鳳たちが逃げ込んだ森の外縁部では、ドミニオンたちによる捜索が徹底的に行われていたが、それも日が暮れて視界の確保が難しくなってくると早々に打ち切られた。人の手の入ってない夜の森は驚くほど暗く、松明をつけようにもあまり大々的にやると、この島のどこかに潜んでいるであろうベヒモスを呼び寄せそうだったからだ。
こうなってしまうと相手の数が少ないことがネックになった。明日以降、彼らの捜索を再開したところで、こんな暗い森の中に潜伏したたった三人を見つけるのは、もはや至難の業だろう。今日、あの廃墟街で奇襲に失敗したのは本当に痛恨だった。
待ち伏せを警戒しているであろうことまでは予想していたが、まさかビルの中で擬態している隊員を先に発見されるとは思いも寄らなかった。奇襲にあたっては天使アズラエルの動向ばかりを気にしていたが、本当に厄介だったのはあのプロテスタントの方だったのかも知れない……
もしもあれを先に始末していれば、また結果は違っただろう。連行されてしまった仲間を助けることを優先したのも失敗だった。瑠璃には悪いが、隊員にはみんな死ぬ覚悟があるはずだ。彼女を犠牲にしてでもやつを殺せとどうして命令出来なかったのか……
ジャンヌが自分の判断に後悔していると、捜索を終えた隊員たちが疲れ切った顔をして戻ってきた。
「申し訳ありません、隊長。私のせいで、やつを取り逃してしまいました」
サイドテールの琥珀が一歩進み出て、悔しそうに頭を下げる。瑠璃を助けるために、志願して単騎で奇襲をかけたものの、返り討ちにあってしまった彼女は顔面蒼白になっている。
「この責任は必ず取ります……」
ジャンヌはそう言う琥珀に微笑みかけると、
「いいえ。責任を取るのは私の役目よ」
「でも!」
「私が相手の実力を見くびっていたのが悪いのよ。あれの動きは……何ていうか異常だった。まるで未来予知でもしているかのような、鏡の中の自分と戦ってるような、そんな気分にさせられたわ」
「隊長がそんな風に感じるなんて……私が何も出来なかったのも、うなずけますね」
「やはり神殺しの仲間だけあるわ。一筋縄でいく相手じゃなかった。もしも次があるならば、もう決して油断したりはしないのだけど……」
「あの~……よろしいでしょうか? そのことでしたら、先程も報告しましたとおり……出来ればあちらのお話も聞いてあげて欲しいのですが……なんて」
ジャンヌと琥珀が鳳との戦いを反省していると、そんな二人の様子を後ろめたそうに見ていた瑠璃が、恐る恐ると言った感じで控えめに口を挟んできた。
「あのプロテスタントはなんでも昔の仲間を探しに来たとかで、私たちに危害を加えるつもりはないって言っていましたわ。その証拠に、あの人は誰の
「でも瑠璃、私はあいつに血反吐を吐くまで思いっきり蹴られたじゃないか」
「それは……そうですけど」
とは言え、問答無用で襲いかかっていったのは琥珀の方だし、鳳はその気さえあれば彼女を殺すことも出来ただろうに、そうはしなかった。瑠璃はその辺を指摘したかったが、自分を助けるために体を張った仲間に対して何も言えずに黙るしかなかった。
ジャンヌはそんな瑠璃の気持ちを慮ってか、努めて冷静さを装いながら、
「瑠璃、それはストックホルム症候群よ」
