ラストスタリオン   作:水月一人

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束の間の勝利

 いくつもの水柱が竜巻のように空へと巻き上がり、それは全てたった一本の杖に吸い込まれていった。信じられないことに、地上を満たしていた大海原は、それによって地面がカラカラになるまで吸い上げられてしまった。

 

 きっと必勝の構えのつもりだったであろう魔王軍の魔族たちは、まるで陸に打ち上げられた魚のようにえら呼吸しながら、ぽかんと空中に浮かぶその影を仰ぎ見ていた。そして芋洗いされて敵味方がぐちゃぐちゃに入り乱れた地上に、上空から銃弾の雨あられが撃ち下ろされたかと思えばと、それは正確に敵だけを撃ち抜いていった。

 

 人間は経験する生き物である。津波攻撃も二度目となれば多少余力が残っていたのか、津波に流されていた兵士たちも、水が引くや否や間髪入れずに武器を取って、またすぐ戦闘に戻っていった。

 

「勇者だ! 勇者が来た! クレア様の言う通り、ヘルメス卿が帰ってきたんだ! これで勝てる! 俺たちは絶対に勝てるぞ!!」

 

 上空の援護射撃に気づいた誰かがそう叫ぶと、それは波のように戦場を伝わり、勇気づけられた兵士たちから次々と歓喜の雄叫びが上がった。津波から立ち直った彼らは、今度は地面がカラカラに乾いていることに驚きつつ、まるで水を得た魚のように目の前の魔族に切りかかっていった。

 

 一方、水を失った本物の水棲魔族たちは、また元のぎこちない動きに逆戻りし、形勢はあっという間に逆転した。ヴァルトシュタインはすぐさま戦線を立て直すように部下に指示すると、クレアを中心に据え、未だ調子を取り戻せていない魔族共をグイグイと押し返していった。

 

 スカーサハがマニとルーシーを引き連れて魔王の方へ向かう。鳳が援護射撃を続けるギヨームをゆっくり高台に下ろしていると、遠くの方から翼を広げたカナンが飛んできた。

 

「ヘルメス卿! あなたが来てくれて、本当に助かりました。ニューアムステルダムの方は片付いたんですね?」

「すみません。それがまだなんですよ。俺たちは確かに魔王を追い詰めたんですが、そしたらなんとその魔王が逃げ出しちゃったんです」

「……魔王が、逃げた!?」

「追いかけようとしたんですが、これが馬鹿みたいに速くって……それで逃げてく方角を確かめていたら、もしかして、あの魔王はこっちに合流しようとしてるんじゃないかと思って、すぐに先生に伝えなきゃって飛んできたんです」

「なんですって!? そんなことになったら、我々にも成すすべがありませんよ」

「だから、あいつが来る前に、さっさと目の前のデカブツを片付けようぜ」

 

 ギヨームがひたすら冷静に援護射撃を続けながら、ぶっきら棒にそう答える。カナンは全くその通りだと頷くと、

 

「ニューアムステルダムからここまでとなると、まだ数日はかかりますよね?」

「あれがただの野生動物ならそうですけど、魔王ですから……俺たちだって、こうしてポータル移動してきたわけですし」

「……油断は禁物というわけですか。わかりました。今は全力で、出来るだけ速やかにあれを片付けましょう」

 

 三人は頷きあうと、ギヨームをその場に残し、鳳とカナンは空を飛んで魔王に近づいていった。

 

 地上では生き残った一般兵が魔王軍を相手に善戦を続けていた。その取り巻きに邪魔されないように、神人兵たちが行く手を阻み、ベル神父とマニが空を飛ぶ魔王に攻撃を仕掛けている。

 

 ベル神父はレビテーション魔法で自由自在に飛び回れ、マニはマニでクナイ手裏剣に結んだワイヤーを駆使して、魔王の体にまとわり付くようにちょろちょろ動き回ってはヘイトを稼いでいた。

 

 マニに挑発された魔王が腹立たしそうな声で鳴きながら、空中を不規則に飛び回る。マニはそんな魔王に振り落とされないよう、見事なバランス感覚でその背中を駆け回り挑発し続け、それに苛立った魔王が隙を見せるや、すかさずベル神父が手堅い攻撃をお見舞いしていく。

