ラストスタリオン   作:水月一人

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オルフェウスの竪琴

 300年前、神の刈り取りによって一度この世界は滅びかけたが、勇者ただ一人を犠牲にすることでそれを回避した。これによってレオナルドは本来の力の大半を失い、そして勇者は存在そのものを消されてしまった。こうして世界は救われたかに思われたが……しかし、アマデウスによると、話はそれで終わりではなかったらしい。

 

『君たちの犠牲によって世界は救われたように見えたが、それは始まりに過ぎなかった。君も知っての通り、魔王討伐後に待っていたのは戦争の時代だった。帝国は分断され、勇者領の支援を受けたヘルメスとの間で300年にも及ぶ戦争が続けられた。何故こんなことが起きたのか。それは勇者の浮気が原因だったとか、帝国の陰謀だったとか、人によって様々な理由がつけられていて、実ははっきりとしない。それもそのはず、理由なんて初めから存在しなかったんだ。

 

 私には詳しいことはわからないのだが、この世界は情報によって成り立っているらしい。その世界から勇者という情報が消えたことで、この世界全体に影響が出ていたんだ。例えば、勇者は存在自体が消滅したんだから、その子供たちは全て父親が存在しないことになる。これは大変な矛盾だ。だから世界は矛盾を無くすために、整合性のある物語を必要としたんだ』

 

 それはあたかも、米国人が911の間違った記憶を覚えているように、世界は勇者の不在を嘘の記憶に置き換えてしまった。世界は勇者によって救われたわけだから、勇者がいたという事実は残っているが、その勇者そのものの情報がないため、全てが嘘に塗り替えられる。例えば、勇者は世界を救ったあと天狗になって横暴になり、女を食い物にして帝国を混乱に陥れた挙げ句、何者かの手によって始末された。その何者かが、時には帝国のせいになったり、勇者領の陰謀になったりして、人々は分断された。

 

 勇者の子供たちはもっと悲惨だった。彼らは父親が存在しないために、存在そのものが世界から否定された……故に不幸な事故で死んだり、殺されたりすることが多かった。生き残った者はごく僅かで、今となっては彼の血は殆ど途絶えてしまった。

 

「それじゃあ、300年前の勇者の子供が殺されたのは、彼らに魔王化の兆候があったからじゃなかったのか?」

『理由がないと人は動かないから、そう言う理由をつけて殺されていただけであって、元を正せば神の刈り取りのせいだ』

「勇者の子供がみんな神人だったってのは?」

『それも間違いだ。君の子供は人間だった。ただ、君自身がそうであるように、君の遺伝子を受け継いだ子供たちは、人間でありながら古代呪文が使えた。君の子供なんだから、当たり前だろう。それ以外は、どこにでもいる普通の子供たちだった。なのに』

 

 看板はまるで悔しさを表しているかのように、暫く文字が変わることがなかったが、やがて、何かを吹っ切るように続けた。

 

『世界を救ったはずの勇者の子供が、まるで悪魔のように扱われ殺されたことに、私たちは憤った。しかし、怒ったところで、私たちに出来ることは何もなかった。例えるなら、それは世界の修正力であり、一介の人間にどうこう出来るような代物じゃなかったんだ。

 

 もし出来るとしたら、それは神と同等の力を有したレオナルドくらいのものだが、彼は世界を創造した後遺症で、極めてぼんやりとした存在に成り下がってしまった。同じく真祖ソフィアも、魔王になったり、勇者に記憶を封印されたりで、完全に子供返りしてしまっていた。

 

 そして真祖不在の帝都で新しい皇帝エミリアが即位した時、彼女は私たちと共にこの世界を救ったコアメンバーであったにも関わらず、勇者は魔王化が始まったために始末されたというシナリオを信じ込んでしまっていた。そして恋人であったスカーサハも、彼女は自分が勇者に弄ばれて捨てられたと思い込んでいたようだ。君たちはとても仲睦まじかったというのに、彼女はそれをいい思い出として封印してしまった。

 

 あらゆる犠牲を払い、訪れたのは平和どころか戦争の世界だった。人々は記憶を取り戻すことが出来ず、勇者を悪者にしてそれに正当性を与えている。このままでは、アイザックも私も、いずれ彼らのように記憶を失うだろう。そしてここがレオナルドの迷宮であることも忘れて戦争に明け暮れてしまうに違いない。

 

 そんなことが許されていいのか?

