白い砂浜を素足で踏むと、キュッキュッと音が鳴った。混ざりものがない純粋な石英の砂が共鳴する音だと言われているが、本当のところはよく分かっていない。そんな不思議な音を聞きながら、鳳は海岸線に沿って歩いていた。寄せては返す波打ち際は、水面から顔を覗かせる度にぽこぽこと気泡が立っていて、ところどころに小さな穴が空いているようだった。そこに白い波頭が砕けて、まるで吸い込まれているように見えた。
こっちの世界に出かける前、クレアはお土産に綺麗な宝石や貝殻が欲しいと言っていた。だからそんな貝殻の一つでも落ちていないかと歩き回っていたのだが、目当てのものよりも先に、生きたハマグリの方が見つかりそうな気配である。
気泡を頼りに砂をほじくり返していたら、案の定ころころした二枚貝が転がり出てきた。丁度小腹も空いてきたことだし、いくつか拾って焼いてみようかと、当初の予定を忘れて一心不乱に砂浜を掘っていると、突然、頭の上から影が差した。
「何をしているんですの?」
その声に振り返れば、ドミニオンのポニテこと宮前瑠璃が鳳の肩越しに波打ち際を覗き込んでいた。彼は拾った二枚貝を手のひらの上で転がしながら、
「綺麗な貝殻を探してたんだけど、いつの間にか潮干狩りに夢中になってた」
「へえ、貝殻を集めるのが趣味なんですの? 意外とロマンチストでしたのね」
「いや、別に集めちゃいないんだけどね。元の世界に残してきた人のお土産用にさ、ちょっと探してたんだよ」
「元の世界……?」
「ほら、言っただろ? 俺は元々この世界の住人じゃないって。まあ、信じる信じないは勝手だけどさ」
「そう言えば、そんなことを言ってましたわね……いえ、信じていないわけではないのですが」
「そんなことより、せっかくだから焼いて食っちまおうぜ。隊から調味料を分けてもらえないか? バターと、出来れば酒もあれば嬉しいんだけど。お願いできるかな」
「お安い御用ですわ。すぐに聞いてまいりましょう」
「砂抜きもしたいから、ゆっくりでいいぜ」
鳳はそう言うと、また波打ち際の砂をほじくり返し始めた。瑠璃もそれを手伝おうとして、何度かその背中に話しかけようとしていたが、結局はその後姿を見つめるだけで何も言えずに踵を返すと、ため息混じりにその場を後にした。
瑠璃は思った。そう言われるまで考えもしなかった……彼は元々この世界の住人ではないのだ。目的が何なのかは良くわからないが、それが終わってしまえば、いつか必ず彼は元の世界に帰らなければならないのだ。
彼女はそのことを考えると自分の気持ちが沈んでいくのを感じていた。自分は一体どうしちゃったのだろうか……
「瑠璃! どうしたんだい? あいつに何か言われたの?」
瑠璃がため息混じりに帰ってくると、彼女のことを待ち侘びてそわそわしていた琥珀が慌てて駆け寄ってきた。
ベヒモスを撃退した夜、彼女らドミニオンは、鳳たちプロテスタント勢力と行動を共にするということが決まったのだが、だからといってすぐに仲良くなれるわけもなく、その後も部隊員たちは鳳たちを遠巻きにして近づこうとはしなかった。
そんな中で唯一、瑠璃だけが積極的に彼らに近づいていたのだが、日に日にその態度が親しげなものに変わっていく姿は、琥珀を不安にさせていた。
一時的に共闘関係になったとはいえ、相手は人類の敵である。もしも瑠璃がそのことを忘れてプロテスタントに染まってしまったら、その時、自分はどちらの味方をすればいいのだろうか……
元気のない瑠璃を前に琥珀がオロオロしていると、彼女はそんな琥珀の様子に気づきもしないで、ため息混じりにこう言った。
「私……この頃、少し変ですの。あの方と話をしていると、動悸と目眩がしてきて、なんだか自分が自分でなくなってしまうような気分になってしまうんですわ」
「え!? まさか……好きになったなんて言うんじゃないよね?」
「そう……そうかも知れませんわ。考えたくはなかったのですが」
「そんな! だって君はジャンヌ隊長のことが好きだったんじゃないの!?」
「ええ、もちろん今でもお慕いしておりますわ。でも……あの方が男性だと知った時から、私の心が日に日にあの方に傾いていくのを、どうしても止められないんですの。あの方とジャンヌお姉さま……どちらとの将来を描いていきたいのかといえば、今はもう、彼のことしか見えないんですわ」
その言葉を聞いて、琥珀は目の前が真っ暗になった。瑠璃とは子供の頃から家族同然に育ち、いつからか自分の妹みたいに思っていた。出来れば、一生のパートナーになって欲しいとも思っていた時期もある。だが、彼女がジャンヌ隊長のことを意識するようになってからは、姉らしく、自分の気持ちを封印して彼女の応援に徹していたのだ。その方が、彼女が幸せになれると信じていたから……
なのにこんなぽっと出のプロテスタントの、しかも男なんかに心を奪われるなんて……彼女はギリギリと血がにじむくらい奥歯を噛みしめると、ついに堪えきれなくなり叫んだ。
