ラストスタリオン   作:水月一人

215 / 384
私は何が何でもヘルメス卿にならねばなりません

 クレアに呼び出されたのは、フェニックスの街外れにある料亭だった。

 

 急成長中の街は官庁街に近いほど建物が多くて賑やかであるが、勇者領からやってきた投資家や、元々首都で暮らしていた貴族たちは、猥雑な中心部を避けて郊外に家を建てる傾向があった。店はそんな高級住宅街の一角にあり、閑静な町並みにひっそりと作られた隠れ家的な雰囲気を醸し出していた。

 

 鳳はそんな静まり返った住宅街へと人力車に乗ってやって来た。一応、お忍びだから目隠しで覆われていたので、すぐ近くに来るまでそれに気づかなかったのだが、たどり着いた先は白い壁に棟瓦が乗った土塀に囲まれている、正に料亭といった感じの場所であった。

 

 ポカンとしながら車を下りると、待ち構えていたかのように、四脚門のすぐ脇に作られた通用門がパッと開いて、店の者が恭しくお辞儀をしてみせた。着流しにエプロンという出で立ちに驚いていると、その案内人に連れられて言った先の玄関で、三指を立てて女将が出迎えてくれたことには更に驚いた。女将と言っても日本人ではなくエルフみたいな顔をした神人だから、なんだかコスプレでも見ているような気分である。

 

 板張りの廊下は薄暗く、見えなくなるくらい奥まで続いていて、左右の襖からは会食中らしき客の声が聞こえた。案内されたのはその長い廊下の一番奥の部屋で、襖を開けると目に飛び込んできたのは、畳敷きの和室であった。

 

 まだ新しく、い草の匂いが漂い、床の間には花入れに美しい一輪挿しが置かれ、壁には墨跡が掛けられている。どう見ても漢文であるが、この世界の人々はこれが読めるのだろうか? 書いたのは言うまでもなく、あの人であるに違いない。元の世界で売ったらいくらくらいの値がつくだろうか。

 

 隣部屋との間の鴨居には透かし彫りの欄間が入っており、目を楽しませてくれた。日本家屋など懐かしい気もしたが、考えてもみれば、つい最近帝都でも見たばかりである。多分、この店をプロデュースしたのも利休だろう。鳳に呼ばれて街に来たのはつい最近のはずであるが、もうこんな店を出しているとは、流石に元商人だけあって、商魂たくましいものである。

 

 気になったのは、どうしてクレアがこんな場所を知っていたのかであるが……彼女の格好を見てすぐに察した。クレアは光沢のある美しい呉服を身に着けていた。化学繊維など存在しない世界だから、恐らく正絹だろう。いつの間に、これだけのものを送られる間柄になっていたのか、やはり社交界のスターとは侮れない。オンラインゲーばっかりやっていた陰キャの鳳には、猛禽類よりも恐ろしい相手であった。

 

「本日はようこそおいで下さいました。ずっとお誘いしていたのに、全く相手にされないものですから、少々傷ついていたのですよ」

 

 今日来なかったらこれで最後にしようと思っていたという彼女の口ぶりからは、少々緊張の色が窺えた。鳳は理由があって避けているわけだが、人によっては嫌われていると感じても仕方ないだろう。どうやら今日は、リスクを承知で来て良かったようである。もっとも、誘惑されては元も子もないので、それだけは気をつけておかねばなるまいが。

 

 しかし、彼のそんな心配は杞憂であった。クレアもこれまで避けられていた経緯からか、二人きりになってもがっついたりはせず、会食は終始和やかなムードで進んだ。

 

「今日はヘルメス卿の郷土料理を用意させてもらいましたわ」

 

 場所が場所だけに、多分出てくるんじゃないかと思ったが、彼女の言う通り出てきたのはどれもこれも日本料理であった。というか、まさしく懐石料理そのものであり、一汁三菜から始まって、酒を饗され、八寸、強肴、デザートに主菓子などと続く日本ならではのコース料理だ。

 

 千利休が書いたとされる南方録にも記されているが、現在では偽書と伝わっている。本人が生きていた時代にここまできっちりとした仕来りがあったかどうか知らないが、まあ、あの性格だから面白がって真似しているのだろう。

 

 酒が饗されると芸子ではないが、お酌のための女性がやって来たが、鳳は手酌で十分と断った。そしたらもしかしてクレアがやるとか言い出すのではないかと思ったが、彼女はそんな素振りは一切見せずに、自分も断ってちびちびと舐めるようにお猪口を口にしていた。

