ラストスタリオン   作:水月一人

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追い詰められしもの

 地上にはジャンヌの下半身だけが残されていた。上空を悠々と旋回する魔王が吐き出した物体が地面に落下した時、その周囲にいた兵士たちから悲鳴が上がった。こうなっては見目麗しい神人も形無しだ。咀嚼され、原型を留めていない女性の死体、ジャンヌの上半身がそこに落ちていた。

 

「勇者が殺られたぞっっ!!」

 

 ただのグロテスクな肉塊と化したジャンヌを見た兵士たちは絶望の悲鳴を上げた。その声にまさかと思った兵士たちが気を取られ、魔族の群れに無慈悲に命を狩られていった。あちらこちらで泣き声のような悲鳴があがって、一瞬にして不安が戦場を埋め尽くしていった。

 

 次の瞬間、勇者が殺られては勝ち目はないと思った兵士たちが、武器を捨て、鎧を脱いで、我先にと逃げ出し始めた。重い荷物を背負っていては逃げられないが、おかげで魔族の鉾はやすやすと人間を貫くことが出来るようになった。兵士たちはそうなることが分かっていても、そうやって逃げるしか方法が無かったのだ。

 

 先を争って逃げ出す兵士たちの群れで、戦場はパニックになった。その背後には容赦なく魔族が迫り、その境界線では悲鳴と血しぶきが上がった。

 

 魔王はその様をあざ笑うかのように上空をグルグル旋回すると、残してきたジャンヌの下半身のことを思い出し、そいつも血祭りに上げてやろうと戻ってきた。人類の力の象徴である勇者を殺ったことでこれだけ戦線が崩れるなら、あの下半身にもまだ使いみちがある。そんなつもりだ。

 

 魔王はジャンヌの下半身を探して地上スレスレを飛び回り、そこで呆然としていた神人たちをも血祭りに上げた。鋭い爪で引き裂かれ、噛み砕かれた彼らの悲鳴が轟くと、他の神人たちも恐れを為して逃げ出した。

 

 元々、非死である神人は、非死であるが故に生にものすごい執着心を持っているものなのだ。なのに自分たちよりも強いはずの勇者が殺られたのだ。あんなのには到底敵うはずもない。彼らは一瞬にして抵抗力を失くして子供のように悲鳴をあげた。

 

「駄目だ! 踏みとどまれ! 背中を見せれば逆に殺られるぞ!!」

 

 そんなペルメルとディオゲネスの叫び声は、もう神人たちには聞こえなかった。かく言う彼ら自身も体がブルブルと震えており、実は立っているのがやっとだった。頭では分かっていても体がついてこない。本能なのだ。マッシュ中尉もフェザー中尉も、自分たちのせいでジャンヌが死んだことにショックを受けて固まっている。そこへジャンヌを探していた魔王がやってきて、あっという間に彼らを真っ二つに切り裂いていった。

 

 また一つ、また一つと、神人たちの死体が積み上がっていく。それを遠くで見ていたヴァルトシュタインは、もはや戦線の維持は不可能と判断すると、顔色を失って固まってしまったクレアの首根っこを引っ掴んで撤退を開始しようと試みた。

 

 だが、そんな絶望的な瞬間だった……

 

 食べ残してしまったジャンヌの下半身を探していた魔王は、ついにそれを見つけると、後片付けをすべく地面スレスレの低空を泥を跳ね上げながら飛んできた。するとその下半身の向こう側にぼんやりと立っている男の姿が見えた。

 

 サムソンはジャンヌの体越しに、じっと魔王を睨みつけている。魔王はそんな彼ごと食べ残しを食らってやろうと口を開いた。

 

 その時、信じられないことが起こった。

 

 突如、サムソンの体から真っ赤な炎のようなオーラが溢れ出したかと思ったら、ドンッと彼の周囲の地面がクレーターのように割れて大量の土砂が飛んでいった。迫りくる魔王は目の前で起きた出来事に驚異を感じ、一瞬、躊躇いを見せたが、今更自分が人間ごときを恐れるはずがないと気を取り直し、そのままサムソンに向かって突っ込んできた。

 

 ゴッ……! っと、巨大な質量同士がぶつかり合うような音が戦場に轟いて、ビリビリと空気を震わせる。

 

 その地震のような振動は戦場に轟き渡った。兵士たちが驚いて振り返れば、今ジャンヌを喰らおうとしていた魔王の鼻先に、サムソンの拳が深々と突き刺さっていた。

 

