ラストスタリオン   作:水月一人

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そこに誰かいるのか?

 水が跳ねるような音が聞こえた気がして、ハッチから顔を覗かせてみれば、いつの間にか脱出ポッドの周りを無数の水棲魔族が取り囲んでいた。ギィギィと騒がしい鳴き声をあげる魔族を前に、鳳は呆然と眺めることしか出来なかった。

 

 こっちの世界に来てからこの四日間、ずっと大海原に独り取り残されて、終いには死にかけて、もういっそ魔族でもいいから会いに来てくれと半ばやけっぱちに思ってはいたが、本当に来られてしまうと話が違う。どう考えても絶体絶命のピンチに、鳳はだらだらと冷や汗を垂らした。

 

「あわわわわわ……」

 

 前の世界からやたらと因縁が深い水棲魔族の強さならよく知っていた。地上でなら今の鳳でも互角にやり合えるだろうが、ここは場所が悪すぎる。海に引きずり込まれたら100%死亡確定だ。鳳は急いでハッチを中から閉めようと顔をひっこめた。

 

「ギィーッ! ギギィーーッ!!」

 

 するとそれを見ていた魚人一匹が、そうはさせじといきなり脱出ポッドの上に飛び乗ってきた。昨日、鳳があれだけ苦労して、命の次に大事なモリを落としてまで、ようやくよじ登れたポッドの丸い壁を一瞬である。なんかずるい! と思いはしたが、今はそんなことを言ってる場合ではない。鳳は大慌てでハッチを閉めようと腕を伸ばした。

 

 ところが、そんな彼の動きを見透かしていたのか、それとも何も考えていないのか、魚人はポッドに飛び乗った勢いのまま、まるでペンギンみたいにその上をスイーっと滑ってきて、なんとハッチにホールインワンしてしまったのである。

 

「うわああああーーっっ!!」

 

 ヌルっとした感触が気持ち悪い。魚人は今まさにそれを閉めようとしていた鳳を巻き込むようにして船内に落ちてくると、下敷きになってしまった鳳に襲い掛かってきた。

 

 鳳はとっさに身体強化スキルを発動して、襲い掛かってくる魚人を下から思いっきり突き上げた。

 

 魔族と言うのは大抵自分に都合よく考えるものだから、まさかこの奇妙な船に乗る人間ごときにそんな強烈なパンチを食らうとは思いもよらなかったのだろう。

 

「ギギィィィーーーーッッ!!」

 

 魚人はおかしな悲鳴を上げると、鳳から逃れようとしてハッチの外へと飛び上がろうとした。ところが、水の中ならあれだけ器用に動けるくせに、地上だとまるでダメな魚人は、外に飛び出そうとジャンプした拍子に、狙いを外してハッチの角に思いっきり頭をぶつけてしまった。

 

 ゴォォーーーン……っと、除夜の鐘のような音が響いて、哀れな魚人はそのまま船内に落っこちてぴくぴく痙攣し始めた。

 

「お、おい……どうすんだよ、これ」

 

 当面の脅威は去ったが、狭い船内でこんなのに居座られたら堪ったものじゃない。鳳は慌てて魚人を追い出そうとして、そのヌルヌルする尻尾を強引に引っ張り上げようとしていると、

 

「ギーッ!! ギーッ!!」

 

 頭上から別の鳴き声が聞こえたと思い見上げたら、仲間をやられたと思ったのか、数体の魚人が興奮しながら船内を覗き込んでいた。

 

「のわわああああーーーっっ!!」

 

 鳳は、こいつらにまで船内に入り込まれたら絶対に勝ち目はないと思い、ハッチに向かってMPで作った光球を咄嗟に飛ばした。するとそのうちの一つが魚人に当たり、ドン! っと気持ちのいい音を響かせ、哀れな魚人が錐もみしながら吹き飛んでいった。

 

 それを見た他の魚人たちが一斉にギィギィ騒ぎ出す。

 

「わーっ! わーっ! うるさいうるさい!! どっか行け!! 行くならこっちから手出しはしないから!!」

 

 まるで天地がひっくり返ったような大騒ぎに耳がキンキンとなって、鳳は堪らず怒鳴り声をあげた。外の連中が人語を解するかどうかは分からないが、他にやれることもないからダメもとでそう叫ぶ。

 

 魚人の一体がそれでも船内を覗き込んできたが、鳳が光球を飛ばすとすぐに顔をひっこめた。彼は床に転がっていた鉄の棒を拾い上げると、ハッチの外に突き出して蓋をガンガンと叩いた。入ってくるなというジェスチャーのつもりだが、それを見てまた魚人たちが騒いでいる。

 

