ラストスタリオン   作:水月一人

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魔弾の射手

 ガシャン、ガシャンとシャッター音がする度、まるで真っ黒なシートが剥がれ落ちるかのように、そこに緑色の巨人の姿が浮かび上がっていった。その全てが映し出された時、そこにはつい先日、彼らが苦労して倒したはずの魔王オークキングが立っていた。

 

 そんな馬鹿な……有り得ない! 突然の出来事に戸惑って、硬直している彼らに向けて、容赦なく魔王の足が振り上げられる。その動作にハッと我を取り戻したギヨーム達は、慌てて回避行動を始めた。

 

 ズシン! と地面を揺らすような音がして、背後からミーティアとアリスの悲鳴が上がった。非戦闘員を抱えたまま突如戦闘に入ってしまったギヨームは、慌てて彼女らを守るように指示を飛ばす。

 

「ガルガンチュア! 敵の攻撃を引きつけろ! ルーシー! 隠蔽魔術だ!!」

「ここは寒い、凍えてしまう。逢いたくて逢いたくて震える~私は孤独なロンリーららら~」

 

 ルーシーが突然調子っぱずれな歌を歌いだし、ギヨームは思わずずっこけそうになったが、その表情が真剣なのを見て彼女が真面目なことを思い出しぐっとこらえた。そんな彼の隙を突いて、容赦なくオークキングの大木のような腕が飛んでくるが、彼は難なくそれを躱してジャンプした。

 

 するとその上腕部に向かって数本のクナイが突き刺さった。取っ手には紐が括り付けられていて、マニはグイッとそれを引っ張り、その反動を利用してオークキングの肩に飛び乗った。

 

「朧っ!」

 

 そして二段ジャンプで魔王の側頭部を蹴り上げると、堪らず怒りの咆哮を上げて、オークキングは彼をふるい落とそうとして手を振り回し、上半身をグルングルンと回転させた。マニは魔王にしがみつきながら、更に追撃のクナイを打ち込む。

 

 そんな短剣をいくら当てられても、魔王にとっては蚊に刺された程度のことでしかなかっただろう。だが、致命傷にはなり得なくても、痛痒をまったく感じないわけではない。オークキングは蚊に付きまとわれた人間の如く、不快そうに咆哮をあげながら、自分の首の辺りでうろちょろする獣人を追い散らそうとして大暴れしている。

 

 しかし、オークキングは確かに強いが、一度戦った経験があるマニには、もうその動きは単調にしか思えなかった。彼は魔王の死角から死角へと移動をし続け、ひたすらヘイトを稼ぎ続けている。

 

 しかし、攻撃を避けられるとは言っても、致命打を与えられない限りは、いずれこちらの方が力負けしてしまうのは必至だった。だから援護が必要なのだが、さっきからギヨームは見上げるばかりで動こうとしない。マニは焦れったくなって叫んだ。

 

「ギヨームさん! 援護を!」

「待て!? 何故ここにガルガンチュアが居る?」

 

 ギヨームはわけのわからないことを言っている。マニはイライラしながらオークキングの側頭部を蹴ると、その反動を使って距離を稼いだ。少しでも体力を温存しなければやられてしまう。そんなマニの体スレスレを、丸太のような魔王の指先が掠めていった。あれが当たっていたら死んでいたかも知れない。マニは肝が冷えるよりも、ギヨームに対する怒りがこみ上げてきて、

 

「ギヨーム! 俺を殺す気か! おまえが敵を引きつけろと言ったんだろうが!? 何故俺を見殺しにしようとするんだ!!」

「わ、わるい……ガルガンチュア。いや、マニなのか?」

「はあ!?」

「悪かったって言ってるんだよ! おまえ、自分の体をよく見てみろ!!」

 

 マニは怒鳴り返したいのを懸命に抑えて、言われたとおりに自分の体を見た。と言っても腕と腰回りくらいしか見えないので、そんなものを確認して何になると思ったのだが……それは一目瞭然だった。

 

 彼の体はいつもの短くて白い毛並みではなく、青毛の混じった太くて長い体毛に覆われていた。変わっていたのはそれだけではなく、腰も腕も一回り太くなっており、その指先には狼人みたいな鋭い爪が伸びていた。

 

 いや、みたいなではない。明らかにそれは狼人のものだった。まさかと思ってギヨームの顔を見てみたら、

 

「おまえ、オヤジそっくりの姿になってんだよ!」

「なんだって!?」

「死者が生き返ったのかと思って、ちょっと驚いたんだ」

「どうしてこんなことに?」

「わかんねえよ」

 