「ストックホルム? なんですか、それ」
「例えば誘拐事件の被害者が、自分の緊張を和らげるために、必要以上に犯人のことを好意的に思う心理状態のことよ。あなたはずっと、いつ殺されてもおかしくない状況にいたから、あのプロテスタントの言うことを、何でもかんでも真に受けてしまったのね」
「そうでしょうか……そんな大層な人には思えなかったのですが……」
「思い出して、瑠璃。プロテスタントは人類の敵よ。16年前、奴らが神域を襲撃したせいで、私たち人類は今絶滅の危機に晒されているのよ。そんな相手を好意的に語るなんて絶対におかしい。みんなを惑わすようなことを言ってはいけないわ」
「……はい」
ジャンヌはそれでもまだ釈然としていない様子の瑠璃をぎゅっと抱きしめると、
「でも、あなたが生きていてくれて本当に嬉しいわ。安心なさい、もうあなたを傷つける人はどこにもいないわ」
「お姉さま~……」
瑠璃はそれだけでふにゃふにゃとなって、恍惚の笑みを浮かべている。彼女らにとって、天使のように強くて美しいジャンヌは憧れの的だった。
瑠璃たちを部隊に戻した後、ジャンヌは一人、森を一望できる高台の上で黄昏れていた。
刀身から冷気を発する魔剣フィエルボワをぞんざいに地面に突き刺し、その柄に手を乗せながら、険しい表情を浮かべて眼下に広がる森を鋭く睨みつけている。彼女は立場上、瑠璃にはああいったものの、実はあのプロテスタントのことが気になって仕方なかったのだ。
だが、そんなことは絶対に認められなかった。もし、それでも瑠璃がプロテスタントを擁護し続けようとしたならば、ジャンヌは彼女のことを拘束しなければならなかった。子供の頃からプロテスタントは人類の敵だと教えられた現生人類にとって、彼らを擁護するような発言は、どんなものでも決して許されない懲罰対象だったのだ。
瑠璃だってそれくらい分かっていただろう。なのに自説を曲げなかったのは、この短期間で彼女らがそれなりの信頼関係を結んだのだと考えられた。魔族と天使とドミニオン、水と油のように相容れないはずの者たちを引き連れ、ひょうひょうと現れたあれは一体何者なのか……
ジャンヌは地面に突き立てた魔剣を引き抜くと、またぞんざいにその場にあった岩を斬り刻んだ。こんな細い剣だというのに、岩は嘘みたいに簡単に真っ二つになってしまった。それなのに、彼女の剣は刃こぼれ一つしたことがないのだ。
16年前、この剣と共に神域で目を覚ましたジャンヌには記憶がなかった。
記憶喪失の彼女を保護してくれたガブリエルが言うには、彼女は元プロテスタントだったが、神に触れたことで改心したのだということだった。
その時は何の話かさっぱりわからなかった。だが、その後、この世界の常識を学習していった彼女は、どうして自分は神殺しの手伝いをしてしまったのかとずっと後悔し続けていた。
そんなことをすれば、神の奇跡に頼って生きていたこの世界の人々が絶滅の危機に瀕してしまうことは目に見えていた。現に今、彼女らは子孫を生み出すことが出来ずに人口を減らし続けている。神の契約に縛られている天使たちはそれを救えずにいて、人類は未だ希望を見いだせずにいる……
自分が、この事態を招いてしまったのだ!
