ラストスタリオン   作:水月一人

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土下座で頼んでみた

 ピリリと肌に張り付くような緊迫感が室内に満ちていた。鳳は地面に両手をつく土下座スタイルのまま、未だ何も言わずに彼の頭頂部をじっと見下ろしているミーティアに頭を下げ続けていた。ポタポタと、顎の先から滴り落ちる汗が不快である。

 

 と、その時、彼の視界の上の方で、すっと彼女の足が動くのが見えて、彼の体が反射的にビクッと震えた。こっちに近寄ってくるらしき彼女の顔を、恐る恐る下から見上げてみると、彼女は顔は般若でもなく、能面でもなく、呆れたというか困ったような、そんな感じのものに変わっていた。

 

「鳳さん、まずは顔を上げてください」

「はいっ! すみませんでしたっ!」

 

 鳳はようやく話しかけてくれた彼女にひれ伏すかのように、また地面に額を擦り付けた。ミーティアはそんな情けない男にため息交じりに、

 

「いえ、あの……そんなに一方的に謝られてしまうと困りますよ」

「でもその……怒ってらっしゃるかと思いまして……」

 

 鳳が様子を窺うようにちらりと上目遣いに見上げると、彼女は困った表情で、

 

「あのですねえ、そりゃ最初は腹も立ちましたが、怒りってそんなに持続するもんじゃないですよ。と言いますか、私も何に怒ればいいのかよく分かっていませんし……でも鳳さんの様子を見るからに、やっぱりルーシーとの間で……何かありましたね? 何があったんです? はっきりしてください」

 

 しまった……鳳は、実はまだしらばっくれればバレずに済んだかも知れないと知って内心舌打ちした。だが続く彼女の言葉を聞いて、そんなゲスいことを考えている場合じゃないと慌てふためくことになった。

 

「はあ~……けど考えても見れば、私たちの間に何かあるわけでもないですし、私も怒れる立場かどうかも怪しいですし、彼女は魅力的ですから……私よりもルーシーを選んだと言うのであれば、それはそれで仕方ないことだと思います……それなら私は身を引きますから、鳳さん……私たち、これで別れましょうか……」

「あわわわわ! 全然全然そんなことないですよ!? いや、選ぶ選ばないとかそれ以前に、俺はミーティアさんのことが大好きと申しますか、そんなっ、いきなり別れるなんて……ひええええ! なんとか考え直してくれませんか!?」

 

 鳳が未練がましく何とか彼女に心変わりしてくれるように懇願すると、ミーティアはそんな惨めったらしい彼の目の前でしゃがみこみ、同じ目線の高さになってじっと彼の目を覗き込みながら、両手で挟み込むようにペチンと彼のほっぺたを叩いた。そしてツンとむくれるような顔をして、

 

「嘘です。本当は、鳳さんが別れてくれって言っても、絶対別れてあげません。なんのために、ここまで追いかけてきたと思うんですか? と言うか、私たち、まだろくに付き合ってもいないのに、それなのにもう浮気だなんて……鳳さん、ひどいです」

「うっ……」

 

 鳳はそんな彼女の言葉を聞いて、胃袋の中に真っ赤に灼熱した鉄球をぶち込まれたくらい最低な気分になった。あの時は、色々と追い詰められていたこともあって、散々悩んだ結果、ついルーシーに手を出してしまったわけだが……それがどれだけ悪いことだったか、自分は分かってるつもりでちっとも分かっていなかったのだ。

 

 思い返せば、彼女は幼馴染(アントン)を一途に想って、人生を変えてしまうくらい情の深い女性なのだ。それでいて、その幼馴染にいい人が出来たら、親友のために身を引いてしまうという情け深い人でもあった。もし今、彼女が本気で別れようと言い出したら、自分にはそれを引き止める資格はないだろう。鳳はそう考えて絶望的な気分になった。

 

 そんな感じで、ズーンと沈んだ表情で固まってしまった鳳のことを見ながら、ミーティアは少し清々しつつも、ちょっと言い過ぎたかなと後悔した。考えてもみれば、ついさっきまで、彼は迷宮に閉じ込められて死にかけていたのだ。なのに、ようやく解放されたというのに、いきなりこんな風に責められたのでは可哀相だ。もしかしたら何か事情があったのかも知れない。

 

 それに、他の女に手を出したことに立腹するのは当然だが、そんなこと言い出したら、そもそも彼は既に3人も奥さんがいるのだ。アリスに手を出してしまった時のことを思えば、こっちはまだマシな方だと言えた。

 

 仕方ない……許してあげよう。ミーティアは、我ながらちょろいなとため息を吐くと、

 

