迂闊だった……ジャンヌは舌打ちをしながら暗い夜道をひた走っていた。
前日、万全を期して奇襲をかけたにも関わらず、アズラエル達を逃してしまったドミニオンは、今度こそ手配者たちを逃すまいと、気合を入れ直して街の警備にあたっていた。
昨日は彼らを一網打尽にしようとして、一箇所に隠れて待ち構えていたが、今度は逆にコソコソと隠れて近づいてくるであろう彼らのことを、水を漏らさぬ構えで迎え撃とうとして、ジャンヌは隊員を街中に配置していた。
そして二交代制で24時間見張りを続け、自分はアズラエルの目的地であろう研究所の前で、どっしりと構えていたわけだが……
そんなところへ、突然、街の外を警戒している部隊から連絡が入った。砂煙を上げながら、この街に向かって走ってくる何か巨大な影があると。
魔王ベヒモス……
普段なら絶対に警戒を怠らないのだが、島に入ってからだいぶ時間が経過しており、今は手配者たちを優先するあまり、ベヒモスへの対応を疎かにしすぎてしまったようだった。
しかも最悪なことに隊員の報告によれば、ベヒモスの到着予想時刻は思った以上に早そうだった。あれだけの巨体だから、普通なら数十キロ先からでも移動の痕跡に気づけるはずなのだが、今回は街の中を警戒するあまり高所に配置する人員が少なくなりすぎて、対応が遅れてしまったのだ。
隊員の報告ではベヒモスの位置は既に街まで10キロを切っており、その速さを考慮すると、到着するまでもう10分もかからないだろう。
撤退するなら、今すぐにでも車を飛ばして街から離れなければならなかった。ベヒモスは意外と鼻が良いが、目はそれほどでもないらしい。だから草木や小動物などの臭いで紛れる森の中なら逃げ切れる可能性もあったが、こんな人工物しかない町中では見つけてくださいと言ってるようなものだった。
アズラエル、プロテスタント、そして魔王ベヒモス。全て人類の敵ではあるが、今回は優先順位を間違えてしまったようだ……
ともあれ、後悔していても仕方がない。ジャンヌは研究所前にいた隊員たちを集めると、ギリギリまで彼女の帰りを待ってから撤退するよう指示して、自分はベヒモスが近づいてきているという、街の外の検問所の方へと向かった。
「お供します!」
するとそんな彼女の後に瑠璃が続き、彼女の友人である琥珀と桔梗がすかさずついてきた。命令違反だが、今はそんなことを諭している場合ではない。
「遅れたら容赦なく置いていくわよ、いいわね!」
ジャンヌは振り返りもせずそう言い放つと、彼女らを引き連れて廃墟の街を駆け続けた。
ドドドド……
街の遠くの方から地響きが近づいてくるのが嫌でも分かるようになってきた。山のようなシルエットが段々と大きくなっていく。月のある晩で良かった。もしも月がなかったら、その音だけが聞こえてきて、隊員たちはパニックになっていただろう。
もっとも、見えるからと言って恐怖が緩和されるわけではない。人によっては寧ろ具体的な物が見えていた方が、死というものを連想させて恐怖を覚えるかも知れない。
ドドドドドドドドド……
音がどんどん大きく、そして近くなっていた。その巨大なシルエットが、もはや月まで覆い隠さんとし始めたころ、前方から悲鳴が上がった。
街の入口で検問を敷いていた部隊の者たちが、車両に乗って引き上げてくる。乗り切れなかった隊員たちが、半狂乱になりながらその後を追いかけている。その向こう側には、もはや左右に立ち並ぶビルよりも大きくなった生物のシルエットが浮かんでいて……
ドンッッッ!!!
地響きが轟き地面がグラグラと揺れた。ついに街に到達したベヒモスは、そこに美味しそうな餌を見つけると、興奮気味に鼻息を鳴らした。その突風のような鼻息が大通りの瓦礫を豪快に吹き飛ばし、つむじ風が舞いあがる。
「きゃあああああああーーーーーっっ!!」
徒歩で逃げていた隊員達が突風に巻き込まれ地面に転がった。ベヒモスはそんなご馳走を前に悠長に舌なめずりなどはせず、家一軒まるごと食べてしまいそうなくらい巨大な口を開けると、あんぐりと一口に飲み込んでしまった。
「やだやだぁーーっ! 死にたくない! 死にたくないっ!! やだああああーーーーっっ!!」
ベヒモスの巨大の口の中からそんなくぐもった悲鳴が上がり、続いてバキバキという背筋が凍るような咀嚼音が聞こえた後、やがてその声は聞こえなくなっていった。
「ごめんなさい! ごめんなさいっ!!」
通りすがる車両の中からすすり泣く声が聞こえてくる。彼女らはジャンヌの姿を見つけると、一瞬だけ後ろめたそうな表情を見せたが、スピードを落とすこと無くそのまま通り過ぎていった。
その判断は正しい、ここに残っても要らぬ犠牲を増やすだけだ。ジャンヌは怒りの矛先を間違えてはいけないと自分に言い聞かせた。まだ生き残っている隊員もいるはずだ。彼女らを助けるためにも、ここは自分が踏ん張らねば……!
