ラストスタリオン   作:水月一人

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ハーレム王に俺はなる

「鳳くん。今、どんな気持ち? ねえ、どんな気持ち?」

 

 アリスが眠る医務室に現れたルーシーは、思わず殴りつけたくなるようなセリフを吐いた。それはともすると暗くなりそうな雰囲気を壊さないようにという、彼女なりの気遣いなのだろうが……もしも昨日までの鳳だったら、今ごろ彼女のことを怒鳴りつけていただろう。

 

 だが、今の彼はそんな気持ちはまったく湧き上がってこなかった。と言うか、鳳には彼女が何故そんなことを言い出したのか、その理由が分かっていた。つい昨日まで散々悩まされていたあの魔王化の影響が薄れていたのだ。

 

 鳳は、彼の手を握りしめてくれているアリスの小さな手をまじまじと見つめながら、

 

「……どういうことだろう。ちょっと前までなら、こんなことをしたらすぐ腹が減って仕方なくなっていたのに」

「それは多分、一発ヤッてスッキリしたからだろうね」

 

 ルーシーが冗談めかしてそんなセリフを口にすると、それまで意識せずにそうしていたアリスが、彼の手を握っていることに気づいて、頬を赤らめパッとその手を離した。

 

 彼女は恥ずかしそうにまた布団の裾を持ち上げてモジモジしている。鳳が無粋なことを言うやつだなと、非難半分、呆れ半分の目をルーシーに送っていると、

 

「いやいや、冗談のつもりは無いんだよ。実はね、以前、先生と話していて気づいたことがあるんだけど……」

「スカーサハ先生と?」

「うん。知ってると思うけど、先生は一時期300年前の勇者と恋人同士だったことがあるんだよね。でもその頃の彼は、どうも女性を取っ替え引っ替えしていたらしくて、先生の師匠であるおじいちゃんからすれば、不埒な輩にしか見えなかった。

 

 そんな勇者と先生が肉体関係を持つことに不快感を持ったおじいちゃんは、ある日ついに彼に文句を言いにいって、それでケンカ別れみたいになってしまったんだけど……まあ、そのことはおじいちゃんも先生も良く覚えてないそうだけど……それは置いといて、いちばん大事なことは、その300年前の勇者と鳳くんが、もしかしたら同一人物だということなんだよね」

「つまり……どういうことだ?」

 

 ルーシーは鳳とアリスを交互に見ながら、

 

「今の鳳くんを見ていたら、とてもそれと同じ人間とは思えないんだよ。君がもし伝え聞いている通りの人物なら、とっくにミーさんとどうにかなってたでしょうし、きっとジャンヌさんのことも、クレアさんのことも拒まなかったでしょう。アリスちゃんのことも……ここまで深く傷つくようなことはなかったんじゃないかな。あくまで想像だけど」

 

 言われてみれば確かに……300年前の勇者が自分だと言うなら、どうしてそんな行動を取ったのか、今の彼には想像できなかった。魔王化の影響を知らず無防備だったからだろうか? それとも、もしかしてやっぱり別人だったからなのだろうか?

 

「いや、しかしマニの継承したご先祖様の記憶にしても、ケーリュケイオンのことにしても、俺が勇者じゃなかったとは思えないんだが。そもそも、ソフィアははっきりと、俺を呼び出したと言っていたんだぞ?」

「うん、私もそのことは疑ってないんだよ。多分、300年前の勇者と君は同じだった。でもやってることは、とても同じ人間とは思えない。それで、どうしてそんなことになっちゃったんだろうかって考えていて、気づいたんだよ。もしかして、300年前の鳳くんはそうせざるを得ない理由があったんじゃないかなって……だからさ、鳳くん。これからはジャンジャンバリバリ女を抱きなさい」

「はあ!?」

 

 鳳はルーシーが言っていることの意味が分からず、素っ頓狂な声を上げた。

 

「いや、なんでそうなるんだ? 俺は魔王化のせいで性欲が強くなってこんなことになってるんだぞ? なのに、その性欲に抗うなっていうのか?」

「でも、現実には逆のことが起きてるんじゃない?」

 

 鳳が困惑していると、彼女はベッドの上のアリスを指差しながら、

 

