ラストスタリオン   作:水月一人

227 / 384
それは簒奪ではないか!!

 サムソンがベル神父の強さに惚れ込んでしまったので、帝都への道行きは、結局、途中のプリムローズ領まで孤児院のメンバーと同行することになった。

 

 馬車は大人数でゆっくり進んでいるから、帝都に着くのが少し遅れてしまうだろうが、元々、馬がなくて困っていたので、プラマイゼロと考えていいだろう。流石にヘルメス東端のプリムローズ領まで行けば馬も見つかるだろうから、遅れはそれから取り返せばいい。

 

 そんなわけで翌日からも馬車に便乗することになったのだが、神父はともかく、他のスタッフからは迷惑がられるかも知れないと思っていたが、馬車が狭くなるにも関わらず、彼らは嫌な顔ひとつ見せずに受け入れてくれた。代わりに布教されたりしないかと覚悟もしていたがそんなこともなく、道中は終始和やかな雰囲気だった。やはり、ほとんどボランティアで孤児院を経営してるような人たちだから、人間が出来ているのだろうか。

 

 サムソンの稽古は翌朝からすぐに始まったが、ジャンヌも気になって様子を見に行ったところ、彼だけではなく、同行の信者たちも同じ稽古を受けているようだった。その内容は太極拳みたいに、型を神父の真似をしながらゆっくり行うというもので、特に難しくないからジャンヌもどうだと言われ、彼女も一緒に受けることになった。

 

 修行というよりラジオ体操みたいだなと思いながら言われた通りにしていたのだが、これが中々どうして、ゆったり見えるくせに相当きつく、途中からどうしようもなく汗が吹き出てきて、終わる頃にはクタクタになっていた。

 

 みんな汗だくになって地面に転がっていると、一人だけ涼しい顔をしている神父がやってきて、

 

「疲れるのはそれだけ無駄な動作が多いと言うことだ。始めは一つ一つの動きに集中し、どうすれば効率良く動けるか見極めろ。繰り返し練習し、意識せずとも自然と体が動くようになれば、自ずと力が抜け、もう疲れない。それが正しい型だ」

「わかりました。師父」

 

 同じことをしていると言うのに、汗一つかいていない神父が言うのだからこれ以上の説得力はないだろう。サムソンは体に鞭打って正座すると、深々と頭を下げた。

 

 朝はそんなもので、本格的な修行は夕方以降に行われた。日中は馬車で移動し、次の宿場町までやってくると、二人は夕食前の運動と称して出掛けては人気の少ない河原や原っぱで実戦形式の訓練を行った。

 

 神父はサムソンの直線的な動作を直したいようで、朝のように一通り型の練習をした後は、拳を交えて一つ一つの動きをチェックしながら、丁寧にアドバイスしていた。

 

「君は力を直線的に最短でぶつけようとするが、それは一見して正しいように思えてアクシデントに弱い。もしも必殺の一撃を躱された時、君は自分でその力を引っ込めねばならない。二度、力を込めなければならないのだ。これでは、力をセーブするか、捨て身にならざるを得ないだろう。そうではなく、もっと回転を意識するのだ」

「回転ですか……?」

「そうだ。独楽は回転し続ける限り決して倒れず、どんな攻撃も弾いてしまう。それと同じように体術も絶えず流れ続ければ、万難に屈することはない。常に次の動きを想像し、先手先手を取って行動するよう心がけろ。そのためには、相手を倒すことではなく、未来の自分の動きをイメージするのだ」

「相手ではなく、未来の自分の動きですか……?」

「そうだ。絶えず動き続けよ。勝つことを目的とする者はいずれ必ず負ける。己自身に打ち勝つものだけが最後まで立っている。勝敗をイメージする前にまず動け。動作があって、それから結果がついてくるのだ。故に、これからは直線的な動きは極力抑えて、相手と一定の距離を保ちつつ、回るような動きを意識するのだ。一撃で仕留めるのではなく、攻撃を継続する手段を第一に考えろ」

「なるほど、それならわかります」

「ではやってみよう」

 

