ラストスタリオン   作:水月一人

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絶対に○○しないと出られない部屋

 次に訪れた部屋は今までとは少し毛色が違った。

 

 これまでは床一面が赤絨毯で覆われていたのだが、今度の部屋は床がフローリングになっており、部屋の隅の一部分だけ石タイルが敷かれてあって、その上にはバスタブが置かれていたのだ。

 

 バスタブの脇には洗面器とバスタオル、それから何本かのボトルがあり、壁に埋め込まれた洗面鏡のすぐ前には、赤と白のキャップをかぶった蛇口が突き出していて、そこから伸びるホースの先にはシャワーヘッドが取り付けられてあって、どう見てもそこは風呂場にしか見えなかった。

 

 なんじゃこりゃ? と思いつつ、多分あるだろう看板を探すと、

 

『長旅ご苦労さまでした。さぞかし疲労も溜まっていることでしょう。ここでゆっくり湯に浸かって、体を綺麗にしてください』

 

「今度は体を洗えってか……本当に注文の多い料理店みたいになってきたな」

「お風呂に入るのは良いけど、バスタブが一つしか無いよ? 鳳くんと一緒に入れってこと?」

「順番に入ればいいだけだろ! つーかこのボトル……もしかしてシャンプーとリンスじゃないか? 材質はプラスチックっぽいが……一体どういうことだ?」

「ねえ、この壁に繋がってる蛇みたいのって何?」

「何ってシャワーだけど……って、これもこの世界には無い物か」

 

 そもそも、水道のようなインフラもまともに整ってない世界である。仮にあっても、よほどの金持ちでもない限り、そんな物は見たことないだろう。鳳がシャワーヘッドを掴んで、そこにあった蛇口を捻ると水が吹き出し、それを見たルーシーは目を丸くした。

 

「きゃっ!! なにこれ、凄い発明だねえ……あれ? この水、温かいよ?」

「ちゃんとお湯が出るんだな……温度調節は出来ないみたいだが、多分、ほっといてもいい湯加減なんだろう。で、どうする? そっち先に入る?」

「入る入る!」

 

 ルーシーは新しいおもちゃでも見つけた子供みたいにはしゃいでいた。現代人の鳳からしてみれば、こんなもの珍しくもなんともないのだが、彼女にしてみれば未知との遭遇なのだろう。ほっといたら今すぐ衣服を脱ぎだしそうな彼女に、一通りシャワーの使い方を教えると、鳳は部屋の隅に行って背中を向けた。

 

 後ろの方から服を脱ぐ衣擦れの音が聞こえてきて生々しい……風呂に入れと言うくせに部屋には衝立一つ見当たらず、ともすると覗きたくなる衝動を鉄の意志でもって耐えるしかなかった。他の部屋には籠なり下駄箱なりクローゼットなり、必要なものは必ず置いてあったのに、衝立は必要ないという判断なのだろうか?

 

 そう言えば、入り口には必ず男女ペアで入れと書いてあったから、もしかすると恋人同士を想定していたのだろうか、それとも、こうしてドギマギするのを見越して迷宮の主がからかっているのか……

 

 なんにせよ、魔王化の影響が怖い今は本当に耐えるしかなかった。またクレアに迫られた時みたいに性欲が暴走したら、ここではもう成すすべがないだろう。実のところ、ルーシーのことは妹のように思っているから今まで誤魔化してこれたが、なんやかんやギルド酒場の看板娘であるくらいには可愛いのだ。一度意識しだしたら止まらなくなる危険がある。

 

「ねえねえ、鳳くん? この先っちょから白いヌルヌルしたのが出てくる物は何?」

「シャンプーじゃないですかね! つか、言い方! 言い方に気をつけようか!?」

「?? よく分かんないけど……わっ! 首の部分を上下に扱いたら、ヌルヌルもいっぱい出てきたよ!」

「おまえ、分かってるだろう!? 分かってて、やってんだろう、絶対!!」

「そんなことないって、それより見て見て! バスタブの中でかき混ぜたらすっごい泡だらけになっちゃった!」

「お風呂で遊ぶんじゃありません!」

 