「経緯はどうあれ、君は彼女を抱くことによって、一時的に理性がコントロール出来るようになっているんでしょう。それまでは女性が近づくだけでも苦痛で、屈強な男性を軽く小突くだけで殺してしまうくらい、力の制御が出来なかった……それが今は出来ているわけじゃない?」

「あ、ああ……そうなのか?」

「試しに握ってみてよ」

 

 ルーシーは握手を求めるように手を差し出した。鳳は少し戸惑いながらその手を握った。

 

 どこに出しても恥ずかしくないシェイクハンドをしながら、二人が医務室という似合わない場所でじっと見つめ合っている。周りからすれば何をやってるんだ? と言わんばかりの光景だったが、鳳には今までとは確実に違う変化が感じられた。アリス同様、ルーシーに触れていても、今は特に嫌な感じはしなかったのだ。

 

「……本当に、症状が緩和されているみたいだ」

「やっぱり……おかしいと思ったんだ。300年前の鳳くんも勇者だからモテたかも知れないけど、だからって同じ人が全然別の行動を取るとは思えなかったんだよ。だとしたら、何かそうせざるを得なかった理由があったと考えるのが筋でしょう? そう考えていた時、ジャンヌさんから魔王化の話を聞いて、もしかしてって思ったんだ」

「……魔王化を拒絶するより、多少なら受け入れた方がマシだったってことか」

「その点を含めても、鳳くんはストレスを溜め過ぎだよ。そんなに何でもかんでも一人で出来るわけないでしょう? だからたまには羽根を伸ばして、綺麗なお姉さんがいるお店にでも行って、相手してもらってきなさいよ」

 

 ルーシーの蓮っ葉な言葉に、それでも鳳はう~んと唸り声を上げて、

 

「しかし、こうしてアリスを傷付けてしまった以上、もうそんな不純なこと出来ないよ。俺には責任がある。彼女を不幸にしておきながら、俺だけが馬鹿みたいに性欲に溺れるなんて絶対駄目だ……」

「別に彼女はそんなことを望んでないと思うけど」

 

 ルーシーがちらりと視線を飛ばすと、アリスはこくこくと頷いていた。鳳はそれを見て、どっちのほうが年上なんだろうと、恥ずかしいやら情けないやらどうしようもない気分になった。ルーシーはそんな二人を代わる代わる見てから、はぁ~っとため息を吐いて、

 

「……そんなに責任取りたいなら、責任取ればいいんじゃないの?」

「……なに?」

「責任とって、彼女をお嫁さんにしてあげなさいよ。それなら構わないでしょう?」

 

 ルーシーのそんな投げやりな言葉に、鳳は思わずむせ返った。そんな芸能人じゃあるまいし、責任を取るイコール結婚なんて発想は全く無かったのだ。大体、それで本当に責任を取れるとも思えない。彼は慌てて否定した。

 

「いや、そんなんで責任を取れるわけないだろう!?」

「そう? どうせ鳳くんのことだから、責任を取るって言ったら、一生面倒を見ますとか、お金のことで苦労をかけませんなんて思ってるんでしょう?」

「そうだけど……」

「なら結婚するのと大して違いがないじゃない」

 

 鳳は慌てて首を振った。

 

「いやいやいや! 全然違うだろ。そこには彼女の意思が入ってないじゃないか。俺が勝手に決めていいことじゃない」

「アリスちゃん? この人と結婚したくない?」

 

 するとアリスは目を丸くして、慌てて手をパタパタさせながら、

 

「そんな! 滅相もございません。私なんかが勇者様と結婚なんて……」

 

 鳳は若干傷つきながら、

 

「ほら見ろ、嫌がってるじゃないか」

 

 しかしルーシーはこれっぽっちも意を介する素振りを見せずに、

 

「ならアリスちゃん。手切れ金をいっぱい貰って、このままここでお別れする方がいい? 私が聞いてるのは、これからこの人と、どういう付き合いをしていきたいかってことなんだけど……?」

 

 すると今度は、アリスは一瞬だけ慌てた後に、真剣な表情を見せてから、

 