 全長数十メートルはあろうかという蛇みたいな巨体を、信じられないことに小さな人間が受け止めていたのだ。しかもその拳は魔王の鼻っ柱を砕き、その巨体に大きな穴を開けている。

 

「ギギィィィーーーーーーーッッ!!」

 

 悲鳴と泣き声の中間みたいな情けない声が辺りにこだまし、魔王は苦痛にその巨体をジタバタと震えさせた。大量の血液を浴びて真っ赤に染まったサムソンは、更に裂帛の気合を入れると、暴れまわる水竜に向かって黙れと言わんばかりに拳を打ち下ろした。

 

 ズドンッ! っと、再度地響きが戦場全体に轟いて、土煙を上げて魔王が地面に打ち付けられる。

 

 サムソンの体には真っ赤な炎のようなオーラが、蛇のように舌を伸ばしてまとわり付いている。それが彼の拳に集まっていき、光弾のような真っ白い光を放つと、彼の腕から巨大な火球が飛び出してきた。

 

 それが地面にひれ伏している魔王に直撃すると、ドカンと爆炎を吹き上げてその体を抉った。何をやっても傷つかなかった魔王の爪が折れ、歯が砕け散り、髭からプスプスと煙を上げていた。

 

 サムソンは、堪らず逃げ出そうとした魔王に追いすがると、その髭をぐいと引っ張り、ブンブンと振り回して、その遠心力でまたその巨体を地面に叩き伏せてしまった。猛烈な砂煙が舞って、地面を震わせると、敵も味方も関係なく、全ての視線がそれに注がれた。

 

 せいぜい2メートルに満たない小人が、数十メートルの巨人を振り回している。まるでおとぎ話のような信じられない光景だった。

 

 髭を引っこ抜かれた魔王は情けない声をあげると、追いすがるサムソンに次々と水撃を食らわせ、彼がそれを避けている間に空へと昇った。上空にさえ上がってしまえば、もうあれに自分を傷つける手段はない。そういうつもりだった。

 

 しかしあろうことかサムソンは、人々の常識も、そんな魔王の願望すらも打ち砕くかのように、数十メートルもの高さを跳躍すると、空へ飛び立とうとする魔王を追い越して、唖然とするその怪物の頭に拳を打ち下ろした。

 

 空へと上がろうとしていた魔王は、それによって物理法則を無視したかのように跳ね返されると、そのまま地面にその巨体を叩きつけられた。

 

 ズズン……っと、また地面が揺れて、土塊が飛び散り、土砂が戦場に雨のように降り注ぐ。

 

 サムソンがその中心に着地すると、またズシンとした衝撃音が戦場に轟き、それはドスン、ドスンと、二度も三度も続けられて、巨大な水竜のあげる悲鳴のような咆哮とともに、白い煙が砂嵐のように広がっていった。

 

 その砂嵐の中で何が起こっているのかは想像に難くなかった。その中からそれまで一度も傷つけることが出来なかった竜のうろこが飛び出してきて地面に突き刺さり、情けない悲鳴が轟く度に、鋭い爪や牙の破片が飛び散ってくるのだ。

 

 気づけばその砂嵐は真っ赤に染まり、降り注ぐ血液が戦場を染めて、まるで火星の嵐のようだった。

 

 しかし、それは長くは続かなかった。

 

 人類を勝利に導こうとする、その永遠とも思えるような長い瞬間は、実際には一分にも満たない時間で終わってしまった。

 

 巨大な質量がぶつかり合う激しい音が途切れ、それを覆う砂煙が徐々に晴れてくると、そこにいたのはボロボロになった巨大な水竜と、そして同じく体がおかしな方向に捻じ曲がったサムソンだった。

 

 鳳の共有経験値を貰って高レベルに達したサムソンは確かに宇宙一のSTRを誇る男になっていた。だが、いくら鍛えているとは言え、そんな力を生身の人間が振るい続けては体が持たなかったのだ。

 

 彼の強烈な一撃は魔王を打ち砕くと同時に、自分の体もまた傷つけていた。一撃するごとに拳の骨が打ち砕かれ、四肢はおかしな方向に捻じ曲がり、そして関節が外れて腱が千切れた。それを無理矢理筋肉で押し込めようとしても、そんなのは長く続かなかった。

 

