ラストスタリオン   作:水月一人

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ねえよ! 馬鹿っ!

「ああああぁぁぁぁ……人間に生まれてきてすみません! 人間に生まれてきてすみません!」

 

 回転ベッドの上で一匹の獣が頭を抱えて悶え苦しんでいた。ベッドのシーツはもうぐちゃぐちゃで、その真ん中には、真っ赤な印がついている。誰がどう見ても、何をヤッていたかは一目瞭然だった。

 

 床には脱ぎ散らかした衣服と使用済みコンドームが散乱しており、途中、腹を満たすために冷蔵庫からむしり取るように出してきた食べかけのパンと、ペットボトルが枕元に置かれていた。

 

 そしてそんな情けない男の横では、今、パレオみたいに下半身だけシーツを巻きつけたルーシーが寝そべっており、ニヤニヤとしたいたずらっぽい笑みを浮かべ、ポッキーを二本指で挟みながら、

 

「ふ~……兄ちゃん、なかなか良い体してたぜ。こいつが今回のお手当だぜ」

「こんなはした金……ひどいわっ! 私の体だけが目当てだったのね!?」

「おまえから体を取ったら何が残るのさ。ほれほれー」

「あっ! やめてっ! そこホントに弱いの……って、こら。わっはっは!」

 

 鳳は脇腹をこしょこしょされて悶絶した。ルーシーはくすくす笑いながら食べかけのポッキーの箱を突き出してきた。もはや前を隠すつもりなんてないらしい。同年代の女の子の乳首がこんな目の前にあるなんて、何だか途轍もなく凄かった。

 

 そんなことを考えていたら、また息子がおっきしそうだったから、出来るだけ平常心を保ちつつ、鳳はポッキーの箱を受け取った。すると彼女は、一本ちょうだいと言わんばかりにあ~んと口を開けて催促した。お手当じゃなかったのかよと思いつつ、それを取り出して彼女の口に差し出したら、ルーシーは嬉しそうにぱくついてから、まるで猫みたいに鳳の脇腹にすりすりと頭を押し付けた。その仕草はとても可愛い。

 

「えー? 鳳くんの方が可愛かったと思うよ? ここから鏡で見てたけど、鳳くん、私に覆いかぶさって、もうホント必死だったよね。私のこと征服しようって感じで、これでもかってくらい体全身使って、腰の動きとか、お尻の筋肉とかすごいから、ああ、男の子なんだなあって見てて思ったよ」

「やめてやめて! なんで冷静に観察してんの、そんなこと!? なんなの君……ついさっきまで処女だったよね? どうしてそんなエロいの?」

「ふ~……そんなのはもう遠い昔の話さ」

 

 そんな具合にベッドの上でイチャイチャしつつも、二人ともとっくに気づいていた。第一ラウンドが終わった辺りから、すでに部屋には隣に続く扉が現れていた。とは言え、一度火がついた二人が止まれるわけもなく、鳳は引ったくるようにコンドームタワーを突き崩すと、これを全部使ってやるくらいの勢いで彼女の体に溺れた。もしかして、迷宮の主に見られてるんじゃないかと思ってはいたが、そんなのもうどうでも良かった。二人とも、ただ獣みたいにお互いの体を求めあう以外何も考えられなかった。

 

 とは言え、いつまでもそんなこと続けてられるわけもなく、やがて二人は満足するように立ち上がると、どちらからともなく床に転がっていた服を拾い始めた。

 

 さっき何もかもを見せあっていたはずなのに、何故か服を着替えるという行為が恥ずかしくて、なんとなくお互いにそっぽを向き合って、二人はいそいそと服を着直した。着たきりスズメの服はゴワゴワしていて、何だか変な感じだと思っていると、背後で着替えているルーシーがボソッと言った。

 

「ねえ、鳳くん?」

「うん?」

「私のこと好きって言ってたけど……あれ、本気?」

 

 多分、セックスしたいと拝み倒していた時のことだろう。鳳は、あれは最悪だったなと思いつつも、もはや包み隠すつもりはないと言わんばかりに、

 

「ああ。本当のこと言うと、初めてあの街で二人に出会った頃、俺、ミーティアさんよりルーシーの方が気になってたんだよ」

「え! そうだったの……?」

「うん……でも、マスターに、手を出したら彼女のファンにひどい目に遭うぞって脅されて、気にしないようにしてたんだ」

 

