ラストスタリオン   作:水月一人

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オンリーロンリー

 ポータルを出た瞬間、鋭く差し込んできた光に目が眩んだ。ずっと迷宮の中に居たから時間感覚が狂っていて、なんだか変な気分がしたが、どうやら帝都は朝のようだった。太陽の位置からすると正午に差し掛かろうとしている頃合いらしく、市場に買い出しに出かける貴族の使用人たちが、何人も往来を通り過ぎていった。

 

 右手を見れば、以前に帝都に来た時に泊まったことがある迎賓館が見えた。どうやら鳳のポータル魔法は、ここを記憶しているようだ。多分、帝都に来た時に泊めてもらうのに都合がいいのだろう。とても大きくて壮麗な建物だが、意外と決まり事が多くて肩がこった記憶があった。同じ綺麗な建物なら、ヴィンチ村の方が良いなと思いながら、ルーシーは彼に話しかけるつもりで振り返った。

 

「ねえ、鳳くん……って、あれ?」

 

 しかし、彼女が振り返った時、背後には誰もいなかった。それどころか、さっき自分が出てきたはずのポータルの光も消えていた。変だなと思って辺りを見回してみても、鳳の姿もポータルも、どちらもどこにも見当たらない。

 

 もしかして、自分が移動した後に、なにかあっちでトラブルでも起きたのだろうか……?

 

 迷宮のお菓子を持ち帰ろうとしていたが、持って帰れないとか、帰るなら荷物を取りに来いと言われたとか、案外そんな他愛のないことかも知れない。ともあれ、鳳はいつでもポータルで戻ってこれるのだから、心配はないだろう。彼女はそう考え、特に心配もせずにその場で待機した……

 

「おかしい……どうしちゃったんだろ?」

 

 しかし、それから数分待っていても、彼が現れる気配はなかった。鳳のことだからふざけてるのかな? と思いもしたが、彼のはあくまで笑える冗談で、こんな異国に一人置き去りにするような真似はしないだろう。となるとやっぱり何かがあって、帰るに帰れなくなったのでは? 彼女は不安になってきたが……しかし、何かあったとしてもその何かが分からず、動くに動けなかった。

 

 結局、その後も何することもなく、彼女はその場で待ち続けてみたが、いつまで経っても彼が出てくる気配はなく、そのうち、体がブルブル震えてきて、その場に留まっていることが出来なくなった。

 

 帝都はネウロイに比べればまだ暖かかったが、彼女は迷宮に外套を置いてきてしまった上に裸足だったのだ。そんな彼女の姿が奇異に映るのか、通行人が冷たい目をして通り過ぎていく。久しぶりの人里ということもあり、他人の視線がやけに気になった。鳳のことは心配だが、いつまでもここに留まっているわけにもいかなそうだ。彼女は一旦諦めると、取り敢えず人気が少ない方へと歩き出した。

 

 とはいえ、これからどうして良いのかも分からなかった。いくら鳳のことを心配しても、ネウロイは遥か彼方で戻りようがない。彼女はポータルも使えないし、空も飛べない。ついでに言えば、こんな異国に一人っきりでは、自分の身の振り方も心配しなければならないだろう。

 

 せめて帝都に知り合いがいれば良かったのだが……

 

 そう考えた瞬間、彼女は思い出した。すっかり忘れていたが、帝都にはメアリーが住んでいるのだ。真祖ソフィアの記憶を取り戻した彼女は、鳳たちとは別れて、あれから帝都で暮らしている。記憶を取り戻したと言っても、メアリーの記憶もちゃんとあるから、彼女がルーシーのことを忘れているということもないだろう。それに彼女はレビテーションの魔法も使えるし、きっと事情を話せば助けてくれるはずだ。

 

 彼女はそう判断すると、いそいそと皇居に向けて足を早めた。

 

「帰れ」

 

 皇居にたどり着いた彼女は中へ入れて貰おうとして、当たり前のように番兵に追い返された。それが仕事だし仕方ないことだろうが、話すら聞いてもらえないのは参ってしまった。

 

 と言うのも、今の彼女はコートも着ていない上に裸足なのだ。おまけにこの一ヶ月間、まともな生活も送って来れなかったから、着ている服も薄汚れていた。きっと兵士には物乞いにしか見えなかったのだろう。

 

 メアリーが何かを察して外に出てきてくれるなんて有り得ないだろうから、なんとか自分が来ていることを伝えなくてはならないが……鳳から預かったウエストポーチに、最低限のお金が入っているから、街で身なりを整えてから出直すべきか。

 

 彼女は散々迷ったが、結局、今すぐにでも室内に入らなきゃ凍えてしまうという気持ちが勝って、強行突破することにした。彼女は杖の石突きで、コーンと地面を鳴らしてから、あーあーあーっと発声練習をして、

 

「るるる~、寂しくて切なくて震える~、私は世界一孤独~、オンリーロンリーワン~、凍てついた心が魂さえも凍らせる~、みんな私を~見てくれない~、そして私は消えてなくなる~る~る~る~」

