ラストスタリオン   作:水月一人

240 / 384
アストラル界

 真っ白い世界の中で、ルーシーは奇妙なマスクを付けた男と二人きりだった。普通なら恐怖を覚えそうな状況だと言うのに、彼女は不思議と恐れを感じず、当たり前のようにそれを受け入れていた。

 

 男の纏っている飾り気のない灰色のローブは体の輪郭を隠し、まるでその下には何もないような、そんな印象を与えていた。そして、そのマスクの大きくて丸い風防はともかく、その鳥の嘴みたいに尖った口元は何のために付いているのかさっぱりで、彼女は目の前に男が座るや否や、開口一番こう言った。

 

「もしかして……鳥人間!?」

 

 男は椅子に座るやがっくりと肩を落とし苦笑いすると、

 

「違う違う。これはペストマスクって言うのさ。ヨーロッパで何度も流行した死病があってね? 僕はそれ専門の医者をしていたんだ」

 

 彼はそう言うと、頭に被っていたマスクをあっさりと脱いでしまった。こんな登場の仕方をしたのだから、てっきり顔を隠したいのかと思いきや、案外そうでもなかったらしい。

 

 マスクの下から出てきたのは、灰色の瞳が印象的で顎がシャープな優男だった。年は20代か30代と若く見えるが、落ち着き払ったその姿にはどことなく貫禄があり、もしかすると見た目通りの年齢ではないのかも知れない。だが、耳が尖ってはいないので神人ではないようだ。

 

 そんな印象はともかく、ルーシーは彼の言葉に耳慣れたものがあることに気づいた。

 

「ヨーロッパって……確か、放浪者(バガボンド)の故郷だったよね? もしかして、あなたもそうなの?」

 

 すると男はよく知っていたなというような感心する素振りを見せながら、

 

「どうかな。僕は放浪者とはちょっと違うかな。けど、彼らと同郷なのは確かかな」

 

 同郷だけど放浪者じゃないとは、どういう意味だろうか……? ルーシーは疑問に思ったが、それを尋ねるよりも前に、まだお互いに名前すら名乗ってないことに気づき、

 

「あ、ごめんなさい。いきなりだったからちょっと驚いちゃって、まだ挨拶もしてなかったよね。私はルーシー、あなたは? ここで何をしてるの?」

 

 すると男は唇の端を釣り上げるだけの独特な笑みを見せながら、

 

「ミッシェル・ド・ノートルダム。多分、この迷宮の主ってやつさ」

「多分……? 何だか、さっきから曖昧な返事ばかりね。えーと、ノートルダムさん?」

「ミッシェルでいい」

「じゃあ、ミッシェルさん。あなたは放浪者じゃないけど、彼らと同じ故郷なんだよね? それってどういうことなの?」

 

 するとミッシェルは少し難しそうな表情を作り、自分の顎を擦りながら、

 

「ふーむ……それは少し説明が難しいんだ。放浪者というのは、元々この惑星に生まれた人間の体に、魂だけが憑依した人たちのことだろう? 僕はそんな手順は踏まなかった。最初からアストラル体としてここに……君たち風に言えば迷宮か。迷宮になった」

「……そんなことってあるの? 迷宮って確か、死んだ人のクオリア? ってものが、この世に現出するとかなんとか、そんなんじゃなかったっけ」

 

 ルーシーが困惑気味に眉を顰めると、彼は苦笑しながら、

 

「そうだね。でも別に死ななくてもいいんじゃないかな。クオリアは生きている人間であれば誰にでも存在する。それを物理的に触れられる形にしたものもまた迷宮と呼べるんじゃないか」

「……まさか、ミッシェルさんはまだ生きているっていうの?」

「うーん……それもまた難しい。地球にあった肉体ならとっくに滅びたよ。だけど僕は死んではいない。生きている時から、既に永久不滅だった。そしてそれはこの宇宙が滅びぬ限り、君を含む人間全てがそうなんだけどね」

 

 ルーシーはそう言われてもまだチンプンカンプンだった。ただ、ミッシェルがはぐらかそうとして言っているわけではないことは、何となく理解していた。恐らく、彼は彼女とは全然違う世界観の国からやってきたのだろう。鳳も時折そういうところを見せた。生まれてきた時代も世界も違いすぎると、考え方に決して埋まらない溝のようなものが生まれてくるのだ。

 

 彼女が困惑気味に唇を引き結んでいると、ミッシェルは多分この話を続けても実りは無いと感じたのだろうか、話題を変えるように、

 

