ラストスタリオン   作:水月一人

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良かった良かった

 荒野のあちらこちらから火柱が上がり天を焦がしていた。空はあっという間に黒煙に飲み込まれ星一つ見えなくなった。なのに昼間みたいに明るいのは、全部地上から吹き出す炎のせいだった。

 

 ぽっかりと口を開けたクレーターの中からはドロドロの溶岩が溢れ出し、荒野の至る所で地割れが起きて、地面がグラグラと揺れていた。生命は全て失われ、水もなく、砂と煙と灼熱だけがそこにはあった。

 

 どこからか風が吹き付けて、光の礫を撒き散らしていった。それがどんどん収束して、まるで光の帯のようになっていく。それが地面を突き抜けると、それの発する熱で地面が焼け焦げ、やがて溶け出した。強烈なエネルギーの固まりが、縦横無尽に空中を駆け回っている。

 

 鳳は杖を使って慌ててそれを吸い込んだ。こんな現象、今まで見たことがなかったが、多分それの正体は分かっていた。恐らく、これが第5粒子(フィフスエレメント)だ。直接、それを魔王にぶつけた影響か、普通なら熱を発して消滅するだけのエネルギーが、何故か今はこの空間に溢れ出してきているのだ。

 

 一難去ってまた一難、どうにかこうにか魔王を倒したというのに、何でこんな目に遭っているのか、鳳は天を仰いだ。

 

「一体どうなってんだ!? このエネルギーはどこから来ている!?」

 

 まるで空間の隙間からにじみ出てくるように溢れてくる第5粒子を吸い込み続けながら、鳳は焦りの言葉を叫んだ。カナンが飛んできて、溢れ出す第5粒子にぶつけるように、いくつもの光球をばら撒きながら、

 

「わかりません。しかし考えても無駄でしょう。多分、この世界の外側、高次元の方向からとしか言いようがありませんから」

「なんでこんなことに……」

「これはただの推測ですが、魔王を倒したあなたの攻撃によって特異点が発生し、レオナルドの迷宮そのものが壊れようとしているのかも知れません。回転するブラックホールが空間に穴を開け、そこから第5粒子が溢れてきているんです」

「そんな馬鹿な! ブラックホールなんて、この広い宇宙にいくらでも存在するでしょう!?」

「ここはレオナルドの迷宮の中なんです……今、300年かけてそれが終わろうとしていた通り、この世界は完全では無かったんですよ」

 

 カナンの飛ばす光球は、その空間のほころびを修復しているようだった。だが、その速度が全然追いついておらず、鳳の吸い込む速度のほうが早いくらいだった。このまま吸い込み続けていれば、今の状態は維持できるだろう。だが、ケーリュケイオンにだって限界があるかも知れない。

 

 このままではこの世界が崩壊するのが先か、ケーリュケイオンが壊れるのが先かのチキンレースになりかねない。何か他に方法は無いのか……しかし、世界の崩壊を食い止めるなんて、口で言うほど簡単ではないと、鳳たちが焦っている時だった。

 

 突然、ポロロンポロロンと竪琴を奏でるメロディが聞こえてきて、空間に溢れ出してきていた第5粒子が急減した。それは決してゼロではないが、明らかに先程より勢いが弱まっており、カナンの修復が間に合い始めた。

 

 鳳はどこぞのゴーストバスターみたいに忌々しいその光を吸い込みながら、音の出どころを振り返った。妹弟子を守りながら、MP回復に努めていたスカーサハが、ようやく立ち直って空を飛びながらオルフェウスの竪琴を奏でている。どうやらそのお陰で、第5粒子の奔流が止まっているようだ。

 

 彼女は竪琴を奏でながら近づいてくると、

 

「……話ではオルフェウスの竪琴は高次元からの攻撃を防ぐものだと言ってました。だからもしかしてと思って試してみたのですが、何とかなりましたね」

「ナイスです、先生!」

 

 鳳がほっとため息を吐いていると、スカーサハはそれを嗜めるように緊迫感を湛えた表情で続けた。

 

「ですが、結局これはただの時間稼ぎに過ぎません。相変わらず、地面は揺れ、火柱は立ち上り、世界の崩壊は続いています。早くこれをなんとかしなければ……」

「そうだ! この世界が爺さんの迷宮なら、爺さんに頼めばなんとかなるかも!」

「……その大君が無事だと良いのですが。世界がこの通りなのに、彼が平気とも思えません」

 

