怒れるマッシュ中尉を宥めることに労力を費やすこと小一時間、今度こそ本当に人心地ついた一行はぐったりとしながら皇帝のローテーブルを囲んだ。恐らく、この世界で一番偉い人であろうに、皇帝は当たり前のようにいそいそとみんなのカップにお茶を注ぐと、彼女の生みの親でもあるメアリーに尋ねた。
「それで真祖様、迷宮の方はどうでしたか? まあ、こうしてポータルを使って現れたわけですから、結果は聞くまでもありませんか」
「ううん、それが万事順調ってわけでもなかったのよ。結局、ポータル魔法を覚えられたのはルーシーだけで、私は何も覚えられなかったわ」
「あら、それは残念でしたね……」
「でも、迷宮の構造自体がルーシーじゃなきゃ攻略できないような場所だったから、仕方ないと思うわ」
「へえ、迷宮はどんな場所だったんですか?」
皇帝は、一行がどうやって迷宮を攻略したのかを聞いて感心している。彼女は道中の話を聞き終えるとルーシーに向かって、
「では、迷宮の最奥に辿り着けたのはあなた一人だけだったんですね。そこで何が起きたんです?」
「話すと長くなるんだけど……」
ルーシーは最奥部の椅子に座った後のことを出来るだけ詳しく伝えた。敵に見つからないように集中している内にトランス状態になったこと。すると視界が白く染まってきて、不思議な空間に飛ばされたこと。そこで出会ったミッシェルに、アストラル体に相転移したと教えられ、この世の理を伝授されたこと。そして自分がレオナルドに貰った杖こそが、古代呪文を使うためのキーアイテムだったこと。
「ミッシェルさんは、おじいちゃんと元の世界で会ったことがある人だったんだ。その縁を買われてミトラ神に、この……
「ボケたってわけでもなかったのですね。あの人、人間のくせに300年も生きていたり、おかしいと思ってはいたけれど」
皇帝は腕組みをしながら考え事をしている。ルーシーは代わりにメアリーに向かって続けた。
「この杖を使えば奇跡を行使することが出来るんだけど、その代償としてMPが消費されるんだ。ただ、あまりにも大きな願いはMPだけでは足りなくて、何か失うことになるらしくって。おじいちゃんはそれで記憶を失くしちゃったんじゃないか? ってミッシェルさんは言っていたよ」
「MPを消費するの? そう言えば、ルーシーってMPはどのくらいあるのかしら?」
「408だけど」
「たっか! そんなにあったの? 私と殆ど変わらないじゃない」
メアリー(MP480)が目を丸くしている。そりゃ神人の彼女とほぼ同じと言われた驚きだろう。今まではMPなんてあっても何の役にも立たなかったから誰も気にしなかったが、確かにルーシーのMPは人並み外れて高かった。
彼女は、自分の職業がMAGEで近接戦闘に向いていないことを、いつも残念に思っていたが、まさかこんなところでそれが役に立つとは思いもよらず、何事も蓋を開けてみなければわからないものだと得心した。ついでに自分のステータスを改めて確認してみると……
「あれ……?」
「どうしたの?」
「MPがごっそり、100も減ってる……そっか、さっきのポータルの代償として消費されたんだね」
「100ってことは、4回で打ち止めってことね。MPポーションはあるけど、急激に回復すると副作用がひどいから、緊急回避用も考えて、せいぜい一日3回までにしといたほうが無難でしょうね」
「そうだねえ……でも、どこに繋がるかわからないのがネックなんだよね。必ず行きたい場所にいけるわけじゃないから」
「え? まさか転移先を指定できないの? そう言えば……こんなピンポイントにエミリアの部屋に戻ってこれるなんて、あなたのポータル魔法はツクモのとは何か違うみたいだけど」
「うん、そうなんだよ」
ルーシーはミッシェルの話をかいつまんで聞かせて、
「場所を指定するには、なんか凄く難しい計算が必要なんだって。でも、そんなこと私には出来ないから、代わりに人を思い浮かべなさいって。人間の心は一つに繋がっているから、そうすることでその人の近くに飛ぶことが出来る……かも知れない。だから、さっきは何が何でも帰りたいって気持ちが、皇帝陛下のことを連想して、ここにポータルが繋がったんだと思う」
「ふーん……場所を指定できないのは不便だけど、でも今は逆にそれで良かったかも知れないわね」
「……どうして?」
「だって、ツクモのことを思い浮かべれば、ネウロイへだって一瞬で飛んでいけるかも知れないってことでしょ?」
「あ! そうだね。それじゃもう、マニ君の村から空を飛んでいく必要はないんだ」
感嘆の声を上げているルーシーに向かって、メアリーはうんうんと頷きながら、
「いくら私でも一ヶ月もMPをやり繰りしながら飛んでいくのはしんどいと思ってたのよ。それじゃ早速、試してみましょう? 結構時間を食っちゃったけど、ツクモが心配よ」
「ちょっと待った! 真祖様!!」
すると慌てて皇帝が二人の間に割って入って、
「そんな当たり前のように同行しようとしないでくださいよ。これ以上、帝都を留守にされては臣民が動揺します。今回は自重してください。いい加減、私だって怒りますよ」