「紫電一閃っ!!」
彼女は怒りに任せて剣を振り払った。斬撃が虚空を切り裂き、ベヒモスの鼻っ面にぶつかり、ドンッ! と大きな音を立てる。
暗闇から突然飛んできた見えない斬撃をもろに食らったベヒモスの顎が上がり、血しぶきが舞った。尤も、その殆どは魔王の血ではなく、口の中でバラバラにされた隊員たちの血液だった。
バシャバシャと土砂降りのような血液が降り注ぎ、続いてぼたぼたと千切れ飛んだ隊員達の四肢が落っこちてくると、またあちこちから悲鳴が上がった。ベヒモスの口からどうにか逃れて、ビルの影などに隠れている生き残りがいるのだ。
「瑠璃! 琥珀! 桔梗! 生き残った隊員たちの救助に当たれ!」
ジャンヌは振り返らずにそう叫ぶと、裂帛の気合を込めて巨大生物へと突撃していった。
「快刀乱麻!」
ゴンッ! っと鼻っ柱に剣を叩きつける音が鳴り響いて、骨格にダメージを受けたベヒモスがくぐもった悲鳴を上げる。ジャンヌはその勢いのまま魔王の頭の上に飛び乗ると、ビルの5階ほどの高さもあるその巨大な頭を目掛けて何度も何度も斬撃をお見舞いした。
「このっ! このっ! このおおぉぉーーっ!!」
ゴン! ゴン! ゴン! っと、その度に鉄骨を打つような音が闇に響き渡り、巨大な魔王の頭から肉が剥げ落ち、血がドロドロ流れ出した。
しかし並の魔族が相手なら、その一撃一撃が致命打になりうるはずのジャンヌの攻撃も、ことこの魔王に対しては殆ど無意味だった。
ダメージは確かに与えている。だが、そのダメージが蓄積するよりも早く、ベヒモスの体は回復してしまうのだ。
「グモモモオオオオオオォォォォーーーーー……」
思わぬ強烈な一撃を食らったベヒモスは、最初のうちは面食らったかのように一方的にやられているだけだったが、やがて段々ジャンヌの攻撃に慣れてきたのか、突然、魔王は鬱陶しいハエを振り払うかのごとく、頭をブルブルと震わせた。
頭の上に乗っかっていたジャンヌは、突然の動きにバランスを崩して転げ落ちそうになった。だが、ただで落ちるつもりのない彼女は、落下しながら魔王の顔面をめった切りにし、着地寸前に見えない斬撃をお見舞いしてやった。
その攻撃は魔王の急所を捕らえ、ベヒモスは再度くぐもった悲鳴を漏らすと、ズシンと地響きを上げて地面に倒れた。噴水のように舞い上がった血の雨で、地面は黒く染まっていく。
「くうぅっ……!!!」
だが、代償も大きかった。何しろベヒモスの体はビルほどの高さがある。ドスン! っと大きな音を立てて、地面に激突した彼女の四肢はあらぬ方向に折れ曲がっていた。猛烈な痛みに意識が吹き飛びそうになる。それを歯を食いしばって堪える彼女の体から、シュウシュウと白い煙が上がっていた。神人の超回復能力である。
だが、その回復力ならベヒモスにも備わっている。同じように傷口から白煙を上げながら、魔王の傷口が次々塞がっていく……あとは、どっちが先に動けるようになるかの勝負であったが……厄介なことにベヒモスの回復速度は、神人のそれを遥かに上回っていた。
「グオオオオォォォーーーーーン!!!!」
先に立ち上がったのはベヒモスの方だった。復活した魔王は怒りを表すかのように大きな雄叫びを上げると、目の前に転がっているジャンヌに対して血走った目を向けた。
彼女はその鋭い眼光を受けると、激痛に耐えながら外れていた関節を無理やりはめ込み、まだ折れている足で無理やり立ち上がり、必死になって剣を構えた。
だが、魔王はそんな情けない神人をあざ笑うかのように鼻息を鳴らすと、巨大な口を必要以上に大きく開けて、ジャンヌを丸飲みにしてやろうと向かってきた。
「くそっ……くそったれぇーっ!!」
猛烈な激痛に耐えながら剣を振るジャンヌ。神技を放つ余裕もない彼女に、巨大なベヒモスの口が迫ってくる……と、その時だった。迫りくる大口に剣を振り上げ迎え撃つ彼女の横を、何かが風のように通り過ぎていった。
金色のオーラを纏った猿人が、まるで弾丸のような速さで、たった今ジャンヌを丸飲みにしようとしている口の中に飛び込んでいく。
サムソンは、まるで食べてくださいと言わんばかりに、当たり前のようにベヒモスの口の中に飛び込むと、口の中でその上顎目掛けて、思いっきりアッパーカットをお見舞いした。
ガキッ! ……っと、顎関節が破壊される音が鳴り響き、大口を開けたまま、ベヒモスが情けない悲鳴を上げた。
