ラストスタリオン   作:水月一人

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弱虫

 鳳の大暴れから数日が過ぎ、官庁街にはまた人が戻っていた。勇者の力を持つヘルメス卿の狼藉はもはや厄災レベルであり、普通の人ではとても太刀打ち出来るわけもなく、みんな避難を余儀なくされていたのだが、それがようやく落ち着いたと言うので恐る恐る戻ってきたところである。

 

 騒動を引き起こした張本人は、現在リフレッシュ休暇と称して勇者領で療養しているそうだった。今回の件はまだ年若い彼が重責を担わされ、激務が続いた末のストレスのせいであるらしく、各国との折衝も国内貴族たちとの調整も、全て彼に任せっきりだった役人たちは自分たちの怠慢を恥じた。

 

 彼らは反省をして今まで以上にやる気になっており、あれだけの騒動だったにも関わらず、一人も欠けることなく職場復帰し、現在はペルメル、ディオゲネス両名の下で、ヘルメス卿不在の行政を支えてくれていた。

 

 尤もそれは詭弁で、実際の鳳はリフレッシュ休暇なんてものに行っているわけではなかった。彼はあの医務室でアリスに許された後、落ち着きを取り戻していたように見えたが、実際にはそうでもなく、その翌日には一通の手紙を残して消えてしまった。

 

 彼の性格を考えると仕方ないことだったのかも知れないが、あれだけ言ってもまだ一人で解決しようしていることに仲間たちは憤ったが、しかし、彼もまた仲間を受け入れるための努力をしていたようである。

 

 手紙にはこう書かれていた。

 

『私は私生児として生まれ、施設で育ちました。父親は分かっていますが、母親が誰だかはっきりとせず、親の愛というものを殆ど知りません。父は自分の後継者を作り出すべく、不特定多数の女性と契約して子供を産ませ、私たちは知らず識らずのうちにお互いに競争させられていたのです。私はそんな中でたまたま頭角を表した一人でした。

 

 私を引き取った父は自分の後を継がせるべく、私に英才教育を施しました。施設にいた時と別段変わりない生活でしたから、特に苦しいと思ったことはありません。ですが父に支配されているということ、母親がいないということ、彼のために生き、彼のやりたいことを継承するために生まれてきたのだという事実が重くのしかかり、私は最後まで父を信じることが出来ませんでした。彼のことを憎んでさえいました。

 

 でも今は、それでも彼は彼なりに愛情をもって育ててくれていたんだと思ってます。この世界に来てからそれが分かった気がします。幼馴染を汚された時、私を叱ってくれた父は正しかった。だから今は、自分の生命を軽視してたりしてないし、いつ死んでもいいなんて思ってもいません。

 

 それに私には生きる希望も出来ました。とても大切な人たちが出来たんです。

 

 ミーティアさんはこの世界に来た時からお世話になっている人で、右も左もわからない私にいつもお姉さんのように優しく接してくれました。デートしたり料理を作ってもらったり、時には喧嘩もしました。いつ頃からか彼女の元へと帰ってくるのが、この世界での自分の居場所になっていたんだと思います。そんな彼女が私のことを好きでいてくれたことはとても素敵なことだと思っています。

 

 クレアさんはこの世界でもとびきりの才媛で、私にはもったいない女性です。始めはこれだけの美人が私に近づいてくるのは、自分の地位を利用しようとしているだけだと思っていました。ですが、私は彼女の良心に触れ、少しずつ彼女のことを知る内に、彼女がどれだけ領民を愛し、この国を良くしようとしているかが分かり、心の底から彼女は尊敬するようになりました。

 

 私はアリスさんのことを、ずっと自分が保護していると思っていました。彼女の雁字搦めの境遇が自分と似ているような気がして、目が離せないと思っていたのです。ですがそれは私の間違いでした。彼女は自分一人の意思で立ち上がり、自分の居場所を掴み取り、主人を助け、そしていつも私に尽くしてくれていた。とても強い女性だったのです。そんな彼女は私の間違いを正し、あまつさえそれを許してくれたことで、駄目になりそうだった私を救ってくれた恩人でもあります。

 

 私はこんな自分のことを愛してくれる3人のことを、本当に嬉しく思っています。彼女らの愛を受け入れ、これから共に暮らしていきたいと、本当にそう願っております。ですが、そうするにはまだ不安が残っているのです。

 

 300年前の勇者はたくさんの子供を残しましたが、その殆どが殺されています。それは魔王になりかけていた勇者の落胤として、帝国に処分されたからです。私がこれから彼女らと結婚して子供が生まれたとしても、その子供たちが不幸になるのだとしたら意味がない。私はみんなを幸せにしたいのです。私を愛してくれた3人の女性のことも。その子供たちも。領民も。この世界の人々全てを。

