ラストスタリオン   作:水月一人

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魔王化の影響

 職員は鳳が壊してしまった執務机をテキパキ設置すると、埃を追い出すために開け放った窓をパタンと閉じてから去っていった。去り際に恭しくお辞儀する姿は、まるでロボットダンスのようだった。執務室には鳳一人だけが残されて、静けさが戻ってきた。だが、彼にはそんなものなど、殆ど意味をなさなかった。

 

 部屋の外からは、相変わらずヒソヒソとした声が聞こえてきた。たった今出ていった職員がホッと息を漏らし、同僚に『殺されるかと思った。異様な迫力だった』と言っている声が聞こえた。すぐ側にはペルメルとディオゲネスがおり、彼らはそんな職員の軽口など聞こえてない感じで、『ヘルメス卿の様子がおかしいのは、やはり勇者領のことが気がかりなのだろうか』『ロバート様をさっさと後継から外すと言えば良いのに……それを許さぬ国内事情が辛いな』『血の繋がりはそれだけ重い。我々も、アイザック様のことが無ければ、盲目的に彼に従っていただろう』『ああ……鳳様が、この国を治めると言ってくれさえすればいいのに』

 

 彼らはあんな理不尽な怒鳴られ方をしても、まだ鳳のことを信頼しているようだった。二人のその忠誠は素直に有り難かったし、涙が出るほど嬉しかったが……でも、この国を治め続ける……それは出来ない相談だった。それくらい、鳳の変化は著しかったのだ。

 

 そもそもこれらの会話は、普通の人間には壁一枚を挟んで聞き取れるようなものではないのだ。それどころか、神人二人はすぐ隣にいる職員の声すら聞こえてないはずであり、なのに鳳には聞こえている。つまりはそう言うことなのだ。魔王化が始まってから、彼の感覚は日に日に鋭くなっており、今では文字通り化け物じみていた。

 

 因みに、数日前、ルナが襲われそうになっている時、現場に駆けつけられたのはそのお陰だった。だが良いことばかりではなく、ヘルメス卿などをやっていたら、当然あちこちから恨まれているから、最近は誰も居ない場所でこうして座っていても、否応なく悪口が耳に飛び込んできた。それだけなら我慢すればいいのだが、それを聞くたび憎悪を増幅するかのように、頭の中ではエミリアによる『殺せ殺せ』の大合唱が響いてきて、それを意識して遮断するのに苦心している。

 

 身体能力の変化だけではなく、ステータス的にもはっきりわかる変化が現れていた。いつの頃からか彼のレベルは勝手に上がり始め、ボーナスポイントも増え続けているようだった。共有経験値もガンガン上がり、パーティーリストには知らない名前がどんどん増えていっているのだ。

 

 どうやら、彼に出会った領民なら誰でもここに登録されていくらしい。最近は見るのも嫌で開いてないからどうなっているか分からないが、おそらく全ての領民を登録するまでそれは続くのではなかろうか。

 

 精神的な変化もかなりきつい物があった。最近は焦燥感に苛まれているというか、常に追い詰められた気分でいた。と言うのも、男性に対する暴力衝動のようなものが、日に日に強くなって抑えきれないのだ。

 

 元々、理不尽には報復を……という性格ではあったが、今はとにかく目の前の相手をへこませたい、相手を殴り倒してでも言うことを聞かせたいという、暴力衝動が強くなっていた。特にロバートやその腰巾着に対する感情は強く、殆ど殺意と言っていい。お陰で最近は彼がクレームに来る度に、それを抑えるのに必死だった。

 

 だが、嫌でもクレームはやってくるし、領民のことを考えるとロバートを後継者から外すことなど出来なかった。その鬱憤のせいで、つい部下に当たり散らしてしまうのだが……鳳はそれすら気に食わなかった。

 

 それは、プライドの高いはずの神人が、『どうしてそんなに簡単に頭を下げるのだ。そうじゃなくてもっと突っかかってこいよ』という、理不尽な感情だった。だがもし本当に突っかかってきたら、それは殺意に変わるのだろう。それが分かるから、鳳は自分が苛立つことにまた苛立ち、その情けなさに死にたい気分になるのであった。

 

 男性に対する暴力衝動もさることながら、それに輪をかけて厄介なのは女性に対する飢餓感であった。

 

 300年前、勇者はセックス依存症になったという。その顛末を聞いていたから、女性に関しては最も警戒していたのだが、やってきたのは耐え難い性欲ではなく、異様な飢餓感のようなものだったのだ。

 

 一度、ルナの子供の乳母を探しに、冒険者ギルドを訪ねていったことがあった。鳳は、元から意識していたミーティア相手にも性欲は起こらず、普通に話が出来ることにホッとしていたのだが……その時、何故か妙にお腹が空いてきて、腹がグーと鳴った。