 そうこうしている内にミーティアと仲良くなっていって、意外とおちゃめな彼女に惹かれていったわけだが……鳳がミーティアのことを思い出していると、背後でルーシーがため息を吐いて、

 

「はぁ~……帰ったらマスターには説教が必要だねえ」

「……ところで帰ったら、本当にどうしよっか?」

「何が?」

 

 鳳はポリポリと頭をかきながら、

 

「こんなこと俺から言い出すのはどうかと思うんだけど……その……帰ったらみんなに言って、ルーシーとも結婚した方が良いのかな?」

 

 するとルーシーは、突然、背中を向けていた鳳の肩をグイッと引っ張って、

 

「絶対にやめてね!」

 

 無理矢理振り向かされた鳳の目に、こわばった表情のルーシーの顔が飛び込んできた。鳳は、ああ、やっぱりひどいこと言ってるんだなと反省しながら、

 

「そう……だよな。既に3人も奥さんがいるような男が言うこっちゃないよな。ごめん! 忘れてくれ」

「違うって! 鳳くんと結婚したくないわけじゃないよ? そうじゃなくって、ミーさんに隠れてこんなことしたの、彼女には知られたくないから」

「あー……そういうもんか」

「きっと言ったら、ミーさん許してくれると思うんだ。なんやかんや、アリスちゃんのこともクレアさんのことも、あの人認めているわけだし。今回は事情もあったわけだし。でも、それで彼女が傷つかないってわけじゃないから、知らなくてもいいことは知らなくてもいいじゃない」

 

 なるほど、言われてみるとたしかにそうかも知れない。だが、そうやって割り切れてしまえるほど、ルーシーはドライなんだろうか。

 

「実際、そうかも知れないよ」

「……そうなの?」

「うん。例えば、私、鳳くんのこと好きだよ? 今回の旅だって、もし君に何か起きたら、自分の身を差し出すつもりで同行したんだ。それくらいには大好き。でも、ミーさんのことも好き。どっちが好きかって聞かれても、選べないくらい。だから、私も選ばない」

「……どういうこと?」

「鳳くんは、私もミーさんも、どっちも食べちゃうんでしょう?」

 

 鳳はウッと息をつまらせた。彼女の言う通り、優柔不断にどっちも選べず、今回は彼女を選んでしまった。もし本当にミーティアだけが好きなら、あの時迷うはずは無かったのだ。もしかして、本心ではこのことを彼女に話して、許して貰いたがっているからこんなことを言い出してしまったのだろうか。

 

「さっきも言ったけど、そんな深刻に考えなくていいんだと思うよ。私、今回の旅で鳳くんとしちゃったらラッキーくらいのつもりでついて来たんだから」

「……本当に、そうなのか?」

「ホントホント。だから結婚したいだなんて思ってないんだ。でも、そうだなあ……じゃあ、私、鳳くんの愛人にしてよ」

「……は?」

 

 いきなり何を言い出すんだろう、この女の子は……鳳がドン引きしているにも関わらず、ルーシーはいいことを思いついたとばかりに、

 

「私は鳳くんとは一生結婚しないけど、たまに会ったら奥さんに隠れて、一緒にお酒を飲んだり、一緒のお風呂に入ったり、ベッドの中でおしゃべりしたりするんだ。必要以上にお互いの生活に踏み込まずに、付かず離れずの関係でいたい。そういうのに、私はなりたいかな」

「……そう言う関係を否定するつもりはないけど、本当にそれでいいの?」

 

 すると彼女はさっぱりとした表情で、

 

「だってさ、もし私が鳳くんの奥さんになって家庭に入っちゃったら、きっとミーさんと譲り合っちゃって、かえってギクシャクすると思うよ」

 

 それは鋭い指摘だった。鳳がいくら彼女らを幸せにすると口で言ったって、そして彼女らがそれを受け入れてくれたからって、彼女らには彼女らの横の関係があるのだ。現実に、古今東西のハーレムでは、女の対立が激しく、刃傷沙汰まで起きたと聞く。そしてハーレムなんて作ってる時点で、それは男には口出し無用の世界なのだ。鳳が彼女らを同列に扱うことで、仲のいい二人の間に亀裂が入ってしまうのでは、自分としても本懐ではない

 

「私はミーさんには、目一杯、鳳くんに甘えてほしいな。もちろん、私も甘えるから。だからこのままでいいんだよ……それになんか、共犯者っぽいよね」

 

