「僕たちには自分の世界がある、つまり自我というものがある。僕たち人間は、それぞれの肉体が違うからには、感じ方もそれぞれ違っているはずだ。僕が見た青の青さと、誰かが見た青の青さは、本来は違って見えている。なのに、それが同じ『青』と感じられるのは、そこに何らかの共通認識があるからだ。その共通認識のことを、大昔の哲学者プラトンは『イデア』と名付けたんだ。
このイデアとは具体的に何なのか? 例えば、リンゴという果物はみんな同じように見えて、実際には一つ一つが違っている。大きさや色、形、味など、どこまでがリンゴで、どこからがリンゴじゃないのか。その区別をつける判断はどうしているのか。そこで出てくるのが、リンゴのイデアだ。人間には共通する理想のリンゴというものが、心の中に最初から存在していて、みんなリンゴを見た時に、それがリンゴかどうかを判断する際にそのイデアを参照しているというわけだ。
この時、心の中で僕たちの魂はどうなっているのか? 例えば、僕がリンゴを見た時、僕の心の中には何かモヤッとしたものが生まれるはずだ。このモヤッとしたものはなんだろう? すると僕の魂はその形をトレースし、続いてイデア界にある様々なイデアの中からリンゴのイデアを参照し、心の中にそのイデアをコピーする。そしてそのイデアのコピーと、最初に生まれたモヤッとしたものが一致した時、僕はこれはリンゴなんだなと自覚する。
こうやって人間は、イデアというものを参照しながら、あらゆる物事を分類しているんだよとプラトンは考えたわけだ。
さて、時が流れて21世紀。人類は素粒子の実験の最中に、人間の脳にだけ反応するという、とても不思議な粒子を発見した。当時の人類は、
僕たちの脳が何らかのメッセージを受け取っている……つまり、これはイデアを参照している魂のエネルギーに違いないと。
実際、その解釈は間違っていなかった。だいぶ端折るけど、僕たちの正体は実は宇宙の果てに刻まれている二次元の情報なんだ。そこには宇宙の全てが記録されていて、物質も重力も空間も、実はホログラフのように投影されて見えている幻だったってわけだ。
そして僕たちは、その2次元の膜の上で情報をやり取りすることによって、この世界を知覚している。その情報の遣り取りをし、物事を考えたりしているのがアストラル体、いわゆる自我や魂という存在なんだ。
従ってアストラル体は物質界に縛られてはいない。アストラル体はアストラル界というまた別の世界に存在し、そこは物質界と切り離されているんだ。僕たちが何となく、心と体を別のものとして考えてしまうのは、そこに原因があるわけさ。
そしてさっき言った通り、アストラル体は物質界にある肉体が感じた情報を受け取り、それをエーテル界にあるイデアと比較している主体でもある。この理想の世界エーテル界と、物質界、アストラル界はそれぞれ別個に存在し、その3つの世界が一つに繋がることで人間というものが成立している。アストラル体はそのうちの自我を担当している、まあ、通訳のようなものと考えればいいよ。
だからもし、アストラル体が通訳の権限を逸脱して、物質界の現象をただ見るだけじゃなく、その記述を書き換えてしまったらどうなるだろうか? 例えば理想の世界からイデアを引き出し、それを物質界に投影したら? それが
そしてこのような現象のことを、僕たちは便宜上現代魔法と呼んでいるわけだ」
実際のミッシェルの説明はもっと丁寧で根気強いものだったが、概ねこんな感じのことを言っていた。その内容は、もう現代魔法に慣れている鳳には十分だったが、始めてこの奇跡の力に触れたばかりのアズラエルには、いまいち理解しきれないようだった。
「世界が3つある? その情報を書き換える? しかし、そんなことどうやればいいのだ? 君の言うことは頭では何となく理解できるが、実際になにをどうやっていいのかがまるでわからない」
彼女の言うことはもっともであり、実際に目の前でその奇跡を見せられても、ただの手品にしか見えなかっただろう。しかし、ミッシェルはそりゃそうだと言わんばかりに、
「それはまだ君に魂のパスが開いていないからだよ。つまり、自分のアストラル体の感覚ってものが掴めていないからなんだ」
「魂のパス……?」
「魂には感覚が存在する。まずは今言ったことを真剣に考えるんだ。そして然る後に忘れてしまう。真理に至るには難しく考えることも重要だけど、一度理解したならそれ以上難しく考える必要はないんだ。寧ろ害悪とまで言えるね。
例えば、僕たちは当たり前のように二足歩行をするけど、これを機械的に制御しようとするととんでもなく難しいことを知ってるだろう? だけど、僕たちは生まれてからこの方、一度も歩くことを難しいと感じたことがない。歩くどころか走ることさえ出来る。訓練すれば逆立ちで歩くことだって出来てしまう。
そう、訓練することでアストラル体の感覚を掴むことは可能なんだよ。例えば最初はタッチタイピングが出来なかった人でも、自転車の乗り方を知らなかった人でも、訓練して一度覚えてしまえば、その後はもう難しく考えなくても出来るようになるでしょう。その状態に持っていくんだ。
まずは、この世界には物質界と精神界の2つがあることをしっかりと認識する。然る後に、その精神世界を認識するための器官を育てるんだ。
