ラストスタリオン   作:水月一人

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廃墟の町へ

 翌朝、ずっと山の稜線を進んでいた鳳たちは、ついに眼下に街を見つけた。コンクリートとアスファルトで覆われた人工的な町並みは、皮肉なことに、この自然が豊富な島にあって逆に人のぬくもりを感じさせていた。

 

 ここまで来るともう警戒もクソもないので、彼らは山を降り、台地の上を一直線に伸びるアスファルトの道路を進むことにした。昔の国道は16年の歳月のせいで、あちこちが陥没したり剥がれ落ちたりしていて少々歩きづらかったが、見通しがいいので視界的には楽だった。

 

 尤も、それは自分たち以外にも言えることだろう。これから先はベヒモスもそうだが、ドミニオンにも気を配らねばならなかった。アズラエルの目的地は、多分、相手にバレているだろうから、どこかで待ち構えている可能性もあるはずだ。

 

 一番その可能性が高いのは、目的地であるメルクリウス研究所だろうが、こっちがそう思うと言うことは、案外、そこへ辿り着く前に奇襲をかけてくるかも知れない。そう考えると、この見通しのいい道路を進むのは危険かも知れないが、かえって好都合なこともあった。

 

「ちょっと! もう少しゆっくり歩いてくださいまし! そんなに引っ張られては転んでしまいますわ!」

 

 伏兵がいないか気配を探りながら先頭を歩いていると、すぐ後に続く瑠璃の不満タラタラの声が聞こえてきた。

 

 彼女の腰にはロープがくくりつけられており、その先端は鳳がしっかりと握っていた。彼女の機関銃も今は彼が預かっており、手足は縛られていないが、その様子を見れば瑠璃が捕まっているということが遠目にも分かるだろう。

 

 鳳はそうやって、人質を取ることによって、ドミニオンから主導権を奪おうと考えたわけである。

 

 しかし、武器を奪うということは同時に瑠璃の身体能力も低下するというわけで、根本的な歩く速度の違いから、油断するとすぐにロープに引っ張られて瑠璃が転びそうになってしまうという悪循環を生んでいた。

 

「仕方ないだろう。はっきりこっちの優位性を示さなきゃ。また問答無用で飛びかかって来られちゃ堪らんし」

「私が一緒にいれば、いきなり襲いかかってくるなんてことはあり得ませんわよ。邪魔はしませんから、ゴスペルを返してくださいな」

「……いや、ぶっちゃけ、君のことそこまで信用してもいないし」

「なんですって、うきーっ!」

 

 もう10日以上も行動を共にしているから、少し気を許しかけていた瑠璃は、あっさり鳳に裏切られて地団駄を踏んでいた。鳳も、本音を言えば、もう彼女のことを敵とは全くこれっぽっちも思っちゃいないのであるが……問題は相手が組織だと言うことである。

 

 特に軍隊のような規律の厳しい組織では、個人の感情なんかまったく考慮されないのが普通だ。下手をすると、瑠璃を犠牲にしてでも目的を果たそうとする可能性だってあり得るのだ。その場合、彼女が鳳たちと仲良くしているよりも、敵対しているように見えたほうがマシだろう。

 

 まあ、考えすぎかも知れないが……

 

「街が見えてきたぞ」

 

 鳳と瑠璃がそんなやり取りをしていると、最後尾を歩いていたアズラエルが前方を指差しながら嬉しそうに叫んだ。何年もそこで働いていた彼女にとっては、きっと懐かしい光景なのだろう。

 

 しかし遠くの山の上から見た時から気づいていたが、こっちの世界に来て始めて見た町並みは、なんと言うか、鳳には非常に馴染みの深い、コンクリートのビルが立ち並ぶ近代的で何の変哲もない街だった。建物の高さは限定的で、なんというか、地方の駅前なんかによくありそうな都市である。

 

 ただし、そのビル群は埃に埋もれて薄汚れ、ボロボロとコンクリートが剥がれ落ちて見る影がなかった。人の手が入っていないとは言え、たった16年でここまでボロボロになるものか? と思いもしたが、街の中心部にかけて、ベヒモスが通り過ぎたらしき跡を見てからは考えが変わった。

