ラストスタリオン   作:水月一人

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レオナルドの迷宮

『300年前。私たちは帝都に現れたジャバウォックに辛うじて勝利した。300年前に現れた魔王は異様に強く、攻撃方法も多彩で手のつけようがなかった。それもそのはず、すでに知っていると思うが、その魔王の正体は魔王化した真祖ソフィアだったからだが……実を言うとその力の源は、もっと別のところにあったんだ。それがなんであったのかは順を追って話すが、私たちはそんな強力な魔王を、精霊たちの力を借りて辛うじて倒した。だが勝利を喜んだのも束の間、君は溢れる自分自身の力に飲まれて、魔王化の影響を受け始めたんだ』

 

 魔王に勝利した勇者は、現在の鳳のように理性を欠きはじめた。性欲が異常に強くなり、常に暴力衝動に苛まれ、力の制御が利かなくなる。しかし、立て看板に言わせれば、300年前の彼は、今の鳳とは違って一人で解決しようとはせず、すぐに仲間たちに事情を話して解決策を探りはじめたようだ。

 

 それは聞いていた話とは違って、鳳を困惑させたが……ともあれ、勇者を助けるべく仲間たちは動き出したようである。

 

 魔王化の命令は高次元の方向からやってくるわけだから、レオナルドは現代魔法を駆使して、その高次元からの攻撃を阻止する方法を見つけようとした。アイザックは帝国の科学者たちと協力して『神の揺り籠』を解析し、そしてアマデウスは大規模な調査隊を率いて、勇者とともにネウロイにやってきた。

 

 その頃のネウロイも今と同じように魔王討伐後で魔物が少なかった。だから調査隊によってかなり詳細な調査が行われたのだが、それでも魔王化に関する手掛かりは何も見つからなかった。それで調査隊は諦めて一時撤退することになったのだが……

 

 長期間、魔王化の影響を受け続けていた勇者はその時にはもう大分追い詰められているようだった。力の制御が出来ずに怒りっぽくなり、仲間以外の言うことは殆ど聞かなくなった。セックスをして発散することを覚えたのはこの頃だったが、それに気づいた時にはもう手遅れだった。

 

 勇者は帝国に充てがわれた娼婦を次々と獣のように抱いてはそれに飽き足らず、何も知らない神人女性たちをも毒牙にかけはじめた。その行いは正に手当り次第といった感じで、恩人である勇者の不祥事をいくら帝国が隠そうとしても隠せない程だった。神人はすべて貴族であり、プライドを傷つけられた男性が勇者に対する憎しみを募らせていく……

 

 次第に追い詰められていった勇者パーティーと後の皇帝エミリアは、もはや手のつけようが無くなってしまった勇者の処遇を話し合った。このまま彼を庇い立てして、彼が魔王になるのを待つか……それとも、真祖ソフィアみたいに封印するか。

 

 苦渋の決断を迫られる仲間たちであったが、しかし、それは杞憂に終わった。

 

『神による刈り取りが始まったからだ』

「……刈り取り?」

『そうだ。それはゆっくりと、着実に進行していた』

 

 アマデウスによれば、勇者の魔王化と並行して、世界中で神隠し現象が相次いで報告されていたらしい。彼らは当初、それが魔王化により暴力衝動に耐えきれなくなった勇者が、密かに人々を殺して回っているんじゃないかと疑っていた。被害は帝国のみならず勇者領も含めて広範囲に広がっていたが、そんなことが出来るのはポータルが使える勇者しかいなかったからだ。

 

 だが、それにしても数が多すぎる。勇者は常に監視されてもいたから、その監視の目をかいくぐってそんなことをしていたら、流石にわかるんじゃないか? それでおかしいと思っていた時、魔王化を調べていたアイザックがその原因を突き止めたのだ。

 

『魔王化の命令がやってくるのは高次元方向からだろう? そっちに何があるんだろうかと探求していた彼は、実はこの世界が、高次元世界の何者かに作れられた実験場だと言うことに気がついたんだ』

 

 その真実はドキリとするような重みがあった。隣にいるミーティアなんかは、その衝撃に言葉も出なくなって固まっているようだった。だが、鳳はなんとなくその可能性もあると考えていたため、意外と冷静にそれを受け入れていた。何しろそれよりももっと気になることがある。

 

「その、何者かってのは……」

『君は魔王化がどうして起きているか知っているか?』

 

 何故、そんなことを改めて問うのだろうか。鳳は少し戸惑いながらも、

 

「……確か、怒りの化身(ラクシャーサ)となった人間が、ひたすら最強の力を求めるために、かつてリュカオンを作り出した機械を改造して、人工進化を始めたのが発端じゃなかったか。ラシャは殺すことによって自分より優れた者の形質を奪い、女を犯して複製を作る。そうして強い個体が次々と生まれていき、その中で最強の者が魔王となる。そして魔王となったものは理性を失い、すべてを食らい尽くす化け物になる。俺もそうなるように、機械が余計な理性を奪ってるんだと思っていたが……」

