ラストスタリオン   作:水月一人

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このバカチンがー!

 それから二ヶ月の時が流れた。

 

 鳳たちがアイザックの城から抜け出して、たどり着いた名もなき宿場町は、今となっては二人のホームグラウンドとなっている。この街に名前がないのは、そもそもここが街として認められていないからだった。

 

 この街はヘルメス国と勇者領を繋ぐ街道の国境付近に位置し、ヘルメス国のまさに玄関口になっていた。勇者派であるヘルメス国は勇者の死後、勇者領との連携を考慮して、両国を結ぶ街道を作った。そして両国は通商協定を妥結し、商人たちのキャラバンは自由に往来できるようになったのだが……ヘルメス国は商人の通行を認めはしても、獣人(リカント)の入国は認めなかった。

 

 そのためキャラバンはヘルメス入国に際し、国境付近に獣人達を置いてから入国するようになったのだが、こうしてキャラバンに置いてかれた獣人たちが共同生活するようになったのが、いつしか街にまで発展したわけである。

 

 しかし、ここが仕方なく出来たゴミ溜めみたいな街だと思ったら見当違いである。江戸四宿に匹敵すると言ったら言い過ぎかも知れないが、この街はそのくらいのポテンシャルを秘めている。街の成立の仕方がそれと似ているからだ。

 

 江戸四宿とは幕府成立後に整備された千住、板橋、品川、後に甲州街道の内藤新宿を加えた四宿で、どれも現代でも栄えている街ばかりだ。

 

 しかし、その位置を地図で確認してみればわかるが、どうしてそんな場所に宿場街を作ったのだと言わんばかりに、これらは江戸城の目と鼻の先にある。何もこんな場所に泊らないでも、さっさと江戸に入ればいいではないか。で、何故なのか? と言えば、それが先の理由の通りなのである。

 

 江戸時代、諸大名は参勤交代で二年ごとに江戸に来なければならなかったが、その際の大名行列は、大名家が大きければ大きいほど盛大なものとなった。加賀前田家では最大で4000人が参列し、街道を練り歩いたと言うから大したものであるが、しかし、もしそれが江戸に入ってきたら、どこに泊まれば良いだろうか?

 

 大名は前田家だけではない。250カ国もあって、それぞれが派手な行列を従えてくるわけだから、流石に全員は面倒見きれない。そのため、江戸に入る前に大名は行列を切り離し、側近だけで江戸に入ってきた。その際、大名行列が最後に泊まったのが江戸四宿というわけである。

 

 参勤交代は2年毎だから、宿場町にはそんな大名行列が毎年沢山やってくる。多くはそのまま国に帰るが、中にはその近辺に留まる武士もいた。しかし、妻も子供も国に残して江戸に詰めている武士は可哀想だ。幕府もそういう事情を知っていたから、四宿には特権を与えて遊郭を置くことを許した。

 

 で、遊郭があるからますます江戸やその周辺から人が集まってきたため、四宿は大いに栄え、現代でも大きな繁華街として名残があるわけである。

 

 ヘルメス国のこの名もなき街も同じように、最初は取り残された獣人や下男を相手にする、商人や娼婦が集まってきて市場が出来た。それがそのうち評判になって、やってくるキャラバンもどんどん大きくなっていき、そこに街が形成されていった。

 

 歴代ヘルメス卿も、そういった理由を知っていたからか、城の目と鼻の先という立地にもかかわらず、特に規制もせずに国境の外なら勝手にやってよと放置した。そんなわけで、街は思いのほか発展しており、下手するとアイザックの城下町よりも人口が多いくらいだった。街には何でも揃っており、娼婦や危ないクスリなんかも手に入ることから、帝国の中からこっそりと遊びに来るものもちらほら居る。

 

 そんな街だから治安と衛生状況は最悪だったが、しかし住めば都の言葉通り、一週間もしたらすぐに慣れてしまった。今となっては鳳もジャンヌも、この街の昔ながらの住人と変わらないくらいに馴染んでいる。

 

 さて……

 

 ジャンヌが冒険者登録をした後、二人はギヨームに世話をされて安宿に転がり込み、以来、そこを拠点として活動していた。

 

 ジャンヌは冒険者として働き、そして鳳は冒険者見習いと言う名目で訓練所通いをしていた。ぶっちゃけ、鳳はろくに稼げないから、宿代はすべてジャンヌが支払っている。それどころか生活費も何もかも、全てジャンヌ持ちだから、鳳は彼に足を向けて寝られない日々が続いていた。

 

 そんなわけで今日も毎朝のように、ジャンヌはクエストを受けにギルドへ向かい、鳳は彼から小遣いを受け取りながら、

 

「うっひょー! いつもすまないねえ。ジャンヌ、愛してるよ~!」

 

 などとリップサービスに努め、それが分かっているのかジャンヌも、

 

「いやん、嬉しいわ! あなたにそう言って貰えると、今日も一日頑張れるわ」

 

 と、お約束で返してから意気揚々と出掛けていき……鳳はその背中が消えるまで見送り、悪態を吐いてから、自分も出かける準備をして宿を出る。というルーチンを繰り返していたのだ。