 

 恐らくはかつてのメインストリートだったであろう、街の中心部はトンネルの掘削工事でもしたかのようにポッカリ穴が空いており、左右に立ち並ぶビルは全て鉄筋が剥き出しになって、風雨に晒され何棟かは既に崩れ落ちていた。

 

「16年前の攻防の痕だ。攻防と言っても人類側が殆ど一方的にやられたのだが……ベヒモスはマダガスカルに渡ってくると、まずはここより北部にある首都を狙った。私たちは最初それをどうにか追い返そうとしたのだが力及ばず、アスクレピオスの使用が決定されると、こっちの街におびき寄せて仕留めようとしたんだ……結果は散々なものだったが」

「こんなボロボロになってて、研究所は無事だろうか?」

「少なくとも16年前は無事だった。無人になった街ではベヒモスも用事がないだろうから、恐らくは今もそのまま建っていることだろう」

「だといいがな……」

 

 鳳は眼前にそびえ立つビルを眺めながら、少し考えた。研究所が無事ならドミニオンはその中に張っているかも知れない。そこで待ってれば、アズラエルの方からのこのことやって来てくれるのだから、罠を仕掛けるにはもってこいだからだ。そして、ここ数日間一緒に行動して分かったのだが、アズラエルはそういうシチュエーションに慣れていない。きっと簡単に引っかかってしまうだろう。

 

 もしかしたら考えすぎかも知れないが、ここから先は彼女に先導させるのは危険かも知れない。正直、自分だって不得手な分野だが、自分が一人で偵察しに行ったほうが良いのかも……懐かしの我が家を前にして少し浮かれているアズラエルに、鳳がそう提案しようとした時だった。

 

「……ちょっと待った」

 

 鳳はふと、周囲の廃墟郡に違和感を覚えて、彼を追い越そうとしていたアズラエルの手を引いた。

 

 突然、腕を掴まれた彼女が、どうしたんだと首を捻っている。しかし鳳はそんな彼女の疑問には答えず、じっと周囲のビル群に目を向けたまま違和感の正体を探した。

 

 それは本当に直感でしかなかった。どんなに上手く隠蔽したところで、人の手が加われば、やはりどうしても違和感が残るといった、その程度の違いでしかなかった。

 

 だが、鳳はその妙な違和感を無視できず、なんとなく直感で気になる部分をじっと見続けていた……何がそんなに気になるんだろう? 遠目にはただの廃墟にしか見えないのであるが……

 

 最初はさっぱり分からなかった。しかし諦めきれない彼はじっと違和感の正体を探し続け、そしてついに、コンクリートから突き出している鉄筋に混じって、一本の銃身が、鳳たちが今まさに通り過ぎようとしている道に向けて突き出ているのを発見した。

 

「アズにゃん!」

「ふがっ!?」

 

 鳳がそれに気づいたのと同時に、きっとスナイパーも気づかれたことに気づいたのだろう。道に向けられていた銃口がすっと動くのを見るや否や、鳳はアズラエルの手を思いっきり引いた。

 

 すると次の瞬間、閃光が走り、たった今鳳たちがいた場所目掛けて複数の光弾が飛んできた。そして間髪入れずに、今度は左右のビルの中層階から、幾人ものセーラー服の少女たちが飛び降りてきた。

 

 ドミニオンは、アズラエルに向けて一斉に銃撃を放ってくる。堪らず彼女は天使の翼を広げて上空へと飛び上がる。しかし、その翼が片方しかないせいで上手く姿勢制御が出来なかったらしく、間もなく彼女はふらふらよろけて、地面に落っこちてしまった。

 

 そんなアズラエルを心配してか、遠くからこっそりついてきていた猿人のチューイが飛び出してきた。するとドミニオンたちは魔族のいきなりの登場に驚き、盛大に悲鳴を上げるなり標的をチューイに変えて目茶苦茶に銃撃を加え始めた。

 

 哀れな猿はその一斉攻撃に慌てふためき、必死になって逃げ惑っている。このままじゃチューイが殺られてしまう……鳳は何とか彼を助けてやろうと、瑠璃の機関銃を構えて援護射撃をしようと試みたのだが……