 そう言って笑うルーシーの笑顔は、本当に魅力的なものだった。彼女は自分なんかよりもよっぽど利口だ。鳳は、本当に自分が情けなくなりながらも、彼女に頭を下げるつもりでこう口にした。

 

「俺、ルーシーのことを愛人として一生大切にするよ」

「それ、今まで生きてきた中で、一番最低のセリフだ」

 

 ルーシーはそう言いながらも、本当にそうするのが当然であるかのように、鳳の肩に頭を乗っけて、ニヤリと笑った。

 

******************************

 

 それから二人は服を着替えて、冷蔵庫の中の食料を漁って、少しイチャイチャしてからようやく重い腰を上げた。出会った時には、まさかこんな関係になるとは思いもしなかったが、なんだか不思議な感覚だと思いながら、彼らは部屋の出口のドアの前に立った。

 

 過大な要求をされて、思わぬ時間を食ってしまったが、迷宮はまだ全部を踏破したわけではない。この先にはまだ道が続いているのだ。その終点には一体何が待っているのか。

 

 アマデウスがなんでこんなアホなことをさせたのかは分からないが、もしもこの迷宮に意思が有るというのなら(看板の文字がリアルタイムで変わることからして、有ると思っているのだが)、直接会って、文句の一つも言ってやりたいものである。

 

 今回は、一緒に入ったのがルーシーだったからぎりぎり何とかなったが、もしもここに居るのがジャンヌだったら、今頃二人の間に取り返しの付かない深い溝が出来ていたかも知れない。

 

 縁結びのつもりか何か知らないが、そういう危険性があることが分かっていながら、敢えてこういう迷宮を作ったのだとしたら、そのクオリアの持ち主は相当ゲスな性格だと言わざるを得ないだろう。

 

 セールス用語にフット・イン・ザ・ドア・テクニックというものがあるが、それによると、人は最初に簡単なお願いを聞いてしまうと、その後徐々に釣り上げられる要求も、つい受け入れてしまうという心理が働くらしい。

 

 この『注文の多い料理店』は正にそれを意識した作りになっているようだが、セックスをするという最大限の要求を受け入れた今、鳳はこの先にはもう立て看板は無くて、この迷宮の核心部分が待っているんじゃないかと思っていた。

 

 だが、気を引き締め直してドアを開けると、そこは予想に反して新たな部屋が広がっていた。

 

 部屋の広さはいつも通り20畳くらいで、床はリノリウムか何か合成樹脂っぽいフロアパネルのようだった。部屋の片隅にはガラス張りのユニットバスが置かれ、その横には脱衣所と洗濯機、そこから更に少し離れた場所には、お洒落なシステムキッチンと冷蔵庫があった。そして空いたスペースにはランニングマシンとエアロバイクが置かれており、まるでフィットネスジムみたいになっていた。

 

 なんだろうこれは……今度はライザップでもさせようと言うのだろうか?

 

「うひゃー! なんかまた見たことない未来的な物だらけだね」

 

 ルーシーがエアロバイクを珍しそうに観察している。使い方がわからないからか、彼女はサドルを叩いたり、ペダルをぐるぐる手で回していた。実際、この迷宮の主もこんなもの見たこと無いだろう。無いのにそれが有るということは、やはりこれらの現代的なインテリアは鳳の記憶から生成されているということだ。

 

 もしかして、この迷宮は鳳の願望を再現しているのだろうか? いやまさか……だとしたら、ルーシーの希望も取り入れられてなくてはおかしいだろう。二人とも、実は心の奥底でこうなりたいと思っていたとも考えられるが、そう考えるのはあまりにも自分にとって都合が良すぎた。

 

 そして実際、その考えは間違いだったとすぐ判明した。迷宮の主は、この中に入ってきた侵入者(おもちゃ)のことなど何一つ考えちゃいなかった。何故なら、二人はこの新たな部屋の中で、また例の立て看板を見つけてしまった。そしてそこにはこう書かれていたのだ……

 

『この壁一面に、うんこを満遍なく塗ってください』

 

「ねえよ! 馬鹿っ!!」

 

 二人は殆ど同時に立て看板に向かってツッコミを入れていた。しかし、無機物であるはずの看板は、まるで二人を挑発するかのように、

 

『息ぴったりですね。二人ならやれると信じてます』

 