 そうして行われる組手は、傍目には非常にゆっくりとしたものだったが、その内容は濃密だった。神父の一つ一つの動きを目で追っていると、サムソンはこれまで自分が如何に無駄な動きをしていたか痛感させられた。そして、そんな風に考えながら戦っていると、彼には教えられた型の意味も分かるような気がしてきた。それは流れる水のように絶え間なく、ゆっくりと、時に激しく、移りゆく動作なのだろう。

 

 神父の体術は時に超常の力をも操った。彼は、力はただ筋力からのみ発するものではなく、もっと精神的なところから発揮されるものだと説いた。

 

「丹田に力を込め、全身を巡る気の流れを意識せよ。それは呼吸によって行われる。深く吸い込んだ息を吐き出す時、指先まで流れる気を感じ取るのだ。気は集中した呼吸によって循環し、体の中心、丹田に蓄積されていく。それを練り上げ、まずは呼吸とともに拳を打ち出すことを意識しろ」

「しかし師父。気という言葉は聞いたことはありますが、おとぎ話ではないのですか? 心構えみたいなことを言ってるのでしょうか?」

「いいや、そうではない。そうだな……なら、試してみよう」

「試す?」

 

 神父は頷くと、いつもの低い構えではなくノーガード、いわゆる棒立ちのままサムソンに向かい、こう言った。

 

「私はここから一歩も動かないから、君の最高の力で思い切り攻撃してみろ。蹴りでも拳でもなんでも構わない」

「よろしいのですか……?」

「うむ。私を信じて、思い切りこい」

 

 正直、無防備な人を殴るのは気が引けたが、言うまでもなく既にサムソンは師匠のことを心の底から信じていた。彼は、ならばと助走をつけると、思いっきり師匠に向かって飛びかかっていき……そしてそのままバランスを崩してゴロゴロ地面に転がった。

 

 彼は言われたとおりに本気で師匠を殴ろうとした。ところが、その拳が師匠に届いた時、ありえないことが起きたのだ。彼の拳は確かに神父の体を打ち抜いていたのだが、あるはずの手応えがまったくなかったのだ。

 

 まるで空気でも殴っているかのように、彼の拳には一切の反動が伝わって来ず、そのため彼はバランスを崩してそのまま転んでしまった。

 

 そんな彼が呆然と見守る中で、殴られた神父はまるで月面にいるかのようにふわりと浮かび上がり、綺麗な放物線を描いて十数メートル先に音もなく着地した。その着地は実にソフトで、砂埃も上がらず、そんな重力が無くなってしまったかのような光景を前に、サムソンは声を失った。

 

「軽気功という。気を練り上げ、自然と一体化することで、私という存在そのものを殺した。私は今ここにいるようでここにいない。いないから重さを感じられなかったのだ」

「そ……そんなことが人間に出来るのですか?」

「修行次第で、あるいは。他にも硬気功や軟気功、気功には様々な型があるが、君はまず気を感じることから始めねばならない。そのための呼吸法を教えるから、これから毎日、訓練中は呼吸の仕方をも意識しろ。それがまた、型の完成に繋がる」

「わかりました! 師父!」

 

 こうしてサムソンは新しい技の手ほどきを受け、道中に時間を見つけては鍛錬を続けた。朝はみんなより早起きして型を磨き、夜はクタクタになるまで師匠にその動きを指導してもらった。彼は毎日動けなくなるまで修行に明け暮れたが、充実しているお陰だろうか、翌日に疲れが残ることは全く無かった。

 

***********************************

 

 そんな感じに修行をしながら、プリムローズ領への道程はあっという間に過ぎてしまった。フェニックスを出てからおよそ10日ほどで目的地の孤児院まで辿り着くと、サムソンは最後の訓練を終えて師匠に感謝の礼を述べた。

 

「師父よ。今日までありがとうございました。短かったとは言え、この10日間はこれまでの人生と同様の価値があるほど、密度の濃い毎日でした。俺はあなたに教わったことを忘れず、これからも努力していきたいと思います」

