街の裏通りに面した魔法具屋から騒がしい二人が出てきた。少年ギヨームに首ねっこを掴まれた鳳が、痛い痛いと泣き叫びながら引きづられていても、道行く人々はちらりとそれを見るだけで、誰も足を止めるようなことはしなかった。こんな光景、日常茶飯事なのである。
鳳は首が締まらないように、どうにかこうにか体勢を整えると、四つん這いになりながらギヨームの後ろについていった。体勢が体勢だけに、速度を合わせるのが難しい。そんな必死な鳳に対し、ギヨームは頭の上からコンコンと説教をし始めた。
「おまえなあ……自分で稼いだ金じゃなく、ジャンヌの金で遊びなんか覚えやがって……こんな三田佳子の次男みたいな生活、いつまでも続けてはいられないんだぞっっ!!!」
「やめてやめてっ! どこでそんな酷い慣用表現覚えたの!?」
鳳は心をザクザクと切り刻む言葉に耐えきれず耳を塞いだ。ギヨームはそんな彼の指をスポンと引き抜きながら、
「こんなんで将来どうすんだよ! おまえ、このままじゃヒモまっしぐらじゃねえか。情けないと思わないのか!?」
「そんなこと言われたって……」
「いや、ヒモだって肉体奉仕という仕事をしてんだぞ? おまえは何もやってないじゃん。おまえヒモ以下じゃん」
「わー! 何もそこまで言わなくたっていいじゃないかっ!」
「じゃあ、おまえジャンヌ抱けんの? 肉体奉仕出来んの? ノンケだって食っちまえんだなっ!?」
鳳はブーメランパンツ一丁でダブルバイセップスしながらウインクしているジャンヌの姿を想像し、一瞬にして心が折れた。
「あ、無理です……すみません。勘弁して下さい」
「だろう!? ヒモってのは、そんなちんこも立たねえような相手でさえも、満足させられる男がなるようなもんなんだよ。口だけじゃねえんだよ! 尻もなんだよ! おまえにその覚悟があんのかよ!?」
「すんません。ホント、すんませんでした……つかキレッキレっすね」
「うっせえな。大体、謝るんならジャンヌに謝れよ。あいつ、お前と冒険するのすげえ楽しみにしてるんだぞ? こないだ一緒に仕事した時も、もっと高レベルの依頼も受けられるのにどうして受けないのかって聞いたら、いつかお前が追いついてきたとき困らないように、まずは簡単な依頼から慣れておくんだって言ってたよ」
「え? マジで?」
「ああ、本当だよ。分かったんなら、訓練所行ってしっかり訓練してこい」
ギヨームはそう言って鳳の背中をバンと叩いた。鳳がたたらを踏んで止まると、通い慣れた訓練所の大きな門と看板が目に飛び込んできた。
彼は立ち止まって看板を見上げながら、小さくため息を吐いた。そしてポリポリと後頭部を指で引っ掻いて、最初は左を向いて、それから改めて右にくるりと回れ右して、背後を振り返ると、
「あー……それなんだけどさ。やっぱ行かなきゃ駄目?」
「はあ~!? おまえ、この期に及んで何言ってんの??」
ギヨームは校門の前まで来て登校拒否をするような往生際の悪い態度にびっくりして、思わず鳳の頭を引っ叩いてやろうと腕まくりをしたが……その表情がどうにも虚ろで、目なんかは焦点が合わなくて、こっちをまっすぐ見ようとはせず、あっちこっち動き回ってるのを見て、彼は態度を改めることにした。
「……どうしたんだよ、おまえ?」
「実はその……もう冒険者は諦めようかと思ってて。ジャンヌには悪いとは思うんだけど……」
胸につかえたものを吐き出すようにそう呟く鳳の声が深刻そうで、ギヨームは取り敢えず話だけは聞いてやろうと、場所を変えることにした。
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二人は通りから少し離れた営業時間外の小料理屋にやってきた。冒険者ギルドに行こうとしたら、こんな姿を知り合いに見られるのはちょっと……と鳳が嫌がったので、ギヨームの伝をつかって貸してもらったのだ。
店主は気を利かせて外に出ており、店内には誰も居ない。相変わらず通りの声がうるさいが、誰かに聞かれる心配はないだろう。
