パラシュートの生地で即席の袋を作り、ハッチに被せるようにして雨水を貯めた。高波で海水が入ってしまったら元も子もないから、自分も一緒にハッチにぶら下がって、一晩中高波に備えていた。お陰で夜が明けるころには十分な飲み水が確保出来たが、腕はパンパンで足はフラフラ、著しく体力を失ったことは明らかだった。これが吉と出るか凶と出るか……
人は水さえあれば一週間は生きていけるというが、それは何もしないで寝転がっていた場合の話である。正直、水だけではこの体がいつまで持つか分からない。握力がなくなってプルプルしている指先で、なんとか袋の口を縛り終えると、鳳はようやく人心地ついて床に腰を下ろした。
嵐は去ったがまだ波は高く、相変わらずポッドはグラグラと揺れ続けていて気持ちが悪かった。だが、そんなこと言ってられないくらい体はクタクタだった。彼はそのまま床に寝転がると、まるで地面に吸い込まれるように眠りに落ちた。
そして目覚めるとまた夕暮れ時になっていた。フラフラの体を鞭打って起き上がり、ハッチを開けて外を眺めると、だいぶ傾いた太陽が横の方から彼の体を照らしていた。たぶん、あと小一時間もしたらまた日が沈むだろう。
海を覗き込んで見れば、昨日の嵐の影響で濁ってしまって殆ど何も見えなかった。せめて潜れれば魚を獲れる可能性もあったろうが、こうなってしまっては数日間はこのままだろう。まあ、出来るかどうかわからないことに体力を削られずに済んだと思って、ポジティブに考えるより他にない。
とりあえず、やれることは何でもやっておくにこしたことはない。夜は一晩かけて、ハーネスの繊維をほぐして糸を作った。この頑丈な繊維を釣り糸にして、ダメもとで海にぶっこんでおくのだ。釣り針になりそうなものは、ディスプレイの下にあった基盤からいくらでも見つけられた。これでもう通信の可能性は永久に失われたわけだが、今はそんなこと言っている場合ではないだろう。
肝心の餌が何もないので、あとはきらきら光る釣り針に引き寄せられる馬鹿な魚がいることを願うしかない。せめてゴキブリの一匹でも船内に潜り込んでいたら良かったのに、宇宙空間ではそんなものが紛れ込むような隙はなかったのだろう。しかしまさか、地球に帰還して真っ先に思うのが、ゴキブリを恋しがることとは思いもよらなかった。鳳が生きていた時代からは何千年も経過しているはずだが、彼らは元気にしてるだろうか。
出来上がった釣り糸をハッチの丸ハンドルに括りつけていたら朝日が昇ってきた。完全に昼夜が逆転してしまっているが、日除けがない場所では、昼間動くよりは夜の方が良いだろう。日射病が怖い。昇る朝日に収穫を祈願してから、船内に戻って横になると、また一瞬で眠りに落ちてしまった。
次に目覚めると、既に日は沈んで船内は真っ暗になっていた。
3日目ともなると流石に疲れが隠せなくなってきたか、体を起こそうとしても、どうにも言うことを聞いてくれなくて難儀した。空腹がピークを迎えると、腹が減るというより胃が溶けるといった感じで、ただひたすら苦しみが襲ってくる。
空腹を紛らわすのに、つい水を飲みすぎてしまい、腹がちゃぷちゃぷ音を立てていた。こんなことをしても、貴重な水を無駄にするだけだし、余計に疲れるだけなのに、そうせざるを得ない辛さがあった。
期待を込めて釣り糸を引き上げてみたが、そう都合よく魚がかかるわけがなく、それでも諦めきれずに手ごたえのない糸を引き続け、釣り針に何も掛かってないことを確かめては虚しさに襲われた。やはり餌も仕掛けもなしで魚を釣ろうなど、考えが甘すぎるのだ。とはいえ、この海の上ではどうしようもない。また釣り糸を海に落とし、ぼんやりと糸の動きを眺めていた。
月明りに照らされた海は相変わらず濁っているようだった。流木が流れてきたりとか、魚が跳ねたりとか、そう言った期待を持たせるような出来事も何一つ起こらなかった。
エミリアは、すぐに逃げなきゃドミニオンが飛んでくると言っていたのに、全然来ないではないか。もう逮捕でもなんでもしてくれて構わないから、来るならさっさと来てほしい。正直、今となってはその相手が魔族であっても嬉しいくらいである。いっそそうしてくれと神にでも祈ってみようか?
