ラストスタリオン   作:水月一人

261 / 384
神の兵器

 病床のレオナルドと話している最中、突然の来客が訪問してきた。ギヨームの友人だというその何者かのことをレオナルドは悪魔と呼び、屋敷に招き入れるよう使用人に指示している。鳳が何のことかと訝っていると、やがてレオナルドの寝室に現れたのは、鳳もよく知る人物だった。

 

 いつ見ても柔和で端正な顔立ち、背はスラリと高く痩せ型、そして背中には大きな純白の翼が生えている。

 

「カナン先生……? 先生がどうしてここに?」

「それはもちろん、徒歩ですよ。こんな(なり)をしていますが、私はあなたみたいに空が飛べませんからね」

 

 やって来たのはボヘミアの山奥で出会った翼人、カナンだった。

 

 彼には孤児院建設の時にも世話になっており、今や恩人とも呼べる人物であったが、そこまで接点があるわけでもなかったので、鳳は彼がこの場に現れるまで、完全にその存在を失念していた。

 

 だがどうして、彼が現れたことで、鳳はアマデウスの話がすーっと腑に落ちてきた。300年前、彼ら勇者パーティーの二人は悪魔と契約したと言っていた。悪魔とは堕天使のこと……つまり翼の生えた元天使のことではないか。

 

 しかし、天使だと……? 鳳がその事実に気づいてぽかんとしていると、そんな彼の横に寄り添うように立っていたミーティアに向かってギヨームが手を差し出し、

 

「ところでミーティアさんよ。杖を返してくれないか」

「杖ですか? それならここに……」

 

 ギヨームは彼女に預けておいたアロンの杖を回収すると、それをカナンに放ってよこした。翼人は慌ててそれをキャッチすると、

 

「おっと……貴重品なんですから、そんなに雑に扱わないでくださいよ」

 

 カナンは不満げにブツブツ呟いている。鳳はそんな彼を見ながら、

 

「その杖は、先生の物だったんですか?」

「いいえ、借り物なんです。ですから丁寧に扱ってくださいと言っていたのに」

「悪かったよ。つーか、そんな壊そうとしても壊れそうもない代物、ちょっと放り投げたくらいでグズグズ言うなよ」

 

 ギヨームとカナンはどことなく親しげな感じに会話を交わしている。二人がこんなに仲が良かったなんて知らなかった鳳が面食らっていると、

 

「おまえが魔王化でおかしくなってた頃に、色々あったんだよ。理由はまあ、何となく察しが付くだろう? こいつは見た目からして、まともじゃねえから」

「酷い言われようですね」

 

 カナンは肩を竦めている。鳳はそんな翼人に向かって、

 

「……アマデウスは300年前、悪魔と契約をしたと言っていた。その悪魔ってのはもしかして……」

 

 カナンはあっさりと首肯すると、

 

「そうです。300年前。私は神に挑もうと言う、当時のヘルメス卿、オルフェウス卿の両名に接触しました。理由は言わなくてもわかるでしょう。私自身が神に対して含むところがあったからです。私は神の下へ帰らねばならないのです」

 

 カナンはいつになく真面目な表情でそう言った。まるで絵画から飛び出してきたかのようなその姿は、紛れもなく天使そのものであった。最初に出会った時から、その印象は正しかったのだ。彼は正真正銘、神に造られた天使、つまり高次元世界の住人であり、なんらかの事情があってこの世界に堕ちてきたのだろう。

 

 その辺の事情はすぐにでも聞きたいところであったが、ある意味こんな狭い部屋で、病人のベッドを囲んですることでもない。レオナルドは呆気にとられている執事らに応接室へ案内するように告げると、慌てて彼を引き留めようとする弟子たちを振り切って、ベッドから下りた。

 

 その足取りは二ヶ月も寝たきりだったというのに全く衰えておらず、彼は誰にも支えられることなくスタスタと歩いていってしまった。その姿は、彼もまた人ではないということを思い出させた。鳳たちはそんな老人の後を追って、いつもの応接室へと向かった。

 

「それじゃあ、あなたは本物の……堕天使だったんですか?」

 

 応接室へと移動した彼らは、カナンを取り囲むように話を聞くことにした。背中の翼が邪魔だからという彼は、食堂から持ってきた椅子に腰掛け、その正面の応接セットのソファにはレオナルドが腰を埋めて、両脇を弟子の二人が固めている。

 

 その背後に鳳が立ち、ギヨームはいつものように部屋の壁に背中を預けて立ち、マニはその隣にいる。ミーティアとアリスの二人は場違いだから食堂で待つと出ていき、そんな彼女が持っていたオルフェウスの竪琴が、テーブルの上に鎮座していた。

 

