人間らしさについて
個人的な体験談で恐縮だが、夏に家の近所で老人の孤独死があった。発見された老人は死後一ヶ月くらい経過しており、死体はひどい有様で、つまり、結構な悪臭が立ち込めていたわけだが、それでも発見が遅れたのは、それが結構ありがちな臭いだったからだ。
よく人間の死体の臭いは一度嗅いだら一生忘れないなどと言われるが、確かにひどい悪臭ではあるが、実際にはそこまで耐えられない程でもない。というか、一人暮らしの男性あたりは、割としょっちゅう嗅いでるはずだ。夏の朝にゴミ捨て場の近くを通り過ぎたり、繁華街に流れているドブ川のあたりなどで、なんか嫌~な臭いがする時がある。多分、あなたも嗅いだことがあるはずである、あの臭いだ。
もしどうしても見当がつかないなら、卵を割った殻をビニール袋にでも入れておき、常温で1週間位放置してみればいい。黒い汁が出てきたら頃合いだ。袋を開けたらきっと鼻がひん曲がりそうな臭いがするだろう。腐卵臭とはよく言ったもので、それが死体の臭いで間違いない。
ところで、このように死体を放置していれば腐敗が始まるわけだが、それは現在の地球が生命の宝庫であり、どこからともなくバクテリアがやってきて死体を分解するからである。だからもし、生命の存在しない宇宙空間なら死体はいつまで経っても腐らないだろうし、バクテリアが活動できない極寒の地でも死体は延々と残り続けるだろう。
もしくは、原初の地球でなら、常温でも死体は腐らなかったはずである。
まだ生命の存在しなかった太古の地球の大気は、現在とはまるで違って酸素や窒素は無く、二酸化炭素やメタンガス、水やアンモニアのような、地球以外の惑星でも見つかるような単純な化合物で覆われていたと考えられる。
驚きなのは、科学者たちがそうした太古の地球環境を作り上げて、そこに雷や紫外線のような高エネルギーを与えてやったら、思ったよりも簡単にアミノ酸が生成されたことだった。アミノ酸は生命の構成要素であるタンパク質の材料であるから、かつては惑星中にアミノ酸が見つかれば、そこには生物が存在する可能性が高いと考えられていた。さらには、同じような実験を科学者たちが繰り返した結果、プリンやピリミジンのような有機物も生成された。これは遺伝物質であるDNAやRNAの材料のことである。
そして先に述べたとおり、まだバクテリアが存在しない環境では、アミノ酸やDNAなどの遺伝物質は微生物に分解されることも無く、原始の海の中に蓄積していったのだと考えられる。
深い海の底には雷も紫外線も届かないが、海嶺のような海底火山が密集する場所には、高エネルギーの熱水が吹き出す、間欠泉が存在する。
そしてそんな場所で、最初の驚くべき事件が起こった。
海底火山から吹き出す熱泉の中で、ある日、自己複製する有機化合物が誕生したのだ。とても信じられない出来事であるが、数億年という長い年月を考えればそういったイレギュラーが起こることも十分に想像できるだろう。
というか、もう既に答えを知っている我々からすれば、DNAやRNAのような遺伝物質が豊富にある状況で、それが起こったと考えるのは自然なことだろう。しかも、そのイレギュラーはたった一度だけ起こればいいのだ。
ある日、原始の海の中で唐突に誕生した自己複製する化合物は、すぐに周辺にあった自分と似た分子構造を持つ材料を使って、自分を複製しまくったはずだ。ここは原始の海だから、彼を邪魔するものはどこにもいない。すると広大な海の中に誕生した、たった一個の自己複製する化合物は、爆発的な速度で増えていっただろう。
そして、爆発的に増えればまたイレギュラーは起きやすくなるものである。またある日、その化合物は自分を複製している最中に、ほんの少し間違いを犯してしまった。それは些細なもので、普通ならそのまま消えてしまうか、再度自己複製する際に訂正されていただろう。
だが、もしもその間違いが、たまたま環境に適応して、いつも通り増殖するよりも、たまたま優れた結果を残したとしたらどうだろうか? その後はその間違いを犯した化合物の方が、多く生き残っていくかも知れないではないか。
つまり、これが最初の突然変異と自然淘汰と考えられるわけである。