 

 そんな二人の連携で浮力を失った魔王が地面に落ちると、そこに待ち構えていたジャンヌが強烈な神技の一撃を繰り出し、続けざまに現代魔法(バトルソング)のバフが乗った神人部隊のファイヤーボールが襲った。

 

 鋼鉄よりも硬い鱗がパラパラと舞い散り、空中を飛んでいる鳳にその衝撃が届くくらいの大爆発が起こったが……だが、それでも魔王は倒れなかった。

 

 魔王の体が不思議な光に包まれると、たった今ジャンヌにつけられた傷は一瞬にして回復してしまった。魔王はお返しとばかりに、地上を這いつくばっている生意気な神人たちに水撃を弾丸のように打ち込んでくる。

 

 水撃に撃ち抜かれた神人たちから血しぶきがあがるが、こちらも驚異的な回復力ですぐに傷が塞がる。双方とも回復力を武器とした、いつ果てるとも知れない消耗戦のような戦いが繰り広げられているようだった。

 

「……苦戦してますね」

 

 鳳は魔王の攻撃を真似て、杖に取り込んだ水を圧縮して打ち出しながら言った。

 

「どうやらあれは防御力の高さもさることながら、とにかくその再生能力が厄介なようです。攻撃が効きづらい上に、傷つけた端から回復してしまうみたいで」

「神人たちの攻撃はあまり効いてない感じですね。数撃ちゃ当たるって感じではありますが」

「ジャンヌさんやベル神父の攻撃なら通用するのですが、いかんせん、相手は空を飛んでいるので、有効な打撃を加えるのが難しく……」

「逃げたやつとはまた違う、防御特化って感じだな……」

 

 ニューアムステルダムに現れたカバの方は、殆どただの的だったが、とにかくタフすぎていくらやっても体力が削りきれない感じだった。そして人間を食らうことで体力を回復する。ひたすら体力だけを増やすように進化した怪物といった感じだろうか。

 

 対して、こっちの水竜はひたすら表面の防御を固めるように進化した魔王と言ったところだろうか。鱗や皮膚を硬くして攻撃自体を弾く上に、取り巻きを召喚して近づけさせないようにし、そして空を飛び水撃や津波で遠くから攻撃する。

 

 しかし逆に言えば、有効な攻撃が届きさえすれば、案外勝ち目はあるかも知れないということだった。生物というのは、何かに特化すれば、その反動で他の部分が弱くなる。例えば毒を持つ植物は、その毒のお陰で捕食者に食べられない代わりに、成長が遅くなり生存競争に負けてしまうのだ。

 

 それと同じように考えれば、カバが防御を無視してひたすら体力というかHPを増やしまくった生物ならば、こっちは防御を固めていることでHPが低い可能性がある。カバには効かなかった鳳の崩壊魔法が、こいつには効くかも知れないのだ。

 

 問題は、攻撃者を近づけさせないように空を飛んだり、取り巻きが邪魔することだった。まずはこれをなんとかするのが前提条件だ。

 

 取り巻きは、現在、ヴァルトシュタインや一般兵士が何とか押し留めている。ここへ更に、ヘルメスの神人部隊も加われば問題ないだろう。あとは空を飛ぶ魔王をどうやって地面に縫い付けておくかだが……ベル神父やマニ、ジャンヌならそれも可能かも知れないが、彼らがその場にいる限り、鳳も極大魔法は撃てない。その間に回復してまた逃げられてしまっては元も子もない。何か他に方法はないだろうか……

 

 鳳が高圧水鉄砲を打ち続けながら、そんなことを考えている時だった。

 

 先に地上に降りて、ルーシーと共にバトルソングを唱えていたスカーサハが、後衛を妹弟子に任せて前線に飛び出した時だった。他の神人よりも高レベルになっていた彼女が、一段回上位の攻撃魔法、ライトニングボルトを撃った時、一瞬、水竜の動きが止まったように見えた。

 

「……今、嫌がったか? ライトニングボルト!」

 

