街の中央広場沿いの目立つところに冒険者ギルドはあった。実はさっきから目の前を何度も通り過ぎていたのだが、見た目が完全に酒場であったから気づかなかったようだ。入り口には腕相撲みたいに手と手を握り合う絵の看板が掲げられており、どうやらそれがギルドのトレードマークらしい。見ようによっては揉み手に見えなくもないなと、鳳はまだ遠くにある店を見ながら要らんことを考えていた。
店の外にはオープンテラスの円卓が四脚ほど並べられてあったが、今は無人である。中から酔っ払い特有のねっとりとした笑い声が聞こえてくるから、恐らく酒場を兼任しているのだろう。もしくは酒場から発展したのだろうか。見た目はよくある冒険者の酒場といった趣きである。
西部劇に出てきそうな両開きの扉を押し開けて中に入ると、まだ日が暮れて間もないというのに、もう出来上がってしまっている赤ら顔の男たちが、二人をじろりと睨んできた。絡まれたりしないだろうなと思いながら、おっかなびっくり奥に進むと、別のテーブルでは、タバコを吹かし足をテーブルに乗せ、賭けポーカーを楽しんでいる強面の男たちの姿が見えた。
いや、強面と言っていいのだろうか? その鋭く光る眼光は完全に獣そのものである。たとえ頭部に目立つ大きな獣耳に気づかなくても、突き出た口から剥き出している牙を見れば、一見して人間じゃないことが分かるだろう。あれはもしや
酒場をぐるりと見回してみると、一番奥にはグラスを磨いているダンディな紳士が接客しているカウンター席があり、その右手側奥の方に、無理やりねじ込んだ宝くじ売り場みたいなスペースがあり、そこに道祖神みたいに無表情で収まっている女性が見えた。
ここが冒険者ギルドの受付だろうか?
彼女の隣の壁に掛けられた掲示板には、所狭しとメモやビラがピン留めされている。その前にはいかにも初心者冒険者といった風体の若者二人が、手にしたノートに必死にメモを書き写していた。背後に回って掲示内容を確かめてみれば、やれ遺失物捜索だの、商隊の護衛だの、いかにもな内容が書かれているのが見えた。
「これよこれよ。こういうのがやりたかったのよ」
突然、背後からオネエ言葉のゴリマッチョに囁かれて、若者たちがビビっていた。やりたいと言ってもそういう意味ではないから安心しろと言ってやりたい……ジャンヌはそんな彼らのことなど気にもとめず、いそいそとカウンターへ歩いていく。
「冒険者ギルドへようこそ。ご依頼でしょうか? モンスター退治? それとも、護衛? 採集や配達のご依頼も随時受付中です。お客様のご要望をなんなりとお聞かせ下さい。因みに、酒場のカウンターならあちらにございます」
ジャンヌが近寄っていくと、さっきまで能面みたいだった受付のお姉さんの表情がくるくると変わった。彼女はこれ以上無いくらい魅力的な営業スマイルで、ジャンヌに応対する。彼はそんなお姉さんに向かって首を振ると、
「ううん、違うの、依頼じゃなくて、私達冒険者として働きたくてここに来たのよ。あなた、ギルドの方よね。良ければお話を聞かせてくれる?」
「なんだ、冒険者志望の方ですか」
やってきたのが冒険者志願者だと知ると、お姉さんはまた道祖神みたいに無表情になった。鳳は仕事内容よりもお姉さんの表情筋の方が気になった。彼女はため息を吐きながらかったるそうに、
「っていっても、うちって結構ハードですよ。依頼は基本、モンスター退治とか盗賊退治とか
「もちろんよ、そういうのを待っていたの」
「ふーん……やる気があるなら止めはしませんが。ま、たまにはいい依頼もありますしね。個人的におすすめなのは、農繁期の刈り入れのお手伝いでしょうか。これは本当に実入りがいいですよ、収穫物分けてくれたりもするし、永久就職の口も紹介してくれるし、私の前任者の子なんですけどね、地主の家に嫁いだんですよ。羨ましい。マジ、おすすめ」
夢も希望もありゃしない……掲示板の前で必死にメモっていた冒険者がプルプルと震えている。対してジャンヌは一向に気にした素振りを見せずに。
「あら、いいわね、そういうのも楽しそう。でも、どうせやるなら私はモンスター退治の方がいいわ。そっちの方はどうなのかしら」