『そうだ。その認識で正しい。人間はそんな風に人工進化する生命体になっていった。だが、それはこの世界で起きていることではなくて、実は私たちより上の世界。高次元世界で起きている出来事だったんだ』

「……どういうことだ?」

『実は魔王化には二種類が存在していたんだ。一つは君の言うラシャの蠱毒という自然選択。そしてもう一つは、神による予定された進化(インテリジェントデザイン)だ』

 

 鳳は、彼が何を言ってるのかいまいち理解しきれなかった。立て看板もそう感じたのだろうか、それまでよりも少しゆっくりとしたペースで話を続けた。

 

『ここから先は、私たちが住んでいるこの世界より高次元にも、私たちとそっくりな宇宙が存在し、そこに地球があると考えて話を聞いて欲しい。その高次元世界の地球でも、ある時、AIによるシンギュラリティが起こり、第5粒子エネルギーが発見され、リュカオンが誕生した。そしてそのリュカオンが反乱を起こし、超人が誕生し、最後にラシャによって地球は奪われてしまった。

 

 この時、超人たちはまだラシャを排除するだけの力を持っていたが、あまりにも理性的になりすぎた彼らは、化け物に成り果てたとはいえ同じ人間であるラシャを滅ぼす気になれなかった。そして彼らはラシャに地上を明け渡し、肉体を捨てて長い眠りについた。

 

 しかし話はまだ終わらなかった。そうして地上に満ちたラシャ、つまり魔族は、絶滅すると思われた当初の予想を覆し、それから数千年に渡って繁栄し続けたんだ。その間、魔族は自らの力で進化し続け、何度も魔王が誕生し、滅びる寸前まで行っても生き残り、そしてついに、その力は超人すら超えてしまった。

 

 ところで、魔族は怒りの化身である故に、人類を駆逐するまで止まらない。だからある時、魔族は量子化された神人をも取り込もうとしはじめた。量子化とはただのデータだ。ただのデータを肉体に取り込むなんて、そんなこと生物に出来るわけがないだろうに、それが出来てしまうくらい、魔族は進化しすぎてしまったんだ。

 

 この期に及んでようやく超人たちは魔族を敵と見なし、地球の覇権を賭けて戦いはじめた。

 

 しかし、彼らの力はDAVIDシステムに完全に依存しており、生物としての進化はこれ以上期待出来なかった。ところが魔族はこれを凌駕しつつあり、魔族単体ならまだしも、魔王相手には全く歯が立たなくなってしまっていた。

 

 そこでDAVIDシステムは、そんな神人(・・)たちでも、次々と生まれてくる魔王と戦える方法を編み出さなければならなくなった』

 

 高次元世界……神が住むという上の世界で、ここと全く同じことが起きている? 鳳はなんだか嫌な予感がした。立て看板……アマデウスは淡々と続けた。

 

『その方法というのは、彼らの住む世界よりも低次元の空間に宇宙を作り、そこに生まれた知的生命体に、地球と全く同じ進化を遂げさせ、同じ敵と戦う世界を大量に作り出すことだった。

 

 次元の違う二つの世界は時間の流れも違うから、進化もあっという間だ。そして然るべき時に、現在自分たちが戦っている魔王の情報(・・)を送信し、300年前のソフィアみたいに、たまたまその核となった哀れな生命体の理性を奪って人類と敵対させた。

 

 その世界が首尾よく魔王を倒せたら良し。仮に倒せなくても、滅びるのは自分たちの世界じゃないんだから問題ない。そして無限にある低次元世界の中から、条件を満たした世界が出現したら、その世界の情報(・・)を根こそぎ奪う。そうやって、神人達に魔王を倒す手段を与えたんだ』

 

 鳳はゴクリとつばを飲み込んだ。

 

「じ、じゃあ、300年前に世界中で起きていた神隠し現象ってのは……」

『300年前、高次元世界のDAVIDシステム、即ち神から送られてきた情報により、真祖ソフィアは魔王に変えられた。そしてその魔王を君が倒したことで、神による刈り取りが始まったんだ。神はこの世界のあらゆる生物を、情報(・・)に変換することが出来る。アイザックに言わせれば、情報というのはそれそのものがエネルギーでもあるから、魔王を倒した君という情報をそっくりそのまま取得すれば、高次元世界の魔王を倒すエネルギーになる。神はそうやって、神人に力を与えていたらしい』

「ち、ちょっと待て。それなら、どうして神隠しなんてことが起きるんだ? 関係ない一般人まで根こそぎ奪ってなんになる? 神は勇者一人の情報さえ手に入れればそれでいいわけだろう?」