 鳳がすかさず追撃をお見舞いすると、更に威力が上がった電撃魔法に、堪らず魔王はよろけて逃げ出し始めた。鳳はそれを見てニヤリとほくそ笑んだ。

 

 なるほど……水生生物と言えば電撃特攻がゲームのお約束だ。そもそも、あれだけ可動域の多い生き物の神経網が電気に強いわけがない。いくら表皮が硬くても電気を通すのであれば、いくらでもその動きを止められるだろう。

 

「カナン先生、電撃です!」

 

 鳳はカナンに向かって叫ぶと、自分は戦場をキョロキョロ見下ろし、そこにペルメルとディオゲネスの姿を見つけるや、彼らのところへ急降下していった。

 

「ヘルメス卿! 我々はあなたのご帰還を心より祝福いたします」

「我らヘルメス神人部隊一同、これよりあなたの指揮下に入ります。我々の忠誠心を、どうぞ存分にお試しください」

 

 鳳が空から降りてくると、すかさずペルメルとディオゲネスが駆け寄ってきて、彼の前で恭しく頭を下げた。すると周囲の神人たちも真似をして、その場で膝をつき、胸に手を当て、俯くように頭を下げた。

 

「いや、馬鹿、そんなのいいから、戦闘に集中しろよ!」

 

 鳳が慌てて叫ぶと、神人たちは心得ているといった感じですぐに戦線に復帰した。彼は額の冷や汗を拭ってから、その場に残った部下の二人に向かって言った。

 

「つーか、聞きたいことがあって降りてきたんだ。神人の中にライトニングボルトを撃てる奴はいないか? ってか、君らにも共有経験値送ったと思うんだけど、まだ撃てないの?」

「ライトニングボルトですか……? そんな上位魔法は、とてもとても」

 

 どうやらペルメルもディオゲネスもまだ使えないらしい。実はここに来る前に、相当な経験値を振り込んでいたはずなのだが……なんやかんやソフィアはエミリアの分身だけあって、成長が早かったのだろうか?

 

 まあ、今はそんなことを気にしている場合ではないだろう。鳳は自分のステータス画面を開くと、二人の名前をアホみたいに連打し、

 

「これでどう? 流石に使えるようになっただろう?」

「これは……信じられない」「おお、ものすごい力が溢れてきます!」

「使えるようになったんだな? じゃあ、他の連中にも配るから、みんなで一斉にあいつに電撃をお見舞いしてくれないか? 皇帝陛下のお付きの二人もお願いします!」

 

 鳳が叫ぶやいなや、マッシュ中尉とフェザー中尉の二人は、自分たちのレベルがぐんぐんと勝手に上がり始め、驚愕の声を上げていた。戦場にいる他の神人たちにも同じ事が起こったらしく、あちこちでそんな叫びが起きている。

 

 鳳は思いつく限り全ての神人にありったけの経験値を割り振ると、それでもまだ大量に残っている共有経験値を見ないふりしてステータス画面をそっ閉じしつつ、

 

「あの魔王の弱点は電撃だ! MPの続く限り、ありったけの電撃を打ち込んでやれ! 大丈夫、みんなの力を合わせれば勝てる! 俺たちで勝利をもぎ取るんだ!」

 

 鳳の掛け声に応えて、神人たちは鬨の声を上げると、すかさず魔王に向けて電撃の嵐をお見舞いした。無数の電撃が空中を飛び交い、空が紫がかってオゾン臭のような臭いが漂ってくる。

 

 突然、無数の電撃を食らった水竜は、やはりそれが弱点であったらしく、空中で硬直するとそのまま浮力を失くして地面に落下した。魔王は地面でのたうち回り、なんとか空へ逃げようとするが、そうはさせじと電撃の雨あられが襲う。

 

 やがて電撃を受け続けた魔王の体は帯電し、灼熱して真っ赤な放射を放ちはじめた。それが自己回復の光なのかそうじゃないのか、いまいち判別はつかなかったが、少なくとも分かっているのは、今のそいつは身動きが取れないということだった。

 

