キラキラ星の流れるホールから出ると、さっき通ってきたばかりの通路はどこにも無くなっており、無機質な黒で覆われた不思議な空間に繋がっていた。それは鳳がオークキングになってしまった、あのアストラル界に似ていて、壁も床も天井も光を反射せず、ただひたすら黒いままだったが、そこを通り抜ける二人は不思議とどちらへ進めばいいか理解していた。まるで母親の胎内を這い出る赤子のような気分だった。
彼らが何となく進むべき方向へ進んでいくと、やがてその先から光が差してきた。近づいていくと段々それは大きくなり、やがて扉の形をしているのが分かってきた。ようやく外に出られると言う安心感と、また騙されてるんじゃないかという、不安が入り混じった気持ちで、最後の扉をくぐり抜けると、そこは鳳とルーシーが最初に入ったあの赤絨毯の部屋だった。
部屋の中央には相変わらず看板が立っていたが、正面に回ってみてもそこには何も書かれていなかった。部屋の奥には、さっき自分たちが潜り抜けてきた扉がそのまま残っていたが、そこから中を覗き込んでも先は何も見通せず、もうそこには何もないようだった。
アマデウスは休むと言っていた。それは休止するという意味か、それとも死を意味するものなのか。散々苦労したくせに、今はこの迷宮が時間とともに朽ち果ててしまうかも知れないことが、ひどく残念なもののように思えた。また、あのきらきら星を聞いてみたいと、そう思った。
とは言え、余韻に浸っている場合ではない。外との体感時間が変わらないのであれば、二人が迷宮に閉じ込められてから1ヶ月は経過しているはずである。その間、仲間たちはずっと外で待っていたのだとしたら、とんでもない苦労をしているはずだ。彼らには鳳たちとは違って、柔らかいベッドも、いくらでも食材が手に入る冷蔵庫があるわけではないのだ。すぐにでも報せてやらねば……
そう思って二人が迷宮から外に出ると、入口のすぐ脇に、小さな影が横たわっているのが見えた。近づいてみれば、それはアリスだった。いつも折り目正しいエプロンドレスはすっかり薄汚れ、心なしかやつれているようにも見える。
「アリスさん。アリスさん……?」
まさか死んでるわけじゃないだろうが……ミーティアが恐る恐る声を掛けると、彼女は最初は何の反応も返さなかったが、暫くしてピクッと表情筋が震えたかと思うと、ぱっちりと目を開けて辺りをキョロキョロと見回し、
「……奥様! ご主人様ぁ~!」
そこに鳳たちの姿を見つけるやいなや、涙腺からボロボロと涙を吹き出しながら、二人に向かって飛びついてきた。鳳たちはそんなアリスを抱きとめると、泣きじゃくる彼女の小さな背中をポンポンと叩いて、
「ほら、もう、アリスさん。もう泣かないで」
「お二人がいつまで経っても出てこないから、死んじゃったのかと思いました……」
「私たちは二人とも元気ですよ。大分、心配を掛けてしまったみたいですね。もう一人にはしませんから、安心してください。ごめんなさいね」
「いいえ! 頭を上げてください。奥様がご無事であっただけで、私は幸福です。お二人がいなくなった時を思えば、これくらいなんてことありませんよ」
ミーティアとアリスがそうして再会を喜び合っていると、そんな騒ぎを聞きつけて、お城の跳ね橋を渡ってギヨーム達がやってきた。ルーシーがミーティアを見つけるなり、嬉しそうに駆けてくる。マニとギヨームは特に慌てることもなく、並んでゆっくり歩いてくるのを見ると、彼らの方はアリスと違ってちっとも心配していなかった様子だ。
そんなギヨームはのんびり鳳の前までやってくると、盛大にため息を吐いて天を仰ぎ、いかにもうんざりしたと言った感じで肩を竦めて、
「やっと出てきたか。遅えよ」
「悪いな。大分待たせちゃったみたいで」
「ったく、中の様子が分からねえから、こっちは待つしか無かったけどよ。場所が場所だけにメシの確保に苦労したんだぜ」
地上と隔絶された場所だから、生態系がガラパゴス化していて、最初は何を食べていいのか分からなかったらしく難儀していたようだ。最終的には迷宮の近くにあった湖から流れる渓流で魚を釣って食べていたらしいが、こんな断崖絶壁に囲まれた場所だと言うのに、一体どうやって上がってくるのか不思議だったそうだ。意外と漁獲量も豊富らしい。