そういえば……鳳はカナンに頼まれて、その神を倒しにこの世界に来たのだった。それがどうだ? たかが空腹で、ここまで惨めな姿を晒している。こんなんで神殺しなど片腹痛いではないか。どうしてカナンはこんな情けない奴に期待をかけたのだろうか……?
まあ、それは、あっちの世界ではケーリュケイオンを持ち、あらゆる古代呪文を使いこなす勇者だったからだが……じっと座ってると愚痴っぽいことばかり考えてしまう。彼は頭をブンブンと振った。
「そういや、こっちに来てから能力を使おうって試してなかったな」
P99が使えない時点で頭からすっぽり抜け落ちてしまっていたが、考えてみればP99が無くて使えないのは
鳳は目を閉じて、高次元方向からやってくるはずの第5粒子エネルギーを探った。そしてすぐそれに辿り着いた。そりゃそうである。そもそも鳳は、カナンが宇宙は第5粒子エネルギーによって消滅の危機にあると言ったから、この世界まで追いかけてきたのである。そのカナンが戻ってこなかったのだから、まだエネルギーがあるのが道理だ。
そして第5粒子エネルギーがあるなら、脳にそのエネルギー=MPが溜まっているはずである。あっちの世界と違ってステータスは見えなくなったが、MPの利用法にかけては鳳は今やそれなりのエキスパートだった。ケーリュケイオンを使って、星がぶっ壊れるくらい操ってきたのだ。
果たして、鳳が集中して両手のひらに光が集まってくるようなイメージを作ると、間もなくその想像通りに、軽く開いた2つの手のひらの間に小さな光球が浮かび上がった。これは古代呪文のファイヤーボールを真似出来ないかと試行錯誤している内に、その副産物として習得した技だったが、要するにMPをそのままエネルギーとして放出しているのだ。
「出来るじゃん」
彼はほくそ笑むと、海の上にその光球を消えないようスーッと送り出した。こうしておけば、その光に誘われて魚が集まってくるかもしれない。小魚なら、パラシュートの余りで作った網で救い上げることも可能だろう。大物がきたら、それを釣り針に引っ掛けるのだ。
しかし、そうして期待が膨らんだ瞬間、送り出した光球は虚空で弾けて消えてしまった。制御をミスったわけではなく、単に光球を形作っていたエネルギーが尽きてしまったのだ。MPは無尽蔵にあるわけではなく、一度に使える量は決まっている。電気みたいに効率がいいわけでもないから、一晩中明かりを灯し続けることは出来ないのだ。
だが、現代魔法を使うという考えは悪くない。身体強化系のスキルを使えば、素潜りで魚を捕らえられる確率は高くなるはずだ。あとは海中の濁りが取れてくれれば、イチかバチか即席のモリを担いでチャレンジしてみるのだが……
フラフラする体を身体強化系のスキルで支えながら、彼はポッドの中へと戻っていった。もしも本当にそうするなら今日は早めに体を休めた方が良いだろう。体力がどんどん削られていく。
多分、明日がラストチャンスだ。それでダメなら……それはその時考えよう。今やれることは体力を温存することだけなのだ。彼はそう自分に言い聞かし目を閉じた。まだ起きてそんなに経ってないというのに、眠りはすぐにやってきた。
4日目……
目覚めたら、ぴくりとも体が動かなくなっていた。うっすらと開いた瞼の向こう側に、室内の様子がくっきりと見えた。ハッチから光が差し込んでいるから、まだ日中なのだろう。海の中が見えるのは日が昇っている間だけだ。
「……行かなきゃ」
今日こそ何か食べ物を手に入れなければ多分死ぬ。彼は身体強化の魔法をかけて、執念で体を起こした。どうにかこうにか壁にもたれて座ってみるも、貧血みたいに頭がフワフワしてきて、まだしばらく動けなかった。
視界が戻ってくるのを待ってから、ゆっくりと立ち上がった。人間が水だけで1週間生きるなんてことは現実には無理だとつくづく思い知らされた。せいぜい3日が限度で、4日も経てば大抵の人は起き上がれなくなるだろう。災害救助で72時間の壁なんて言葉があるくらいなんだから、それくらい想定しておくべきだった。鳳は、ぐずぐずと待ち続けていた過去の自分に腹を立てた。
待っていたところで絶対に助けは来ない。ドミニオンなんて連中も、もうやってこないだろう。そもそも、最初から敵に期待するなんてことが間違っていたのだ。あっちの世界に残してきた3人の嫁たちに、絶対に生きて帰ってくると誓ったのだ。こんなことで死んでなるものか。何としてでも生き延びてやる。
彼は鼻息を荒くしてハッチによじ登ると、念のために釣り糸を引き上げた。案の定何も掛かってないことを確認すると、今回は海に戻さず室内に取り込み、代わりに即席のモリを取り出した。