「そりゃあ、この仕事、稼ぐんなら圧倒的に討伐系ですけど……そうですか。あなた、相当腕に覚えがありそうですね」
お姉さんはジャンヌが冷やかしでないと見て取ると、姿勢を正して改めて彼の方をまっすぐと見据えて、
「冒険者ギルドへようこそ。我々はあなたのような強者を歓迎しております。申し遅れました、私は当ギルドの案内係のミーティアと申します」
お姉さんことミーティアはそう言って深々と頭を下げた。ジャンヌが慌ててお辞儀を仕返し、
「あら、これはご丁寧に。私はジャンヌ。ジャンヌ・ダルクよ」
「ジャンヌ……?」
どっからどう見てもゴリマッチョのおっさんが女性名を名乗ってきたから、ミーティアは一瞬だけ怪訝そうな表情を見せたが、すぐに気を取り直したように無表情に戻ると、握手を求めて手を差し出した。こだわらない人である。
彼女はジャンヌと握手を交わすと、すぐ後ろでやり取りを見守っていた鳳の方を見ながら言った。
「ところで、お連れ様も冒険者志望で?」
「俺? ええ、まあ」
「そうですか。なら、あなたも一緒に聞いてください。ギルドのルールをご説明しましょう」
ミーティアはコホンと咳払いをしてから、
「と言っても、ギルドの仕組みは簡単です。普通の依頼はそこの掲示板に貼られたメモを、そのメモに書かれた通りにこなせば完了です。特にルールもございませんので、気楽に受けちゃってください。報酬はここで私から受け取れますが、その際に依頼をちゃんと達成出来たか確認させていただきます。
ただし、これは誰にでも出来る簡単な依頼の話でして、高難度の依頼に関しては手続きが変わります。具体的に申し上げますと、高難度依頼は、我々が信頼する冒険者の方々に、こちらからお願いするという形を取らせていただいております。
と言いますのも、例えば討伐依頼のような緊急性の高い依頼は、みんなが好き勝手に受けて、失敗されては困るのですよ。それで冒険者が死のうがどうしようが知ったこっちゃありませんが、魔物の被害に遭っている依頼主からしてみれば何の問題解決にもなってませんし、我々の沽券にも関わります。
冒険者ギルドに依頼をしても、失敗続きじゃそのうち依頼人がいなくなってしまいますし、我々としては失敗するような冒険者を向かわせるわけにはいかないのです。
ですので、ジャンヌさんが討伐依頼を受けたいのであれば、まずは当ギルドで冒険者登録し、試験を受けて最低ランクの格付けを得て、最初は私からの斡旋を待ってもらうことになります」
「わかったわ。ランク付けがあるのね」
「話が早くて助かります」
「それで、試験ってのは何をすればいいのかしら?」
ミーティアはゴソゴソとカウンターの中を探りながら、
「簡単です。こちらのシートに、ご自身のステータスを記入していただけばそれで終わりです」
「え? そんな簡単なの??」
彼女はこっくりと頷いて、じっとジャンヌの目を見ながら言った。
「ええ、能力なんてものは、その人のレベルとステータスが分かれば、ある程度把握できちゃいますからね。レベルやステータスが高い人は押しなべて能力も高いですし、その逆もまた然りです。
ですが……ステータスはあくまで自己申告。必ず誇大申告する者が出てきてしまうんですよね。それで依頼失敗なんてことになったら目も当てられませんので、こちらとしては慎重にならざるを得ません。
そこで、このエントリーシートを使います。この魔法の紙に書かれた文字は、それが真実であれば残りますが、偽りであれば消えてしまいます。これによって志望者は嘘を書けなくなりますから、我々は安心して採用できるわけです。大企業なら必ず利用している方法ですけど……って、どうしましたか? 背中が痒そうな格好で仰け反ったりなんかして」
「やめてやめて! その名前を口にしないで!!」
エントリーシートという言葉が彼の過去の傷をほじくり返したのか、ジャンヌが悶絶していた。ミーティアは小首を傾げながら、
「エントリーシートという名前が嫌なら、履歴書でも構いませんが」