 ギヨーム達が困惑している時だった。彼らのすぐ脇から悲鳴が上がった。会話に夢中になって、警戒が疎かになっていたらしい。慌てて振り返ると、オークキングが新たな獲物を見つけたとばかりに、ミーティア達に襲いかかろうとしていた。

 

 巨大な腕が振り下ろされる。不可視(インビジブル)の魔法を使っていたルーシーは、まさか自分たちが狙われるとは思いもよらず、咄嗟のことに体が硬直してしまった。見れば、もうすぐ目の前に、オークキングの腕が迫っている。

 

 ……殺される! 全身に怖気が走り、彼女は死を覚悟した。

 

 だが、そんな時だった。ルーシーが呆然とその拳を見つめていると、背中からドンッ! とした衝撃が走って、何者かが彼女を突き飛ばした。

 

 バランスを崩し地面を転げながら、彼女が何が起こったのかと振り返る……

 

 すると、たった今まで自分が立っていた場所に、入れ替わりにミーティアが立っていた。恐らく、彼女が突き飛ばしてくれたのだろう。ミーティアはまるで前へならえをしているかのように、腕を突き出したままの姿勢で、肩で息をし、自分が何をやっているのか分からないと言った感じに、目を丸くしながらルーシーのことを真正面から見つめていた。

 

 その背後には恐怖に慄き絶望した表情のアリスが立ち尽くしており、彼女は今正に死のうとしている奥様を目の前にして、成すすべもなく悲鳴を上げていた。

 

 慌ててガルガンチュアが駆け寄ってくる姿も見えた。そのすぐ背後でギヨームが拳銃を生成しようと手から光を発していた。だが、それはどちらももう間に合わないだろう。ルーシーには、その光景が全てスローモーションに見えていた。

 

 どうして不可視の魔法が効かなかったんだ? 自分のせいで、ミーティアが死んでしまう。ルーシーの全身は絶望に貫かれ、もはや体を動かすことも、考えることすら出来なくなっていた。

 

 ところが、オークキングの拳が遂にミーティアを吹き飛ばそうとした瞬間、ゴウッ! ……っと強烈な風が巻き上がって、何故かその腕はピタリと止まった。

 

 巨大な拳に押し出された風を受けて、ミーティアはよろよろとよろけて尻もちをつく。

 

 てっきりその拳に撃ち抜かれて、肉片も残らず、水風船のように破裂してしまう未来を予想していたマニは未知なる結果に咄嗟の判断が出来ず、その腕に飛びかかろうとしていた体の向きを強引に変えようとして、そのまま転けた。ギヨームも、銃を構えたまま静止している。

 

 オークキングは伸ばした腕を引っ込めると、まるで苦悩する人がそうするように、両手で頭を抱えながら雄叫びをあげた。ウオオオン! ウオオオン! っと狂った獣のようなその声は、信じられないほど大きくて、鼓膜が破れるんじゃないかと思うほど耳が痛かったが、死を覚悟していたミーティアは尻もちをつきながら呆然と、涙で曇る視界でそれを見上げていた。

 

「奥様!」

 

 甲高い声が響いて、駆け寄ってきたアリスが芋でも引っこ抜くかのように、強引にズルズルとミーティアのことを引っ張っていく。

 

 その声を合図にして、我に返ったルーシーは二人に再度不可視(インビジブル)の魔法をかけたが、今度こそ注意深く共振魔法を行使したつもりなのに、まったく手応えが感じられない。

 

 おかしいと思った彼女が棒立ちのまま自分の杖を見つめていると、雄叫びをあげていたオークキングがそんな彼女に狙いを定めて腕を振り上げたが、今度は冷静さを取り戻していたマニによって阻まれた。

 

 マニはまたロープを魔王の腕に絡ませると、それを利用して飛び回る蚊のごとくその顔の周りでうろちょろしはじめる。ギヨームはそれを射撃で援護しながら、ルーシーのところへ駆けつけた。

 

「何やってんだ!? 隠蔽魔法をかけろっつったろ!」

「やってるよ! さっきからずっとやってる! って言うか、バトルソングも使ってたんだけど……どうして発動していないの?」

「なに!? 魔法が使えないのか……? いや、そしたら俺の銃も出ないはずだが」

 

 何かがおかしい……それは分かっているのだが答えが出ない。しかも、そんなことを悠長に考えている余裕もない。ギヨームは歯ぎしりすると、

 