 

 肴には刺し身が出されたので、もしやと思ったがそれは海魚で、どうやら勇者領を通って遠くから届けられているようだった。ここまで届けるのに、一体どれだけの労力と金が掛かっているのか、考えるだけでこの店の高級のほどが分かった。

 

 それくらい、彼女も気合が入っていたのだろう。酒が入って暫くすると、そのクレアから口火を切ってきた。

 

「それで、ヘルメス卿。楽しいお食事の最中ですが、お酒が回ってしまう前に、ちゃんとお尋ねしておいた方がよろしいでしょうね。今晩、私に付き合ってくださっているのは、ただのご好意ではございませんよね」

「……はい。昼間にもお願いしましたが、もう一度考え直して欲しくて……クレアさん。いや、プリムローズ卿。あなたの力で、どうかオルフェウス難民を救ってくれませんか」

 

 クレアは憮然とした表情で、鳳から視線を逸らしたまま酒を舐めていた。昼間みたいにはっきりと拒絶しないのは、聞きたくはないが、話したいなら勝手に話してくれということだろう。そうじゃなければこんな席を設けたりはしない。そう受け取った鳳は、剣呑な雰囲気なままの彼女の横顔に向かって話し続けた。

 

「この国が帝国からしばしば国境侵犯を受けていたという過去は聞きました。そのせいで、あなたの領民が脅かされていたのに、昔のヘルメス卿は何もしてくれなかったことも。同情だとか、その気持ちが分かるだなんて、俺が言えるわけがありません。だから、あなた方に苦痛を与えていることを自覚した上で、敢えてお願いします。それでも俺は国境を開いて難民を受け入れて欲しいんです」

「……それは、昼間も言いましたが、非常に難しい話なんです。いいえ、不可能と言っても良いかも知れません。私だけならともかく、他の領主の気持ちを考えると、私にはとても……」

「ええ、だからあくまで理屈だけの話だと思って聞いてください。その上で判断して欲しいんです。俺はあなた方にただ苦痛を強いようとしているわけじゃありません。オルフェウス難民を受け入れるのは確かにリスクもありますが、同じくらいメリットがあると考えているのです」

 

 クレア横を向いたまま、半信半疑と言った感じに横目でこちらの様子を窺っている。

 

「まず、オルフェウス難民を受け入れれば、純粋に東部の人口増加が期待できます。クレアさんの領地のある東部は、戦争のせいで人口が少なく、そのせいで労働人口も不足しています。

 

 俺はその問題を西部から労働者を送り込んで解決しようとしていましたが、ロバート派によってそれが妨害されている状況です。彼らは自分たちの領民や、国民感情を巧みに利用して労働者が東へ出稼ぎに行くのを邪魔しています。ですが、オルフェウス領民であれば彼らは口出しできません。

 

 確かに東部はそのオルフェウスのせいで人口が少ないですが、それを逆手に取って飛躍するチャンスでもあるんですよ。それに、最初に提案した通り、難民の受け入れが野盗の取り締まりにも繋がる。

 

 オルフェウスからどうして野盗が来るのかと言えば、それは庶民の生活が厳しいからです。帝国は何でも神人を優先して、人間を蔑ろにしてきた。戦争が起きると必ず虐げられるのは人間でした。ですがヘルメスは違います。この国では神人だけではなく、人間にも等しくチャンスが与えられる。

 

 だから彼らを労働者として取り込めば、自然と野盗が消えるはずなんです。そして労働力が増えれば、滞っている東部の街道整備も行える。しかもこれを人道支援として宣伝すれば、帝都にも影響を与えることが出来るでしょう。

 

 当然、ロバート派はこの動きを牽制してくるはずです。彼らが獣人を排除しようとしたように、他国民を入れるとは何たることだと妨害してくるでしょう。ですが今度は帝国が味方になってくれるはずです。彼らだって持て余している問題を、こっちが人道的に解決しようとしているんですからね。そして帝国は、今後の顧客でもある。

 

 ところで、クレアさんは帝都に行ったことがあるでしょうか。俺は最近行ってきたばかりなんですが、帝都と言ってもそこまで大きな都市ではなかった。勇者領の首都ニューアムステルダムには遠く及ばないし、今のフェニックスにすら劣る規模です。だが、そのフェニックスでさえ、今後東部の開発が進めば、もしかしたらプリムローズ領に負けるかも知れない。