基盤を引っぺがして、棒状のものを3メートルくらいまでひたすらつなぎ合わせたものである。先端には返しの付いた金属の穂先がつけられている。昨日寝る前に即席で作ったものだ。精密機械は精密であるがゆえに、鋭利な部品がところどころについているものである。それを光球で溶かした半田で固定し、強度を確保した。お陰でMPを大量に消費してしまったから、海に入るとしても、そう何度も試すことは出来ないだろう。
鳳は服を脱ぎ捨てると一発勝負のつもりで気合を入れて海に飛び込んだ。
嵐から3日も過ぎていたが、海中は相変わらず濁っていて視界は悪かった。だが、昨日ほどではなく、数メートル先なら見えるくらいには回復していた。鳳はとりあえず、魚のいそうな海底付近まで潜ってみようと頭を下に向けた。
泳ぎは得意と言うほどではなかったが、身体強化のおかげで思った以上によく泳げた。ぐいぐいと水をかきわけて進んでいくと、水圧で耳が痛くなってきた。耳抜きをするためにストップして上を見上げてみたら、この一息でもう10メートル近く潜っていたようである。この調子ならすぐに海底にたどり着けるだろうと期待しながら、また海の底へと頭を向ける。
だが、そこまでだった。やがて20メートルくらい潜ったところで鳳は絶望に駆られた。海はどんどん暗くなっていくのに、海底がまだ見えないのである。身体強化のお陰で息はまだ続きそうだが、ダイビングの素人がこれ以上潜るのは危険だろう。彼はそれでもあと5メートルほど潜ってみたが、未だ底を見せない深淵を前に、それ以上進むことを断念せざるを得なくなった。
念のため、周囲に魚影がないか確認しながら浮上する。遠くの方でキラキラ光るものが、何でも魚に見えて仕方なかった。
ぷはーっ! っと息を吐きだして海面に顔を上げたら、潮に流されたのか、脱出ポッドがだいぶ遠くの方に見えた。獲物がとれないどころか、海底にすらたどり着けもしなかったという徒労で、悲嘆に暮れながらのろのろポッドまで泳いで帰ってくると、次なる難問が待ち構えていた。
脱出ポッドは卵型だから、上手くよじ登れないのだ。空気抵抗を減らすために表面はつるつるで、殆ど手掛かりがない。それで一瞬、気が遠くなりかけたが、幸いなことにパラシュートを繋いでいたワイヤーがそのままだったので、それを伝っていけばどうにか戻れそうだった。
鳳は、追い詰められているとはいえ、今度はもっと計画的に動こうと心に誓いながら、ワイヤーに手をかけ、重い体をよっこらせと持ち上げようとした時……それは起きた。
ワイヤーはポッドの先端に取り付けられているから、鳳が体重を掛けた瞬間ポッドがグイっと傾いてしまった。その拍子に、掴んでいた手がワイヤーからずるっと滑り、慌てて両手で掴もうとして、もう片方の手に持っていたモリを手放してしまったのだ。
彼は間髪入れずに自分の間違いに気づいて慌てて手を伸ばしたが、その手が届くよりも先にモリは海の中へと落ちてしまった。慌てて海に飛び込んでそれを追いかけたが、金属の棒と人間とでは沈んでいくスピードが違いすぎ、彼は真っ暗な海にモリが消えていくのを呆然と見送ることしか出来なかった。
海の底は真っ暗で、どんなに目を凝らしても、やはり底までは見えなかった。せっかく作ったモリをこんなあっさり失くしてしまうなんて……彼は息が続く限り真っ暗な海の底を見つめ続けた後、やがて落胆しながら戻ってきた。
ワイヤーを掴んでポッドの上によじ登り、フラフラになりながらハッチの中に降りようとすると、水滴でずるっと滑ってそのまま中まで落っこちた。受け身を取るときに放置していた金属板で手を切ってしまって、盛大に血が流れたが、もはやそんなのを気にする余裕もなかった。
何をしようにも、体にまったく力が入らない。思った以上に精神ショックが大きかったようである。彼は床に這いつくばりながらぽっかりと開いたディスプレイの下の空間を見た。
また一からあれを作るのか……
きっとその間に、太陽は沈んでしまうだろう。もう無理だ……そう思った瞬間、集中が途切れて身体強化のスキルも切れてしまった。体が信じられないほど重くなり、目の前がちかちかと点滅する。限界を超えて、体を無理やり動かし続けた代償だろう。意識が遠のき、目を開けているのに、目の前が真っ暗になって、何も見えなくなっていった。
自分はこのまま死んでしまうのだろうか……薄れゆく意識の中で、彼は自分の愛する人たちのことを思い浮かべた。ミーティア、クレア、アリス……まだ死ねない。死んでたまるか。何か食べ物……食べ物を!!