魔王は突然の痛みに驚いて、口の中にいたサムソンを吐き出すと、しっぽを巻くように尻をふりふりしながら後退った。そして閉じなくなってしまった顎を無理やり閉めようとして、頭を上下に目茶苦茶に振り回す。
吐き出されたサムソンは地面をゴロゴロ転がりながら、その反動を利用して飛び起きると、今度は魔王の下顎の真下に滑り込み、手伝ってやるよと言わんばかりに思いっきり回し蹴りをお見舞いした。
ガッチン!! っと、歯と歯がぶつかる甲高い音が月夜に鳴り響いて、くぐもった悲鳴と共にベヒモスの上半身が浮き上がった。
驚いたことにサムソンは、空中に浮いたまま、まるで竜巻のようにくるくる回転しながら、ベヒモスの顎に何度も回し蹴りをお見舞いしていく。
ガチンッ! ガチンッ! ガチンッ! と、歯と歯がぶつかる音が響くたび、信じられないことに、ベヒモスのその巨体がどんどん持ち上がっていき……そしてついに、全長60メートルを超えようかというその巨体が、完全に二足で立ち上がってしまうと、最後の一撃を食らったベヒモスはそのままでんぐり返って、仰向けに地面に転がり落ちていった。
ズズンッッ…………
モウモウと砂煙が舞い上がり、月夜を一瞬にして飲み込んでいった。辺りは真っ暗闇に包まれ、ベヒモスの情けない声と、ドミニオンの少女たちの悲鳴があちこちから聞こえてくる。
そんな真っ暗な煙の中で、金色のピカピカ光る何かが飛び回っているのが見えた。やがて砂煙が晴れ、また月が顔を覗かせると、そこには仰向けに倒れたベヒモスの上で馬乗りになり、魔王を容赦なく殴りつけているサムソンがいた。
馬乗りと言っても、相手は全長60メートル、対してこっちは2メートル弱、傍目には砂遊びしている動物の腹の上を、ノミが飛び回っているようにしか見えなかった。だが、相手を圧倒し、痛めつけているのは、間違いなくそのノミの方だった。
「あんなに強かったのね……あの猿」
ジャンヌは呆然と呟いた。
彼女が島に来る度に、どこからともなく現れるあの猿型の魔族。気味が悪くて、近づかれないように、いつも撃退していたつもりだったが、どうやらそれは間違いだったようだ。魔族がどうしてそんなことをするのかは分からないが、どうやら認識を改めねばならないようである。
ともあれ、絶望的だった状況は辛うじて切り抜けられた。傷ついた体も既に完全回復しており、いつでも戦線復帰は出来る。問題は逃げ遅れの救出だが……
「お姉さま! ご無事でしたか?」
魔剣を杖代わりに立っていると、砂煙を払い除けながら瑠璃が駆け寄ってきた。彼女の後ろには傷ついた隊員たちが取り巻いている。魔王と猿の激しい戦闘に巻き込まれてしまったのだろうか、その殆どはお互いに肩を貸さなければ歩けない様子だった。
「隊長! 要救助者が……」
更に悪いことに、彼女らに続いて琥珀と桔梗が、即席の担架に乗せて一人の隊員を連れ帰ってきた。恐らくベヒモスのせいで砕けたビルの破片でも、頭に当たったのであろう。顔面蒼白の隊員の額からは、大量の血が流れ出しているようだった。
もしかしたら動かさない方がいいのかも知れない。だが、そんなことも言ってられない。ただ一つ言えることは、逃げるにしろ戦うにしろ、ベヒモスをなんとかしない限り、落ち着いて彼女の治療をすることは出来ないということだった。
そのベヒモスは、今はサムソンに押されてこちらの様子には気づいていない。
ジャンヌは決断を迫られた。
どうする? 逃げるなら今しかないが……車両もない状況で足手まといを運んでられるほど、状況は甘くはないだろう。あの猿がいつまで保つかも分からない。なんなら怪我人を見捨てれば、他は全員助かるかも知れないが……ジャンヌの評判は地に落ち、部隊の士気低下は絶対に避けられないだろう。そんな部隊を率いて、無事に島から脱出することが果たして可能だろうか。
それに逃げると言っても、ただ街から出ればいいと言うわけではない。今度は自分たちが森に入って、ベヒモスから身を潜めなければならないのだ。食料はあっても、火を使えないとなると、食べられるものは限られてくる。森を移動するなら車も捨てなければならないだろう。首尾よくベヒモスから逃れられても、今度は上陸地点まで徒歩で移動しなければならないわけだ。
どうすればいいのか……どうすれば……