「そんなの不潔だよ!」
「えっ!?」
瑠璃は、琥珀の思ったよりも強い拒絶の言葉に、驚いて顔を上げた。
「だ、だって、君は彼が男だから好きになったんでしょう……? それって、もしも男じゃなかったら好きにならなかったってことじゃないか。相手のことをよく知らずに、ただ男だから好きになるなんて……そんなの絶対間違ってるよ!」
「そ、そうでしょうか……」
琥珀はいつも自分の味方だと思っていた瑠璃は、彼女の拒絶反応に戸惑った。こんなに強く、彼女のことを否定してくる琥珀を見るのは初めてかも知れない。故にその言葉は彼女の心に強く響いたが……だが、瑠璃は首を振ると続けた。
「でも……それだけじゃないんですわ。あの方とは、このマダガスカルに流されてきた時からそこそこ長い付き合いですし、その間に少しはお互いのことを知ることも出来ましたし、それに男性であるあの方とお付き合いをすれば、私も赤ちゃんが産めるって言うじゃないですか。それは魅力的ですし……」
「それが不潔だって言ってるんだよ。それじゃ今度は、彼の人間性ではなくて、彼のその……生殖能力が好きって言ってるみたいじゃないか。そんな不健全な付き合い方をするくらいなら、いっそ僕と付き合ったほうがまだ健全だよ!」
琥珀は思わず心に秘めていたはずの本音を言ってしまうくらい取り乱していた。しかし、彼女のそんな思い切った言葉を、瑠璃はまったく気にせず言い放った。
「でも、琥珀とお付き合いをしても、女同士では赤ちゃんが産めないじゃないですか。そっちの方が不健全なのでは?」
「ぐはああ!」
「それに、男だったら誰でも良いって言ってるわけじゃありませんの。もしも私が赤ちゃんを産むなら、彼の子がいいと思える自分がいるんだと、そう思うのですけど……」
その言葉は、琥珀に止めを刺した。彼女は轢き潰されるカエルみたいな悲鳴を上げると、顔色はみるみる青く染まっていき、まるで死人のようにぐったりしてしまった。瑠璃は突然の幼馴染の乱心に戸惑い、一体何が起きているのかとオロオロしていると、すっと小さな人影が近づいてきて言った。
「さっきから黙って聞いてたけれど……それは瑠璃が間違ってるわ」
「桔梗!?」
「人間性だとか、子供が産める産めないとか、そんなの関係ないわよ。そんなことより問題なのは、あいつがプロテスタントだって言うことよ。もしも瑠璃があいつのことを好きになって、あれの子供を産んだとしても、生まれてくるのはプロテスタントの子供なのよ? そんなレッテルを貼られた子供がまともに育つと思う?」
「それは……」
「あなただってタダじゃ済まないわ。忘れないで、瑠璃。プロテスタントは人類の敵なのよ。その事実が覆されない限り、あいつに肩入れすることは、あなた自身の評判を貶める行為よ。それでももし、どうしてもあなたがあいつの子を産みたいっていうなら……私はあなたと絶交する。そのくらいの覚悟を持っていてちょうだい」
瑠璃と琥珀の会話に割り込んできたのは、もうひとりの幼馴染の桔梗だった。彼女は三人の中でも一番背が低く、ツインテールで幼い顔をしていたが、今の彼女はまるでそれだけで人が殺せそうなくらい、ギラギラとギラついた目で遠くの鳳を睨みつけていた。
瑠璃はそんな桔梗の迫力に気圧されて何も言えずに生唾を飲み込んで押し黙った。彼女にとって、琥珀と桔梗はかけがえのない仲間だ。自分の気持ちとどちらを取るのかと言われたら、今までだったら迷うことなく彼女らとの友情を取ると言っただろう。
だが、今の彼女はそのどちらも選べなかった。それくらい、自分がおかしくなっているんだなと気づいて、瑠璃は胸が苦しくなった。
一方、桔梗の言葉で我を取り戻した琥珀は、逆に顔面蒼白になってしまった瑠璃を慮って、
「僕は仮にそうなったとしても、瑠璃のことを嫌ったりはしないよ。でも、桔梗が言う通り、後ろ指さされることは確かだ……そうならないよう、瑠璃には考え直して欲しいな」
「ええ……二人が私を心配して言ってくれてるのは分かっていますわ」
瑠璃はそう言ってシオシオと肩を落とした。琥珀はそんな彼女の肩を優しく抱いて、元気を出せよと慰め始めた。桔梗はそんな二人をちらりと横目で一瞥してから、また目の前の敵に向けていつまでもいつまでも憎悪のこもった視線を浴びせかけていた。
(あの野郎……)
うかつにも津波に流されてしまった瑠璃を保護してくれたことには感謝するが、それをネタに恩着せがましく瑠璃と琥珀の間に割り込んでくるなんて……絶対に許せない! 彼女は歯ぎしりをして唾を吐き捨てた。
桔梗は女の子同士がイチャイチャしている姿を、自分は傍観者の立場で、こっそり見ていることが好きだった。二人の間には、仮にそれが自分であっても、決して入ることは許されないのだ。何故なら百合が美しいのは、それが混ざりものがない純白だからだ。そこに何かの色が混ざるなんてことは、ましてやそれが男だなんて……断じて許されることではない!
