ラストスタリオン   作:水月一人

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地球だ……

 教室がオレンジに染まっていた。風が吹き抜け、薄いベージュのカーテンが揺れた。開け放たれた窓の外から、運動部の掛け声がひっきりなしに聞こえてきた。新緑と春の匂いが鼻をくすぐり、整然と並ぶ机は、自分の列だけが曲がっていた。

 

 たぶん、掃除当番は机で眠る鳳のことを退けることが出来なかったのだろう。もしくは天板がよだれでテカテカ光ってて、起こす気にもならなかったのかも知れない。ほっぺたがひりひり痛むのは、よほど長い間、机に押し付けて眠っていたに違いなかった。

 

 何か拭くものはないかとポケットを探ろうとしたら、椅子の背もたれにかかっていた学ランがバサッと床に落ちた。椅子の足を斜めに傾けて、ほとんど仰向けになりながら拾い上げようと藻掻いていたら、すっと影が落ちて、上から制服姿のエミリアが覗き込んでいた。

 

 金色のふわふわの髪の毛と、信じられないほど白い肌。それが夕日に照らされコントラストを成し、やけに浮き立って見えた。まるで彼女だけマジックで描かれているかのように、異様に強調されて見えるのだ。

 

「はい」

 

 夕日の加減でそんな風に見えるのだろうか。不思議な光景に目を奪われていると、彼女は動かなくなった彼に代わって、床に落ちた上着を黙って拾い上げた。彼は、差し出されたその上着を無理な体勢のまま受け取ろうとして、結局そのまま椅子から転げ落ちた。

 

 二人しかいない教室に、ガシャンと大きな音が響き渡り、彼女はぎゅっと目をつぶった。やがておっかなびっくり目を開けると、痛いものを見るような、しょうもない奴を見るような、そんな呆れた素振りで言った。

 

「椅子から降りればいいじゃない」

 

 もっともらしくて、ぐうの音も出ない。だからそう言おうとしたのに、何故か声が出なかった。背中を打ち付けたとき、おかしくしてしまったのだろうか? 彼女は床に転がっている鳳に背を向けると、

 

「もう下校時間はとっくに過ぎてるわよ。早く帰りましょ」

 

 彼女はそう言いながら教室の出口に向かって歩いて行った。鳳はそんな彼女を呼び止めようとしたが、やはり声は出ず、それどころか、自分の意思に反して体が勝手に動きはじめているのに気がついた。

 

 バーチャルな映像でも見せられているかのように、視界が自動的に切り替わる。まるで自分の体の操作権を、誰かに奪われてしまったかのようだ。

 

 一体、何が起きているのか? 鳳が内心パニくっていると、そんな自分の腕が勝手にぐいっと持ち上がった。その指先が机の上を指し、どうやら彼女に向かって汚れた机を拭きたいというジェスチャーをしているようである。

 

「ばっちいなあ……」

 

 すると突然、背を向けていた彼女が何かに気づいたように振り返り、机の上を見てしかめっ面をしてみせた。

 

「うん、わかった……そうね……私が雑巾とってくるから、そっちはバケツに水汲んで来てよ……いいよ、これくらい……早くしてよね」

 

 そして彼女は呆れた表情で、鳳に向かってつらつらとそう続けた。まるで二人で会話をしているように聞こえるが、鳳には自分の声は聞こえなかった。彼女が壁に向かって一人で喋っているようにしか見えなかった。

 

 いや、実際には逆で、もしかすると、さっきから自分の声だけが聞こえていなかったのかも知れない。

 

 鳳は、この不思議な状況下で、もしかしてこれは夢なんじゃないかと勘付き始めていた。寝起きのぼんやりした頭のせいで違和感を感じていなかったが、こんなことはありえないのだ。

 

 何しろ、鳳の記憶の中で、彼女はとっくの昔に死んでいた。彼女が現れるとしたら、それは夢の中だけなのだ。

 

「ねえ」

 

 掃除用具入れからバケツを取り出した鳳が教室のドアをくぐる。

 

 視界の隅っこに流れて消えていった教室のプレートには2-Aの文字が刻まれていた。

 

「また、同じクラスになれて良かったね」

 

 ああ、やはりこれは夢なのだ。

 