「おい、ジャンヌ! さっさとあれをやっつけるぞ!」
そんな最悪な状況を前に、彼女が頭を悩ませている時だった。
背後からいきなりそんな声がかかり、びっくりして振り返れば、そこには彼女らドミニオンがずっと探していたプロテスタントとアズラエルがいた。
「おまえは……!?」
突然の鳳たちの出現に、ジャンヌ以下の隊員たちが色めきだつ。鳳は興奮する少女たちの中に臆することなく飛び込んでいくと、
「おまえら、サムソンに加勢もせず、雁首揃えて何ぼんやりしてんだよ! あいつを殺るぞ。手伝え!」
「貴様、なんのつもりだ!!」
いきなり現れて威勢のいいことを言いだした鳳に腹を立てて、琥珀が腕まくりして迫ってくる。他の隊員たちも同じく、敵に命令されるいわれはないと押し寄せてくるが……そんな彼女らを押し止めるように、慌てて瑠璃が立ち塞がり、
「ちょ、ちょっとお待ちなさい、琥珀!」
「瑠璃! 退きなよ! そいつ殺せない!」
「落ち着きなさいな! 今は争ってる場合じゃないですわよ!?」
「瑠璃はどっちの味方なんだよ!?」
「今は何を優先するかって言ってるんです!!」
琥珀と瑠璃が押し問答していると、ジャンヌがそんな二人の間に割って入り、
「瑠璃の言うとおりね。今はプロテスタントに構っている場合じゃないわ」
「でも……はい。隊長がそう言うなら」
琥珀は不貞腐れた表情でスゴスゴ引き下がる。ジャンヌはそんな彼女が引っ込むのを見送ってから、鳳に鋭い視線を向けつつ、
「とは言え、あなたもいい度胸ね。こんな状況でもなければ、とっくに死んでいたところよ」
「アホか! 死んでたのは、お前らの方だろうよ」
「なに!?」
鳳の言葉を挑発と受け取ったのか、ジャンヌ以下ドミニオン達が再度色めきだった。だが、鳳はそんな彼女らの鋭い視線を真っ向から受け止めると、
「そうじゃない。おまえら、どうせサムソンがベヒモスと戦ってる間に逃げる相談でもしてたんだろう? そんなことしたら確実に死ぬぞって言ってんだよ!」
「……どういうこと?」
正にどうやって逃げるかばかりを考えていたジャンヌは、鳳の言葉にドキッとして聞き返した。彼はやっぱりなと言った感じため息を吐きながら、
「サムソンはベヒモス相手に有利に立ってるが、一度あれと戦ったことがあるなら知ってるだろう? あいつの再生能力がある限り、サムソンは負けはしないが勝てもしないんだ。するとそのうち、分が悪いと感じたベヒモスは、もっとやりやすい相手で食欲を満たそうとする。そんな時に、尻尾巻いて逃げようとしているお前らを見つけたら、どんなに遠くにいても追っかけてくるに違いないぞ」
「その前に森に逃げ込めば……」
「それが出来ればな。今からこの怪我人を抱えて、部隊に合流して、街を出て森に入るまでどのくらいかかる? ベヒモスは、一時間もしないうちに、おまえらに矛先を変えるはずだ」
「……じゃあ、どうすればいいっていうの!?」
「だから戦って撃退しろって言ってんだ。ベヒモスは腹が満たせるものは何でも食おうとするけど、それが無理と判断すると思ったよりあっさり退くんだよ」
鳳は、かつてニューアムステルダムでそれを見たことがある。勇者パーティーにケチョンケチョンにやられたベヒモスは、まだ街にいっぱい人が残っていたにも関わらず、ものすごい勢いで逃げていった。その時の経験があるから、鳳は確信しているのだ。ベヒモスはこっちから一方的に攻撃し続けていれば、絶対に逃げるはずである。
だが、そんなことは知らないジャンヌが疑いを投げかける。
「あなたは、どうしてそんなことが言い切れるの?」
「それはサムソンが証拠だ……あの猿は、いつもそうやって、この島で生き残ってきたんだよ」
その言葉を聞いたドミニオン達がどよめきだした。ジャンヌも薄々そうじゃないかと思っていたが、あの猿は本当にベヒモスを撃退し続けていたのだ。
しかし、そんなに強いのなら、何故あの猿人は自分たちを襲うことはしなかったのだろうか? 魔族ならそうするのが当たり前のはずなのに……ジャンヌはそう思いもしたが、すぐに今はそんな問答をしている場合じゃないと頭を切り替えて、
「……いいわ。今だけはあなたのことを信じましょう。でも、撃退するって言っても、具体的にどうするつもり?」
「ゴスペルはどのくらいあるんだ?」
「ドミニオンは全員ゴスペル保持者よ。ここに来ている部隊は全部で128名……内、何人かはさっきやられてしまったけど……」