 

 そのためにはやはり魔王化を止めるのが先だと思うのです。今回、これだけ皆さんに迷惑を掛けたというのに、その止め方が分かっていないのは、やはり恐怖なのです。また自分は同じことを繰り返してしまうのではないか。それが怖いのです。

 

 確かに、ルーシーの言う通り、性欲を満たせば一時的に衝動は収まりますが、それで魔王化が解決したわけじゃないのです。もしかすると、このまま誤魔化しながらずっと生きていくことも出来るかも知れませんが、いつどうなるかはわからないのです。少なくとも、300年前の勇者は忽然と姿を消しました。

 

 300年前の彼に何があったかはわかりませんが、もし将来、私の身に何かが起こり、彼のように愛する人を残して消えるようなことがあっては、取り返しがつかないことになる。全てが台無しになる。だから今はまだ、性欲に溺れるわけにはいかないのです。

 

 仲間を信じていないわけじゃありません。理性を失い、魔王となった私のことを彼らはきっと止めてくれるでしょう。ですが、私も彼らも無傷とはいかないはずです。もしかしたら誰かが死ぬかも知れない。私はそんなことになって欲しくないのです。

 

 もちろん、何の当てもなくこのようなことを言ってるわけじゃありません。私は魔王化を止める鍵がネウロイにあると考えています。あの土地は魔族が生まれる土地だからこそ、そこに元凶があるのではないか? 例えば帝都にある『神の揺り籠』のような先文明の遺産や、迷宮があるのではないか。それを探しに行こうと思っています。

 

 最初に言った通り、死ににいくつもりは全くありません。私は今、かつて無いほど生きたいという意志に満たされています。私は、私の愛する3人の嫁と面白おかしく暮らすために、絶対に帰ってくる。ハーレム王に俺はなるんだ。だから心配しないで待っていて欲しいのです。

 

 でも、もしものことがあったらその時は、この国の将来をクレア・プリムローズ卿と、私の信頼する部下、ペルメルとディオゲネスに委ねようと思っております。もちろん、そうならないよう全力で努力しますが、そうなった時のために、彼女を後継者とする血判を残しておきますので、どうかよろしくおねがいします。

 

 最後に、アリスさんに、あなたに私の全財産を残します。預かっておいてください。それでは、皆様の末永いご健勝をお祈りしております。鳳白』

 

 主が不在となった執務室の中で、クレアとペルメルとディオゲネスの3人が顔を突き合わせていた。

 

 彼らは鳳の手紙を読み終えると、それと一緒に添えられていた血判状と共に、大切なものをしまうように金庫にしまった。だが、これを使うことは未来永劫ありえないだろう。彼らが大事に思っているのは、後継者を指名した紙切れなどではなく、そこに書かれていた決意であった。

 

 絶対に帰ってくる。その言葉を信じて、彼らもまた決意を固めた。

 

 クレアは鳳がやり残していった東部国境を開くため、仲間たちを説得することに決めた。隣国を嫌う彼らを説得するのは相当骨が折れる仕事だろう。本音を言えば自分だって嫌なのだ。だがもうそんなこと言ってられない。彼が帰ってくるまでに、国内の街道整備を終え、自分の領地に新しく大きな街を作るのだ。

 

 彼女は彼が自分のことを領民思いだと言ってくれたことを誇りに思ったが、それ以上に、彼がもっと多くの人々を救おうとしていたことを知っていた。彼の思い描いた夢のように、自分の領地を第二のニューアムステルダムにするのだ。

 

 そして神人二人もまた、国内の神人貴族を取りまとめるために動き出した。今までは先代の家系に遠慮して手心を加えていたが、今となってはそんな気持ちは失せていた。そもそも、高潔な神人である自分たちが、何故能力の劣る人間の下に傅かねばならないのか。

 

 真の王は一人で良いのだ。他者の意見などどうでもいい。強力に改革を推し進める力が必要なのだ。それはロバートでもクレアでもない。ヘルメスの加護を受け、勇者となった者をおいて他にありえないだろう。最初からわかっていたのだ。

 

 だから彼らは動き出した。新しい時代を始めるために、彼が戻ってくるのを信じて……

 

*********************************

 

 運び込まれた孤児院の医務室での療養を終えて、アリスはまたヘルメス卿の近侍として仕事に戻ろうと思ったが、その時にはもう彼は旅立ってしまった後だった。

 

 いつものように執務室へ出勤すると、そこには深刻そうな顔をした3人がいて、鳳の手紙のことを教えてくれたあと、彼女に自宅待機を命じた。他の3人とは違って、仕えるべき上司がいない状況では、彼女がここに残っていてもやれることは何も無かった。彼女の仕事は日々の細かな雑用なのだ。用事を言いつける者がいなくてはどうにもならない。

