ラストスタリオン   作:水月一人

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クレアの拒絶

 東部国境からの難民流入、それに伴う野盗出没への対策として、鳳は冒険者ギルドを活用しようと考えた。彼はすぐにでも実行しようとしたが、しかしテリーの指摘を受けて、まずは東部貴族たちの同意を得なければと考え直した。

 

「え? クレアを呼べ、ですって?」

 

 その説得のために、東部から慌ただしく帰ってきた鳳は、まずは東部貴族のリーダー格であるクレアを呼び出すことにした。このところずっと避けていたくせに、彼女のことを呼べと言うから、最初神人たちは目を丸くしたが、事情を説明するとすぐに、

 

「なるほど、帝国との戦争が百年単位で続いていましたからね。これまでにも度々国境侵犯を受けていたのは知っています。知っていても、何も出来なかったんですが……」

 

 神人二人はバツが悪そうに目を逸らした。その様子じゃ恨まれている心当たりがあるのだろう。ともあれ、男三人でお通夜みたいに渋い顔を突き合わせていても仕方ない。クレアを呼ぶと、彼女は5秒くらいですっ飛んできた。

 

「ヘルメス卿に置かれましてはご機嫌麗しゅうございますわ!」

 

 本当に、どこにいたんだよというくらいの早さであった。もしかすると、鳳が会ってくれるまで、庁舎のどこかで粘っていたのかも知れない。なにも、そこまでしなくてもいい立場であろうに、彼女は余程ヘルメス卿になりたいのだろうか。

 

 ともあれ、鳳はこの様子なら説得も容易だろうと思ったのだが、

 

「……は? オルフェウス国境を開けとおっしゃるのですか……?」

「有り体に言えばそうです。既にオルフェウスからの難民は多数領内に入り込んでしまっています。それに乗じて野盗も出没しており、それを取り締まるためにも、国境を封じるより、寧ろ開けて速やかに難民を受け入れ、彼らに仕事を与えたほうがマシだろうと判断しました」

「何をおっしゃってるんですか。軍隊で追い返してくださればいいだけの話ではございませんか。何のためのヘルメス軍です?」

「実はそれをやったことで、現在、国境でヘルメス軍と帝国軍が睨み合っているんですよ。帝国側は、軍隊が国境付近をうろつくのは流石に看過できないと言ってまして、それで速やかに解散しなくてはならなくて……」

「でしたら丁度いいから一緒に取り締まって貰えばいいじゃないですか。今はもう帝国軍も敵ではないのでしょう? 元はと言えばあちらが悪いのですし、要らぬ誤解も解けるというものですわ。ついでに領内に潜伏しているオルフェウス民も連れ帰ってもらいましょうよ」

 

 クレアはテリーと同じようなことを言い出した。これまで、鳳のやることは何でも賛同してきたクレアのまるで取り付く島もない様子に、鳳は困惑すると同時に、理屈じゃないと言っていたテリーの言葉を思い出していた。

 

 国境問題を抱えている東部の貴族たちは、オルフェウス領からの攻撃に何百年も悩まされ続けてきたのだ。それをいきなり受け入れろと言われても、彼らには無理な相談なのかも知れない。だが、鳳はそれでも諦めきれずに、

 

「難民をただ追い返したところで、彼らの殆どが故郷で餓死するだけなんですよ? 流石にそれは寝覚めが悪いと思いませんか」

 

 しかし彼女はきっぱりと言いきった。

 

「いいえ、思いません。だって、こっちが困っていた時、彼らは助けてくれなかったじゃないですか。私たちの領民の誰がオルフェウスへ亡命しましたか。そんなの一人もいませんわ。何故なら、国境を越えてあっちに行ったら問答無用に殺されるからです。なのに今度は自分たちが困ってるから助けてくれなんて、いくら何でも虫が良すぎます。これは昔の話じゃない。たった1年ほど前の話ですよ?」

「それは……あの時は戦争中でしたし、敵国同士だったからでしょう? 平和になった今なら、彼らだってきっと助けてくれると思いますよ」

「いいえヘルメス卿、お言葉ですがそんなことはあり得ないです」

 

 そしてクレアは、今まで見たこともないような棘のある表情で、吐き捨てるように言った。

 

「私の領民たちは、300年間もあちらからの国境侵犯に脅かされ続けて来たのですよ。収穫期を狙われ、家畜のように女性がさらわれる。なのにこちらからは何も出来ない。辺境だから、中央政府もあてにならない。領民たちはいつ襲ってくるかも知れない野盗に怯え、領内を転々と移動しながら暮らしていたのです。あんなに土地があるというのに、街は国境から何十キロも離れた場所にしか作れない。それもこじんまりとした田舎の村です。じゃなきゃ襲撃の対象になりますから。それでも彼らを受け入れろというのですか? 私たちの間に流れる感情は……もうそう言う問題じゃ片付かないのですよ」

 

 クレアは思った以上にはっきりと、鳳の要求を拒絶した。

 

「今日、ここに呼ばれたのは、私に国境の領主たちを説得して欲しいからだったのですね……申し訳ございませんが、こればっかりは……いくらヘルメス卿の頼みでも受け入れかねますわ。お呼ばれした時は本当に嬉しかったです……残念です。失礼しますわ」

 

 クレアはそう言うと、真っ白な顔を強張らせながら、ぷいと踵を返して去っていってしまった。鳳たちは、今まで見たこともない彼女の嫌悪感あふれる表情に驚き、何も言葉を発することが出来ず、黙ってその後姿を見送るしかなかった。

 