「そんなこの世の終わりみたいな顔しないでください。悪いことしたって反省してるならもういいですよ」

「え! いいの!?」

「はい。ルーシーのことも、まさか遊びで手を出したんじゃないですよね?」

「そりゃもちろん! ……あ、いや……遊びじゃないですけど……本気というわけでもなくて……その……」

「はあ~……仕方ない人ですね。何があったのか、ちゃんと話を聞かせてくれませんか? ルーシーとその……致しちゃったのは、また魔王化のせいだったんですか? それとも……さっきから気になってるんですけど、あの、なんというか、不思議と言いますか、品がない言葉が何か関係しているんでしょうか?」

 

 ミーティアは液晶モニターに燦然と輝いている『絶対にセックスしないと出られない部屋』を指差している。鳳はそれを見て、あ~……と低い唸り声を漏らし、話せば長くなると前置きしてから、

 

「実は……ネウロイに到着してここの迷宮を発見したまでは良かったんだけど、これが凄い面倒くさい迷宮でね? 途中に何枚も立て看板が立てられていたんだけど、そこに書かれている指令をこなさなければ、先に進めないって仕掛けだったんだ」

「はあ……指令ってどんなんです? 腹かっさばいて腸を引きずり出せとか、親指を詰めて出汁にして飲めとか?」

「いや、そんな指令はそもそも守れませんけど……つーか、あんた、ナチュラルに邪悪な発想しますね。恐ろしい……」

 

 ミーティアは目をパチクリしながら、

 

「それじゃどんなんです? それってそんなに難しいものだったんですか? 今の鳳さんが苦戦するんだから、相当ですよね」

「えーっと、いや、指令自体はそんな難しいものじゃなかったんだよ。靴を脱げとか、荷物を置いてけとか、風呂に入れとか」

「楽勝じゃないですか」

「うん。楽勝だったから、怪しいと思いつつも、全ての指令を言われるがままにこなしてきたんだよ。そしたら、この部屋に辿り着いて……」

「はあ……え? つまり、それって?」

 

 ミーティアは暫くきょとんとしていたが、ようやくその意味を悟ると、顔を赤らめながらきょろきょろと部屋の中を見回し、例の文言の書かれたモニターを見ながら、

 

「そ……そう言えば、ルーシーが逃げていった後、部屋の扉が消えちゃいましたが、それってもしかして……」

 

 鳳は厳かに頷いた。

 

「そう。閉じ込められちゃったの。ここは……『絶対にセックスしないと出られない部屋』なんだ」

 

 なんだろう、この心の底から馬鹿馬鹿しいと思っているのに、ずしりと来る重みのある言葉は……ミーティアは、くらくらと目眩を覚えながら立ち上がると、慌ててさっきまで扉があった壁の前までやってきてベチベチと叩いた。

 

 そして数日前に鳳たちがやったみたいに、部屋のあちこちを調べながらグルっと一周して戻ってくると、その様子をじっと見守っていた鳳の目の前に、同じように正座して、

 

「私たち、閉じ込められちゃったんですか?」

「うん」

「……絶対にセックスしないと出られないんですか?」

「う、うん……多分」

「多分って……?」

 

 ミーティアは、ルーシーとやっちゃったんだから結果は知っているだろうに、どうしてはぐらかすんだろうかと首を捻ったが、すぐに鳳たちが攻略を失敗したことを思い出して、

 

「あ! もしかして鳳さん、指示に従いたくないから、それでルーシーのことをポータルで返しちゃったんですね? なんだ、それじゃ二人は、その、あれをしてないんじゃないですか?」

「あいや、しちゃったんだけどね……?」

「……しちゃったんですか? 帰れるって分かってたのに? どうして?」

「うーん……」

 

 鳳は、こんなのいくらでも誤魔化せるし、案外、誤魔化したほうが彼女にとっても精神的かも知れないと思いつつも、もはや腹芸は通じまいと観念し、ぶん殴られることも覚悟しながら、

 

「本当はすぐに帰ろうとしたんだよ。帰って事情を話して、ミーティアさんにお願いしたら、もしかしてついてきてくれるんじゃないかなと思って……」

「わ、私ですか!?」

 

 鳳はモジモジしながら、

 

「う、うん……駄目かな?」

 

 ミーティアもモジモジしながら、

 

「えーっと……駄目じゃないですけど……」

 

 二人は真正面に正座で向かい合ってお互いにモジモジしながら、

 

「でも、一度帰ったら戻ってくるのに一ヶ月くらいかかるから、出来れば戻りたくなかったんだ。それで、グズグズしてたらルーシーがしてもいいよって言うんで……抗いきれずに……」