 彼女は、二年生になれなかったのだ。

 

*********************************

 

 朦朧とした意識の中で目が覚めた。疲れ切った体が夢から覚めるときは、いつも夢と現がごっちゃになるが、今回は特にそれが酷かった。

 

 視界がぐらぐらと揺れて、ものすごい吐き気と倦怠感に見舞われていた。まるで自分の体じゃないみたいに力が入らず、呼吸をするのもやっとだった。目はちゃんと開いているはずなのに、周りは真っ暗でほとんど何も見えなかった。

 

 心も体も妙にふわふわしていて、頭が上手く回らない。熱があるのかも知れないと思い、どうにかこうにか腕を引っ張り上げて自分の頬に触れてみたら、冷たい水滴がその指に纏わりついてきた。

 

 もしかして、泣いていたのだろうか……?

 

 夢見はあまりいいとは言えなかった。体や精神が疲れていると、何故かいつも楽しかった頃のことを思い出す。そして目覚めてそこに幼馴染がいないことに気がついて、いつも憂鬱になるのだ。

 

 今回は、次元の壁を超えて世界を渡るなんて、ありえない体験をしたものだから、よっぽど体が疲れているのだろう。そういえば、あれからどうなったのだろうか。メアリーと二人でアロンの杖を用いて、急に意識がもっていかれる感覚がして……こうして体の感覚が戻ってきたってことは、儀式はちゃんと上手くいったのだろうか……?

 

 というか、元の体とこの体とは、まったく同じものなのだろうか。カナンはこちらの世界に体がなければ、世界を渡ることはできないと言っていた。だったらこの体は、こちらで新しく作られたものだと考えるのが妥当だろうが、それならあっちにも体が残っていそうなものだが、3年前にカナンたちは体ごと上位世界に消えてしまった。なら恐らく、鳳も同じようになったのだろうが、そしたらこの体は新品なのだろうか、それとも全く同じ体が転送されて来たのだろうか……

 

 そんなどうでもいいことを考えつつ、ぼんやりしがちの意識をどうにかこうにか覚醒しようと努めていた時、鳳はようやくその声に気が付いた。

 

『シーキュー……シーキュー……シーキュー……こちらはプロテスタント所属……エミリア・グランチェスター。繰り返す。こちらはプロテスタント所属、エミリア・グランチェスター。鳳白、応答せよ』

 

 その瞬間、頭の中で緊急警報でも鳴り響いたかのように、意識が急激に覚醒した。鳳は目をま開くと、暗闇に向かって叫んだ。

 

「エミリア! エミリアだって!?」

『シーキュー……シーキュー……私はエミリア・グランチェスター』

「おい、マジでエミリアなのか!? 聞こえてるなら返事を……」

『シーキュー……シーキュー……』

 

 鳳が返事をしているにもかかわらず、エミリアはずっと同じ呼びかけを繰り返していた。夢の時みたいに、鳳の声が出てないわけじゃない。おそらく、こっちの声が相手に聞こえていないのだろう。

 

 応答せよと言っているくらいだから、これは恐らく通信なのだ。するとどこかに通信機があって、それを操作しなければならないだろう。

 

 しかし、この暗闇の中、手探りでそんなものを探すのは骨が折れそうだ……そう考え、立ち上がろうとしたとき、彼はさらにとんでもない事実に気が付いた。

 

 さっきから妙に体がふわふわしていると思ったら、立ち上がろうとして足を踏ん張っても、そこに地面がなかったのである。それもそのはず、見ればさっきの涙が丸い球体になって浮いている。どうやらこの場所は無重力状態のようなのだ。

 

「一体全体、どうなっちゃっているんだ?」

 

 よく見れば体は腰のベルトに固定されていて身動きが取れなかった。

 

 困惑しながらベルトを外そうとして手間取っているうちに、この暗闇の中、これを外してしまったらマズいんじゃないか? と彼は少し冷静さを取り戻してきた。

 

 相変わらずエミリアの呼びかけは続いていて気が急いたが、まずは身の安全を優先した方がいいだろう。ここがどこだか分からないが、体が固定されているということは、手の届く範囲にきっと何かあるはずだ。

 