 正に満身創痍、サムソンの体は血だらけの傷だらけで、体の表面にはところどころ中から骨が飛び出していて、見ているだけで気絶しそうなくらいだった。サムソンはそんな体でもまだ立ち上がろうとして、外れていた肩を無理やりはめ直したが、砕けた関節は元には戻らなかった。

 

 それでも無理矢理筋肉を硬直させてサムソンは立ち上がった。だが、そんな彼をあざ笑うかのように、魔王の体がぼんやりと光ると、剥がれ落ちた鱗が修復され、折れた爪も歯も嘘みたいに生え変わってしまった。

 

 魔王には、神人のような自己再生能力があったのだ。

 

 魔王の髭がヒュンと音を立てて振るわれ、ムチのようにしなってサムソンに打ち付けられる。バリッと何かが千切れるような音がして、サムソンの体が宙に飛ばされると、その体からはもう腕が千切れそうになっていた。

 

 彼の勇気に奮い立った神人たちのファイヤーボールがあちこちから飛んでくる。だが、もはやそんな攻撃で魔王が止まるはずもなく、地面に転がったサムソンは、迫りくる爪を前に覚悟を決めていた。

 

「……ジャンヌよ。今から俺もそっちに行く。おまえの仇すら取れなかった、情けない俺を許してくれ……」

 

 だが、彼が絶望に身を任せ、目を閉じようとした、正にその時だった。

 

「上善は水の如し。水は善く万物を利して争わず。衆人の憎むところに居って、故に道に近し……道を忘れ、またすぐ力に頼ってしまうから、君はそうなるのだ。柔らかく流れる水のように絶えず流れ続け、力を振るうのではなく受け流す。さすれば君は万難に相して敵はない。そう教えたはずだろう。どれ、また一つ、稽古をつけて差し上げようか」

 

 ザバンっと、波頭が岩に砕けるような音がして、迫りくる魔王の顔がグイッと持ち上がり、あらぬ方向へと飛んでいった。

 

 突然、サムソンの前に飛び込んできた、羽の生えたその男が、円を描くように両手をぐるりと回すと、それに受け止められた魔王の体が、面白いように軌道を変えて飛んでいってしまった。

 

 何をやったのか、傍目にはわけがわからなかった。自分がどうして方向転換してしまったのかわからない魔王は、空中を旋回してそのまま戻ってきたが、それすら神父は軽く受け流し、くるっと手首を返すように両腕を回すと、空中で上下逆さまに回転させられた魔王は、今度は地面に背中をガリガリと擦りながら滑っていってしまった。

 

「……師父! 不甲斐ない弟子で申し訳ありません」

「暫しそこで休んでいたまえ。すぐに彼女も、我が友人が助けてくれよう」

 

 神父が気合を入れると、ゆらゆらと揺れるオーラが立ち上った。彼の纏っている涼し気なオーラは、サムソンの真っ赤な炎に対し、青い水を思わせた。だが、完全燃焼する炎は青い。そのオーラは、サムソンをも凌駕する、エネルギーの固まりそのものだった。

 

「我は気高き館の主(バアル・ゼブル)。この頭によって悪霊を打ち払うもの。故に全ての悪霊が我にひれ伏し服従す。悪しき心を持つものよ、跪くがよい。我は気高き蝿の王(ベルゼブブ)。王の中の王。全ての悪しき魂の王」

 

 ドンッ! っと巨大な大砲から撃ち出されたかのように、ベル神父の腕から巨大な気弾が飛び出していき、魔王の体にぶつかって弾けた。たちまち、魔王の鱗が弾け飛び、巨大な穴から血が吹き出した。

 

 その痛みに耐えかねて巨大な水竜が地面をのたうち回ると、それに巻き込まれた神人たちから悲鳴があがった。ベル神父がその声に舌打ちし追撃をやめると、魔王はその隙に慌てて空へと逃げていった。

 

 上空へと気弾が撃ち出され、それが体に当たる度に、ガクリ、ガクリと水竜の体がずり落ちてくる。だが、それでも撃墜するには至らず、辛うじて再生能力が勝った魔王は、そのまま攻撃の届かない上空へと逃れてしまった。

 

「逃すか……レビテーション!」

 

 しかし、ベル神父は背中の翼を広げ古代呪文を唱えると、その風を受けて空高く舞い上がっていった。実際には鳳と同じ魔法なのに、彼がやるとそれは傍目にはまるで天使が羽ばたいているように見えた。巨大な翼を広げた天使が、魔王を追って、天高く駆け上がっていく。