「ルーシーからしようって言い出したんですか?」

「俺がグズグズしてたのが悪いんだよ! 彼女はここから出れるって知らなかったんだ。慌てて説明したけど、それでもいいよって言うから……それなら帰ってミーティアさんにお願いするより、そっちの方が時間効率的にいいかなって。いや、そんな言い訳してもしょうがない。ルーシー見てたらその、ムラムラしてきて……」

「……したくて、しちゃったんですか?」

「あ、はい……したくて、しちゃいました」

 

 ミーティアは、はぁぁぁ~~~……っと、今まで一番長いため息を吐いた。

 

「しょうがない人ですねえ……」

「面目次第もございません」

 

 鳳は猫みたいに背中を丸めて申し訳無さそうに項垂れている。時折、チラチラと彼女の顔を盗み見ては、またぱっと目を逸らして視線を地面に向けていた。

 

 ミーティアはそんな情けない男の姿を暫くじーっと見てから、やがて仕方ないといった感じにゆっくり立ち上がると、今度はビクリと肩を震わせて怯えている鳳の隣に並んで正座した。

 

 そして、どうしたんだろう? と戸惑っている彼の肩にちょこんと頭を乗せ……すぐに座りが悪いと言わんばかりに一度離れて、シャキッとしなさいと言わんばかりに、彼の背中をぐいと押して背筋を伸ばさせてから、また徐にその肩に頭を乗っけて、満足そうにふふんと鼻を鳴らした。

 

 ものすごく近くに彼女の顔があってドキドキする……鳳はそんな彼女の顔を横目で見ながら、

 

「あの……ミーティアさん? どうしたの……?」

「知ってます? セックスしないと、出られないんですよ? ここ……」

 

 鳳は生唾をごくりと飲み込んだ。ミーティアはそんな彼の耳に吐息が掛かるくらいの至近距離で、

 

「さっき、一度帰って私をここに連れてこようとしてたって、言いましたよね?」

「は、はい」

「私とここで……する、つもりだったんですか?」

「は、はい」

 

 彼女の息がかかる度に耳が溶けそうになった。さっきから既に下半身は天元突破しており、ズボンを突き破りそうなくらい膨張していた。鳳は興奮を隠すために鼻息を聞かれないように口で息をし始めたが、やっぱり口臭が気になって、鼻をヒクヒクさせながら必死に呼吸を整えようとした。しかし、そんなの無駄だと言わんばかりに心臓がドクンドクンと跳ね上がっている。

 

 ところが、そんな彼の期待を叩き潰すかのように、彼女は妖艶な笑みを浮かべて、

 

「他の女としていたくせに……?」

「うっ……」

 

 鳳は今度は別の意味でドキッと心臓が跳ね上がった。大量の冷や汗がダラダラと流れ落ちてきて目が痛かった。彼は乾きを潤すかのように、またごくりと唾を飲み込むと、

 

「す、すみません。でも本当にあの、彼女とのことは遊びのつもりはないけれど……本気ってわけでもなくて、本当に本気なのは……ああ、いや、アリスやクレアのことも大事なんですけど……そう! 俺が一番好きなのはミーティアさんです! ミーティアさんが一番です!」

 

 鳳は恐らく最低なことを口走っているという自覚があったが、しかし最低でも何でも本心なんだから仕方ないじゃないかと、半ば投げやりな気持ちでそう叫んだ。

 

 彼は、女性に追い詰められるとここまで余裕がなくなるものなんだと痛感しながら、ビンタされるのも仕方ないと言った感じに、ギュッと目をつぶって彼女の返事を待った。

 

 しかし……やってきたのはビンタじゃなくて、両手で優しく頬を包み込む彼女の腕と、唇に触れる柔らかな感触だった。

 

 目を開けると、ほんのちょっと赤く潤んだ瞳がそこにあった。ミーティアは、少し鼻にかかった声で、

 

「これが私のファーストキス。鳳さんは、もう他の人にあげちゃったんですよね?」

「す……すみません」

「仕方ない人ですね。それじゃ初めての代わりに、一番をください。私も、鳳さんのことが、一番大好きですよ?」

 

 そう言って彼女はまたついばむようなキスをした。

 

「私の初めてを全部あげるから、だから、鳳さんの一番をいっぱいくださいね?」

 

 その言葉は、鳳の理性をすべて吹き飛ばすには、十分な力を秘めていた。彼はもはや理性を失くした野獣と化し、ひたすら彼女を求めることしか考えられなくなった。

 


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