彼の言うことは筋が通っていてわかりやすい。しかし、それと同時に、鳳に今の地位のままで居てもらうことが難しいことも分かった。彼にやりたいことがあるなら、早く解放してあげなければ……

 

「でも、それなら別に、今の地位に留まったまま、やりたいことをやればいいんじゃないの?」

「そうですね、私もそう思いますよ」

 

 クレアがそれでも諦めきれずに疑問を投げかけると、利休はシレッとそう返した。

 

「正直なところ、九割正しい行いをするなら、一割私利私欲に権力を用いても罰は当たらないと思いますよ。現実の権力者なんてものは、大体そんなものです。私たちだって完璧を求めているわけではありません。私も生前、私利私欲に溺れていましたから」

「そ、そうなの……?」

「でもそれが出来ない潔癖さを持ち合わせているのが、あの若いヘルメス卿なのでしょう。何か切っ掛けがあって、考えが変わるとよろしいのですが……」

 

 クレアは爪をかみながら、その切っ掛けが自分であればいいと考えた。彼がやりたいことがあるというなら、自分が支えてやればいいのだ。やはり、自分が後継となって、彼を引き止めねばならない。そうすればこの国は安泰だ。

 

 そのために、なんとしても自分の名を売り、ロバートをリードしなければ……幸い、この間の広報のお陰で民衆の目はこちらに向いている。孤児院を建てることで、分かりやすく民を救うのがどちらかとアピール出来ているのだ。あとはこの孤児院を軌道に乗せて、リードを保ち続ければいい……

 

 しかし、得てしてこういうときにこそ不運は振りかかるものなのだ。彼女の進退を揺るがす不祥事は、彼女が作ろうとしているその孤児院から出てきてしまったのである。

 


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