潮風に吹かれながら、揺れ動く水平線の向こう側を見つめていた。空間の歪みが存在するというのなら、あの丸くなった先に何があるのか、意識することでそれを感じ取れないものだろうか。ギヨームはそんなことをぼんやりと考えながら、ニューアムステルダム発の船の甲板に佇んでいた。
因みに二度目の船旅は同じ轍を踏まぬように、最初からガンガン大麻を吸っていたからなんともなかった。正直、体に良いとは思えないし、
甲板の手すりにもたれかかり、光の礫を幾度も出しては、ギヨームはため息を吐いた。それを大道芸かなにかと勘違いした船員たちから拍手が送られたが、これは失敗したから出る光なのだ。褒められても何も嬉しくない。
順風に恵まれた船旅も三日目となり、船長に言わせれば今日中にカーラ国に着くだろうとのことだった。今回はそこからすぐにボヘミアには入らず、直接ヴァルトシュタインの砦へ向かうつもりである。
彼が船に乗り向かっている先は、言うまでもなくカナンの村だった。今から丁度3日前、レオナルドの館で読んだ本に書かれていた翼人の話。そこに違和感を感じた彼は、スカーサハに新大陸に翼人がどれくらいいるのかと尋ねてみた。
すると彼女は翼人の存在は知っていたが、今までに会ったことはないと言い出した。北方の少数民族と聞いてはいるが、具体的にどこに住んでいるのか、どのくらいの数がいるのか、そういった細かいことは知らないのだと。
だが、それはちょっと考えにくいことだろう。何しろ彼女は神人で、300年以上も生きている上に、開拓当時から新大陸で暮らしていたのだ。そりゃ、師匠がこっちに住んでいるのだし、今のように旧大陸を行ったり来たりしてはいたが、それでもトータルでは200年以上も新大陸で暮らしていた計算になる。
おまけに彼女は連邦議会の特別顧問であるし、新大陸の政府高官みたいなポジションにいる。だから翼人の存在を知っていたとも言えるが、そんな彼女が実物に会ったことがないというのは、流石におかしいと言わざるを得ないだろう。
そうして考えて始めて見ると、不自然なことはいくつも見つかった。
例えば彼らは新大陸の先住民だと言うが、勇者が新大陸へ渡った際、彼らと衝突が起こったという記録はない。知っての通り、地球の歴史では、アメリカ大陸に渡った
征服者たちは数世代進んだ科学技術と圧倒的な武力で、またたく間に南米を支配したように思われているが、実際には最初の150年くらいは相当苦労している。と言うのも、彼らが持ち込んだ銃や弾薬は、先住民だって奪えば使えたのだし、数の上では圧倒的に先住民の方が優勢だった。
因みに北米のインディアンと聞けば馬に跨った上半身裸の男達が、手斧を振り回して突撃してくるようなイメージを持つが、あれは西洋人が持ち込んだのを先住民が奪ったものだ。元々アメリカ大陸に馬なんていなかったのだ。
ところが、こちらの世界では、新大陸に渡った勇者領の人たちは、全く誰からの抵抗も受けること無く入植出来た。何故か? それは彼らが渡った先に人が住んでいなかったからなのだが……翼人が先住民であるなら、どうして彼らは住みやすい温帯ではなく、わざわざ北方の極寒の地で暮らしていたのだろうか。
新大陸にも魔物がいて、彼らはそれを避けて北方で暮らしていたのかも知れない。1000年前、ソフィアが現れる前の人類も、同じように北に追いやられていたそうだから、そういうこともあるだろう。だがそれなら、新大陸に人が渡ってきて、安全な街を作り始めた後も、どうして彼らは北方で引き篭もっているのだろうか。
旧大陸の人間と反りが合わないとか、キリストの教えを守るためとか、色々理由をつけてはいるが、エスキモーだって貨幣経済の波からは逃れられなかったのだ。なのに、彼らが誰一人として村を離れないというのはどう考えてもおかしい。実はそこそこ人里に下りていると言うのなら、今度はスカーサハが会ったことがないというのが矛盾になる。
彼らの容姿も非常に怪しい。見た目が天使のようだという事を差っ引いても、そもそもあんなふうに人間が進化するものだろうか?
