ラストスタリオン   作:水月一人

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マダガスカル撤退

 ジャングルと比べて山の上に出てからの行軍は早く、それから3日ほどの行程で、鳳たちは目的地の手前までたどり着いた。

 

 アズラエルによると旧都であるマダガスカルにはかつて南北2つの都市が存在し、人間は主に北の街で暮らし、南の方は天使が管理する神域だったそうである。オーストラリアの方も、天使たちは人里から離れた西部のパースに引きこもっていたようだから、何か人間と混じってはいけない理由……もしくは差別でもあるのか? と聞いてみたら、どうも神によってそう決められているそうである。

 

 太古の昔、地上に降臨した神は、天使たちに間接的になら人間の手助けをしてもいいけれど、直接手を下すにはご法度だと命じたらしい。以来、天使は神の代弁者として間接的に人類を統治し、人類は天使から授けられる神の奇跡を用いて魔族と戦っていたようである。なんでそんなまだるっこしいことをしているのかは、アズラエルもよくわからないらしい。

 

 尤も、それも16年前までの話で、神の不在後はそうも言っていられなくなったらしく、かつての線引きは曖昧になっているそうである。神の『再生』が受けられなくなった以上、今までのやり方ではいたずらに人口が減るばかりで、人類の滅亡を早めかねない。だから現在では、多くの天使が前線に出て人間と共に戦っており、その結果、人類の天使への依存心が以前より強くなるという結果を招いているようだった。

 

 もしや神はそれを嫌って天使に手出し無用を命じたのだろうか。今となっては、神の考えなど推し量りようもないのであるが。

 

 ともあれ、そんなこんなで、いよいよ明日には目的地という晩のことだった。

 

 鳳は夜の見張り番のために仮眠を取っている最中に、ものすごい衝撃を受けて目を覚ました。頭がクラクラするのはどうも寝不足が原因だけじゃなさそうだった。一体何があったんだと寝ぼけ眼を擦りながら起き上がると、鳳の頭の上に乗っていた瑠璃の足がドサッと地面に落っこちた。

 

「ぐが~……ぐが~……すぴ~……すやすや~……」

 

 爆眠を貪る瑠璃は実に幸せそうな顔でいびきをかいている。旅を始めた当初は、野宿なんて私には無理ですの! とか宣っていたくせに、今や誰よりも熟睡して起きないもんだから、一番最初に見張りをやらせるのが決まりになっていた。多分、早々に眠くなってきたところで、アズラエルに代わってもらったのだろう。

 

「くそっ……どうしてこんな奴連れてきちゃったんだろうか……」

 

 鳳は毒づきながら瑠璃の頭を引っ叩くと、不承不承起き上がった。殴られようと蹴飛ばされようと、瑠璃は実に幸せそうな寝顔である。きっとこいつには悩みなんてないんだろう……すっかり目が覚めてしまった鳳は、うんざりするようにため息を吐くと、見張り番を交代するつもりで焚き火の方へと歩いていった。

 

 焚き火には薪がくべてあったが、そこにアズラエルの姿はなかった。どうしたんだろうと思って周囲を見渡せば、彼女は少し離れた岩の上でぼんやりと月を見上げていた。初めて出会った時みたいに、その頭髪が青く輝き、前髪から覗く金色の瞳が怪しげに光っている。

 

 片翼の傷ついた天使の姿は、再生能力があるはずなのにどうしてそうなってしまったのか、ずっと気になっていた。だが、それを直接聞くのは傷口に塩を塗り込むような気がして、あまり気が乗らなかった。彼女のもう片方の翼はどこへ消えたのだろうか。

 

 鳳が岩陰に近づいていっても、アズラエルはこちらを振り返らなかった。きっと、焚き火の火照りを冷ましているのだろう。月を見上げていると思っていた彼女の瞳は閉じていた。鳳はそれに気づいていたが、気づてない風に何食わぬ口調で話しかけた。

 

「……俺の国では、月には兎が住んでるんだって言い伝えがあるんだよ。ほら、月の影があるだろう? あれが餅つきをしている兎に見えるんだって」

 

 鳳の声に呼応するかのように、アズラエルはピクリと体を震わせて目を開けると、じっと夜空の月を見上げながら言った。

 

「……どこが?」

「うん……俺もそう思うんだけど、昔の人にはそう見えたんだよ」

 

 尤も、実は国によって違うらしくて、カニに見えたり長い髪の女性に見えたりと、その見え方は千差万別だ。鳳はそれも伝えてから、

 