犠牲者を出してしまったことを思い出して、ジャンヌは苦々しげに歯を食いしばっている。鳳はそんな彼女に同情しつつも、取り敢えず100本以上のゴスペルがあると皮算用し、それなら十分いけるだろうと判断すると、
「よし、聞け。ベヒモスは素早いが小回りが効かない。だから正面には立たずに、常に側面に回り続ければ一方的に攻撃が出来るはずだ。ところが、ここは市街地で道が狭くて、寧ろこっちの動きの方が阻害されてしまっている。どうせやつは、物陰に隠れてやり過ごせるような相手じゃない。だったらいっそのこと、町の外まで誘導して、全員で一斉攻撃した方が良いだろう。100人のゴスペルで攻撃すれば、流石にあれも無事では済むまい」
「どうやって誘導するの?」
「相手は貪欲に人間を捕食する動物だ。もうじき、サムソンが食べるには不向きと判断して、目標を切り替えるはずだ。その時、俺たちが囮になって飛び出せば、簡単に釣れるだろう……」
「いいわ。なら、その囮は私にやらせてちょうだい」
「いや、そりゃ駄目だ」
「どうして!?」
ジャンヌが不満の声を上げる。鳳は当たり前だろうと言わんばかりに、
「俺たちの目的は、誘導したベヒモスを町の外で仕留めることだ。100人以上のドミニオンの兵隊に命令を出せるのはおまえだけだろ? なのに、おまえが囮になってどうすんだよ」
「じゃあ、私以外の誰がやるっていうの……?」
「でしたら私が」
鳳とジャンヌが言い争っていると、それを横で見ていた瑠璃がおずおずと手を上げた。ジャンヌが目をひん剥いて止めようとする。
「瑠璃! これがどんなに危険な役目か分かっているの?」
「ですけど、お姉さま。誰かがやらなければならないのでしたら、私がやるのが適任でしょう。この状況で、プロテスタントと協力できるのは、多分私だけだと……」
「なら僕も瑠璃といくよ!」「仕方ないわね」
瑠璃に続いて琥珀と桔梗も志願する。最初に会った時も三人一緒だったが、よっぽど仲良しなのだろう。鳳は、それでも心配げなジャンヌに向かって、
「まあ、安心しろ。さっきも言ったけど、ベヒモスは正面に立ちさえしなければただのでくの坊だ。それに、こっちには切り札がある」
「……切り札?」
「まあ、見てろって」
戦況は刻一刻と変わっている。これ以上の問答はただの時間の浪費だろう。彼らはある程度お互いに妥協をすると、作戦の細かい部分について打ち合わせをしてから二手に別れることにした。
ジャンヌは生き残ったドミニオンたちを引き連れて、まだ街に残っている隊員たちを回収しつつ町の外へと走り、配置についたら信号弾を上げてその場に待機。その後、鳳たちでベヒモスを引きつけ、所定の位置に誘導するという作戦である。
その際、ジャンヌは担架に乗った怪我人も運ぼうとしたのだが、鳳に説得されて断念した。見捨てた方が効率がいいというわけではなく、そうした方が作戦上、無駄がないということだった。
彼は、この短時間で、敵を納得させるだけの作戦立案が出来る将なのだ。そんなのが憎きプロテスタントの一員だという事実は、正直、ドミニオンの隊長という立場としては嫌な予感しかしなかったが……不思議と個人的には安心感というか、彼女は妙な懐かしさを覚えていた。
そんなジャンヌ達が去ってから十数分後……
サムソンにほぼ一方的にやられていたベヒモスは、ついに自分の周りをうろちょろ飛び回る猿に嫌気が差して後退し始めた。どうせこのまま戦っていても、この猿が自分に食われるようなことはないだろう。ならばもっと楽に腹を満たせる相手を探したほうがいい。ベヒモスはまるでそう自分に言い聞かせているかのように、サムソンに背を向け逃げ出そうとした。
サムソンはそんな魔王を逃すまいと、尚も追撃をかけようとしたが……
「おーい! ベヒモスやーい! こっちこっち!!」
その時、ドミニオンの少女の一人が遠くの方で、挑発するようにベヒモスに手を振っているのが見えた。どう考えても自殺行為にしか見えない不可解な行動に、サムソンは慌てて彼女を救おうと駆け出そうとしたが、
「サムソン!」
すると、そんなサムソンに横合いから鳳の声が掛かった。見れば彼は怪我をした別のドミニオンの少女を抱えている。
「うほうほ!」
何があったか分からないが、緊急事態を察知したサムソンが駆けつけると、鳳はその怪我人を指差し、
