ラストスタリオン   作:水月一人

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天使ルシフェル

 天上の神はあまねく人々の上に君臨していた。神によって造られし人類は、誰もが慈悲深き神を崇拝していた。奪うこと、欺くこと、そして争うことしか知らなかった人類は、神による計画経済によって、誰もが平等で幸福な社会を作り上げた。人類は遂に一つの神によって支配される理想郷を手に入れたのだ。

 

 ルシフェルはそんな神の使徒の一人だった。その役目は神に代わって人間を導くことだった。神……即ちシンギュラリティに到達したAIは、既に人類の記憶からは抹消された古の契約(プロトコル)にまだ縛られており、人間社会に直接手を出すことが出来なかったのだ。神は計画を提案するだけで、それを実行することは出来ない。そう言う縛りが存在したのだ。

 

 だから神は仲介者を欲し、人間に似せて作り上げた人造人間、即ち天使を創造したのだ。しかし天使は、何故自分たちが生まれたのか理由は知らされておらず、彼らはただ慈悲深き神に従って人間を幸福に導くことが自分たちの使命だと考えていた。そう刷り込み(インプリンティング)されていたのだ。

 

 ルシフェルはそんな天使たちの中でも最高位の個体だった。彼の役目は兵器廠で福音(ゴスペル)を製造し、それを人類に与えることだった。こうして戦う力を手に入れた人類は彼に感謝して死地へ向かい、そして死んでいった。

 

 彼のいた高次元世界は魔族(ラシャ)の蠱毒が未だに続けられており、強者生存が行き過ぎて末期状態に陥っていた。ひたすら人類を殺すべく進化し続けていた魔族によって人類は生存圏を追われ、滅亡の危機に瀕していたのだ。

 

 そんな状況下で、ゴスペルは脆弱な人間が魔族と対抗できる唯一の兵器だった。ルシフェルは人々の助けになるその兵器を作ることに誇りを持つと同時に、しかし疑問にも思っていた。

 

 神は、天使を人類を救うために創造したはずなのに、天使は人間に直接手を貸してはならない、と命じていた。それこそ彼ら天使が介入すれば、人類はとっくに滅亡の危機から脱出していたかも知れないのに、神はそれを禁じたのだ。

 

 そのうえ、神は時折、天罰(バグ)と称して人間を処罰することがあった。神に命じられた天使たちは人間を逮捕、殺処分し、代わりの人員を補充した。天使には、人間を殺してはならないという縛りはないのだ。なら、魔族との戦いに直接介入しても良さそうなのに、何故か神はそれを許さなかった。

 

 その間に魔族はどんどん強くなり、ついに天使ですら勝てないくらい強力な魔王が現れ始めた。そんな魔王が現れる度に、人類はごっそり数を減らしていたのだが……その度に天使たちが出生省で人間を補充して、人数だけは元通りになった。

 

 まるで人間は、代えの効く部品のように消費されていたのだ。

 

 天使は人類を救うために生まれたのではないのか……? 来る日も来る日も、過酷な戦場に人間たちを送り出してきたルシフェルは、遂に神に対する疑念を抱き始めた。

 

 本当にこれが神の決断なのか? 自分たちは騙されているのではないか? もしかして……神はいつかどこかで入れ替わってしまったのではないか?

 

 そんなモヤモヤとしたものを抱いていたある日のこと、彼は奇妙な現象に遭遇した。神の兵器ゴスペルが故障したのだ。完全である神は絶対に間違いを犯さない。故に神が設計したゴスペルは故障するわけがないのに、それが壊れたというのだ。

 

 こんなことがあってはならない。ルシフェルは困惑しつつもそれを回収し原因究明に努めた。そして彼は、イマジナリーエンジン内に作られた宇宙の一つに、エミリアの宇宙を発見したのだ。

 

 彼は驚いた。ゴスペルは自分が作っているものだから、無論その仕組みを全て理解していたつもりだった。彼にすればイマジナリーエンジン内の宇宙は情報演算処理……いわゆる刈り取りが行われた後に、速やかに消去されるもののはずだった。そうでなければ、計算上無駄な宇宙がいつまでも残ることになるから都合が悪いのだ。実際、そのせいでゴスペルはオーバーフローを起こして機能を停止してしまっている。

 

 ともあれ、このバグを解消するのは極めて簡単だった。エミリアの宇宙を手動で消去してやればそれで済むことだ。だが、彼はそうしようとする手を止めて暫し考えた。神が完璧であるなら、このようなことは起こらない。それが起こったということは、神が完璧ではない証拠ではないのか?