 鳳の顔から血の気が失せていった。確かにスカーサハの言う通り、この状況でこの世界の創造主であるレオナルドが無事とは限らない。もしかしたら彼の身に危険な何かが既に起きている可能性が高い。しかも、それは自分のせいなのだ。

 

「鳳! ポータルを出せ! 行ってレオを連れてくる!!」

 

 鳳が青ざめていると、そんな彼の下へ焦れったそうにギヨームが駆け込んでくる。鳳はその言葉にハッと我に返ると、すぐにヴィンチ村へのポータルを出したのだが……

 

「……おい、どうなってんだ! 全然違う場所に繋がってんぞ!?」

 

 ポータルを潜ったギヨームは、数秒もしない内に帰ってきてしまった。鳳がそんなはずはないと、何度もポータルを作り直したが、何故か、そのどれもがヴィンチ村には繋がらなかった。

 

「これは……ヴィンチ村が消えたとかじゃなくって、空間事態が滅茶苦茶に繋がってるってことだろうな。これじゃあ、もしもポータルを使わずに直接飛んでいったとしても、村には辿り着けないぞ」

「ど、どうすりゃいいんだ!?」

「わかんねえよ! お前が考えてわかんねえこと、俺がわかるわけねえだろ!」

 

 ギヨームがなんだか理不尽に逆ギレしている。ちょっとくらいお前も考えてくれてもいいだろうにと、鳳が不満に思っている時だった……

 

「むっ……どうやら、刈り取りが始まってしまったようだ」

 

 鳳たちのやり取りを黙って遠巻きに見ていたベル神父が、いつも通りの厳かな口調でそんなことを口走った。ドキッとして彼に視線を向ければ、神父の体が淡い光に包まれ半透明に透き通り始めていた。

 

「いけませんっ!」

 

 それを見て、スカーサハが慌てて竪琴を奏でるのをやめると、途端にさっきまでと同じように第5粒子で空間が溢れかえりそうになった。恐らく、彼女は刈り取りの方を優先的に止めようとしたのだろうが、もはや竪琴の力無しでは世界の崩壊を食い止めるのは難しそうだった。

 

 鳳は神を呪った。

 

「嘘だろう……何もこんな時に起きなくてもいいじゃないかっ!!」

 

 魔王を倒したら刈り取りが始まるというのは最初から分かっていたことだ。だが、分かっているからと言って、それが世界の崩壊と同時に仲間を襲うとは思わないではないか。

 

 スカーサハはどちらを優先すべきか迷って、結局、元通り第5粒子を食い止める方を優先することにした。すると今度は、アスタルテの体が透けてきて、彼女は自分の身に起きていることに驚愕の声をあげた。

 

「そんな……? 私もだというの!?」

 

 刈り取りは、高次元世界から一方的かつランダム(・・・・)に行われるはずだ。だから、ベル神父とアスタルテが同時に消えるということもあり得るだろうが、

 

「……弱りましたね、私もですか」

 

 アスタルテに続いて、カナンまでもが刈り取りの対象に選ばれてしまったのだ。流石に、三人立て続けとなると偶然とは到底思えない。彼らは神によって選別されていると考えて間違いないだろう。

 

 スカーサハが青ざめながら鳳の様子を窺っている。彼が頷くと、彼女は竪琴の対象を第5粒子から刈り取りへと切り替えた。

 

 その瞬間、半透明になりかけていた三人の姿が元通りに戻ったが、空間から溢れ出す第5粒子の量は、まるで決壊するダムように輪をかけて激しくなってしまっていた。

 

 ケーリュケイオンが吸い込む量と、空間に満ちるエネルギーの量は、明らかに後者の方が大きかった。このまま行けば、世界は刈り取りを待たずに崩壊するだろう。進退窮まった。

 

「……神がどうやって特定しているのかわかりませんが、元々、私たちは高次元の住人でしたからね。どうやらアンカーのような物をつけられてしまったようです」

「何とか外せないんですか? このままじゃ……」

「何をされているのかさえ分からないので、我々にはどうにも出来ないでしょう……」

 

 カナンは悔しそうに下唇を噛み、暫しの間じっと目をつぶって黙考してから、

 

「……このまま刈り取りを防ごうとしていたら、世界の崩壊を早めるだけでしょう。かと言って、そちらを優先しても、いずれは刈り取りによってこの世界は滅びます。こうなったら致し方ありません。神に捕まる前に、一か八かこっちから高次元世界へ戻ります。元々、そうする手筈でしたから」