「無理だっつのっ!!」

 

 二人は息ぴったりにツッコんだ……

 

 立て看板はそれっきり、新たな返事はかえしては来ず、暫くすると元通りの文言に戻ってしまった。すなわち、『うんこを塗れ』という趣旨である。そのあまりにも無慈悲な言葉に、頭がくらくらした。まだ何もしていないのに、部屋のあらゆる場所から腐臭が漂ってくるような錯覚がした。

 

 鳳たちはお互いに顔を見合わせた。

 

「……嘘だよね? これ、本気? やるの?」

「いや、流石に無理だろうこれは……」

「だよね? だよね?」

 

 ルーシーは両手をギュッと握りしめ、口角につばを飛ばして、まるで自分に言い聞かせるように何度も頷いている。鳳は眉間に寄った皺を指で揉みほぐしながら、

 

「そう言えばアマデウスは、俺の世界で偉人として名高いだけではなく、変態としても有名だったんだよ。特にスカトロ趣味が酷くて、その手の逸話がいくらでも残っているらしい」

「なんで!? 他人のうんちなんて、そんなの見て面白い物じゃないでしょう!?」

「……それが、面白いらしいんだ。世の中には、そんなのを見て興奮するような人もいるらしい。そして多分、俺たちが苦しんでいるのもまた面白いんだろうなあ」

「信じらんないっ!! アマデウスって、もっと素敵な人だと思ってたのに! 見損なったよ」

 

 ルーシーは大変ご立腹のようだ。鳳は、女性の怒ってる顔は、ともすれば男性よりもずっと怖いと感じる口だが、きっと、この迷宮の主的にはご褒美なのだろう……

 

 彼は頭を抱えながらも、とにかく一旦冷静になれと彼女を宥めた。

 

「まあ、落ち着いてくれ。いざとなったら、俺たちにはポータルがあるんだから」

「あ、そっか……そうだよね」

「うん。それから、どうせリタイアするとしても、まずは出口を探してみよう。さっきも言ったけど、一度街に帰ってしまったら、ここまで戻ってくるのに一ヶ月以上がかかる。だからポータルは最後の手段に取っておきたいんだ」

「わかった」

 

 二人はそれを確かめ合うと、出口を探すために部屋に散っていった。

 

 さっき入ってきたばかりの、部屋の入口はまだ残されていた。便宜上、前の部屋をラブホ部屋、新たな部屋をキッチン部屋と称すると、二つの部屋を結ぶドアは残されていたが、元々あったはずのラブホ部屋の入口は消えたままで、相変わらず全体としては閉鎖空間のままだった。

 

 取り敢えず、部屋の壁全てを叩いて回ってみたが、壁は硬くて反響もなく、その先に空間があるような気配は無かった。もちろん、床も天井も同じで、空気穴も見つからないから、窒息しないかと心配になるくらいだった。

 

 シャワーやトイレの排水溝も外に繋がってる様子はなく、魔法的な何かで排水をしているとしか思えなかった。何しろ、冷蔵庫の中身が無限に補充されるのだから、ここを現実と同じ空間と思わないほうが良さそうだ。

 

 そう考えると物理的な方法で強引に出るのは無理そうだから、指令に従わないでも出られる別の方法を探した方が良いだろう。しかし前のラブホ部屋でもそうだったが、いくら看板を拝み倒しても条件を変えてはくれないようだった。

 

 キッチン部屋とラブホ部屋にはそれぞれ冷蔵庫があるが、キッチン部屋は生鮮食品が補充されるのに対し、ラブホ部屋はお菓子や飲み物が補充されると言った具合に、それぞれ用途が分けられているようだった。そしてキッチン部屋には寝床がないところを見ると、多分、ラブホ部屋を寝室代わりに使えということだろう。

 

 さっきから何度も試しているのだが、食材は無尽蔵にいくらでも出てくるようだ。部屋の空調も快適で、裸でも風邪を引く心配はなく、運動不足を解消するためのジムと、汗をかいたら浴びるシャワーも完備されており、全自動洗濯機には乾燥機も取り付けられていた。気になるのは、ユニットバスの水洗便所の脇に、おまるが用意されていることくらいである。

 

 その気になれば、ここで何年でも暮らしていけるだろう。だが、ここから出たいならうんこを壁に塗るしかないという、迷宮の主の強い意思を感じさせる作りだった。どうしてこの人は、駄目な方向に全力を振り絞っちゃったんだろうか……