「兎の話にはちゃんと由来があってね? ある日、猿と狐と兎の三匹が焚き火を囲んで温まってると、身なりの良い爺さんがやって来て何か食べ物をくれって言うんだ。それで猿と狐はそれぞれ獲物を捕らえて帰ってくるんだけど、兎は何も捕まえられなくって、申し訳無さそうにこう言うんだ、『私を食べてください』って。そう言って兎は焚き火に飛び込んだ。

 

 それを見ていた爺さんは、その健気な兎を大層哀れんで、焚き火の中から取り出すと、月へ上らせてあげたんだ。実は、その爺さんは帝釈天っていう偉い神様で、三匹のことをこっそり試していたんだね。それ以来、兎は月に住み、神様へ捧げるために餅つきをしているんだって」

「ふむ……」

 

 鳳の話を黙って聞いていたアズラエルは、話を聞き終えるなり怪訝そうに腕組みしながら、

 

「……兎は何故、焚き火に飛び込んだんだろうか。そんなことをしても、神様は喜ぶどころか、困ってしまうだけだろうに」

「え? それはまあ……そうかもなあ」

「もしかして、兎は最初から、相手が何者か知っていたのではないか? それで点数稼ぎのつもりで自らの身体を差し出し、他の二匹を出し抜いて天に上ったんだ」

「そりゃあ、策士だね」

「もしくは、こういうのはどうだろう? 元々三匹は仲良く焚き火を囲んでいたわけじゃないんだ。実は猿と狐のどちらが兎を食べるか争っていたところに神様がやってきて、自棄になっていた兎は二匹に食べられるくらいなら、いっその事と思って自ら焚き火に飛び込んだ。それなら辻褄があうだろう」

「君は世知辛いことを言うなあ」

「そうだろうか? 少なくとも、兎は哀れんで欲しくて飛び込んだわけじゃないだろう。それが彼にとっての最善だったのだ。ならば、そこに意味がなくてはおかしい」

 

 そういうアズラエルの顔はどこか物憂げに見えた。ただのおとぎ話なのに、辻褄合わせに妙に拘ったり、何でそんなに意味を求めたりするのだろうか。彼女の考えていることは、いまいち良く分からなかった。

 

 と、その時、ドサッと大きな音が鳴って、木から何かが落下した。驚いて振り返ると、上で寝ていたチューイがうっかり転げ落ちたらしく、彼は眠そうにあくびを一つかますと、また何事もなかったかのように木の上に戻っていった。

 

 寝相が悪いなら地面で寝ればいいように思えるが……まあ、習性なのだろう。目に見えないだけで地べたには細菌がうようよいるから、実は木の上で寝たほうがマシという話ある……

 

 鳳はそんなことを考えつつ、ふと思いついたことを口にした。

 

「そういやあ、ずっとついてくるけど、あいつは結局何がしたいんだろうか? 魔族が人間にここまで懐くなんて聞いたことないし、何かしてほしいことでもあるのかな?」

「ああ、交尾だろう?」

 

 すると、いきなりアズラエルの口からそんな言葉が飛び出してきて、鳳は面食らってしまった。子供にしか見えないが、思えば数百年を生きる天使なのだから、それくらいのことは言ってもおかしくないのだが、よりにもよって交尾とは……

 

「何を意外そうな顔をしているんだ。相手は魔族だぞ? 魔族の目的と言えば、殺すか犯すかのどちらかと相場が決まっている。彼はいつも君に果物を分け与えて、自分が役に立つことをアピールをしている。ダンスや歌、プレゼントなどをして交尾を勝ち取る動物なんていくらでもいるのだから、そう考えるのはおかしくないはずだ」

「いやいやいやいや、冗談じゃない! 君はあのチューイが俺を襲おうとしてるっつーのか!?」

「そりゃあ、君に一番なついているようだから」

「やめてくれよ……」

 

 お尻がキュッとなっちゃうぞ……それはさておき、なんかいきなり凄いことを言い出したかと思ったが、思い返してみればアズラエルは自分の本職は生物学者と言っていた。鳳はそれを思い出し、

 

「そう言やあ、メルクリウス研究所ってとこでは、どんな仕事をしていたんだ? 天使ってみんな、人類のためになんかの仕事をしてるんだろ?」

「私とイスラフェルは死と再生を司っていた……イスラフェルが命を刈り取り、私が主に再生をしていたのだ」

 

