バケツにぶっ込んでいた二枚貝が順調に砂を吐いていた。熱した石の上で焼いて、貝殻をお皿に酒を垂らして、焼き上がったらバターを落として食べれば、きっと濃厚な旨味が染み出してくることだろう。醤油やレモン汁があれば尚良いのだが、流石にこんな秘境で贅沢は言ってられない。塩とバターだけでもあるだけマシなのだ。
瑠璃はまだだろうか……その調味料を調達しに行った彼女は、友達二人に捕まって何やらごちゃごちゃやっているようだった。なんとなく見た感じ、琥珀は瑠璃のことが好きで鳳に近づいて欲しくないっぽいことは分かっていた。だから仕方ないかも知れないが、意外なのはもう一人の桔梗の方も、露骨に鳳に敵意を向けてくることだった。
その瞳は寧ろ琥珀よりも鋭くて、まるで不倶戴天の敵でも見ているかのようだった。だから、最初は何でそんなに敵意剥き出しなんだろうと思っていたが……考えても見れば彼女らは元々この世界の神に仕える戦士なのだ。
思い返せば、海の上で始めて会った時、憎悪の籠もった目でアズラエルのことを突き刺していたのは彼女だった。そう考えれば、彼女にとってプロテスタントである自分は、今でも憎むべき人類の敵なのかも知れない。一緒にベヒモスを倒したからと言って、すぐ受け入れられるほど簡単じゃないのだ。
そんなことを考えつつバケツを覗き込んでいたら、いつもの呑気そうな足取りでふらふらとミッシェルがやってきた。
「やあ、タイクーン。今日の献立はクラムチャウダーかい? 僕はあれが好物でね」
「こんな秘境で、そんな手の込んだものは作れませんよ。小腹がすいたから適当にバーベキューでもしようと思ったんですけど、調味料分けてもらおうとしたらルリルリが捕まっちゃったみたいで。どうやら、俺はまだまだ嫌われているようですよ」
「そうかい? そんなこともないと思うけど」
ミッシェルは彼らのことを遠巻きに見ているドミニオンたちをぐるりと見回し、
「何人かの子は君に興味津々のようだけどね」
「俺っつーか、生殖細胞にでしょう」
「そうかも知れないけど」
「交渉材料にしといてなんですけど、それだけ切羽詰まってるんでしょうね。見ず知らずの男の子供でも、産まれないよりはマシなくらいに」
「人類滅亡の瀬戸際だよ。そこへ現れた君は救世主みたいなものさ。考えようによってはいくらでも女の子を抱き放題なんだから、人によっては嬉しくて仕方ないだろうに、君はあんまり乗り気ではないようだね」
「そりゃあ、まあねえ……一応、こう見えて所帯持ちですから」
妻に何も言わずに行動しているのだから、考えようによってはただの浮気でしかないのだし、仮に精子の提供だけに留めたところで、隠し子をわんさと作っていることに変わりはない。それに、結婚してまだ子供がいないアリスのことも気がかりだった。彼女のことを思えば、自分の行動は少し軽率だったかと思いもするのだが……
鳳はブンブンと頭を振った。どちらにせよ、ここまで来て立ち止まっているわけにはいかないのだ。妻や子供たちのことを思えば、それこそ一日も早く元の世界に帰らねばならないのだから。
「それにしても、いきなり四大天使と交渉しようとは、ずいぶん思い切った手を考えたものだ。流石勇者と呼ばれるだけはある豪胆ぶりだよ」
「そんな褒められたもんじゃないですけどね。っていうか、何の相談もせず、ミッシェルさんまで巻き込んでしまって申し訳ありません。出来ればこのままパースまでついてきて欲しいんですが……」
「もちろんそのつもりだよ。島でロハス生活を続けるより楽しそうだ。それに、君といたほうが食生活も充実しそうだしね」
ミッシェルは砂を吐き出す二枚貝を見ながら、
「それで、四大天使とは何を話し合うつもりなんだい? いきなり敵の懐に飛び込むんだ。それなりに勝算があってのことなんだろう」