「私の願いは……ずっとこのままお嬢様と共に、勇者様の下にお仕えしていたいです。勇者様は、路頭に迷っていた私たちを助けてくださいました。せめてその御恩をお返しするまで、出来ればこのまま勇者様のお傍に仕えさせていただけたらと思っております」

「まだるっこしいなあ……お給金を貰いながら彼に仕えたいのか、それともたまにイチャイチャしながら、彼と一緒に暮らしていきたいのかって聞いてるんだよ」

「それは……出来れば、たまには、私のことも気にかけてくださったら嬉しいですが……そうでなくても十分すぎるほど嬉しいと言うか、恥ずかしいと言うか、恐れ多いと言うか……」

 

 アリスの声は尻すぼみにだんだん聞こえなくなっていき、それと反比例するかのように、彼女の顔はどんどん赤くなっていった。耳まで真っ赤な彼女がどうして欲しいのかは一目瞭然だった。

 

「……本当に、これでいいのか?」

 

 鳳は困惑し独りごちた。この期に及んでもまだ、彼には信じられなかったのだ。何しろ昨日あれだけやらかしてしまったのだ。並の神経をしていたら弱気にもなるだろう。

 

 あんなことをしてしまったというのに、彼女がまだ自分のことを好きでいてくれる? 結婚してもいいと思っている? いくらなんでもすぐには信じられなかった。

 

 しかし、責任は取らねばならない。恐らく、罪を償うだけなら、いくらでも他にやりようがあるのだろう。だが、彼女の気持ちが今聞いた通りなら、それを受け入れるのが一番いいやり方なんじゃないだろうか……?

 

 鳳は暫く唸り声をあげていたが、ついに観念したかのように、

 

「わかった、それでいいなら俺は……」

「ちょっと待った!!」

 

 その時、バンッッ!! っとけたたましい音を立てながら、いきなり医務室のドアが開かれた。

 

 突然開け放たれたドアから風がビュービュー吹いてきて、ベッドを取り囲むカーテンがパタパタ揺れた。机の上に置いてあった資料やら何やらの紙束が部屋を舞い上がり、この部屋の主が迷惑そうに眉を顰めた。

 

 一体誰だとドアを見れば、そこにはじんわりと滲むような汗をかいたクレアが、ハアハアと息を切らせて立っていた。彼女は迷惑そうに紙束を拾っているアスタルテの前を通り過ぎると、ベッドの横に座っている鳳の前に歩み出て、いきなりその手を握りしめ、

 

「失礼かと思いましたが、ドアの向こうでお話はこっそり聞かせてもらいましたわ。あなたが可哀相なメイドに同情して嫁するとおっしゃるなら、ええ、ええ、それもいいでしょう。いいと思います。いいですよ? ですが……側室で! せめて側室でお願いします!! そしてどうか正妻はこの私にっっ!!」

 

 クレアは彼女の勢いに気圧されている鳳に体を密着させ、更にグイグイと伸し掛かるように迫りながら、

 

「私はあなたと子作りして、この国の支配者になりたいんですっっ!!」

 

 彼女は身も蓋もない欲望を叫んだ。鳳も、ルーシーも、アリスも、その場にいる全員があっけに取られている中で、彼女は興奮気味に鼻息を荒くしながら続けた。

 

「……と言うか、もう、ヘルメス卿? どうして困っているのなら私を使わなかったんですか? 私ならいつでもウェルカムだったのに。あ、いえ、あなたにも事情があったことは認めます。あちらの部屋で聞きました。仕方なかったと思います。ですから責めたりはしませんが、ならば今度こそ昨日の続きを! 最後までしっぽりとセックスを! あなたも、それで楽になるのでしょう? だったら、いくらでも私を性のはけ口に使ってくださって……グエッ!?」

 

 下品な言葉を口にしつつ、異常な勢いで迫るクレアに気圧されていると、突然、彼女が潰されたカエルみたいな声を上げて仰け反った。

 

 見れば彼女の首根っこを思いっきり引っ張り上げながら、その背後にミーティアが立っていた。彼女はいつもの怒っているようにしか見えない邪悪な笑みを浮かべ、容赦なくクレアを締め上げると、白目を剥いている彼女をドンと突き飛ばしてから、鳳を見下ろすように立ちはだかった。

 