「うむ。頑張りなさい」

「サムソン、もしもあなたがその気なら、この場に残ったっていいのよ? 私なら一人でも帝都までいけるから」

 

 二人のやり取りを見守っていたジャンヌが、サムソンの気持ちを慮ってそんなことを口にした。しかし彼はそんなジャンヌの気持ちをありがたく思いながらも、

 

「いや、目的を間違えては元も子もない。俺が強くなりたいのは、勇者と呼ばれるおまえと肩を並べて戦っていたいからだ。それに師父は他にも大事な仕事がある。それを邪魔するわけにもいかない」

「そう……あなたがそう言うのなら」

 

 神父はそんな二人の会話を黙って聞き終えるとサムソンに言った。

 

「君の言う通り私にも仕事がある。それにこれが今生の別れでもあるまい。私はまだ暫くはこの国にいるから、何かあればいつでも尋ねてきなさい。力になろう。あとは今日までに教えたことを忘れず功夫を積めば、自ずと道は開かれるだろう」

「はい、師父!」

 

 サムソンとジャンヌは、神父や馬車の同行者たち全員と握手してから、手に入れたばかりの馬に乗って去っていった。プリムローズ領の広大でどこまでも続く平原を、サムソンは何度も何度も振り返っては、大きな体をいっぱいに使って手を振っていた。

 

 ベル神父はそんな弟子の姿が見えなくなるまで見送ると、ようやく背後を振りかえって孤児院の方へと歩き出した。馬車から荷物を下ろしていた同行の職員たちが、にこやかな笑みを讃えながら彼を迎えた。

 

「とても爽やかな人たちでしたね」

「うむ。若者は皆ああであって欲しいものだ」

「あなたがお弟子さんを取るとは意外でしたが」

「少しでも勇者の役に立つなら。それに見どころのある若者だった……さて、私はもう一仕事してくるが、ここは任せられるか?」

「かしこまりました」

 

 神父は職員と別れると、孤児院へ入るのではなく、その正門の前を通り過ぎ……そこから暫く歩いた先にあったヘルメス軍のキャンプへと向かった。簡易的な柵に囲われたキャンプの入り口には、ライフルを装備した歩哨が立っており、最初は不思議な格好をした翼人のことを止めようとしたが、すぐに近くの詰め所から上官が出てきて神父のことを通してくれた。

 

 ただでさえ巨漢の神父は、その背中に生えた翼もあって、余計に周囲の目を引いた。こんな場所で何をしているんだろう? といった好奇の視線を浴びながらも、神父はさして気にした素振りを見せずに、いつものように厳かな表情のままノシノシと、キャンプ地の奥の方に建てられた他よりも少し豪華なテントまで歩いていった。

 

 そのテントの前にも、先程と同じように歩哨が立っていた。神父はそんな彼に向かって、

 

「隣の孤児院から使いが来たと伝えてくれ。言えばわかる」

 

 歩哨が中に消えて暫く経つと、そのテントの中から入って良いとの声が聞こえた。出てきた歩哨と入れ替わりに中に入ると、テントの中央に置かれた会議机の回りを大勢の男たちがぐるりと取り囲んでいるのが見えた。

 

 ここは軍のキャンプの中であったが、彼らが着ているのは軍服ではなく、どれもこれも意匠の凝った綺羅びやかな装いだった。それもそのはず、そこにいた者たちは皆、軍人ではなくて、この国の貴族たちだったのだ。

 

「よく来てくれた。さあ、こっちへ!」

 

 そんな貴族たちの間から一際大きな声がかかった。神父がその声に応えて会議机の方へと歩み寄っていくと、その集団の中心あたりで、特に偉そうに踏ん反り返っている小太りの男が見えた。

 

 彼は自分で呼び出しておきながら、やってきた神父のことを虫けらでも見るような目で見下しながら、

 

「それで、どうなんだ? 勇者は今、この国にいるのか? いないのか?」

 