 鳳は今が最大のチャンスとばかりに自分のステータスをINT特化に振り直し、最強の一撃をお見舞いしてやろうと杖を振りかぶった。しかし、その時、彼は自分のMPが最大でないことに気がついた。

 

 ケーリュケイオンの残りMPはもうない。このままでも相当な威力が出るだろうが……最善を尽くさずして負けてはもう言い訳も効かないのだ。今すぐみんなからMPを徴収したいところだが、そんなことを説明している間に奴が復活してしまったらまずい……

 

 何でこんな大事な場面でツメが甘いんだ! 鳳が顔面蒼白になり、右往左往している時だった。

 

「黎明の炎。赤より朱い暁の炎。全ての生命の源にして、この世を焼き尽くす紅蓮の炎。今、東の空より来たる我は金色。万象を司る神よ。全知全能のあなたの慈悲にすがり、今日も一日を始め、そして終えよう。深淵より来たれ、最古の炎。答えよ。我が名は明けの明星(ポースポロス)!」

 

 鳳の前にスッと飛び出たカナンが、真の名を告げた時、それは本当に深淵よりやってきた。突然、帯電して動けなくなっている魔王の下の地面が円形に明るく輝いたと思ったら、次の瞬間、まばゆい光を放ちながら地面から炎の柱が吹き出した。

 

 それは一瞬にして天高くまで上昇し、まるで太陽の光のように、暮れかけていた戦場を煌々と照らした。それは太陽の白熱光よりも白く青く、近づくものを何もかも溶かしてしまうエネルギーの塊だった。

 

 天井を焦がす炎の柱が上がるやいなや、その周りにいた敵も味方も全てが吹き飛び、ゴオゴオと音を立てて地面が揺れた。鳳が杖の魔力で爆風を防ぎながら、目を細めて光の中を見続けていると、やがてその炎はスイッチを捻るかのようにスッと消え失せた。

 

 地面は真円に真っ黒に焼け焦げており、その上には焼きすぎて炭化してしまった鰻のようなオブジェが残されていた。表面からは真っ白い灰がふわふわと吹き上がり、あちこちから黒い破片がパラパラと崩れ落ちている。先程の炎の影響で強い風が吹くと、そのオブジェはズシンと音を立てて倒れてしまった。

 

 魔王レヴィアタンの成れの果てだ……

 

 今度こそ勝った!

 

 誰もがそう思っていた……

 

 ところが、そんな真っ黒に炭化したオブジェが、その時、突然ぼんやりとした白い光を発し始めた。それは魔王の自動回復で起こった光に似ていた。

 

「馬鹿な!」

 

 自分の攻撃呪文を受けてなお生きようとしている魔王を前にして、それを信じられないカナンが驚愕に目を見開いて叫び声を上げる。遠くまで飛ばされた神人部隊は地面に這いつくばって呆然とそれを眺めている。

 

 敵も味方も動けなくて、あれだけうるさかった戦場には風の音だけが響いていた。真っ黒なオブジェから発する光が強くなってくると、その表面がパラパラと落ちて、中から再生した皮膚のようなものが覗いていた。

 

 誰もが駄目だと思った。ここまでやって死なない魔王を、どうやって殺せばいい? 鳳も空を飛びながら、次の手が思い浮かばなくてぼんやりとしていた。

 

 だが、そんな中でもまだ諦めない者が一人だけいた。誰一人として動けない、そんな中で、金髪をたなびかせ、鈍く光る刀身の細剣を構えた神人の女性が、猛然と魔王に向かって突撃していく。

 

「紫電一閃ーーッ!」

 

 ジャンヌはいいところが全く無かった今回の戦闘に嫌気が差して、最後くらい絶対に自分が決めてやろうと奮起していた。普通ならば、その驚異的な生命力を前にしたら、誰もが絶望して逃げ出すことを考えるだろうに……実はニートをしながらずっとVRMMOをやっていた彼女からしてみれば、こんな状況は慣れっこだったのだ。

 

 魔王が発狂モードになって力を増す? 倒したと思ったら復活した? そんなの当たり前だ、魔王なんだから。これくらいのことをやってくれなきゃ、ラスボスとして存在する価値はない。