桔梗は特に幼馴染である二人の関係性(を眺めるの)が好きだった。小さな頃から、どこかぼんやりしていて落ち着きがない瑠璃のことを、ボーイッシュで気が強く元気ハツラツな琥珀がぐいぐい引っ張っていく姿を、後ろから(こっそり)追いかけていくのが好きだったのだ。
そしてぼんやりしている瑠璃の面倒を見ている内に、いつしか放っておけない妹分に惹かれていく琥珀……そんな二人がドミニオンになるため士官学校に入学し、ジャンヌ隊長と出会い、隊長相手にあっけないほど簡単に恋に落ちてしまった瑠璃にイライラしながら、それでもその気を惹こうとして隊長に突っかかっていっては幾度となく返り討ちに遭い、子供の頃から一度として挫折を味わったことのない琥珀の心が折れて闇化、一時期は手のつけられない荒くれ者として界隈に名を轟かせた琥珀のことを、決死の覚悟で迎えに行った瑠璃。そんな瑠璃がドジを踏んで琥珀のライバルに拐われてしまい、盗んだバイクで走り出す琥珀にそれは犯罪だからと言って止める隊長。殴り合いの末にダブルノックアウトで倒れた二人はお互いの力を認めて共闘。そんな二人にならず者たちは為すすべもなく返り討ちにされ、やっとのことで助け出された瑠璃は感極まって一直線にジャンヌ隊長の胸に飛び込んでいくのであった。幸せそうな瑠璃の表情、そして彼女に抱きつかれて少し困惑気味のジャンヌ隊長。そんな二人の姿を目の前で見せつけられて、ああ、自分は何一つ隊長に敵わないのだと負けを認め背を向ける琥珀。と、その背中に突き刺さる、私を越えたいのであれば、今のままじゃダメダメよの声。その言葉にはっと顔を上げて、ようやく前を向こうと思い直した琥珀は、純真だった子供の心を取り戻して、そして二人は士官学校でも類を見ない優秀な成績で飛び級で史上最年少のドミニオンとして卒業していくのだった。
うほー! たまんねえ! 最後の方はちょっぴり(?)妄想が入ったけれど……瑠璃とジャンヌ隊長、そんな二人の尊敬する友人たちの仲を認めて一度は身を引きながら、それでもまだ瑠璃のことを諦めきれずに事あるごとに気を引こうとしてしまう琥珀。そんな彼女がついに僕と付き合ってなんて言い出すとは……なのに! そんな甘酸っぱい三角関係を、あの男が何もかも台無しにしてしまったのだ。こんなことが許されてなるものか!
実を言えば、おかしくなったのは瑠璃だけではない。あれが男だと発覚してから、部隊内のあちこちの百合カップルも動揺し始めているのだ。それまで仲睦まじかった女同士が、自分たちの関係に疑問を抱き、ギクシャクしたり、些細なことで口論を始めているのだ。何故? 我々は女同士でくっついているのだろう……? たった一人の男が現れたというだけで、彼女らのアイデンティティが揺らいでしまったのだ! 気の早いことに、中には別れを口にするカップルもいる。このままでは、落ち着いて女の子同士のイチャイチャを眺めていることが出来なくなってしまう!!
(よし……あいつ、殺そう)
桔梗は決意した。あの男がいる限り、彼女の幸福だった日々はもう戻ってこない。女同士のラブストーリーは突然に、天変地異のごとく理不尽に打ち砕かれてしまったのだ。プロテスタント? 人口減少? そんなの関係ねえ! そんなことよりも落ち着いて百合カップルを眺められる日常が帰ってくることの方がずっと大事だ。アズラエルもろくなことをしなかったが、あの男は更に最悪だ。これ以上、美しい女同士の愛情が揺らいでしまう前に、早くなんとかしなければ……!!!
桔梗はギラギラとした視線を浴びせながら、頭の中ではそんなことを考えていた。鳳はその鋭い視線を何となく横目で感じながらも、調味料はまだかなあ……と、砂抜きをしながら、瑠璃の帰りを呑気に待っていた。