ラストスタリオン   作:水月一人

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うほうほ

 ぐるんぐるんと洗濯機の中にでも放り込まれた感じだった。実際問題、そんな経験などしたことないから比喩でしかないのだが、多分それほど間違っちゃいないだろう。

 

 アズラエルが作り出した津波はレヴィアタンのと同じで、ただひたすら人を押し流すだけで命を奪うまでには至らないようだった。だが、水棲魔族たちにとってはそれで十分なのは、あっちの世界で嫌というほど思い知らされていた。一緒に津波に巻き込まれたドミニオンたちは、あの後どうなったことだろうか……

 

 とはいえ、他人の心配などしている余裕などなかった。津波に揉まれて海中をぐるぐる流され続けた鳳は、上も下もわからないような状況で身動きが取れなくなってしまった。というのも、助けようとしたポニーテールがしがみついてきて離れないのだ。溺れる者は藁をも掴むというが、ものすごい力で、このままじゃ窒息すると分かっていても海中ではどうすることも出来ず、彼はさんざん藻掻いた挙げ句、結局意識を失ってしまった。

 

 薄れゆく意識の中でふと空を見上げれば、大きな魚の群れが編隊をなして悠々と飛ぶように泳いでいった。恐らく、あれはあの時のインスマウスの群れだったのだろう。彼らにとっては、水の中こそホームなのだ。

 

 アズラエルが……あの天使が、水棲魔族を率いているのだろうか? レヴィアタンのように水の力を自在に操り、水棲魔族を指揮する……魔王だったのか?

 

 ドミニオンが言うように、彼女は本当に人類に仇なす裏切り者だったのだろうか……

 

 わからない……わからないし、彼女に聞いても多分、教えてはくれないだろう。だから推測するしかないが……

 

 あの時、ドミニオンに攻撃されても殆ど抵抗を見せなかった彼女の辛そうな顔を思い出す限り、鳳にはとてもそうは思えなかった。それに彼女は言っていたはずだ。『人類のために』、彼女は何をしたのだろうか……

 

 それからどれくらい時が経過したかはわからない。

 

 疲れ切って気絶するように眠った翌日、異常な倦怠感を感じながら起きるあの感じで、半覚醒状態の彼は自分が意識を取り戻していくことに気がついた。

 

 さざ波の音が聞こえ、強い風が吹いていた。口の中がジャリジャリするのは、多分砂浜に流れ着いたからだろう。体に異常はないだろうか……ぼんやりとではあるが徐々に覚醒していく頭の片隅でそんなことを考えている時……彼は誰かが自分の肩をゆさゆさと揺さぶっていることに気がついた。

 

 誰だろう……? 目を開けると眩しい陽光が差し込んできて、たまらず目を細めた。逆光に照らされてよく見えないが、誰かが自分のことを覗き込んでいるのがわかる。一緒に流されてきて、鳳より先に目を覚ましたポニテだろうか? それともアズラエルだろうか……

 

 そんな予想をしながら目が明るさに適応するのを待っていると……浜辺に流れ着いた鳳の肩を揺さぶりながら覗き込んでいたのは、見たこともないような巨大な猿だった。

 

 いや、誰だよ……

 

「うひゃああああああーーーーーっっ!!!」

 

 目を覚ますなり、そんなものの顔を間近に見てしまった鳳は悲鳴を上げて飛び上がった。さっきまで疲れ切って身動きが取れないと思っていたが、命の危機が迫ってる状況でそんなもんは関係なかった。

 

 鳳は自分のことを覗き込んでいる猿を押しのけると、尻餅をついた格好のまま四本の手足で新種のゴキブリみたいにカサカサと後退った。

 

 それは巨大な猿というか、ゴリラというか、猿人と言うのが正しいような、そんな生き物だった。スターウォーズに登場するチューバッカみたいに毛むくじゃらだが、胸毛はなくて筋肉はムキムキ、体高は二メートル近くもあり、よく見れば腰は曲がってはおらず、直立二足歩行をするようである。