僕たちは既に、人間には第5粒子エネルギーに反応する器官があることを知っている。これは凄いアドバンテージだよ。今、君はその器官が閉じてしまっているんだけど、訓練を通じてこれが第5粒子エネルギーを受け取る流れを感じ取れるようにするわけさ」
「ふむ……エネルギーを受け取っているという実感を持てばいいというわけか。それには、具体的に何をすればいい?」
「まずは自分の中にその器官があるというイメージを持つことだね。それには瞑想をして煩悩を捨てることが一番の近道なんだけど……ただ闇雲にやっても仕方ないから、そうだな、例えばこういうのはどうだろう? 君、人間は生まれた時、善であろうか悪であろうか?」
アズラエルはいきなりそんな話を振られて面食らいながら、
「性善説のことか? そうだな……それなら私はそのどちらでもないと思う。人間は、生まれてから大人になるまでの間に経験したことで、そのどちらにでもなりうるのだと」
「なるほど、君は善とは社会正義のようなものと考えているんだね?」
「……違うのか?」
ミッシェルは苦笑交じりに頷いて、
「僕たちは人間社会で生きるためのルールを学ぶ過程で、善とは他者から与えられるものと考えがちだ。そうじゃなくて、善とはそもそも自分にとって善いこと、体にいいことならなんでもするってことなんだよ。
例えば、赤ちゃんは自分を生かすために親を騙すことがある。嘘泣きをする。でも君はそれを見て、赤ちゃんは悪だと思うかい? そうは思わないでしょう。赤ちゃんはそれしかコミュニケーション手段がないんだ。だから泣くことで自分の体にとって善いことを自然と行っているだけなんだ。
このように人間は放っておいても、生まれつき自分の体に善いことをするように出来ているんだよ。
もちろん、オオカミ少年はいずれ滅びる。それを改めるのもまた人間だ。そうして僕たちは、成長するにつれ少しずつ少しずつ、まるで服を着るように本来の自分を覆っていく。それが人の目には、善にも悪にも染まるように見えるわけだけど、単に大人になった時には相当着ぶくれしてるだろうってだけの話さ。そのヴェールを一枚一枚剥がしていけば、相変わらず僕たち人間の根本は善である。
古代中国の孟子はそう考えて性善説を説いた。その後、中世の朱子学者たちはこの知見を受け継いで、人間の心の中は天理に繋がっているのだと考えた。性即理、心即理。だから礼に依って政治を行えば、それは天理に通じると、礼節を重んじる政策が尊ばれたわけだ。まあ、実利主義の中国人には結局馴染まなかったみたいだけど。
こんな感じで、人間の心の中には真理に通じる何かがあるという思想は、中国に限らず世界中に存在する。すぐに思いつくのでは仏教の涅槃思想、他にも、キリスト教のグノーシス主義、中世神秘主義者たちのプラトニズム、ユダヤ教のカバラなんかもその影響が見られる。
どうしてここまで色んな地域で同じ思想が起こったのか? それは僕たちの心が本当に無意識の内に繋がっているからじゃないかと考え、ユングは集合的無意識を提唱してフロイトと袂を分かってしまった。
まあ、はっきりとした証拠もないんだけども、この手の思想はゾロアスターの教義がヘレニズム時代にわーっと広まったのが本当のところだと思われる。ゾロアスター教では無に光が差して、そこに世界が生まれたんだって創世思想がある。故にあらゆるものには光と影が存在するという二元論だね。これがユダヤ教に伝わってカバラになると、この世界は
仏教は1世紀頃に中国に伝わって、後にシルクロードが出来て東西の交流が活発になると、唐代の頃に最盛期を迎える。でも、国の教義が他国から取り入れたものでは都合が悪いと考えた宋代末期の儒学者たちは、儒教こそが国教であると唱え、新たに朱子学が生まれた。けど、その教義にも結局仏教由来の考えが残ってたんだね。
さて、歴史講義はこの辺にしといて……世界中の宗教はこのように、案外みんな似たようなことを教義にしてきた。どうしてそうなったのかと言えば、やっぱり人間の心の中には何らかの真理が隠されているように、僕たちが感じているからだろう。例えば日本人は無宗教だと言うけれど、実際にはすぐ験担ぎをしたり、死者が出たら手を合わせて念仏を唱えたりする。そうしないと気分が悪くなる。心の中に何かがあるんだ。
この何かを掴むイメージが、現代魔法には必要なんだ。
神秘主義者の言うスピリチュアルなことを僕たちが空想と思うのは、その真理に至るイメージがないからだ。例えば暗い洞窟の中、例えば人の手が入らない深い森の中、信じられないほど大きな木々とか、底が見えないくらい深い谷を覗き込んだりとか、神秘に触れたとき、僕たちの体の中には何かモヤッとしたものが生まれるんだけど、それが何なのかを具体的にイメージすることが出来ずに、それはすぐに雲散霧消していしまう。何も残らないから何もないんだと、それ以上考えなくなってしまったのが現代科学の弊害でもあるわけだけど、しかし、僕たちは既に第5粒子を発見している。これを感知する器官が脳に存在することも知っている。
アストラル体……即ち魂には感覚がある。そのイメージを突き詰めていくことによって、現代魔法は成立する。今はまだそれが分からないだろうけど、君にもいつか分かる日が来るだろう。僕たちは生まれつき、それを知覚する能力があるんだから」
ミッシェルの講義は夜が明けるまで続いた。