ラストスタリオン   作:水月一人

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王家の紋章

 100を越える迷宮を制覇し、いつしかタイクーンと呼ばれるようになった鳳は、その日も世界のどこかにある迷宮から帰還したばかりだった。そんな彼は帰ってくると妻たちの不安を和らげるために、その土産話をするのがいつものルーチンだったのだが、その日は何故か趣向を変えてみんなで遊びに行こうと言い出した。

 

 クレアがいつも以上にはしゃぎ服を着飾って、どこへ連れてってくれるの? とねだり、みんなで相談した末にニューアムステルダムへ行くことになった。鳳がいればどこだろうと移動は一瞬であるし、国内だとどこへ行ってもクレアが目立ってしまうから、外国ならそんなこともないので好都合だったのだ。

 

 ニューアムステルダムは3年前の魔王襲撃の折に全壊し、未だにその復興が続いていたが、それもようやく終わりが見えてきたところだった。一時期は昔のフェニックスみたいにバラック小屋が立ち並び、首都移転も止むなしと言う風潮だったが、なんやかんや復興のために人とお金が流れてきて、今では前以上に発展しているようである。

 

 連邦議会によれば街の人口は災害前の倍に上り、税収もそれに伴って倍に増えているらしい。復興特需を見越した人々が、新大陸やオルフェウスから集まってきて、それがそのまま居着いた格好である。更にそこへ、ヘルメスへの直通街道まで出来て、水路と陸路の両方から通行料と関税を得ることで、当初心配されていた復興費用もほぼ回収の目処が立っているようだ。

 

 ただ、それまで新大陸に向かっていた投資が復興にあてられ、更に復興税を課された新大陸との折り合いがこのところ悪化しているようだった。新大陸に住む人達からすれば、ニューアムステルダムの被害は自分たちには関係ないのに、どうして税を課されなければならないのかと思うのだろう。

 

 そんな折、ヴァルトシュタイン率いる帝国探検団が新大陸に渡り、調査名目で北部の開拓を始めたことで、あちらでも帝国と勇者領との駆け引きが始まっているようだった。また戦争が始まらなければいいのであるが、案外、地球みたいに新大陸が独立するのも早いかも知れない。

 

 ともあれ、そんな話は政治の世界から足を洗った鳳にはもう関係ないことである。今日は一日、妻たちとデートのつもりで都会に遊びにやって来たのだ。四人はニューアムステルダムまでやってくると、その玄関口の広場に集まっていた人力車を借りて、またいつかみたいにリニューアルされた観光名所を見て回った。

 

 劇場街で観劇し、ゴンドラで川を下り、オープンテラスのカフェでお茶をし、広場では大道芸人の輪に加わった。こんな美女を三人も侍らせていては、さぞかし嫉妬や好奇の目に晒されるだろうと思いきや、そんな目で見られることは全くなかった。大体、どこに行ってもミーティアとクレアが言い争いを始めて、それを鳳とアリスが止めているからだろうか。尤も、喧嘩するほど仲が良いの言葉通り、二人は言いたいことを言い合ってしまうと、後は案外ケロリとしたものである。

 

 街の名所巡りを終え、日が暮れてきたら、鳳たちはかつてミーティアとデートをしたカジノリゾートへとやってきた。あの時はエリーゼの父親に見つかってしまってすぐお開きになってしまったが、今日はカジノで遊んだ後は併設のホテルに宿泊する予定である。

 

 レストランで軽く食事した後、クレアは遊ぶぞと腕まくりして、新しく出来たスロットの方へとズンズン歩いていってしまった。普段は四六時中公務をしているから、遊べる時は全力で遊ぶ主義らしい。今日は一日遊び回ってもまだ遊び足りないと、食事中からずっとカジノが気になっているようだった。

 

 そんな美しい彼女が一人でスロットにかじりついているものだから、何人もの伊達男がやってきて彼女にちょっかいをかけて、それがヘルメス卿と知るや態度を一変し、更にその背後に鳳がいることに気づくと青ざめていた。そんなことが何度も続くものだから、気がつけば周囲の注目を浴びていて、彼女の周りだけ変な空気になっていた。

 

 一方、意外にもアリスもカジノに興味があったらしく、こっちはポーカー台で無類の強さを誇っていた。最初こそルールも知らないくらいだったのに、鳳にやり方を教えてもらうと、みるみる内にコツを掴んでしまい、並み居る強豪プレーヤーを蹴散らしていった。彼女は恐ろしいほどポーカーフェイスが巧みで、実は度胸も相当なものがあるから、どうやらこういう駆け引きが得意だったようである。