 ともあれ、不用意に手を出したら危険だと判断したのか、それ以降、魚人がハッチの外に顔を出すことはなくなった。相変わらず外でギィギィ鳴き声がするが、しばらくは安全と考えていいだろう。だがいつまでもと言うわけにもいくまい、可及的速やかに今後の方針を決めなければ……鳳はそう判断すると、床に転がっている魚人を見た。

 

 自爆した魚人は死んではいないようだが、失神しているらしく、今はもうぴくりとも動かなかった。こんなのにいつまでも居座られたのでは堪らないから、さっさと追い出してしまいたいところだが、問題は身体強化を使っていても持ち上げるのが困難なくらい、こいつが巨大なことだった。

 

 おまけに、魚体に手足が付いているというその身体は、全身がぬるぬるしていて掴みどころがなかった。辛うじて、手足や尻尾のくびれたとこなら掴むことが出来るだろうが、それでは上から引っ張り上げることは出来ても、下から持ち上げるのは不可能である。

 

 しかしハッチから外に出てそんなことをしようにも、他の魚人たちが大人しくしていてくれる保証はない。連中に、引き取りに来いと言っても、果たして言葉を理解してくれるだろうか……

 

 ぐぅぅぅ~~~~~……

 

 そんな風に悩んでいたら、不意にお腹が鳴りだした。頭を使うと結構お腹がすくものだ。ましてやこのところの空腹ではそれも仕方ないだろう……

 

 ところで、手足がくっついているのを見なかったことにすれば、こいつの見た目は完全に魚である。エラもあればヒレもある。魔族は元人間のはずだが、ここまで見た目が変わっているなら、もはや中身も人間とは違うだろう。つまり、そう、美味いんじゃないか……

 

 幸い、鳳の趣味は釣りである。魚を三枚に下ろすなんてことは造作もないことだ。マグロでもサメでも持ってこい。昨日、指を思いっきり切ってしまったあの鋭利な鉄板なら、ナイフ代わりに使えるだろう。あとは鳳の倫理観と衛生観念がどこまでそれを許すかだが、そんなもんはとっくの昔にどっかに捨ててきてしまった。

 

 となると残る問題は一つ、刺身にするか、塩焼きにするか……そんなことを真顔で考えている時だった。

 

「そこに誰かいるのか?」

 

 ギィギィと騒がしい魚人たちの鳴き声に混じって、幼い子供のような声が聞こえてきた。

 

 鳳は最初それを幻聴だと思って全く気にも留めなかった。

 

 自分のことを棚上げて、こんな大海原のど真ん中に人がいるなんて思わなかったから、脳が処理してくれなかったのだ。だが、その声が再び聞こえてきたなら話は違う。

 

「その中に誰か入っているのだろうか。いるのなら返事をしてくれ」

「誰だ!!」

 

 鳳は弾かれるようにそう叫んだ。その声がよっぽど大きかったからか、その瞬間だけ一瞬外が静まり返ったが、すぐにまたギィギィと煩い魚人が騒ぎ出した。外の様子が見えない鳳が、その騒ぎにイライラしていると、それを察したのか声は、

 

「……尋ねているのはこっちの方なんだが……こらこら、おまえたち、中の人と話がしたいから、ちょっとどっか行っててくれ」

 

 その声に呼応するかのように、魚人の鳴き声は徐々に小さくなっていった。騒ぐのをやめたわけではなく、声の主の命令に応えてその場から少し離れたようである。相変わらず騒がしい魔族の大合唱をBGMに、謎の声がまた話しかけてくる。

 

「君は何者だ? 天使か? 人間か? まさか魔族と言うことはあるまい。この……不思議な物体は、君の船なのだろうか?」

 

 声は幼い子供のように聞こえるが、口調はかなり落ち着いていた。鳳はすぐに返事を返そうと口を開きかけたが、寧ろその落ち着きっぷりが逆に気になり、言葉に詰まった。声の主は、水棲魔族の中にいて平気どころか、彼らに命令を下していたようだ。と考えると、この声は魔族と考えるのが妥当だろう。そう言えば、体が完全に魚体であるインスマウス族と違って、半魚人のオアンネス族は人語を話せたはずだ。鳳はそれを思い出し、

 

「お前こそ何者だ? オアンネス族か?」

「私がオアンネスだって? とんでもない! 君は失礼な人だな」

「……じゃあ、どうして魚人どもはおまえの言うことを聞いたんだ?」

 

 声の主はその問いには答えず、少し考えるかのように間をおいてから、

 

「なら自分のその目で確かめてくれ。私も君が何者であるのかが気になっているのだから、お互いに姿を晒せばフェアだろう」

「……俺が顔を出した瞬間、待ち構えていた魚人がいきなり海に引きずり込んだりしないだろうな?」

「疑り深い人だ。嫌なら、こっちからそちらへ向かおうか?」

「いや、いい! そこから動くなよ……」

 