 

 長い前髪みたいな頭髪から覗く瞳は、子供みたいにキラキラしていて、一瞬気を許しそうになるが、そのすぐ下のむき出しの鋭い犬歯がその気を挫いた。武器は持っていないようだが、女性の腰くらいはありそうな上腕二頭筋を見れば、そんなもの必要ないくらい強靭な肉食獣であることは間違いなかった。

 

 砂浜に倒れ込んで気絶する鳳のことを覗き込みながら、この獰猛そうな魔族は何をしようとしていたのだろうか。魔族らしく食べようとしていたのだろうか、それとも、犯そうとしていたのだろうか……かつてヴィンチ村のすぐ近くの森でオークに惨殺されていた猫人のことを思い出し、鳳は背筋を悪寒が駆け上がっていくのを感じた。

 

 あとちょっと起きるのが遅れていたら、今頃どうなっていただろうか。鳳は距離を保ち警戒しながら、MPで光球を作り出し戦闘態勢を取ったが……しかし、それは彼の杞憂のようだった。

 

 鳳が警戒心を露わにすると、まるで心外だと言わんばかりに、猿人はウホウホ言いながら何か身振り手振りをしはじめた。一体なんのつもりだろうかと観察していると、どうも猿人は敵意はないということを表しているようだった。

 

 そういえば目覚める前、鳳は誰かに肩を揺さぶられているような気がしていたが……食べる気があるならそんなことはせずいきなりガブリだろう。もしかして、本当にこいつは敵意がないんだろうか……? とはいえ、それでも魔族相手に気を許すわけにもいかず、鳳が距離をとったまま、じっと猿人のことを見つめていると、すると彼は今度は鳳の斜め後方を指差しながらうほうほ言い出した。

 

 なんだろう? そうやって鳳が目を離した隙に背後から襲いかかるつもりだろうか? そんな手には引っかからないぞと思いつつ、やっぱり気になるから横目でチラチラと猿人が指差す方を見てみれば……

 

「あれ?」

 

 鳳はそこに見覚えのある機関銃が転がっているのを見つけて驚いた。すると猿人はその様子を見て、

 

「うっほっほ! うっほっほ!」

 

 と手を叩いて喜びはじめた。どうやら自分の意志が通じたことが嬉しいようである。彼は一通り喜びの舞を見せた後、今度は鳳と機関銃を交互に指差している。まるでお前のものだろう? とでも言いたげである。

 

 まあ、実際にはこれは鳳のものではなくてポニテの持ち物なのだが……最後に手にしていたのが鳳だったから、一緒に流れてきてしまったのだろうか。鳳は猿人を警戒しつつ、機関銃のもとへと歩いていってそれを拾い上げた。

 

 その重量はずっしりと重く、プラスチック製のように見えて中身はしっかり詰まっているようだった。実物を見たことがないから良くわからないが、多分、本物の機関銃と大差ないのでなかろうか。ポニテはこれを使って光弾を飛ばしていたが、どういう仕組みなんだろうか……?

 

 鳳がそう思いながら何気なくトリガーを引いてみると、その銃口からポンと光弾が飛び出した。特に何か力を込めたつもりもない。恐らく、誰でも使えるものなのだろう。撃った瞬間、彼は自分のMPが吸い取られるような感覚がしたから、どうやらこの機械は持ち手のMPを光弾に変換する機械のようだ。

 

 思い返せば、鳳がこれを取り上げてしまった後、それまで歴戦の戦士のごとく戦っていたポニテの動きが急に悪くなった気がしていた。どうやらそれは気のせいではなく、この機関銃が彼女の身体能力もサポートしていたのだろう。

 

 MPを用いて利用者を助ける。それは大まかに言えばケーリュケイオンも同じだった。となると、もしかして、これがゴスペルってやつなんだろうか……? 鳳がそんなことを考えながら、矯めつ眇めつ機関銃を眺めていると……

 

