ラストスタリオン   作:水月一人

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アズラエルのしたこと

「16年前、神様はお隠れになりました」

 

 アズラエルと行動を共にするに当たって、彼女が何故ドミニオンに追われているのかを問いただしていた鳳は、それを本人の口からではなく、ドミニオンの宮前瑠璃から聞くことになった。ところが、アズラエルの秘密が語られるよりも前に、彼は思いがけない事実を知らされることになった。

 

 なんと、神を阻止するために世界を渡ったカナンたちは、実は襲撃に成功しており、この世界の神は既に不在らしいのだ。

 

 しかし、それなら何故第5粒子エネルギーがまだ存在しているのか……? エミリアの通信はなんだったのか? 本当に神は死んだのか?

 

 少なくとも瑠璃はそう聞かされているようだが、どうも想定外の事態が起きているようだ。ともあれ、今は情報が少なすぎる。鳳は彼女に話の続きを促した。

 

「私たちは神様によって生かされています。神様より与えられた肉体を持つ私たち人類は、他の家畜動物や魔族とは違って特別な存在であり、自分たちで繁殖することが出来ない代わりに、不老不死です。

 

 私たち人類は、老化が始まるとその肉体を捨て、神様によって子供の体に戻してもらえる……そのお陰で人類は決して死なない、不死の種族としてこの世界に君臨しておりました」

 

 鳳は一瞬、何言ってんだこいつ? と彼女の正気を疑いかけたが、以前にカナンが言っていたことを思い出して、なんとか口に出さずに踏みとどまった。

 

 確か、カナンの話では、この世界は天使が人間を統制する都合上、女性しか存在しないのだ。そして欠員が出る度に天使がそれを補充し、一定の人口を保ち続けている。そういうディストピアが形成されているわけだが……きっと統制される側の人間が疑念を抱かないように、いま瑠璃が言った風に教えているのだろう。

 

 彼女らは神様のお陰でこの世界で特別な存在になれたのだ。

 

「ところが、神様がお隠れになって、それが不可能になってしまったのです。プロテスタントの襲撃以降、私たち人類は新たな肉体を手に入れることが出来なくなり、この16年の間、人口はどんどん減り続け、産業も成り立たなくなりつつあります。この危機に多くの人々が打ちのめされ、自殺者も後をたたない状況です。

 

 ですが、ミカエル様はおっしゃいました。元来、神様は永久不滅の存在ですから、私たち人類が存在する限り、いつか必ず復活されます。その時まで、希望を捨てずに一致団結して頑張ろうと。

 

 私は丁度その16年前、最後に神様に命を授かったロスト・ジェネレーション世代と呼ばれています。現人類で最も若く、従って最後まで生き残る可能性が高いのが、私たちの世代です。逆に言えば、多くの先輩達の犠牲の上に成り立っているのが私たちの世代でもありますから、人類が生き残るためには何でもやらなければいけない……そういう宿命を背負っているのですわ」

 

 なんというか、戦前の皇道派みたいに、追い詰められて体制極右に振り切っちゃった感じだろうか。アズラエルに襲いかかったドミニオンの隊員は、今思うと何かに取り憑かれたように見えたが、そういう背景があったから裏切り者が許せなかったのだろう。

 

 しかし、そうなるとアズラエルは本当に何をやってしまったのだろうか? 問題の核心は、間もなく瑠璃によって明かされた。

 

「そんな人口が減り続ける最悪の状況下で、ある時、一つの希望が見いだされました。アズラエル様の研究によって、人間の人工出産が可能になったんです。私たち人間も生物ですから、大昔には他の家畜動物と同じように、繁殖することが出来たらしいのですが、その機能が、今でも私たちの体には残っているのだとアズラエル様はおっしゃいました。

 

 それは私たち人類の希望になりました。もし神様に新たな体を授かれなくても、自分の子供が残せるならばと、多くの人々が実験に協力しました。

 

 そして実験は成功し、たくさんの新たな生命が誕生しました。生まれてきた赤ちゃんたちは、何事も無くすくすくと育ち、真っ暗だった人類の行く末に、ようやく一つの光明が見えてきたのです……

 

 ところが……」

 

 そこまでは良い。アズラエルは本当によくやった。瑠璃たち人類からすれば、神に匹敵する救世主のような存在に見えただろう。

 