ギヨームたちが彼らの姿を見ても驚かなかったのは、この世界に獣人や魔族が存在するからだが、考えてもみればリュカオンを元にした獣人たちは、元の動物の特徴をかなり残している。じゃあ、あの翼人の元となった動物は何だ? と考えると、翼が生えているのだから鳥のような気もするが、どちらかと言えば人間の特徴の方がよっぽど多く残っているだろう。
あれが獣人と同じ種族とは到底思えない。しかし魔族なら、新大陸に渡ってきた人類と敵対していたはずだし、これらのことを踏まえると、本当に翼人なんて種族が存在するのかどうか疑わしくなってくる。少なくとも、300年以上も前から新大陸に住んでいたのは嘘なんじゃなかろうか。
いや、彼らは嘘を吐いている。断言する。では、彼らはどこからやって来たのか……? 天使のような翼、神人のような容姿、そして新約聖書。これらの材料が頭の中でぐるぐる回ってどうにも落ち着かず、ギヨームは思考の迷路に迷い込んでいた。
だから彼は直接探りに行くことにした。カナンの村へ行って、遠くから村の様子を監視するのだ。例のニュートンの著書を読んでいて、つくづく思った。どだい、自分は頭で考えるよりも行動したほうがいいタイプなのだ。考えるのは鳳やレオナルドのような頭脳派の仕事だ。
その鳳に知らせるべきかどうかは悩んだが、結局はやめておいた。取り敢えずはレオナルドたちが知っていれば、何かあった時のフォローはしてくれるだろうし、今は煩わせたくないと思ったからだ。鳳はあの神父を信用しているようだし、仮に翼人が危険な連中だったとしても、彼が簡単にやられるとも思わない。結局は考えすぎと言うか、杞憂に終わるのが一番いいのだ。
そんなわけで彼はレオナルドたちに後事を託すと、ニューアムステルダムから船に乗った。本当なら陸路を行ったほうが早いのだが、乗合馬車では例の
MP消費も増減したりせず、相変わらずクオリアは光の礫となって消えてしまった。MPの回復中は拳銃の方を作り出したり、レオナルドの講義を思い出したりしていたが、老人が言うように脳のスイッチが入るような劇的な変化は訪れなかった。本当にこの方法でいいのだろうか……? という迷いもあったが、他にやれることもないのだから、今は信じて続けるしかない。
カーラ国に接岸してからは、高速郵便馬車に便乗してアルマ国を目指した。早馬で1日の距離だが、ボヘミア砦はその途中にあるからもっと早くつくはずである。
御者に途中で下ろしてくれるように頼んでから、荷台で丸まって寝ていると、暫くしてゆさゆさと揺すり起こされた。あくびを噛み殺しながら荷台から外に出ると、太陽はとっくに沈んでおり、空はすっかり暗くなっていた。何しろ戦場になった場所だから周囲に民家もなく、御者は本当にここでいいのかと念を押してきたが、間違いないと礼を言って馬車を下りた。
月明かりを頼りにヴァルトシュタインの砦まで歩いた。砦は山の中だから周囲は完全な暗闇であり、夜目が利かなければきっと一歩も動けなかっただろう。しかし彼は松明をつけることもなく、慎重に山の中を進んだ。理由はカナンの村の住人に気付かれないように近づきたかったからだが、夜明け前までにたどり着けるか少々不安になった。
夏なら虫の声が煩かっただろうが、今は逆に耳鳴りがするくらいしんと静まり返っていた。時折吹く風に常緑樹の葉がガサガサと音を立てる以外、本当にどんな音も聞こえてこない。それが平衡感覚をおかしくするようで、彼は何度も転んで尻餅をつく羽目になった。
ほんの半年前、あの大森林を散々歩き回ったというのに、体が鈍っているのかなと思いもしたが、それくらい人間の空間認識力は耳に頼っているということだろう。
そんな具合によろけながら山の斜面を登ってくると、段々とその傾きが緩やかになってきた。どうやらカナンの村がある、山の中腹にたどり着いたらしい。村人たちに気づかれないよう、新雪を踏むように落ち葉をギュッと踏みしめながら、彼は慎重に村の方へと進んでいった。
やがて月明かりに照らされ美しく輝く段々畑が見えてきた。森の出口に差し掛かったギヨームはそれ以上進むことをやめ、手近にあった木によじ登ると、荷物と自分が乗るためのハンモックを吊るし、それから迷彩柄のシートを出して木に張り巡らせ、ハンモックを覆った。こうしておけば、遠目から人に気づかれる心配は絶対にないはずだ。彼はハンモックに寝そべるように腰掛けると、荷物から双眼鏡を取り出して村の様子を窺った。