 

 街道が整備されれば、帝都にも近く、オルフェウスやカインにも近い、ここは穀物の流通経路になります。広大なヘルメス、及びオルフェウスの作物が、全部ここを通るんですよ。当然、商人たちが集まってきて、ここには巨大な市場が生まれる。あなたの作った都市が、世界に名だたる大都市に変わるんです。ここを第二のニューアムステルダムにしましょう!」

 

 鳳の説得が続くに連れて、クレアは知らずしらずの内に身を乗り出してそれを聞いていた。男という生き物は大抵夢を描くものだが、ここまで大きくて、そして地に足のついた夢を語る男は初めてだった。

 

 彼女は自分の領地の光景を思い浮かべ、もしあの不毛の土地に、ニューアムステルダムは無理だとしても、フェニックスくらいの都市が出来たら、どんなに素晴らしいだろうと夢想した。そしてもしそれが本当に出来るのであれば、東部の領主たちを説得することも可能なんじゃないかと考え……鳳の口車にまんまと乗せられていることに気づいてハッとなった。

 

 鳳もそれを意識していたのか、ダメ押しのつもりで、

 

「クレアさん。俺はこの国の後継者はロバートではなく、あなたが継いたほうが領民のためだと思っています。ですから一つ考えてみてはくれませんか」

「……でしたら、何故、私から孤児院を取り上げたのですか? あれがあったせいで、私は領内で苦しい立場になっています。口さがない者たちからは変態とまで言われています。私がやったわけじゃないのに」

「それは……」

 

 鳳は何も言い返せず黙りこくった。あの時は領内の規律を引き締めるためにも必要だと思ったのだ。だが、部下に止められてまで強行したのは確かに間違いだった。そのせいでロバート派は息を吹き返し、クレアは窮地に立たされている。もしかするとあの時の懲罰的な判断も、魔王化の影響があったのかも知れない。

 

 鳳は色々と言い訳は思いついたが、どれもこれも彼女を納得させるのは無理だと思い、何も言えなかった。そんな彼の顔を見ながら、クレアは淡々とした調子で話し始めた。

 

「……私たち東部は、昔から度々帝国の侵犯を受けてきました。今回のように、お腹を空かせたオルフェウス領民が入り込むだけではなく、時には野盗に扮した帝国兵が領内を荒らしに来ることもありました。

 

 野盗退治に人手を割くと、それを察知した帝国兵がやって来るんです。当事者である私たちはその動きがわかりますから、もちろん抗議するのですが、この国の中央政府は遠く安全な場所にいて、何もしてくれませんでした。ヘルメスが軍を動かせば、今回みたいなことになるからです。だから開発が遅れて野山が放置されているんです」

 

 クレアは懐かしそうな、少し遠い目をしながら続けた。

 

「私は首都生まれの首都育ちで、物心がつくまで自分の領地がどこにあるのかすら知りませんでした。ですが、自分が後を継ぐと決まった頃、興味本位でひと夏だけ領地で過ごしたことがあったんです。

 

 その頃はちょうど帝国との緊張が解けていた時期で、私はちょっとお金持ちの令嬢がバカンスのために訪れたように装って、自分の領地に降り立ちました。領地を顧みない領主だってバレたら、領民に復讐されるんじゃないかと恐れたんです。

 

 意外かも知れませんが、子供の頃の私は活発な方で、初めて訪れた自分の領地に興奮して、来る日も来る日も野山を駆け回っていました。そこは自然がいっぱいで、遊び場が沢山ある宝の山に見えました。

 

 そして友達も出来ました。私はバカンスに訪れた先の農村の子供たちと仲良くなって、彼らと毎日のように一緒に遊びました。みんな都会から出てきた私に良くしてくれて、私は楽しい思い出をいっぱい作って首都に帰りました。また来年の夏にはここに戻ってこようと思って。

 

 ですが、それからすぐ帝国との緊張が高まり、私はまた領地には近づけなくなりました。国境で小競り合いが続いていると聞いて、私は仲良くなった農村の友達のことを心配しましたが、かと言って私には何をすることも出来ません。そのうち、それを考えることが苦痛となって、私は領地のことを顧みなくなっていきました。

 

 それから数年後、大きくなった私は時期を見計らって、また領地を見に行きました。あの夏、私が過ごした村にも行きました。ですが……そこにはもう村はありませんでした。みんな散り散りになっていて、中には死んでしまった者もいました。それもこれも、全部オルフェウスからの侵攻が原因だったのです。