 

 仕方なく宿舎に帰ると、丁度ルナが外出しようとしているところだった。隣にはいつもの乳母ではなく、見たことのない女性が立っていた。アリスは不自然に思いながらも、大きくなってきた赤ん坊を重そうに抱いているルナに駆け寄ると、

 

「お嬢様。よろしければ私が代わります」

「まあ、アリス、どうしてこんなところに? 今日からまたお仕事だって張り切っていたじゃない」

「実は……」

 

 アリスが鳳が旅立ってしまったことを告げると、ルナは暫く呆然としたあとに残念そうな表情を作り、

 

「そう……私にはヘルメス卿のお悩みが理解できますわ。私たちは、無邪気に勇者の血が欲しいなどと言っていましたが、そうしてこの子を授かったあとに待っていたのは、過酷な逃亡生活でした。ヘルメス卿は、あなたにまたそんな思いをして欲しくないのでしょう」

「はい……ですが勇者様は絶対に帰ってくるともおっしゃっておりました。ですから、それまで、また以前のようにお嬢様のお傍に仕えさせてくださいませんか」

「いいえ、それは出来ないわ」

 

 ところがルナは、きっぱりとそう言いきった。まさか主人に拒絶されるとは思いもよらず、アリスは戸惑った。

 

「どうしてそんな意地悪をおっしゃるのですか?」

 

 するとルナはアリスの目を覗き込むようにじっと見つめてから、

 

「あなたにはもう、本当のご主人さまが出来たのですから、これからはそちらに尽くしなさい。今、その方が大変なときだと言うのに、こんなところで時間を浪費している場合ではないでしょう?」

「それは……」

「ヘルメス卿は、あなたに財産を預かってくれと書き残して旅立たれました。それはもしもの時のために、あなたに対する償いのつもりで書かれたのでしょう。あなたはそんなお金を受け取れますか?」

 

 アリスはハッと目を見開いて、それから慌てて首を振った。彼女はそれを、単にお金の管理を任されただけだと、言葉のとおりに受け取っていたのだ。それが生まれつきルナの従者として育てられた、彼女にとって当たり前のことだったから。

 

 ルナはそんなアリスに向かって、まるで自分の娘に言い聞かせるように微笑みかけると、

 

「実はこの間、避難所代わりに行った孤児院で仕事を見つけてきたのです。今、こちらの方の紹介で、そこへ向かうところでした。ヘルメス卿が作られた孤児院の子たちは、みんなしっかりしていて、避難中の私の赤ちゃんの面倒を見てくれました。私も、孤児院の子供たちを世話するのが楽しくて、また機会があればと思っていたのです。

 

 神人は長く生きるくせに、なかなか子供が出来ないから、今までその可愛さがわかりませんでしたが、私はこの子を授かったことで、それが分かった気がします。今の私は、人の子全てが愛しくて仕方ないのです。きっとこれが天職だったのでしょうね」

 

 ルナは自分の赤ちゃんを愛しそうにぎゅっと抱きしめながら、今までに見せたことのないような晴れやかな笑顔で言った。

 

「アリス……あなたのお陰で、この子に会うことが出来ました。きっと私一人だったら、今ごろ帝都で処刑されているか、仮に逃げおおせても世を儚んで、こんな幸せな気分ではいられなかったでしょう。それもこれも、あの時あなたが必死になって、私のためにヘルメス卿に縋ってくれたからです。感謝しています」

「お嬢様……」

「今日を持って、私とあなたの主従関係を解消しましょう。これから私たちは対等な立場です。だからもう、私のことは気にせず、あなたはあなたの人生を歩みなさい。あなたと過ごしたこの数年間は、私の大切な宝物です」

 

 ルナは片手で赤ちゃんを抱きながらもう片方の手を差し出しながら言った。アリスはその手をしっかと握りしめ、深々と頭を下げながら、別れの言葉を口にするのだった。

 

「長い間、ありがとうございました」

 

*******************************

 

「……鳳さんの弱虫」

 

 冒険者ギルドの掲示板前では、不機嫌オーラを放つミーティアが、今にも人を殺しそうな眼光鋭い瞳で掲示板を睨みつけながら、ペタペタと何か張り紙をしていた。

 

 黙っていればクール系美人と言えなくもない彼女は、実は今のフェニックスのギルドでは密かに人気があったのだが、口を開けばすぐ飛び出す暴言とその邪悪な笑みのせいで、いつしか屈強な冒険者達からも敬遠されていた。

 