「ちぇっ……どさくさに紛れてもうちょっと遊んでたかったんだけどな」
メアリーは口をとがらせて不満を漏らしている。ついさっき、死にそうな目に遭ったばかりだというのに、彼女にとっては退屈な帝都の生活よりも、危険な冒険の旅の方がよっぽど楽しいのだろう。ルーシーはそんな彼女を気の毒に思いながらも、
「ポータルがちゃんと使えるようになったらまた来るから、そしたらまたどこかに遊びに行こうよ」
「本当?」
「うん。マッシュ中尉の胃に穴が開かない程度にね。それじゃあ、私は行くね。ジャンヌさんたちはどうする?」
ルーシーが尋ねると、ジャンヌは少し考え込むような仕草をしてから、
「同行したい気持ちもあるんだけど、今はこっちに残るわ。どうも、白ちゃんの留守中にヘルメスがごたついてるらしくって、何かあった時のために備えておきたいの」
「そっかあ……残念だなあ」
「白ちゃんに再会できたらよろしく伝えておいて」
「わかったよ」
ルーシーはそう言うと、一人ひとりと名残を惜しむように握手をしてからポータルを開いた。
去り際にマッシュ中尉から、今度からは絶対に正門から来てくれとげっそりした表情で頼まれた。どうやら帝都の要注意人物になってしまったらしい。ルーシーはそんな中尉に苦笑いで返しながら、挨拶もそこそこポータルに飛び込んだ。
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そうして飛び込んだ先は、思いがけず人混みのど真ん中だった。
突然、何もない空間から現れた彼女の姿に、通行人達がギョッとした表情で立ち止まっている。ルーシーも驚いて周囲を見回してみれば、そこは見慣れたフェニックスの街だった。すぐ近くには冒険者ギルドの看板も見える。
ちゃんと鳳のことを考えながらポータルを開いたはずだったが、どうやら鳳=フェニックスの街が連想されてしまったらしい。困ったなと思いながらステータスを確認すると、目的地とは全然違うのにMPはしっかり減っていた。
行き先を指定できないというのは、こんなに面倒くさいことなのか。これは何度も失敗していられないぞ……
彼女は今度こそ鳳の元へ飛ぼうとポータルを開きかけたが、ふと思い立って、その前に一度ギルドの様子を見に行こうと考えた。鳳に逃げられないようにこっそり出てきてしまったから、誰にも行き先を告げていなかったのだ。
酒場のマスターはともかくとして、ミーティアは心配しているかも知れない。取り敢えず無事なことだけでも伝えておこうと、彼女は酒場のドアを押し開けた。
「いらっしゃーい……って、あーっ!! ルーシー、やっと帰ってきたか!」
ギルド酒場に入るなり、丁度ホールに接客に出ていたマスターが、彼女の姿を見つけては大声で叫んだ。彼は目の下にクマを作り、いかにも寝不足の顔をしながらドスドスと近づいてくると、
「一ヶ月以上も無断欠勤して……不良娘め。この一ヶ月間、僕一人で酒場を切り盛りするのは大変だったんだぞ?」
「ごめんなさい。どうしても行かなきゃいけない理由があって」
「ルーシーはやっぱり鳳くんと一緒にいたの? ミーティア君が、多分、彼のことを追いかけていったんじゃないかって言ってたけど」
「うん。そうなんだ。鳳くんと同行して、ちょっとネウロイまで行ってきた」
マスターは口の端をひくつかせながら、
「ネウロイって……軽く言ってくれるなあ……それじゃ、彼も街に戻ってきたんだね? なんか国境で大変なことになってるらしいけど、これで安心だ」
「ううん。鳳くんはまだ帰ってきてないよ」
「ええ!? じゃあ、ルーシーだけで帰ってきたのか。一体、彼はどうしたんだい?」
「それが、行き先で逸れちゃって。それで……」
鳳を探すつもりでいると言ったら、マスターはどんな顔をするだろうか。例え泣いて引き止められても行くつもりだが、そのげっそりした表情を見るからに、ワンオペも限界を迎えつつあるようだ。彼女は言葉を引っ込めて、代わりに、ミーティアに代役をお願いしようとして、
「ところでミーさんは? 受付がお留守みたいだけど……」
「それがミーティア君の方も彼のことを追いかけて行っちゃったんだよ。かれこれ一ヶ月前のことだから、今頃どこをほっつき歩いているのやら……君こそ、彼女に会わなかったのかい?」
「ええ!? ミーさんもネウロイに向かったの!?」
ルーシーは、愛する男を追いかけるなんて、彼女も中々やるなあ……と思いつつも、一人では無謀過ぎると青ざめたが、
「丁度ギヨーム君が街に帰ってきて、彼女についていってくれたんだよ。だから心配はないと思うけど」
「あー、そうなんだ。ギヨーム君がいるなら安心だね……でも、それでもネウロイには辿り着けないと思うな」
何しろ、空を飛んでも一ヶ月もかかった場所なのだ。地上を移動している彼らは、今頃どの辺りを歩いているのか見当もつかない。そんなこと、ギヨームだって分かっているだろうに、あの現実主義者の彼がどうしてミーティアのお願いを聞いたのだろうか……?
