時は一月前に遡る。鳳とルーシーがガルガンチュアの村を飛び立ってから2日後、彼らはワラキア中央の山岳地帯へ立ち寄った。まっすぐネウロイへ向かわず寄り道したのは、以前のオーク退治のときに発見したコカの木から葉っぱを調達するためであった。ギヨームが居たら即座に突っ込まれそうだが、わりと本気で必要だったのだ。
鳳はMPが切れたら飛べなくなるが、そのくせMPの自然回復は本当に少ないのだ。大体、一日に20も回復すれば良い方で、最大MP999の鳳では殆ど意味をなさなかった。そのため、薬物に頼ることになるのだが、前回経験したように、過剰に摂取すると体への負担が大きくてMP回復どころじゃなくなってしまう。
クスリの覚醒成分は、MPが満タンでないならMP回復に優先して回され、ラリっちゃうことはないのだが、急速に回復しようとして過剰摂取するとその限りではなかった。現実に、自殺目的で薬物をがぶ飲みする者がいるように、MP回復のつもりで気軽に使いすぎれば、やはり体調を崩して死ぬ危険性があるのだ。
そのため、日中はずっと空を飛んでいるわけにも行かず、MP回復休憩を挟みながらちょっとずつ進むしかなかった。それでも、一日に平均して150キロほど進むことが出来、これは道がない大森林ではかなり凄いことではあったが、そもそもネウロイまでの距離が距離だから、わりと焼け石に水だった。
ネウロイまでは、ガルガンチュアの村から直線距離でも5000キロはあり、このペースだと現地に到着するのに一ヶ月はかかる計算だった。空路でこれなのだから、鳳が単独で行こうとしたのは合理的だったわけである。
ルーシーは、もし自分がついてこなければ、もっと早く進めたんだろうなと思って少し後悔したが、それでも今の彼を一人で放っておくことは出来ないと思い、黙っていた。彼はいつも通りの飄々とした顔をしていたが、あんなことがあった後ではどことなく危ういものを感じていた。
道中は思ったよりも戦闘が少なかった。
空を飛んでいるというのもあったが、単純に魔族の数が少なかったのだ。ネウロイは魔族のメッカと聞いていたし、実際に南部遠征の時は南へ行けば行くほど敵が多くなっていったから、二人とも相当の覚悟をしていたのだが……なんとも肩透かしであった。
鳳たちは大体、1日に三度MP回復休憩をし、日が暮れたらキャンプを張るという生活を続けていた。
戦闘も考慮してMPが300を切ると上空を旋回し、十分に索敵をしてから着地し、更に地面に降りた後も警戒を怠らずに偵察をしてから、ようやく休憩に入っていたのだが……これだけ頻繁に地上に降りても、敵と遭遇することは稀であり、だいたい2日に一度戦闘があるかないかといった程度だった。
そして魔族を見つけてもオアンネスの時のように群れでいることは少なく、大体が一匹狼的な強力な魔族が縄張りを主張しているだけで、それを倒してしまえば近くから敵の気配はなくなった。
おまけに、魔族がヒャッハーしている土地だと思っていたから、野生動物が少なく食料には苦労するだろうと思っていたのだが、意外にもネウロイの野生動物は多く、下手をすればガルガンチュアの村がある大森林北部よりも、よっぽど獲物が豊富のように思えた。
これまた肩透かしであったが、道中は草や地下茎ばっかり食う羽目になるだろうと思っていただけに、嬉しい誤算ではあった。鳳は適当に中型の草食動物を狩ると皮を剥いで、夜はそれを燻製にしたりして過ごした。
そんなある日のことだった。日が暮れてキャンプを張り、骨付き肉を焚き火で炙っている時だった。ぼんやりと炎を見つめていたルーシーが、誰ともなしにポツリと呟いた。
「……このままネウロイにたどり着いたとして、そこに何かあるのかな? 私たち、本当は無駄なことしてるんじゃないかな」