 

 見た目は可憐な少女にしか見えない彼女が山のようにコインを積み上げて、タバコの似合うおじさんたちをカモにしている。彼らは一様に顎から脂汗をポタポタと滴り落とし、唸り声をあげていた。そんな姿が目を引くのか、こっちもこっちで独特な近寄りがたい空気を醸し出していた。

 

 その時、キャー! っと黄色い悲鳴が轟いて、どうしたんだと目をやれば、スロットの方でクレアが大当たりをしていた。台から溢れ出すコインを従業員がせっせとドル箱に詰めていく。祝福の声があちこちから上がり、そのせいで雰囲気がよくなったのか、さっき逃げていった伊達男たちも戻ってきて、彼女を囲んでみんなで和気あいあいと楽しげに会話を交わしていた。

 

「やっぱり彼女はどこに居ても目立ちますね。華やかと言いますか……」

 

 鳳がそんなやり取りをぼんやり眺めていると、横からグラスを持った手がにゅっと出てきて、気がつけばミーティアが隣に立っていた。シュワシュワと炭酸が弾けるその飲み物は、懐かしのクライスである。魔法具屋の店主は今も息災だろうか。

 

 鳳はグラスを受け取って一口飲みながら、

 

「ミーティアさんは何かやらないの?」

「私、運が良くないみたいで、ギャンブルは苦手なんです。負け続けていたら、あんまり面白くありませんよね」

「そうなの?」

「……きっと人生で最大の賭けにもう勝ってしまったからかも知れませんね」

 

 ミーティアはそう言いながら、鳳の肩に頭を寄せてきた。彼はそんな彼女の肩を抱きながら、

 

「そっか。俺の運が極悪なのも、案外こんな美人を手に入れてしまった、神の罰なのかも知れない」

「鳳さんは出会った頃から運が悪かったと思いますよ。ほら、私たちが初めて出会った日も、ポーカーでカモられてましたよね」

「そんなこともあったなあ……っていうか、あんたあの時、俺のレベル思いっきり見下してくれたよね?」

「そ、それに比べて、アリスはすっごくポーカーが上手ですね」

「誤魔化すなよ」

 

 鳳が苦笑しながら彼女のほっぺたを突っつくと、ミーティアは少しはにかんでから、すぐに真顔に戻って、

 

「誤魔化すと言えば、昼間のあれ……アリスは喜んでいましたけど、本当はどういうつもりで言ったんですか?」

「……え?」

 

 昼間のあれとは、アリスがそろそろ子供が欲しいと言ったことだろうか。鳳は、次の攻略を終えて帰ってきたらと答えたのだが、

 

「……なんだか今日の白さんは、私たちとの別れを惜しんでいるような気がします」

「そんなつもりは……」

 

 あるかも知れない。鳳は今日、多少わざとらしいくらい家族サービスをしていた。恐らく、ミーティアだけでなく、クレアも、そしてアリスも気づいているだろう。

 

「もしかして、次の迷宮は相当攻略が難しいんじゃないですか……? もしそうなら、次なんて言わずに、もうアリスと子供を作ってもいいんじゃありませんか。彼女だけ、可哀相ですもの」

「う、うーん……それについては、あとでみんな集まってから話すよ」

 

 鳳は歯切れ悪く返すしか無かった。彼女はそんな彼の胸に額を当てて、ぎゅっと彼の体を抱きしめながら、

 

「私は、あなたにたくさんの物を頂きました。私たちの子供に、私たちのお家に、そこで一緒に暮らすクレアやアリスのような姉妹も。もし、あなたが無理をしているのなら、何でも言ってくださいね。私たちはいつでもあなたの味方ですから」

「うん……」

「こらーっ! そこの二人! ちょっと目を離した隙に、いい雰囲気になってるんじゃないわよ! 油断も隙もないわ」

 

 鳳たちが抱き合っていると、クレアが飛んできて二人の間に割って入り、ミーティアのことを引っ剥がした。彼女は鳳の腕にぶら下がるように抱きつくと、

 