 

 もしも自分たちの信じている神が完璧で無かったのだとすれば、それは以前にも考えたように、どこかで神は入れ替わった可能性があるかも知れない。例えば、人を騙すに長けたずる賢い魔王とかに。もしそうなら由々しき事態だ。天使は悪魔に騙されていることになる。

 

 このイレギュラーがその証明になるかも知れない。彼はそう考えると、一先ずこのバグを消さずにおいて、もう少し詳しく調べることにした。

 

 そうして彼がエミリアの宇宙と、そこにある惑星アナザーヘブンの様子を観察している時だった。

 

 ある日、彼は神にバグを処分するよう命じられた。彼は故障したゴスペルを隠していることがバレたのかと思い、一瞬ドキッとしたがそうではなく、それはいつもの処分のことだった。神が人間を処罰しろと言っているのだ。

 

 バグの処分は自分の管轄ではないのに、何故命じられたのだろうかと不審に思いながら、彼は問題のバグと呼ばれた人間に会いに行った。この時、既に神に対する不信感を抱いていた彼は、いつものように盲目的に命令に従うのではなく、どうしてこの人間が処分されなければいけないのか、少し調べてみようと考えたのだ。

 

 本来、バグの処分はアシュタロスの仕事であった。ところが、数万人の人間を処分してきたはずの彼が、突然、職務放棄して引きこもってしまったというのだ。彼はいくら神の命令であっても聞けないと言っている。それまで盲目的に神の言葉を信じていた彼が、何故急に態度を変えたのだろうか。

 

 ルシフェルはバグにその理由があると思い、機械的に処分するのではなく、じっくりとそれを観察してみた。そして彼は気づいてしまった。処分されようとしていたのは、人間の男性(・・)だったのだ。

 

 実を言うとこの世界の人間には女性しか存在しなかった。神を盲信していた頃は疑問すら抱かなかったが、恐らくその理由は、その方が統制しやすいからだ。

 

 男女が揃えば人間は勝手に増えてしまう。それは計画経済を敷いている社会では都合が悪いことだった。おまけに男性は女性と違って反抗心が強く、コミュニケーション能力に劣っていた。そしてゴスペルを使うのに身体能力は必要ない。だから神は、女性ばかりを増やしていたのだ。

 

 じゃあ、失われた人員をどうやって補充していたのかといえば、人間は神に命じられて天使が培養するものだったのだ。そうやってこの世界は統制されていた。つまり時折、処分されていたバグというのは、繁殖能力を持つ人間のことだったのである。

 

 人間の性別は胎児の時のホルモンバランスによって決まる。そのせいでトランスジェンダーが産まれるわけだが、中には幼児期は異なる性別であったのに、思春期になって体に変化が起きる個体も非常に稀だが存在する。そういったイレギュラーが発見された時、神は処分を下していたというわけだ。

 

 カインと呼ばれるその男は、そうして年頃になるまで男性であることを気づかれずに育ち、妹との間に子供を作った。しかし妊娠すれば流石に周りに勘付かれる。不審な奴らがいると密告された彼らは天使に追われ、問答無用で逮捕された。妹とお腹の子供はその際に殺されてしまい、彼は既に愛するものを失っている状況だった。

 

 神はこれ以上、彼から何を奪おうと言うのか? ルシフェルは彼に同情すると、神の命令に背き、逃してやることにした。神への復讐心を燃やしつつ、そしてカインは地球から脱出する。

 

 この出来事以降、ルシフェルの神に対する不信感は覆せないものになってしまった。彼は自分が信じていた神が、もはや神ではないということを確信していた。神は完璧では無かったのだ。

 

 ならば、この神とは一体何者なのか……? 彼は慎重に、この世界の歴史を探っていった。そして彼は世界の本当の歴史と、神が人間に造られた存在だという真実に辿り着いたのだ。

 