そして初めての自然淘汰が成立した時、新たに生まれた化合物が自己複製の材料にするのは何だろうか? 元から原始の海にあった材料の他に、自分の親とも呼ぶべき古い化合物も材料になりうるだろう。
たった今まで誰にも邪魔されること無く増え続けていた化合物は、こうして捕食される側に回ってしまったのだ。
もちろん、捕食される側もそのまま手を拱いていることはないだろう。例えば捕食側よりも早く自己増殖することが出来れば、絶滅は避けられるだろうし、もしくは、また新たな突然変異が起こって、自分の体を守る機能を獲得したかも知れない。
真っ先に考えうる変異は、自分の体にアミノ酸を取り込んで自己複製する機能を利用してタンパク質を作り、その殻の中に入り込んでしまうことだ。こうしてしまえば、捕食者は頑丈なタンパク質の殻を突破しない限り、餌にありつけない。
こんな感じに突然変異を繰り返して、原初の海で最初の生物は生まれたのだろう。
ところで、エネルギーが無ければ化学反応は起こらない。だから今までの出来事は、全て一つの火口付近で起きたと考えられる。まだ生命は餌を獲るために自由に動くことが出来ないのだ。すると最初は豊富にあった熱泉近くの遺伝物質やアミノ酸はどんどん失われて行き、古細菌たちはあっという間にどん詰まりに行き当たってしまっただろう。
材料がなくては自己複製出来ない。だから次に起こったのは、捕食する方法や対象を変えることだった。
まず考えられるのは、確かに彼らのいる火口付近にはアミノ酸などの材料はなくなってしまったが、別の場所ならまだたくさんあるはずだ。だから何らかの方法でその熱泉から飛び出し、海流などを利用して別の熱源へ移動しようとする個体が生まれただろう。殆どの個体は移住に失敗するだろうが、数億の同胞の内、たった一個が新たな熱源にたどり着ければ、そこはパラダイスだ。
それから『アミノ酸がないなら炭素や窒素を食べればいいじゃない』とばかりに、二酸化炭素やアンモニアから新たにアミノ酸を作り出す細菌も生まれたに違いない。彼らは二酸化炭素から炭素を取り込み、酸素を排出したはずだ。すると海中の酸素濃度はどんどん増えていくことになる。
ところで酸素は色んな物質に結合したがる性質が強く、生まれたばかりの古細菌たちにとっては、言わば毒みたいなものだった。だから殆どの古細菌は酸素を嫌ったが、そのうち、その酸素を使ってエネルギーを生み出そうとする変わり種が現れた。
細菌たちはアミノ酸を作る過程で、
しかし炭素を燃やしてエネルギーを得るのでは効率が悪い。二酸化炭素=炭素+2酸素+エネルギーの反応では、あんまりエネルギーが得られないのである。そんなに炭素を蓄えては居られないし、それに炭素はエネルギーを取り出すだけではなく、他の色んな化合物の材料にもなる。
もっといい方法はないものか……そうやって細菌達が色々試しているとき、彼らは高エネルギーリン酸結合(ATP)というものを発見した。
ATPはざっくり言えば、水(H2O)を使って大きな運動エネルギーを獲得する事ができる化合物である。筋肉の収縮に使われてるので名前くらいは聞いたことがあると思うが、それを使えば細菌たちは海の中を自由に動き回ることが出来る。
問題は、高分子化合物は作るのが困難なことであるが、好都合なことに、この頃になると、このATPを作るのを非常に得意とする細菌が誕生していたのである。言わずと知れたミトコンドリアだ。
ミトコンドリアは、他の細菌が酸素1に対してATPを1しか作れないとしたら、その二倍の生産力を誇る細菌だった。つまり他の細菌が苦労して酸素を調達してきても作れるATPは1なのに対し、ミトコンドリアは2作れるのである。思わず進次郎構文で書いてしまうくらい、それは画期的なことだった。
だったら、自分たちで生産するよりも、ミトコンドリアに頼んでATPを作ってもらったほうが効率がいいだろう。代わりに、自分たちがあちこち飛び回って酸素を持ってきてやれば、ミトコンドリアも大助かりだ。
なんなら、動けないミトコンドリアを自分たちが運んでやれば、もっと効率がいい。いっそのこと、自分の体の中に取り込んでしまったらどうだろうか? こうしてあらゆる生命の、ミトコンドリアとの共生が始まったのである。
さて、こうして酸素を利用することで自由に動き回れるようになると、今までは深海の火山帯でしか活動できなかった細菌たちは、飛躍的に活動範囲を広げていった。
