ぷかぷかと波に揺られながら、沈む真っ赤な夕日を呆然と見送っていた。鳳はしばらく放心し続けたあと、ハッと意識を取り戻すや否や、まずはここがどこなのか現状把握に努めなければと慌てて動き出した。とにかく情報が少なすぎる。どうして自分はこんなわけのわからない乗り物に乗っていたのか……?
とはいえ、やれることは殆どなかった。
まず真っ先に、ハッチから外に出て、背伸びして遠くを眺めてみたものの、周囲は360度大海原が広がっているばかりで、どこにも島影らしきものは見えなかった。鳥も飛んでいなければ、もちろん船なんているはずもなく、おーい! と呼びかけても返事が返ってくる気配はない、見えるのはひたすら海水ばかりだ。
沈む夕日は足が速くて、もう間もなく機内の様子も見えなくなってしまうだろう。そう思って、また慌ただしくハッチの中へと戻ってみたは良いものの、肝心の機械は沈黙したままで、ディスプレイはもう何をやっても映らなかった。
椅子に括りつけられていた時に死角になっていた背後のスペースに、何かあるんじゃないかと期待もしたが、残念ながら何もなかった。本当に笑っちゃうくらい何にもなくて、ただぽっかりとスペースが広がっているだけである。
何か役に立つ物でも転がっていないかと、床に這いつくばって調べてみても、そんなものどこにも見当たらず、棚や引き出しのようなスペースすらなく、ダメもとでディスプレイの下の方の金属板をこじ開けてみたが、中には恐らくディスプレイのものであろう基盤が並んでいるだけだった。
日が沈み、これ以上室内を調べるのは難しくなってきた。鳳は不安を覚えながらも、ここで膝を抱えていても仕方ないと、再度ハッチから外へ出て、今度は自分の乗っていた機体を外側から調べてみることにした。
それは卵型の丸い物体で、飛行機というよりは脱出ポッドと言った方が良いような代物だった。卵で言えばお尻の方が黒焦げているのは、こっちが耐熱パネルが貼りつけられていた側なのだろう。とすると反対側には……? と思って見に行くと、機体からワイヤーが伸びており、パラシュートが海の中でたゆたっていた。
ようやく役に立ちそうな物を見つけたと、ホッとしながら引き上げてみるも、どうやってロープを外せばいいのかが良くわからなかった。頑丈なワイヤーは金属製で、斧でも無い限りちょっと切り離せそうもない。ただ、なんの素材かわからないが、パラシュートの方はそのまま使えそうだった。水を弾くのでポンチョにすれば雨風が凌げそうである。とは言え、こんな海の上では宝の持ち腐れである。最悪の場合、浮袋のようなものを作ってここから脱出するのも検討しなければいけないだろうか……
「ふぅ~……」
溜息を吐きながら鳳はその場にへたり込んだ。目覚めてから怒涛の如く命の危険に晒され続けて、だいぶ神経がすり減っていたようである。のけぞるような格好で仰向けになって寝転がったら、どっと疲れが押し寄せてきた。うとうとしつつ、呼吸を整えながら空を見上げると、空は一面の星で覆われていた。
その星の数はヘルメスに居た時と大して変わらなかったが、位置が全然違うことにはすぐに気づいた。天の川のコントラストが、こっちの方がずっとくっきりしているような気がする。そう言えば、ここは地球なんだっけ? と思って、知ってる星座を探そうとしたが、北斗七星もカシオペア座も見つからなかった。星座の形が変わってしまうほど年月が経過したとも思えないから、もしかしたらここは南半球なのではなかろうか。北半球は大陸が東西に伸びているから、宇宙船が降りるなら南半球が道理なのだ。
流れ星がいくつも、スーッと流れては消えていく……さっきの自分もあんな風に見えていたんだろうか……
「というか、あそこから落ちてきたんだよな?」
がばっと上半身を起こしてあぐらをかき、首だけ曲げて空を見上げた。このままじゃ眠ってしまいそうだが、まだ考えなければならないことはいくらでもあった。
今、鳳が腰かけてるこの機体が、予想通り宇宙船か何かの脱出ポッドなのだとしたら、目覚めたとき、彼は宇宙空間に居たことになる。どうしてそんな場所に居たのだろうか?