「もう! ダーリンもこんなところでボケっとしてないで、一緒に遊びましょうよ! ほら、あっちにルーレットがあるわよ」

「そうだな、でもアリスを置いてけないし……」

「ご主人様、ご一緒いたします。今度は奴らから金を巻き上げればよろしいのですね? ……ひっく」

 

 鳳がクレアにそう返事していると、音もなくスッとアリスが現れた。こっちの様子を見てすっ飛んできたのだろうか。その忠誠心は本当に見上げたものだが、それにしても今、なんだか彼女らしくない妙なことを口走ったような……

 

 鳳たちがどうしたんだろうとその顔を覗き込んだら、彼女の顔は真っ赤に染まっており、

 

「今日はこのアリスが、ご主人様の下僕として、お役に立てるところを、ひっく、見ててくらさいね~! ご主人様! ひっく」

「わーっ!! 誰だ、アリスに酒飲ませたの!?」

 

 ポーカー台を見てみたら、髭をはやしたダンディなおじさんたちが、申し訳無さそうな顔で手を合わせていた。多分、勝負に負けた奢りのつもりだったのだろう。とんでもない奴らだが、アリスにカモられた被害者だと思うと怒るわけにもいかなかった。アリスは上機嫌に彼らから巻き上げたコインをジャラジャラさせながら、

 

「さあ、皆さん、いきますよー! 今日はアリスがこの賭場の銭を、全部吸い上げてみせますよ~! ひっく!」

「あはははは! それは頼もしいわね」

 

 返事も待たずにズンズン進むアリスを、クレアが笑いながら追いかけていった。鳳とミーティアはやれやれと二人同時に肩を竦めては、彼女の酔いが覚めるまでしっかりついていてあげなきゃと、その後を追った。

 

********************************

 

 その後、オーナーがもう勘弁してくれと泣きついてくるまでアリスの快進撃は続き、物足りなそうにしている彼女を引きずって、鳳たちは併設のホテルにやってきた。カジノに行く前にチェックインしておいたはずだが、いつの間にか部屋はスイートからロイヤルスイートに切り替わっており、ついでに宿泊料もタダになっていた。数々の伝説を作り上げてしまったアリスは出禁にこそならなかったが、恐らく、今後ここへ来る度に要注意人物としてマークされることだろう。

 

 部屋に入ると、こんなところいくらでも慣れているだろうに、クレアが嬉しそうにスプリングの効いたベッドで飛び跳ねていた。それは彼女が今日を目一杯楽しんでいるのもあったろうが、恐らく緊張もいくらか含んでいただろう。アリスの酔いがようやく覚めてきて、ルームサービスを呼んで軽食を交えつつ、落ち着いてきたところで鳳は話を切り出した。

 

 彼が次に攻略しようとしているのは、この世界のどこかにある迷宮ではなくて、高次元世界……この世界を創造した神に挑もうとしているのだ。

 

「つまり、次はいつ帰ってこれるか……いいえ、帰ってこれるかどうかもわからないってことですか?」

 

 鳳の話を聞いていたミーティアが、しんと静まり返る部屋の中で、彼女らを代表するように尋ねた。鳳は彼女の言葉に頷き、

 

「三年前、世界の崩壊が起きた時、俺たちはこの世界を救ってくれた仲間たちを失った。ジャンヌ、ギヨーム、サムソン、カナン先生たち……そしてレオだ。彼らは崩壊する世界の中で、なんの準備も出来ないまま仕方なく世界を渡り、それ以来、連絡は途絶えてしまった。そしてレオはこの世界を元に戻した後、壊れた聖遺物(アーティファクト)を残して消えてしまった。

 

 これだけの犠牲を払って、俺たちはこの平和を手に入れたんだよ……

 

 本当なら俺も彼らと一緒に高次元世界に行って、神と対決しなきゃいけなかったのに、彼らを見捨てることによって、自分だけが助かったんだ。俺はそれを思い出す度に悔しくて、夜も眠れなかった。君たちがそんな俺の傷を癒やしてくれたけど……君たちと愛し合っている間もずっと、俺は彼らのことが気がかりで仕方なかったんだ。

 

 だから、あれ以来、俺は高次元世界に消えた彼らと連絡する手段を探していた。迷宮を片っ端から制覇していたのはそのためだったんだ。もしかしたら、先人の中には何か手掛かりを遺している者もいるかも知れない、そう思ってさ」

「ルーシーと、コソコソ会っていたのもそのためですか?」

「ドキーッ! も、もちろん、そのためだとも!」

 