「鳳さん。鳳さんがやったことを聞いて、私は落胆しました」

 

 ミーティアは彼の目を睨みつけながら、開口一番そう言い放った。その言葉が鋭利な刃物のように彼の心に突き刺さった。こんなことになるまでは、それとなくお互いに意識していた相手からの拒絶であった。

 

 幻滅されても仕方がない……彼は項垂れたが、

 

「どうせ無理矢理なら、どうして私じゃなかったんですか?」

「……はい?」

 

 鳳は、彼女が何を言っているのか分からず顔を上げた。するとミーティアは怒った顔ではなく、今までに見たことのないような、それはそれは穏やかな笑みを浮かべながら彼のことを見下ろしていた。

 

 なんだろう? この表情は……こんな顔など見たことがなかった彼が戸惑っていると、すぐ隣からルーシーの怯えるような声が聞こえた。

 

「激おこだ……」

 

 その言葉を聞いた瞬間、鳳の背筋にゾクゾクとした悪寒が走った。え? これ、怒ってるの? と言うか、どうして怒っているのだろうか……鳳はわけが分からず、蛇に睨まれた蛙のように固まっていると、彼女はそんな彼に更に詰め寄りながら、

 

「あのですね、鳳さん……? 色々と言いたいことは山程あるんですけど、まずはどうして私に相談してくれなかったんです? 仲間にも相談しづらいことはあるでしょう。一人で解決したい気持ちもわかります。でも、そういう時のために私たちはいるんですから、何でも遠慮せずに話してみてください。クライアントの秘密は厳守しますから」

「す、すみませんでした……」

「……深夜に私に会いに来てくれた時は本当に嬉しかったんですよ? 私の作ったお料理を、すごく美味しそうに食べてくれて、またいつもみたいになれるのかなと淡い期待を抱いたりして、本当に嬉しかったんです……でも、まさかあれが性欲を誤魔化すための過食だったなんて……」

 

 ミーティアは長い長い溜息を吐いてから、

 

「欲情するならちゃんと欲情してくださいよ。これじゃまるで、私が食欲に負けたみたいじゃないですか?」

「そ、そんなこと言われましても……」

 

 彼女は言い訳を許さず畳み掛けるように続けた。

 

「あまつさえ、その性欲が私じゃなくて他の子に向かってしまうなんて……アントンもそうだったんですよ? ちょっといい子を見かけたらフラフラってそっちに行っちゃって……そしたらそのまま帰ってこなくって……ああ! 男の人ってこうなんだなって、つくづく思いました」

「え? あ、はい……すみません」

「私の人生、いつもこうなんです。この気持ち、あなたにわかりますか!?」

「えーっとその……すみません」

 

 鳳はやはりなんで怒られているのかさっぱり分からなかった。恐る恐る上目遣いで彼女の顔を見上げると、ミーティアは相変わらず見たこともないような満面の笑みを浮かべたまま、

 

「わかりませんよね。わからないと思います。だからもう、私は迷いません。どうせ待っていたら男はいなくなってしまうなら、こちらから打って出るまでです。鳳さん、いいですか?」

「……はい」

「アリスさんを貰うより先に、私をお嫁さんにしてください」

「……はい?」

 

 鳳は最初何を言われているのか分からず、ポカンと彼女の顎を見上げていた。すると、いつの間にか彼女の表情がいつもの邪悪な笑みに変わっており、その顔は耳まで真っ赤になってプルプル震えているのだった。

 

 ああ、これは恥ずかしがってる顔だなと思った時、彼はようやく彼女の言ってる言葉の意味を理解した。理解して余計わからなくなった。彼女は何を言っているのだ?