 

 番兵の目が徐々に険しくなってくる。そりゃ、みすぼらしい格好をした女が皇居に入れろとごねた後、変な歌を歌い始めたらそうなるだろう。しかしルーシーはそんな視線を浴びながらも、調子っぱずれな歌を止めなかった。番兵は、この頭のおかしな女を怒鳴りつけてやろうか、銃を突きつけてやろうか、それとも応援を呼ぼうか迷ったが……

 

 と、その時、彼は突然、自分が何故イライラしているのかがわからなくなった。たった今まで何かに気を取られていたような気がするのだが、それが何だかさっぱりわからない。番兵はキョロキョロと辺りを見回して、そこに誰も居ない(・・・・・)ことを確認すると、変だなと思いながらもまた職務を遂行するために門前へと戻った。

 

 皇居の中にはやんごとなきお方が住んでいる。自分は彼女らを守るための最後の砦なのだ。おかしな奴が来たら、たとえ自分の命と引き換えでもここで食い止めてやる。彼は自分の仕事に誇りを持っていた。

 

 ルーシーはそんな番兵の横を通り過ぎ、また杖で地面をコーンと鳴らした。その時、一瞬だけ番兵が不審げな表情を見せて辺りを窺っていたが、もう彼がルーシーの方を見ることはなかった。

 

 不可視(インビジブル)の共振魔法を使った彼女の姿は、その杖の音を聞いた者からはもう絶対に見えなくなっているのだ。レオナルドに、逃げることとサボることに掛けては天才的と言わしめた彼女は、この魔法を得意にしており、かの大君でさえ、一度この状態になった彼女を見つけるのは困難だった。

 

 もしも遠くから望遠鏡で覗いている者がいれば、相変わらず彼女の姿は見えるだろうが、近くに居るものは誰ひとりとして、もはや彼女に気づくことはないだろう。こうして彼女は、世界で最もセキュリティが厳しい場所にまんまと侵入を果たすと、それがどれだけマズいことかもろくに考えずに、鼻歌交じりに皇居内をうろつき始めた。

 

 皇居には、魔王討伐後に、その功績を称えられて一度だけ来たことがあったが、禁裏がどこにあるのかまでは知らなかった。とは言え、同じ敷地内にあるのだからなんとかなるだろうと、彼女は後先考えずに手近な宮殿に入っていった。

 

 皇居とは皇帝の住まいなわけだから、きっと偉い人の気を煩わせないように、静かな場所なんだろうなと思っていた。ところがいざ室内に入ってみると、中は大勢の兵士たちが右往左往していて、全然落ち着かなかった。

 

 何かあったのかな? と思って耳を澄ませてみれば、どうもヘルメスで反乱が起きているらしい。鳳が居ない隙を突いてとんでもないことになってるなと驚いたが、大声を上げたら流石に気づかれてしまうので、口を噤んでまた一回コーンと杖を打ち鳴らした。

 

 他に何か情報は無いかなと、そのまま兵士たちの動向を探っていると、その中からジャンヌの話題が飛び出してきて、また驚いた。どうやら現在、帝都にはジャンヌが滞在中らしい。恐らく、鳳とルーシーが居なくなった後に旅立ったのだろう。彼女に会えたのはラッキーだった。彼女ならきっと協力してくれるはずだ。

 

 そうして兵士たちのうわさ話を頼りにジャンヌの居場所を求めて、彼女はついに禁裏にたどり着いた。禁裏とは言っても、何か結界が張ってあるわけでもないから、普通に侵入出来た。彼女は室内に入ると人の居そうな場所を手当たりしだいに探して回った。流石に、皇帝の寝所がある区画だから、さっきまでとは打って変わって人が少なく、目的地に辿り着くまでにたった一人(マッシュ中尉)しか見かけなかった。その一人の脇を通過し暫く進むと人の声が聞こえてきたから、声のする方へ曲がったら、皇帝とメアリー、そしてジャンヌとサムソンの姿が目に飛び込んできた。

 

「あー! やっと見つけた! ジャンヌさん、サムソンさん、メアリーちゃんもお久しぶりー!」

 

 ルーシーは仲間たちに再会すると、ほっとため息を吐いて杖をくるりと回転し、大声で彼女らに呼びかけた。その瞬間、誰の気配も感じていなかった場所に、突然彼女が現れたことに驚いて、4人が一斉に立ち上がる。

 

 ジャンヌとサムソンの前衛組は、その瞬間には既に攻撃態勢に入っていて、ルーシーの目前まで迫っていた。しかし彼らは、そこにいたのがルーシーであることに気がついて、すんでの所で足を止めてたたらを踏んだ。この間、わずか1秒足らずという早業に、やはり勇者パーティーの人たちは凄いなあと、ルーシーは目を丸くした。こんな人達と一緒に冒険をしていたなんて、もしかして自分は夢でも見ていたんじゃないかと、彼女はのんきにそんなことを考えていた。

 