 

 元々、ヴィンチ村に居た時から、料理を作ってもらうような間柄だったから、彼女はその音を聞いてすぐに夜食を作ってくれた。それが変化に気づいた最初だった。

 

 鳳は、彼女と久しぶりの彼女との会話に気を良くして、出されるものを次から次へと平らげていたのだが、彼女の料理はどれもこれも異常に美味しくて、何故か食べても食べてもお腹が満たされることがなかった。

 

 流石にこれは食いすぎだろうと思いつつも、そのまま食べ続け、ついには食堂の食材が尽きかける程になり、ドン引きした彼女に止められたことでようやく食べることを止めたのであるが……それでも空腹感が拭えないことに首を捻りつつ、彼女と別れて執務室へ戻った彼は、そのままソファでぶっ倒れ、翌日、たまたまやって来たアリスに起こされるまで眠ってしまった。

 

 そうしてアリスに起こされた時、昨日ぶっ倒れるまで食べたくせに、何故か空腹のようなものを感じ……それでようやく彼は性欲が食欲に変換されていることに気がついた。元々、性欲と食欲は繋がっていると言うが、女性を警戒するあまり、魔王化の影響がおかしな方向に出てしまったのだろう。

 

 所構わず勃起するよりはマシかも知れないが、ある意味、こっちの方がきついかも知れない。例えそれが誰であっても、女であれば反応する。要するに鳳は四六時中空腹に悩まされているのだ。おまけに、いい女であるほど飢餓感の度合いが強いので、鳳はミーティアやルーシー相手にも、自分はそう言う目で見ていたのかと思い知らされて結構へこまされた。

 

 年齢はあんまりが関係ない。ただ、本当に小さな子供には反応しないので、もしかしたら出産能力が関係しているのかも知れない。因みにアリスはまだ幼いからか、一緒にいても比較的楽な方だったので、性欲のバロメーターにしていたのだが……そろそろ駄目のようである。最近はそれで彼女も近づけないようにしていたのだ。

 

 空腹の度合いで言えば、神人女は特にやばく、ジャンヌはその好意を知っているせいで余計にきつかった。彼女に会うと意識せずにはいられず、その意識の全部がダイレクトに胃袋にくるのだ。同じ意味ではクレアもやばい。彼女は女の性というものが武器になることを理解しているので、なおさら性質が悪かった。

 

 だがある意味で一番ヤバいのはルナだった。

 

 彼女は神人で信じられないほど美しかった。初めて出会ったのはあの謁見の間であり、元々性的な意味で興味もあった。それを友達の子供のお母さんだからということで意識しないようにしていたのだが、飢餓感はそんなものを考慮してくれない。また、今の彼女が、鳳がいなければ生きていけないという優越感が、彼の性欲に拍車をかけていた。

 

 極めつけは、生まれてきたのが男の子だというのもまずかった。男に対しては飢餓感は生まれないが、代わりに殺意(・・)が湧くのだ。

 

 実は赤ん坊が生まれた日、彼はそれを殺そうとしていた。赤ん坊を見た時、あんなに可愛いと思ったのに……友達の子供だと分かっているのに……彼は今すぐこの子を殺して、女の方をぶち犯そうと、そう考えてしまっていたのだ。

 

 それは初めて感じた殺意と性衝動であり……その時からもう、彼はとっくにおかしくなっていたのだ。

 

 鳳は、それを思い出す度にゾッとした。もし、この飢餓感や殺意に負けて、あの母子を傷つけるようなことがあったら、一体自分は何のためにこんなことをしていると言うのだろうか……面倒くさい領主の仕事も、ロバートみたいな私利私欲にまみれた連中と戦っているのも、大事な仲間を遠ざけてまでそうしているのは、全部彼女らを助けるためにやってきたことなのだ。なのに、それを自分からぶち壊そうとしている。

 

 赤ん坊のことだって、本当に可愛いと思っているのだ。なのに、それを見た瞬間、その感情が殺意に変わる。あんまりではないか。

 

 友達は、あの子を守るために死んでいったのだ。それじゃあまりにも浮かばれないから、せめてあの子が大きくなるまで見守ってやりたいと、そう思っていただけなのに……今の鳳には、赤ん坊を守るどころか殺すことしか考えられないのだ。

 

 そんなこと、絶対に起こしてはならない。自分自身が許せないだけではなく、きっと仲間たちは失望するだろう。だからそうなる前に、早く今の生活を終わらせて、誰も居ないところへ行かなければ……

 

 彼はこのところ、ずっとそのことばかり考えているのだが、今のところその目処は、いつまで経っても立ちそうになかった。

 

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