 鳳はなんとか平静を保とうとしていたのに、ルーシーがはあまりにはしゃぐものだから、自分の背後で繰り広げられている光景を嫌でも想像してしまって、股間がエキサイトしそうになった。無心に般若心経を唱えることでどうにか抑えることが出来たが、こっちの気も知らず、今も無邪気に遊んでいる彼女を、あとで一発ぶん殴ってやろうと心に誓う。

 

 それにしても……シャワーといい、あのプラスチックのボトルといい、この世界には無かったものが次々と登場してくるのはどういうことだろうか。この迷宮の主が予想に反して現代人だったという可能性もあるが、それよりも鳳の記憶を元に再現されたと考えたほうが無難だろうか。一度、二人がズルをしようとしたら看板に咎められたことがあった。つまり、迷宮の主は二人の様子を窺っているのだ。

 

 指令に気を取られてあまり考えてこなかったが、ここに来るまでにいくつもの部屋を通り過ぎてきたわけだが、館の外観からとてもそこまでの広さはなかったはずだ。

 

 迷宮の中はなんでもありの精神世界なのだ。そう考えると、鳳の心の中を覗くことくらい造作もないだろう。もしもそうなら、ここの主は思っている以上に厄介な相手なのかも知れない……

 

 ルーシーはシャワーが珍しいからか、それとも温かい湯に浸かるのが久しぶりだったせいか、なかなか風呂から上がってこようとせず、結局、一時間くらいダラダラと長風呂を続けていた。

 

 鳳はその間、無邪気に話しかけてくる彼女に機械的に相槌を返しながら、フェルマーの最終定理を証明したり、ポアンカレ予想について画期的な解法を考案したりしていたが、ようやく彼女が風呂から上がった頃には、身動き一つしていなかったのに全身汗だくになっていた。

 

 風呂を先に譲って良かった。じゃなきゃ、二度入る羽目になっただろう。鳳が長風呂の不満をぶつけても、彼女はさっぱりした表情で、

 

「あー、いいお湯だった。鳳くんも早く入んなよ」

「言われずともそうするわい」

 

 彼女の横を通り過ぎると、ふんわりと石鹸の香りが鼻孔をくすぐった。ここ最近、そんな匂いとは無縁過ぎたから、思いの外それが胸をドキリとさせた。女の子の匂いがするとでも言おうか、ただの化学薬品の匂いのはずなのに、妙に意識させられるのだ。

 

 よく清純な子の例えで、石鹸の匂いがする女の子と言う言葉があるが、思うにあれは石鹸の匂いがする女の子の匂いという方が正しいのではなかろうか。でなければ、たかが風呂上がりと言うだけのことで、好感度が爆上がりするわけがないだろう。男というのは儚い生き物である。さっきまであんなに頭にきていたのに、それだけでもう何もかも忘れていいような気がしていた。

 

 そんな馬鹿げたことを考えながら汗だくになったシャツを脱いでいる時、鳳はなんとなく気になって背後を振り返った。すると約束なら壁を向いているはずの彼女とばっちり目が合って、慌てて視線を逸らす姿が見えた。

 

「……おい、こら、今こっち見てただろう!」

「ソンナコトナイデスヨー……」

「なんで片言なんだよ! つーか見てただろう、絶対見てた。なんで見るの!?」

「いやあ、だって……男の子の体にちょっと興味があって」

 

 鳳は壁に向かって正座しているルーシーの方へとズカズカ歩いていくと、思いっきりその頭を引っ叩いた。

 

 ルーシーに覗かれるかも知れないと思うと落ち着いて風呂に入っていられず、鳳はカラスの行水みたいにさっさと風呂から上がってしまった。せっかく久しぶりの温かい湯だったのに……などとぶつくさ言いながら服を着なおしていると、立て看板の向こう側に、いつの間にか新たな扉が出現していた。

 

「おお? どうやら次の部屋の扉が開いたみたいだぞ」

「やっとかー! 今回はちょっと手間取っちゃったね」

「殆どルーシーのせいじゃんか! まったく……今度の部屋ではグズグズすんなよ?」

「分かってるよ。ところでさあ、看板の言うことを聞いてれば先に進めることは分かったんだけど、最終的にこれを続けてたら何があるのかな? 私たちに何をさせたいのか、さっぱりなんだけど……」