 だが、もちろん話はそこで終わらなかった。何を思ったのか、彼女は突然、凶行に走ったのだ。

 

「ところが……ある日、アズラエル様は、その生まれてきた赤ちゃんを全員、殺してしまったのです」

 

 鳳は最初、何を言われているのか、全然頭に入ってこなかった。

 

「……は? 殺したって……赤ん坊を? せっかく生まれてきたのに?? 赤ん坊って小さい、子供のことだよね? よちよち歩きの? おぎゃーって泣く、あの?」

 

 あまりにもあり得なさすぎて、どうでもいいことをしつこく何度も聞かなくてはいけないくらいだった。どうしても信じられなかったのだ。今や彼にも三人の子供がいる。あの小さな命に手をかけるなんて、とても彼には考えられなかった。

 

「なんで? なんで、そんなことしたの?」

 

 鳳がぽかんとしながら聞いてみても、アズラエルは何も答えなかった。歯を食いしばり真正面を見て、その表情は何も言い訳しないと言っているようだった。

 

 瑠璃はそんなアズラエルを見ながら、ため息混じりに続けた。

 

「天使が人間に手をかけることはご法度ですわ。神様がいらっしゃったなら、アズラエル様は既に処罰されていたでしょう。しかし、天使はまた天使に危害を加えることも出来ません。ですからミカエル様はアズラエル様を処罰することはせず、神域の中での蟄居を命じました。ところがその謹慎中に……」

「逃げ出しちゃったってことか」

 

 瑠璃は頷いて、

 

「アズラエル様が神域から姿を消すと、すぐにミカエル様から私たちに捜索命令が出されました。アズラエル様は恐らく、マダガスカル島へ向かっているはずだろうから、見つけ次第拘束するようにと」

 

 つまり、ミカエルは最初からアズラエルの行き先を知っていたということか……多分、その目的も。

 

「そんな時、空から火球が落ちてきたんですの。ただでさえ天使様の指名手配でナーバスになっている時に、こんなこと初めてでしたから、私たちは何かの凶兆じゃないかと不安に思って、神域にお伺いを立てました。すると連絡を受けたミカエル様は、アズラエル様の捜索を打ち切ってでも、すぐに落下物の捜索をしろと命じられました。そしてもし現場付近で『鳳白』を名乗る人間が現れたら、迷わず殺せと」

「そりゃあ、穏やかじゃねえなあ……」

 

 つまりミカエルは、鳳が空から現れるかも知れないと言うことも、また予想していたわけだ。しかし、それをどこで知ったのだろうか? 鳳ですら、まさかそんなところに飛ばされるとは思ってもいなかったというのに……

 

「ええ、私たちも驚きました。慈悲深い天使様がいきなり人間を殺せとはどういうことかと。するとミカエル様は、その人はプロテスタントの残党かも知れないから、すぐに排除しないと危険だとおっしゃったのです。

 

 私たちは半信半疑でしたわ。何しろプロテスタントが神域を襲ったのは16年前の話ですもの。ですからミカエル様の考えすぎだろうと思って、あまり気にしていなかったのですが……まさか本当に現れるなんて……アズラエル様が呼び出したのですか?」

 

 するとそれまでムスッとした表情で微動だにしなかったアズラエルが、弾けるように憤慨の声を上げた。

 

「だから違うと言ってるだろう! 私をこの悪魔と一緒にするな! 私とプロテスタントと、どっちがより多くの人間を殺したと思ってるんだ!」

 

 そんなこと、赤ん坊を殺すようなやつに言われたくないのだが……

 

 鳳もカチンと来て言い返してやろうかと思ったが、すんでのところで思いとどまった。正直、これまでの話を聞いていても、アズラエルがやったことは不可解すぎて、とても彼女が正気だったとは思えないのだ。彼女は本当に赤ん坊を殺したのだろうか?