「しかし、それは用意周到準備してからの話でしょう? このまま、俺たちが上の世界に行ったところで、メアリーがいなければP99が起動出来ないのでは……」

「ええ、ですから、あなたはここに残ってください」

 

 鳳は眉を顰めた。自分ひとりが残ることに対して、何か卑怯なような気がしたからだ。だが、カナンはそんなつもりは無いと諭すように、

 

「あなたまで高次元世界へ行ってしまったら、この世界の崩壊を誰が食い止めるのですか。オルフェウスの竪琴は、穴を塞ぐように進攻を止めるだけで、いずれ綻びが生じます。仮に神を止められたとしても、あなたが戻ってくる世界が無くなってしまっては、元も子もないでしょう」

「しかし……」

「どっちにしろ、これは緊急事態における一か八かの賭けなんです。エミリアの救世主の力を持たないあなたが来たところで、あちらの世界での切り札にはなり得ない。だから私たちが単独で元の世界に戻って、まずはこの世界が崩壊せずに済む方法を探します。然る後に、あなたは準備を整えてから、私たちを追いかけて来てくれませんか?」

「……無理はしないでくださいって言っても、無理ですよね?」

 

 鳳が後ろめたそうに言うと、カナンは笑って、

 

「何しろ、神が相手なのです。無茶をしないと勝てそうにありませんからね。アロンの杖を使えば、精霊カインがあちらに我々の肉体を用意してくれる手筈になっています。これを置いていきますから、後で追いかけてくる時、利用してください」

「わかりました」

「それでは我々は先に行きます。スカーサハさん、ここまでで結構です。崩壊を食い止める方に全力を注いでください」

 

 カナンの声に応じて、スカーサハの竪琴を奏でる旋律が変わる。すると溢れようとしていた第5粒子の奔流が収まり、またカナン達の体が半透明に変わってしまった。

 

 カナン、ベル神父、アスタルテの三人はアロンの杖を握り、お互いに確認し合うように頷きあうと、それを高々と天に掲げて祈りを捧げた。

 

「精霊カインよ! 我らを勝利と栄光に導き給え!」

 

 三人の姿がスーッと消えて行き、いくつかの光の礫を撒き散らしてから、完全に消滅した。その瞬間、支えを失った杖が地面に向かって落下したが、ちょうどそこへ駆け込んできたギヨームがそれをキャッチすると、

 

「鳳、俺も行くぜ」

「なに!?」

 

 鳳が驚いていると、ギヨームはいつものニヤニヤした笑みを浮かべながら、

 

「俺がここに残っていても、もうやれることは何もねえだろ。俺なら、あいつらの世界に行ってもクオリアが使える。足手まといにはならないはずだ」

「しかし、危険じゃないか。カナン先生の言う通り、ちゃんと準備をしてから行ったほうが良いんじゃないか?」

「それっていつだよ?」

 

 彼の身を案じ難色を示す鳳に対し、ギヨームは素っ気なくそう言った。

 

「あいつらが、向こうでこっちの世界の崩壊を食い止めると言ったのは、ただの気休めだ。もう刈り取りを防げそうもないから、俺たちが後ろめたくならないようにそう言っただけだろう。こっちの世界のことは、やっぱりこっちでなんとかするしかねえ。そして、恐らく、あっちに戻った奴らには、既に今頃、危険が迫ってるはずだ。さっきの様子からして、もうとっくに神に居場所がバレちまってるみたいだかんな。だから、俺はあいつらと一緒に行って、そいつと戦おうと思う」

「……止めても、無駄だよな?」

「おまえにも分かってるだろう? どっちが楽ってことはない。このままここに残っても、あっちに行っても危険には変わりない。だから、俺は自分のやれることをやる」

「そうか……」

 

 鳳が友との別離を前に動揺していると、

 

「私も行くわ」

「ジャンヌ!?」

 

 ジャンヌはギヨームの隣に進み出ると、彼の握る杖に同じく手を添えて、

 

「レベルはどうなるかわからないけど……多分、あっちに行っても私の体は神人のままよね? だったら、まだ戦えるかも知れないわ」

「しかし、それは賭けだぞ?」

「分かってるわよ。ギヨームの言う通り、私たちはもう賭けに乗るしかないの。どっちにしろ、このまま刈り取りが続けば、私たちは強制的にあっちの世界に吸い上げられる……世界が崩壊するのが先か、刈り取りが終わるのが先か、その違いでしか無いわ」