 その時、突然、彼のお腹が、ぐぅ~っと鳴り出した。

 

 そう言えば、餓死しかけるくらい、ろくに何も食べていないんだった。ようやくこうして念願の陸地にたどり着けたのだから、また空腹で動けなくなる前に、さっさと何か食べ物を探したほうが良いだろう。

 

 鳳がそう思って周囲を見渡していると、

 

「うっほ! うほほっほ!!」

 

 すると猿人がまたバタバタと手足を振って何かアピールしはじめた。

 

 今度はなんだろうか? 忙しいやつだなと思って眺めていると、猿人は脇の下あたりから何かを取り出してみせた。どうやら、その辺りの皮が弛んでいてポケットみたいになっているらしい。便利だけど、なんか汚い。

 

 ともあれ、一体何を取り出したのかと見ていると、彼は鳳の足元にそれを投げ、拾うようにジェスチャーしている。あまり気は進まなかったが、とりあえず脇の下に入れて歩いてるくらいだから爆発物ではないだろう。彼はそう思い、拾い上げて観察してみた。

 

 それは見た目は10センチくらいの大きくて茶色い木の実のようだった。耳元で振ってみると、中でマラカスみたいに何かがコロコロ転がっているのが分かる。もしかして、お腹がすいているのに気づいて分けてくれたのかな? と思っていると、猿人はまたうほうほ言いながら遠くの方を指差している。

 

「あー! あれは」

 

 すると彼の指差す先に、非常に特徴的な木が生えているのが見えた。こうして実物を見るのは初めてだったが、その極太い幹の上に、草が生えるようにちょこんと枝葉が乗っかっているフォルムは、誰もが一度は見たことがあるだろう。バオバブの木である。確かその実は食べられると聞く。

 

 鳳がそのことを思い出していると、それを見透かしたかのように、猿人がもう一つ取り出してパカッと実を割り、こうやって食べるのだと手本を見せるかのように食べ始めた。

 

「へえ、そうやって食べるんだ?」

 

 でも、これってお前の脇の下から出てきたものだろう……? 鳳はそう思いはしたが空腹には勝てず、見様見真似で殻を割ると、中に入っていたコロコロした中身を取り出した。それは海綿状の果肉を纏った白い種で、口に放り込むと舌の上でシュワシュワ溶けた。味が殆どしなくて美味くはないが、不思議な触感である。

 

 思ったよりも大きな種の周りの果肉部分を舌でこそぎ落とすように食べていると、なんだかカロリーを摂取している妙な実感が湧いた。殻の中にはまだまだたくさん種が詰まっており、鳳は直立しながら托鉢坊主みたいに無心でそれを口に運んだ。

 

「……おまえ、いい奴だな」

「うほうほ」

 

 魔族に気を許すのは危険かも知れないが、こうして食料まで分けてくれたとなると話は変わる。日本人は食べ物の恩を忘れないのだ。元々、魔族とは獣人(リュカオン)の成れの果てなのだから、やけに人好きのするこいつは、案外、先祖返りか何かなのかも知れない。もちろん、断言はできないが、必要以上に警戒することもないだろう。

 

 鳳は実を食べ終わるとご馳走様と手を合わせた。

 

「ありがとよ。なんか世話になっちまったみたいだな」

「うっほうっほ」

「とは言え、恩返ししようにも今は手持ちが何もないんだ。おまえ、この辺に住んでるのか? また今度機会があれば何か持ってきてやろう。それよりも、これからどうしたもんか……」

 

 猿人がバオバブの実を取り出してきたのを見る限り、恐らく、ここはマダガスカル島で間違いないだろう。どうやらアズラエルの作り出した津波で、ここまで流されてきてしまったらしい。しかし、そう考えると、あそこから島まで50キロの距離を鳳はいっぺんに流れてきたことになる。確かにすごい力だったが、そこまで人を押し流す波ってどんなんなんだ?