 しかし、呆れてものが言えなかったのは、寧ろジャンヌたちの方だろう。

 

「ル、ルーシー……!? どうしてここに?」

「えへへ、ジャンヌさんお久しぶり! 実はわけあって、ちょっと鳳くんにここまで飛ばされちゃったんだけど……」

「白ちゃん? 彼も帝都に来ているの?」

「ううん、それが違うんだよ。実は連絡が取れなくなっちゃって困ってて。そしたらそこに皇居があったから、メアリーちゃん居るかな? って思って、ちょっと立ち寄ってみたんだけど……」

「失礼します!! 陛下! 今、悲鳴のような声が聞こえましたが……何奴!?」

 

 ルーシーがジャンヌとの再会に花を咲かせていると、皇帝の私室の外に詰めていた警護のマッシュ中尉が異変に気づいて飛び込んできた。彼はそこにいるはずのない人影を発見するなり、さっきのジャンヌたちみたいに反射的に飛びかかってきたが……そんな彼とルーシーの間に、サムソンが割って入って慌てて止める。

 

「待て! 彼女は違う、仲間なんだ!」

「はあ!? え……? そんな……どうして?」

 

 サムソンの制止に辛うじて踏み止まったマッシュ中尉は、そこにいるのが以前知り合った勇者パーティーの一人であることに気づいてショックを隠しきれない様子だった。彼は自分が完璧に護衛を果たしていると思っていたのに、いつの間にか出し抜かれていたのだ。

 

 茫然自失のマッシュ中尉の姿を見て、ジャンヌは不審に思い、

 

「ねえ、ルーシー? あなた、一体どうやってこの中に入ってきたの? 普通、ここに入るには必ず陛下の許可が必要だから、いきなり入ってこれるわけないんだけど……?」

「どうやってって、普通にだよ? 普通に共振魔法(レゾナンス)を使って」

 

 彼女がそう言って杖をコーンと打ち鳴らすと、次の瞬間、メアリーと皇帝が動揺の声を漏らした。ジャンヌとサムソン、それからマッシュ中尉は一度見たことで注意を払っていたが、ぼんやり見ていただけの二人はまたルーシーの魔法に掛かってしまったのだ。

 

 彼女がまた杖を鳴らして姿を現すと、皇帝は冷や汗を垂らしながら言った。

 

「……確か、スカーサハ以来のレオナルドの弟子って言ってましたね。なるほど……あの人が弟子に取るだけありますね」

「申し訳ございません、陛下。この不始末は私の進退を持って付けさせていただきます……」

 

 マッシュ中尉が跪いて悔しそうに項垂れている。皇帝はそんな中尉に顔を上げるように命じているが、彼もなかなか頑固に固辞し続けていた。ルーシーはその様子を見て、あれ? なんかマズいことでもしちゃったのかな? と、この期に及んで困惑したが、それがどれだけマズいかはジャンヌに言われるまで分からなかった。

 

「ルーシー……あなた、ここがどこだか分かってるの? この世界ただ一人の皇帝を守るために、数百人からの護帝隊が詰める皇居なのよ? 彼らは皇帝に危険が迫らないように目を光らせ、いざとなったら命を投げ出す覚悟でここに居るの。それを全く意に介さず、ここまで侵入しちゃったのは凄いことだけど……これは下手をしたら何人かの首が、物理的にも飛びかねない国際問題なのよ」

「え!? そんな……私そんなつもりで入ってきたわけじゃないのに。だって、門番の人にメアリーちゃんの友達だって言っても、話も聞いてくれなかったんだよ?」

「それは、彼らはメアリーじゃなくて、ソフィアだと思ってるから」

「え……?」

「今の彼女は、私たちの知ってるメアリーでもあるけど、真祖ソフィアでもあるのよ。この国の人達からすれば、後者のほうがより馴染み深いもの」

「……あ~。そう言えば、あ~……そうだあ、ねえ?」

 

 ルーシーの目が泳いでいる。そんな彼女の動揺する姿や、落ち込んでいるマッシュ中尉を遠巻きに見ていたメアリーは、しどろもどろになる彼女を見ながらクスクス笑うと、

 

「もういいじゃない。友達が私に会いに来てくれただけなんだから、そんなに深刻に捉える必要はないでしょ。マッシュ中尉も進退なんて掛けるもんじゃないわ。あなたの首なんて貰っても、誰も嬉しくないもの」

「しかし……」

「今回は相手が悪かったのよ。私たち神人は思い上がってるけど、世の中、上には上がいるわ。それが分かっただけ良かったじゃない」

「……このことは、次の御前会議にて周知徹底いたします。我々は大君の現代魔法を見くびり侵入を許しました。二度とこのようなことが起こらないように、人間の魔法使いを招聘し、今後の対策を練ります」

「そこまでしたら騒ぎになるじゃない。そうね……ならこうしましょ」

 

 メアリーは、自分のしでかしたことにようやく気づきオロオロしているルーシーに歩み寄ると、その手を取って不敵に笑った。

 


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