三年前、カナンが正体を明かし、鳳に助力を要請した時、確か彼は元々こっちの世界に体が無い者は世界を渡ることが出来ないと言っていた。だから今回、ルーシーもスカーサハも置いてきたわけだが……その時、カナンはその体をプロテスタントになったカインが用意しているはずだと言っていた。
カインは男として生まれ、処分されそうになったところを、カナンが逃がしてやった現生人類で、その行き先は、軌道上で大昔に破棄された播種船だといっていた。軌道上には、この世界を一度は救った神人たちが情報体となって眠っていて、人類はラシャに支配されてしまった地球を捨てて、どこか別の星に旅をしようとしていたのだ。
鳳たちのいた下位世界では実際にそれが行われて、数千万年の時を経て人類は惑星アナザーヘブンにたどり着いたわけだが、カナンの話だと、こっちの世界では準備だけして旅立ちはしていないと言っていた。つまりまあ、ざっくり端折って説明すれば、この世界には、軌道上の宇宙船の中に、まだP99が残されているということである。
だから普通に考えれば、鳳はその宇宙船の中で目覚めるはずだったのだが……実際にはこの通り、脱出ポッドに入れられて、地球に落っこちてきたわけである。どうしてこうなったのか、責任者がいるなら出てきて貰いたい。
「そうだ! エミリアだ!」
鳳はそこまで考えてから、思い出した。彼女が責任者かどうかは分からないが、目覚めたとき、エミリアを名乗る声がどこからともなく聞こえてきたのだ。
それは一生懸命、鳳に呼びかけているようだったが、彼はついに通信機を見つけることが出来ず、ポッドが地球に落下してしまったわけである。その時、エミリアは色々言っていたはずだ。
「……カナン先生たちが処刑されたって言ってたっけ……」
その可能性は、こっちに渡ってくる前からある程度覚悟はしていた。何しろ、あっちで三年も待ってて、何の音さたも無かったのだ。カナンは世界を渡る際に使ったゴスペル、アロンの杖の持ち主だから、無事なら何らかのリアクションは返せたはずだ。
他にも、ジャンヌとギヨームが捕まったというようなことも言っていた。こっちは捕縛だから、もしかしたら生きているかも知れないが、エミリアはその可能性は低いと考えているようだった。サムソンの名前は出てこなかったが、恐らく彼は世界を渡ること自体に失敗してしまったのだろう……
「それから……そうだ! メアリーはどこだ?」
こっちの世界にもP99が存在する。だからそのオペレーターであったメアリーに、保険のつもりで同行をお願いしていた。彼女も一緒にこっちの世界に渡ったはずなのにどこにも見当たらないのは何故か。
鳳は、自分が今腰かけているポッドを見下ろした。
このポッドは一人乗りだ。もしかすると、メアリーは別のポッドに入れられて、別々に地上に射出されたのかも知れない。しかし、それならエミリアがそのことについて言及しそうなものだが……彼女は鳳に呼びかけるだけで、メアリーのことは何も言わなかった。
他にも彼女はプロテスタント活動が完全に失敗に終わり、これから神の監視から逃れるために姿を晦ますとか何とか、なんかそんな感じのことを言っていたはずだ。その様子はどこか切羽詰まっていて、怯えているようにも思えた。もしかして、彼女はすでに居場所がバレて追手が差し向けられているとか、そういう状況だったんじゃなかろうか……?
そう考えてみると、鳳が脱出ポッドに入れられていた理由も分かる。きっとプロテスタントの根拠地である播種船の位置が特定されて、彼女は慌てて船を移動させようとしたのだ。その時、鳳だけでも助かるようにと、脱出ポッドに入れて射出したと考えればつじつまが合うが……
しかし、それならそうと
「一体どうなってんだ……?」
彼女はカインが行方不明だとも言っていた。じゃあ、もしかして鳳を逃がしたのはそのカインだったのだろうか? 後はドミニオンが追いかけてくるから、その場から逃げろとも言っていた。元の世界に戻れるなら、さっさと帰れとも。
ドミニオンというのは支配者とか、なんかそんな意味だったか……恐らくはプロテスタントの敵である、神の使いの狂信者みたいな連中のことだろう。しかしそれから逃げろと言われても、この大海原のど真ん中でどこへ向かえば良いと言うのか……
「これ……軽く詰んでないか?」
鳳は呆然と呟いた。
こっちの世界にやってくるのは最初からリスキーだとは分かっていた。だが、ここまでどうしようもない状況からスタートするなんて、誰も思わないではないか。せめてここが地上であるなら、鳳のサバイバルスキルでどうにかなったかも知れない。しかし、この大海原では食料も水も、どうやって調達すればいいのか分からない。釣りは好きでも、道具から何から、一から作らなければいけないのでは話にならない。たぶん、そんなのを用意している間に体力が尽きて死んでしまうだろう……
せめて通信機が生きていて、なんとかエミリアと話が出来ればまた違ったのだろうが……そう言えばそのエミリアは、今すぐに逃げなければ、ドミニオンに捕まると言っていた。これはもしや、そのドミニオンに捕まるしか助かる見込みがないのではないか?
少なくとも、逃げるって言ったって、海に飛び込んだら十中八九死ぬのは目に見えている。ならいっそのこと、敵に一度捕まってから、脱出することを考えた方がマシではないか。まさかいきなり殺しにくるようなことはしないだろうし……しないよな?
鳳が、そんなことを考えている時だった。
ポツン……ポツン……っと、鼻の頭に何かが当たって、おや? っと思い、見上げてみたら、いつの間にか満天の星はどこかへ消え去り、空は黒い雲で覆われていた。よく見れば、遠くの空でビカビカと雷が鳴っている。
こんな大海原で嵐に遭遇するのはいただけないが、今は恵みの雨である。鳳は急いで船内に取って返すと、先ほどこじ開けた金属板をナイフ代わりに、急いでパラシュートをワイヤーから切り離した。