 

 鳳を見ろ、普通に考えたら弱そうじゃないか。あの体のどこにあれだけの力を秘めているというのか。魔王だってそれと同じだ。油断したら簡単にやられてしまうだろう。最後まで諦めたら駄目なんだ。

 

「千切りっ! 短冊切りっ!! 流し斬りィ!!!」

 

 彼女は魔王の皮膚が再生する度、まるでモグラ叩きみたいにそこを狙って攻撃を続けた。魔王の再生速度と自分の攻撃速度と、どっちが早いかというつもりだった。

 

「スパイクロッドッ!!」

 

 だが、その時、そんな彼女の姿に勇気づけられ、我を取り戻した鳳が飛び込んできた。彼はまだ真っ黒に炭化している魔王の頭に狙いを定めると、手にした杖を思いっきり振り下ろしながら叫んだ。

 

「ジャンヌ! 頭だ! 頭を潰せ!!」

 

 ほぼすべての動物はその体を制御する機能を脳に持っている。これも元は地球の生物、それも人間であったのなら、その構造は殆ど変わってないのではないか。ならば、あの自己回復を司る機能も、こいつの脳のどこかにあるはずだ。

 

 どうせ、こんな幻想動物みたいなデカブツの急所がどこにあるのかなんてわからないのだから、やるとしたら頭をやるしかない。その方がわかりやすい。シンプルだ。

 

 だから二人は餅つきみたいに、交互にそいつの頭をぶっ叩きまくった。

 

「二段切り!」「唐竹割り!」「ダンシングソード!」「ブレインクラッシュ!」

 

 ドカドカと頭を叩く度に、脳髄や血液やその他諸々の液体が飛び散って、二人はあっという間にドロドロになってしまった。それは傍目にもどうしようもなく野蛮で、汚くて、とても勇者と呼ばれる者たちがやるようなことではなかった。

 

 と言うか、やっている当の本人たちだってゴメンだった。だが、ある意味とても人間らしいと言えた。人間というのは太古の昔から、道具を作り、他の動物をぶっ叩いて、そしてこの世のあらゆる生物の頂点に上り詰めたのだ。

 

 万物の霊長とは、ただ棍棒を振り下ろすものだと知れ。そんな思いを込めて、ジャンヌは渾身の力を振り絞って剣を叩きつけた。

 

「快刀乱麻っっ!!」

 

 ガッキンッ!! っと、まるで鉄の棒が真っ二つに割れるようなそんな音がしたと思ったら、魔王の眼窩の骨が砕けて、ジャンヌはそのまま目ン玉の中に落っこちてしまった。ゼリー状の何か気持ち悪いものに包まれながら、どうにかこうにかそこから這い上がろうとして滅茶苦茶に泳いでいたら、何かがブチッと切れて急に泳ぎやすくなった。

 

 杖を眼窩に突っ込んで、鳳が芋掘りみたいに彼女を引っこ抜いた。引き上げられたジャンヌは何かもう色々な液体に塗れて、わけの分からない状態になりつつも、彼らはまだ諦めずに武器を取ると、またそれを振り下ろそうとして……それに気づいた。

 

 見ればさっきまでしつこく発光し続けていた水竜の体が、今はピクリとも動かず静まり返っている。

 

 ハアハアと息を荒げながら顔を上げたら、戦場に散らばっていた無数の水棲魔族が、まるで最初からそこには何も居なかったかのように、全てが幻想のようにかき消えていくところだった。

 

 不思議な光の礫を撒き散らしながら、次々と魔族が消えていく。戦場をぐるりと見回せば、残っているのは勇者が踏みにじっている魔王の死骸と人間だけだった。

 

「やったか……?」

 

 肩で息をしながら、鳳が呆然と呟く。ジャンヌもハアハアと言いながら、無言で拳を差し出してきた。鳳がそんなジャンヌの拳にグータッチで返すと、

 

「ぃよっしゃああああァァァァァーーーーーーーーっっ!!!」

 

 ジャンヌは鳳の背中をバチンと叩いて、まるで昔のゴリラに戻ってしまったかのような、汚い雄叫びをあげた。甲高い声が静まり返った戦場に響き渡って、まるでオペラの一シーンのようだった。