 もしかするとどこかに照明スイッチもあるかも……そう思って手探りしていると、どうやら彼は腰のベルトに縛られているのではなく、ハーネスみたいなものを着けられて、椅子全体にがっちり固定されているようだった。背中のクッションは不思議な感触がして、よく衝撃を吸収してくれそうだった。そして案の定、手元のアームレストの位置にいくつかのボタンがまとまってあり、適当にカチカチ押してみたら、前方から電子音が聞こえてきて、間もなくいくつかの電子機器が光を発して起動した。

 

 正面に二台のディスプレイと、そして何が何だか分からない計器類がわんさか見える。ただ、そのレイアウトは見たことがあった。飛行機のコックピットだ。流石に実物を操縦したことはないが、シミュレーターなら見たことがある。

 

 それにしても、なんでこんな場所に括りつけられているんだろうか……困惑していると正面のディスプレイが点灯し、さらに詳しい状況が判明した。右の機体の速度や姿勢を表示している画面には高度100マイルの文字列が、そして左の画面には地図が表示されており、数秒ごとにそれがリフレッシュされている。

 

「地球だ……」

 

 そう呟く彼の声は震えていた。目の前のディスプレイの情報が正しいのであれば、どうやらここは地球の上空……いや、大気圏外の軌道上なのだろう。ぜひこの目で確かめて見たいと、首を伸ばして周囲の様子を窺ってみたが、残念ながら窓はついていないようだ。

 

 ディスプレイ上には、あの懐かしい日本列島の姿も表示されており、思わず目頭が熱くなった。今すぐ地上に降りてそれを確かめたい衝動に駆られる……しかし、ここは鳳が生きていた時代の地球ではない。それどころか、彼が現実に暮らしていた地球ともまた違うのだ。降りたところで何にもならないだろう。

 

 そんなことよりも、今は感傷に浸っている場合ではなかった。さっきからエミリアがずっと呼びかけているのだから。

 

『シーキュー……シーキュー……こちらプロテスタント所属、エミリアグランチェスター……』

「こちら、鳳白! エミリア、聞こえるか? こちら、鳳白!」

『シーキュー……シーキュー……』

 

 計器類が起動したから、もしかして通信もと思ったが、どうやらこっちはまだ無理のようだった。恐らく、目の前にうんざりするほどある機械のどこかに、通信に関するものもあるのだろうが、それを特定するには時間がかかりそうである。

 

 とにかく、椅子に括りつけられたままではそれもままならないので、一度ベルトを外してしまおうかと思い、彼はアームレストに手を置いた。ところがその拍子で、さっきのボタン群にうっかり手をついてしまい、何かまずい物を押してしまったようだった。

 

 突然、船内の照明がオレンジに染まり、ビーッ! ビーッ! と、ブザー音が鳴り始めた。彼は慌ててボタンを押しなおそうとしたが、そもそもどのボタンを押してしまったのかが分からず、どうしようもなかった。取り敢えず、当てずっぽうで全部のボタンを押してもみたが、それでもブザー音は止まらない。

 

「やばっ……どうすんの、これ?」

 

 焦りながらボタンを弄りまわしていると、その時、急に背中がグッと椅子に押し付けられるような感覚がして、部屋全体がカタカタと揺れ始めた。久しぶりに感じる体の重さに、血液がしゅわしゅわする。音はほとんど聞こえないが、どうやら鳳の乗っているこの飛行機だかなんだか分からない機械が、部屋ごと加速しているようだった。カタカタと金属がぶつかり合う音が、やがてどんどん大きくなっていった。

 

 ついにガタガタと部屋全体が音を立て始めて、ドンっと背中を打ち付けるような振動が定期的に襲ってくるようになった。慌てて計器類に手を伸ばして止めようとしたが、もちろん操作方法なんてわからなかった。そのうち、加速度によって押し付けられる体が重くなりすぎて、前傾姿勢も取れなくなった。手元のボタンもいろいろ試しているのだが、ロックでも掛かってしまっているのか、もはや何をやっても何の反応も示さなかった。

 

「ちょっと待って! 待ってくれ! 一体俺はどこに向かっているんだ!? エミリアー!」

 

 叫び声をあげても、もちろんそれに答えてくれる声などなかった。相変わらず、通信機からはエミリアの声が一方的に聞こえてくる。せめて彼女にこのことを伝えられればと思いもするが、どうやらそれも無理そうだった。