「ケーリュケイオンを見つけるための情報が欲しいんですが……それよりなにより、ギヨームが生きていないか確認をしたくて」
ミッシェルは意外そうに顔を上げた。
「おや。君は彼が生きていると思うのかい?」
「こっちに来てからずっとアズにゃんのことを見てたんですけど、彼女は人間たちに何をされても無抵抗なんですよね。ドミニオンの子たちも、天使が人間に手を出すのはタブーだって言ってたし……こうしてジャンヌが生きているのを考えると、もしかして四大天使は人間であるギヨームに手を出せなかったんじゃないかと思って」
「ははあ……その可能性はあるかも知れないね」
「っていうか、ミッシェルさんの占いでそういうのって分かりませんかね」
「ふむ。占ってみようか」
ミッシェルはそう言うと、流木の枝を使って砂浜に何かを書き始めた。なんとなく漫然と描いた円の中に、ちょこちょこと文字やら点やらを書き加え、時折ふんふんと鼻を鳴らしながら何かを考え込んでいる。そして彼は、やがて何かに納得したかのように、その円の周りをぐるぐると指差しながら、
「うーん……極寒の地、大きな氷塊、意思、焦燥、黒い雲、その渦巻のなかに、煌めく金の弾丸が迸っている。君は天使を従えて、その何かと戦っているようだ。大勢の天使が君を支えて、相手は魔族……それに、ここはどこだろうか?」
「弾丸? え? それギヨームのことですか? っていうか、俺、そいつと戦ってるんですか??」
ミッシェルは困ったように地面を突きながら、
「そう見えるねえ……君の周りには天使が見える。つまり、天使を従えた君と、魔族を従えたギヨーム君が戦っている……ってことかな?」
「はあ!? そんなバカな! どうして俺とギヨームが戦うようなことが……つか、あいつが魔族と? なんで? 何かの間違いでしょう?」
あまりにも想定外の結果を前に鳳が目を回していると、ミッシェルはカラッとした笑い声を上げながら苦笑交じりに、
「かも知れないね。ま、所詮は占いなんだから、当たるも八卦当たらぬも八卦。結果なんか気にせず、君は君のしたいようにすればいいよ」
「いや、あなたにそんなこと言われても全然安心できないんですけど……ミッシェルさんの占いって、百発百中だったんですよね?」
するとミッシェルはとんでもないとブンブン頭を振って、
「そんなわけないよ。占いってのは、あくまで将来の行動指針の一つに過ぎないのさ。よくあるタイムパラドックスにもあるだろう? 例えば100%未来を言い当てることが出来る占い師がいたとして、その人が、あなたはこの道を歩いていった先で死にますって言ったら、言われた人は絶対にそっちを避けるじゃない。そしたら、100%当たるはずの占いも、外れることになってしまう」
「はあ……そうですね。じゃあ、占いどおりにならないように、避けてれば平気ってことですか」
「いや、そうじゃないそうじゃない。結果ってのは、あくまで一つの可能性に過ぎないってことさ。結果を恐れてその原因を取り除いたところで、それに似たような出来事は起こりうる。原因というか、因縁の方なんだけど」
「……原因? 因縁? どう違うんです?」
「結果ってのは、因と縁、2つが揃って始めて成り立つって仏教の教えだね。ほら、よく縁起が良いって言うじゃない、その縁さ。
因果という言葉もあるくらいで、僕たちは原因と結果を一組に捉えがちだけど、実は一つの原因が必ず一つの結果を導くとは限らないんだよ。例えばある時、雨が降ったら山崩れが起きたとする。すると人々はその時に降った雨が山崩れの原因だと考えるわけだけど、でもそれじゃ、雨が降る度にいつもどこかで山崩れが起きていないとおかしいわけじゃない。世界中、いつもどこかで雨は降ってるけど、山崩れはそんなに頻繁には起きていない。