 

 その叫びに呼応して、誰かが歓喜の声を上げると、それはどんどん周囲に浸透していって、戦場を埋め尽くす喚声に変わっていった。間もなく、人々が大挙して押し寄せてきて、地面がドドドっと振動し始めた。

 

 魔王の体液でぐちゃぐちゃになっていた鳳とジャンヌの二人は、駆けつけた兵士たちに揉みくちゃにされて、今度こそ本当にくたびれた雑巾みたいになってしまった。だが、そんな英雄に対するものとも思えない雑な扱いのなんと嬉しいことだろうか。

 

「ダーリンっ!」

 

 二人が兵士たちに混じって馬鹿みたいに雄叫びを上げていると、そんな兵士たちをかき分けてクレアが飛びついてきて、彼女は鳳の首に腕を絡めてしがみつくと、そのまま滅茶苦茶にキスをした。

 

 歯と歯がぶつかり合うような激しいキスを何度も見せつけられて、兵士たちからヒューヒューという冷やかしの声が上がる。

 

 ヘルメス卿になるための芝居でしかないと言われていたクレアの想いは、今本物の英雄とその妻の物となった。

 

 誰もが祝福の声をあげ、場はその姿をひと目見ようと言う兵士たちで騒然となった。

 

 ジャンヌは少し寂しそうな目をしながら、それを遠巻きに見ていた。それは嫉妬とかそう言う気持ちではなくて、彼の隣にいるのが自分ではないことに、今はこれっぽっちも悔しく思っていないことに対する複雑な心境の現れだった。

 

「ジャンヌ……無事か!」

 

 彼女がそんなことを考えていると、包帯でミイラみたいになったサムソンが足を引きずりながら寄ってきた。全身傷だらけで、普通なら立っていることさえ出来ないはずだ。ジャンヌは慌てて彼に肩を貸すと、

 

「あんたも相当タフね」

「お前ほどじゃないぞ。本当はすぐに駆けつけたかったのに、お陰で出遅れてしまった。お前も勇者も、諦めないで戦う姿は感動的だった。あの時、隣にいるのが俺じゃなくて本当に残念だったぞ」

「……そうね。ああいう泥臭いのは、白ちゃんみたいな本物の勇者よりも、私たちのほうがお似合いよね。次があったら抜け目なく駆けつけてちょうだい」

「次があったら困るだろう」

 

 二人はお互いに見つめ合うと、ハハハと楽しげに笑った。

 

 誰もがそんな感じに祝福ムードだった。戦闘はもう終わり、自分たちは勝利したのだと確信していた。無事な者が傷ついた者に肩を貸して、みんな輪になって歌を歌い、あちこちでけが人の治療も始まって、誰かがこっそり忍ばせていた酒を片手に勝利の祝宴をあげる者まで現れた。

 

 これで何もかも終わりだ。この国を二分していたロバートもいなくなり、彼に付き従っていた庶民たちも、今やクレアを本物の主と認めていた。あとはこのままフェニックスに凱旋して、魔王の討伐と、新たな女王の誕生と、そして我々の戴くべきその女王の結婚をみんなで祝福するのだ。

 

 そんな弛緩した雰囲気に、誰もが緊張を失くしていた時だった。

 

「ちょっと待て! まだ終わってないんだよ!」

 

 騒ぎの中心で人々に揉みくちゃにされ、うっとりと彼のことを見つめているクレアをお姫様抱っこしながら、鳳が何かを叫んでいた。しかし周りの兵士たちは既に終戦ムードで、彼の言ってることを殆ど聞いちゃいなかった。

 

 ジャンヌはそんな彼のどこか緊迫した声に少し不安になって、それがちゃんと聞こえる場所まで近寄ろうとした。彼女が肩を貸しているサムソンがうめき声を上げ、人々をかき分けることに苦労していると……

 

 その時、彼女は何か地面から強い振動が伝わってくるのを感じた。

 