 そんな感じに苛立たしそうな声を上げたのは、この国の後継者候補……アイザック12世ことロバート・ニュートンであった。彼は少々事情があって、自分の腰巾着を引き連れ、こっそりとこの国境まで忍んで来ていたのだ。

 

 神父はそんなロバートに向かって、表情を変えず、いつもの調子で言った。

 

「ヘルメス卿は居なくなった。今はわけあって、戻ってこれるかどうかもわからない旅に出ている」

 

 その言葉を聞いた瞬間、テントの中に動揺する悲鳴のような声が響き渡った。ロバートは忌々しそうに舌打ちをし、腰巾着たちは皆青ざめた顔をしている。本来はこのテントの所有者でもある、この中で唯一軍服を着ていた将校のテリーも、眉を顰めて緊迫の表情を浮かべていた。

 

 ロバートは、ざわめく腰巾着たちに静かにするよう命じてから、更に神父に向かって尋ねた。

 

「それで、その事実を隠して、クレア派は何をしようとしているのだ?」

「うむ。ヘルメス卿は、もしもの時のために自分の後継者としてプリムローズ卿を指名するという置き手紙を残していった。彼女らはその手紙を盾に、その時が来れば速やかに権力が移譲されるよう、コソコソ準備をしているようだ」

「おお、なんてことだ!」

 

 テントの中でまた動揺の声が沸き起こった。彼らは期せずして、ここでロバートの負けを聞いてしまったのだ。殆ど者がそれを聞いてがっくりと項垂れるのに対し、数人の男たちは抜け目なく目配せをしていた。今からでもクレアにつこうと画策しているのだろう。

 

 そんな中でロバートは再度舌打ちしながら、

 

「しかし、まだ勇者が帰ってこないと決まったわけじゃないだろう。何故、奴らはそんなスタンドプレーに走ろうとしているんだ?」

「それはヘルメス卿が向かった先がネウロイだからだ。いくら彼でも、そんなところに行って無事で済むわけがない。だからプリムローズ卿は、もう彼が死んだものとして行動しているのだろう」

 

 その言葉に、周りの腰巾着たちはまたどよめいた。勇者の力をよく知らない彼らからしてみれば、無事では済まないという神父の言葉は信憑性が高く思えたのだろう。

 

 もはやクレアがヘルメス卿になるのは間違いない。ロバートについたのは失敗だったか……彼らの表情がそう告げていた。

 

 ところが、対するロバートは神父の言葉を聞くやいなや、ニヤリとした笑みを浮かべてから、それをすぐに引っ込めて、わざとらしく咳払いすると、

 

「それは簒奪ではないか!!」

 

 ロバートの大声に、ざわついていたテント内が静まり返り、彼に視線が集中する。彼はその視線を受けながら、実に嘆かわしいと言った素振りで、

 

「勇者様がどこへ行こうと、その死が確認されない限り、ヘルメス卿は彼のものだ。それを勝手に死亡したことにして奪うなんて、あってはならないことだろう。もしも彼らが真にこの国の下僕であるのなら、その生還を信じていつまでも待つのが筋ではないか? なのに、居なくなったのをこれ幸いと権力を奪おうなど、言語道断、絶対に許してはならない卑劣な行いではないか!」

 

 ロバートの言葉に、テント内の者たちの目に活気が戻りだす。

 

「やはり、狡猾な女が国の頂点に立つなどあってはならないことなのだ! このまま奴らの独断専行を許しては、この国は滅びてしまう。奴らの悪政からヘルメスを守るためにも、我々は立ち上がらねばならないのではないか!? どうだろう! 皆のものよ……私についてきてはくれないだろうか!!」

 

 ロバートの宣言に、一人、また一人と呼応する者が現れる。元々、彼を神輿に担いで、そのおこぼれを貰おうとしていた連中である。彼を支持するその声がテント中に満ちるまで、それほど時間はかからなかった。

 

 そんな中で唯一の部外者であるテリーは、聞かなければ良かったといった表情を見せてから、何かを決意するかのように唇を結んだ。神父はどちらに与することもなく、いつものように厳かな表情で、じっと成り行きを見守っているようだった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。