だが、心でいくらそう思っても、体の方はもう答えてくれそうになかった。彼は間もなく意識を手放し、その場で失神してしまった。
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それからどのくらい時間が経過しただろうか……次に彼が意識を取り戻した時、船内は真っ暗で、何も見えなかった。あまりにも真っ暗だから、彼は自分がまだ眠っているんじゃないかと思ったくらいだったが、そう思う以上に思考がクリアだったから、どうやら起きていることは間違いないと確信出来た。
問題は、脳は冴えていても、相変わらず体の方がうんともすんとも言わないことだった。胃袋の悲鳴は限界に達し、体力はもう殆ど残されていないくせに、心臓は爆音を立てていた。頭痛がひっきりなしに襲ってきたが、どうやらその痛みのせいで意識が覚醒してしまったというのが正しい認識のようだった。
寒気と発汗、唇の乾き、体全体がこのままじゃ死ぬよと、宿主に訴えかけているかのようである。だが、そう言われたところで、もうどうしようもない。
鳳は、こんな時は涙も出ないんだな、それならそれで水分を無駄にしないで済む……などと自虐的に考えつつ、もう一度だけ、体を動かしてみようと踏ん張ってみた。
と、その時、彼は床に這いつくばりながら、何か柔らかいものに触れていることに気が付いた。触れているというか、右手が何かを掴んでいる。一体なんだろう? と、最後の力を振り絞り、首だけを動かしてそれを見ようとした。すると視界の片隅に、丸いパンのようなものを握っている自分の手が見えた。
いや、パンのようなものではない。間違いなくパンがある。
そんなはずはあり得ない、とは思ったが、それこそ死ぬ気で食べ物を求めていた体が勝手に反応した。鳳はガバっと飛び跳ねるように起き上がると、自分の右手が掴んでいるその柔らかな物体をとっくりと確かめた。
それはどう見ても、何の変哲もない丸パンだった。見れば見るほど、丸めた生地をただオーブンに突っ込んで焼き上げただけの丸パンにしか見えなかった。自分はやっぱり夢でも見ているのだろうか? まあ、夢なら夢で構わないからと、そのパンを口に運んでみたら、あまりの美味さにポロリと涙がこぼれてきた。
さっき死にそうになっても、一滴も流れなかった涙がぼろぼろと、一滴、二滴と流れては、ぽたぽたと床にしみこんでいく。二口、三口とパンを口に運ぶたびに、その涙はとめどなく溢れ、それと同時に、信じられないくらい体に力がみなぎっていくのを感じた。
あっという間にパンを平らげてしまうと、空っぽだった胃袋がびくびくと痙攣しだして、あれだけ求めていた食料を追い出そうとし始めた。ふざけんじゃねえと胸をどんどんと叩きながら吐き気に耐えつつ、水袋に残っていた最後の水を後先考えずにごくごく飲んだ。その水が胃袋を押し広げ、そのまま全身に染み渡っていくかのようだった。
そして胃袋がパンを受け入れた瞬間……さっきまで鳳をガンガンと痛めつけていた頭痛が嘘みたいに引いてきた。パリパリと静電気を発しながら機械が再起動するかのように、頭がクリアになっていく。
鳳は新しい感覚に体がついていけるようになるまで、そのままじっと床に座り込んだあと、ほっと溜息を漏らしてから、
「……夢……じゃないよな? あのパンはどっから出てきたんだ?」
命を救われたとはいえ、あれだけ求めても見つからなかった食料が、こうして突然出てきたのは不気味である。眠っている間に、誰か来たのだろうか? そう思って周囲を見回してみるも、そこは相変わらず脱出ポッドの中で、鳳が散らかした機械の部品などが転がっているままだった。