「そうだなあ……今んところ、それこそ注文の多い料理店と同じなんだよね。でもまさか、俺たちを食べようなんて思ってないだろうしなあ」

「物語だと次はどうなるの?」

「簡単だ。材料を洗ったら下ごしらえをするだろう?」

 

 そんな話をしながら次の部屋へと入っていくと、また新たな部屋の中央にも、いつもの立て看板が置かれていた。

 

『乾燥はお肌の大敵です。この乳液を使ってスキンケアをしてください』

 

 鳳たちは顔を見合わせた。つまり、この乳液を顔や手足に塗り込めということだろうか。ここまでくると流石に疑わしくなってくる。鳳は看板の横に一緒に置かれていた乳液のボトルを手に取ると、クンクン匂いを嗅いでから、中身を一滴取り出してぺろりと味見してみた。

 

「……もしかして、塩コショウの味がするかと思ったんだけど。化学薬品の味だな。苦い。そしてまずい。本当に、看板に書かれてる通り乳液みたいだ」

「どうする? 言われたとおりに使ってみる?」

「騙されてるわけじゃないなら、従うしか無いだろうなあ……」

 

 二人は釈然としないものを感じながらも、看板の指示通りにペタペタと顔や手足に乳液を塗った。しっとりとした肌をペチペチ叩いていると、次の部屋への扉が現れ、中に進むとまた同じような看板が置かれており、

 

『当サロンは体臭のキツイ方の入室を禁じております。このオーデコロンを使ってください』

「私、臭うかな……?」

 

 寧ろいい匂いですと言いそうになるのをぐっと堪えて、鳳は看板の横にあった香水瓶を手に取ると、霧吹きを手首にシュッと吹き付け、

 

「……普通の香水だ。酢でも料理酒でも無い。看板に偽り無いようだが……うーむ」

「メンズとレディースと二種類あるね。じゃあ、私はこっちを使えばいいのかな?」

 

 ルーシーは瓶を手に取ると、制汗スプレーみたいにシューシューと全身に香水を振りまいてしまった。

 

「ああ、ああ、付けすぎ付けすぎ」

 

 鳳はそう言いながら。自分は首に一吹きと脇の下辺りに軽く撒いた。すると看板の文字が切り替わり、

 

『ちゃんとパンツの中も一吹きしとけよ?』

 

 まるで合コンのノリみたいなセリフにうんざりしながら、彼は指示通りにパンツの中に一吹きした。

 

 こうして二人がまた看板の指示をクリアすると、いつものように隣の部屋へと続く扉が現れた。ただし、今回は少し様子が違って、いつもの木製のドアとは別のデザインの扉が現れた。更には、隣の部屋へ行こうとすると、また立て看板の文字が切り替わり、

 

『それではごゆっくりお寛ぎください』

 

 と表示された。まるでこの先が目的地であるかのような言いっぷりである。

 

「……もしかして、ここが終点なのかな?」

「どうだろう……」

 

 ルーシーが尋ねてくるも、鳳はすぐには返事せず、代わりに新たに現れた扉に近づいてそれを軽くノックした。コンコンと響くその音と感触からして、どうやら木目調のデザインが施されたスチール製の扉らしい。中から返事が返ってくることもなく、人の気配もしない。鳳は覚悟を決めるとドアノブを握り、その扉を押し開いた。

 

 すると今度の部屋は今までと違って照明がついておらず、中は真っ暗なままだった。入り口から差し込む光で辛うじて見える室内の床は、これまで何度もお目にかかった赤絨毯ではなく、チープな合成繊維のクッションフロアのように見えた。

 

 部屋は今までと同じくらいの広さがあるようだが、とにかく暗くて中の様子はよく分からない。じっと目を凝らしていたら、奥の方に人影らしきものが見えて、一瞬ドキッとしたが、よく見れば人の背丈くらいにあるランプシェードのようだった。つまり、照明がないわけではない。点いていないのだ。

 

 もしかして入口付近に照明のスイッチが無いかな? と思い、壁を手探りしてみたが見つからず、そうこうしている内に、だいぶ目も慣れてきて、中の様子も少しは見えてきた。室内には生物がいる気配もなく、危険は少なそうだ。となれば、あそこにある電気スタンドらしきもののスイッチを入れれば、もう少し探索もしやすくなるだろう。

 

 いつまでもここでこうしているわけにもいかない。鳳が覚悟を決めて部屋に入ろうとした時、

 