「とにかく、俺はガルガンチュアの援護をしてるから、その間にあの二人だけでも逃してくれ!」

「でも、逃がすってどこに?」

「そんなの自分で考えてくれよ!!」

 

 ギヨームは余裕なくそう叫ぶと、これ以上は無理だと言って戦闘に戻っていった。マニが翻弄し、ギヨームがアウトレンジからじわじわと痛めつける……二人の連携で十数メートルはあるだろう巨人が徐々に押され始めている。このままいけば倒してしまいそうにも思えるが……

 

 そう自己判断するのは危険だろう。万が一に備えて、今はとにかくミーティア達を逃さねば……と言うか、現代魔法が使えない今、足手まといにならないように、自分も逃げた方が良いんだろうか? 鳳ならこんな時、迷いなく指示をくれるのだが、別にギヨームを馬鹿にするわけではないが、彼と鳳とではここまで咄嗟の判断が違うのかと彼女は呆れていた。

 

 ともあれ、ルーシーが腰を抜かしてへたり込んでいるミーティアの元へ駆け寄ると、彼女は体をブルブルと震わせながら、未だに青ざめた表情で、

 

「ル、ルーシー。無事でしたか?」

「ごめん、ミーさん。私のせいで怖い思いをさせて……」

「私……なんで助かったんですかね?」

 

 ミーティアは震える自分の手のひらを見つめながら、呆然とつぶやいた。確かにあの時、オークキングの腕が彼女の目前で止まったのは誰が見ても不自然だった。魔族は男は殺して女を犯すと聞いている。だから相手が女だと思って一瞬躊躇したのだろうか……?

 

 しかし、あんな大きな化け物が、自分たちのような虫けらみたいな生き物の性別を気にするとも思えないし……ルーシーがそう思って首を捻っていると、

 

「……あれは、本当に魔王なんでしょうか?」

「……え?」

「いえ、その……あの時、私を殺そうとした手が止まった後、あの怪物はまるで後悔してるみたいに頭を抱えていたから。それが凄く人間っぽくって」

「まあ、魔族も元々は人間だったらしいから……でも、そうだよね……変だよね」

 

 何かが変なことはとっくに気づいていた。マニは父ガルガンチュアになってるし、魔法は使えないし、魔王はミーティアを殺すのを躊躇するし……そして突然の襲撃で興奮していてすっかり忘れていたが、周囲は一面真っ黒で何も見えないのだ。

 

 それは壁が黒く塗られているというわけではなく、元々、この空間が持っている属性のようなもののように感じた。普通に考えて、そんな空間がこの世にあるとは思えない。

 

 そう言えば、ギヨームは恐らくここが迷宮の中だと言っていた。鳳と逸れた時のことを思い出すと、とても同じ場所とは思えないが、確かにその可能性は高いのだ。

 

 そして迷宮と言われて思い出したが、この感じはつい最近、ジャンヌ達と攻略した迷宮と非常に似ているような気がした。

 

 いや、迷宮ではなく、その最奥にあった椅子に腰掛けた後、訪れたミッシェルの世界……アストラル界に近いのだ。あの時は周囲が全部真っ白だったが、今回はそれが黒くなったと思えば二つの空間は瓜二つだった。

 

「そっか!」

 

 ルーシーは何かに気づくと、魔王と戦っている二人に向かって叫んだ。

 

「ギヨーム君! マニ君! ここは精神世界なんだよ! 私たちは、頭の中の理想と戦っているだけなんだ!!」

「なにっ!?」

「私の魔法が使えなくて、ギヨーム君のが使えるのは、ここが元々、クオリアの存在する世界だからなんだよ。私たちは普段、この世界に理想を投影しながら物事を判断している。私たちの持つ魔王というイメージがあれを作り出し、魔王は強いというイメージのせいで君たちは苦戦している。不必要に恐れないで! 魔王なら一度倒した! 今の二人が、あの時の魔王に負けるなんてありえないでしょう!?」

 

 そのルーシーの叫びが切っ掛けとなって、マニの動きが急激に変化した。彼は詠唱もなく影分身を作り出すと、その全ての分身を器用に操って魔王を翻弄し始めた。そして普通なら分身は本体を超えないはずが、一つ一つの分身までもが本体と同等の力を発揮した。

 

 複数の分身が縦横無尽に飛び回り、魔王の攻撃を躱し、受け流し、お返しとばかりにカウンターをお見舞いしていく。十数メートルの巨体が、その十分の一でしかない小さな獣人によって、徐々に徐々に押し返され始めた。