「ひぃっ、もっとやめて!! ……200社よ……200社……送っても送っても不採用通知と共に送り返されてくる悪魔の紙片。こんなので私の何がわかるってのよ!!」
ジャンヌは地面に両手をついて泣きじゃくっている。ミーティアはその姿にドン引きしながら、こいつと話していては埒が明かないと思ったのか、その隣で二人の会話をボケーッとしながら聞いていた鳳に向かって話を続けた。
「……こほん。とまあ、そんなわけで、冒険者登録するなら必ずこの紙にステータスを記入してもらいます。あなたも志望者なら書いて下さい」
彼女はそう言って鳳に紙を差し出した。BloodTypeCも書かなきゃいけないんだろうか……彼はそれを受け取りつつ、
「……これってステータス全部書かないといけないの? プライベートなこととか、あんま人に知られたくないんだけど」
「氏名年齢、レベルと基本ステータスは必須事項なので、それさえ書いていただければ後は構いませんよ……そうですね、なんなら試しに偽りを混ぜて書いてみてください。その部分が消えるのが見てわかりますから」
言われるままに鳳は大嘘を書きなぐった。レベル256、ステータスはオール20、種族は神人。すると彼が書いた文字が次々と、インクが蒸発するみたいに、紙の上から消え去ってしまった。
なるほど、こうなるのか……鳳が感心しながら空気中に溶けるように消え去っていくインクを眺めていると、ミーティアがどんなもんだいと自慢げな表情で胸を張っていた。別に彼女の力でもないだろうに……本当にあの表情筋はどうなってんだろうと思いつつ、鳳は今度は正直にステータスを紙に書いていく。
レベル2、オール10。すると、それを見ていたミーティアが呆れた素振りで、
「よくもまあ、それだけ嘘八百並べ立てられますね。普通、二度目なら少しは真実を混ぜるものですけど……」
「え? そうだね……」
鳳がぽかんとした表情でそう返す。ミーティアが真顔で見返す。なんとなく気まずい沈黙が続き、二人は暫くにらめっこのように見つめ合ったあと、突然、ミーティアがそれまでの無表情が嘘みたいに狼狽し始め、
「……え!? あれ?! レベル2? オール10? どうしてこんな嘘としか思えない数字が消えないの……紙が湿気ってるのかな? 申し訳ありませんが、こちらの用紙に、もう一度同じことを書いていただけませんか?」
「え? ……いやまあ、いいけど……結果は変わらないと思うよ」
彼はバツが悪くなりながらも、言われるままに自分のステータスを再度紙に書いた。すると、今度も消えない文字を見て、ミーティアはガタガタと椅子から転げ落ちると、
「ひっ、ひえぇ~~! レベル2? オール10ですって!? そんな人間あり得ない! 最近は幼児だってもう少しレベルが高いですよ。一体、どういう生活を送ってきたら、そんな見すぼらしいステータスのまま、生きてこれたと言うんですか!? はぁーはぁーはぁっ!」
そんな高菜食べてしまったんですかと言わんばかりに驚かなくても……鳳は彼女の醜態に若干傷ついた。
しかし、どうやら彼のステータスはそれくらい酷いものらしい。気がつけばその様子を眺めていた酒場の客たちもが、こっちを驚愕の表情で見ながらどよめいている。レベル2? とか、オール10だってよ……とか、そんな言葉があちこちから聞こえてくる。
マジでそんなにヤバいのか……鳳は突きつけられたくない真実を突きつけられて、この世界に来て初めて心の底から落胆した。いやまあ、アイザック達の様子からして、もしかしてそうなんじゃないかと思ってはいたが……突き刺さる視線が痛い。穴があったら入りたい。
そんな鳳達のやり取りを見ている間に立ち直ったジャンヌが、屈辱に震える彼の肩を抱きながら言った。
「白ちゃん、こんなの気にしちゃ駄目よ。あなたはまだまだ伸び盛り、人生これからじゃない」
「黙れ、ホモ」
高レベルチート野郎にだけは言われたくない。鳳がドスの利いた声で涙目になって睨みつけると、ジャンヌはその気迫だけで倒れそうなくらい狼狽していた。
そんな二人の様子を見ていたミーティアが、さもがっかりした調子でジャンヌに用紙を突きつけながら、