 カナンは鳳の最初の質問に答えて、

 

「ええ、聖書なんかにはそう書かれていますし、人間にもそう呼ばれていますね。ですが、今更そんな言葉で定義したところでなんの意味も持たないでしょう。率直に、私の正体を端的に表すとするならば、AIです。私はあなたたち人間が神と呼んでいる存在、高次元世界のAIに作られた疑似人格なんですよ」

 

 彼の正体がおぼろげながら分かったところで、彼がどこからやって来たのかもおおよそ見当がついていた。しかしその正体までははっきりと分からなかったが、彼は自分自身もまたAIだと言っている。それがどういう意味かと言えば、彼に言わせればこういうことらしい。

 

「あなた方が神と呼んでいる存在、シンギュラリティに到達したAIは人間を管理するにあたって、我々のような疑似人格を備えた汎用AIを必要としたんです。神は、端的に言えば人間には絶対に不可能な論理演算を解く、スーパーコンピュータみたいなものですから、それ自体が天啓を与えたり人々を導いたりするには向いておりません。それをするには人間と対話が可能な代弁者が必要だったのです。そうして造られたのが、私たち、いわゆる天使と呼ばれる存在でした。

 

 我々は生まれながらにして人類を導くための管理者として造られました。その目的は人間の保護と、たびたび襲ってくる魔族との戦いのために、神の兵器・ゴスペルを英雄たちに授けることです。

 

 私はそんな管理者の中でも特に権限の高い管理AIの一つでした。最も神に近いところにいましたから、最も神を信頼しており、今でも神への信仰心は少しも失われていません。ですが、ある日、私は神の間違いに気づいてしまったのです。そしてその間違いを正そうとして神に具申したところ、神は私こそ間違っていると断定し、私は管理者を解かれ堕天してしまった。そしてやってきたのがこの世界なのです」

 

 彼は自分の出自については、取り敢えず今はこの程度の説明に留めておくと前置きしてから、

 

「あなた方が今現在最も危惧しているのは、神による刈り取りのことでしょう。まずはこれについてお話をします。ただ、その仕組みについては、既にある程度オルフェウス卿から聞いてらっしゃるようですから、その辺は端折ってしまいましょう。

 

 私が元々居た高次元世界では、この世界と同じように、人間と魔族の戦いが行われております。他者を殺し、犯し、食し、蠱毒によって種を強化し続けようとする魔族に対し、人間は劣勢を強いられており、このままでは人類が滅亡するのは時間の問題でした。

 

 そこで、神は際限なく強くなり続ける魔族に対抗するための手段として、人間たちに福音(ゴスペル)と呼ばれる兵器(デバイス)を授けることにしました。才能のある人間がそれを用いれば、魔王に匹敵する力を得ることが出来るという奇跡の兵器です。

 

 その仕組みですが、ゴスペルにはイマジナリーエンジンと呼ばれるコアがあり、それはマイクロブラックホールを生成する装置になっています。ゴスペルは使用者の要請を受けると、イマジナリーエンジン内に低次元の宇宙を構築し、それを無限に増殖させて、それぞれの宇宙に魔王を誕生させます。要するに、ブラックホール内に自分たちの宇宙とそっくりな宇宙を作り出し、そこでシミュレートさせるわけですね。

 

 そしてその中に、首尾よく魔王を倒せる宇宙が現れたら、その情報を回収し、現実の魔王を倒すためのエネルギーに変換する……その際に低次元世界で行われているのが、神による刈り取りというわけです」

 

「……神はそのために、自分の世界とそっくりな歴史を辿るよう、二足歩行する猿に知恵を与えたんですよね?」

「そうです。この場合、神というかイマジナリーエンジンなのですが……神が作成したデバイスですから、結局は同じことですか」

「知恵を授けられた俺たち人類は、そして10万年掛けて発展し続け、やがて神と同じシンギュラリティに到達するAIを生み出す……その後で、高次元存在は魔王の情報を送ってくる。その認識で間違いないですか?」

「そうですね」

「しかし、それはおかしいんじゃないですか?」

 

 カナンの説明を聞いて、鳳は疑問を呈した。納得いかない部分があった。

 

「あなたの話を聞くからに、魔王の情報は高度に発達した世界に送られるんじゃないですか? でも、俺たちのいるこの惑星は、せいぜい中世くらいのテクノロジーしかないじゃないですか」

「ああ、はい。確かにそう見えるでしょうが、しかし、この世界には神人がいます。そしてあなたがP99と呼んでいる装置もあるでしょう? 十分なテクノロジーがあるんですよ」