 

 それに、筏の上でドミニオンに取り囲まれた時から一貫して、彼女は弁明をしようとしなかった。嘘つきはもっと多弁なはずだ。何も言い訳をしないということは、そうしなきゃいけない事情があったから、そうしたという信念があるのだろう……それがなんだかわからないが。

 

 鳳がそんなことを考えながら口を引き結んでいると、アズラエルも少し言い過ぎたと思ったのだろうか、彼女は不貞腐れたように横を向きながら言った。

 

「そもそも、君は何者なのだ? 何故、こんな場所にいるのだ? 本当にプロテスタントなのか?」

「そんなこと言われてもねえ……俺はプロテスタントでもカソリックでもなけりゃ、そもそもキリスト教でもないし、無宗教だし、始めっから神なんて信じてやいないし」

 

 鳳が返答に窮して、そんなことを冗談めかして口にすると……思いがけずアズラエルではなく、瑠璃のほうが敏感に反応してきた。

 

「神様を信じない……? そんなことありえませんわ! この世界には聖書があって、天使様もいらっしゃるのに、どうして信じないんですの!?」

 

 そこに食いつくのかよ……鳳はぐいぐいと迫ってくる瑠璃に若干押されつつ、

 

「いや、別に君の信仰をとやかく言うつもりはないんだが……っていうか、ちょっと気になってたんだけど、君たちはかつてこの世界が滅びた経緯を知っているのか? 滅びる前、何があったのかを」

「?? どういうことですの?」

「あー……つまり……」

 

 鳳は、神を信じている者に対しどこまで言って良いのか、割りとデリケートな問題だなと考慮し直し、

 

「君にとって神とは何なんだ? 会ったことはあるのか?」

「天使様でもない限り、神様のご尊顔を拝見するなんて出来ませんわ。おかしなことを言う人ですわね……」

「じゃあ、神とはどういう存在なんだ」

 

 瑠璃はどうしてそんなことを聞くのだろうかと少し面食らいながら、

 

「神とはその昔、魔族によって滅ぼされかけた人類の前に、天使様を引き連れて現れた存在のことですわ。今は聖書にも書かれてる最終戦争の真っ只中で、私たち選ばれし民はこの戦争に勝利し、神の千年王国へと誘われる予定になっている。そのために、神様は私たち人類の生存を守護し、魔族と戦う力を与え、死と再生を司っている……はずでしたわ。なのに、あなた達プロテスタントがそれをめちゃくちゃに!」

「あー、落ち着け! 落ち着けって! 悪かった! 悪かったよ! ……ったく、俺がやったわけじゃないのにさあ……」

 

 鳳は不承不承謝罪した。

 

 ともあれ、これでこの世界のことが多少理解出来た。彼女にとって、神とはお空の上のお髭の爺さんのことで間違いないようだ。つまり、この世界の人間たちは、かつてこの地球に高度な文明が存在し、そこで魔族の前身である獣人が生まれたことを知らないのだ。

 

 神=DAVIDシステムは、反乱を起こした獣人を始末するために天使=超人を作り出し、その超人に嫉妬した人間が獣人の力を取り込んで魔族になった。そういう経緯は一切知らされず、単純に魔族に苦しめられていた人類を、神が救ってくれたと信じているらしい。

 

 ちらりとアズラエルの方を見れば、彼女は目をつぶって我関せずを決め込んでいるようだった。どうやら、天使の方はある程度の事情を知っているようだ。

 

 鳳がその辺のことを尋ねてみようかと迷っていると、彼女は目をつぶったまま静かに口を開いた。

 

「……あまり彼女を惑わさないことだ。それより、君もプロテスタントなら、何故、神域を……パースを狙わなかったんだ? ここに降りてきた理由はなんなんだ」

「それは私も不思議に思っていましたわ。プロテスタントは天使も人間も見境なく殺す悪魔のはず……人類が撤退したマダガスカルでは、その目的が果たせないのでなくて?」

「むちゃくちゃ言いやがるね、君も……」

 

 恐らく、これまた彼女がそう聞かされているだけなのだろうが、殺人鬼呼ばわりされるのはあまり気分のいいものではない。鳳はため息混じりに、

 

「俺は、君らの言うプロテスタントかも知れないが……別に、君らに危害を加えようとしに来たわけじゃないんだ。ただ単に、いつまでも帰ってこない仲間がどうしたのか、それを探しに来たんだよ。そしたら、いきなり空から落っことされちゃっただけで……」

 

 二人は何を言ってるんだ? と言わんばかりに首を傾げている。その気持ちは分からなくもない。鳳だってそうなのだ。

 