 

 鳳は、その両方を止められるとは断言できなかった。崩壊を食い止めている今、世界のどこかで刈り取りはもう始まってるはずなのだ。それがいつ、彼らを襲うかはまるでわからなかった。

 

 ジャンヌは空を飛ぶ鳳のことを見上げ、少し寂しそうな顔をして、

 

「あなたと旅をしたこの一年ほどは、本当に楽しい思い出だったわ。だから……」

 

 彼女はまるで今生の別れのような言葉を言いかけたが、すぐにそれが間違いだったと言わんばかりに首を振って、

 

「ううん、私たちはまたすぐあっちの世界で会えるはずよね? また楽しい冒険が出来るように、あなたも早く私たちを追いかけてきてね!」

「……ああ」

 

 鳳が奥歯を噛み締めながら返事を返すと、そこへサムソンとルーシーをおぶったマニがやってきて、彼女らに続こうとしたが、

 

「サムソン、マニ、駄目だ! お前たちの体は、あっちの世界に用意されていないんだ。このまま高次元世界へ行ったら、そのまま消えちまうんだよ」

 

 鳳が慌ててそう叫ぶと、レオナルドの館でそれを聞いていたマニはハッと足を止めた。彼は背中のルーシーを下ろそうとした姿勢のまま、悔しそうに俯いている。

 

 対して、サムソンの方は鳳の制止を聞かずに、ジャンヌの横へ強引に並ぶと、

 

「俺の師匠が先に行かれたのだ。それに、好きな女も居ないこの世界に残ったところで、ただ後悔するだけだろう。だったら俺も行くしかないじゃないか。一か八か、上手くいくかも知れない」

「馬鹿! そう言う問題じゃないんだよ! はっきり言うけど100%無理だからっ!」

「……すまんな。杖よ! 俺も師父のところへ連れて行ってくれ!!」

 

 サムソンが叫ぶと、彼の体が透き通り始めた。慌ててジャンヌが引き剥がそうとしたが、時既に遅く、彼の体は虚空に消えてしまった。

 

 なんでそんな自殺行為を……鳳が青ざめていると、ジャンヌは複雑そうな表情をしながら、

 

「あの馬鹿、どうしてこんな先走るようなことを……ごめんね、白ちゃん。名残惜しいけど、私も行かなきゃ。杖よ!」

 

 ジャンヌはサムソンがどうなったのか心配して、同じように杖に願うと、そのまま消えてしまった。殆ど、別れの言葉も、再開の約束も、交わすことが出来なかった。

 

 最後に残ったギヨームは、先を越されたと言わんばかりに少々不服そうな顔をしながら、

 

「それじゃあな、鳳。俺もそろそろ行くぜ。あっちに何が待ってるか分からねえけど、まあ、なんとかなるさ。もしかしたらこっちの方が大変かも知れねえけど、お前もなんとか上手くやってくれよな。なあに、お前はいつもなんやかんやで無理難題を切り抜けてきたじゃねえか。きっと今回もなんとかしてくれるんだろう?」

「ギヨーム……ああ、なんとかする。なんとかしてみせるから!」

「じゃあな、相棒。また会おうぜ」

 

 ギヨームはジャンヌ以上に素っ気なく言い放つと、杖をブンブン振りまわしながら虚空へと消えていった。持ち手を失った杖はそのまま地面に転がり、マニによって回収された。

 

 巨大ポータルを作った影響で、未だ気絶から回復しないルーシーを背負ったまま、彼が不安げに鳳たちの方を見上げる。

 

 しかし、鳳もスカーサハも、そんな目で見上げられても、どんな気休めの言葉も返すことが出来なかった。

 

 溢れ出してくる第5粒子エネルギーは、オルフェウスの竪琴によって防がれ、ケーリュケイオンによって吸い込んではいるが、世界の崩壊自体はどうやって止めればいいのかさっぱり分からなかった。

 

 相変わらず、世界は狂ったように火柱を吹き上げて、地面には亀裂が走り、ドロドロの溶岩が溶け出して、地震がいつまでもいつまでも続いている……これは震源地となったこの荒野だけのことなのか、もう判断がつかなかった。

 

 もしかしたら、世界中のあちこちで、ここと同じ現象が起きているのかも知れない。フェニックス、ニューアムステルダム、帝都、ヴィンチ村、大森林のガルガンチュアの村でもそんなことが起きていたとしたら、人々は無事でいられるだろうか……彼らは鳳たちみたいに空を飛ぶことも、溢れ出す第5粒子を吸い込むことも出来ないのだ。