『理屈ではそうだ。だが、神は言うほど器用ではないんだよ。高次元世界の存在にとって、低次元世界の人間というものは、ただの無機質なデータに過ぎず区別がつかない。例えるなら、蟻塚の中から一匹の蟻を選別するようなものなんだ。だから神は最初から、この世界に住むすべての人間という情報を刈り尽くそうとする。そうやってすべてを刈り取ってしまえば、必ず君という情報が入っているから』

「そんな、無茶苦茶だ! それじゃこの世界は滅びてしまうじゃないか!」

『そうだ。魔王を倒そうが倒すまいが、滅びるように出来ている。最初から、世界はそういう風に作られていたんだよ』

 

 それはあまりにも身勝手な真実だった。この世界は、初めから自分たちとは全く関係のない別の世界を生かすためだけに存在し、そのために滅びるように出来ていたというのだ。

 

 それじゃ鳳がこの世界に呼び出されたことも、魔王と戦ったことも、そしてその魔王を倒したことも、何もかもが無駄だったというわけだ。寧ろ終わりを早めただけで、ここで出会ったたくさんの仲間達も、今隣りにいる大切な人も、いずれ全てがいなくなる。

 

 そんなことが受け入れられるだろうか? いや……鳳は首を振った。

 

「いや、待て。それが事実なら、この世界は300年前に、とっくに滅びてなきゃおかしいんじゃないか? 本当にそんなことが起きたのか?」

『君の言いたいことはわかるが、残念ながら刈り取りが起きたのは事実だ。ようやく魔王を倒した私たちは、今度は滅びゆく世界に対処しなければならなくなった。頼みの綱の勇者は溢れ出す自分の力に飲まれ、魔王化の影響で精細を欠いている。恐らく、このままではろくな結果にならないだろう。300年前、だから私たちは決断しなければならなかった』

「決断……?」

 

 それから暫くの間、看板は文字が書き換わらなかった。それはその機能が壊れてしまったとかそういう理由ではなく、看板……つまりアマデウスの精神自身も、あまり言いたくない事実だったからだろう。

 

『どうせ勇者はもう助からない。だから、私たちは彼を犠牲にして世界を救うことにしたんだ。さっき君が指摘した通り、神は魔王を倒したという情報だけを欲している。だから君一人さえ刈り取ることが出来ればそれで終わるはずだ』

「そんな方法が? 一体どうやって……」

『神による刈り取りは、この世界に向かって無差別に行われている。つまり、この世界にいる限り、人間は刈り取りから逃れられない。だから私たちは、ここと同一の世界を作り、そっちへ人類を移住させることにしたんだ』

「は……?」

 

 何を言ってるんだ? この看板は……鳳はあまりの事の大きさに、理解が追いつかず声を失った。おとぎ話にしたって度が過ぎている。この期に及んで、まだ謀られてるんじゃないか? と疑いもした。だが、その後に看板が続けた話に、何もかもが腑に落ちていった。

 

 思えば、神が世界を作ったと言っても、それは高次元世界にいるAI……人工物だったのだ。同じ人間が作ったものなら、この世界の住人が作り出すことも出来るはずだし、そしてそんな能力を持っている人物なら、すでに心当たりがあった。

 

『レオナルドは私たちの総意を受け取ると、幻想具現化を用いてこの世界を創造した。彼がミトラ神より授かったカウモーダキーは、そのための媒介となった。彼は世界を創造した後、迷宮と化し、今の私と同じような思念体となった。彼が300年間生き続けているのも、記憶が曖昧なのも、つまりはそういうことだ。この世界は、レオナルドの迷宮の中にあるんだ』

 

 鳳の脳裏に、レオナルドと過ごした日々が走馬灯のように駆け巡った。大君と呼ばれながらも、それ程強い力を持ち合わせておらず、戦闘では殆ど役に立たなかった。豊富な知識を持ちながら、肝心なところでどこか記憶が曖昧だったり、勇者パーティーの一員だったと言いながら、鳳のことをまったく覚えていなかった。

 

 それは300年も生きたせいでボケてしまったのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。彼はこの世界を作る代償として、大半の能力を失っていたのだ。この世界を救うために、彼は自分の命を犠牲にしたのだ。

 

 ……いや、犠牲になったのは彼だけではない。

 

『こうして私たちは勇者を置き去りにして、新たな世界へ緊急避難することになった。私たちは、魔王からこの世界を救ったはずの勇者を犠牲にして、自分たちだけが助かろうとしたのだ。

 

 それは紛れもない敗北だったろう。300年前。私たちは失うばかりで、何一つ得られたものはなかったのだ。そしてそれは高次元からの理不尽な攻撃が元凶だった。

 

 だから残された私たちは誓ったんだ。奪われたものは取り返さねばならない。勇者、レオナルド、そして何より私たち人類の尊厳を取り戻すために……私たちはその日、神に挑むと決めたんだ』

 


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