*********************************

 

「……俺はちょっと、彼女を舐めすぎていたかも知れないな」

 

 クレアが執務室を出ていった後、鳳たち三人は何も言えずに沈黙することしか出来なかった。気まずい空気が流れる中で、鳳はそんな反省の言葉を口にした。

 

 彼女とは出会いからして対等ではなかった。鳳は勇者で、暫定とは言え皇帝から認められた正式なヘルメス卿……対して彼女はその後継候補という弱い立場だった。その態度に裏があることは分かっていたが、最初から好感度がマックスで、何を言っても必ず賛同してくれるから、いつの間にか勘違いしていたようだ。

 

 彼女にだって譲れないものはあるのだ。鳳は、今回はろくな根回しもせずに、彼女のことを傷つけるような真似をしてしまったことを後悔した。

 

「それでどうしますか? ヘルメス卿。今回ばかりは彼女の言う通りにした方が良いのでは?」

「実際問題、難民受け入れは難しいですよ。受け入れたは良いものの、彼らが地元に馴染むとは限りません。それにもし、トラブルが起きた時、我々はどちらの味方をすればいいのでしょうか。あまり一方を贔屓すれば、もう一方から恨まれます。下手したら暴動になりかねませんよ」

 

 クレアの剣幕もあって、神人二人は及び腰になってしまったようだ。鳳は彼らの言うことを聞き入れつつも、

 

「確かに、そうした方がいいとも思うが……俺はもう一度だけ、ちゃんと彼女を説得してみようと思うよ。いま話をした感じ、彼女も感情だけで拒絶している面はあった。俺も、彼女なら聞き入れてくれるだろうと言う甘えがあった。だから今度はそういった感情を抜きにして、理屈でちゃんと議論しておきたいんだ」

「そこまでする必要が、この難民受け入れにあるんでしょうか?」

「俺はあると思う。例えここで受け入れを拒否しても、これ以上両国の関係が悪化することもないだろう。既に最悪だからな。しかしだからと言っていつまでも放置していていい問題でもない。国交が成立した以上、これからは嫌でも付き合っていかざるを得ない相手なんだ。いずれ正規のルートでオルフェウスの民が入ってきた時、ここで恩を売っておくのとおかないのとでは、雲泥の差があると思う」

「……確かに」

「それに、クレアにとっても悪くない話だと思う。彼女が後継者レースに勝つには、やはり東部の開発を急ぐ必要がある。今はロバート派の妨害のせいで労働力不足に陥ってるが、もしもオルフェウス難民を使えるのであれば、それが一気に解決する。それに隣国のことじゃ彼らにも手が出せないだろう? その点も含めて、まあ、なんとか説得してみせるよ」

「わかりました。それじゃ、もう一度クレアを呼んでみましょう」

 

 神人二人はそう言うと、たった今出ていったばかりのクレアのことを追いかけて部屋から出ていった。

 

 しかし、彼女がもう一度執務室に帰ってくることはなかった。追いかけていった神人の話では、戻ってもどうせ今の話を蒸し返されるだけだから、彼女は嫌だと言っているそうだった。

 

 クレア曰く……正直なところ、それでも鳳に強く頼まれたら自分(クレア)は拒否出来ないだろうが、もしも本当にそうしたら、間違いなく東部の領主たちに恨まれることになる。彼らは同じ苦労を抱えている仲間であり、彼女の支持基盤でもあった。そんな彼らを裏切ることはどうしても出来ないと彼女は言った。

 

 それは至極まっとうな理由であったし、支持基盤を失えば、流石に今度こそ彼女も後継者に返り咲くことは出来ないだろう。鳳としても出来ればロバートではなく、クレアを推したいのだ……ならばこれ以上強くは頼めないだろう。

 

 出来ればもう一度彼女と話し合ってみたかったが、こうなっては仕方ないと、彼は一度は諦める決心をした。

 

 ところが、そうして彼が諦めたところ、まるでタイミングを見計らっていたかのように、そのクレアから食事の誘いが舞い込んだ。ずっと誘われていたのだが、魔王化の影響が怖くて避け続けてきたのであるが……きっと今なら誘いに乗ってくれると、彼女は思ったのだろう。

 

 もしも食事に付き合ってくれるなら、その間くらいなら話を聞くと彼女は言っているようだった。流石、百戦錬磨と言うか、卒がないと言うか、行けば必ず誘惑されることが分かっているのに、どうして誘いに乗ることが出来ようか。

 

 しかし、これを逃したら彼女を説得することは一生出来ないだろうし、ついでに彼女との関係も永遠に失われるかも知れない。考えようによっては、ロバートの妨害を掻い潜って、彼女に起死回生の一打を与えることの出来る、最後のチャンスかも知れないのだ。

 

 それに昨日大暴れしたせいで、今日は朝から調子が良かった。神人二人相手に苛ついたりもしていないし、今のところ、わりと冷静でいられている。だったら、一度賭けに出るのも悪くないのではないか。最悪の場合、彼女の誘惑から逃げればいいだけだし……

 

 と考えたところで、鳳はそれ以上考えることをやめた。

 

 馬鹿馬鹿しい。なんで男の自分の方が貞操の危機を考えなくてはならないのか。鳳は勇者であり、アホみたいなチート能力の持ち主だ。対してクレアは美人なだけのただの女だ。仮に彼女が襲ってきたところで、危険なのは彼女の方だ。

 

 鳳はそう考え直すと、彼女の誘いに乗ることにした。彼はこの時調子が良くて、魔王化の影響を甘く見ていたのだ。

 


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