多分、旅の疲れと炎を見ていたせいで、無意識に本音が出てしまったのだろう。返事を期待して言ってる感じじゃなさそうだし、黙っていても問題なかったろうが、鳳は肉にかぶりつきながら思ってることを口にした。
「さあ、どうかな。もしかしたら何もないかも知れない……実は俺もあまり分の良い賭けじゃないと思ってるんだよね」
鳳がぶっちゃけると、ルーシーはビクッと肩を震わせてから、複雑に眉を歪ませてこっちを見た。ここまで来ておいて、そりゃないだろうと言いたげな表情に、彼は苦笑交じりに続けた。
「魔王化は自然選択ではなく、人工的に行われてることは間違いない。恐らく四柱の神のデイビドが引き起こしていることなんだろうけど、だとしたらネウロイなんかよりもP99を調べたほうがよっぽど建設的だろう。実は俺もそう思っていたんだけど……あの機械はもう、調べるところがないくらい、調べつくしちゃったんだよね。
帝都にあるP99は復活したソフィアがかなりの部分まで解析済みで、俺はその情報を元に、渓谷のP99に違いがないか調べてみたりもしたんだが、新しいものは何も出てこなかったんだ。
それもそのはず、あれは端末であって、DAVIDシステムそのものじゃない。魔王化に関する肝心な部分は、あれとはまた別の場所にあるはずなんだ。それがどこかって言うと、俺たち
だから最悪の場合、ネウロイには何も無かったことがわかればそれでいい。そしたらまた別の場所を探すから。俺はそんな、消極的な理由でネウロイを目指しているのさ」
ルーシーはそんな気の長い話を聞いて目眩がした。
「それじゃあ、ここで何も見つからなかったら、更に別の場所を調べるつもりだったの?」
「ああ、新大陸にはまだまだ前人未到の土地が山程ある。そういう場所も調べておかないと気がすまないから。時期を見て探しに行くつもりだった」
「そんなのいくら時間があっても足りないじゃない……ねえ? 鳳くんが最初に言ってたみたいに、もう諦めてミーさん達と面白おかしく暮らしていくわけにはいかないの?」
「その場合は、まず子供を諦めなきゃいけない」
彼女のそんな提案に、鳳はきっぱりとそう断言した。その即答っぷりからして、恐らく、そんなことは既に何度も考えただろうし、考えて結論が出ている答えだったのだろう。
「根本的に、魔王化を解決する手段が見つからなければ、今度は俺の子供が俺と同じ目に遭うかも知れない。それに、セックスで魔王化が緩和できるのも、いつまでもってわけにはいかないだろう。神人と違って俺は年を取るんだし、少なくとも300年前の勇者は消えてしまった……そんな曖昧なことに彼女らの人生まで犠牲にするわけにはいかないだろう。だから、どうしても俺は解決手段を見つけるしかないんだ。出来るだけ早い内に」
「そっか……」
鳳の言葉は、いつも理路整然としていて他人事のように響いた。普通の人ならとっくに音を上げてるかも知れないことに、彼は慣れきってしまっているのだ。だから、彼ならなんとかしてしまうだろうと思えると同時に不安にもなった。彼の人生が乾ききってしまう前に、ちゃんと幸せはやってくるのだろうか。たかだか好きな人が出来たと言うだけで浮かれていた彼の姿を思い出して、彼女は少し遣る瀬無くなった。
「それにしても、敵が少なくってよかったね。ネウロイが本当に言われてるような場所だったら、今頃こうしてのんびり話をしていることも出来なかったかも。何事も、蓋を開けて見るまでわからないもんだね」
「いや、俺が思うに……つい最近までは本当にそうだったんじゃないかな」
「どうしてそう思うの?」
鳳は焚き火から燃えさしを拾い上げ、地面に落書きしながら、
「オルフェウス卿カリギュラの話では、彼が探検した頃のネウロイは魔族の巣窟だったはずだ。実際に行ってきた人の証言なんだから、これは間違いないだろう。せいぜい十数年前の話なのに現在がこうなってるのは、恐らく、魔王が現れてオーク族以外が駆逐されてしまったからじゃないか?