「ジャンヌの部隊の子が怪我をしたんだ。あいつは町の外にいるから、運んであげてくれないか? お前が一番速い」
「うほ! うほ?」
サムソンはいいよと言いたげに頷いてから、しかしベヒモスの方はいいのか? と魔王を指差した。鳳はそのジェスチャーを見て大きく頷くと、
「あいつの対処なら任せてくれ。上手く誘導して町の外に連れてく予定だ。なあに、ミッシェルさんがついているから、絶対大丈夫。心配すんな」
「うほ!」
ミッシェルの名前が効いたのか、サムソンはそれ以上は何も追求せず、言われたとおり素直に少女を抱えて走り去った。こっちの世界に来てからずっと二人で生活していたらしいし、きっと父親みたいに信頼しているのだろう。
そして言うまでもなく、ミッシェルの能力は破格である。
「それじゃミッシェルさん、手はず通りにお願いします。あなたが頼りですよ」
「やれやれ、僕は戦闘向きではないんだけどね。タイクーンも人使いが荒い」
そのミッシェルは、この付近で一番背の高いビルの上に陣取ると、ベヒモスに追いかけられている琥珀に向かって何やら儀式めいた動きを見せた。
すると、その背中に追いつこうとしていたベヒモスの目の前で、突然、彼女の姿がかき消えてしまった。たった今まで美味しそうなご馳走が目の前にあったというのに、一体どこに消えてしまったのだろうか? 魔王は不可思議な現象に、声を上げて足を止めた。すると、ぼんやりとしている魔王の耳に、また別の声が届く。
「ほらほら、ベヒモス! 私はここですわよ!」
横合いから掛けられた声の主をベヒモスは目だけで確認する。そして、ズシンズシンと地響きを立ててゆっくり方向転換をしてから、またご馳走めがけて走り出した。ところが、そうしてまた魔王の口が餌を捕食しようとした、正にその瞬間、不思議なことにその餌もまた跡形もなく消えてしまったのである。
「グオオオオオォォォォーーーーーン!!!!!」
二度も餌を取り逃してしまった魔王が雄叫びを上げる。まるで地団駄を踏むかのようにその場でドスンドスンと飛び跳ねると、地響きが起こり周辺のビルからパラパラとコンクリート片が落ちてきた。これだけの巨体を維持しているのだから、そりゃあとんでもないエネルギーが必要で、意地汚くもなるわけである。
「ベヒモス! こっちにいらっしゃい!」
そんなイライラを爆発させている魔王に向けて、また別の少女から挑発の声が上がった。魔王は血走った目をひん剥いて餌の位置を確認すると、またズシンズシンとゆっくり方向転換をしてから、一直線に彼女の背中を追いかけ始めた。
「……あのプロテスタントが言ったとおりね。ベヒモスは速いけど、方向転換が苦手なんだわ」
桔梗はそんなベヒモスに追いかけられながら独りごちた。
こんな弱点があるとは知らなかった。確かにこれなら、勝てはしないけれども負けもしない。上手くやれば延々と敵を引きつけたまま居られるだろう。それにあのミッシェルとかいうプロテスタントの仲間……一体どうやってるかは分からないが、あいつは桔梗と同じ隠蔽の奇跡を使えるようだ。それも、彼女よりよっぽど強力に……
その時、彼女のことを追いかけていたベヒモスの動きがふっと止まった。恐らく、ミッシェルが彼女の姿を魔王から見えなくしたのだろう。敵の力に頼るのはいただけないが、今回だけは彼らが仲間で良かったと桔梗は思った。
「おーい! こっちこっち~!!」
また遠くの方から琥珀の呼ぶ声が聞こえた。ベヒモスはその声に惹きつけられて、ノロノロと方向転換してからまた駆けていく。食欲が旺盛な魔王は、もう何度も無駄足を踏まされているのに、それを追いかけることをやめられないのだ。
自分たちが、あの恐ろしい魔王を手球に取っている……その事実がドミニオンの三人娘を勇敢な戦士に変えた。彼女らは今までにない高揚感の中で、集中しながら、迫りくるベヒモスを翻弄し、ぐるぐるぐるぐる延々同じ場所を回らせ続けた。
そしてベヒモスがバターになってしまいそうになった時、ようやく町の外から信号弾が上がった。
鳳はそれを確認すると、ビルの上にいるミッシェルに手を振って後を頼み、
「それじゃアズにゃん、いよいよ仕上げだ」
「神よ、我に力を……
アズラエルの翼が風を受けて、二人はふわりと空に舞い上がった。