 

 その時、不意に背後から迫りくる別の殺気に気づいて、彼は咄嗟に身を翻した。

 

「また避けた!? なんで!?」

 

 見れば、筏の上で瑠璃と一緒にいたサイドテールが、長剣を袈裟斬りに振り下ろしているところだった。さっきの光弾といい、この斬撃といい、明らかに問答無用で殺しに来ている動作である。鳳は冷や汗を垂らしながら、

 

「おい、こら! お前がいれば、いきなり襲いかかってくることはないんじゃなかったのか!?」

 

 剣を避けた鳳が地面に転がると、ロープに繋がれていた瑠璃も一緒にすっ転んでいた。サイドテールはそれを見て仲間を傷つけられたと思ったのか、顔を紅潮させながら鳳に向かって二撃目を振り下ろしてくる。

 

 彼がそれも避けると、また瑠璃も引っ張られ、彼女はゴロゴロゴロゴロ地面を転がりながら、

 

「きゃーっ!! 琥珀! おやめなさい!」

「瑠璃! 君は離れていてっ!」

 

 琥珀と呼ばれたサイドテールは、瑠璃に繋がれていたロープを切り離すと、地面に転がっていた彼女をお姫様抱っこで抱えあげ、そのまま軽やかに後方へと飛び退った。そして目を回している彼女を優しく地面に下ろすなり、ギンと鋭く鳳を睨みつけながら、長剣をこちらに向けて構え直した。まるで宝塚の花形スターみたいである。

 

 瑠璃は目を回しつつ、そんな彼女の裾を引っ張りながら、

 

「ちょ、ちょっとお待ちなさい! 琥珀、まずはその人の話を聞いて!」

「はあ!? 君は何を言って……」

「アズラエル様もこの人も、そんなに悪い人じゃなかったんですの。一旦攻撃を止めて、話を聞いてあげて欲しいんですわ!」

 

 瑠璃が懇願するように彼女に言うと、琥珀は目を白黒させながら、

 

「こいつはプロテスタントなんだよ!?」

「え? ええ、そうですわね……けど……」

「それに、なんだあれは? 魔族と結託しているやつに情けをかけろと言うのか?」

「あ、あれはその……色々事情がありまして……」

「アズラエルが何をしたのか……忘れたとは言わせないぞ!」

「うっ……それは言い訳できませんわね……」

 

 瑠璃は琥珀に断言されると、自信がなくなってきたらしく、

 

「それにこの人を助ける義理もありませんし……私が間違っていたのかも……」

「おい! 簡単に説得されてるんじゃねえ!!」

 

 鳳が、付和雷同する瑠璃にツッコミを入れた瞬間だった……

 

 彼はまた、背後に忍び寄ってくる強い殺気を感じ、咄嗟にその場から飛び退いた。見れば今度は、三人娘の最後の一人、ツインテールが腰だめに構えたナイフを突き出しているところだった。目は血走り、どす黒い殺気を纏って、その顔は完全に殺るきである。

 

 鳳はそれを避けるなり、さっきまで瑠璃を縛っていたロープを相手に向けて放った。

 

「そんな!? 完全に気配を断っていたはずなのに……きゃーーっ!!」

 

 ツインテールは、鳳の放ったロープに腕を思い切りねじ上げられて悲鳴を漏らした。こっちの世界に来る前にマニに習った技である。彼は彼女が落としたナイフを拾い上げつつ、吐き捨てるように言った。

 

「気配を断つだって? 殺す気満々で、しゃらくさい」

 

 どうやらこのナイフには認識阻害系のスキルが付与されているようだが、こちとら忍者と3年間も修行を続けた身である。マニは完全に気配を殺せる上に、空間まで操り、自分の姿を物理レベルで消してしまい、影の中に隠れるのである。殺気だだ漏れの彼女の技など児技に等しかった。

 

 それにしても認識阻害まで出来るとは……彼女らのゴスペルは、鳳が持っていたケーリュケイオンとはかなり趣が違うようだ。

 

「桔梗の武器を返せ!」

 