 そう言い放つアズラエルの横顔は、なんだか鋼鉄の仮面でもつけてる戦士のように見えた。彼女が何百年生きてきたかは知らないが、ずっと人間の死と誕生を見続けてきたのだ。きっと、鳳には想像もつかないような苦い経験も味わってきたに違いない。

 

 そう言えば、イスラフェルとはアスタルテの天使時代の名前だったか。カナンが言うには、彼女は長年多くの死を見続けてきたせいで、最後は精神を病んでしまったのだと言っていた。いくら時代が進もうと、人の死は老化だけとは限らない。魔族との戦いで犠牲になった人々も数多く目にしたことだろう。

 

「だから私たちは研究所で魔族の研究をしていたんだ。神は天使に、魔族に直接手を出してはいけないと命じていたが、間接的になら構わないだろうと、人間に代わって魔族を研究し始めたんだ。そうすれば今よりずっと犠牲になる人間が少なくなる。そう思って。

 

 やめておけば良かったのにな……」

「どうして?」

 

 研究の話をするアズラエルの顔は、見るからに後悔に満ちていた。何故なのか鳳が尋ねても彼女はすぐには答えなかった。彼女は暫く考え込むように月を見上げた後、唐突に、こんなことを言い始めた。

 

「実はベヒモスは……あれは私たち天使が作り出してしまった魔王なのだ……」

「え!?」

「君は常識を知らないから。何から話し始めたら良いものか……16年前まで、ここマダガスカルが人類第二の都市だったのは、それは目の前にアフリカ大陸があったからなんだ。実はその頃人類は、ここを前線基地として、人類の手にアフリカを奪還すべく戦っていたのだ……」

 

 アズラエルの説明では、現在の世界はざっくり5つの地域に分けられるらしい。

 

 ユーラシア大陸、アフリカ大陸、南北アメリカ大陸、インドネシア、オセアニアの5つである。

 

 魔族は元々ヨーロッパで爆発的に繁殖し、世界各地に散らばっていった。そのせいで現在でも、魔族は主にユーラシア大陸に生息しており、とてもじゃないが人間は近寄ることすら出来ない状況だそうである。

 

 対してアフリカ大陸は、ユーラシア大陸と地続きではあるが、広大なサハラ砂漠に分断されていて、サハラ以南は別世界と言っていいらしい。

 

 また現在はプチ氷河期と言っていいくらい世界的に気温が低いらしく、ベーリング海峡は氷に閉ざされていて、ユーラシアの魔族が南北アメリカ大陸に渡ることも、昔ほどはないそうだ。

 

 そして気温が低いということは水温も低いわけで、水棲魔族は赤道の近くにしか生息することが出来ないため、主にインドネシアに住み着いて、他の魔族の侵入を防いでいるらしい。因みに水陸両生の魔族は世界中を探してもこの地域にしか見られないそうだ。

 

 そして唯一オセアニアには、どんな魔族も定着しなかった。だから大昔、人類は他の大陸を捨てて南半球に移住したのだ。

 

 こうして5つの地域が成立し、それから数千年が経過した……

 

 その間、オセアニアでほそぼそと暮らしていた人類は、水棲魔族と戦闘を続けながら海洋の調査を続け、世界中にはまだ魔族の進出していない島々があることに気がついた。ハワイやイースター島等のポリネシアの島々や、インド洋のセーシェル、モーリシャス、そしてマダガスカル島である。

 

 中でも一際大きかったマダガスカル島は、現生人類の全てが移住できるほど広大であり、気候的にも申し分なく、やがて第二の都市建設が行われた。

 

 そうしてマダガスカル島に人類が移住したことで、面白い発見もあった。それまでインドネシア以外殆ど知ることが出来なかった、他大陸の魔族の様子を観察することが出来るようになったのだ。

 

「こうして魔族の研究を始めた私たちは、間もなくアフリカの魔王の登場にはサイクルがあるという事に気がついた。魔族は、他者を食らうことでその形質を獲得したり、無理やり繁殖して爆発的に数を増やしたり……いわゆる蠱毒を繰り返して進化する生き物だが、その結末は実は例外なく餓死だったのだ。

 

 魔族は生産的ではないから、人間みたいに食料を生産することが出来ない。すると魔王が誕生したところで、爆発的に繁殖しようものなら当然のこと、他者を食らって進化する魔王もいずれ食べる相手を失って餓死していたのだ。

 