その他にも色々と工夫をして、食べられるものを見つけていって、今では三食苦労なく食べられるようになっているそうだ。迷宮ではメシには困らなかったが、こっちに居たほうが面白そうだったなと、鳳が内心羨ましがっていると、
「ところで、おまえら中で何やってたんだよ? ルーシーの奴に聞いても、あいつ何も知らないの一点張りなんだ。そんなことありえねえのによ」
どうやらルーシーにも最後の良心は残っていたようである。まあ、もしも喋っていたら、今頃ミーティアに殺されているだろうから、当然といっちゃ当然なのだが……鳳がホッとした表情を浮かべていると、
「なんだよ。そんなに言いにくいことなのか?」
「べべべ、別にそんなやましいことないですよ!?」
「じゃあ言えよ、俺らは外で散々苦労していたっつーのに。言えねえってのかよ?」
「いやあ、それは……話したところで特に面白いことでも無いから、まあ、いいじゃないか、こうして無事に出てきたわけだし」
「……怪しいなあ」
ギヨームは訝しがっている。ルーシーはそんな二人のやり取りをぼんやり見ていたが、その時、何を思ったのかハッと目を見開いて、
「これが本当の臭い仲だね……」
よせばいいのにそんなことを呟いて、案の定、ミーティアにボコボコに折檻されていた。
何はともあれ、鳳たちは中であったことはボカして、とにかく迷宮の攻略は完了したことを報告した。一ヶ月ほど部屋の中でゴニョゴニョした後、迷宮の最奥部にあった演奏ホールで、300年前のオルフェウス卿アマデウスの思念体というか魂というか、なんかそんなのと対話をしたのだ。
それによるとアマデウスは、いずれ鳳がやってくるのをこの迷宮でずっと待っていたらしい。彼は魔王化を阻止する方法を開発しており、それを教えてくれたことを告げると、仲間たちはそれは良かったと祝福してくれた。
それだけではなく、アマデウスはこの世界の秘密についても話してくれたのだが、この世界がレオナルドの作った迷宮の中であることを知ると、そのあまりの壮大さに、何も知らなかったルーシーたちは驚きの声をあげていた。
「ここが、おじいちゃんの作った世界だったっていうの?」
「ああ、どうもそう言うことらしい。300年前は高次元からの攻撃を阻止する手段が何も無くて、神による刈り取りを回避するには、そうするしか他に方法が無かったそうだ。そのせいで爺さんは多くの力を失ったらしいんだが……アマデウスはその時、何も出来なかった自分が悔しくて、300年掛けてその回避方法を作った。それをこの、オルフェウスの竪琴に籠めたらしい」
「……私が持ってる杖、カウモーダキーがあったとは言え、おじいちゃんの幻想具現化はついに世界を構築するにまで至ったんだね」
「まったく、とんでもない爺さんだな」
ルーシーたちは感嘆の息を漏らしている。そんな中、ギヨームは一人だけどこか冷静な顔をしていて……まるで最初から何もかも知っていたかのようなその姿に、鳳が不思議に思っていると、ギヨームはそんな視線に気づいて、慌てて話題を逸らす感じに、
「とにかく、これでおまえの魔王化は防げるようになったんだな?」
「ん、ああ。元々の魔王化の原因……ラシャのシステムの方は、共有経験値を使って、力を分散することで対処出来る。神が送りつけてくる情報の方は、竪琴を使えばその影響を受けずに済むそうだ。ただ、その場合は、俺が魔王にならないだけで、いずれ別の誰かが魔王になる可能性があるそうだが……」
「ふーん……まあ、まだ起こってないことをうだうだ言ってても仕方ねえからな。それよりも、おまえの今の魔王化を止めるほうが先だ。またイライラして人を殺しちまったら堪らねえだろ」
「あ、ああ……そうだな」
鳳は、クレアが送ってきた男娼のことを思い出して憂鬱になった。そんな彼の気持ちを慮ってか、アリスがそっと彼の袖を指で握った。彼女は、自分自身も犠牲者だったというのに、まるで疑念のない無垢な瞳で彼のことを見上げている。鳳は、そんな彼女に薄く笑いかけてから、