「それで、君はここへは何しに? 実に300年ぶりの来訪者だから、僕に出来ることならなんでもしてあげたいとこだけど」

 

 ルーシーはポンと手を叩いた。

 

「そうだった。ここへは魔法を習得したくて来たんだ。早速、教えてもらいたいんだけど……いいかな?」

「魔法……? それってどんな?」

「どんなって、古代呪文だけど……神人が使う。あれ? ミッシェルさんは使い方が分かるんだよね?」

「ふむ。超人たちが使ってるあれか……いや、僕にそんな力はないよ。それを教えてくれと言われても困るな」

「え!? そんなはずはないよ。おじいちゃんは、この迷宮を攻略したことで古代呪文を使えるようになったって、先生も言っていたし」

「おじいちゃん……先生……その二人はどんな人たちなんだい?」

「二人とも私の師匠なんだけど……おじいちゃんは先生の師匠でもあるんだ」

 

 ミッシェルはそんな説明では何もわからないと言おうとしたが、その時、彼は彼女が手にしている杖に気がついて、

 

「それは、カウモーダキー……ははあ。君はレオナルドの弟子だったんだね?」

「え? ミッシェルさん、この杖のことを知ってるの?」

「もちろん。それを彼に送ったのは、何を隠そうこの僕さ」

「これって元はあなたの物だったの!?」

 

 ルーシーは驚いてオウム返しに尋ねた。彼はそんな彼女に向けて大きく頷いて、

 

「うん。正確には僕のではなく、とある神にレオナルドに渡すよう託された物なんだけど。実を言うと、僕はそれを渡すために、彼がここに来るのを待っていたのさ。その役目を果たした今、もう二度とここに誰かが訪れることはないと思っていたんだけど……彼は何故、君にそれを託したんだろうか」

 

 ルーシーが自分の杖の由来を聞いて、あまりの事の大きさに唖然としていると、ミッシェルは続けて、

 

「ああ、ごめん。君たち風に言えば精霊と言ったほうが良いんだろうか。それは元々ミトラ神が使っていた武器だったんだ」

「精霊!? そんなこと一言も説明されなかったんだけど……この杖は、私が戦闘で役に立たないことが多かったから、おじいちゃんが集中力を失わないようにってくれたんだ。これを持ってれば矢とか飛び道具を弾いてくれるから、安心してみんなのサポートをしなさいって」

「ふーん……確かにそれには術者を守るためのシールドが付与されているけど、それは補助的な機能であって本来の使い方ではないよ。彼はそれを知っていたはずだけど……何故君に伝えなかったんだろう?」

「わからないけど……ねえ? それなら、本当はこれは何をするはずの杖だったの?」

「ああ……それはイマジナリーエンジンを搭載した形而上デバイスで、簡単に言えば、神の兵器と言うのが一番それっぽいだろうか」

「神の兵器……?」

「神は、あまねく世界を見通すことが出来る高次元存在のこと。つまりこれはその高次元に属する物で、次元を超えて並列世界と交信したり、虚数空間にコンパクト化されたエネルギーを引き出したり、空間を固定し新たな世界を構築したりと、まあ、一口に言ってしまえば、この世界に奇跡を呼び起こすために作られた、それはそれは大層な装置なんだ。故に、天使たちはそれを崇めて、福音(ゴスペル)と呼んでいた」

「き、奇跡……? 天使? 装置とか、福音って……ごめん、ちょっと何を言ってるのかわからない。ついていけないよ」

「この世界の話ではないから、理解できなくても仕方ないね……例えばヘルメスの兵器、ケーリュケイオンがあるだろう? それはあれと同等の物だよ。違うのは、それが製造された宇宙が別々ってことくらいのものさ」

「宇宙が別……? ううん、それより、これが鳳くんの杖と同じ……?」

 

 鳳の杖は、無尽蔵に物を吸ったり出したり複製したり、終いには真祖ソフィアの記憶を保存していたりと、確かに奇跡の力を持った武器だった。だから、これがその杖と同等の物と言われても、彼女はとても信じられなかった。何故なら、今までそんな気配は微塵も感じさせなかったのだ。

 

 彼女が困惑していると、ミッシェルはさもありなんと頷きながら、

 

「それは仕方ないね。道具というものは、何かの目的のために作られるわけだけど、その目的があまり一般的でないと、普通の人には宝の持ち腐れにしかならないだろう? 例えば、野球をやらない人にはバットはゾンビを叩くための道具にしかならないように、君は本来の目的に沿った使い方を知らないだけなのさ」