 

 いや、それ以前に、魔王を倒した今、この世界は刈り取りに見舞われている。世界崩壊を防ぐために、そっちの方を阻止することが出来ないのだから、きっと今頃、世界のどこかで忽然と人々が消えるという現象が起きているはずだ。

 

 しかし、今の鳳たちにそれを防ぐ方法はなく、自分たちだっていつそれに見舞われるかもわからない。その時、鳳は助かるかも知れないが、スカーサハも、マニもルーシーも……それどころか、ミーティアもアリスもクレアも、みんな消えてしまうかも知れないのだ。

 

 そんなことが許せるのか?

 

 だが、そうは思っても、今の鳳には打つ手がなかった。彼は第5粒子を吸い込む以外に、この世界の崩壊を止める手立てを知らなかった。世界を創るなんてそんな芸当が、一体誰に出来るというのだろうか。鳳は勇者だなんだと言われて、嘘みたいな力も持っているくせに、肝心な時に何も出来ない自分のことが情けなくて、頭がおかしくなりそうだった。

 

『案ずることはない。所詮この世は儂の作った幻』

 

 その時だった。次第に焦りが募ってきて、額から滝のような汗を垂れ流していた鳳たちのところへ、突然、どこからともなく声が聞こえてきた。鳳はその聞き覚えのある声に思わず叫んだ。

 

「爺さん! 爺さんなのか!?」

『お主の馬鹿力が、どうやら儂の幻想を打ち破ってしまったようじゃの。しかし、案ずることはない。世界が元に戻れば、全てが無かったことになる。天使たちを助けることは出来なんだが、この世の人々を救うことは可能じゃろう』

「しかし、ここは爺さんの世界なんだろう? こんな状態で元に戻ったら、爺さんは一体どうなっちゃうんだ?」

 

 レオナルドの声はそんな鳳の疑問には答えず、その場にいる弟子のスカーサハに向け、どこか娘を見守る父親のような優しげな調子で続けた。

 

『スカーサハよ。元の世界に戻ったら、儂はなんらかの聖遺物(アーティファクト)になってしまうじゃろう。恐らく、ヴィンチ村にあるじゃろうから、見つけて管理しておくれ』

「はい、師匠……」

『館と財産はお主の好きに使ってくれて構わぬ、セバスチャンたち使用人のことは頼んだぞ』

「は、はい……ですが、師匠はそこにいらっしゃらないのでしょうか?」

『……もう一人の弟子の方は、あれは中々の傑物じゃが、少し調子に乗りすぎる嫌いがある。お主が手綱をしっかりと握り、間違えないように導いてやっておくれ』

「……はい。お任せください、大君」

 

 スカーサハの返事を待っていたかのように、その時、突然まるでチャンネルが切り替わるように世界がブレ始めた。鳳の目に映る風景の輪郭線が、みな七色に光り輝いてブレて見える。それはいつぞやの裏世界……アストラル界の光景のようだった。鳳には何がなんだか分からなかったが、どうやらレオナルドは自分の幻想を閉じ、世界を元に戻そうとしているのだ。

 

「待ってくれ、爺さん! 俺の問いに答えてくれ! あんたはどうなっちまうんだ?」

 

 世界はいよいよブレて殆ど輪郭を捕らえることが出来なくなってきた。さっきまで溢れていた第5粒子も、天を突くような炎の柱も、溶岩も、地震も、なにもかもが無くなって、耳鳴りのするような静寂が辺りを包み始める……

 

「爺さん! 聞けよ、爺さん……レオーーーーッ!!」

 

 鳳が彼の名前を叫ぶと、ふぉふぉふぉと愉快そうな笑い声が耳元で響いた。視界はもう黒く閉じ、どこを向いても何も見えやしなかった。

 

『思えば、お主に名前を呼ばれたのはこれが初めてじゃな……いや、そうでもないか。思い出したぞ? かつて儂は、いつもお主にそう呼ばれておったのじゃ。儂は300年もかかって、ようやく友達を救うことが出来たのじゃな……』

 

 ブンッ! ……っと、ブラウン管が起動するような電子音がして、唐突に鳳の世界がぐらりと揺れた。気がつけば彼らは荒野の只中で、風に吹かれて佇んでいた。戦場となった荒野には、無数の人々の足跡が残るだけで、そこにはもう地割れも溶岩を吹き出すクレーターも見当たらなかった。