 鳳が奪ったナイフをどうやって使うのだろうかと矯めつ眇めつしていると、瑠璃の説得を振り切ったサイドテールが再び襲いかかってきた。桔梗とは、ツインテールの名前だろうか? 鳳は右手に持ったそのナイフで琥珀の攻撃を受け流すと、左手に持った瑠璃の機関銃でお返しとばかりに銃撃をお見舞いした。

 

 すると……その銃から発射した光弾が、琥珀の放つ何か電磁バリアーみたいなものに弾かれてしまった。瑠璃の友達だから、元々当てるつもりはなかったのだが、どうやら彼女の持つ長物は、見た目に反して防御系のスキルが付与されているようだ。

 

「気をつけて! あいつおかしな術を使うわよ」

 

 鳳に武器を奪われた桔梗が叫ぶ。琥珀はそんな彼女を庇うように前に出る。鳳のロープを警戒し、正眼に構える彼女に隙はない。あれでバリアーも張れるわけだから、純粋に剣技だけの勝負となると、こちらの分が悪いようである。

 

「いたた! いたたた! やめて……やめなさい!!」

 

 アズラエルの悲鳴が聞こえる。彼女は天使であるせいか、人間であるドミニオンに攻撃が出来ないようだった。チューイが大勢を引きつけてくれているお陰でまだなんとかなっているが、このまま一方的にやられ続けたら、いくら天使でも身がもたないだろう。

 

 当てにしていた瑠璃もあの体たらくだし、話し合いは無理そうだ……

 

 鳳は、これは一時撤退して出直したほうが良いと判断し、なんとかアズラエルだけでも連れて逃げ出せないものかとチャンスを窺った。

 

 その時だった。

 

 ふっと、背筋が凍るような鋭い気配が脳裏を過ぎった。さっきの二人とは比べ物にならない、純粋にヤバいと言うヒリヒリした感覚が全身を駆け巡る。

 

 まるで瞬間湯沸かし器で血液が沸騰するかのように体が熱くなり、全身が武者震いで総毛立っていた。何かが来る。だが、それが何なのか、考えている暇はなさそうだった。

 

「紫電一閃……」

 

 鳳はまるで猛獣を前にしたときのように、射すくめられて動かなくなってしまった足を必死に叩いて無理やり動かし、前方へ倒れ込むような受け身を取った。すると、彼の頭の上を何か衝撃波のようなものが通過していき、それは近くの廃墟ビルにぶつかって、ズシンと音を立てて瓦礫を破砕した。

 

 もうもうと舞い上がる砂埃で、一瞬にして視界が白く染まった。うっかりそれを吸い込んでしまい、むせ返っていると、煙を切り裂き自分の喉仏目掛けて小剣の切っ先が鋭く伸びて来るのが見えた。

 

 反射的に上げた右手のナイフが、剣に弾かれて飛んでいく。それが地面に到達するより前に、流れるような動作で第二撃が彼を襲った。鳳は身を翻してその場を転げるように飛び退り、ゴロゴロと地面を転がりながら、必死にそいつから距離を取った。

 

 ズキッとした痛みが走り、首筋から血がだらだらと流れ落ちていた。ギリギリ首の皮一枚躱せはしたものの、もし逃げ切れなければ、その刀身は完全に彼に届いていたようだ。

 

 今、下手したら死んでいたのか? その事実に全身の毛がそばだつ。ヤバい……でも、なんかこいつは……

 

 左手の機関銃で弾幕を張るようにめくら撃ちをすると、そいつはまるでケーキでも切るような気安さで、簡単にその銃撃を斬り伏せてしまった。

 

 半身に構えた小剣の刀身からはドライアイスのような冷気がゆらゆらと零れ落ちていた。鳳はその剣を、今までに何度も見たことがあった。ただし、その剣先が彼に向くことは一度もなかった。何故ならその人とは、前世から一度も敵対したことがない、いつだって彼の相棒だったからだ。

 

 その長身と白い肌、金色でさらさらと靡く髪、そしてエルフのように長い耳。間違いない。アナザーヘブン世界では神人と呼ばれていた種族……ジャンヌ・ダルクがそこに立っていた。

 


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