鳳は空に上がるとすぐに、遠くのベヒモス目掛けて、光弾をいくつもお見舞いしてやった。
目の前で何度も何度もご馳走を逃しイライラがピークに達していたベヒモスは、突然、ドカンドカンと音を立て、自分の横っ面を叩いた何かに振り返る。そしてそこに空飛ぶ二人を見つけた魔王は、また餌に食いつく魚のように、二人のことを追いかけ始めた。
アズラエルはビルの上ギリギリを飛びながら、そんな魔王を一直線に信号弾が上がった方まで誘導していく。今度は三人娘の時みたいに道なりではないから、ベヒモスは行く手を阻むビル群を全てなぎ倒しながら、真っ直ぐ追いかけてきた。
そのブルドーザーみたいなパワーとタフネスさには舌を巻いたが、流石にベヒモスと言えども、鉄筋コンクリートのビルを倒しながらでは若干スピードが落ちるようだった。これならば追いつかれる心配はないだろう。
鳳はアズラエルに頼んで、目的地よりも少しズレた地点を目指すと、町の外に出る最後の最後で急激に方向転換した。するとベヒモスは方向転換した二人に釣られ、向きを変えようとしてバランスを崩し、遠心力でビルをなぎ倒しながらゴロゴロと草原へと転げ出た。
ズドンズドンという爆撃のようなビルが倒壊する音と、鉄骨が崩れ落ちるガランガランとした音が盛大に草原に鳴り響いた。倒壊するビルの上げた砂煙で、一帯はあっという間に黒く染まる。しかし、遮蔽物のない草原には強い風が吹いており、ほぼ間髪入れず煙を全て吹き飛ばしていった。
草原に転がり出たベヒモスは、視界が晴れると犬みたいに頭をブルブル振り回し、その場ですっくと立ち上がった。すると丁度目の前に先程の餌がブンブン飛び回っていることに気がつき、魔王は大口を開けてすぐにそれを追いかけ始めた。
鳳たちはそんなベヒモスの口から逃げるように空へ空へと舞い上がっていく……もちろん空を飛ぶことなど出来ないベヒモスは、それを追いかけようとして、大口を開けたまま二本足で立ち上がった。
その巨体が月にも届かんという勢いで草原にそびえ立つ。
その時……
ジャンヌはその瞬間を待っていましたとばかりに、隠れていた草むらからさっと飛び出すと、
「総員、構え! 目標、ベヒモスの腹部! 撃て! 撃て! 撃てえぇぇぇぇーーーーっっ!!」
ジャンヌの叫び声が草原にこだますると共に、草原に伏せていたドミニオンの少女たちが一斉に立ち上がり、射撃を開始した。
地面から一斉に撃ち打ち出される無数の光弾が、幾重にも折り重なって、まるで太陽のように眩しく光り輝きながら、ベヒモスの無防備な腹部へと吸い込まれていく……
そしてそれが魔王へと到達した瞬間、火山が噴火したかのような爆音が真夜中の空に轟いて、空中にいた鳳たちの全身をビリビリと震わせた。
ドミニオンたちの一斉射撃をもろに浴びたベヒモスの腹部が膨張し、マグマのように灼熱し始め、それでも止まない光弾の雨あられに、ついにベヒモスは全身から炎を吹き上げ始める。
そんな熱と光の洪水で草原は一瞬にして焦土と化し、逃げ場のない熱が空へと上がり、火柱がうず巻き暗い夜空にぐんぐん伸びていった。
ドミニオンたちは、まるで撃つことを止めたら死んでしまう生き物のように、一心不乱にベヒモスを撃ち続けている。
それがようやく終わった時……ベヒモスは自らの脂肪を燃やす蝋燭のように、ゆらゆらとした炎の中に揺れながら立っていた。
そして魔王は燃え尽きるかのようにその体をくしゃっと曲げると、ズシンと地面を揺らしてその場に崩れ落ちるのだった。
その振動で体のあちこちの皮膚が剥がれ落ち、ぽっかりと空いた腹部からはみ出た半焦げの内臓がべちゃべちゃと気持ち悪い音をたて、周囲に悪臭を撒き散らした。
鼻がひん曲がるような汚物の臭いに耐えきれず、ドミニオンの少女たちの幾人かが鼻を摘んで嗚咽している。
そんな中でジャンヌ一人だけが気を抜かずに、じっとベヒモスを睨みつけたまま剣を構え続けていたが……
「……やったの?」
しかし、そんな彼女が勝利を確信して剣をおろそうとした時、それは起こった。
ピクピクと、その撒き散らされた汚物のような内臓が震えだす。ドクンドクンと心臓が脈打つような巨大な音がその体内から聞こえてきて、そして黒焦げになった魔王の体から、シュウシュウと音を立てながら白煙が上がった。