 

「え? ちょ? いや、どうして今の流れでそうなるの!?」

「ですから、放っておいたらあなたはどこかへ行っちゃうでしょう。だからそうなる前に、私が唾を付けておこうかと。あ! 正妻はクレアさんではなく、私にしてください。それで今回のことはチャラにしてあげます」

「ちょっと、あんた後から出てきて何言ってるんですか!?」

 

 ミーティアがそんなことを宣言していると、ようやく立ち直ったクレアが血相を変えて遮ってきた。ミーティアはそんな彼女を鬱陶しそうに、

 

「後から出てきたのはあなたの方でしょう? 私は彼がこの世界に来た時からの付き合いですよ。手を繋いでデートしたことだってあります」

「んまあ! 庶民のくせに生意気なこと! あのねえ、あなた、勘違いしているのでしょうけど、貴族を差し置いて庶民が正妻になんてなれるわけないでしょう? 口を慎みなさいよ」

「色恋沙汰に身分を持ち出すなんて、そんなに自信がないんですか? 悔しかったら実力で奪うくらい言いなさいな」

「はあ!? はあ!? はあー!? 誰が自信ないですって!? そんなわけないでしょう、私のテクにかかれば、ヘルメス卿なんてメロメロよ。ベッドの上でヒイヒイ言わせてやるんだから!」

「まあ、お下品。貴族が聞いて呆れます。流石、社交界の色情狂と呼ばれただけはありますね」

「むっかーっ! 誰よ! そんな悪口言ってるの!! 教えなさい!」

「たった今、私が作りました」

「このっ!!」

 

 顔を真っ赤にしたクレアが飛びかかり、負けじとミーティアが応戦した。二人は押し合いへし合いしながら狭い医務室の中いっぱいを使って取っ組み合いを始めてしまった。4つのおっぱいがブルンブルンと揺れている。慌ててルーシーが止めに入ったが、こちらの胸はやや控えめだった。

 

 アリスはベッドの上でオロオロとするばかりで何の役にも立たず、鳳はなんじゃこりゃあと傍観していることしか出来なかった。

 

「アホらしい……」

 

 その時、部屋の外から中の様子を覗き込んでいたヴァルトシュタインが、ギャラリーを代弁するかのようなセリフを吐いた。

 

「男なら、地位も名誉も国も女も総取りだくらいのこと言ってみろよ」

 

 彼は手をひらひらさせたあと、背中を向けて去っていった。入れ替わりにこそこそと神人二人が医務室に入ってきて、鳳に耳打ちするように近づいてきた。

 

「話は勇者ジャンヌから聞きました。色々とお悩みでしょうけど、娼婦を用意しますので、これからは定期的に抱いてください」

「いや、君たちねえ……」

 

 まさか部下に性欲処理の心配なんかをされる日が来るとは思わなかった。鳳は迷惑そうな顔を向けたが、今回ばかりは彼らも引くつもりはないようだった。実際、こうして大騒動を起こしてしまった手前、今は強く言えないのであるが……

 

「病室で騒ぐなら出ていきなさいっ!!!」

 

 騒ぎが大きくなりすぎたせいで、医務室の主であるアスタルテの堪忍袋の緒が切れたようだ。ルーシーがペコペコと頭を下げて、神人二人が取っ組み合いを続けるミーティアとクレアを慌てて引き剥がしている。

 

 その時、隣に座っていたアリスからクスクスという笑い声が漏れて、見れば彼女の穏やかな笑顔がそこにあった。考えてもみれば、出会ってから一度もそんな表情を見たことが無かった。それくらい、いつも張り詰めた環境を強いていたのかも知れない。

 

 鳳が顔を見ていることに気づいたアリスが小首を傾げてこっちを見ている。その顔を見た時、彼はなんだか憑き物でも落ちたかのような幸せな気分になった。

 

「どうやら俺は勘違いしていたらしい」

「え?」

「遠ざけるんじゃなくて、受け入れて生きていくしかなかったんだな」

 

 この感情に負けてしまったら、いつかみんなを傷付けてしまうんじゃないかと思っていた。だが、自分ひとりの力では解決出来ないこともあって、それとは真逆の結末を迎えてしまうところだった。

 

 もし、自分が間違いを犯してしまったのが彼女じゃなかったら……そしてこの仲間たちが居なければ、今ごろどうなっていたんだろうか。そんな仲間が望んでるというのなら、自分はこの国を救わねばならないし、彼女らを幸せにしてあげたいと、彼はこの時はじめて決意した。

 

 間違いは正さねばならない。

 

「ハーレム王に俺はなるよ」

 

 彼は決意を秘めたような眼差しで、そんな風に誰ともなしに呟いて……そしてその日、彼はいなくなった。

 


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