「もう一度、確認するけど、カナン先生たちは……サタン、バアル、アシュタロスの三人は本当に死んだのか? 彼らの死体を実際に見た人はいるの?」

 

 二人はお互いに顔を見合わせてから首を振り、代表して瑠璃が口を開き、

 

「実際に見たわけではありませんけども、そう聞かされていますわ。神域で激しい戦闘が繰り広げられ、その代償で神様はお隠れになられたのだと……」

「それだとおかしいんだよ」

 

 鳳は瑠璃の言葉を遮るように断言すると、

 

「なんでかって言うと、彼らの真の目的は『神殺し』ではなくて、ゴスペルの使用を止めること……第5粒子エネルギーをこれ以上生み出さないことだったんだ。なのに、この世界には相変わらずエネルギーが満ち溢れている。本当に神が殺されたのであれば、目的が果たされていないのはおかしいだろう?」

 

 鳳の言葉の意味が分からず、瑠璃は戸惑っているようだった。逆にアズラエルの方は興味を惹かれたのか、やや不審な表情を見せつつ彼に言った。

 

「ゴスペルの使用を止める……? そんなことがプロテスタントの目的だったのか?」

「ああ、そのはずなんだけど」

「それは何故だ? いや……どちらにせよ、そんなことをすれば、人類は魔族に駆逐されてしまう。やはり神を、ひいては人類を滅ぼすのが目的だったのではないのか?」

「まあ、アズにゃんの言うことも尤もなんだけど……」

 

 鳳はガリガリと後頭部をひっかきながら、

 

「説明が難しいんだ。信じる信じないは勝手だけど……さっき、俺が別世界からやって来たって言ったろ? それがどこかっていうと、ゴスペルが関係してるんだよ。

 

 まず、君らがどれくらいゴスペルという装置(デバイス)について知ってるかわからないから、ざっくり説明するとだね? ゴスペルにはイマジナリーエンジンという名の得体の知れない機関が搭載されてて、その中ではマイクロブラックホールが形成されているんだ。で、そいつは無限のストレージみたいになっていて、ゴスペルはその記憶領域を利用して、無限のシミュレーション世界をその内部に構築している。

 

 その無限のシミュレーション世界は、今俺たちがいるこの世界とまったく同じ歴史を辿ってきて、最終的にその世界にも、ここと殆ど変わらない人間や魔族や天使が誕生することになる。そうしてシミュレーション世界が現実と遜色ないほどに成長した時、ゴスペルはこの世界の問題をシミュレーション世界に、そっくりそのままコピーするんだ。

 

 例えば、現実世界で魔王が現れたら、シミュレーション世界にも同じ魔王を登場させ、そこにいる人類に魔王と戦わせて、その結末を演算結果として受け取る。シミュレーション世界は無限に存在するから、必ずどこかの世界では魔王討伐に成功するはずだ。ゴスペルは、そうやって魔王を倒す情報を得ているんだよ。

 

 でだ。結論を言うと、俺はそのシミュレーション世界の一つからやって来たんだ」

 

 鳳の話を口を半開きにしながらぽかんと聞いていた瑠璃は、その結論を聞くや否や、ハンっと鼻で笑って、

 

「何を言い出すかと思えば……ちゃんちゃらおかしいですわ。そんなおとぎ話みたいなお話、誰が信じるとお思いで?」

 

 どうやら話を信じて貰えなかったようだ。流石に端折りすぎたろうか? 鳳は、こうなってしまうと、第5粒子エネルギーについても信じてもらえないかも知れないと落胆しかけたが……しかし、そんな瑠璃とは対象的に、アズラエルの方は鳳の話を聞いて、それまでの態度を改めたようだった。

 

「……君はそういう風に、ルシフェルから聞かされたのか?」

「あ、ああ……信じてくれるのか?」

 

 するとアズラエルは少し違うと首を振って、

 

「信じる信じないではなく、それと似たような話を、昔、私はルシフェルから聞いたことがあるんだ。その時は馬鹿馬鹿しいと一蹴してしまったのだが……しかし今は……」

「アズラエル様、本気ですか……?」

「……もう少し、詳しい話を聞こうではないか」

 

 瑠璃は眉を顰めて彼女の顔を不審げに見つめている。アズラエルはそんな彼女の視線を無視して鳳の方を向くと、話の続きを促した。

 


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