そう考えると、実は山崩れは雨が降ったからじゃなくて、たまたまその山の地盤が緩んでいて、そこに偶然雨が降ったから起きた……まず緩い地盤という因があって、そこに雨という縁が訪れて、初めて山崩れという結果が導かれたというわけだ。
また仮に、山の地盤が緩んでいて、そこに雨が降ってきても、必ずしも山崩れが起きるとは限らない。雨が降らなくても、例えば地震なんかで山崩れが起きる可能性もありうる。
こんな具合に、そこに何かの結果があっても、実は因縁しだいでは、その結果が変わっていたかも知れないんだ。僕が何度も過去や未来は絶対ではなく、曖昧なものでしかないって言ってたのは、そういうわけさ」
「う、うーん……なるほど。言ってる意味は分かります。でも、それじゃ具体的にどうすればその未来を回避できるんでしょうか?」
「まず回避するって考えを改めることだね。あまり身構えずに、もしかしたらそういう未来が起こるかも知れない……そう考えて日々を真摯に取り組んでいれば、いつか似たような事が起きても、もっと良い結果を導けるかも知れない。占いとはそんな風に付き合っていくしかない」
「そっか……そうですね」
鳳は大きく頷いて、
「ギヨームと争うかも知れないと言っても、その原因はまだ何も分かってないんだから、場合によっては話し合いで解決するかも知れない。それに、占いが本当なら、少なくとも彼はまだ生きてるってことですしね」
「そうだね。そうやってポジティブに考えてたほうが良いよ」
「それにしても……俺が天使を引き連れて、ギヨームが魔族をってのは、やたらと示唆的ですね。もしかして、四大天使に会いに行くのは間違ってるんでしょうか?」
「かと言って、他に何か当てはあるの?」
「そうなんですよねえ~……」
四大天使……というか、こっちの世界の人類を避けて行動するのはあまりにもリスキー過ぎる。そもそも、ギヨームがどこにいるかも、プロテスタントのアジトもわからないのに、どこへいけばいいというのだろうか。結局、危険は承知で飛び込んでいくしか方法はないのだ。
ふと何気なく、瑠璃のいるドミニオンのキャンプとは逆方向に目を向けると、遠くの波打ち際にアズラエルとギー太とサムソンが、仲良く日向ぼっこをしているのが見えた。
自分だって魔族を引き連れていると言われたら返す言葉もないのだ。そう考えると、さっきまで考えていたことが馬鹿らしく思えてきた。鳳は肩を竦めると、
「そう言えば、サムソンはちゃんと元に戻れるんでしょうかね。それも占いで分かりませんか?」
「さあ、わからない」
「わからない?」
どことなく突き放したような返答に小首をかしげて見せると、ミッシェルは仕方ないじゃないと言わんばかりに首を振りながら、
「僕は占星術師だからね、彼の生年月日がわからなければどうしようもないし、そもそも、彼はこの世界で生まれてきたことすらないんだから、占いようがないんだよ」
「あ、そういうもんですか」
「彼の結末は彼の世界にしかないんだよ。でもまあ、なんとかなるんじゃないかなあ。君はなんとかするつもりなんだろう?」
「そりゃもちろん、そのつもりですけど」
「お、おまたせしましたわ。部隊から調味料を分けてもらってきましたの」
そんな風にミッシェルと話し込んでいたら、ようやく瑠璃が戻ってきた。そのすぐ後ろには琥珀と桔梗もついてきている。さっきまで物凄い形相で睨んでいたくせに、今はそんなのはお首も見せずに、涼しい顔をしていた。二人共、何食わぬ顔でご相伴に預かるつもりらしい。
女ってこういう、男には絶対出来ない切り替え方をするよな……とか思いつつ、そんなことを指摘しても良いことなんて何一つ無いので、黙って迎え入れてみんなで箸をつついた。