剥がれ落ちて肉が覗いていたその分厚い皮膚に膜が張り、次々に傷口を塞いでいく……そして眼球を失ったはずの眼窩からボコボコと泡のような吹き出物がいくつもいくつも湧き出したかと思えば、その下からパッと新しい眼球が現れ、それは上下左右にキョロキョロと動いてから、草原に伏せていたドミニオンたちをじっと見据えた。
グェッ……グェッ……グェッ……
まるでカエルのような奇妙な声を発しつつ、その巨体がもぞもぞと芋虫みたいに動き出す。かと思えば、信じられないことにその芋虫からにょきにょきと四肢が生え、ベヒモスはまたその四肢を使って草原に立ち上がった。
体はまだボロボロで、ところどころに空いた傷口から血が滝のように溢れかえり、内臓もはみ出たままではあったが……それでも魔王は立ち上がった。
その満身創痍の姿を前に、ドミニオンの少女たちに残っていたのは勝利の高揚感ではなく、絶望感だけだった。誰かがまた命令もなく射撃を始めたが、そんな単発の攻撃なんかにベヒモスはびくともせず。そしてまた誰かが泣き出し、そして他の誰かが失神した。
ジャンヌはもはや戦意を喪失してしまった部隊の中で、呆然と剣を構えて立ち尽くしていた。ここまでやって倒れない相手に、一体どうやったら勝てると言うのだろうか。ベヒモスを撃退しろといったプロテスタントの口車に乗ったのは失敗だったか……? いや、あの時、彼の言うことを聞かずに逃げ出していても結果は変わらなかっただろう。
我々、人類は弱者だ……魔族が捕食する側なら、人類は捕食される側。ただ、狩られるためだけに存在する、弱い生き物なのだ。
彼女は諦め……そして剣を下ろした。
だが、その時だった。
絶望する少女たちの前に一匹の猿人が飛び出し、魔王の前に立ちはだかると、
「ウオオオオオオオーーーーーーーーッッッ!!!!!」
っと雄叫びを上げて胸をバンバンたたき始めた。そしてその両の拳が彼の胸の前で合わさると、突然不思議な光が溢れ、サムソンの体が金色のオーラを発し始めた。俺はまだやれるぞという気合に、その場に居た誰もが圧倒される。
そしてそれは魔王も同じだったようだ。
ベヒモスは飛び出してきたサムソンにじっと視線を合わせたかと思ったら、飛び出た内臓を地面で擦りながら、じわりじわりと後退をし始めた。そうして十分に距離を取ると、今度はゆっくりと顔の向きを変え、ゆっくりと方向転換し……そして脱兎のごとく逃げ出した。
ドドドドドドド……と、ものすごい地響きを立てて、穴の空いた腹部から何か色んな物を撒き散らしながら、その巨体が猛然と駆けていく。
やがて峠を越えてその姿が見えなくなっても、その足音だけはまだ暫く続いていた。
その音が聞こえなくなるまで、誰一人として動けなかった。
誰もがぽかんと口を開いて、自分の目の前で起きている出来事が理解できずに、呆然と立ち尽くすばかりであった。ようやくそれが自分たちの勝利だと気づいた誰かが安堵のため息を吐くと、それは波のように周囲に伝わっていき、やがて歓喜の渦へと変わっていった。
「やった……やったんだ! 私たちはベヒモスに勝ったんだ!!」
誰かのそんな勝利宣言に、隊員たちは諸手を挙げて喜びの声で応えた。呆然と立ち尽くしていたジャンヌに、隊員の誰かが飛びついてくる。それでようやく我に返ったジャンヌが笑顔で応えると、隊員たちは喜びに酔いしれた。
草原に少女たちの甲高い笑い声が響いている。それは人類が撤退してから、16年ぶりにマダガスカルに響いた喜びの声だった。
だが……それは束の間のことでしかなかった。
やがて喜びがピークを迎えると、彼女らは唐突に虚しさに襲われた。確かに魔王を撃退することには成功したが、それで魔王を倒せたわけではない。相変わらずベヒモスはこの島を占拠し続け、人類が帰還出来る目処は立っていない。今回の犠牲で、人類はまた数を減らした。これが勝利と呼べるだろうか。
と、そんなところへ鳳とアズラエルがやってくる。このプロテスタントと天使の裏切り者……元はと言えば、彼らを逮捕するために彼女らはこの危険な島に入ったのだ。その目標が目の前にいるというのに、ただ手を拱いて見ているだけでいいのだろうか?
ドミニオンの不穏な様子には気づかずに、鳳たちはサムソンのところへ歩いていくと、彼らは親しげに会話をし始めた。そんな彼らの元へ、街から戻ってきた瑠璃が駆け寄っていく。ジャンヌたちドミニオンは、そんな彼らを取り囲むように、ゆっくりと近づいていくのだった。