 

 やがて通信機の彼女の声は、諦めるかのようにトーンダウンし、最後にこんなことを言い出した。

 

『……この通信を、鳳白本人が聞いてくれていると期待して話します。私たちプロテスタントは失敗しました。リーダーであるカインは行方不明で、彼によるとサタン、ベルゼブブ、アシュタロスの三人は……処刑されたそうです。ジャンヌ・ダルク、ビリーザキッドの両名は大罪人として捕らえられ、どこへ連れていかれたかは不明、恐らくはドミニオンによって処分されたと思われます。そして彼らは下位世界、アナザーヘブンをそのまま残し、そこからやってくるであろうあなたを捕まえようと待ち構えているようです。

 

 (つくも)……もし、この音声をあなたが聞いているのなら、こっちへ来ては駄目! もし戻れるなら、今すぐ引き返しなさい。戻れないというのなら、その場には留まらず、今すぐ身を隠してください。ぐずぐずしていたらドミニオンが放たれ、あなたを捕まえに来るでしょう。そうなったら一巻の終わりです、だからすぐに逃げてください。

 

 こんなことを一方的に告げるだけ告げて、何の手助けも出来ないのは心残りだけど……私に出来ることはここまでです。これから私は神の監視から逃れるために、移動を開始します。だから最後にもう一度だけ呼びかけます。この声が届いていたら返事をください。シーキュー……シーキュー……シーキュー……私はエミリア・グランチェスター。鳳白、応答せよ!』

 

 エミリアの声はそれを最後に聞こえなくなった。鳳はその言葉をすべて聞いておきながら何も出来なかった。応答するために通信機を探すどころか、その内容の吟味すら出来ない始末だった。それもそのはず、今や彼の体は重力によって椅子に縛り付けられ、身動き一つ取れない状態だったのだ。奥歯がガチガチとぶつかって、歯を食いしばっていなければ舌を噛んでしまいそうだった。

 

 気が付けば先ほどの静寂が嘘みたいに、ゴウンゴウンと壮絶な轟音が室内に響き渡っていた。ディスプレイが細かく振動して、時折プツッ、プツッ、と点滅していた。計器が指し示す数字はどれもこれも軒並み高速で切り替わっていて、まったく読み取ることが出来なくなっていた。もっとも、仮に読み取れたところで、それが何を意味するのか分からないのだから無意味であった。

 

 さっきからのこの衝撃は、恐らく鳳が乗っている機体が急加速して、大気圏に突入しているからではなかろうか。心なしかさっきより部屋が暑くなったように感じられる。宇宙船が大気圏に突入する際、熱を発するのは知ってはいるが、しかし機体の中にまで伝わってくるものなんだろうか? どう考えてもやばいんじゃないか? もしこれが気のせいじゃないと言うなら、もしかしてこの機体は熱に耐えきれず、燃え尽きようとしているのではなかろうか……

 

 椅子に縛り付けられながら、嫌な予感ばかりが頭を占めていたそんな時……ドーーーンッッッ!!!! っと巨大な音がして、全身が地面に叩きつけられるようなもの凄い衝撃が襲ってきた。

 

 その瞬間、正面のディスプレイがプツンと切れて、ついに何も映さなくなってしまった。それでも部屋の中がまだ辛うじて見えているのは、外から赤い光がほんの少し入りこんでいるお陰であった。しかし、これはどう考えても、大気圏突入の際に起きた熱に違いなかった。

 

「うわあああああーーーーーっっ!!!!」

 

 鳳は堪らず叫び声をあげた。その声は周囲の騒音にかき消されて自分の耳にも届かなかった。爆音が断続的に続き、まるでシェイカーでめちゃくちゃにかき混ぜられているかのように、体が前後左右に揺さぶられて、鳳は何度も意識を持っていかれそうになった。

 

 ところが……しばらくすると、彼を襲っていたその音の洪水はぱったりと止んで、気が付けば部屋の中の音は、彼の放つ叫び声だけになっていた。

 

「うわあああああーーーっっ……ああーーーーっ……ああ?」

 