 

 と、その時、戦場の片隅に、もう一つの翼を広げた影が踊った。空から降臨したそれは、左右6対12枚の翼を大きく広げ、太陽を背に受けて純白の光を放ち、まるで後光を背負って舞い降りた神のように見えた。

 

 実際、神が奇跡を呼ぶものならば、それは奇跡を起こすためにここにやってきたのだ。カナンは天高くから戦場を見下ろし、そこに散らばっている無数の死体を見て哀れみの涙を浮かべた。自分がもう少し早く来れれば、ここまで被害が出なくて済んだかも知れないのに、今の彼ではこれが限界なのだ。

 

 だが、全てとは言わないまでも、助けられる命は助けよう。慈悲深い彼は、死者に代わって神に祈りを捧げると、十字を切って、杖を高々と掲げ、地上の者たちに宣言した。

 

「我、ルシフェルの名において問う。この戦場に散りし全ての魂よ。私の声が届いたのなら答えなさい。我は神の使徒、命を運ぶもの。全ての迷える魂よ。我に応えて蘇るのです。リザレクション!」

 

 その古代呪文は杖の力に増幅されて、戦場に光のシャワーとなって降り注いだ。それは全ての人間を救うことは出来ないが、神人(・・)であったならば、必ず復活することが出来る究極の禁呪だ。

 

 故に、それが地上に届いた時、人々は奇跡を見ることになった。たった今殺されたはずの神人たちが……マッシュ中尉もフェザー中尉も、そして勇者ジャンヌまでもが、不思議な光に包まれ復活を遂げたのだ。

 

 満身創痍のサムソンの目の前で、下半身だけ置き去りにされたジャンヌの体が光に包まれ、にょきにょきと上半身が生えてきた。彼が唖然と見守る中で、その体が完全に修復されると、彼女は咳き込みながら、

 

「コホッ、コホッ! ……油断したわ。足を滑らせて殺されるなんて、シャレにならないわよ……って、あれ? どうして私……死んだんじゃなかったのかしら?」

「ジャンヌ……無事なのか!?」

 

 その唖然とした声にジャンヌが振り返ると、そこには四肢がおかしな方向に捻じ曲がり、今にも死にそうなサムソンが地面に横たわっていた。そのボロ雑巾みたいな弱々しい彼を見た瞬間、ジャンヌの脳に血が昇り、顔はみるみるうちに真っ赤になっていった。

 

「あの野郎! 俺の大事な仲間をこんなにしやがって……ぶっ殺してやる!! 降りてこい、おらー!!」

「ま、待て待て、ジャンヌ。これはあれにやられたんじゃない。自滅したんだ」

「え……? そうなの?」

 

 サムソンは弱々しく頷くと、

 

「おまえが死んでしまったと思って、一瞬、頭に血が昇ってしまったんだ。それで力の制御を怠って、こんなことになってしまった。さっき師父にも叱られた」

「師父って……ベル神父!?」

「ああ、おまえも怒りに任せて俺みたいになっちゃ駄目だ。出来るだけ平静を保ち、無理せず、決してやられないように戦うんだ。そうすればいつか隙が出来る。それを師父は教えてくれているのだ」

「……もしかして、さっきから上空に飛び回ってるのは」

「ベル神父ですよ」

 

 二人の会話に割り込んできた声にハッと振り返ると、そこには孤児院の医務室に勤務しているアスタルテが、眉根を寄せながら呆れた素振りでサムソンの方へと近づいてきた。彼女は手にした診療カバンから、包帯やアンプル、注射器などを取り出して、てきぱきとサムソンの傷を手当しながら、

 

「あー、あー、まったくもう……あなた、よっぽど丈夫なつもりか知りませんが、人間の体でこんな無理をしたら、普通死にますよ。って言うか、どうしてまだ生きてるんですか。呆れてものも言えませんよ。応急手当だけはしときますから、もうこの戦闘には参加しないで、そこで見てなさい」

「しかし……あれを放っておくわけには」

「だから、それは勇者ジャンヌと、我々に任せておきなさいって言ってるんですよ。鈍くさいハゲですね」

 