そうやって木の上に基地を作っている間に、夜は明けて空は白み始めていた。冬でまだ夜が長いから、時刻は7時少し前といったくらいだろうか。都会の若者ならまだ寝ているだろうが、老人だらけのこの集落なら、とっくにみんな起きているだろう。もう少し日が昇れば、そのうち村人たちが外に出てくるはずだ。ギヨームはそれを待った。
ところが……そうやって村を監視していても、一向に誰かが現れる気配がない。彼はおかしいと思い、双眼鏡を下ろして村全体を眺めてみた。
村はまさに高地の寒村といった感じで民家が少なかったが、それでもざっと見た限りでも疎らに数軒の家が見て取れた。手入れもされているようで、誰かが住んでいるとしか思えないのだが……どうして誰も出てこないのだろうか? と思った時、彼はふとした違和感に気がついた。どこの家からも煙が上がっていないのである。
いくら家の中でもこの寒さでは暖炉がなくては暮らしていけない。それに炊事をするにも火をおこす必要があるだろう。日が昇り、そろそろ陽気もポカポカしてきた頃合いである。なのに、一軒も煙があがらないなんておかしいだろう。
いや、たった一軒だけ、煙が上がっている家はあった。それは村の中央にある小高い丘の上……カナンの診療所である。そこの煙突だけが煙を上げており、唯一人の気配を感じさせた。
「……やっぱ、おかしいよな、これ」
ギヨームは呟いてから、双眼鏡を覗き込んだ。さっきから人を探そうとしていたから、ちゃんと家の様子を観察していなかった。そうやって気を新たにして見てみれば、家は確かに手入れはされているが、例えば通用口の前の雑草の生え方だったり、暫く人が住んでいない痕跡が見て取れた。この村は、カナンの診療所以外に人がいないのだ。
どういうことだろうか? 農閑期だから村人たちが他所へ行っているのだろうか。いや、冬だからと言って、農家に仕事がないわけじゃないから、彼らが畑を留守にするとは思えない。
じゃあ、なんであんな民家があるのだろうか。ここに人が住んでいますよと、見せかけるためのカモフラージュだろうか。いや、それもおかしい。だったら、ポポル爺さんはこの村を目指さなかったろうし、近辺の村の人々がカナンのことを知っているはずがない。
ヴァルトシュタインが砦に籠もっていた時、確かにこの村はあったのだ。連邦議会はカーラ国から山に入り、周辺の村を経由してここに物資を送ってきた。間違いない。では、なんで今、人がいないんだ……?
おかしい……変だ……だが、それが分かったところで、何をしていいのかが分からない。村人たちがいないなら、この村を探りに来た意味がないのでは……? いや、そんなこともないだろうか……ギヨームは翼人の様子を探りに来たのだ。一応それならカナンが居る。寧ろ、彼しかいないようだから、きな臭いと思っているのだが……
そんなことを考えながら、双眼鏡を診療所に向けた時だった。締まりっぱなしだった玄関のドアが開いて、中から誰かが出てきた。いかにも休憩がてら外の空気を吸いに来たといった感じで、太陽に向かって伸びをしている。白衣を着て、身長は中くらい、女性にしては長身だ。そう、出てきたのは女性だった。
「……なんで、あいつがここにいる?」
ギヨームはその女性を見て驚いた。何故なら、そこに居たのは、例の孤児院で医者として働いている、アスタルテという名前の女性だったからだ。ギヨームは彼女にボロクソに言われたことが悔しくて、自分の魔法を改良しようと思い立った。少しでも鳳に近づくために……
いや、今はそんなことはどうでもいい。それよりも、何故、彼女がこの村にいるのだろうか。彼女は元々この診療所でカナンの助手として働いていたのだから、居る事自体は不自然ではない。だが、彼女は今孤児院のスタッフとして、フェニックスの街で働いているはずなのだ。
ギヨームが、フェニックスからヴィンチ村へ行って、また引き返すようにこっちへ来るまでに、かなりの時間が経過している。だから、その間に彼女がフェニックスから帰ってきた可能性は否定できない。だが少なくとも、彼が旅立つ前に、そんな気配はなかった。孤児院の医療スタッフというのは、そんなに簡単に帰れるものなのか? 本当に、どうして彼女がここにいるのか……
と、その時だった。
困惑しながら双眼鏡を覗き込んでいるギヨームと、彼女の視線が交錯した。その視線に心臓を射抜かれたような気分がした彼は、無駄と知りながら息を殺し、ゴクリとつばを飲み込んだ。アスタルテは、そんな彼の目をじっと見つめている。