店に入って水の代わりに酒を汲み、チーズをちびちびつまみながら、あまり話したがらない鳳のことを辛抱強く待っていたら、やがて彼はポツポツと喋り始めた。
ギヨームはそんな彼の話を聞いてため息を吐いた。
「……そこまでしても経験値が上がらないのか?」
鳳はコクリと頷いた。
「まったく駄目だ。訓練所でも魔物を無理やり倒したりとか、教官と模擬戦したりとか、色々やってみたんだけど……あまりにも手応えがないから段々気が滅入ってきて、訓練にも身が入らないし、教官たちも最近は腫れ物でも触るような感じで余所余所しくてさ」
「そうか……」
「行きゃ訓練させてくれるけど、それやってて何になるの? って考えちゃうんだよ。もちろん、教官にも相談してみたけど、向こうだってこんなケース初めてだから何も答えられなくて、とにかく続けてれば好転するかも知れないからって……その一点張りだよ。こんなんじゃ、お互い続けてても不幸にしかならないだろ?」
何一つ成果が上がらないのだから、正直もう彼らのことを信用してはいないし、向こうもそれが分かっているだろう。鳳はそんな状況で空々しい会話を続けているのに飽いてしまっていた。だから訓練所にはもう行きたくない……彼はそう言うのだ。
ギヨームは思った以上に深刻だったんだなと、難しい顔をしながら腕組みをし、
「しかし、お前には才能があると思うんだけどな……ほら、一度、紙を創り出してみせたことがあっただろう? あれは多分、お前に秘められた能力なんだと思うぜ」
「そうは言うが、俺にもどうやったのかわからないんだ……それに、あれがお前の言うクオリアってやつなら、MPを消費するはずなんだろ? だけど、俺のMPは相変わらずゼロのままだし……」
「いや、俺が消費するってだけかも知れないし、もしかしたら違うのかも……」
「どっちにしろ……!」
鳳は遮るように、
「俺には才能なんか無いと思うよ……お前に言われてその気になってさ、せめてMPだけでも獲得できないかって色々試してみたけれど、いくらMPポーションを飲んでも気持ちよくなるだけでMPが上がる気配なんて無かったんだ。気持ちよくなるだけで」
「どうして二度言った」
「そんなわけで、筋トレは続けるけどもう訓練所はやめようかなって。通うだけ金の無駄だと思うんだ。そんなことするよりも、空いた時間で好きなことしてたほうがいいだろう?」
「そりゃまあ……そうかもなあ」
どうやら鳳の決意は固いようだ。ギヨームはそれ以上説得するのはやめておこうと思った。こうやって相手が落ち込んでいる時は、無責任に頑張れなんて言わないほうがいいだろう。それよりも、嫌なことはさっさと忘れて、楽しいことを考えるべきだ。
「話は分かった。それじゃお前これからどうする? まあ、すぐ決めることはないけど、時間もたっぷりあることだし、やりたいこととか探しておけよ。協力するからよ」
「それなんだけどさあ……」
「なんだ、もうあるのか?」
鳳は頷いた。
「実は、小屋を建てようかと思ってて」
「小屋ぁ~……? どうしてまた」
「いくら安宿とは言え、今のままじゃ宿代がもったいないだろう? 払ってるのはジャンヌだし。そういうの気兼ねなくいられる、自分だけの空間が欲しいんだ……」
「なるほど、いいんじゃないか。やりなさいやりなさい」
「……そして行く行くはおクスリ工房を作ろうかと」
ギヨームは、ブゥーッ! ……っと鼻水を吹き出した。
「おまっ……何、夢みたいなこと言ってんだ!」
「夢じゃねえよ、俺は結構マジなんだぞ?」
「いや、おまえねえ……」
ギヨームは呆れるように盛大な溜め息を漏らすと、
「そりゃ、好きなことしろとは言ったが、クスリはねえだろ、クスリは。大体、小屋建てるっつったって、その金どうすんだよ? またジャンヌにたかるのか? ジャンヌの迷惑になりたくないから出ていこうってのに、それじゃ本末転倒じゃねえのか」
彼は鳳の凶行を止めようとして、滅入ってるところ少々可哀想に思いつつも、もっと真面目な仕事を探せと諭した。ところが、鳳はそんな彼に対して自信満々に言い返した。
「いいや、金ならある」
「はあ? どうして? おまえ、ギルドでろくな依頼受けてないだろう」