ルーシーは疑問に思いながらも、
「ジャンヌさん達は帝都だし……それじゃあ今、街に残ってるのはマスターとギルド長くらいのもんなんだね?」
「ああ、そうだよ……って、あれ? ジャンヌ君が留守って、僕、言ったっけ? まあ、いいや。それより、ルーシーが帰ってきてくれて助かったよ。酒場もギルドも人手不足で大変なんだ。疲れてるとこ悪いんだけど、さっそくホールに入ってくれるか?」
「あー、それなんだけど……」
ルーシーは一歩、二歩とマスターから距離を取りながら、
「ごめん! 実はまだ、鳳くんがネウロイに残ったままなんだ。これから彼を探しに行かなきゃならないから、もう少し一人で頑張ってて!」
「はあ!? 何言ってるんだよ。そんなの駄目に決まってるだろう? っていうか、一人でどうやっていくつもりなんだ?」
「お願い杖よ、力を貸して!」
ルーシーが杖を掲げてそう唱えると、杖の先端でクルクルと魔法陣が輝きだし、彼女の目の前に大きな光のゲートが現れた。突然の超常現象を目の当たりにしたマスターが仰天していると、彼女は申し訳無さそうに顔の前で両手のひらを合わせながら、
「ほんとゴメンね?」
彼女はそう言うと光の向こうに消えてしまった。マスターはそんなルーシーの姿を見送りながら、暫しその場で放心状態のまま立ち尽くしていた。
この街で別れてから、色々あって勇者パーティーの一員になったことは知っていたが……どうやら知らぬ間にその名に恥じぬ実力までもを身に着けていたらしい。子供の成長は本当に信じられないくらい早いものだなと、彼は感嘆のため息を漏らした。
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マスターを煙に巻いて逃げ出してきたルーシーは、また出口がおかしな方向を向いていたせいで、外に出るなり真っ逆さまに地面に落っこちてしまった。
「あいたー! ててててて……」
どうにか受け身を取った彼女が怪我はないかと確かめていると、手についた泥や木の葉から、ここがジャングルの中であることに気がついた。どうやら、今度こそ大森林に戻ってきたらしい。
しかし泥を叩いて立ち上がっても、辺りは鬱蒼と茂る樹木しか見えず、目的地であるアマデウスの迷宮は見当たらなかった。鳳のことをイメージしていたから、見当違いの場所に飛ばされたということはないと思うが……ドンピシャで彼の元へ戻ることは出来なかったらしい。
「困ったなあ……」
彼女はため息交じりに周囲を見回した。恐らく、迷宮のすぐ近くまで来ていると思うのだが、森の中であるが故に視界が悪い。どこか高台にでも登って周囲を確かめたいところであるが、問題は彼女には戦闘スキルが一切ないことだった。
この危険な森の中で、魔族や魔物に見つかったら、彼女一人ではお手上げだ。ましてや今ネウロイに残ってる魔物は強力な個体ばかりと来ている。最悪の場合、ポータルを使って逃げることも考えなくてはならないだろう……彼女は取り敢えず周囲から姿を隠すべく、
それにしても、これからどうしようか……?
彼女は空を飛べないから上空から確認することは出来ない。もう一度ポータルを使ってみるのもいいが、失敗したら今度こそMPが尽きてお手上げだ。これは何かあった時のための、緊急回避用に取っておきたい。となると戦闘を避けるためにも、今はここで下手に動かず、じっとMPを回復してから行動を開始したほうがいいだろうか。
鳳と逸れてからそろそろ6日が経過しようとしている。帝都にもフェニックスにも帰ってないとすると、彼はまだあの迷宮にいるはずだが、本当に大丈夫なんだろうか? ここに戻ってくるまでに何度も考えたことだが、やはりあのタイミングで鳳がルーシーだけをポータルで帰す理由がない。何かあったと考えるのが妥当なのだが……
こんなことになるなら、無理を言ってでもメアリーやジャンヌについてきて貰えばよかった……彼女がそんな風に考え、ため息を漏らしたときだった。
ガサガサ……っと、遠くの方から、何者かが草をかき分けて近づいてくる音が聞こえる。それは一直線にこちらへ向かっており、音は徐々に大きくなっていった。
ルーシーは慌てて不可視の魔法を掛け直した。もしかしたら、さっきはちゃんと掛かっていなかったのかも知れない。この魔法の最大の欠点は、術者にはちゃんと魔法が掛かっているかどうかが分からないところだった。だから迷宮でも、彼女の集中力が途切れる度に、突然魔物に襲われることがあったのだ。
しかし、あの時は周りに仲間がいたから事なきを得たが、今の自分では魔物に襲われたら一巻の終わりである。その場合は、虎の子のポータルも使わねばならない。出来ればそれは避けたいところだが……
それでも音はどんどんこちらに近づいてくる。彼女はゴクリと生唾を飲み込んだ。杖を握る手が震えている。彼女は最悪の事態を想定し、中腰になって杖を構えながら、その近づいてくる音に集中した。