 

 鳳の行き先は訓練所……ということになっているが、しかし最近は訓練所には行かず、魔法具屋に入り浸る毎日だった。

 

 というのも、実はもう諦めているからだった。思いがけず現代魔法の片鱗を見せた鳳は、ギヨームのすすめで訓練所に通うことになったのだが、しかし通い始めた頃は結構真面目にやっていたのだが、すぐに挫折した。何故なら、経験値が入らないのだ。

 

 城でアイザックたちと試した時と同じように、鳳は訓練所でも相変わらず経験値が入らなかった。教官たちと模擬戦闘しても、魔物を倒してみても、訓練用ダミー人形を叩いてみても、何をしても鳳の経験値は1も上がらなかったのだ。

 

 こんな事態は初めてだと言う教官たちは、当初こそは戸惑うどころか寧ろ面白がって、彼の経験値アップに力を貸してくれたが……いくらやっても、なにをやっても、うんともすんとも言わない鳳を前に、最近ではどんどん余所余所しくなり、彼を持て余しているようだった。

 

 一応、月謝を払っているから行けば訓練させてくれるだろうが、多分、いくらダミー人形を模擬刀で叩いてみても、鳳の経験値は上がらないだろう。それでもめげずに叩いていれば、いつかはステータス(というか筋力)が上がるかも知れないから、全く意味がないことはないだろうが……ぶっちゃけ、そんなことするくらいなら、タンパク質を摂って、その辺の草っ原を走り回った方がマシであろう。

 

 しかし……どうして鳳のレベルは上がらないのだろうか?

 

 いや寧ろ……どうしてあの時、レベルが上ったのだろうか?

 

 鳳はこの世界に飛ばされてきた時、あっちの世界のキャラクリ直後だったせいでレベルが1だった。ところが、城でカズヤの魔法で焼かれた後、真っ暗な城の中で目覚めた時にはレベルが2に上がっていた。

 

 レベルが上ったのは、あの時一度きりだが、何が条件で上がったのだろうか。それはまだ判明していない。

 

 それからパーティー経験値である。鳳のステータス画面から見えるパーティーリストにだけ添えられたEXPの文字。あとでジャンヌに聞いてみたところ、彼のステータス画面には経験値はおろか、パーティーリストもないらしい。

 

 城で死にかけて目覚めたときにいきなり現れ、最初は100EXPあったのだが……メアリーの木の前で神人に襲われ、ジャンヌを呼び出した後はゼロになり、代わりに彼のレベルが上がっていた。

 

 これは鳳の固有スキルかなんかなのだろうか? もしかすると、これを使えば彼のレベルも上がるのかも知れないが……これまた鳳個人の経験値と同様、どうすれば入るのかちんぷんかんぷんだった。

 

 本当にパーティーの共有経験値なら、ジャンヌが敵を倒したら入ってきても良さそうなのだが、そんな美味い話は全くなく……かと言って訓練所で鳳が模擬戦闘しても、魔物を倒しても、他にも色々試してみても、有効な手段は何一つとして見つからなかった。

 

 それじゃ、最初の時の状況再現をしたらどうだろうかと思ってはみたものの、まさかまたファイヤーボールに焼かれるわけにはいかなかった。もし本当に、サイヤ人みたいに死にかけるのが条件だったら、たまったもんじゃない。

 

 しかし、他に方法も無いなら、試してみるしかないのだろうか。そもそも、あんな不思議な体験、普通にやってるだけじゃ駄目だろう。だから最近では、破れかぶれでそうするのも有りなんじゃないかと思えてきた。

 

 何しろ、今の鳳はジャンヌにおんぶに抱っこで、一人じゃ何も出来ないのだ。城を抜け出し、一緒に冒険者になろうと言ったは良いものの、未だに二人でクエストを受注したことは一度もない。それもこれも、鳳がレベル2のせいだ。

 

 もしこのまま、レベル2のまま一生レベルが上がらなかったとしたら、鳳はどうなってしまうのだろうか? ジャンヌだって、いつまでも彼の面倒を見続けてくるわけじゃないだろう。いずれどこかで捨てられて、一人で生きていかなきゃいけなくなる。その時、自分には何が残されているのだろうか……

 

 こんな右も左も分からない異世界に一人取り残されて、誰に頼ることも出来ず、この世界の住人にすら笑われちゃうようなレベルの自分に、一体何が出来るというのか。このままじゃ、いたずらに死期を伸ばしているだけなんじゃないのか? だったらいっそのこと、文字通り死ぬ覚悟で最後の賭けに出るのも悪くないじゃないか……?