 これだけ大勢の人々が集まっているのだから、そんな振動は絶えず聞こえてくるのだが、それは何だ今までとは重量が違うような気がした。おかしいと思った彼女が立ち止まり、耳をそばだてていると、兵士たちの喚声に混じって、別の何かの音が聞こえてくる。

 

 ドドド……ドドド……と、音は段々近づいてきている。その音に、レヴィアタンのタイダルウェイブを思い出したジャンヌは、まさかと思って兵士たちに足蹴にされている魔王の死体を振り返ったが、それは息を吹き返したわけでもなく、そこには巨大な屍を晒しているだけだった。

 

 それじゃ、あの音は何なんだろう……? とにかく、ここにいたらマズい気がする。彼女がそう思って、いま来た道を引き返そうとした時だった。

 

「みんな話を聞いてくれ! 戦闘は終わってない。魔王はもう一体いるんだよ!」

 

 鳳の叫び声が耳に届いた瞬間、彼女は青ざめた。あれだけの死闘を繰り広げて、ようやく勝利したというのに、それが未だ終わっていないというのか? 魔王がもう一体居るだって? ……それじゃ、さっきから聞こえてくるこの音は?

 

 ドンッ! ドンッ! ドンッ! っと、遠くの高台から艦砲射撃のような衝撃音が轟いて、水平射撃された弾丸が空気を切り裂きながら飛んでいった。ギヨームの巨銃から撃ち出された弾丸が水平線の向こうに着弾すると、爆発音がして何かが吹き飛んだ。

 

 それが何本かの大木であることが判明した時、戦場にいる兵士たちはみんな、信じられない光景を目の当たりにしていた。

 

 南の方からものすごい土煙を上げて、山がこちら目掛けて移動してくるのだ。山というより小高い丘くらいの規模ではあったが、全体がびっしりと木々に覆われていて、その山が動く度にユサユサと揺れた葉っぱが舞い散っていく。

 

 だが、動く山など古今東西見たことも聞いたこともない。何事かと唖然とジャンヌが見守っていると、続けざまに撃ち出されたギヨームの弾丸が次々と命中し、山の表面で爆発したと思ったら、表面の土砂が弾けて、中から巨大な目がギロリとこちらを覗いていた。

 

 それは山ではなく、巨大な生物だった。巨大な生物が森の木々を巻き上げながら突き進み、それを背中に乗っけたまま、こっちに向かって信じられない速度で走ってきているのだ。

 

 ベヒモス……

 

 その山から覗く鋭い目つきと、カバみたいに大きな口と無数の牙。そしてその巨体を見た時、ジャンヌは自然とその言葉を思い出した。帝都の神の揺り籠で見つけた二体の魔王のデータのうち、もう片方も出現していたのだ!

 

 ドドドドドドドドドッッ!!

 

 音はいよいよ大きくなり、地面の振動が激しくなった。人々は逃げ出そうとしたが、それがあまりにも巨大すぎて、どっちへ逃げていいのか分からなかった。硬直する人々が呆然と見守る中、それはどんどん近づいてくる。

 

 鳳がクレアを抱えたまま宙に逃げると、それを見た人々も我先に慌てて逃げ出そうとし始めた。あちこちで将棋倒しが起こり、逃げ惑う人々で戦場はまた大混乱に陥った。

 

「ディスインテグレーション!!」

 

 鳳は少しでも多くの人々を救おうとして、今撃てるありったけの力で魔法をお見舞いしてやった。だが、その山は少し速度を落としただけで、まったく止まる気配は無かった。

 

 地上はいよいよ大地震のように揺れ、人々は立っているのがやっとという有様だった。逃げることを諦めた人々が目をつぶって地面に伏せる中に、そしてそれは猛然と突っ込んできた。

 

 体高30メートル、体長は60メートル以上……重さにしたら何千トンあるのか想像もつかない、例えるなら移動要塞のような怪物が、粉挽きのように人々をすり潰しながら戦場を駆け抜けていく。

 

 その巨体の立てる足音に勝るとも劣らない悲鳴が轟き、戦場はあっという間に阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。神人も人間も、将校も一般兵も関係なく、この巨大質量を前に、誰もが等しく無力であった。