「はぁ~……この様子じゃ、あなたも期待できそうにありませんね。取り敢えず、流れは理解してもらえたと思いますから、このシートに記入していただけますか?」
「わかったわ。レベルと基本ステータスだけでいいのね」
ジャンヌはスラスラと自分のステータスを書き始めた。レベル101、STR23……あれ? レベル99じゃなかったっけ? もしかしてさっきの会話を聞いていたから、まずは嘘を書いてみようと思ったのだろうか。そんなとこまで踏襲しなくてもいいだろうに……
ミーティアも同じことを考えたのか、
「あの……そんな天丼しなくてもいいですから。本当のステータスを書いてくれませんか?」
「え? そうね……」
ジャンヌがぽかんとした表情で返す。ミーティアは真顔で見つめる。にらめっこが続き、耐えられなくなったジャンヌが先に視線を逸らすと、勝ったと言わんばかりの表情でミーティアが鼻息を鳴らしながら、エントリーシートを彼に突き返そうとして、
「……え!? あれ?! レベル101? STR23? どうしてこんな嘘としか思えない数字が消えないの……紙が湿気ってるのかな? 申し訳ありませんが、こちらの用紙に、もう一度同じことを書いていただけませんか?」
「え? いいけど……あなたも天丼じゃない」
不満げにブツブツ文句を垂れながら、ジャンヌが大人しくステータスを再記入する。すると、またもや消えることのない文字列を見て、ミーティアは生まれたての子鹿みたいにプルプルと震えながら、
「ひっ、ひえぇ~~! レベル101? STR23ですって!? そんな人間あり得ない! もしかしたら精霊様より高いんじゃないですか!? 一体、どんだけ殺したら、そんな軍隊だって一人で退けられちゃいそうなステータスになれるって言うんですか!? はぁーはぁーはぁっ!」
そんな高菜食べて以下略。
ミーティアの動揺は伝染病のように店内に広がっていった。流石に嘘だろうと思ったのか、不届き者を懲らしめてやろうと睨みつけてきたウェアウルフが、ジャンヌの姿を一目見るなり、子犬のようにしっぽを丸めて大人しくなった。本当にそんな人間がいるのか? と店内がざわついている。
ミーティアの視線はシートとジャンヌの顔を何度も何度も往復した後、やがて傍観していた鳳の顔で止まった。これってホント? とその目が言っている。彼が仕方なくウンウンと二度頷くと、彼女はゴクリとつばを飲み込んでから、
「こ、こんな凄いステータスの人間、初めてみましたよ。あなたならすぐにでもA級冒険者に……ううん、きっと伝説のS級冒険者にだってなれちゃいますよ! 素晴らしい! 是非、冒険者登録していってください。そうだ! なんならうちと専属契約を結びませんか? この辺りの美味しい仕事は、優先的に回させていただきますから」
「え? そ、そうね……そうしてくれると嬉しいけど」
「でしたら事務所の方までお越しください。ギルド長に紹介しますから。さあさあ、どうぞ奥までずずずいと」
ミーティアはあの無表情からは想像できないくらい満面に笑みを浮かべると、ジャンヌの背中をドスコイドスコイと店の奥まで突っ張って行った。就活でこんなに自分の能力を認められたことがなかったジャンヌは、満更でもない顔でモジモジしながら為されるがままに連れて行かれる。
鳳は、ヤレヤレ……と言った感じで肩を竦めながら、そんな二人の後を着いていこうとしたが、奥に続く通路に差し掛かると、
「あ、ここから先は従業員専用なので」
と言われて止められた。
「え? じゃあ俺どうすんの」
「適当にその辺で時間つぶしててくださいよ。掲示板の依頼でも見てたらどうですか。レベル2じゃ大変かも知れませんが、プークスクス」
「なんだと!」
鳳はギリギリといきり立ったが、ミーティアの誰にも真似できない魅力的な笑顔の前に敢え無く屈した。そんな顔をされたら怒るに怒れないだろう、鳳は肩を落としながら、意気揚々と店の奥に消えてく二人を見送った。
城の中でも外でも、結局自分は味噌っかすでしかないのか。自然と漏れるため息が虚しく店内に響いた。