 

 マニは信じられない思いだった。その動きは本当に、いつも自分の頭の中で思い描いている理想そのものだったのだ。今なら何でも出来るかも知れない……そう考えた時、彼は空間の歪みというものを感じられたような気がした。

 

 そしてその瞬間、分身の動きがまた一段と変化した。それまでは速いとは言え目で追える程度の動きでしかなかった分身が、唐突に出たり消えたり、瞬間移動するようにまでなったのだ。ギヨームは、彼が空間の歪みを利用していると言っていた。分身は、最初からこの空間の歪みを移動していたのだ。

 

「こりゃあ……驚いたな」

 

 ギヨームはそんなマニの動きを感嘆の息を漏らしながら眺めていた。さっきは援護をしろと怒鳴っていたが、今のマニに援護なんて必要ない。それどころか、下手に手を出したら邪魔にしかならないかも知れない。

 

 しかし彼の攻撃は魔王を押し返しはすれども、相変わらず致命打を与えることは出来ないようだった。素手ではどうしてもパワー不足が目立ってしまう。だからとどめを刺すのは自分の役目だ。

 

「ガルガンチュア! 避けろよ!!」

 

 ギヨームは魔王を完全に封殺しているマニに目配せをすると、

 

光よ(ルクスシット)! 荒ぶる戦の神マルスよ、今すぐ俺に力をよこせ! 千の銃弾、万の銃弾、嵐となって吹き荒べ!」

 

 彼が天高く手のひらをかざし、そう叫んだ時、今までとはまるで違うまばゆい閃光が、その彼の腕から放たれた。それは周囲の空間を一瞬にして白く染め上げ、見る者全ての視界を奪った。そしてその光がようやく収まった時、そこには万を越える無数の銃口が虚空から現れ、魔王を取り囲んでいた。

 

 これから何が起きるか察したマニは、慌てて影に飛び込んだ。ギヨームはそれを見てから腕を振り下ろし、

 

「打ち砕け、魔弾の射手(フェイルノート)!」

 

 その言葉と同時に、そこにある全ての銃口が火を吹いた。そして放たれた銃声はもはや音すら超越し、鋼鉄のような重みをもって、その場にいる全ての者の体をぐっと押した。

 

 それを遠巻きに呆然と見ていたミーティアもアリスもゴロゴロと吹き飛んでいく。杖の機能によって辛うじて踏み止まっていたルーシーが、慌てて二人を引っ張り上げる。

 

 銃弾は硝煙となって辺りに充満し、鼻がツンとするような刺激臭が目に入って涙が出てきた。いつの間にか影から出てきた鼻のいいマニが、その強烈な異臭に対し恨めしそうにギヨームを睨んだ。今は体が狼なのに、その目は元の兎みたいに真っ赤だった。

 

 その銃撃は全て、あの戦場で用いた対物ライフルと同等のものだった。一撃でオークを吹き飛ばす銃弾を、1万発以上も浴びて無事で済む者など居るはずがなかった。例えそれが鍛えられた鋼鉄であっても、跡形もなく消し去るだろう。

 

 ところが、硝煙の霧が晴れてきた時、彼らはその中心に何かがあるのを見た。

 

 それは薄い光の膜に覆われた人間だった。いや、それを人間と言っていいかは分からなかった。そこにいたのは人間の形をして、背中に大きな翼を背負い、天使の輪っかを頭に乗せた、一人の男だった。

 

 鳳白が、何故かそんな姿をしながら、空中に浮かんでいたのだ。

 

 それは禍々しいと言うよりも、神々しささえ感じさせる姿だった。だが、それと同時にそれがいかに危険であるかを、その場にいた全員は、目に見えて理解させられた。その虚ろな瞳に映った者は、例えそれが神であっても消し去ってしまいそうな、そんな恐ろしさを孕んでいた。

 

 マニも、ルーシーも、ミーティアもアリスもその見知ったはずの姿に恐怖して動けなくなった。そんな中でただ一人、ギヨームだけがチッと舌打ちを一つすると、

 

「……野郎、やっぱ魔王化してやがったか」

 

 彼はそう言うなり、即座に虚空から銃を取り寄せて、そこにいる天使目掛けて銃撃をお見舞いした。それは巨大な対物ライフルで、戦車の装甲すら撃ち抜く代物だった。ところが、そんな巨銃から撃ち出された弾が、いともたやすく鳳の纏う光によって弾かれて、あらぬ方向へと飛んでいってしまった。