 

 否! 断じて否だ! 私たち二人は、例え悪魔に魂を売ってでも私たちの仲間を奪った神に復讐してやろうと心に誓い、そして、実際に悪魔と契約することにした』

「悪魔と契約……? それは、比喩表現的な意味で?」

『いや、違う。悪魔は存在する。君もそのうち会うだろう。詳しいことはその時彼らに聞けばいい。とにかく、私たちは悪魔と契約したんだ。尤も、魂までは売っていないがね』

 

 看板は少し感情的にそう書き連ねると、また暫く沈黙した。心なしか、背後で鳴り響いているきらきら星の旋律も荒んでいるような気がした。

 

『悪魔とは神の敵対者のことだ。彼らは神に復讐するという私たちに、手を貸してくれると言った。だが、そのためには、勇者の力が必要だと言うんだ。私たちは渋った。それじゃまた何も知らない君を犠牲にするようなものではないか。

 

 だが、そうも言ってられない事情があった。レオの作ったこの世界は永遠ではない。いつか必ず限界は訪れる。その時、元の世界に戻った私たちを神が発見したら、ここがまた実験に足る世界と見なして魔王化情報を送ってくるだろう。それを阻止しようとしても、私たちにはもう切り札がないのだ。

 

 だから私たちは、また新たに君を呼び出すことにしたんだ。300年前の君の記憶は失われてしまったけれど、元となったゲームのデータは残っていた。それを利用すれば、まだ私たちに出会う前の君ならば、何度でも復活が可能だ。そうして蘇ったのが君だ。

 

 もちろん、失われた勇者を復活させたのは、私たちのエゴに過ぎない。私たちは、神によって理不尽に命を奪われた君を助けたかっただけだった。だから、君が普通に暮らしていきたいのであればそれでいいと思った。

 

 だが、もし君が力を欲したら、昔の力を与えてくれるように悪魔に願った。ケーリュケイオンはそうして起動した』

 

 それはあの峡谷の迷宮でピサロに追い詰められた時のことだろう。確かにあの時、鳳は仲間を助けるために、ヘルメスに力を求めた。そして今思い返せば、あれが端緒となって、後の魔王化が始まったのだ。もしあの時、みんなを見捨てていれば、自分は今こうして魔王化に苦しむことは無かっただろう。

 

 だが、もちろん、そんなことは全くこれっぽっちも後悔していなかった。ヘルメスは、力を得れば代償を求められることを暗に示していたはずだ。自分もそう思っていたし、それを受け入れるつもりでいた。ただそれだけのことだ。

 

『そして君が力を取り戻せば、魔王化が始まるのは必然だった。だから私たちはその時のために、それを阻止する方法を考えていた。アイザックは死して迷宮となり、そこに新たな神の揺り籠を遺した。これは元々あった帝都の神の揺り籠からの影響を薄め、君に新たな力を授けるためだった。

 

 君はそれによって、仲間に自分の力を分け与えることが出来るようになったはずだ。この機能を使えば、際限なく増え続ける君の力を分散し、効率よく使いこなすことが出来るだろう。君が、共有経験値と呼んでいるものだ』

「あれは、峡谷の迷宮の影響だったのか? どうして俺だけがこんな力を持ってるんだろうと思っていたけど……」

『君は放っておけば際限なく力が増幅し続ける。それは高次元からやってくる魔王を倒すまで続く。そんな力をただの人間の体で受け続けては、精神が持たないのは当然だろう』

「際限なく力が湧くって……? そんなの初耳だ。そういや、どうして俺やジャンヌは、最初からやけに強い力を持っていたんだ。考えても見れば、それがゲームの中の力を再現しているからなんて理由じゃ説明がつかないじゃないか」