「それじゃさっさと経験値を分配しようか。ずっと放置していたせいで、相当溜まっちゃってるんだよね」
「どのくらい溜まってるんだ?」
「実は10万越えちゃってて……」
「はあ~っ!?」
ギヨームは目を丸くして素っ頓狂な声をあげた。まあ、それも当然だろう。
「おまえの共有経験値って、100与えただけでもレベルが10も20も上がるような代物だろう!? 神人と違って、人間はそのうえステータスまで上がるんだぜ……? 一体、おまえにどれだけの経験値が流れ込んでいたんだ? それが全部おまえの力だっつーなら……何もしてないくせに、どうしてそんなことになってるんだよ」
「それが良くわからないんだ。俺はずっと魔王化の影響だと思ってたんだけど、話を聞く限りではそうじゃないだろう? アマデウスは、エミリアがそう言うふうに作ったからって言ってたけど……彼自身も詳しいことは分からなくって、教えてくれなかった。多分、彼が言っていた悪魔が鍵を握ってるんだろうけど……」
「ふーん……悪魔ね」
ギヨームは、納得はしかねるが仕方がないといった感じで腕組みしている。鳳は難しい顔をしている彼に向かって、
「とにかく、経験値を分けちゃうぞ? またおかしくなっても嫌だから」
「ああ、だがちょっと待て。流石にここにいる奴らで10万も分けたら、俺らの方がおかしくなっちまう。あまりレベルを上げ過ぎないように、抑えといた方が良いだろう」
「でも、それじゃ殆ど共有経験値を消費できないぞ?」
「別に帰ってから、ジャンヌや他の奴らにもくれてやればいいだろうが。つか、今、パーティーリストはどんな感じになってるんだ?」
鳳は、そうだったと言わんばかりにポンと手を叩いて。
「あー、それなら……なんかヘルメス卿になってから、凄い勢いでリストが更新されていたんだよね。気味が悪いから見ないようにしてたんだけど……多分これ、国民がそのまま俺の仲間になってるんだと思うよ。これだけ分配する人がいれば、楽勝だわ」
「なるほど……眷属ね。つまり、おまえを王と崇めていたり、おまえのために親身になって働こうって連中が、全てリストアップされてるんだろうな。試しにそこのメイドを探してみたらどうだ?」
言われて探してみたら、彼女の名前はすぐに見つかった。アルファベット順に並んでいるわけではなくて、どうやら自分に親しい人ほど上位にリストアップされているようだった。ミーティアの横にはアリスとクレアの名前も見える。
鳳が早速とばかりに二人の名前を連打すると、いつものように突然、彼女らの体が光りだして、
「わわっ! な、なんですか、これ……? なんかへんな気分ですよ。本当に大丈夫なんですか?」
「ご主人様の力を感じます……暖かい……」
疑り深いミーティアに対して、アリスは何故か恍惚とした表情を浮かべていた。何だか暫く見ない内に大分性格が変わってしまったようだが、どうしちゃったのだろうか。ともあれ、彼女らにステータスを確認してもらうと、
「うっ……おかしい。私、何もしていないのに、その辺の冒険者が裸足で逃げ出すようなレベルになっちゃってますよ。こんな理不尽許されて良いんでしょうか?」
「これでよりいっそう、ご主人様のお役に立てます」
ミーティアの感想は尤もである。実際、ギヨーム達を強化していた時はラッキーくらいにしか思っていなかったが、それは彼らが最初から相当な経験を積んでいたからだ。対して、ミーティアやアリスは、人生経験の方はともかく、戦闘の経験は全くない。しかしこの世界の住人は、モンスターを倒すことで経験値を得るようになってるんだから、これは完全にチートと言えるだろう。
しかし、今となってはチートの権化と化した鳳がそんなことを気にしても仕方ないだろう。そもそも敵を倒したからって経験値が入るシステムの方がどうかしているのだ。ここはアリスを見習って、素直に喜んでおくのが無難というものである。
彼はそう自分に言い聞かせつつ、アリスのステータスを尋ねると、