 おまけに今日はそれに輪をかけて不機嫌そうと来ている……酒場に来ていた冒険者たちは触らぬ神に祟りなしと、遠巻きにそれを見ているだけで誰も彼女に近づこうとはしなかった。

 

 そんなこととは露知らず、彼女は今日もギルドに閑古鳥が鳴いていると嘆いては、また不機嫌オーラの色を濃くしていた。

 

 それもこれもあの根性無しが悪いのだ。彼らしいといえば彼らしいのだが、鳳はまた自分ひとりで何かを決断すると、何も告げず彼女を置いてどこかへ行ってしまった。あの日、彼女は彼に今度からはちゃんと相談しろと言ったのに……自分では役に立たないかも知れないが、それでも報告はしろと言ったのに……

 

 そしてこうも言ったはずだ。もう待っているだけの自分じゃないと。

 

 クレアから彼の残した手紙の話を聞いた時、唖然としながらも、彼女は心のどこかで、やっぱりなと思っていた。そしてすぐに追いかけようと覚悟を決めた。

 

 相手は伝説の勇者で、行き先は魔族の跳梁跋扈するネウロイである。そんな場所に何の戦闘力もない自分なんかが行けるはずもない。無謀なことはわかっている。でもそんなの関係ない。ギルド長の説得もまだだが、彼女は絶対に追いかけてやると心に決めていた。

 

 そんな感じに彼女が決意を新たにしていると、酒場のマスターが受付までやってきた。元々、この街の酒場を経営していた男であるが、彼は戦争のせいで一度は国元へ帰っていたのだが、鳳がヘルメス卿になるとまた舞い戻ってきて、元の席に収まった経緯があった。

 

 因みにルーシーの母親とは知り合いで、彼女が死んでからは彼女の親代わりのような立場でもあった。そんな縁もあってか、今でも一緒に酒場を切り盛りしていたのであるが、

 

「ミーティア君、今日ルーシーから何か聞いてないかい?」

「どうかしたんですか?」

「実は朝から来て無くて、ただの遅刻だと思ってたんだけど……まいったなあ、そろそろお昼時だし、店のほうが忙しくなってきちゃって。良かったら手伝ってくれないか?」

「いつも暇だと思わないでください。私にだってやることがあるんです」

「うっ……すみません」

 

 マスターはすごすご帰っていた。ミーティアは彼の煤けた背中を見送ると、受付のデスクにダラっと覆いかぶさるように突っ伏した。

 

「まあ……見ての通り暇なんですけどね」

 

 彼女は突っ伏したまま手首に顎を乗っけるような姿勢で、大賑わいの店内を眺めながら、ため息交じりに言った。

 

 このタイミングでルーシーが居なくなるなんて、もしかして鳳について行ったんだろうか? 彼が誘うとは思えないから、彼女が強引についていったと考えるのが自然であるが……もしそうなら、どうして自分を誘ってくれなかったんだろうか。

 

 やはり非戦闘員は危ないから? 確かに、自分みたいな素人がネウロイなんていけるわけがない。無謀すぎるのは分かっている。でも、諦めきれないのだ。

 

 座していては、男はあっちへフラフラこっちへフラフラ、どこかへ行ってしまうだけなのだ。幼馴染を親友に奪われた時、二人のことが好きだったから、これでいいと諦められた。だが今度はそういうわけにはいかない。愛する人は、ちゃんと自分の手で掴んでおかなければ、一生後悔する。

 

 彼女はそんな風に考えて、遣る瀬無さに胸がはち切れそうになった。彼のことを追いかけたい。でも自分には力がない。どうすればいいのか……

 

 そんな時、まるで天啓が舞い降りたかのように、その声が聞こえてきた。

 

「はあ? なんだこの張り紙は……ネウロイなんて行くバカがこの世のどこにいるってんだよ」

 

 気がつけば、いつの間に紛れ込んできたのか、掲示板の前で少年がゴソゴソやっている。彼はさっきミーティアが貼り付けたばかりの張り紙をビッとちぎるように引ったくると、ニヤニヤとした、それでいて愛嬌があるような独特な笑みを浮かべつつ、彼女の方へと近寄ってきた。

 

「どうしてこんな無謀なの貼ってんだ? 依頼人は……はあ? ミーティア? あんた、気でも狂ったのかよ?」

 

 見れば暫く前に勇者領へ旅立ったギヨームが、肩を竦めて呆れるような素振りで立っていた。彼女はその姿を見るや否や、その頭をベチっと引っ叩いて、

 

「帰ってくるの遅すぎ!」

 

 そんな理不尽なセリフを浴びつつも、彼は相変わらずニヤニヤとした笑みを絶やさずにいた。

 


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