「何となく言ってることはわかるよ。じゃあ、この杖が作られた目的ってのは?」

「兵器というものは敵を倒すために存在する。それも同じさ」

「敵……」

「それは余剰次元に満ち溢れている第5粒子エネルギーを内部に蓄え、そのエネルギーを使って敵を攻撃するための装置だ。方法は使用者に委ねられるから、使い方次第では魔法のような超常現象を引き起こすことも可能だろう。君の師匠(レオナルド)が古代呪文を使えるようになった切っ掛けは、きっとそれを用いたからだろうね」

「でも、おじいちゃんが魔法を使った時は、これを持ってなかったと思うよ……?」

「別にこれに頼らなくても魔法は使えるんだよ。彼は現代魔法という超常現象のエキスパートだから。それを手放したということは、もう必要なくなったんだろうね」

「そっか……」

 

 ルーシーは何となく釈然としないものを感じながらも、自分の手にしている杖をしげしげと見つめながら、

 

「じゃあ、これを使えば私も古代呪文が使えるようになるのかな?」

「出来るだろうね。でも多分、今の君のままじゃ無理だ」

「……どういうこと?」

「神秘とは文字通り神の秘密のことを言う。奇跡を願う時、人はその方法まで願うだろうか? 結果しか求めていないんじゃないか? だから神は奇跡を起こす時、それを上手に隠すのさ。レオナルドは古代呪文を覚えたわけじゃない。(ことわり)を知ったんだ。君がこの杖を使いたいと言うのなら、まずは理を知らなければならない」

「理……」

 

 ルーシーは、なんだかレオナルドの座学を受けているような気分になった。それもそのはず、理とは宇宙の真理なのだから、二人とも結局は同じことを言ってるはずだからだ。

 

 まるで禅問答のような彼の言葉に、いつもなら逃げ出すことを考えているところだろうが、それでは何のためにここまでやって来たのか分からないので、彼女はぐっと堪えて少しでも彼の言葉を理解しようと努めた。

 

 ミッシェルはそんな彼女の不安そうな表情を見て苦笑いをすると、

 

「そんなに身構えなくても、こんなのはなんとなく分かればそれでいいんだよ」

「そうなの……? おじいちゃんのとこでは、いつも椅子に括り付けられてたけど」

「レオナルドはスパルタだなあ……理とは当たり前のこと。当たり前だから、今は分からなくても、そのうち何となく分かってくるよ。子供の頃まるで歯が立たなかった難問が、大人になったら何が難しかったのかすら分からないほど簡単になってたなんてことが、往々にしてあるだろう? それと同じことさ」

「はあ……」

「まずはリラックスして話を聞いてくれればそれでいい」

 

 ルーシーは半信半疑といった表情で見つめている。ミッシェルは、よほどトラウマになってるんだなと苦笑しながら、

 

「さて……それじゃあ、まずは当たり前のことから始めようか。今、君はどこにいる? さっきまで魔物蠢く大穴のど真ん中にいたはずだけど、あの空間はどこに消えた?」

「それは分からないけど……そういえば、ジャンヌさん達、みんなどこに行っちゃったの? みんな無事なのかな?」

「みんなここにいるから安心していい。ただ、君が認知していないだけさ」

「認知……私自身がみんなを見ないように意識してるってこと?」

「それは少し違う。今、君はあの空間とはまた別の空間にいる。認識が変わることで、君は相転移したんだよ。と言うのも、空間とはそもそも人間という観測者が作り出した幻のこと。ここは君が頭の中で作り出した幻想の世界なんだ。今、君は物質世界を離れ、アストラル体になってここに存在している。簡単に言えば、精神世界に迷い込んだみたいな状況だね」

「精神世界……? じゃあ、もしかして私の体は元の世界に残されたままなの?」

「その通りだ。でも勘違いしちゃいけない。ここも幻想なら、君が元いた物質世界も、また同じように幻想なんだ。実は僕たち人間とは、実態を持たないアーカーシャに記述された情報に過ぎないんだよ。アーカーシャとは物質世界と精神世界を分ける境界のことで、人間はその境界面に張り付いている情報(レコード)。その情報の写像が、即ち物質界にある僕たちの肉体なんだ……」

 

 ルーシーは、どの辺が当たり前なんだと頭を抱えたが、ミッシェルはそんな彼女のことなどお構いなしに話を続けた。その顔が、取り敢えず聞いとけと言っているような気がして、彼女はあまり深く考えないようにしながらその話を聞いていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。