食に飢えているこちらの人々には好評だったが、味は割と普通だった。早くも醤油が恋しくなったが、ヘルメスのみんなは元気だろうか。
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突発のバーベキュー大会を終えて食休みをしていると、沖合からゴオオオッという機械音が響いてきた。こんな音が聞こえてくる理由は一つしか無い。鳳のことを報告するために、一度モーリシャスまで帰っていたジャンヌが戻ってきたのだ。
岸に近づいてくるにつれ徐々に大きくなってきたホバークラフトは、海岸の近くで何度か旋回した後に、上陸地点を見つけてそのまま砂浜に上がってきた。
最初はなんで航続距離が短そうなホバークラフトなんかに乗ってるんだろう? と思っていたが、こうして上陸するところを見て理由が分かった。この世界にはオーストラリアにしかまともな港は存在しないのだ。おまけに水棲魔族が出没する海では、普通の船舶が沖合で呑気に停泊してるなんてことは出来ないのだろう。
砂浜の砂を吹き飛ばしながら、海岸の奥まで滑るように乗り込んできたホバークラフトがようやく止まると、それを遠巻きに見ていたドミニオンの少女たちが駆け寄っていって、整然と横隊に並んだ。こういうのを見せられると、ちゃんと訓練された軍隊なんだということを思い出すが、普段の姿からはあまり想像ができなかった。
彼女らに遅れて近寄っていくと、ホバークラフトの上甲板にひょっこりとジャンヌが顔を出した。
「望み通り、上に報告してきたわ」
ベヒモスを撃退した後、一度は鳳のことを捕らえようとしていた彼女は、説得に応じて態度を改めると、今度は上司に話をつけに本部まで戻ってくれていた。
その際、部隊ごと本部に帰ってしまっては鳳を逃がすことになってしまうし、かと言って鳳をモーリシャスまで連れて行くわけにもいかないから、こうして部隊を残してジャンヌ(と最低限の人員)だけが使いっぱしりをしてくれたわけだが……その様子を見るからに、どうやら首尾よく四大天使にこっちの要望を伝えてくれたらしい。
ジャンヌは甲板から飛び降りるようにして部隊員たちの前に降り立つと、隊員たちに軽く敬礼を返してから、
「まず結論から言うわ。今回の件を神域に報告したところ、四大天使はあなたとの面会に応じるそうよ。可能な限り早急に、パースまで来るようにとの仰せよ」
その言葉に部隊員たちからどよめきが起きる。ジャンヌはそんな彼女らに静粛にするように命じ、
「パースまでは私の部隊が責任を持って送り届けましょう。鳳白、ミッシェル・ド・ノートルダム……それから気に食わないけれど、あの猿の魔物も一緒に連れてこいとのお達しよ。三人は明朝、まずはこのホバークラフトでモーリシャスまで来てもらうから、遅刻せずに集まるように。そこで飛行機に乗り換えてパースに向かうわ」
「アズにゃんは一緒じゃないのか?」
彼女の名前がないことを疑問に思った鳳が尋ねると、
「……アズラエル様だけなら船でお送りも出来るのだけど、お連れしている魔族はそういうわけにはいかないわ。信用が置けないと言うだけではなく、単純に船に乗り切らないから」
「ああ、それもそうか」
「私のことなら気にするな。君たちに少し遅れるだろうが、必ず神域に出頭しよう」
アズラエルのその言葉にジャンヌは彼女の方へ向き直ると、
「その言葉を決して違えること無くお願いします。神域は、無理やりにでもお連れした方が良いかという我々の問に対し、アズラエル様を信用し、あなたのしたいようにさせよと仰せでした。あなたが帰ってらっしゃることを信じて待っているそうです」
「肝に銘じよう。今更逃げようとなど思ってはいない」