 ユーラシア、インドネシア、南北アメリカに比べて、アフリカ大陸は範囲が狭く、その殆どが熱帯地域という厳しい気候条件だった。そのために、自然から獲得できる食料が他の大陸と比べて少なかったのだ。故にアフリカでは、魔王が誕生する度に、極端に魔族の数が増減するというメカニズムが成立していたと言うわけだよ。

 

 私たちはそこに目をつけた……

 

 アフリカでは魔王が誕生する度に全体の魔族の数が減る傾向にある。だったらいっそのこと、強力な魔王が誕生した時に、その生存を私たちが助けてやったらどうなるだろうか……? 魔王が本能的に他の魔族を襲い続けるのであれば、いずれアフリカには魔王以外の魔族は住めなくなる。そして最終的に魔王しか存在しなくなったら、私たちがゴスペルを使ってその魔王を排除してしまえば、手つかずの大陸が手に入るのではないか……

 

 危険な賭けかも知れないが、手に入るものの価値を考えればやる意味はあるだろう。問題は、魔王を餓死させないようにすることだが……私たち生物学者は魔族だけではなく、言うまでもなく人間や天使についても研究していた。

 

 天使……つまり、大昔の超人は血中に含まれるナノマシンによって不老非死の肉体を維持している。身体に欠損が出たらナノマシンが細胞を修復し、空腹であっても代謝は行われ続け、そのエネルギーは神により供給される……要するに第5粒子エネルギーがある限り、滅多なことでは死ぬことはない。なら天使の細胞を魔王に移植してみたらどうだろうか? 私たちはそんなことを考えた。

 

 そして研究を続けていた時、アフリカ大陸に強力な魔王が誕生した。都合のいいことに、この魔王ベヒモスは自ら繁殖することはなく、他者を食らってひたすら自分だけを強化するタイプの魔王だった。私たちは早速とばかりに、こいつに自分たちの細胞を移植することにした。結果は上々だった。魔王は旺盛な食欲で、私たちの目論見通りにアフリカ中の魔族を捕食し続け、魔族はみるみるうちに数を減らしていった。

 

 この方法は上手くいく。私たちはそう確信していた。ところが……」

 

「魔族が一掃されるよりも前に、マダガスカルにベヒモスが渡ってきてしまったのか」

 

 アズラエルは暫しの間、鳳の言葉を反芻するかのように沈黙し続け、やがて肺の中に溜まっていた全ての空気を吐き出すかのように、長い長い溜息を吐いた。

 

「……案外、それは本当に天罰だったのかも知れないな。研究所は、マダガスカルに渡ってきたベヒモスを、最初はなんとか誘導してアフリカに返そうとした。しかし、そこまで育ってしまった魔王のことを人間がどうこう出来るはずもなく、いたずらに犠牲を払うだけで、いつまで経っても事態が改善することはなかった。

 

 結局、私たちはベヒモスをアフリカへ帰すことを諦め、神域はアスクレピオスの使用を決定したのだが……ところが今度は、その頼みの綱のゴスペルが不発に終わったのだ。まさか、神の兵器が効かないほど魔王が成長するなんて思いもよらず、私たちはさらなる犠牲を払い続けた挙げ句に、ついに天使からも犠牲者を出したところで、マダガスカルからの撤退が決定された。

 

 私たちが育てた魔王のせいで、人類はアフリカを手に入れるどころか、逆にマダガスカルを失う羽目になってしまったのだよ……」

 

 アズラエルはその時のことを思い出し、落胆するように肩を落とすと、

 

「……何故、ゴスペルはベヒモスを倒せなかったのだろうか。神の兵器は絶対じゃなかったのか? 私たちがやり過ぎてしまったことに、神は天罰を下したのだろうか……正直、あの時はそんな馬鹿げたことも真剣に考えたよ」

 

 アズラエルは自虐的な笑みを浮かべている。神の正体なんて、ただの機械なんてことはとっくに分かっているのに……その表情が、そう告げているようだった。

 

 ただ、今回に限ってはアズラエルの予想は外れていた。鳳にはその理由が分かっていた。問題は、それを言ってしまうとどんな反応が返ってくるかわからないから曖昧にしていたのだが……この期に及んで黙っているのもフェアじゃないだろう。鳳は決意すると、

 

「……ゴスペルが起動しなかった理由なら、俺には見当がついてるぜ」

「なに……?」

「前に言っただろう? 俺はゴスペルの中の世界から来たって」

「あ、ああ」

「その時、説明したはずだ。ゴスペルは、こっちの世界で魔王が誕生した時、その情報を俺たちの世界に送ってくる。そして俺たちが首尾よく魔王を倒せたら、その情報を根こそぎ奪うんだって……俺たちは、その情報の収奪を阻止したんだ」