 

 私はそれでも諦めきれなくて、残った昔の友だちを探しました。ようやく見つけた彼らは、一か所に留まること無く遊牧民みたいな生活をしていました。どこかに街を作れば、そこへ略奪者がやってくるから、ずっと移動し続けていたんです。

 

 領内にはいくらでも耕す土地があり、それは彼ら全員が豊かに暮らしていけるだけの十分な広さがあったのに、なのに彼らはそれを活用することが出来ず、ひたすら領内をさまよい続けていたのです。

 

 それもこれも、戦争を止められなかった為政者のせいです。そんな不便な生活を続けなくても、せめて戦争の間だけでも逃げればいいのに……どうして彼らは土地を捨てて逃げなかったのかと私は不思議になりました。

 

 だから聞いたんです。あなた達は何もしてくれない領主が憎くないのかと。そうしたら彼らは言ったんです。そんなことはないって。悪いのは帝国で、クレア様は悪くない。ここに自分たちが踏みとどまっていれば、いつかクレア様がなんとかしてくれるはずだって……それ以来、私は彼らとは会っていません」

 

 クレアは自分の領地で起きたそんな出来事を話し終えると、御膳を脇に避けて、正座したまま滑るように、鳳の前までやってきた。そして畳に手をつくと、深々と頭を下げながら言った。

 

「私はオルフェウスが大嫌いです。ですが、私には彼らとの約束があるんです。またいつか昔みたいに彼らと笑いあえるように、領内を良くしたいと思う気持ちは本物です。それだけは信じてください……」

「はい」

「あなたがこの国を良くしてくれると言うのであれば、私はあなたの言うことに従いましょう。早速、明日にでも、ここフェニックスにいる東部貴族たちを説得して回ります。ですからどうか、必ずこの話を成功させてください」

「……わかりました」

 

 鳳は彼女の話に感動し、殆ど考えもなしにそう返事した。しかし、それが空約束であることは、他ならぬクレア自信がよく心得ていた。彼女は鳳のその言葉を待っていましたとばかりに顔をあげると、

 

「……本当に、分かっているんですか?」

「……え?」

「私は、あなたにこの国を良くして欲しいと言っているんです。ですがあなたは今、この国最高の地位であるヘルメス卿の座を他者に譲ろうとしている……なのにどうしてそんなことが言えるんですか?」

「それは……」

 

 鳳は痛いところを突かれて返答に窮した。ペルメル、ディオゲネス、そしてカナンや利休にまで言われたことだ。どうして地位を捨てるのかと。みんなに望まれてその地位に立ったのであれば、不要とされるまでそこに留まるべきだと。

 

 鳳としてもそうしたいのは山々だった。だが、そうは出来ない事情があるのだ。今はまだマシだが、魔王化の影響で、いつまたおかしくなるかわからない。その時、自分が何をしてしまうのか……本当はこんなことをしている余裕など、一秒もないのだ。

 

 なのにどうして彼女にこの国を良くするなんて言えるのだろう。鳳は、先鞭を付けて、彼女にこの国を譲ることしか出来なかった。彼女がそれじゃ不十分だというのなら、一体どうすればいいのだろうか。

 

 しかし、クレアはそんなふうに鳳が返答に窮することも計算していたのか、

 

「そんなに難しく考えないでください……理由はわかりませんが、あなたがどうしてもその地位を下りたがっていることはわかります。ですから、もしあなたが私に後を託すとおっしゃってくれるのであれば、私はその地位を受け継ぎ、あなたがやり残したことに全力で取り組むことにしましょう。

 

 その代わり、一つだけ、どうしてもお願いしておきたいことがございます」

 

 クレアはそう言うと、呆気にとられている鳳の前で、誰かに合図するかのようにポンポンと手を2回叩いた。

 

 すると彼女の背後の襖が、突然、音もなくスーッと開かれ、その向こう側に一組の布団が敷かれているのが見えた。ご丁寧にも、枕が2つ並んで。その枕元にはティッシュ代わりの手ぬぐいが山ほど置かれていた。

 

「私は何が何でもヘルメス卿にならねばなりません。そのために勇者様。どうかご協力をお願いします」

 

 彼女は挑むような真剣な目でそう言い放つと、今度は三指を立てて、深々とまた頭を下げた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。