 鳳はそう言うと、片手に鉄の棒を握りしめたまま、もう片方の手だけでハッチによじ登り、外に顔だけを出して声の主の姿を確認した。いざとなったらすぐ室内に戻れるように、一瞬だけちらりと見るつもりだったのだが、しかし、そう思っていた彼は当初の予定を忘れてしまうくらい、そこに佇んでいた意外な人影に目を奪われてしまった。

 

 そこに居たのは、その幼い声にふさわしい、背丈の低い小さな少女だった。夏休みの小学生みたいな探検家風の半袖半ズボン、というかキュロットスカートをはいていて、肩から腰に掛けて大きな鞄を斜めに下げている。

 

 月明りを受けて青く輝く髪の毛は、肩に少し届かないくらいのおかっぱ頭で、長く伸びた前髪のせいで左の目だけが隠れていた。目鼻立ちは恐ろしく整っていて、いわゆる神人らしい作り物めいた美貌を湛えており、ルビーのように真っ赤な右目がまっすぐ鳳を見据えていた。

 

 そしてなにより最大の特徴は、その背中に生えている漆黒の片翼だった。それはもともと一枚しか生えていなかったのではなくて、何らかの事情で失われたといった感じに、片方の翼が途中でもげていた。もし、その翼が元通りに生えそろっていれば、あとは色を気にしさえしなければ、その姿は間違いなく天使である。

 

 そんな天使が、何故かこんな何もない大海原で、(いかだ)に乗って漂流しているのである。鳳も、大概他人のことは言えないが、どう考えても奇妙にしか思えなかった。

 

「……おまえは、もしかして天使なのか?」

 

 鳳が尋ねると少女は首肯し、

 

「ああ、見ての通り私は天使だ。君は……どうやら人間のようだが、しかし、どうして裸なんだ? わざわざ股間にぶら下げた小さな物を見せつけているのは何故だ? なんらかの部族的儀式か? もしかして、本当は魔族なんじゃないのか?」

「うっ……」

 

 天使の姿をよく見ようとして、思わずポッドの上に立ち上がっていた鳳は、おちんちんを両手で隠しながら、そそくさとハッチの中まで戻っていった。そう言えば昨日、素潜りから帰った後、絶望してすぐ寝てしまったから、その時からずっと全裸だったのだ。そんなことに気づかないくらい、落胆したり空腹に苦しんでいたわけだが……

 

 それにしても、この一連の騒ぎで完全に縮こまってしまっていたからそう言われても仕方ないが、小さな物とは失礼なガキである。鳳のものは決して小さくはない。普段はもっとマグナムだということを、しっかりとその体に分からせてやった方が良いだろうか……

 

 鳳がムギギギギっと歯ぎしりしながら、そんな不穏なことを考えいてると、

 

「ギィッ! ギィッ!!」

 

 その時、床で失神していた魚人が目を覚まし、そこへ鳳が帰ってきたものだから、パニックを起こして急に襲い掛かってきた。天使との出会いのせいで、すっかりそのことを忘れていた鳳は、敵に背中を向けていたこともあって、まったく反応出来ずにその攻撃をもろに股間に食らってしまった。

 

「ぎゃああああああーーーーーっっ!!!!」

 

 哀れな鳳はその一撃に飛び上がると、そのままハッチから転がり落ちて、海へばっしゃーんとダイブした。ごぼごぼごぼ……と、水中で空気が弾ける音が聞こえて、周辺に居た無数の魚人たちがすいすいと泳いで来る気配を感じる。

 

 ヤバい! あれだけ気を付けていたくせに、自分から海に落っこちてしまうなんて……鳳は股間の痛みに目眩を覚えながらも、海の中でもただでやられるものかと、必死に腕を構えて臨戦態勢をとった。しかし、彼の決意とは裏腹に、魚人たちは一定の距離を保ったまま、それ以上近づいてくることはなかった。

 

 どうしてだろうと思いつつ、鳳はその間に慌てて水面まで上がり、ぷはーっ! っと息を吐き出し顔を上げた。すると、そんな彼の目の前に小さな腕が差し出された。見上げれば、筏の上から小さな天使が手を差し伸べているのが見える。

 

「一つだけ分かったことがある。君はおっちょこちょいだ」

 

 少し前かがみになった前髪の隙間から、金色に輝く左の目が覗いていた。筏の周囲を取り巻く水棲魔族たちは、どうやらこの天使の言うことならなんでも聞くようだ。

 

 彼はそのことを不審に思いながらも、今は考えても仕方ないしまずは話を聞くべきだろうと、彼女の差し出す手を取った。

 


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