だから彼女は決意した。この天使と同等の力を使って人類を守らなければ……何故、自分がこんな力を持っているのかすらさっぱりわからないが、それがせめてもの罪滅ぼしである。彼女は使命感に燃えていた。
だが……今日戦ったあのプロテスタント。奴はジャンヌのことを知っているみたいだった。瑠璃の報告では昔の仲間を探しに来ているということだが、もしかしてそれは自分のことなのではなかろうか……
そしてあの猿……不覚を取ってあのプロテスタントにやられそうになった時、自分のことを助けてくれたあの猿も、また彼女にとっては悩みのタネだった。
あの猿とはもう何年も前から妙な因縁がある。以前、今回のようにマダガスカルに調査に来た時、彼女の隊は偶然にもベヒモスと遭遇してしまったのだ。ベヒモスは強大で、とても人類の歯が立つような相手ではなかった。
彼女はそんな強大な魔王を相手に孤軍奮闘していたが、部隊の隊員を逃がすだけで精一杯で、有効な打撃を与えることが出来ず、もはやベヒモスに食べられるのもやむなしと覚悟していた。
ところが、そこへ現れたのがあの猿だった。
猿は諦めていたジャンヌの前に躍り出ると、いきなりあの巨体を相手に戦い始め、一歩も引けを取らず互角に渡り合っていたのだ。
もしや自分は魔王同士の戦いを目撃しているのではなかろうか……? 彼女は暫くその戦いに見とれてしまっていたが、すぐに逃げ出すチャンスは今しかないと気づくと、その場を猿に預けて駆け出した。そして彼女は、無事に部隊と合流を果たし、命からがらマダガスカルから脱出することに成功した。
船の上で遠ざかる島を見つめながら、彼女はきっとあの猿はもう生きてはいないだろうと思っていた。ところが、あれ以来、あの猿は彼女がマダガスカル島に上陸する度にどこからともなく現れて、餌を分けようとしてきたり、ドラミングをして気を惹こうとアピールをし始めたのだ。それがまるで、野生動物がメスを誘惑しているように思えて、彼女は命の恩人とはいえ気持ち悪くて仕方なかったのだが……
今回、あの猿は自分のところに直接ではなく、何故かあのプロテスタントと一緒に現れて、そして彼女がピンチに陥ると、またかつてのように彼女を守ろうとしたのだ。そのことであのプロテスタントは何かに気づいたようだが……
不思議な連中である。魔族と人間は決して相容れない間柄のはずだが、彼らを見ていると何故か昔からの仲間同士であるかのようにも思えた。
瑠璃たちには隠しているが、自分もかつてはプロテスタントだった。もしも本当に仲間であったのなら……自分と奴らとはどんな関係だったのだろうか?
************************************
「……ようやく、逃げおおせたみたいだな」
アズラエルと共に森に逃げ込み、そこでサムソンと合流した鳳たち3人は、しつこく森の中まで追跡してきたドミニオンから身を隠しつつ、どうにかこうにか敵を振り切ったようだった。
ドミニオンたちの追跡は執拗で、一時はすぐ目と鼻の先まで迫られたのだが、人数が少ないのを利用して細かく移動を繰り返し、息を潜めてなんとかやり過ごし、日が暮れたことでようやく相手が諦めてくれたようであったが、お陰で心身ともにくたくたになってしまった。
鳳は、はぁ~……っとため息を吐くと、真っ暗で何も見えない森の中で腰を下ろした。
さて、これからどうしよう……追跡を巻いたはいいが、それですぐに彼女らが島からいなくなってくれるわけではないだろう。アズラエルの目的地がメルクリウス研究所であることが相手にバレているのはもう間違いないようだし、そんなところへまたバカ正直に突っ込むわけにもいかなかった。
ドミニオンの攻撃は一方的で容赦ないものだった。きっとこっちが何を言っても話を聞いてくれないだろう。そうなると目的地に潜入するのはもはや不可能と考えるより他なかった。だが、そんな提案をアズラエルが聞いてくれるだろうか……
「ところで君、君とその魔族は、まさか本当に知り合いだったのか?」
鳳がこれからの方針に頭を悩ませていると、彼の様子を不思議そうに眺めていたアズラエルが言った。
「ん? ああ、そうなんだよ。こいつはあっちの世界の仲間で間違いない」
「うほうほ」
「驚いたな……人間と魔族が心を通わせ合うなんてことがあるとは……」