『帝都にある神の揺り籠で、そう作られたからだ』

「それなら他の神人たちだって同じだろう? なのに、なんで俺たちだけ……」

『それは神人を作ったのはソフィアだが、君を作ったのがエミリアだからだ』

「……エミリア? それはどういう意味だ?」

『その理由もすぐに判明するだろう。今は取り敢えず、力を分散すれば、君は理性を保っていられると考えればそれでいい』

「……そうかい。じゃあ、このアホみたいに溜まりに溜まった共有経験値は、仲間に分け与えても良かったのか?」

『そうだ。寧ろそうした方が良い。そうすれば、君は殺人衝動に駆られたり、女性を襲ったりせずに済む』

「マジかよ……」

 

 鳳は盛大な溜息を吐いた。いつの頃からか、何もしていないのに増え続けていく経験値に戸惑い、力を使わないようコントロールしていたつもりが、それは逆に使ったほうが良い力だったというのだ。寧ろそうして力を溜め込んだ結果が、あの最悪の殺人やレイプだったのだと思うと、自分がどこまでも馬鹿に思えてきて、ため息しか出なかった。

 

『オークキングという個体は、単体ではそこまで強い魔王とは呼べなかっただろう。だが、群れ全体を一つの魔王として捕らえれば、それは想像以上の力となる。君も同じように、共有経験値を仲間に分け与えることで分散すれば、その核となる君自身の力は失われるかも知れないが、全体としての総力は変わらない。そうやって、君自身が力に溺れないようにコントロールすればいいんだ』

「はあ……なるほどな。種を明かしてみれば、簡単なことだったんだな」

『セックスすることで緩和したのも、君の子供に力を分け与えると考えれば同じ事だ』

 

 その結果殺されたのでは、子供たちにしてみれば堪ったものじゃないだろうが……300年前の自分は力に溺れて、そんな不幸な子供たちを大勢作ってしまったのだ。もう二度と、そんなのは御免だ。

 

『神から送られてくる情報は別としても、性衝動や殺人衝動のような魔王化の影響は地球が存在する限り続く。これは、そこにあるラシャ製造機が諸悪の根源だからだ。今後、どうにかしてこれを止めない限りは、君は力を制御し続けなければならないだろう』

「そうかい。それで、地球はどこにあるんだ?」

『それは、どこかにあるとしか言えない。私にはわからないんだ。申し訳ないが、それは自分でなんとかしてくれ。ただ、高次元方向、即ち神から送られてくる魔王化情報であったら遮断することが出来る。私の看板の横に、竪琴が置かれてあるだろう?』

 

 それはこの部屋に入ってきた時から気づいていた。ピアノの音が鳴り響くホールの中で、何の音も奏でていない竪琴は異質だった。これは何のためにここにあるのだろうと思っていたら、

 

『これは精霊オルフェウスから授かったものだ。名前は無いが、君の持つケーリュケイオンや、レオのカウモーダキーと同じく、福音(ゴスペル)と呼ばれる神の兵器の一つだ』

「神の兵器……? そう言えば、ルーシーがそんなことを言ってたな」

『私はこれを300年掛けて改良し、神の攻撃を弾く盾に変えた。この竪琴を奏でれば、空間は固定され、高次元からの介入を防ぐ共振魔法が発動するようになっている。もし今後、君や誰かに魔王化の兆候が起きたり、万が一、刈り取りが起こった場合は、これを使って防ぐといい。ただ、これは防ぐことは出来ても止めることは出来ないから、根本的な解決を求めるなら、他の方法を見つけなければならないだろう』

「そうか……」

 

 もしも魔王化の情報が送られてきた場合、これを使って防いでいれば、いずれその対象が自分以外の者に変わるかも知れないということだろう。でもそれじゃ結局、魔王はどこかに誕生してしまうだろうから、根本的な解決にはならない。まあ、まだ起きてもいないことを憂えていてもしょうがないのであるが……

 

 鳳がそんなことを考えていると、

 

『ところで、君の杖(ケーリュケイオン)はどうしたんだ? 見当たらないが』

「それなら、レオナルドの爺さんのところに預けてあるよ。魔王化を防ぐ、何かいい方法がないかと思って、調べて貰ってたんだ」

『そうか。あれは大切にしたほうがいい。あれは高次元存在が奇跡を行使するために作り出した兵器だが、使い方しだいではそれ以上の力を引き出すことも出来るだろう。例えば、あれは何でも吸い込む杖だが、吸い込むものは何も物質である必要はない。例えば人の記憶や、MPなんかも蓄えることが出来る。君はいつもMPに苦労していただろう?』