ジャンヌはアズラエルの言葉を確かめると、また部隊の方へ向き直り、
「今言ったとおり、我々の部隊にはこの三人をパースへ連行するよう命令が下った。また、神域はプロテスタントとの接触を持ってしまった我々に、事態が落ち着くまでパースに駐留するようにお命じになられた。神域はプロテスタントと交渉を行うことを、まだ世間に公表したくはないそうだ。このことは機密とし、他の部隊員への口外を絶対に禁じる。以上だ」
その言葉に整然と立ち並んでいた部隊員たちからどよめきが起きた。確か瑠璃たちの話では、パースは人間は絶対立入禁止の天使だけの領域であるらしいから、今回の命令は本当に異例尽くしなのだろう。ジャンヌもそれが分かっているからだろうか、規律もへったくれもないくらい動揺する部隊を黙って見ているだけで、何も言うことはなかった。
鳳は、面倒事に巻き込んじゃったかなと思いつつ、特に掛ける言葉も無いので、これ以上彼女らを刺激しないようにとその場を離れた。そして同じく空気を読んで離れていったアズラエルの横に並ぶと、
「なんか大事になっちゃったな。俺だけパーッと行って会わせてくれればそれでいいのに」
「そういうわけにもいかないだろう。彼女らを巻き込んで本当に申し訳ないと思うなら、君のそのサンプルをさっさと私に寄越すことだ。決して無駄にはしないぞ」
「無駄にしないって、どう扱うつもりだよ、まったく……こっちとしても唯一の交渉材料なんだからもう少し待ってくれ。全ては四大天使と話をしてからだ」
「……ミカエルは、ちゃんと私にもサンプルを分けてくれるだろうか」
アズラエルは鳳の股間のあたりをジロジロ見ながらぶつぶつ言っている。純粋に研究目的で他意はないのだろうが、そうやってじっくり観察されてしまうと、腰のあたりがひゅんひゅんして仕方なかった。鳳は話題を変えるように、
「アズにゃんはどうやって帰るつもりだ? やっぱり、最初に会った時みたいに筏に乗ってインド洋を横断するのか?」
「それ以外にあるまい」
「簡単に言うけど、そんなの普通じゃありえないぞ。何ヶ月も漂流した挙げ句、餓死するのが落ちだ。そういやあ……俺はてっきりギー太が筏を引っ張ってるんだと思ってたけど、実際はアズにゃんが津波を起こして移動してたの?」
「ん? ……ああ、そうだが?」
「あれって君の必殺技か何かなのか? 実は前の世界で同じような技を食らったことがあってさ……レヴィアタンって魔王が使っていたんだけど」
鳳の言葉に、アズラエルは一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに何事もなかったかのように冷静な表情に戻ると、
「驚いたな。君はベヒモスだけでなく、レヴィアタンとも戦った経験があったのか?」
「内緒だけど、俺だけじゃなくて、あのジャンヌも一緒だった。俺とあいつで、とどめを刺したんだ」
「それは……驚いた」
アズラエルは本気で目を丸くしている。
「ギー太たちは、その時にレヴィアタンが召喚してきた取り巻きだったんだけど……なあ? 君はもしかして、何か身に覚えがあるんじゃないか?」
鳳が尋ねても、アズラエルは表情を変えること無く、黙って前方を見据えたまま歩き続けていた。その視線の先には、件のインスマウス達が見える。
「君が研究所で話してくれたけど……あれって、やっぱ、人間だったんだよな?」
アズラエルはその言葉にも黙して語らず、ただ黙って歩き続けていたが……暫くすると何かを後悔するかのように立ち止まり、水棲魔族の方を見ながら、ため息混じりにポツリと呟いた。
「……過去がなんであれ、今の彼らは庇護がなければ生きてはいけない。私はその手助けをするつもりだ。天使は……無駄に長生きだからな」
「そうか」