「え? 一人で入るのは危険だよ!」

 

 隣に居たルーシーも慌てて一緒に室内に入ってしまった。多分、それがスイッチだったのだろう。突然……ババーン! っと鉄扉が閉まる大きな音がしてビックリしていたら、背後のスチールドアが勝手に閉じてしまった。

 

 その瞬間、部屋が真っ暗になって何も見えなくなり、ルーシーが足をもつれさせて鳳の腕にしがみついて来る。

 

 そんな彼女を支えようと、二人抱き合うように暗闇に佇んでいたら、次の瞬間……パッと部屋の照明が点いて、部屋の様子が目に飛び込んできた。

 

 鳳はそれを見て度肝を抜かれた。

 

「な……なんじゃこりゃあ……」

 

 部屋の奥の方にあったランプシェードのすぐ脇には、なんと現代的なおしゃれな冷蔵庫と液晶モニターが設置してあった。モニターが乗ってるテレビ台には、懐かしのゲーム機が収められていて、更にそのすぐ隣にはコンドームの自動販売機が置かれている。テレビ前の柔らかそうなカウチの上には、毒々しいショッキングピンクのクッションが乗っていて、何の用途に使うか一目瞭然の大人のおもちゃが無造作に転がっていた。

 

 そしてたった今、二人抱き合うようにして立っているすぐ目の前には、丸い回転ベッドがデデンと置かれてあり、その枕元には良くわからないスイッチがたくさんついていて、まさかそんなはずはと戸惑いながら、見上げれば天井は鏡張りになっていた。

 

 間違いない……これはどこに出しても恥ずかしくない。ラブホテルの一室であった。

 

「え~……」

 

 鳳は困惑すると言うよりドン引きしながら部屋を呆然と見回した。正直、驚くと言うより信じられないという気持ちのほうが先に立って、どんなリアクションを取って良いのか分からなかった。

 

 山の上にそびえ立つお城を見た時、まるでラブホテルみたいだなという感想を持ちはしたが、まさか本物が出てくるなんて思いも寄らないだろう……この迷宮を作ったやつは一体なんなんだ。心が叫びたがっているのか。

 

 逆に、ここがどういう場所かわからない人のほうが冷静になれるのだろうか、呆然としている鳳に代わって、部屋の中をキョロキョロ見回していたルーシーがポツリと言った。

 

「ねえ、鳳くん? おかしくない? この部屋は今までと違って、どこにも看板が見当たらないよ?」

 

 その言葉にハッと我に返った鳳は、改めて部屋の様子をぐるりと見回した。すると無いのは看板だけじゃなくって、

 

「なあ、俺達ってどこから中に入ってきたんだっけ? 扉は?」

「嘘!? 閉じ込められちゃったの?」

 

 ルーシーが驚いて、自分たちが入ってきたはずの壁をベチベチと叩いている。その壁は分厚いコンクリートででも出来ているのか、どんな振動音も返ってこなかった。

 

 閉じ込められたという事実に二人は一瞬焦ったが……しかし、慌てる必要はないだろう。扉が消えてしまったと言ったって、今までだって看板の要求に従わなければ、次の部屋の入り口は現れなかったのだ。今度は逆に、帰り道が出てこないと考えれば、状況的にはそう変わらない。

 

 問題は、その指令を出すはずの看板が、この部屋には見当たらないことだが、一体どこにあるんだろうと思っていると……

 

 その時、どこからともなく、ブーン……という、懐かしい電子音が耳に届いた。

 

 その音に釣られて、鳳は咄嗟に液晶モニターを見た。すると案の定というか、いつの間にかモニターの電源が入っており、黒い画面が薄っすらと光を放っているのが見えた。彼はピンときた。どうやらこれが看板の代わりらしい。

 

 鳳は未だに壁を手で触っているルーシーの肩を叩くと、どうやら目的のものが見つかったみたいだぜと、彼女のことを促した。そして二人が見やすいようにモニターの方に移動してくると、突然、何の前触れもなくその画面の右から左へテロップのように文字が流れ出したのであった。

 

『絶対にセックスしないと出られない部屋』

 

 二人はそれを見て固まった。モニター画面は無情にも音もなく淡々と、そんな文字列を表示し続けていた。

 


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