「へえ……結構MP高いんだな。そう言えばさ、みんなにお願いなんだけど、MPを使うあてが無いなら俺に分けてくれないか? 実はケーリュケイオンを使えばMPを貯めておくことが出来るらしいんだよ」
「あー……あれにはそんな使い方があったか。全部は無理だが、多少なら分けてやれるぞ。ところでおまえ、その杖はどうした? 確か、レオのところに預けっぱなしじゃなかったか?」
「そうなんだよ。だから後で取りに行かないと……アマデウスに聞いた話のこともあるから、ちょうど爺さんに会いたいと思ってたところだし」
「じゃあ、撤収だ。マニ、ルーシー、荷物をまとめようぜ」
ギヨームの合図に従って、二人が後に続いた。
流石に一ヶ月もあったから、迷宮の近くに作られていた彼らの基地はかなり立派になっていた。大木に何本も括り付けたロープを円錐状に伸ばし、そのロープを覆うように木の樹皮を瓦のように並べて、土をかぶせ風除けにする。それを人数分作った上に、すぐ近くにはラバのための厩舎まで作っていた。
そんな大層なものをこさえなくても、迷宮の中というか、せめて城壁の中にいれば雨風は凌げただろうに、そうしなかったのは、やはり迷宮だと何が起こるかわからないからだろう。
なんか、無駄に苦労かけちゃったなと思いながら、シェルター内に溜め込まれた保存食などを眺めていたら、マニが制作した釣り道具が並んでいてウズウズしてきまい、やっぱ一日くらいここに留まってからにしないか? と言ったら怒られた。
一ヶ月間、室内に閉じ込められていた鳳からすれば楽しそうにみえるのだろうが、彼らからしてみれば生活のために仕方なくやっていたことなんだから、物見遊山に楽しまれては腹が立つのだろう。なんだか、連休中だけ都心から大挙してやってくるレジャー民を、苦々しく思っている現地人のような反応だった。
ギヨームにさっさと帰るぞとひっぱたかれ、撤収の準備を終えてポータルを出そうとしたら、ルーシーに止められた。自分もポータル魔法が使えるようになったことを自慢したいのかな? と思いきや、そうではなく、鳳のポータルと違って彼女の方は人間以外も通れるから、ラバを連れ帰るには彼女の方を使うしかないのだ。
鳳と彼女とでは、同じポータルに見えてかなり質が違うようだ。鳳の方は正確だが融通が効かず、彼女の方はアバウトだが応用が効く。機械が制御しているか、人間がやるかの違いなのだろう。例えば、二足歩行する機械を作るのはとんでもなく難しいが、人間が歩くことに苦労することはまずない。そんな感じだ。
ポータルをくぐるとそこはヴィンチ村……ではあったが、村外れの茂みの中だった。なんでこんなとこに繋がったのと思ったが、彼女がやるとこのくらいの誤差がでるらしい。最初は天井から床に向かって出口が開いていたそうだから、今後も要注意である。
おかしいな……と言う彼女を置いて、村の広場に行くと、ミーティアがせっかく帰ってきたからご近所さんに挨拶してくると言って、いそいそと商店に向かってしまった。さっさとレオナルドの館に行きたいのになと思いながら、その後姿を眺めていると、突然、ミーティアがカッと目を見開いて振り返り、
「鳳さん、大君の館へ急ぎましょう!!」
と言い出した。もしかして、早く行きたい気持ちが口から漏れてしまっていたのだろうか……? バツが悪くなって、そんなに急がなくてもいいよと言うと、
「いえ、違うんです! たった今、ご近所さんに聞いたのですが……それが、もう長い間、大君が病床に臥せっていて、目を覚まさないそうなんです!」
「……え!?」
まったく寝耳に水な言葉に、鳳は言葉を失った。彼がヘルメスを出てから2ヶ月ほど経つが、どうやらレオナルドはそれとほぼ同時期に倒れていたらしい。
300年も生きているし、殺しても死にそうもない爺さんだと思っていたが、アマデウスと出会い、彼が何者であるかを知ったことで、鳳は急激に不安になってきた。レオナルドは、世界を作るのと引き換えに、その力の大半を失っている。あの爺さんだって、決して永遠ではないのだ。
彼はそう考えると、慌ててみんなで館を目指した。