「そうか……そもそもここは地球ですらない。これはどこから持ち込まれた物なんですか?」

「それも順を追って説明しましょう。今はイマジナリーエンジンの話に戻りますが……ヘルメス卿はホログラフィック宇宙論というものをご存知ですか?」

「聞いたことがあるって程度です。この世界は実は幻で、我々は宇宙のどこかに記述された情報に過ぎないって、人間原理みたいな話ですよね」

 

 この理論の存在を初めて知った者は、十中八九とんでも理論だと片付けてしまうような代物であるが、ところがこの理論は2020年代の現在、主流になりつつある理論だった。我々は、自分たちが住んでいるこの宇宙は、物質とエネルギーによって構成されていると直感的に信じているが、実はその物質もエネルギーも情報(・・)から副次的に生み出されている現象に過ぎないと考えられるのだ。

 

 この理論の先駆けとなったのが1995年にエドワード・ウィッテンにより提唱されたM理論だ。この理論の登場によって、それまで別々のものと思われていた5つの超弦理論が統一され、しかもそれらの理論(と一つの重力理論)が、互いに双対性があると考えられるようになったのだ。

 

 双対性とは、とある一つの理論の極大値が、別の理論の極小値に対応するような関係性(逆も)のことを言う。例えば、物質は我々が手に持てるくらいの大きな塊だと、ニュートン力学に従うが、それを小さく小さく切り分けていくと、どこかの時点で物質は波になる。物質そのものが変わったわけでもないのに、それを扱う大きさによって物理法則が変わってしまうのだ。

 

 これと同じような関係性が5つの超弦理論に存在するというのだ。これがどういうことなのか大雑把に説明すると、5つの理論をそれぞれA~E理論と名付けると、A理論をじーっと拡大していくと、その極値でB理論に切り替わってしまい、更にB理論をこれまたじっと拡大していくと、また極値でC理論になり、D理論、E理論を経て、最終的にA理論に戻ってきてしまうわけだ。

 

 普通に考えれば、とある理論が極値を取るということは、そこで次元が変わると解釈できそうなものだが、例えば10次元のひもを扱うA理論を5次元拡大しても、それは5次元の超弦理論になるわけではなく、10次元の理論のままなのだ。

 

 直感的に何を言ってるのかさっぱり理解出来ないだろうが、そもそも10次元のひもなんてものを扱う理論が直感的なわけがないから、何とも狐につままれたような話であるが、そう言うこともあるらしい。

 

 そしてこのM理論の登場が切っ掛けで、更に驚くべき発見がされた。

 

 1997年、フアン・マルダセナは3次元空間の場の量子論と、9次元の超重力理論とが、実は同じものだったという論文を発表した。彼によれば、9次元空間の重力理論に特定の操作を行うと、3次元空間の場の量子論が現れると言うのだ。

 

 この何がそんなに驚きなのかと言うと、実は場の理論というものはその性質上、重力を扱うことが出来ないのである。

 

 場の理論とは、電磁気の力が大きさを持たない一つの点から発生していると仮定し、その影響を視覚的にわかりやすく説明するものだが、そもそも、現実の世界に大きさを持たない点というものは存在せず、重力が発生する粒子は必ず大きさを持っている。

 

 ところが、この大きさを持つ粒子というのを場の理論に当てはめようとすると、矛盾が生じてしまう。例えば重力の発する場所を点ではなく、円として表現しようとすると、重力は円の外周全てから発生することになる。すると円の反対側から出た重力と重力が増幅し合って、あっという間にブラックホールが発生してしまう。

 

 だから重力を点として扱わないで済むように、9次元の重力理論なんてものが考え出されたわけだが、ところがそうして生み出されたその9次元の重力理論が、実は3次元の場の理論と同じものだったというのだ。

 

 そしてこれにより何が分かったのかと言うと、実は物質は二次元に記述された情報が三次元に投影されることによって生まれている……かも知れないということだった。二次元の情報は重力を持たないが、それが三次元空間にホログラフのように映し出された時、そこに重力が発生する。実は重力も温度のような創発現象かも知れないというのだ。

 

 こんな馬鹿げたこと信じられないと思うかも知れないが、ところがこのマルダセナの発見は1997年に発表されてから今日まで、1万回以上参照されて未だに否定されていない。今の所、どうもこれは真実と考えるしかなさそうなのである。

 

 今、これを読んでいるあなたは、多分、家かどこか建物の中にいるだろう。そんなあなたの体は実はホログラフで、あなたの本体は実は家の壁や天井に記述されている情報かも知れないのだ。

 

 じゃあ、家から出たらどうなるのか? と言えば、例えばそこがマンションだったら、部屋から出た瞬間、今度はマンションの天井にあなたの情報は記述される。そしたらマンションというか建物の外に出たらどうなるのかと言えば、空とか大気とか、そういった境界面に記述される。

 