「ああ、そうだけど……そうか! 自分のMPを杖に吸い込んでおけば、必要な時に取り出せるってことか?」

『そういうことだ。MPに違いはないから、それは君のMPに限らず、他人のMPであっても構わない。この世界にはMPを必要としない人間はいくらでもいるから、そういう人達から分けてもらえば、君は無尽蔵のMP貯蔵庫を手に入れたことになる』

 

 そんな使い方があったとは……鳳は感嘆のため息を吐いた。もしそれを知っていれば、ここへ飛んでくる日数も、もっと短縮できたはずだ。ぶっちゃけ、風除けさえなんとかなるなら、1日で到着することだって可能だったろう。

 

 杖がソフィアの記憶を封印していた時点で気づけば良かったのだが、どうも不幸に見舞われすぎていたせいか、自分に都合のいい使い方は全く思いつきもしなかったようだ。

 

 ともあれ、こうして使い方がわかったのだから、今後は利用しない手はない。ここから出たら早速ヴィンチ村に寄って、杖を回収し、ついでにみんなからMPを分けてもらおう。鳳はそんなことを決意しつつ、オルフェウスの竪琴を手にして、

 

「……ところで、これを手に入れたところで、これから俺はどうすればいいんだ? もしもあんたに願いがあるなら、俺に出来ることならするけども」

『君は君の好きにすればいい。竪琴を使って天寿を全うするも良し。ただ、恐らくこれから私たちと契約した悪魔が接触してくるだろうから、出来ることなら彼らと協力して神を倒して欲しい。それが私の願いだ』

 

 鳳は複雑な表情でオウム返しに問いかけた。

 

「神を倒す……か。でも、本当にそんなことが出来るのか? 神は、俺たちとは文字通り次元が違う存在なんだろう? 触れることも出来ない相手と、どうやって戦えばいいんだ」

『詳しいことは私にも分からない。だから、彼らに聞けばいいだろう。彼らもまた、高次元の存在だからだ』

「……悪魔ね」

 

 それは信じてもいい存在なのだろうか? それは分からないけれども、彼らに魂を売ってでも神に挑もうとしたアマデウスたちの気持ちは良く分かった。だがそれを自分が受け継ぐかどうか、鳳の心は殆ど傾きかけていたが、まだ決め手に欠けているような気がした。

 

 なにかあと一つでも切っ掛けがあれば……それには、この看板の言う通り、悪魔と接触するのが一番の近道なのだろうか。鳳がそんなことを考えていると、看板は最後の言葉を続けた。

 

『さて、私はもう限界だ。君には悪いが、そろそろ休ませてもらうとしよう。300年も意識を保つなんて、普通に考えたらありえないことだ。ありえないから、私はこんな、ただの文字だけに成り果ててしまったんだがね』

「……あんた、消えるのか?」

『いいや、レオに言わせれば、私たちは宇宙の果てにある情報だそうだから、この世界が滅びない限り消えはしない。ただ、この迷宮は直に消えるだろう。私の目的は成就したから』

「そうか……」

『まだ意識のあるうちに、君と会えて良かった。レオによろしく伝えてくれ』

「ああ、わかった。他には? なにかないか?」

『ない。レオは偉大だ』

 

 看板は、そう呟くように最後の文字を表示すると、まるで初めからそこに何も無かったかのように、サラサラと砂のように崩れて消えてしまった。思えばこの一ヶ月、散々苦しめられた奴だったが、最後は呆気ないものだった。

 

 鳳たちは暫くの間、その何も無くなってしまった舞台の上を眺めていたが、やがてどちらからともなく踵を返すと、名残を惜しむようにゆっくり歩き出した。

 

 舞台の上からは、まだピアノの旋律が聞こえてくる。それはまるで子供たちが遊んでいるかのように軽やかで、それを聞く者たちの心をもまた軽くした。鳳はその音色を忘れないよう、目に焼き付けるように、胸の内に刻みつけた。

 


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