ラストスタリオン   作:水月一人

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空間の歪み

「儂は公証人の息子じゃった。公証人というのは、国と個人が交わす契約を認証する仕事のことで、つまりは役人のことじゃな。国と個人が取り交わす約束事と言えば、殆どが土地の取引のことと言って良い。従って、公証人というものには土地の測量を行うための幾何学の知識が求められた。

 

 儂も子供の頃に父親に引き取られた後、数学を習っておったが、それは幾何学のことだったのじゃ。私生児であった儂は公証人になれるわけではなかったのじゃが、そうして土地の面積を測るための幾何学を学ばされておったわけじゃが……

 

 ところで、ギヨーム。三角形の内角の和がいくらか知っておるか? 知らぬなら、スカーサハに答えてもらうが」

 

 するとギヨームはムスッとした表情で、

 

「それくらい俺でも知ってるよ。180度だろ」

「左様。一般的にはそうなる。じゃが、場合によってはそうでないこともある。例えば、今から儂が庭に出ていって、地面に三角形を描いたとする……この内角の和が、実は180度ではないと言ったらどうする?」

「どうするって言われても……そんなことがあんのか?」

「うむ。地面に書いた三角形は、正確には内角の和が180度ではない。何故なら、地球が丸いからじゃ」

 

 まずは赤道上にある国のことを考えてみよう。東アフリカのケニアは赤道直下、北緯0°東経34°付近の国である。そこからずーっと東へ進んでいくと、インドネシアのスマトラ島が北緯0°東経98°付近にある。

 

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 さて今、太郎さんと花子さんの二人がいるとする。

 

 太郎さんはケニアからスマトラ島を経由して北極まで旅行しようと考えた。ケニアからスマトラ島まで、赤道上を真東に進んできた太郎さんが、次に北極へ向かおうとするなら、そこで何度向きを変えればいいだろうか? 答えは90度、直角だ。

 

 逆に花子さんはスマトラ島からケニアを経由して北極へ旅行したいと考えた。すると今度は、スマトラ島から真西に進んできた花子さんは、ケニアで何度向きを変えればいいだろうか? 言うまでもなく90度右に回転すれば真北を向くはずだろう。

 

 その後二人は北へまっすぐ進み、やがて北極点で合流した。すると二人の通った軌跡は三角形を描くはずだが……この内角の和はいくらだろうか?

 

 赤道上で二人は直角に曲がったのだから、この時点でもう180度を超えているのが分かるだろうか。同じ真北に向かった二人は平行移動するはずだった。ところが彼らは北極で出会ってしまった。すると彼らが描いた三角形は、なんと内角の和が244度もあることになる。

 

「この通り、球上に描かれた三角形は内角の和が180度ではない。180度なのは、空間が歪曲していない完全な平面上だけの話なのじゃよ。何を当たり前なとか、そんな例外を持ち出されてもと思うかも知れんが、現実の世界には完全な平面なんてものはまず存在せんから、実は内角の和が180度のほうが例外なのじゃ。

 

 とは言え、普通はそんなことを考えなくとも良いじゃろう。儂が庭に描いた三角形は、確かに、正確には内角の和が180度ではないかも知れんが、そんなのは微々たるもので、余程精密な機械でもない限り、検出できないような些細な誤差じゃ。故に、普通は180度と考えていいのじゃが……しかしさっきのように地球規模の大きさで考えると、それを無視することは出来なくなる。

 

 この宇宙は至るところが歪んでおり、ユークリッド幾何学が通用しない場面はいくらでも存在する。もしも地球を旅する旅人が、地球が平らだと勘違いし、地図に描かれた三角形を頼りに向きを変えたら、二人は北極点では出会えなかったじゃろう。

 

 地球が丸いせいで……つまり空間が歪曲していたせいで、本人の意思とは無関係に、まるで別の場所にたどり着いてしまうわけじゃ。

 

 そしてこの、『空間が歪んでいると本人の意思に反して勝手に曲がってしまう』と言う事象こそが、重力の正体ではないかと考えた者がおった」

 

 言わずと知れた20世紀の天才、アインシュタインである。

 

 結論から言えば、なんらかの質量を持つ物体がある時、その周囲の空間は歪んでいる。歪みは質量に比例して大きくなるが、その力は非常に小さいので、例えば人間くらいの質量では殆ど空間の歪みは生じない。

 

 だが、地球くらいの大きさにもなると流石に無視出来なくなり、太陽ほどの質量にもなれば、空間の歪みが光さえも曲げてしまうようになる。実際、重力レンズ現象によって、太陽の周りの空間が歪んでいることは既に観測済みである。この宇宙は本当に、至るところが曲っているのだ。

 

 しかし、その空間の歪みがどうして重力の正体であるのか? いまいちピンとこないだろう。何故なら、我々はその空間の歪みを認知することが出来ないからだ。

 

 どういうことなのか、少し単純化して考えてみよう。

 

 3次元空間が歪むなら、2次元空間だって歪む。3次元空間の歪みを我々は直感的に理解出来ないが、2次元空間の歪みならば普通に目で見ることが出来る。フラットランドの住人を思い出して欲しい。

 