 

 ポロンポロンと竪琴を奏でていたスカーサハの指が、少しずつスローダウンして、やがて彼女は演奏を止めてしまった。しかしもう、彼女が弾くのをやめてしまっても、どこからも第5粒子は溢れてこなかったし、刈り取りの理不尽な力も感じられなかった。

 

 冷たい風が吹き付けるだけで、そこにはもう何もなかった。いや、逆に全てがあると言っていいのかも知れない。ここにはもう人間を理不尽に傷つける力は届かない。

 

 世界に平和が訪れたのだ。

 

 鳳たちはそんな荒野のど真ん中で、どこか喪失感にも似たような気持ちを抱えながら、いつまでも動くことが出来ずに佇んでいた。

 

 どこからか老人の、良かった良かったという声が聞こえてくるような、そんな気がした。

 

********************************

 

 ヴィンチ村のレオナルドの館は騒然としていた。突然の魔王の襲来、そしてニューアムステルダムからの避難民の受け入れ、それがようやく落ち着こうとしていた時、今度は突如として大地震が起きて、それがいつまでも続いたのだ。

 

 ただ事ではない天変地異を前に、人々は恐れおののき色を失った。遠くの山が火を吹き、地が割れる。誰もがこの世の終わりを連想した時……今度はそれが突然終わってしまったのだ。

 

 あれだけ揺れていた地面は突如としてピタリと止まり、噴煙を上げていた遠くの山はいつもの緑に戻っており、そして倒れたはずの木々が全て元通りになっていた。

 

 まるで狐につままれたような出来事に、暫し呆然としていた館の使用人たちは、ともかくけが人が出ていないかと確認を始めた。

 

 あれだけの天変地異を前にして、それが収まったとは言っても、村人も避難民もまだまだ動揺しきっている。彼らを安心させて、また次の事態に備えなければならない……大君の配下として毅然とした態度を取り続ける彼らの姿を見て、恐れおののいていた人々も、ようやく落ち着きを取り戻そうとしていた。

 

 ところが、そんな時だった。彼らの主人であるレオナルドの無事を確認に向かった執事のセバスチャンが、ベッドの上からその主人が居なくなっていることに気がついた。

 

 病み上がりのレオナルドは眠いと言ってまた眠りについたきり、この天変地異の中でも全く起きてこようとしなかった。地震でどこかへ避難したのかも知れないが、いくらパニックになっていたとはいえ、使用人たちが主人の安否を気遣わないことはなく、何度確認しても、部屋から誰かが出てきた形跡はなかった。

 

 レオナルドは忽然と姿を消したのだ。

 

 これにはずっと毅然とした態度を取り続けていた使用人たちも動揺し、みんなが慌てて館中を駆け回る様は、まるで避難民たちと立場が逆転してしまったかのようだった。しかし困った時はお互い様である。その姿を見かねた避難民たちは、すぐに協力を申し出ると、彼らと一緒にレオナルドの捜索を始めた。

 

 こうして水を漏らさぬ捜索の目が村の隅々まで広げられたが、それでもレオナルドの姿はどこにも見つからなかった。捜索は村の周辺にまで及び、ついに夜が訪れようとしていた。

 

 一体、主人はどこへ消えてしまったのか……不安が募っていく中で、それでも主人の帰りを信じて、メイド長のアビゲイルは彼の居なくなったベッドを整えていた。

 

 と、その時、彼女がシーツを伸ばしていると、何かがベッドから転がり落ちた。何か余計なものがベッドに紛れ込んでいたのだろうか? 柔らかい絨毯の上に音もなく落ちた物を拾い上げ、彼女はそれをまじまじ見つめた。

 

 それは見る角度で色が変わる、不思議な水晶玉だった。詳しい鑑定眼があるわけではないが、きっと相当の価値があるものだろうと、一目でそう思えるような代物である。ただ、残念なことにその水晶玉は一部分が欠けていて、そこから何か光のようなものが漏れ出しているのが見えた。

 

 彼女はこれがなんだか分からなかったが、もしかすると主人がいなくなった手掛かりになるかも知れないと思い、大事に包んで、執事の元へと走った。

 

 夜の帳が下りても、館は煌々とした光に照らされて、使用人たちが騒々しく動き回っていた。それは満身創痍のレオナルドの弟子たちが帰還するまで続けられるのだった。

 


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