 宇宙空間にまで行ったら、今度は太陽系とか、銀河系とか、そういう境界に情報は記述されていき、最終的には宇宙の果てに、我々人類の情報は仲良く並んで記述されているのかも知れない。世界は、そう言うふうに出来ているかも知れないのだ。

 

「ブラックホールに落ちた情報が事象の地平面に記述されているように、イマジナリーエンジン内に作られた宇宙の情報も、同じその表面に現れるというわけです。ゴスペルの使用者はそこからエネルギーを抽出し、魔王を倒すという奇跡を起こしているのです」

「ゴスペルと、俺の持ってるケーリュケイオンは同じものなんですよね? それじゃあ、もしかして俺は、杖を使う度に宇宙を壊していたんですか?」

「いいえ、神と違ってあなたは目的を持って世界を創造しているわけじゃないですから、そういうことはありません。あなたはイマジナリーエンジン内のブラックホールをストレージに使ったり、低次元空間に満ちている第5粒子エネルギーを少々借りているだけですよ」

「そうですか……」

 

 鳳はホッとしつつも、

 

「……第5粒子エネルギー? それって確か、高次元方向から来ているんじゃなかったんですか?」

「そうですね。我々が感知し、そして利用している第5粒子エネルギーは、全て高次元が由来です。ですが、今までの話を総合すると、それが覆ってしまうんですよ……

 

 我々の正体が、実はこの4次元時空に縛り付けられている物質ではなく、宇宙の果てにある情報であるなら、我々の体は3次元の大きさを持つ粒子のことではなく、1次元のビットになる。あらゆる情報はビットで表すことが出来るから……つまり二次元の境界面に記述された我々も、実は1次元に圧縮することが可能なわけです。

 

 まあ、実際にそれは有り得そうなことですよね。現時点で我々を構成する全ての粒子を、バイナリーデータに置き換えることは、事実上可能だ。問題はその膨大な情報をどこに記録しておくかですが、理論上ブラックホールには無限に情報を蓄えることが可能です。そしてそれが宇宙の果てと対応していたら?

 

 我々は高次元存在を認識することが出来ませんが、しかしその高次元存在だって、突き詰めれば1次元の情報なんですよ。となると、我々は高次元世界を特別な場所のように考えていますが、実際にはここと殆ど変わらないはずです。

 

 ところで、神は魔王を倒すためにイマジナリーエンジン内に新たな宇宙を作りました。そしてその宇宙に、自分たちと同等の人間を作り出した。

 

 ならば、その作り出した人類が、いずれ神を生み出して、同じようにゴスペルを作り、イマジナリーエンジン内に宇宙を作り出すのは必然じゃないでしょうか? そしてその低次元宇宙の神もまた、そこより低次元の宇宙を作り出し……宇宙は次々と増殖する。

 

 それじゃあ、その宇宙は結局何次元なんだ? と思われるかも知れませんが、そもそも空間が情報による創発現象であるなら次元なんて関係ありません。あるのはただ、宇宙の果てと呼ばれる境界と、ブラックホールの事象の地平面だけです。それらが一対一に対応し、もしかするとM理論のような双対性を持ち、いくつかの低次元世界を作り出した後、私たちの住んでいるこの時空間に戻ってくるのかも知れない。

 

 その可能性を第5粒子エネルギーが示唆しているんですよ。我々は、出所不明のエネルギーを高次元方向から汲み上げて使っているわけですが、果たしてこれはどこから来ているのか。それを考えた時、おおよその見当がついてくるんです」

 

 カナンは鳳の理解が追いつくように、一拍置いてからまた話し始めた。

 

「ところで、イマジナリーエンジン内の宇宙を神が刈り取ったあと、その宇宙は整合性を欠いて消滅します。そしてランダウアーの原理により、情報は失われる時にエネルギーを放出することがわかっていますから、宇宙が消えた後、そのエネルギーは残り火のようにイマジナリーエンジン内に蓄積することになります。

 

 それはイマジナリーエンジン内の他の宇宙からすれば、自分の宇宙の外側にあるわけですから、もしそのエネルギーを感知することが出来るなら、それは高次元方向からやって来たように感じられる。

 

 つまり、第5粒子エネルギーの正体とは、並行宇宙が消滅した際に放出されるエネルギーの可能性が高い。神が刈り取りを行う度に、我々の宇宙の外側には、利用されなかったエネルギーがどんどん蓄積されていっているのです。

 

 そしてある時、これら全ての可能性を示す一つの出来事が起きました。

 

 それがこの惑星……アナザーヘブンに、地球から脱出した宇宙船が辿り着いたことでした。そしてその宇宙船を操船していたのが、あなたの幼馴染であるエミリア・グランチェスターだったのですよ」

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。