 

「あああああぁぁーーーっっ!! ちくしょう! ちくしょう!! 足をやられた!! あの野郎……ぶっ殺してやるっ!!!」

 

 地上でヴァルトシュタインが憎悪の叫びをあげている。すぐ近くにはテリーも居るが反応が無い。二人は共に大怪我を負ってしまったようだ。咄嗟にクレアだけは助けられたが、彼らのことを置き去りにしてしまった。

 

 このままでは彼らも奴の餌食になってしまう。何しろ、あの怪物は、自分の体を維持するために、人々を喰らい続けるようなやつなのだ。

 

 鳳は慌てて彼らを助けようと急降下した。クレアが必死にしがみついてくる。うめき声を上げる人々の中に降り立つと、藁をも縋るような目で助けを求める兵士たちが駆け寄ってきた。

 

 戦場は広範囲に渡って広がっており、とても全域をカバーすることは出来ない。だが、やるしかない。鳳はすぐにニューアムステルダムのときのように、ポータル魔法で彼らを避難させようとしたが……すぐにその必要がないことに気がついた。

 

 戦場に飛び込んできた魔王は猛烈な勢いで人々を轢き殺した後、少し行き過ぎて荒野のど真ん中で止まった。急停止の反動で、表面を覆っていた土砂と木々がザザザっと崩れ落ち、中から泥だらけのカバが現れる。そしてそいつは方向転換すると、またこちら目掛けてドスドスと駆け寄ってきた。

 

 ところが、そんな魔王から逃げようとして悲鳴を上げている大軍には目もくれず、魔王はそのままドスドスと鳳の方に近づいてきたかと思ったら、身構える彼のことも無視して、そのすぐ近くに横たわっていたもう一体の魔王レヴィアタンの死骸に食いついた。

 

 ガツガツ、バキバキ、ミシミシと、気持ちの悪い咀嚼音が轟いている。どうやら、怪物は地上を蠢く蟻のような人間には見向きもせずに、もっと美味しそうなご馳走に食いついたようだった。

 

 しかし、ベヒモスより小さいとは言っても、レヴィアタンの体長も30メートルは越えている。これを食らいつくすには相当時間がかかるだろう。その隙にポータルで人々を逃し、戦える者たちで体勢を整えねば……

 

 鳳がそう判断し、すぐさまルーシーを探そうとして飛び立とうとした時だった。

 

 彼はなんとなく、嫌な予感がして、すぐ近くで水竜の死骸を食べている、もう一体の魔王を仰ぎ見た。

 

 魔王二体が合流することを恐れて、急いでその片方を始末した。果たして、こちらの望み通りに、水竜は勇者の力によって退治され、もう、二体の魔王から同時攻撃される心配はなくなった。

 

 だが、本当にそれで良かったのか?

 

 魔族、そして魔王というのは元々は人間だったという。怒りの化身と化した人間が肉体を変質させ、他者を殺し、喰らい、女を犯す怪物になった。そう、魔族は人間だけではなく、同族同士でも殺し合い、女を犯して自分の分身を作り出し……そして食うことによってDNAを取り込み、形質を変化させるのだ。

 

 じゃあ、その魔王が、また別の魔王を食べたら?

 

 鳳は自分の血の気が急激に失せていくのを感じた。こいつの目的は最初から共闘なんかじゃなくて、この世界に現れたもう一体を食うことだったのだ!

 

 ドンッ! ……っと、物凄い衝撃音が轟き、突然、水竜を食らっている巨大カバの周囲に、青白い炎のようなオーラが立ち込めた。その衝撃によって、周辺に居たもの全てが吹き飛び、戦場のあちらこちらに散っていった。

 

 鳳はそいつの放つ衝撃波から身を守りながら、その体が変化していくのを見ていた。周囲に立ち込めるオーラが、どんどんどんどん密度を増していき、やがてそれは細長く巨大な繭のような形になった。

 

 それが発するエネルギーが、戦場を陽炎のように揺らしている。今目の前に、きっと手のつけられないような何かが生まれようとしているというのに、人類はそれを見守るだけで、何も出来なかった。

 


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