そうして生命が勢力を拡大していくに連れ、海中に溶け込んでいた二酸化炭素の濃度はどんどん低下していき……やがて大気中の二酸化炭素濃度まで低下してくると、それまで温室効果ガスで満たされていた地上は晴れ渡り、太陽光線が海の中にも届くようになっていった。
すると海面近くにまで上がった微生物たちは、その太陽エネルギーを利用して光合成を開始し、地球の生命の活動範囲は、深海から近海の浅瀬へと変わっていった。
そしてこの頃、シアノバクテリアを先祖とした藻類などが繁栄していき、それはコケ類やシダ類、植物となって地上へと進出……ついに地球のあらゆる場所に生命は広がっていったと考えられている。
ただし、植物の地上進出はいいことばかりでもなかった。捕食者が居ない地上で繁栄した植物は、光合成をして二酸化炭素を酸素に変えたわけだが、大気中の二酸化炭素の量にも限界がある。
やがて大気中の二酸化炭素の殆どが失われてしまうと、光合成生物は大打撃を受けた。それだけではなく、温室効果ガスを失った地表の冷え込みは致命的なものがあり、この時期、地球は二度の
全球凍結とはその名の通り、地球の全地表が氷に閉ざされてしまう現象のことである。高いところでは1万メートルにも及ぶ、ぶ厚い氷に閉ざされて、せっかく増えた生命はこの時期に殆どが失われてしまった。
しかし、そんな状況でもしぶとく生き残ったものもあり、彼らは洞窟の奥で冬眠状態で生きながらえたり、また原初のように海底火山の熱泉へと帰っていったと考えられている。
さて、こうして一度は地球全体に広がっていった生命は、また原初の海である海嶺へと戻ってきてしまった。ところでこの時に帰ってきた生命は、飛び出していった時よりも、遥かに種類が多くなっていたはずである。
そんな多種多様な生命が、深海の、海嶺という狭い閉鎖環境にギュッと押し込まれたのだとしたら、それはそれは大変な生存競争が繰り広げられたことだろう。
そして全球凍結が終わった後、そんな過酷な環境を生き延びた生命がまた世界中に広がっていったとしたら、新たな生命たちは全球凍結前よりもずっと強くて、ずっと多様な形質を獲得していったに違いない。地球はその全球凍結を二度経験したのだ。
そして二度目の全球凍結が終わったとき、地球上に突然多種多様な種族が出現し、なんと現在の種族の祖先たちが、いっぺんに出揃ってしまった時期があった。いわゆるカンブリア爆発とよばれる現象である。
ただし、カンブリア爆発は全球凍結が引き起こしたのではなく、例えば古生物学者のアンドリュー・パーカーは、この時期に誕生した『眼』を持つ生物である『三葉虫』の登場が、カンブリア爆発の直接の切っ掛けだという仮説を唱えている。
ドラえもんがいるわけじゃないから、本当のところは分からない。だが、三葉虫の登場がある意味、種の淘汰圧をかけたのは間違いなかった。眼を持つ生物は他の生物を一方的に見つけて捕食することが出来るから、急激に勢力を拡大していくのは間違いないだろう。それに対抗するには、他の生物も同じように『眼』を獲得するか、簡単には食べられないように身を守るしかない。こうしてカブトエビなんかの甲殻類が誕生したのだと考えられる。
地球上の生態系は、カンブリア爆発を経て、元からあった資源の奪い合いから、生物同士の食うか食われるかの戦いへと変わっていった。地上に進出した植物たちは光の奪い合いでどんどん巨大化していき、それを追いかけるように動物たちもまた大型化していった。
しかし、ただ大きければいいというわけでもない。体を大型化していくことで、一度は地上の覇者となった恐竜たちは、メキシコ湾に落ちた巨大隕石が引き起こした長い冬の間に、ほぼ絶滅してしまった。(完全に絶滅したわけではなく、今では鳥になって生き延びたのだと考えられているが)
この時に生き延びたのは、体は小さくても自分で体温を調節できる恒温動物だった。体温を調節するには、そうするだけのエネルギーが必要になるから、その機能を持つことは巨大化競争の中では不利に働いたであろう。だが、一度冬が訪れたら、こっちのほうが有利に働くわけだ。適者生存とはこういうことである。