 

 ギヨームはそれでも銃撃を続けた。まるでやめてしまったら死んでしまうとでも言いたげな、執拗な銃撃だった。だが、いくらそんなことを続けても、目の前の天使を傷つけることは不可能そうだった。

 

 と、その時、鳳の虚ろな瞳が少しだけ動いて、ギヨームの姿を捕らえたように見えた。彼はその瞬間、背筋が凍りつくような悪寒が走って、咄嗟にその場に伏せた。すると彼が居なくなった空間目掛けて、どこからともなくレーザー光線のような光がスーッと横薙ぎに通過していった。

 

 それは音もなく、何の迫力も無かったが、当たったらどうなってしまうかだけは、何故か本能的にわかってしまった。そんな光が、縦、横、斜めと、音もなくスーッと不規則に動き回る。ギヨームはどこから現れるかわからないそんな光を避け続けた。そして次第に追い詰められた彼は冷や汗を流しながら、片腕を天に翳してまた叫んだ。

 

光よ(ルクスシット)!」

 

 強烈な閃光が走り、虚空から無数の銃口が鳳の周囲を取り囲む。だが、どこからともなく現れた光が、スーッとその銃身を横切ると、多くの銃が両断されて、音もなくストンと下に落っこちていった。

 

 一瞬にして数千の銃が、それによって無力化されていた。ギヨームはゾクゾクと背中を駆け上がってくるような恐怖心を抑え込みながら、それでもまだ数千の銃口が狙ってるとばかりに、その腕を下ろそうとしたが……

 

「ま、待ってくださいっ!!」

 

 その時、彼の視界に一人の女性の影が飛び込んできた。

 

 見ればミーティアがあたふたと慌てながら、虚ろな目をして宙に浮かんでいる鳳の前で仁王立ちしていた。ギヨームは間もなく振り下ろそうとしていた腕を咄嗟に引き上げると、

 

「な、なにやってんだ、この馬鹿!!」

「待ってください! 鳳さんを殺すつもりですか!?」

 

 ミーティアは懇願するような目でギヨームを見つめている。彼はあまりのことに、金魚みたいに口をパクパクしながら、

 

「殺すもなにも……()らなきゃ俺が殺られるだろうが!!」

「わからないじゃないですか! だからちょっと待ってくださいって!」

「分かるよ! そこにいるのはもう鳳じゃない! いいからどけ!」

「退きません!」

 

 ミーティアはギンとギヨームの目を睨みつけた。

 

「さっき私は彼に殺されそうになりました。あの時、あの腕がそのまま振り切られていたら、今頃私は死んでいたでしょう。でも、ちゃんと止まったんです。彼には私たちのことが分かっていたんですよ」

「そんなの、たまたまかも知れないじゃないか! そいつは今、どうみても意識を失っている。このまま放置していたら、また動き出して今度こそあんたもお陀仏だぞ!?」

「じゃあ、それまでは殺さないでください。大丈夫です。必ず戻ります。今だって、彼は私を殺そうとはしていないじゃないですか!」

「んな保証はねえだろ!」

 

 ギヨームはイライラしながら立ちふさがるミーティアを乱暴に押しのけると、

 

「こいつは殺しても死なねえんだよ! だが、魔王になっちまったらもう殺すことすら不可能になる。だからその前にやるしかない! 後でちゃんと復活させるから。今はすっこんでろ」

 

 しかしミーティアはそんな彼の腕にしがみついて、

 

「それは外の世界での話でしょう? ここは精神世界なんですよ? 精神が死んだら……それはちゃんと元に戻るんですか!?」

「それは……」

 

 ギヨームは返答に窮した。言われてみれば確かに今は状況が違う。鳳は物理的に死んでも、勇者召喚で何度でも復活するが、精神が死んだ場合はどうなるか、それは誰にもわからなかった。

 

 しかし、そうやってギヨームが一瞬の躊躇を見せた時だった。また音もなく光がスーッと動いて、鳳を取り巻く銃を全て破壊してしまった。ハッと我を取り戻したギヨームが、慌ててその場にしゃがむと、光は彼のいた空間を両断するように通過していった。その動きは明らかに彼を狙ったものだった。

 

「この……光よ(ルクスシット)!」

 

 ギヨームはそれを見た瞬間、やはりもう目の前の魔王には、何を言っても通用しないと確信した。そして再度銃撃をお見舞いしようと腕を翳すと、それを阻もうとするミーティアに向かって最後通牒を突きつけた。