「いいや、サムソンは元は人間なんだよ。それがこっちで再会したら何故か魔族になっちゃってたんだ」
「なに?」
「何でこんなことになっちゃってんだろう……」
鳳が首を捻っていると、そんな二人のやり取りを見守っていたサムソンがウホウホ言い出した。身振り手振りを交えてその場をぐるぐるうろつく様は、俺についてこいと言ってるように思えなくもない。
「なんだ? どっか行きたい場所でもあるのか?」
「うほうほ」
「君についていけばいいのか?」
「うほっ!」
サムソンはゴリラみたいに手をパンパン叩くと、二人に背を向けて数メートルほど歩いてから、ちらりと後ろを振り返った。どうやら、その認識で間違いないらしい。鳳たちはお互いに顔を見合わせると、そんなサムソンの後を急いで追った。
森の中は本当に真っ暗で、足元すら覚束なかった。そんな中を戸惑うこと無く歩けたのは、サムソンもアズラエルも夜目が効いたからだった。この中で森歩きに一番慣れているのは鳳のはずだが、二人が相手だと自分が一番足手まといのように思えてなんか悔しかった。
しかし、魔族のサムソンはともかく、天使も夜目が効くのだなと思いながら、二人の後をついていくと、やがて前方の木立が途切れて、鳳の目にも見える広場が現れた。どうやら、サムソンの目的地はそこらしい。
いつまでも真っ暗闇の中に居るよりは、月明かりの下の方がいいだろうという、彼の粋な計らいだろうか? そんなことを考えながら先を進んでいくと、チャプチャプと魚が跳ねるような水音が聞こえてきた。どうやら、広場には池もあるらしい。
水源とはありがたい。これで数日は潜伏生活にも困らないぞと意気揚々と広場へと躍り出たら、鳳はそこで更に信じられないものを発見した。
森の中にぽっかりと開けた広場には大きな池があり、驚いたことにその畔に一軒の小屋が建っていたのである。しかも、その家からは灯りが漏れていて、煙突からは煙も上がっている。
どう見ても誰かが住んでいるとしか思えない家を前にして、鳳たちは固まった。なんせここは人類が撤退したはずのマダガスカル。16年間無人の島にはベヒモスが闊歩しているのだ。そんな場所に、まさか人が住んでるなんて到底思えないだろう。
しかし二人が警戒して遠巻きに眺めていると、そんな彼らとは対象的に、サムソンの方は慣れた様子で家の玄関まで歩いていってしまった。そしてまたウホウホ言いながら、中の人に呼びかけているようである。
本当に危険はないのだろうか……? 鳳たちが身構えていると、やがてその家の中から誰かが出てくる気配がして、さっと玄関の扉が開かれた。
「やあ、サムソン君、おかえり。今回は長かったね。修行は楽しかったかい?」
「うほうほ」
「ん……? 今回は修行じゃない? 友達を連れてきたって?」
「うほ~!」
中から出てきたのは魔族でも天使でもなく、どこか飄々とした雰囲気を醸し出す優男だった。身長は日本人平均よりも少し低いくらいで、骨格ががっしりとした痩せ型。筋肉が引き締まっているのが遠目にもよくわかる、真っ白な頭髪と、灰色の瞳が特徴的な人物だった。
その表情は笑顔が張り付いたように柔和でありながら、その瞳はどこか厳格な雰囲気を讃えており、じっと見つめられたら何もかもを見透かされそうな、そんな不思議な目をしていた。
男はサムソンを相手に優しく語りかけたあと、ようやくその背後に鳳たちがいることに気づいたらしく、おやっとした表情を見せてから、
「やあ、やっと来たね、ヘルメス卿」
「え……!?」
「それとも、今はタイクーンと呼んだほうが良いのかな」
鳳は、突然現れた男にその名で呼ばれたことに驚いた。言うまでもなく、その肩書は元の世界でしか通用しない……この世界の人間は誰ひとりとして知る由もないものだった。そんな肩書を、何故いきなり現れたこの男が知っていたのか。
鳳は、自分の記憶を必死に辿ったが、ついに男の正体には思い至らず、警戒しながら誰何した。
「あんたは一体……どうして俺のことを知ってるんだ?」
「ああ、まずは自己紹介が先だったね。僕はミッシェル・ド・ノートルダム」
「ミッシェル……?」
鳳はその名前をどこかで聞いた覚えがあるような気がしたが、すぐには思いつかなかった。だが、彼が続けて言い放った言葉を聞いて、すぐにその名がとんでもなく馴染みのあるものであることに気付かされて、また仰天した。
「僕は君の世界で