 アスタルテは手際よくクルクルと包帯を巻くと、折れたサムソンの四肢を固定し、ピシャリとその頭を平手で叩いた。彼女はカバンを閉じると、次の患者を探して戦場をキョロキョロ見渡したが、あまりにも多くてやってられないとすぐにさじを投げ、

 

「忌々しい蛇ですね。あの野郎、神父も早く撃ち落としてくださればいいのに……少し、お手伝いしましょうか」

 

 彼女が虚空に手をかざすと、突然、その手に輝く光の弓が現れた。彼女はまるで見えない弦を引き絞るように、ぐっと右手を引くと、

 

「今いまし、昔いませる、全能なる神よ。その栄光と誉れと力によって、我が道を照らしたまえ。7つの封印より解かれし真実の炎。災厄を焼き尽くす鏑矢となれ。神弓(シェキナー)!」

 

 その声が戦場に響き渡った時、上空で神父から逃げ回るように飛んでいた魔王の体が突然、ボンッと弾けた。まるで腹の中に飲み込んでしまった爆弾が破裂したかのように、魔王は全身から血を吹き出して落下する。

 

 戦場に雨のように血が降り注ぎ、次いでドスンと地響きを立てて魔王が地面に激突し、更にベル神父の追撃が深々と体に突き刺さった。

 

「ギヤアアアァァァァアアァァアアーーーーッッ!!」

 

 まるで人間の悲鳴のような巨大な鳴き声が轟き、巨大な蛇のような水竜が、地面をバタバタとたたきながらのたうち回っている。まるでおもちゃ売り場で絶叫する駄々っ子みたいに、高速で全身をバタバタと震わせる魔王の攻撃を辛うじて躱しながら、神父はその体に追撃を浴びせようと試みた。

 

 しかし、その動きが激しく近づけないままでいると、傷ついた魔王の体がどんどん回復していく……

 

「あの回復力、厄介ですね……倒すには、力を合わせるしかないでしょうか」

 

 必殺技は連発出来ないのだろうか、プスプスと肉の焦げる臭いを漂わせ、焼け焦げた左腕を自分で手当しながらアスタルテがつぶやく。その言葉にハッと我に返ったジャンヌが慌てて、

 

「私も神父様の援護に向かうわ」

「気をつけろよ、ジャンヌ」

 

 サムソンの声援を受けて、ジャンヌが戦線に復帰する。その姿を見つけた戦場の兵士たちが彼女を指差し、

 

「勇者ジャンヌが復活したぞぉーーっ!!」

 

 その知らせが戦場に伝わりまた人々は息を吹き返した。ヴァルトシュタインが戦線を立て直そうと怒鳴り散らし、背中に迫りくる魔族を押し返し始め、あちこちから怒号と剣がぶつかり合う金属音が響いてくる。

 

 カナンによって復活を遂げた神人たちもまた神父を援護するかのように、遠目からファイヤーボールをばら撒いている。復活したジャンヌと神父が交互に攻撃を繰り返し、ついに魔王は空に逃げることも出来ないくらい追い詰められた。

 

 しかし、追い詰められ時、人は思いがけない力を発揮するものである。それは魔王も同じであった。

 

「グググウゥゥゥオオオオオオオォォォーーーーーッッッッ!!!」

 

 突然、ファイヤーボールの爆炎の中で苦しんでいた魔王が、低く震えるような唸り声をあげたかと思ったら……ドドドンッ!! っと花火が炸裂するような激しい音が鳴り響いて、魔王を中心に強い衝撃波が広がった。

 

 その衝撃波に吹き飛ばされたジャンヌたちが地面に這いつくばって顔を上げると、魔王レヴィアタンは、まるでベル神父のようなオーラを纏って、巨大な水の玉を自分の周りにこれでもかというくらいに並べていた。

 

 そして次の瞬間、その水の玉から、まるでマシンガンのように、次々と滅茶苦茶に水撃が飛び出してきた。

 

 それはまったく狙いをつけていないらしく、敵も味方も関係なく、たまたまそこにいた者たちを容赦なく吹き飛ばした。

 

 その威力は神人であっても触れれば真っ二つというもので、また幾人かの神人が犠牲になったが、しかし、それはすぐにカナンによって復活する……

 

 だが、復活するのは神人だけではなかった。魔王がまた忌々しそうに鳴き声をあげると、どこからともなく大量の水棲魔族が現れて人々を襲い始めた。それは最初の規模とは雲泥の差で、もはやこの戦場には人類よりも魔族のほうが多いのではないかと言わんばかりの数だった。