そして恐竜が居なくなった後、地上に広まっていったのは哺乳類だった。(因みに、インドネシアとメラネシアの深い海峡で分断されて、南半球ではいわゆる有袋類として進化している)
哺乳類は様々な生存戦略を獲得する上で、子供が成長するのに時間がかかる。だから子供は母親の胎内で、ある程度成長してから生まれ、更に生まれてから数年は親が面倒を見なくては生きられないような弱い生き物だった。だが、それが成長した時、環境に適応する能力は群を抜いている。
人間はその中でも特に脳が発達したせいで、母親の胎内で十分に成長することが出来ず、抜きん出て幼年期が長い哺乳類である。他の哺乳類は生まれてすぐに立ち上がることが出来るのに、人間の赤ちゃんは1年位は立つことも出来なければ、食事も出来なければ、おしめも取り替えてあげなければいけない。
ものすごい手間がかかるが、その代わりに成長した時、火を使い、道具を作り出し、言葉を交わして、情報を交換するという、他の動物には見られない特徴を持っているのは人間だけである。他の社会的動物にも情報交換をする種は見られるが、人間みたいに限定的でない情報を細かく伝えられる種は存在しない。
これらの能力のお陰で、ついに人間は万物の霊長として君臨し、どんな動物であっても危害を加えることは出来なくなった。天敵がいなくなったせいで、人間同士で争うようになってしまったが、二度の大戦を経て、21世紀現在は概ね平和に暮らしている。
人口も増え続けており、恐らく昆虫を除く地上の動物の中で2番目に数が多いのは人類ではなかろうか。(因みに一番は鶏)
そして4章の冒頭でも述べたようにその数は今も増え続けており、来世紀には100億を超えるだろうと予想されている。その予想がどうなるかはわからないが、まだ暫く世界人口は増え続けるであろう。
さて……ところでどうして人間は増え続けているのだろうか?
無闇矢鱈と増え続けた先に、一体何が待っているのか?
そもそも人間らしさとは何なのか?
ここまで、長い長い地球の歴史を振り返って来たわけだが、我々人間が増え続けている理由は、どうやら原始の海の中で遺伝子が自己増殖を始めたのが発端らしい。
プリンやピリミジンの塩基配列をコピーするために、生物は自己増殖を繰り返して、自分の遺伝子をばらまき続けた。それがどんどんエスカレートしていって、やがて目が発達し、骨格を得て、脳を獲得し、人間が誕生したわけだが、こうして振り返ってみると、その目的は最初から何も変わっていないのである。
大体40億年くらい、地球上の生物は遺伝子をコピーすることに時間を費やしてきたのだ。
実際に人間の行動は、概ね食欲と性欲で説明がついてしまう。我々が食べ物を食べるのは、そうすることで古くなった細胞(その核の中の遺伝子)を入れ替えるためだし、綺麗な姉ちゃんとヤリたいのは自分の遺伝子をコピーしたいからである。
その欲望に際限がないことは、アメリカのすげえデブを見れば何となく分かるだろう。チャーリー・シーンは自分がエイズと知りながら、セックスするのをやめられなかった。彼らがセルフコントロール出来なかったのは、それが本能に根付いている行為だからだ。
だが、裏を返せば、自分がどんな衝動に突き動かされているのかを理解していれば、我々は本能をコントロールすることだって十分に可能なはずだ。
実際、我々はいくらでもカロリーを摂取できる環境にいながら、食べる量を減らして理想的な体型を維持することが出来るし、人工中絶をすることで生まれてくる子供の数を調整もしている。
そして我々はオナニーをすることで、増えたい増えたいと本能に働きかけてくる遺伝子を欺いてさえいるのだ。賢者モードとはよく言ったもので、我々は先にオナってさえいれば、結構な誘惑にも耐えられるのだ。あの芸人も多目的トイレにお姉ちゃんを呼び出す前にオナっていたら、こんなことにはならなかっただろう。
我々を含む地球上の生命は、大体40億年くらい、ずっとただの遺伝子の乗り物だった。ただ遺伝子を増やすために行動し続けてきたのだから、その本能が命じるところに逆らうのは非常に苦痛で難しい。
だが我々人類は、その40億年もの長い歴史の中で、遂にそれに逆らう術を獲得してきたのである。なのに他の動物と同じことをいつまで続けているのだろうか。実際問題、あなたの細胞の中にある遺伝子のコピーを増やすことに、どれほどの意味があるのだろうか。