 

「退けっ! 退かないなら次はおまえごと撃ち抜くぞ!」

 

 しかし、ミーティアは臆すること無く、

 

「構いません! どうせ彼が死んだら、生きている意味はありません! 彼を殺すというのなら、私ごと殺しなさい!」

「脅しで言ってるつもりはないんだ!」

「だからやれって言ってるでしょう!?」

 

 ミーティアはそう言うと、もはや問答無用とばかりに、虚ろな目をした鳳に向かって駆け出し、そして彼を抱きしめるつもりで飛びついた。しかし……

 

「きゃあああーーーっっ!!」

 

 彼女の体が、鳳の纏っている光の膜に触れた瞬間、それは強烈な閃光を発して、近づいてきた彼女を弾き飛ばしてしまった。体をくの字に曲げて、十数メートルも吹き飛ばされたミーティアの額から真っ赤な鮮血が迸る。

 

 ギヨームはそれを見た瞬間、今度こそ躊躇なく腕を振り切った。

 

「打ち砕け! 魔弾の射手(フェイルノート)!!」

 

 強烈な音の暴力がまたその空間に吹き荒れて、何もかもを消し去る銃撃の嵐が鳳を襲った。二人のやり取りを見ていた仲間たちは、慌てて耳を塞いでそれに備えた。硝煙の霧が周囲に充満し、息をするのも困難な刺激臭が襲ってくる……ギヨームは滲む視界に目を細めながら、今度こそ殺ったかとその霧の中を覗き込んだ。

 

 しかし……その霧が徐々に晴れてきた時、その中心には薄っすらとまだ光が差し込んでいることに、彼は心の底から恐怖を覚えた。その全てが露わになった時、そこには依然としてぼんやり虚ろな目をした鳳が、無傷のまま宙に浮かんでいたのだ。

 

 そんな彼の周囲に、無数の光の刃が浮かんでいた。それは相変わらず音を立てなかったが、さっきまでとは打って変わって、水を通さぬような精密さで、ギヨームの退路を阻むように迫ってきている。

 

 あ、こりゃ死んだわ……彼がそう思い、諦めた時だった。

 

「鳳さん……いい加減に起きてっ!!」

 

 そんな彼の目の前に、女性の影が飛び出したかと思ったら、その光にまるで歯向かうように突進していった。そしてそれは敢え無く光に分断され、粉々に砕け散ってしまった……かのように見えた。

 

「ミーさんっっ!!」

 

 ルーシーが絶望して悲鳴を上げる。だが、ギヨームはそれを見て目を剥いた。

 

 ミーティアが飛び出した瞬間、それは翼をはためかせ、信じられない速度で飛んできた。そして光が彼女を切断しようとする、正にその瞬間、それに追いつき光をかき消してしまったのだ。

 

 たった今、死んだと思ったミーティアが、目をパチクリさせながらその場に呆然と立ち尽くしている。

 

 鳳はそんな彼女の腰の辺りにしがみつくように抱きつきながら、懇願するような弱々しい声で言った。

 

「あれ、死ぬから……普通に死ぬから……頼むから……無茶、しないでよ……」

 

 彼はそう言うなり、ズルズルと地面に突っ伏した。ミーティアは暫し呆然と立ち尽くしていたが、そんな彼の姿を見るなり、慌てて膝の上に抱き起こすと、

 

「大丈夫ですか!? どこか痛いんですか……?」

 

 鳳はそんな彼女を見上げながら、まずは自分の心配をしろよと言いたげに苦笑を漏らしつつ、返事の代わりに腹の音で答えた。

 

「腹……減った……」

 

 ぐ~……という、どこか情けない音が辺りに響いている。それが壁に反響して聞こえたような気がして、我に返った一行が周囲を見渡してみれば、いつの間にか真っ黒だった空間は消えていて、そこはどこかの狭い室内に変わっていた。

 

 一体なにが起こったのか、まるでわからなかった。ミーティアの立っているすぐ横には、見たこともないような丸い形をしたベッドがあって、そして部屋の奥には液晶モニターと冷蔵庫があり、ついでにコンドームの自販機もあったが、彼女にはそれが何かも分からなかった。

 

 とにかく分かっていることは、ようやく逢えた彼女の愛しい人が、腹を空かせてヘトヘトになっていることだけだった。彼女はその様子を呆然と見ていたアリスに向かって、何か食べ物をと慌てて叫んだ。

 


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