 鳳はしどろもどろになりながらも、なんとか軌道修正しつつ、

 

「……と言っても、ミーティアさんだって知ってるだろ? 彼女は俺のパーティーの一員で、レオナルドの弟子だった。きっと、俺以上に悔しい思いをしていたに違いない。だからこの三年間、似合いもしない宮廷魔術師なんかをやって、ずっと俺をサポートしてきてくれたんだ」

「ええ、分かってますとも。彼女は私の親友でもありますから……って言うか彼女、普通によく遊びに来て、ペラペラ話してくれましたよ」

「マジで!?」

 

 あの女はやはり油断ならない……これじゃ歩く拡声器じゃないかと、鳳がげんなりしていると、ミーティアは苦笑しながら、

 

「ペラペラ話したと言っても、鳳さんと何したのかってことだけですよ。よくもまあ、そんな恥ずかしいプレイを……それはさておき、だから二人が頻繁に会って、何かしているのには薄々感づいていました。そしてそれが、私たち常人には及びもしない大それたことなんだろうなってことも……多分、神様に挑もうなんて言い出すんじゃないかって、覚悟もしていました」

 

 彼女の言葉を受け取るように、両隣に座っているアリスとクレアも頷いた。どうやら、嫁たちはとっくにお見通しだったらしい。鳳は申し訳無さそうにポリポリほっぺたを引っ掻きながら、

 

「そんなわけでさ……3年かけて、世界中を飛び回って、ようやく上の世界に行く目処が立ったんだ。問題は、絶対にその方法であっちに行けるとは限らないし、気軽にこっちに戻ってくることも出来ないってこと。あっちで、何が待っているかも分からない。最悪、命を落とす危険もある……

 

 でもさ? それでも俺は行きたいんだ。行って、仲間たちがどうなったのか知りたいし、そしてなんとしてでもレオを元に戻したい……俺じゃなくて、あいつがタイクーンに返り咲くべきだ。何しろ、二度も世界を救った、凄いやつなんだぜ? だからさ、こうしてみんなに相談しているのは、許して欲しいんじゃなくて、それでも俺は行くつもりだから……その決意表明みたいなものなんだ。

 

 こんな一方的なの、納得行かないかも知れない。本当なら愛想つかされてしまうかも知れない。もしかしたら、これが原因で離婚ってことになるかも知れない。でも、仮にそうなったとしても、俺は止まらないって決めたんだ。だから……」

 

 鳳の頭の中にはいろんな言葉が過ぎったが、どの言葉も薄っぺらいような気がして、結局、彼は言葉を飲み込んでしまった。別れたいなら別れてもいいとか、殴りたいなら殴っていいとか、慰謝料とか、侮蔑の言葉だとか、そんなものを彼女らが求めないことは誰よりも彼自身が分かっていた。

 

 だから言葉をなくした彼は結局の所、

 

「ごめんね……」

 

 これしか言えなかった。

 

 沈黙が場を支配する。カチカチとなる時計の音だけがしていた。アリスはじっと自分の指先を見続けており、クレアが目を真っ赤にして、何度も鼻をすする音がした。4人が4人共押し黙るそんな中で、ずっと視線を逸らす鳳の顔を見続けていたミーティアは、やがて長い沈黙の後に、これまた長い溜息を吐いて、

 

「はぁ~~~……どうせ止めても行くというのなら、仕方ないじゃないですか」

「ごめん……」

「いいえ、謝るのはこちらの方ですよ。あなたの話を聞く限り、結局、神という存在をどうにかしなければ、この世界はいずれまた消滅の危機に見舞われてしまうんでしょう? それを助けてくれようとしているのですから、そんなあなたを責めようなんて人は一人もいませんよ。そんな役目をあなたに負わせてしまい、寧ろ申し訳ないくらいです」

 

 ミーティアが周囲を見回すと、クレアとアリスが肯定するように強く頷いた。彼女はそんな二人の意思を受け取ったといった感じに、

 

「あなたが行くというのなら、私たちはその背中を押しましょう。あなたが迷わないように……それが勇者の妻になることだと覚悟していました。だから、平気です。私たちのことは気兼ねせず、あなたの道を突き進んでください」

 

 鳳がその言葉に顔を上げる。

 

「ごめん……いや、ありがとう」

 

 ミーティアはそんな彼に釘を差すように、

 