子供を産むことが無意味だと言っているわけじゃない。子供はとても可愛いし、どちらかと言えば私も欲しい。重要なのは、なんで子供が欲しいと思うのか、もっとよく考えろということだ。
うっかり出来ちゃったから責任(出来ちゃった時点で無責任なわけだが)を取って結婚したとか、なんとなく結婚したらみんな産んでるからとか、そんな漠然とした理由だったりはしないだろうか。
日本では結婚したカップルの3組に1組がその後離婚しているという。小さな子供の虐待死のような痛々しい事件も後をたたない。アメリカも似たりよったりみたいだが、先進国で教育を受けた良い大人がこの体たらくである。
人間らしさと言うが、生まれてくる子供の人間らしさはどこにあるのか。あなたは本当に遺伝子に操作されていないのか、もう一度良く考えた方がいいだろう。40億年は伊達じゃないのだ。
話が脱線したが、説教臭い話はこれくらいにして……繰り返し問うが、あなたは自分の遺伝子のコピーをそんなに増やしたいのだろうか? 子供が出来たとしても、それは減数分裂したあなたの遺伝子の半分しか持っておらず、姿形はとても良く似ているが、他人であることは言うまでもない。
そもそも、あなたの遺伝子はあなたの両親の遺伝子でもあるのだし、あなたの両親の遺伝子は祖父母の遺伝子でもある。あなたの両親があなたの言うことを聞いてくれなかったように、あなたの子供はあなたの言うことを聞かないだろうし、いい子に育つとも限らない。あなたは自分の分身を作ったつもりかも知れないが、子供は絶対に分身ではない。
あなたはその子に自分の何を受け継がせたかったのだろうか。自分の性格だろうか? 学力だろうか? それとも容姿だろうか? 音楽やスポーツの才能だろうか? まあ、そういう部分も少しはあるだろうが、ほとんどの人は、ただ健康に育ってくれればそれだけで良いというような、優等生的な答えを返すのではなかろうか。
何故なら、冷静に考えても見れば、我々は自分の姿かたちを自分の子孫に残したいなんてことは、これっぽっちも考えちゃいないからだ。
足の指の形とか、眉毛の形とか、目の色とか、そんなのどうでもいいはずだ。ハゲの遺伝子に関しては、出来れば受け継がないで欲しいと思うだろうし、多分、性格面でも、あんまり似てほしくないなと思っているのではないか。殆どの人は、自分の良いところよりも、嫌な部分が遺伝してしまうことの方を恐れているはずだ。もしそうなるくらいなら、いっそ自分なんかに似てなくていい。
そんなことよりも、その子が生まれて来てよかったと思えるよう、健やかに育って欲しいと、そして自分が死んだ時、その子が心から悲しんでくれるようにと、誰もがそう願っているのではないか。
つまり実は我々は、自分の『姿形や性格』の遺伝なんてものにはさらさら興味は無くて、寧ろ残したいと思っているのは自分に関する『記憶』、思い出なのである。
そして人間とは、その記憶を脈々と受け継ぐことが出来る、唯一の生命体と言えるだろう。
生物学者のリチャード・ドーキンスはその著書『利己的な遺伝子』で、我々人類はもうただの遺伝子の乗り物ではなくて、情報の乗り物になったのではないかと主張した。そして細胞の複製因子である
もちろんミームとはそういう物質が存在するわけではなく、それは架空の因子であるが、我々人類が情報を複製する何かを持っていて、それを子孫や後世に伝えていると考えるのは、これまでの科学の発展を考えるとわかりやすいし詩的でもある。
我々人類は歴史を通じて、
そう考えれば、昨今の少子高齢化もそれほど怖くないのではないか。確かに人口は減り続けるかも知れない。だが、それを補って余りある情報を後世に遺していけるのであれば、それで十分なのだ。
後世の人々は、その情報を未来へ繋いでくれる。そう思えば、我々も生まれてきた意味が少しはあったと言えるだろう。
我々が死ぬと、どこからともなくバクテリアがやって来て、タンパク質を分解し、遺伝子を溶かし、腐卵臭が立ち込めて、管理人がやってきて、ギャーと叫ぶ。死体は運び出されて、掃除屋がやって来て、そこに物質的な物は何一つ残らないだろう。
だが、我々が生きていたという情報は残る。
それがちゃんと残るように、この人生を生きていくべきである。