 彼はいつの間にか自分の声だけしか聞こえなくなっていることに気が付くと、突然訪れた静寂に困惑しながらも素早く状況判断を開始した。心臓がバクバク鳴っていて、信じられないほど汗でびっしょりになっていたが、どうやら自分はまだ死んだわけではないらしい。だが、ぐずぐずしていたらそうも言ってられなくなるかも知れない。

 

 とにかく、さっきまでのが大気圏突入の衝撃だったとするなら、現在の静寂はなんだろうか? もしかすると大気圏を突破したからではなかろうか。そう言えば、椅子に押し付けられていたはずの体が今は軽く感じられる。というか、軽いどころか重さを感じない。どうやらまた無重力状態に逆戻りしてしまったようだ。

 

 となると考えられる状況は二つ、大気圏ではじかれてまた宇宙へ逆戻りしてしまったか、もしくは大気圏を抜けて現在この機体は絶賛自由落下中のどちらかである。そう思い、耳を澄ませてみれば、壁の向こう側から、バサバサとか、ビュービューといった感じの風を切るような音がうっすら聞こえてくるような……

 

「って、おいっ!」

 

 鳳はセルフ突っ込みを入れながら、慌てて手元のボタンをバシバシと弄り始めた。もしそれが本当なら、状況はよりまずくなっているではないか。何故なら、さっきまで点灯していた目の前のディスプレイが消えていて、恐らくこの機体はまともに動いていないのだ。つまり彼は今、墜落しようとしている飛行物体の中で、真っ暗で、何も見えない状況で、椅子に縛り付けられているのだ。

 

 このまま地面に激突したら、間違いなく自分は死ぬだろう……これじゃあ、まだ宇宙空間を当てもなくさ迷っていた方がマシではないか! 彼は必死になって手近にあるボタンを滅多やたらに叩きまくった。

 

 と、その時、バサバサッ! っとした音が頭上でしたかと思ったら、続いてエレベーターの中にでもいるかのように、グンっと体に重さが戻ってきた。自分の重さに辟易しながら、耳をすませばバサバサ音はまだ続いていた。

 

 もしかしてこれは、パラシュートが開いたって奴じゃなかろうか? ホッとため息をつきながら音のする方を見上げれば、頭上にうっすらとハッチのような物が見え、円形のハンドルが取り付けられていた。目の届く範囲に扉が見当たらなかったから、どこにあるのかと思いきや、どうやらあそこが出入口らしい。

 

 とにかく、この真っ暗闇のままでは何をすることも出来ないからと、今度こそ椅子に縛り付けているハーネスを外そうとしてベルトをガチャガチャやっていたら、ザブンッ! っと音がして……それからゴボゴボとこもった音が聞こえたと思ったら、終いにはザーザーと水が流れ落ちる音が断続的に聞こえてきて、地面が上下にどんぶらこどんぶらこと揺れ動いた。

 

 鳳はそれが収まるのを少し待ってから、ようやくベルトの器具を外すと、肩に食い込んでいたハーネスを乱暴に脱ぎ捨てた。椅子から降りると立ち眩みがしたが、それは恐らくこの部屋がまだ波間に揺れている錯覚だろう。

 

 さっきのはきっと、この機体が着水したからに違いない。ここがどこだか分からないが、やはり自分は、どうやら宇宙から地球に落下してきたようだ。

 

 手探りで椅子の背もたれに登り、天井の丸ハンドルに手をかけた。思ったよりも熱くて一瞬肝が冷えたが、触れないほどでもないのでそのまま力任せに回した。ハンドルは、それほどきつく閉まってはなくて、割とすんなり回ったが、代わりに回せど回せどなかなか扉が開かなかった。

 

 もしかして落下の衝撃で壊れちゃったんじゃないか? と不安になったとき、ようやくカチッと何かが外れる音がして、グワッとハッチが勝手に持ち上がっていった。すると外から真っ赤な光と潮の香りが入り込んできた。どうやら予想通り、この機体は海に着水したらしい。

 

 鳳は居ても立ってもいられず飛び上がると、懸垂の要領で天井にぽっかりと開いた穴へとよじ登った。そして穴の外へと顔を出せば……遠くには水平線に沈む真っ赤な太陽が見え、そして周囲は三百六十度、見渡す限りの海が広がっているのが見えるのだった。

 


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