外に船などがいないかとハッチに登って確かめてもみたが、見えるのは相変わらず360度見渡す限りの大海原で、人の気配は全くない。
それじゃパンは本当にどこから出てきたというのだろうか? まさか、神の御恵みだとでも言うつもりか? 鳳は、自分でそう考えておきながら、その考えにうすら寒くなってきた。
とはいえ、何者かが自分のことを見張っているなんて考えても仕方ない。今は取り合えず拾った命を繋ぐことだけに集中すべきだろう。実は昨日海に入ったとき、上がってくる際に周囲を見回していたところ、ここより1キロくらい離れた所に浅瀬っぽい場所を見つけていたのだ。
浅瀬と言ってもここよりは浅いと言った程度だが、海底に太陽の光が届いているなら海藻やサンゴが生えているかも知れない。そうしたら根魚が狙えるから、ここで素潜りするより遥かにましだ。
問題は、このポッドをそこまで曳航できるかどうかだが……昨日、乗り込もうとした時に船全体が傾いてしまったくらいだから、MPを全部使い果たすつもりで引っ張ったら、何とかなるかも知れない。
そうと決まれば、もう迷ってる暇はないだろう。この体力が尽きたら今度こそ終わりだ。明日こそが本当に最後のチャンスだと腹を括って、朝になるまでに出来る準備はすべてしておいた方が良い。まずは今日、失くしてしまったモリを新たに作らなければならない。鳳はまたディスプレイの下に潜り込んで中をごそごそと漁り始めた。
と、そんな時だった。
ちゃぷっ……ちゃぷっ……っと、急に外から水を叩くような音が聞こえてきた。波が船体にぶつかって音を立てているのだろうか? また嵐になったらマズいとも思ったが、しかし、どうもちょっと様子が違う。波が高くなったらのなら船がもっと揺れるはずだが、今船内は静かなままである。それに、ちゃぷちゃぷ音は断続的にいくつもいくつも聞こえてくる。
「
もしかしたら、小魚が大きな魚に追われて水面を打っているのかも知れない。もしもそうなら、今この近辺に大量の魚がやってきている証拠である。ならば今度こそあの釣り針が役に立ってくれるかも知れない。鳳は手にしていた材料を床に下ろすと、昨日引き上げておいた釣り糸を持って、意気揚々とハッチによじ登った。
果たして、ハッチから海を見下ろせば、彼の期待通り、そこには無数の魚が顔を覗かせていた!
「……なんじゃこりゃ」
しかし、魚はいるにはいたが、その様子がどう見てもおかしかったのである。
「ギィッ! ギィッ! ギギィーッ!!」
魚のくせにこんな変な鳴き声を上げることもさることながら、何よりもその大きさが異常だった。ポッドの上からざっと推定するところ、その魚の体長は1メートル半から2メートルはありそうであり、おまけに、酸欠の鯉じゃあるまいに、その顔を海の上に突き出しているのである。
水面で口をパクパクさせているのではなく、はっきりと顔全体が、下手すればえらの部分まで海上に出てしまっている。そしてその奇妙な魚は、まるで人間が首を曲げるかのように、グイっと首の部分だけを折り曲げて、器用に顔だけをこちらに向けているのだ。
鳳はごくりと唾を飲み込んだ。
記憶違いでなければ、彼は以前この奇妙な連中のことを見たことがあった。レヴィアタンと戦った時、オアンネス族と共に現れた取り巻き……インスマウス族だ。その水棲魔族が今一斉に顔を向けて、鳳の乗るポッドの周りを取り囲んでいる。鳳は、額に汗をびっしょりとかきながら、文字通りその魚のような目を呆然と見つめることしか出来ずにいた。