 フラットランドはどこまでも広がる平面世界で、縦横の広がりを持つが厚さ(もしくは高さ)を持たないペラペラな世界だ。画用紙とか、ピンと引っ張った布を思い浮かべれば、大体イメージ通りだろう。

 

 このフラットランドが歪むというのはどういうことだろうか。歪むとは画用紙をポスターみたいにクルクルと丸めるのと同じことで、平たかった画用紙は筒のような厚みを持つようになる。つまり3次元の方向へ曲がるのと同義である。

 

 もしくは、ピンと張った布の上に鉄球を置いたら、重力によって鉄球の周りが凹む。鉄球ではなく地球が中央に置かれている物を見たことある人は結構いるのではないだろうか。これが2次元空間の歪みと考えられるわけだ。

 

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 フラットランドの住人は、この歪んでしまった世界の中で生活しているが、彼らは布にピターッと張り付いていて、そこから外に飛び出すことは出来ないから、その歪みに気づくことが出来ない。

 

 さて、こうして歪みが生じたフラットランドの中で、2次元人が地球の近くに通りかかった。彼はその横をまっすぐ通過しようとするが、その周囲は3次元方向に歪曲しているから、彼はその歪曲に沿って曲がることになる。

 

 太郎と花子が北極へ向かった時と同じようなものだ。彼らは赤道上で直角に曲がり、お互いに平行に移動していたつもりが、北極点で出会ってしまった。それと同じように2次元人は、自分の意思とは関係なく、3次元の歪みに沿って曲がってしまう。

 

 するとおかしなことになる。

 

 我々、3次元人はフラットランドの様子を上から見ているから、2次元人が空間の歪みのせいで曲ったと認知出来る。ところが2次元人からしてみれば、空間の歪みなんてものは認知できないから、まるで自分が不思議な力で引っ張られたように感じる。

 

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 何故かわからないが、重いものの近くを通ると、そっちに引っ張られる。

 

 これが重力の正体というわけだ。

 

「儂らが重力を感じるということは、4次元の方向へ空間が歪曲しているということじゃ。しかし、儂らは空間の歪みに気づかないが故に、何かの力に引っ張られたと感じるわけじゃが……もしも儂らが3次元空間を飛び出して、4次元空間から自分たちの世界を見ることが出来れば、重力は空間の歪みへ変わる。

 

 4次元の方向を『見る』というのは、この空間の歪みを認知の歪みに変えよということじゃ。儂らには認知が出来ないが、重力を感じたらそこは必ず4次元方向へ歪んでいる。そう意識するのじゃ。さすれば、お主の現代魔法(クオリア)は劇的な変化が現れるはずじゃろう……」

 

 知恵熱でも出ているのか……ギヨームは真っ赤な顔をして、額に手を当て、ほとほと困り果てたような調子で言った。

 

「……レオ。言ってることは何となく分かるんだが、具体的に何をどうしていいのかさっぱり分からない。結局俺はどうすりゃいいんだ? 瞑想でもしろってことか?」

 

 するとレオナルドはなるほどと言った感じに首肯してから、

 

「それもありと言えばありじゃろう。目を閉じ、じっと自分の体の重みを感じながら、それは空間の歪みに起因しているものだと意識するのじゃ。儂らの体は3次元に縛り付けられているが、と同時に4次元空間にも触れている。それを繰り返しているうちに、ある時、脳内のスイッチが切り替わり、何かが変わって見えるようになる。

 

 4次元の方向からやってくる第5粒子(フィフスエレメント)を感じると言うのも、同じことなのじゃよ。儂らが魔法を行使する時、第5粒子は空間の歪みの向こう側からやって来る。今まではそれを不思議な力としか考えて無かったじゃろうが、これからはそれがどこからやって来て、どうお主の脳に作用しているのか、空間の歪みと共に意識して行使してみよ。

 

 例えばお主は拳銃と言う質量のあるものを、一時的とは言え顕現させている。それにはものすごいエネルギーを必要とするから、お主が魔法を使う時、お主の周りには膨大な量のエネルギーの流れが存在するはずなのじゃ。

 

 なのにそれを感じられないのは、それは儂らの住んでいるこの世界のことではなく、この3次元空間を飛び出した余剰次元世界で起きていることだからじゃ。しかしそれを引き起こしているのは、間違いなくお主なのじゃから、お主はその力の片鱗をなんとかして捕らえるように努力するのじゃよ」

 

 ギヨームは自信なさげに答えた。

 

「……とにかく、意識しろってことか? 魔法を使う時、空間がどうとかの話を思い出せと」

「そうじゃ、まずはそれでよい。これからは魔法を行使する際に、儂が話したことを常に意識せよ。日常生活の中でも度々思い出すようにして、意識改革を行うのじゃ。何度も言っておるが、お主は既に現代魔法を用いて高次元にアクセスする方法を知っておる。でなければ、拳銃を作り出すことが出来ないからじゃ。故に、常に考え続け、空間に対する認識が変わった時、お主は赤ん坊が歩き方を理解するようになんとなく、この世界の仕組みを理解するじゃろう。その時、お主の脳は、高次元のイデア界にアクセスする方法を会得しておるじゃろう」

「……今日明日にも使えるようになるってもんでも無さそうだな」

「じゃが、これが一番早道じゃ」

 

 レオナルドはそう締めくくり、長い説明を終えた。

 


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