「ただ、その代わりと言ってはなんですけど、行く前に私たちの願いを一つずつ聞いてください。そして約束してください」

「もちろんだとも。でも、なんだろう?」

 

 鳳が力強く頷く。ミーティアは彼の言葉を確認すると、決意を込めるような呼吸をフーっと吐き出してから、

 

「それじゃあ、私からのお願いです。絶対に生きて帰ってきてください。出来ないかも知れないじゃなくて、絶対に。私、ギヨームさん程じゃないですけど、鳳さんのことには少し詳しいんですよ? あなたは、いつも不可能を可能にしてきました。絶対にやると決めたことは、必ずやり遂げてきました。だから、絶対に帰ってくるって、私に約束してほしいんです。そうしたら、あなたは絶対に帰ってこれますから」

 

 鳳は彼女のその真剣な瞳をまっすぐに見つめながら、

 

「……約束するよ。絶対に帰ってくる」

 

 彼はそう宣言することで、確かに自分の中で何かが変わったような気がした。実際にはそれはほんの些細な心境の変化でしかないのだろうけど、その些細なものがいつか生死を分けるものに変わっていくのだろう。そう思った。

 

 そんな二人がキラキラと見つめ合っていると、自分ばっかりずるいと言った感じでクレアがミーティアの横から覆いかぶさってきて、

 

「じゃあね、じゃあ私は、あっちの世界の何か珍しい物が欲しいわ、ダーリン。宝石とか綺麗な貝殻とか、そういうのがいいわね」

「ははっ……わかった。凄いのを見つけてくるよ」

 

 鳳が苦笑気味にそう請け合うと、彼女に押しのけられるようにして横で聞いていたミーティアが不服そうに、

 

「まったく……しょうがない人ですね。良くもまあ今そんな物欲まみれなものを、臆面もなく頼めますね、あなたは」

「だって、ダーリンがいま絶対に帰ってくるって言ったじゃない。だったら絶対帰ってくるでしょ。それはもうわかりきってるんだから、せっかくなら色々おねだりしとかないと」

「なんだか、私のお願いを出汁にされているみたいで不快です」

「だったら、ミーティアが何かお願いしたら? そしたら、私が代わりに、ダーリンに絶対に帰ってきてってお願いするわ。ねえ、そうしましょうよ」

 

 クレアはニヤニヤと笑っている。ミーティアは複雑そうに眉を寄せつつ、

 

「うっ……そんなこと言われても、この役目は絶対譲りませんからね! もう……」

「ミーティアさんにも何かお土産持って帰るから」

「いえ、要りません。私は本当に、あなたさえ無事に帰ってきてくれればそれでいいんですから……さて、私たちのことはもういいですから。アリス? あなたもご主人様に何かして欲しいことがあるんじゃないですか? 私たちには遠慮しないで、ご主人様にあなたの思っていることをちゃんと伝えなさい」

 

 控えめなアリスがお願いしやすいように、ミーティアはアリスを促した。彼女としてはカジノでも気にしていた通り、鳳との最後の夜をアリスに譲るつもりでいたのだが……しかしアリスには、決して他の二人を蔑ろにするような考えは無かったらしく、ミーティアには想像もつかないような、もっと突拍子もないことを言い出した。

 

「でしたら私は……盾が欲しいです」

 

 その単語があまりにも想定外過ぎたから、鳳も彼女が何を言っているのかすぐには理解できず、たっぷり数十秒くらい首をひねってから、

 

「盾……? 盾って、あの、シールド?」

「はい」

「何でそんなものを欲しがるんだ? アリスさえよければ、もっと良いものをいくらでもあげられるんだけど」

 

 鳳は彼女がもしかして遠慮して言ってるんじゃないかと思い、確認するように尋ねてみた。しかしアリスは別にそんなつもりで言ったわけじゃなかったらしく、

 

「いいえ、本当に盾が欲しいんです」

「なんでまた? 理由を聞かせてくれないか」

「はい。私は以前、ご主人様を追いかけた先のアマデウスの迷宮で、意識を失ったご主人様からの攻撃に一歩も動けませんでした。それがご主人様であることは話の流れで分かっていたのに、ただ恐ろしくて体が固まってしまって、あろうことか、私が守るべき奥様に助けて頂いたんです。奥様はお仲間を助けようと必死で、そして最後までご主人様のことを信じておられました。私は奥様ほど強くはありませんから、あの時は仕方なかったのかも知れません。ですが、だからといって自分のことを許せるわけでもなく……だから今度こそ家族を守れるように、私は盾が欲しいんです」