 

 そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にか、いつもの魔法具屋の前に来ていた。最近は、一人でいると際限なく落ち込んできて、おかしなことを考え始めてしまう……

 

 このままじゃいけない。考えないようにしようと思っても、そうやって目をそらしてる間も、いけない状況は続いているわけで……まさに鬱のスパイラルである。そろそろ、根本的な解決策を見つけなければ、精神的にもヤバいだろう。

 

 カランカランとドアベルを鳴らして、鳳は魔法具屋へと入っていった。

 

「ちわーっす、店主。来たよ~」

「あ! デジャネイロさん、いらっしゃい。いつものやつで?」

「うん、いいとこ見繕ってくれる? はい、これ今日の小遣い」

「もちろんですとも、デジャネイロさんのために、今日一番のネタを用意させてもらいました。ぐふふふふ」

「ぐふふふふ」

 

 鳳と店主はお互いの目を見つめ合い、ニヤニヤとしただらしない笑みで頷きあった。鳳は店主が持ってきた薬瓶の中から、チョコレートみたいな樹脂をひとつまみ取り出すと、網の上に置いて徐にアルコールランプで炙り始めた。

 

 暫くして上がってきた煙を逃さないように、スーッと鼻から吸い込むと、肺に染み渡るように甘く幸福感に満ちた感覚が広がっていく。首筋に雷が落ちたようなビリっとした感覚がして、続いて脳みそがバチバチとなった。

 

「あー、これだよ、これこれ。生きている感じがする」

 

 さっきまでの嫌な気分などもう吹っ飛んでいた。

 

 こうやってる時が一番落ち着く……

 

 鳳は地面に落っこちていきそうな、ふわふわとした浮遊感に身を任せて、椅子の背もたれにどっともたれかかった。

 

 同じく煙を吸っていた店主のだらしなく半開いた口から、よだれがだらだらと垂れ落ちている。

 

 汚えなあ……まるで滝みたいだ。ピエールの滝と名付けよう。そんなことを考えながら、流れ落ちるよだれを見ていると、ポタポタと落ちるよだれはやがて地面いっぱいに広がって、店の中に徐々に徐々にたまり始めた。

 

 鳳の足首までよだれが上がってくると、それはもの凄い勢いで店を覆い尽くし、あっという間に鳳の首まで水位が上がってきた。やばいと思ったときにはもう店はよだれでいっぱいになっていて、鳳は魚みたいにその中をプカプカ泳いでいるのだった。

 

 赤青黄色、色とりどりの魚があちこちで泳いでいる。水は虹みたいにキラキラ輝いてて、それに見とれていたらどこからともなく歌が聞こえてきて、見ればそれは泳ぐたい焼きだった。桃色珊瑚が手を振って、鳳の泳ぎを眺めている。

 

 あれ? なんだろう、これ、すっごくふわふわして楽しい……なんだか一生、こうしていたい気分だ。

 

 鳳は今朝までのことを思い出した。いつまで経っても上がらないレベル。相手に依存するしかないジャンヌとの関係。子供にまでバカにされる己の無力感……

 

 そんなもの、もうどうでもいい気分だった。このままずっと、虹色の海の中でぷかぷかしながら、一生を魚みたいに泳いで暮らしたい。

 

 そしてそれは可能なのだ。おクスリさえあれば。おクスリさえあれば。

 

 鳳はにへら~……っと笑いながら、店の中を泳いでいった。自分にはそう、翼がある。もう何も怖くない。店主が恍惚とした表情でビクビクしている。こんな状態、お客には見せられないなと思ってヘラヘラしていると……

 

 と、その時、突然、カランカランと店のドアベルが鳴って、

 

「こんの~……バカチンがあああああーーーーっっ!!!!」

 

 外から入ってきたギヨームが、鬼の形相で鳳の頭に一発げんこつをお見舞いした。

 

 バチンッ! っと音が鳴って、文字通り目から火花が出た。

 

「ぎゃあああああー!! 痛いっ! 痛いよっ! 今、バチッとなった! バチッとなったよ!? おクスリのバチバチと違って、とんでもなく痛いバチバチだった!」

「おまえが何言ってるかわかんねえよスカポンタン」

 

 ギヨームは、脳天を抑えながらゴロゴロ地面を転がっている鳳のことを、ゲシゲシと足蹴にしながら、

 

「おまえ、今日も訓練所にいやがらねえと思ったら、またこんなところで油売りくさりやがって、何度言ったらわかるんだっっ!!」

「ちっ、うっせーな。反省してま~す」

 

 鳳が不貞腐れた表情で言うと、バチンと平手が飛んできた。痛い。

 

「お前の口から反省なんて言葉は聞きたくないわいっ! とにかく、俺もギルド長に頼まれている手前、お前にこんなことされたら困るんだ。観念してお縄につきやがれ」

「あー! 痛い痛い、引っ張らないで」

 

 鳳はギヨームに首根っこを掴まれると、そのまま地面をズルズルと引きずられていった。腰ばきしていたズボンがずり落ちそうになっても、お構いなしである。

 

「またのご来店、お待ちしております~」

 

 ドナドナされる鳳のことを、店主が手を振り見送っている。ここんところ毎日だから、もはや手慣れたものである。見た目と違ってギヨームが怖いことを知っているから、もう止めようなんてことはしない。役に立たないやつである。ギヨームはそんな店主を振り返り、

 

「またこの馬鹿が来たら、今度は俺に連絡しろ!」

 

 と言って、首を絞められて顔が赤から青に変わろうとしている鳳を引きずりながら、地面をドスドス音を立てて去っていった。

 


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