 

 そう言えば……アズラエルはオーストラリアのパースから筏に乗ってやってきたと言っていた。その動力は勝手にインスマウスの群れだと思っていたが、もしかすると彼女は波に乗ってやってきたのかも知れない。確かにこの方法でなら何千キロもの距離を、あの貧相な筏で渡ってくるのも無理じゃないだろう。

 

 あの時、ドミニオンに襲われた彼女は興奮して見境をなくしていたように見えたが、こうして目的地にたどり着いたところを見ると、案外冷静だったのかも知れない。とはいえ、天使はほぼ神人と同じ体のはずだから、あれだけ怪我をしていても死にはしないだろうが、心の傷は外からは見えない。彼女は大丈夫なんだろうか。

 

 今はとにかく彼女と合流しなければ……鳳がどっちへ歩いていこうかキョロキョロしていると、また猿人がドラミングしたり手足を叩いたりして何かをアピールし始めた。

 

「うほっほうほっほ」

「ん? 今度はどうした?」

 

 猿人は鳳にちょっと来いとでも言いたげに、浜辺の流木の辺りを指差している。言われた通りに足を向けると、猿人は飛び跳ねるようにしてその流木のところまで駆けていき、影になっている部分を指差した。

 

 鳳が、なんだろう? と思いながら、回り込んで覗いてみると、

 

「あ! こいつ……」

 

 流木の影に、例のポニーテールが転がっていた。尤も、流されてくる間に紐が解けてしまったらしく、今は長い髪の毛が砂浜に昆布みたいに広がっていた。塩水に浸かり日光に晒され、砂に塗れてキューティクルが大惨事になっているが、起きてからそれに気づいた時、彼女は立ち直れるのだろうか……

 

 ともあれ、こんな近くにいたのは、彼女が鳳にしがみついていたからだろう。流れ着いてそれほど時間が経っていないのか、服がまだ濡れており、セーラー服が肌に張り付いて艶めかしかった。鳳の方は乾いてるのに何でだろう? 今の御時世、未成年を性的な目で見ると問答無用でアウトだから、出来るだけそっちの方は見ないで考えていたら、猿人が急にうほうほ言いながら波打ち際を指差した。

 

 つまりなんだ? この猿人が波打ち際に倒れていた彼女のことを、引き上げてくれたということだろうか……? だとしたら、いい奴どころか命の恩人ではないか。魔族はみんな他種族を殺すか犯すもんだとばかり思っていたが、こんな進化をする奴もいるんだなあ……

 

 鳳がそんなことを考えて感動していると、

 

「い……いやああああああーーーっっっ!! いやっ! いやっ! こないでっ! 魔族! プロテスタント! 人類の敵ぃぃーーーーっっ!」

 

 唐突に、ポニーテールがそんな台無しなセリフを叫びながら暴れだした。どうやら、鳳たちが様子を見に来たと同時に目を覚ましたらしい。ものすごい甲高い声で耳がキンキンとなって、三半規管が狂いそうである。

 

 ポニーテールは手足をバタバタさせ、手近にあるものをとにかく掴んでは一心不乱に投げつけ始めた。と言っても、そこにあるのは砂粒くらいのものだが、これが意外と厄介だった。口に入ればジャリジャリするし、目に入れば痛くて開けられない。

 

「どうしてプロテスタントが魔族と一緒に!? さては私のことを犯すつもりですわね!? エロ漫画みたいに! エロ漫画みたいに!」

 

 おまけにこの暴言である。あの時、筏から落ちそうになった彼女を助けるんじゃなかった。お陰でこっちまで死にかけた上に、セクハラ裁判で訴えられそうな状況である。我を忘れたポニーテールの罵倒は止めどなく溢れ、彼女が疲弊してぶっ倒れるまで続いた。その暴言のオンパレードたるや、いっそのこともうポニテじゃなくて昆布と呼んでやりたい気分だった。

 

 鳳は眉間の皺をモミモミしながら、うんざりとため息を吐いた……ところで、こんな世界にもエロ漫画はあるんだろうか。あるなら見てみたいものである。

 


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