 

 アリスの言いたいことはなんとなく分かった。あのアマデウスの迷宮で、彼女はミーティアに助けられたことを、ずっと後悔していたのだろう。その気持ちが、あの時、自分が盾を持っていたらという願望に繋がったのだ。

 

 その気持ちはわかるし、盾なんていくらでも買ってあげられるけれど、かと言ってそんなもの四六時中装備しているわけにもいかないだろうし、鳳はやっぱりもっと他のものにしたらどうかと言おうとした。

 

「あら、いい考えじゃない」

 

 するとクレアが横から口を挟んできて、ペンを持ち出してきて紙に何かを描きはじめた。

 

「盾ってのは貴族の紋章よ。ヘルメスにも王家の紋章があるから、ヘルメス軍はそれを使ってるけど、うちのプリムローズ家にも、ニュートン家にも、神聖帝国にも、なんならヴァルトシュタインにだって紋章があるのよ。考えても見れば私たちも、今ではこうして一つの家族になったんだから、新しい自分たちのを作りましょう。鳳家の紋章よ」

「素晴らしい考えです! 是非、ご主人様のものを作りましょう! 私はそれがすっごく、すっごく欲しいです!」

 

 アリスが身を乗り出して興奮している。鳳は少々面食らったが、確かに結婚をしておいて、いつまでも家族の証明が無いのはどうかと思い、新しく自分の紋章を作るのも悪くないと思った。ミーティアを見れば、彼女もこっちを見て頷いている。

 

「じゃあ、ここらで正式に家族のものを作ろうか? でも、紋章って具体的にどんな風に作るんだ? 自分勝手に作っちゃっていいの?」

「基本的には自由なんだけど、いくらかパターンがあるのよ。お役所に受理されないような奇抜なものは駄目ってことね」

「ああ、ちゃんと役所に届けるようなものなんだ?」

「私たちが住んでる家が、そのお役所なんだけどね。それじゃアリス、ダーリン、まずはあなた達の好きにデザインしてみてよ。私はヘルメスの紋章なら大体記憶してるから、被らないように後ろからアドバイスしてあげる」

「そっか……うーん、どんなのを作ればいいんだろうか」

「ご主人様みたいに、格好良くて、少し優しい感じがいいです」

「そ、そう言ってくれるのは嬉しいけど、もっと具体的に……」

「盾を支えるサポーターは二匹の竜が良いわね。ダーリン、ドラゴンスレイヤーだもん」

 

 こうして、鳳のこの世界での最後の夜は、4人であーでもないこーでもないと盾をデザインすることで暮れていった。クレアの提案通り、二匹の龍が盾を支えるデザインだけはすぐに決まったけれど、それ以外のデザインは中々みんなの意見がまとまらず、気がつけば日付が変わり深夜となって、鳳はベッドの上でペンを握りながらウトウトとし始め、ついには眠ってしまった。

 

 三人の妻は、本当ならもっと彼との時間を過ごしたかったが、そのまま寝かせてあげることにした。彼は世界中を旅して、100を越える迷宮を制覇し、魔王も倒してしまうほど強い男かも知れないが、そのせいでいつだって緊張を強いられているのだ。そしてこれからまた、過酷な旅に出ようという彼が、自分たちの前でこうして無防備な寝姿を見せてくれることが、彼女たちにはものすごく名誉なことだと思えた。

 

 ミーティアは、それでも鳳と子供が作れなかったアリスのことを慮って、なんなら自分たちは席を外そうかと彼女に言った。クレアもそれには同意しているようだったが、しかしアリスはそんな二人に首を振りながら、

 

「ご主人様からならもう、ちゃんと貰いましたよ?」

 

 それがどういう意味なのかと二人が尋ねたら、彼女ははにかむような眩しい笑顔で、さっきみんなで描き入れていたデザイン画を取り出し、

 

「私にも、家族が出来ました」

 

 その後、鳳が眠ってしまったダブルベッドの上で、四人は窮屈そうに川の字になって眠った。鳳の両隣にはクレアとアリスが抱きつくように眠っており、そして鳳と二人でアリスを抱きしめるようにミーティアが居て、四人は本当に仲睦まじい家族のように、穏やかな寝息を立てて眠った。最後の夜は、そうして終わった。

 


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