 

 これだけの取り巻きを呼んで、まだ魔王は余力があるというのだろうか……? 恐らく、これは無限なのだ。魔王本体を倒さない限り、これは永遠に続くのだろう。

 

「勇者よ!」

「分かってるわ!」

 

 ベル神父の呼びかけにジャンヌが応える。あれを片付けるには別々に攻撃を続けていてはもはや通じない。同時に、自分たちの最強の力を、魔王に叩きつけなければならないだろう。

 

 振り返ると、アスタルテが弓をつがえて頷いていた。三人の意思は固まっている。あとはあいつに隙を作らせなければならないが、何か方法はないか……そう、三人が必死にタイミングを見計らっている時だった。

 

 ゴゴゴゴゴ……ゴゴゴゴゴゴ……どこからともなく地鳴りのような音が響いてきて、それはどんどんこちらに近づいてきた。

 

 ベル神父もアスタルテも、それが何か分からず警戒している。ついさっきそれに手酷い目に遭ったばかりのジャンヌがハッとして顔を上げた時、彼女の代わりに戦場のあちこちから上がった声で、神父達も何が起ころうとしているかを知った。

 

「津波だっ!!」

 

 地響きのような凄まじい音を立てて、どこからともなく現れた大量の水が、戦場に津波となって押し寄せてきた。敵も味方も関係なく、あらゆる物を飲み込む水が、戦場全体を覆っていく……

 

 それは一度目は、あっという間に乾いた地面に吸い込まれてしまったが、二度目の今回はいつ果てるともなく続き、気がつけば戦場は地平線の彼方まで続く大海原のようになってしまっていた。

 

 慌てて空に逃げたカナン達は、どこまでも続く大海原を前に声を失くした。魔王は水中を自由に泳ぎ回り、攻撃を当てようとしても水が邪魔して殆どダメージは期待できなかった。ベル神父も言っている通り、水は全てを包み込む柔軟性を持つのだ。

 

 しかし、これだけの水も、あれだけの眷属も、あの魔王は一体どこから呼び出したというのか……いや、そんなことはもう気にするだけ無駄だろう。

 

 ただ一つ分かっていることは、このままでは人類は負けるということだった。この津波の海の中で、人々は波に揉まれて呼吸が出来ずに死に絶えるだろうが、エラのある水棲魔族ならいくらでも耐えられる。

 

 そして全てが終わった時、残った天使たちと復活した神人たちだけではこの状況は覆せない。そうなる前に、なんとかしてこの水をどこかへ流してしまわなければならないのだが……しかし、そんな方法がどこにあるというのか。

 

 カナンは手にしたアロンの杖を見つめた。出エジプト記でモーセは海を割った。その時に手にしていたのがこのアロンの杖だった。彼は咄嗟に杖を振り上げると、奇跡を起こすようそれに願った。

 

「杖よ! 我々を導き給え!」

 

 するとそれは伝承の通りに海を真っ二つに割った。だが、杖は海を縦に割るだけで、殆どの人たちが未だに海の底だった。根本的な解決には、この水全てを押し流さなければならない。しかし、今彼が持つゴスペルにはそんな機能はなかった。元々、この杖には高次元(カナン)へ導くための機能しかないのだ。

 

 水を蒸発させるだけなら、高エネルギーを扱う彼にも出来た。だが、そんなことをしたら、水中の全ての人間が煮えたぎって死んでしまうのは変わりなかった。ただ、この水だけを吸い出し、どこかへやる必要があるのだ。しかし、そんな芸当は伝説の神様くらいにしか出来ないだろう……

 

「ケーリュケイオン! あの水を吸い尽くせっ!」

 

 その時だった。

 

 戦場を覆う大海原を前に、カナン達が途方に暮れてると、そんな彼の顔に一瞬、影が差した。

 

 何事かと顔を上げれば、彼らのさらに上空に5つの人影が浮かんでいた。そしてその中央……勇者・鳳白が杖を掲げて叫んだ途端に、眼下に広がる大海原から次々と水柱が上がって、その杖の中に飲み込まれていった。

 

 渦潮が発生し、あちこちの水が干上がっていく。そしてその杖が全てを吸い尽くした時、地上の人々は未だ健在であり……そして呆然とする魔王に対して、人類は救世主を迎えていたのだ。

 


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