「ギルドじゃない。実はさ……?」
「うん」
「MPポーションの高純度結晶が飛ぶように売れて……」
「はあ~!?」
ギヨームは頭がくらくらして目眩がしてきた。彼は手のひらを額に当てながら、
「あの……おまえが鼻から吸ってたやつ?」
「うん」
「麻薬みたいな白い粉……つーか、まんまクスリだけど、あれ?」
「あれ」
「ぎゃふん」
頬杖を突いて椅子に座っていたギヨームは、脱力して机に突っ伏した。
魔法具屋の店主と仲良くなって分かったことがある。MPポーションはマジで麻薬だった。
ギヨームに、お前は魔法の才能があるかも知れないと言われた鳳は、その気になって最初は訓練所でも魔法技能を伸ばそうと頑張っていた。しかし一向に経験値が入らない、ステータスもあがらない、ついでにMPの無い彼は、いくら現代魔法でもMPが無いなら才能もないんじゃんないか? と言われて、なんとかMPを獲得できないかとその方法を探しはじめた。
そして城で試したように、まずはMPポーションを浴びるように飲んでみようと魔法具屋へとやってきたのだが……店主に出された不味いMPポーションを鼻を抓みながら飲んでも、気持ちよくなるだけで一向にMPが上がる気配はなかった。気持ちよくなるだけで。
しかし他に方法を思いつくこともなく、仕方なくそれを繰り返しているうちに(決して気持ちいいからではない)、鳳は段々その成分を疑うようになってきた。
そして、
「これちょっとおかしいんじゃないの? 紛い物とか混ぜてない?」
と疑った彼が、怒った店主にもってこさせた原材料が……なんと、見た目どころか、まんま大麻だったのである。
「嘘だろ? そりゃ気持ちよくなるわけだ……」
まさかMPポーションの正体が大麻だったなんて……唖然としながら、その製造方法を確認してみたら、店主はそれを乳鉢で擦って水に溶かし、青汁にして売っていた。
そのままだと沈殿しちゃうので、飲む前によく振ってから、ドロドロの液体を流し込むのがこの世界のスタンダードなやり方なのだそうである。
良薬口に苦しというが、いくらなんでも効率が悪すぎるだろう。鳳はそれを見るなり、
「ざけんなっ! こんな不味いもん飲めるかっ!」
と言って、原材料から
思えばこの世界に来てから褒められたことなんか一度も無かった……
そして鳳は水を得た魚のように、同じMPゼロの店主とポーションをキメていたら、だんだん意気投合してきて……そんな二人であれこれと新しい方法を試しているうちに、出来てしまったのがあの高純度結晶だったのである。
しかし、不純な動機で作られたとしても、これは決して馬鹿にしたものではなかった。最初に飲んでいた青汁と比べれば、千倍(当社比)の効き目があるこの結晶は、単に気持ちよくなるだけではなく、MPの回復効率も劇的に改善されていたのである。
ところで、神人はMPを消費していわゆる古代魔法を使うわけだが、この回復力が上がるとはどういうことか言うまでもないだろう。
気がつけば客層はこの街の住人に留まらず、アイザックの城下町はおろか、今となっては帝国中に幅広く行き渡っていて、神人の買付人までやってくるようになっているのだ。
「そんなわけでさ、今は材料費は店主持ちだけど、アイディア料っつーか特許料で、結構な収入が入ってきてるんだ。お前を信用して打ち明けているんだから、製法が外に漏れると困るから、絶対誰にも話さないでくれよな?」
「お前……ホント、転んでもタダじゃ起き上がらないよな……」
「でさあ、行く行くは栽培にも手を出そうかと思ってる。そしたら拠点が必要だろう? それに材料だって大麻ばっかじゃない。考えても見りゃ、この世界はマジックマッシュルームなんかも合法なんだ。南の大森林を探せば見つかるかも知れないし、その時はギルドに依頼するかも知れないから、よろしく頼むな。お前、探索とか得意だったろ?」
ギヨームは呆れ果てて何も言えなくなった。
落ち込んでいるようだから慰めてやろうかと思っていたが……そんな必要は欠片もなかったようである。ギヨームは溜め息を吐くと、嬉々として己のビジョンを語る鳳のことを黙って眺め続けていた。