魔族は男を殺して女を犯す。そうして母体にされたオアンネス族も、オークを産んだ直後に、自分の子供に殺されてしまった。同じことが、ここネウロイでも起こっていたんじゃなかろうか。そして残ったのは、オークに負けない強い個体か、たまたま難を逃れた連中だったと考えれば辻褄が合う」
「あー、そっかあ……そうかも知れないね」
「うん、で、もしかしたら、300年前に魔王が現れた時もそうだったのかも知れない。話によれば300年前、帝国に魔王が現れるよりも前に、既に大森林には魔族が押し寄せてきていた。バラバラだった獣人社会はそれに耐えきれず、ついに防波堤が決壊するかのように魔族が森から溢れ出してきて、人類はそれと戦っていたんだ。
何故、奴らは現れたのか。新たに魔王となったジャバウォックを狙ってやって来た、今回のオークキングみたいな強い個体がいたのかも知れない。まあ、それはわからないけど、勇者が魔王を討伐した時には、この惑星の魔族は相当数を減らしていたことは確かだろう。
だとしたら、その後ネウロイの調査に向かったオルフェウス卿アマデウスは、きっと深部にまでたどり着けたんじゃないかな」
さっきまでネウロイに行くことを疑問視していたルーシーは、鳳の予想を聞いて目を輝かせた。
「そっか! じゃあ、もしかしたら、ネウロイにそのアマデウスが遺した何かが今も眠っているかも知れないね?」
「うん。それが魔王化を阻止するために必要なものかはわからないけど、P99に匹敵するような面白い発見は期待できるかも知れない。迷宮は、強い個性の持ち主が残すものらしいから、
問題は、ネウロイと一口に言っても、それは広大だと言うことだった。
ネウロイというのは、元々存在していた地図(P99制作)に、大昔の帝国人が適当に線を引いただけの領域のことであった。彼らは南の大森林には獣人が暮らしているが、魔族はそれより南からやってくるらしいと言う情報を元に、ここからここまでがワラキアで、その先がネウロイと言った感じに、非常にアバウトな線引きをしたのだ。
だから、南部遠征の時に見に行った河川以南も、人によってはネウロイと呼んだし、例えば中央山地の南では、獣人は殆ど活動をしていないから、そこを境界線にしている者もいた。だが、概ね大陸の南端の半島が突き出している辺りをネウロイと呼ぶのが、昔からの習わしだと思えば間違いないだろう。300年前のアマデウスも、そのつもりでネウロイに向かったはずだ。
だから鳳たちは、まずは一直線にそこまで飛んでいって、西の端から東に向かい、空から探索することにした。方法は単純、ネウロイを大体20の領域に分け、一日探して何も見つからなければ次の領域へと進むのだ。今回は移動が目的ではないから、いつもより高度を上げて見下ろせば、もっと広範囲をカバーできる。それなら最低でも20日の探索で調査を終えられるだろう。
それは空から見下ろすだけという、完璧とは程遠い調査であったが、たった二人ではこれが限界だったのだ。先も言及した通り、ネウロイとは人によっては南半球まるまる全部を言うこともある。鳳は、その範囲をかなり絞って調査しようとしているわけだが、それでも日本列島くらいの広さはあった。これが精一杯なのである。
そんな感じでおよそ1ヶ月弱が経過し、鳳とルーシーはいよいよネウロイへと到達した。
流石にここまでくると、棲息する魔族の数も増えてきたが、今の鳳なら問題なく排除できる程度の増加でしか無く、二人はほっと胸をなでおろした。
それよりも厄介だったのは、高緯度地域に差し掛かり、気候が寒くなってきたことだった。上空から広範囲を探索するつもりだったのに、あまり高く上りすぎると、数分で凍えそうになってしまうのだ。そんな時は昼であっても焚き火に当たらねばならず、当初予定していたような調査はとても出来そうもなく、鳳は調査方針を変えざるを得なくなった。
とは言え、悪いことばかりでもなく、気候が変わったおかげで植生も変わり、大森林のような鬱蒼と茂る森は鳴りを潜めて、空から見ても地面が見えるステップ地帯や針葉樹林が多くなってきた。これならば上空からでも、地上のものが隈なく探せる。
南に行けば行くほど植物は少なくなっていったから、ある程度は妥協しなければならないと思っていた地上探索にも光明が見えてきた。ただし、植物が少ないのはそれだけ寒いのが原因だったから、彼らの移動速度とトレードオフの関係だった。
地図を見てしっかり準備をしたつもりだったが、頭の中で考えるのと実際にやってみるのとではかなり違う。地図には気温も植生も書いていないのだ。鳳は焦る気持ちを抑えながら、当初予定していた20分割を大幅に変更することにした。
これでは全て調査するのに、予定の3倍は時間がかかってしまうだろう。そんなに時間がかかっては、流石にヘルメスに残してきた者たちも心配するだろうし、今は抑えられている魔王化の影響もいつ発症するかわからない。
ここはやはり、妥協すべきなのだろうか……そうやって鳳が迷い始めた頃。それでも諦めきれずに、寒さに震えながら上空から地道に調査していた彼の目に、一筋の光が差し込んだ。
ネウロイに到達して数日後。彼らはついに、その不毛な大地に人工物を発見したのである。