 

 アズラエルは最初のうちは鳳が言っていることが理解出来なかったの、ぽかんとした表情のまま固まっていたが、やがてその意味を理解すると、みるみるうちに顔を真っ赤にさせながら、

 

「何故、そんなことをしたんだ! そのせいで私たちは多くの犠牲を払い、マダガスカルまで失ったんだぞ!?」

「そんなの当たり前じゃないか! 抵抗しなきゃ、こっちは世界がまるごと消滅するんだぞ!? お前らがやってることは、自分たちのために、別世界の住人である俺たちに死ねと言ってるようなことなんだよ!!」

 

 鳳が怒鳴り返すと、アズラエルも反射的に何か言い返そうとしていたが、結局は彼の正論に何も言い返すことが出来ないと気づいたらしく、苦々しく吐き捨てるように言った。

 

「……本当に、そんな馬鹿げたことが起きているというのか?」

「ああ、本当だ。信じてくれ」

 

 それどころか、ゴスペルを使い続ければ、いずれ全ての宇宙が第5粒子エネルギーの海に飲まれて消滅してしまうかも知れない。そしてこの世界だって、ゴスペルの収穫が起こる可能性がある。アズラエルは、この世界の更に高次元にも、同じような世界があることを知らないのだ。

 

「だからカナン先生は……プロテスタントたちは、ゴスペルを使ってはいけないって言いに来たはずなんだけどな」

「……そう言えば、ルシフェルたちが神域に現れたのは、マダガスカル撤退が決まって暫く経ってからのことだった。そのタイミングで襲撃が起きたのは、道理だったというわけか」

 

 アズラエルは苦々しげに頷いている。

 

「それで? マダガスカルを撤退した後、人類はどうなったんだ?」

 

 鳳が続きを促すと、彼女はまた嫌なことを思い出すかのようにため息を吐き、複雑に眉をくねらせながら、

 

「多くの犠牲を出した私たちは、人類の欠員を補充するために不眠不休で『再生』を行った。因みに、その時に生まれたのが、瑠璃たちロスト・ジェネレーション世代だ。その後、マダガスカル撤退を招いてしまった私たち研究所の職員たちは、その責任を取る名目で神域に拘束された。

 

 私たちは、神による『処分』も覚悟していた……しかし、こんな私たちに対して、人類は寧ろ好意的だったのだ。その理由は、私たちは天使なのに、人間のために魔族と戦おうとしたからというものだった。人類は、なんやかんや魔族と戦わない天使に対して、不満を抱いていたのだろうな……

 

 ともあれ、それは私には慰めになった。人類を救おうという気持ちが本物であれば、必ず彼らは応えてくれる。だから私は彼女らのために、よりこの身を尽くそうと決意した。

 

 そんな最中、プロテスタントの神域への襲撃が起きた。ただでさえマダガスカル撤退で混乱してる時期だったから、その知らせに人々はショックを受けた。そして神が殺されたことが判明すると、彼女らは絶望のどん底に叩き落された。

 

 創世記以来、数千年に渡って人類を守護してきた神が死んだのだ。もう神は守ってくれないし、自分たちはもう生き返ることも出来ない。だがそれでも、魔族との戦いは終わらない。彼女らは死の恐怖に怯え始めた……

 

 だから私は、彼女らを救うために行動を起こしたんだよ。

 

 神の死により、私の罰もなし崩しになった。私は拘束を解かれると、すぐさま神による『再生』の代わりを模索し始めた。そして、今まで培ってきた生物学者としての知識を総動員して、人工出産の方法を見つけ出したのだ……」

 

 しかし、その後は知っての通りである。瑠璃によれば、アズラエルはせっかく生まれた赤ん坊を、みんな殺してしまったのだ。それは何故なのか?

 

 死と再生を司る天使として、人の死を見続けてきた彼女にとって、それは無数の死のうちのほんの一部に過ぎなかっただろう。だが、月を見上げる彼女の横顔は、その時のことを思い出して、慚愧の念に駆られているのは明白だった。

 

「アズラエル……君は本当に、人間の子供たちを殺したのか……?」

 

 その言葉にはどんな答えも返ってこず、鳳の疑問はパチパチと爆ぜる焚き火の音と、夜の静寂に溶けて消えてしまった。

 


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