きっと、一生面倒を見るつもりなのだろう。だとしたら、それが元人間だろうが魔族だろうが、もう関係ないと言いたいのかも知れない。そんな都合よく、彼らがもとに戻れるとは限らないのだから。
ミッシェルの小屋で現代魔法の講義を聞いていた時、彼女は肉体と魂の分離という言葉に妙に食いついていた。きっとそれは、鳳がサムソンを元に戻したいように、彼女にも元に戻したい人がいるからだったのだ。
その後、筏を組み立てると言う彼女を手伝って、サムソンと三人でえっちらおっちら木々を運んでいると、見かねたドミニオンの隊員が手伝いを申し出てくれた。お陰で出来上がった筏は最初に彼女が乗っていた見窄らしいものとは段違いで、きっと彼女の旅を快適にしてくれるだろう。
翌朝、パースでまた再会することを約束して、鳳たちは一足先にドミニオンのホバークラフトに乗ってマダガスカルから離れていった。アズラエルはその船が見えなくなるまで海岸線で見送ったあと、出航の邪魔にならないように沖へやっていたインスマウスを呼び戻し、みんなで作った筏を波打ち際まで運んでもらった。
「これ、ギー太、そう雑に扱うんじゃない」「ギィギィ!」「うん、みんなが帆をつけてくれたのだが、邪魔だから外してしまおう」「ギィ!」「好意を無駄には出来ないからな、要らないとは言えなかった」「ギィ~……」
そんな会話を交わしながら、アズラエルはいつの間にか自分が彼らのことをギー太と呼んでいることに気がついた。それまでは罪悪感や葛藤もあって、あまり愛着が沸かないよう、努めて話しかけないようにしていたのだが……ろくに話も通じていないだろうに、鳳がべらべら話しかけているのを見ていて、意識しているのが馬鹿らしくなってきたのだろう。
それにしても、どうして彼はギー太と言うのだろうか? ギィギィ鳴くからだろうか? そんなことを考えつつ、彼女が出航の準備をしていると……ふと、頭の上に影が差したような気がして、彼女は顔を上げた。
すると遠くの山の上に、巨大な影がうごめいているのが見えた。あんなもの他に見間違いようがない、魔王ベヒモスである。
ついさっきまで気配を感じさせなかったのに、アズラエルだけになったこのタイミングで現れるとは……
「もしかして、サムソンが居なくなるのを待っていたのか?」
鳳も言っていたように、あの魔王は食への執着が強い。だが、サムソンがいる限り、無駄な労力を払うだけで、絶対にご馳走にはありつけないから、目の前に好物があるのにじっと我慢して隠れていたのだろう。
正直、あの魔王にそんな我慢が出来るほど理性があるとは驚きだったが、それよりこの状況であれが動き出したのだとしたら、狙いは間違いなく自分たちだろう。
案の定、ベヒモスは山の斜面を下って、一直線にこっちへ向かって駆け降りてきているようだった。しかし、いくら真っ直ぐ走るのが速くても、途中にはジャングルが立ちはだかり、まだまだ距離もあって到着まで数十分はかかるはずだ。
アズラエルはそれを確認してから筏を海に浮かべ、
「残念だったな、魔王ベヒモス。海に入ればこっちのものだ」
彼女はギー太たちに命じて筏を少し沖まで運んでもらうと、目を閉じて朗々と詠唱を始めた。
「タイダルウェイブ!」
その詠唱が完成するや、どこからともなく津波が現れて、彼女の乗っている筏を押し流しはじめた。まるで水中を飛ぶかのように、その後を無数の水棲魔族達が追いかけてくる。筏はぐんぐん速度を上げて、やがて海岸が見えなくなると、遠くの山の上の方からベヒモスの悔しそうな咆哮が響いてきた。
さらばマダガスカル……もはや振り返っても島影はどこにも見えなかった。アズラエルはそれを確認すると、筏のマストに背中をあずけて、どこまでも続く大海原の上を駆けていった。