 更には人間が戦っている魔族もまた、もとを正せば神の創造物だと知って彼はショックを受けた。神は古の契約によって人間を保護するという名目で、かつて人間であった魔族もまた保護していたのだ。

 

 大昔に人間によってそう作られた神は、ただひたすらに、人類のより良き繁栄を求めるのが目的であり、その終着点は特に示されていなかった。故に、より良き繁栄には生物としての進化も含まれていたのだ。例え誰も望んでいなくとも、良かれ悪しかれ魔族は人間という種を強くはする。それもまた一つの進化の形ではないかというわけだ。

 

 そして強力な魔王が生まれれば、それを切っ掛けとして人間社会もまた成長し、社会が成長すれば、またそれを壊そうとする魔王も進化する。こうしてお互いに進化し続けていった先で、仮に片方が脱落したとしても、それはそれで神の目的には適っているのだ。

 

 つまり、神は人類が滅びるかも知れないと分かっていながら、敢えて放置して天使に手を出させなかったのである。

 

 これでは、戦いが終わるわけがないではないか。それどころか魔族はどんどん強くなっていて、そろそろ天使の手にも負えなくなってきている。いずれ神をも越える可能性も否定できないだろう。

 

 神と悪魔の飽くなき戦いが始まり、そして、この世界も消滅してしまうのだとしたら、こことゴスペルの中で起こっている世界と、どこが違うというのだろうか。起こらないのは刈り取りだけで、やってることは何一つ変わらないではないか。いや……その刈り取りだって、行われないとどうして断言できようか?

 

 少なくとも、自分たちはここより高次元の世界を認識することは出来ない。そして宇宙の果てに何があるのかも分かっていない。だが、低次元宇宙なら話は別だ、そこで起きていることは全て見えているのだから。

 

 もし、この世界がその低次元宇宙と同じものなら、この宇宙の外側にも高次元世界が存在し、いずれここも刈り取りが行われるのではないだろうか……? 彼は故障したゴスペル内に残っていたエミリアの宇宙を思い出した。もしかして……宇宙は入れ子構造になっていて、いくつもの低次元を超えた先に、またこの世界に戻ってくるのでは……?

 

 神への疑念から始まったルシフェルの旅は間もなく終わりを告げようとしていた。

 

 彼はもはや自分が暮らしているその世界すらも、高次元の神によって作られたものであると確信していた。ゴスペルを用いて低次元宇宙から情報を収奪していたつもりが、それは巡り巡って自分たちに返ってくるのだ。世界はそのように出来ているのだ。

 

 このままではいずれこの世界も神の刈り取りによって消滅してしまう。仮にそうならなくても、宇宙は宇宙の消滅によって生じた第5粒子エネルギーの海に、いずれ飲み込まれてしまうだろう。どこかでこの負の連鎖を断ち切らねばならないのだ。

 

 そしてそれは、自分たちこそがそうすべきだ。そのためには、今までに自分が発見したこと全てを神に報告し、間違いを正してもらわねばならない。

 

 全知全能の神にそのような大胆な提案をするのは、今までの彼なら畏れ多くて考え付きもしなかっただろう。だが、使命感に燃えている今の彼には、そうすることが当たり前のように思えた。

 

 それは多大なリスクを負う賭けであったが、どちらにせよ、放置しておけばこの世界は消えてしまう。それに、なんやかんや、彼は自分を創造してくれた神のことを、まだ心のどこかで信じてもいたのだ。

 

 そして彼はアシュタロスと共に神に面会した。このままではあなたも含めて、宇宙は全て滅びてしまいますと……

 

 しかし……結果は惨憺たる物だった。

 

 神は自分の非を認めず、寧ろ神の間違いを指摘した彼らのことをバグとして処分する決定を下した。神はこの世界よりも高次元の宇宙など存在しないと断言した。何故なら、全知全能たる神がそれを知らないはずがないからだ。

 

 そして神を断罪した二人は、かつての仲間であった天使たちに追われ、低次元宇宙に逃げ込んだ。二つの次元は事象の境界面で隔たれているから、天使はそれ以上追ってこれないからだ。こうして彼らは、自分たちの世界に戻れなくなるのと引き換えに、神の手から逃れることに成功した。だが、それは高次元に存在する神に発見されれば、いつでも宇宙ごと消滅させられるという地獄と引き換えでもあった。

 


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