 

 鳳たちは部屋を満遍なく調べてその結論に達すると、脱力してベッドに寝転がった。

 

「だめだこりゃ……絶対出れない」

「諦めるしかなさそうだねえ……」

「ああ、しょうがないからポータルで脱出しよう。問題は荷物を途中に置いてきちゃったことだが……こうなることを見越して、あそこで奪ったんだろうか? 本当に根性が捻じ曲がってるな、この迷宮の主は」

「あの時、鳳くんが機転を利かしてくれたお陰で、おじいちゃんの杖を持ってこれてよかったよ……あとのものは最悪諦められるし」

「俺もナイフなんか持ってこないで、もっと別のもん持ってくりゃ良かった……」

「ねえ、悔しいから、色々持って帰っちゃおうよ? お菓子とかお菓子とか」

「そうしようそうしよう」

 

 二人は頷きあうと、部屋から大量のお菓子とコンドームをかき集めてきた。それを回転ベッドのシーツを使って風呂敷包みし、鳳がサンタクロースみたいに担ぎ、代わりにルーシーが彼の手荷物を受け取って、レオナルドの杖と一緒に持った。

 

「それじゃ帰ろっか? それとも、どこか寄ってく?」

 

 ルーシーがまるでデートにでも行くような感じで気楽に聞いてくる。

 

「そうだな……このまま手ぶらで帰るのもなんだし、ちょっと帝都に寄っていかないか? アマデウスの資料が残ってるかも知れないし、もう一度P99を調べてもみたい」

「いいよ。その後はどうする?」

「そうだなあ……帰ったら冒険者ギルドでスカトロ趣味のカップルを募集しよう。ここの迷宮は、命の危険だけは無さそうだから、代わりに先に進んでもらえないか頼んでみる」

「前代未聞の依頼だね。きっとミーさん卒倒すると思うよ」

 

 二人はそんな会話を交わしながら、いつものようにポータルを出してそれを潜ろうとした。鳳が潜ってしまうとポータルが消えてしまうから、まずはルーシーから中に入った。彼女の体が光の向こうに消える……鳳はそれを見送ってから、自分も後に続こうとして足を踏み出した。

 

 ところがその時、彼がポータルの光の中に入ろうとした瞬間、何故かそれはパッと消えてしまった。

 

「ありゃ?」

 

 おしゃべりしながら雑に出したからだろうか? 詠唱が不十分で消えてしまったのかも知れない。今までそんなこと一度も無かったのに、彼はあまり深く考えずにもう一度ポータルを出そうとした。ところが……

 

「タウンポータル! タウンポータル! ……あれ? タウンポータル!!」

 

 何度唱えてもポータル魔法が発動することはなかった。

 

 どうしちゃったんだろう? と戸惑いつつ、もしかしてMP切れを起こしているんじゃないかとステータスを確認しようとした時……

 

 突然、部屋の明かりが消えた。

 

 そもそも、どうやって光っているのかも分からない部屋の照明が一斉に消えた瞬間、彼は視界までをも失った。光をまったく通さない、完全な暗闇の中に、彼は立っていたのだ。驚いて固まっていても状況は良くならない。

 

 彼は慌てて今度はファイヤーボールの魔法を唱えて見たが、これまたうんともすんとも言わなかった。

 

 右を向いても左を向いても、上を向いても下を向いても、どこを向いても何も見えなかった。自分の体さえ見えないために、平衡感覚が失われてしまった彼は、何だか自分が宙に浮いているような気がしてきた。

 

 いや、それは気のせいじゃなかった。その時、背中に担いでいた重い荷物が、突然重力がなくなったかのように重さを失ってしまった。慌てて背中に手をやって確かめようとしたら、その手が空を切った拍子に、彼は自分の体が何だかぐるぐると回転しているような、奇妙な感覚に包まれた。

 

 やばい……そう思った時にはもう手遅れだった。暗闇と無重力の中で、彼は焦燥感に駆られながら、何故か急に入り口に書かれていた文言を思い出していた。

 

『必ず男女ペアになってお進みください』

 

「……そう言うこと?」

 

 さっきまで彼らを閉じ込めていた壁はもうどこにもなく、鳳のつぶやきはどこにも反響することなく、虚空に消えて行ってしまった。

 


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