ここは村の周縁の森の木の上で、見つからないよう念入りにカモフラージュされている。臭いや音は隠せないが、少なくとも人間が遠目から見て気付けるはずがない。もちろん、彼は太陽を背にしており、双眼鏡が光を反射するようなヘマも犯していないはずだ。
だからあれはただの偶然だ。たまたま、彼女がこっちに目を向けただけなのだ……ギヨームは自分にそう言い聞かせ、早鐘を打つ心臓を落ち着かせようと深呼吸をした。
果たして、彼の焦りはやはり杞憂のようだった。じっとギヨームの目を見つめていた彼女は、間もなくぷいっと視線を外すと、面倒くさそうに診療所の中へと帰っていた。扉が閉じられ、中の様子は窺えない。暫く待ってみたが、もう一度開くことはなかった。
ギヨームは、ふぅ~……っとため息を吐いて、双眼鏡を下ろした。緊張感が解けてどっと力が抜けた気がした。気づかぬうちに押し付けていたのだろうか、目蓋がヒリヒリと痛くて、手で触れたらぬるっとした感触がして、額にものすごい汗をかいていることに気付かされた。
いくら何でもビビり過ぎだろう……確かに、あの女に見られたと思った時はドキリとしたが、あれはただの偶然だったのだ。あの後、彼女はすぐに診療所の中に入ってしまった。気づかれているはずはない。何しろここは数百メートル先の森の中だ。
でも……本当にそうなのだろうか?
根拠はないがあの時の視線には、何か嫌なものを感じた。それはただの冒険者の直感でしかないのだが、ヤバい魔物と遭遇したときのような……自分が蛇に睨まれた蛙になってしまったかのような、そんな気がしたのだ。得体の知れない連中であるという先入観がそう思わせるのだろうか。まあ、それを探りに来たのだから仕方ない面もあろう。
ともかく、彼はこのまま監視を続けようと、また双眼鏡を覗き込もうとして……すぐにそれを下ろした。
これ以上、監視を続けて何になる? 彼はここに何をしに来たのかを思い出した。それは村を探ることによって、あの翼人たちが何かボロを出すんじゃないかと思ったからだ。それならもう出してるじゃないか。
いつの間にか消えてしまった村人たちに、ここには居ないはずの女性が当たり前のようにいる。恐らく、あの診療所の中にカナンはいるだろうが、阿片窟にはもう誰もいないだろう。
さて、どうすべきか。それを確認しにいくべきだろうか……これまでの状況からして、翼人たちが胡散臭い連中であることはもはや疑いようもない。彼らは自分たちの出身地や行動を誤魔化して、鳳に近づいたのだ。もしかすると、ニューアムステルダムで彼が本を手にすることも、ヘルメス卿を押し付けられることも、予め知っていたのではなかろうか……? それはいくらなんでも飛躍し過ぎか? だが、そう思わせる得体の知れなさが彼らにはあった。
ともあれ、今までの状況証拠だけでも、鳳に警戒感を抱かせることは可能だろう。仮にギヨームの話を聞こうとしなくても、レオナルドから言われれば彼も考え直すはずだ。このまま山を下りていって、近くの街からヴィンチ村に手紙を出そう。そして、自分は急いでフェニックスに帰るのだ。
だが、本当にそれでいいんだろうか? 彼はまだ迷っていた。
ギヨームの推測通り、翼人たちが怪しいことは確認出来た。しかし結局、何故彼らが鳳に近づいてきたのか、それはまだ分からないのだ。
鳳はこの世界の勇者である。300年前、忽然と姿を消した勇者と、同一人物であるらしい。レオナルドやスカーサハは、自分たちの記憶が改竄されていることに気がついている。最近、鳳がおかしくなったのは魔王化による影響だ。このまま放置していたら、いずれ鳳は魔王になってしまうか、自分たちの記憶から消されてしまう可能性が高い……
この状況で、突然、天使みたいな連中が勇者の周りをうろつき始めた。それを調べずして、ここから立ち去ってしまっても、本当にいいのか?
「……くそっ」
ギヨームは吊るしておいたリュックサックを乱暴に引っ掴むと、ハンモックの上に中身をぶちまけた。そして一日分の携行食と万が一の着替え一式だけを詰め直し、軽くなったそれを木の根っこの辺りに放り投げた。
それ以外の荷物はハンモックの上に残し、木を降りた彼は先に落としたリュックを隠蔽してから、姿勢を低くして誰にも見つからないよう、慎重に村の方へと近づいていった。
村は異様なほどひっそりと静まり返っており、まるで黄泉の国にでも迷い込んだかのようだった。